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Things That Rock My World

08/26/2006 にアップした文章です。

 

Ying-Yang(陰陽)マーク・静-動・熱-冷などなどの反対の性質を持つ二元性についてはたくさん書いてきました。そのバランスをどこで取るのか、どんな場面でどちらをどのくらい使うのか、あるいは意識的ではなくともどう反応してしまうのか、などなどが、私たち生命体の喜怒哀楽や健康を分けるキーになっていると思われます。

じっとしていて、何も起こらないよう決まりきった毎日を送る手もあり。が、その先にある目標は何なのか?充実した人生とは何なのか?コレは個人こじんによって違うとは思うのです。生まれながらにして重度の障害を持っていたら、日常で楽しめる事柄に制限されることは多いでしょう。生まれた家にお金があるかないかも左右します(『お金の効力』参照)。では、何が起きることがなぜ・どのようにいいのか?コレについて掘り下げて日夜研究しているのが、生物学的見地と社会学的見地を混ぜて、ヒトの発達についてを研究している分野なのでしょう。脳神経学にしても、何かを発見したからそれでいい、チャンチャンというわけではなく、それをどのように人々が生活の中に応用できるか?というのが大切です。

E=mc2(コレ、二乗ね)が真理であるのは「そうだ」と言われたから知っている人々のほうが圧倒的に多い。では、コレをどのように生活の中で発展させていけるのか?が問題なわけです。当然、私の母のような人には「私にはまったく関係のないもの」と処理されます(笑)。 面倒だけど説明するんだよね・・・。でも流されてしまう(爆)。

エネルギー(E) = 質量(m)×光速度(c)の2乗; 光速度不変の原理(光の速度はいつも変わらずに一定)を考えると、エネルギーは質量によりエネルギー量が決まっているという意味

コレね、エネルギーが不可欠で暮らしている生命体には応用がたくさん利く公式であるはずなのです。計算するってぇんじゃないですよ。そうなのか、エネルギー量が決まっているのか、と。ここで最初の段落に戻ると、コレについて何をどうするか?が問われることになります。わからない-放置、なのか、わからない-理解しようとする、のか。今までの体験において、「ダメだめぇ、物理なんてわからなーい」と投げてしまう傾向があることを熟知していれば、「なぜわからないのか」を解決してこなかった積み重ねをした自分を顧みるチャンスになるのですが、人はみな自分がかわいい。自分を責めることはなるべくなら避けたい。逃避したほうが簡単なので、「わからないものはわからないまま済ます」ことが多くなります。

Things That Rock My Worldが山ほどあると、いつもOverwhelmed (圧倒される)な私は、倖せなのか、不幸せなのか・・・。今日もおかしかったのが、正田醤油(美智子皇太后の実家)のお醤油の瓶を眺めていて、「くん液」という聞いたこともない不思議な単語を見つけてしまい、調べてしまった・・・。しつこい(爆)。http://homepage3.nifty.com/newaqua/kome/kuneki.html どうやら傷まないようにする目的があるようですが、初めて聞いたよ・・・。いくつになっても知らないことは減るように見える兆しがない。ステキなことです。

どうして同じ物事でも、Rock My Worldになる場合とならない場合があるのか?

ひとつには、生命体の神秘の信奉の度合い。

どのように生命体が始まり、ヒト(生命体の最上位に君臨している・・・はず(笑)。が、見方によってはそうでもないことも多々あり)まで進化したのか、を詳細に理解する必要はありません。私は生物や動物学などをやってよかったと思っていますが、それなりに時間も労力もかかるので、みんなに薦めるわけではないです。が、感謝の気持ちは深まり、でっかい命題である「可能性」という質や量や方向性を感じ考えるのにたいへん役立ってきました。私の楽観性の大きな部分は間違いなくここから来ているのだと思います。生命体全体>ヒト>黄色人種>日本人>自分、と段落的に考えても、可能性を信じる度合いが高いのだと思われます。小学生であれ、おたまじゃくしや昆虫などの成長を見て反応する(英語ではMoved; 動かされているわけです)のです。「ふーん、そうなのか」と静的な反応で終わってしまうのか、「どうして?」「すごい!」とかなり動的な反応を示すのか、度合いが分かれます。

校長センセがいつもコメント欄で「知的好奇心」について触れておられますが、知的かどうかは別にしても、「知らないことを知るプロセス」の充実感を知っていれば、まったく鈍感で揺れを感じないことはなく、ある程度身体のどこかが揺れ動かされると思うのです。脳なのか、ハートなのか、手なのか、目なのか、どこでもいいのですが・・・。その揺れを感じなくなってしまうような、錯覚。それが雑音なわけです。

地震に置き換えて考えてみましょ。同じ震度3でも人が感じる質や感覚はかなり違う。ほんのちょっとの揺れでも感じることができる人もいれば、震度4くらいまでまったく感じない人もいる。あるいは、地震に怯えるように見せてはいけないと、感じないフリをする人もいる。

敏感なことで、感じてしまうことで、引き受けなければならない面倒さ・複雑さは確かにあります。「くん液」を調べるのには、わずか4分しかかかりませんでしたが、もっと複雑なこともあるわけです。わからないとどうもすっきりしなかったり、いつまでもどこかにしこりが残っているような気分になったりすることもあるわけです。でも、それらは全部引き受ける。なぜなら大きく揺り動かされたいからです(爆)。

もうひとつのネックは、ただ本当に忙しいから感覚が麻痺しており、感覚器官が充分開いておらず、あるいは心の準備ができていない。

コレは西さんのケースです。西さんは賢いですが、たいていの勉強はしっかり取り組めば理解できるのだと思いますが、いかんせん彼にはやる気やエナジー配分が限られています。さらにいつも何かに心が占められており、「バケーション」「休み」でなければ、風景を愛でるゆとりがない。彼は特に鈍感なわけではないです。私などが見向きもしない野草を愛でたり、写真を撮るのにわざわざ背景にネコを入れたりしますから。最初に示したように、「生命体の可能性を信じる度合い」により、この優先順位のつけ方や、心のゆとりの持ち方やキャパに差が出てくるのではないかと思います。誰でもそうですが、日々の生活の糧を得るほうが優先順位です。意識的にメリハリをつけて、バケーション;さぁ、たくさん感じよう!どんどん感覚器官を開こう!という時間を作れるのであればいいのですが、そうでない人は多い。なので、あの心地よい揺れも、爆発的な揺れも見逃してしまうのが、私からしてみるともったいない気がしています。

英語では、恋した相手に ”You Rock My World!” と言うのがお決まりのフレーズになっていますが、人物だけではなく、行為や風景や印刷物やその他、たくさん揺らされてしまうものは周りにあります。ちょっと揺れてもそれに乗ることもなく(ちょっとサーファーやスノーボーダーにはわかるかも?)波や雪を逃していることが、日常生活にもたくさんあるのだよ、と、自分に語り掛けてみるのも悪くないです。近所をお散歩して、木々や花の名前を、戻ってから確認するだけでも「一日数個の知識貯金」ですし、話題になることが増えて人とのコミュニケーションが円滑になったり、その話題により好き嫌いが変化したりするかもしれません。

デザインやもの作りを自分ではしないにしろ、それを売るために詳細について注意を払うようになりました。細かい思いやりや工夫はThings That Rock My Worldの典型です。うひー、うへー、うわー、と感嘆詞が多くなる日常っていいですよ♪

 

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