チベットに平和は来るのか?

03/18/2008 にアップした文章です。

 

ダライラマ14世が1959年にインドに亡命して、はや48年強。4歳で在位して、23歳のときに、チベットから逃れることになり、ラサの宮殿を後にした映像は、ハリウッド映画であるKundunでかなり忠実に再現されているようです。未見の方がいらしたら、ぜひこのチベット暴動をチャンスにどうぞ見てみてください。私は、日本での報道や、コメンテーターの言を、あまり信じておらず・・・。いろいろなその方面のエキスパートを探してくる努力だけでもしていれば、少し聴いてみますが、本人もあまり強く言えないのは、いろいろな事情があってのことなのか?うーん、深い・・・。

 

オリンピックのボイコットが実現したら、人々はチベットを責めるのか?それとも中国を責めるのか?チベットを責める方がもしもいらっしゃるのであれば、ちょっと考えてみていただきたいなと思っています。そもそも、陸上の王者が、「空気が汚いからマラソンには出場しない」と室内1万メートルを考慮中というニュースが奔ったり、水の確保が心配されたり、マナーを徹底するキャンペーンが北京近辺で堂々と配布されたり、TVCMに取り入れられたりしているのを見て、「閉鎖されてきた社会」を感じない人々はいてほしくないと思うのです。

 

以前載せましたが、ダライラマの基本情報>

ダライラマ 日本語版 

ダライラマ 英語版 (写真はきれいです)

英語版 ダライラマ14世

 

チベット基本情報

このダライラマ14世と、彼が過ごした国外で過ごした48年と、2歳で見出されてからの72年と、それらを冷静に見つめ、ヒトにしか与えられていない感情を熟考し、世界的なバランスを査定した上で、今、なんとかしていい形で結果を出すことができたら・・・と願うのです。

 

・・less=・・・がないという形容詞がありますが、親や家や仕事などの細かいカテゴリーではなく、チベットの人々には、国がありません。Countrylessなわけです。家をどこに置いても、植物でいえば、根を張るところがない。もともとは自分たちが祖先から受け継いだ土地だったところを、いきなり中国に奪われて、「貸しておいてやるよ」と高飛車に言われ、尊敬する指導者も追われ、取り戻すことが叶わない。おそらく、チベットでは、ダライラマ14世がどのような活動をしているかをつぶさに知ることができず、不安は募って、学習してしまった無力感も蔓延し、どうしたらいいのか、頼りない気持ちで生きている人たちは多いでしょう。

 

昨日も「漢民族」という単語を出していたインタビューを受けた日本人旅行者がいたのですが、その人が「漢民族とプーリー(チベット民族)の違いをちょっと見ただけでわかるのか?」という疑問が生まれました。そこから、報道のビデオを見て(しかも中国が提供して世界に流しているもの)、誰が誰で、場面だけを切り取り、その前後をどう編集しているかもわからぬものから、「大したことなど判断できぬ」と、見極めた海外の人々が多いことを祈ります。アメリカのレイプ事件でも多いのですが、他民族の顔判別というのはつきにくいので、冤罪が増える。人が人に興味を持つことなく、きちんと向き合わないために、特徴らしい特徴を見出せない。それは、アジア人に生まれた各所の国民にも言えることで、アジア人だからと言って、アジア人の判別がつくわけでもないわけです。ただ、白人や黒人を判別するよりは簡単に思えるだけで・・・。そんな簡単な心理学的メカニズムもわからず、報道をしている側に立っている人々は、まんべんなく話を聴く前に、物事の見方というのを学んでほしいと思うわけです。間違っているかもしれないが、衝撃的な映像や証言というのを、「絶対に取上げない覚悟」があるのか?と、常に自分に問うてほしいです。一国の運命がかかっており、たくさんの人々の幸せがかかっているのですから。

 

Richard Gereはもう30年以上もダライラマ14世と交流があり、「チベットのための国際交流会」の会長をしています。アメリカ国内は必ず、ダライラマ14世の行くところには彼の姿があります。あれを見て、私は「ああ、お金があればなぁ・・・」と思ったものです。もちろんお金だけではないんですが、知名度やゆとりは、信じる心に+になることが多いのだろうと。

 

中国人記者は、台湾紙で、中央政府批判を堂々と掲げています。イギリスでは、チベット留学生が中国大使館の前で、ハンガーストライキをしています。国連総長も意見を表明しており、当の中国ですら「海外のメディアは不公正」だと意見を高々に掲げている中、日本の新聞は非常に第三者的だなぁと、日和見なところを見るのです。

 

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080318/chn0803180310001-n1.htm 産経新聞の【主張】というコラム。

http://www.asahi.com/special/080315/ 朝日ではコラムは書いていませんが、どの記事のタイトルも中国の動静をうかがっているという評判に、沿ったものになっている印象ではあります。

http://mainichi.jp/select/world/asia/ 毎日も特にコラムはなく、チベットの特集欄もありません。

http://www.yomiuri.co.jp/world/ 読売もコラムはなく、特集もなしです。タイトルを見ると、イチバン少ないですね、記事数が。

 

さらに、集団心理学を考えると、暴動が起きてしまったあとの言動について、責や咎を受けるべきは、その渦中にいる民衆ではなく、外側から見ているシステムを作った立場です。人々が暴力を振るい始めてしまったら、身を守ることが第一優先で、それに伴う食糧略奪や、サバイバルのための逃げ道確保など、誰も何も責めることはできないでしょう。やらない人がいたら、むしろ、聖人です。私も自信がありません。自信があるとおっしゃる方のそばには、暴動時や緊急時に、むしろ私はそばに居たくはないです・・・(汗)。SWATチームにしろ、警察にしろ、暴動時の訓練のマニュアルはないのか?と思うほど、あのへんは進化していませんなぁ・・・。

 

ただし、この事件を、自分の政治的立場によりよく利用したり、中国憎悪のネタにしたりするのは、私が好もしく思うところではないので、とにかく、チベットの人々に国がかならずや返ることを祈ります。私がこれを書いて、何が変わるんだ!?程度のものなのですが、書かせていただきました。死ぬまでに、遠くからでいいから、ダライラマ14世を見たいなぁ・・・。まぁ、人々はTVのほうが大きくて近いからいいじゃない、と言うのですが・・・(汗)。

 

覚悟の多忙

03/17/2008 にアップした文章です。

 

本日が最後の完全休日で、今度の完全休日は、5月3日になります。ということは、ほぼ1ヶ月半、完全休日がないので、健康管理をしっかりせねばなりません。医者に行く程度の時間は作れますし、昼寝のタイミングを計ればしっかり身体を休めることも可能です。毎日8時間びっしり働くわけではないので。が、気が抜けないというか、ダラダラできる時間に区切りがあるというのは、少し厳しいのかもしれないです。が、どうしてこんなに働かねばならないのか?うーん、誰かに雇われて、コントロールされる度合いを減らすのは、やっぱり第一優先なのです。そのためには、将来を見据えた動きを必要とされており、やっぱり貧乏症がゆえに、多忙になっちゃうんだなぁ・・・。

 

覚悟:(1)危険な状態や好ましくない結果を予想し、それに対応できるよう心構えをすること。(2)〔仏〕 悟りを開くこと。(3)知ること。(4)覚えること。(5)観念すること。あきらめること。

 

本当に覚悟なんだなぁと、改めて苦笑しています。もうしばらくは、二日酔いになるほど飲むこともかなわないだろうし、パチンコなんか行けるわけもないし、料理なんてしている暇があるかどうかわからないよなぁ・・・、などといろいろなことを考えて、昨日は10時間ほど眠ったあと、パチンコに行きました。土曜日は2人でワインを3本飲んだのでかなり酔っ払ってしまい、フォアグラの味も覚えておらず・・・>パイ皮包みだったんだけどなぁ。かなりお金を使ったのですが、昨日、あっさり着席してから2000円で出てしまい、45000円の儲け。完全に消費した分をリカバーしてしまいました(汗)。勝ち逃げができる状態なので、勝ち逃げしたままにします。この1ヶ月で4回ほどパチンコをしたのですが、全部で20万以上勝ったのである。なんだかまともに働いている人々に申し訳がなく、そのせいか、貯金などできるわけもなく、他人に奢ってしまうのであった。

 

他には、今回、ホワイトボード脚付き両面というのを買うことにしたのですが、ブランド物はやはり高い。新品だと10万を超えるのです。コピーボードだともっと高いですしねぇ・・・。まぁ、そんな高級なものは要らないのですが・・・。そして、教材等をアマゾンで買ったのです。けっこう豪勢に買うことができました。英語で英語を教える方法を採る私は、アマゾンが御用達です。

 

さらに不思議なのは、春になって体調がいい感じになってきたこと。クマのように眠かったのですが、ここのところ6時間か7時間半というどちらかをキープできており、それ以上は昨日の完全休日の10時間ちょいというもののみ。しかし、それでもなんだか体調はいいですね。

 

いいことが続いているせいなのかもしれません。

 

ただし、ネコのうどちゃんの体調が悪く、最近よく戻します。それもこれも私が遅く帰宅したので、お水をいっぺんにがぶ飲みしてしまい、そのせいなのですが・・・。彼は腎臓病なので、お水が必須。しかも、分けて飲まなければならないのに、新鮮なお水が足りなくなったので、がぶ飲みをしてしまったのですね・・・。悪いママでごめんよぉ・・・。

 

そのせいで、またお刺身を買ったのですが、体調が悪いらしく、それほど強欲に食べないので、ちと心配だったのです。が、今朝はけっこう大丈夫そうです。他のネコたちは、春が来て、盛りがついているのですが、去勢しているのに、まだホルモンは強いんですねぇ・・・。びっくりします。ネコたちのことについては、母とじっくり話し合い、彼女の「ゲロばっかり」「毛だらけ」という文句を、少し抑えてもらうようにお願いしました。私が忙しくなると、ネコたちが頼れるのは母なので、母にももうちょっと愛情を持ってもらえれば、と思い・・・。

 

その代償はおそらく冷蔵庫になるのではないか?と思うのですが・・・。まだ壊れていないのですが、冷凍庫部分が弱くなっており、そろそろ壊れる兆しがあるので、夏前には買ってあげようと思っています。聴いてみると、今年ちょうど10年目だとか。日本の電化製品は、どのくらいの寿命率で製造されているのか、私は日本で家事をしたこともないし、一人暮らしをしたことがないのでわかりませんが、アメリカでは10年と言われており、それでも大切に30年使っている人などはゴロゴロ見ています。TVは確実に10年くらいは使ってるよなぁ、みんな・・・。母は、そんな中、パンフレットをいろいろもらってきて少し楽しそうです。これでネコを大切にしてくれるのであれば、いいです(笑)。

 

こうして万全にしたあと、考えるのは、ここで自分の体調を過信してしまう傾向がある私は、気をつけねばならぬ・・・ということ。全般的に無理が利いてしまうので、きっと無理するんだろう、と簡単な予測がつくわけですね。なので、母に見張りを頼み、睡眠時間を今までののんべんだらりんの12時過ぎから2時までのあいだから、定着12時にして、朝はそれに合わせた7時半起床とすることに。もちろん、遅いんですけども、母のごみ出しがちょうど8時までなので、私を起こすこともないだろうし・・・。ネコたちのごはん時間もズラすしかないですね。朝の7時半と夜の7時半。ええ、ネコは1日2回です。

 

さらに、腰痛対策も出しました。足裏のマッサージ器具を机の横に置いて、毎朝できるように設置。これまで、出してくることが億劫であまり多用していなかったのですが、位置さえ変われば大丈夫。自然に、ストレッチなどはやっているので、外に出たときには大丈夫でしょう。疲労や腰痛は蓄積させないことが大切なのです。なので、アメリカで使っていた低反発マットレスをヤフーオークションで落とそうと思います。今使っているのは、高反発で、悪くもないのですが、やはり効果は歴然と違う。1円からのオークションでけっこうな数が出ているので、いくつになってもいいと思い、5つほど入札しておきました。5つ全部当たることはありえないと思うし・・・。西さんの分も入れれば、3個までだったら引き受けられるので、いいとします←楽天的(爆)。

 

他にも、母が積極的に衣替えをしており、私もみすぼらしいアメリカ帰りプンプンの服装から離れられない傾向を、どうにかして修復したほうがいいのかもしれないと思っています。うーん、でもなぁ・・・。多忙になるので、美容院も時間を見つけて行かねばならず、前はいつ行ったのか調べたところ、2月1日だった。なので、やはり合間に一度、ヘアダイに行かねばならぬかもしれない・・・。身長が高いのでそれほど露見しにくいのではありますが、やはり黒い部分が多くなるとまずいです。おかげさまで、まだ白髪は一本も見つかっていません。

 

あれから足湯や半身浴は続けており、毎日とまではいかずとも、2日おきくらいは励行しています。肩まで浸かるのはちと面倒くさいのですが、半身浴で汗をかいたあとの垢と言ったらないですね・・・。けっこう皮膚って死んだ細胞をからませているのですねぇ・・・。

 

今日もおなかいっぱい、昼間からまぐろと山芋のぶつ切りを出してくれたのですが、私は納豆とポークソテーにしました。なぜならば、母は自分のおかずをなぜかきゅうりのぬか漬けだけにしていたからです。どうして彼女はこうも貧乏性なのだろうか・・・。彼女だって働いているというのに・・・。というわけで、準備は万端。と思ったらまた仕事が水曜日に1本増えた・・・。こうして、私はどれを採ってどれをお断りするか?といううれしい悲鳴をしばらく上げていくことになりそうです。

 

楽しい日々が続きますように。私の体調がボロボロに崩れることがありませんように。

他者のせいか、己のせいか その2

03/15/2008 にアップした文章です。

 

日々の生活の問題は、あとからあとから増殖しているんじゃないか?と思うほどに生まれています。ここのところの私は、いいことばかりが続いており、問題が生まれていないのですが、他人様の問題を自分のことのように考えてみると、やはり増殖しているような気もする・・・。昨日も、母が家の模様替えをしていたのですが、彼女は文句や不平を独り言しつつも、次々と見る見るうちに部屋は様変わりして行った・・・。あんなふうに物事がきれいに片付いていけば、この世はもっと平穏なのだけれどもなぁ・・・と思いつつ、そういえば彼女もなぜか私のせいにしていたな、と苦笑するのであった。

 

そもそも、その模様替えというのは、我が家にて小規模な英語教室を開こうとしているもので、まずは2人の生徒さんが確保できており、ホワイトボードを置いたり、椅子と机を揃えて、書架のための棚を設けるというもの。私がやればいいのですが、母がやりたいんだから仕方ない・・・。彼女は私のセンスをまったく信頼しておらず、外で働いており、なかなか動こうとしない私に業を煮やしたというところ。引き受けたのに、私のせいらしい・・・(爆)。まぁ、必要性を生じさせたのは私なんですが、オファーしましたから・・・。モノがたくさんあるのも私のせいらしいのですが、実際は彼女のほうが何でも保存しておきますから、私のせいじゃないと思うなぁ(笑)。

 

こうして、他者のせいかもしれない問題というのは、けっこうあるようです。私はこうした問題を「どこ吹く風」と扱っているのですが、真面目に会社勤めなどをしていると、やっぱりそういうわけには行かないことがたくさんあるんでしょうね。

 

が、もう少し分析してみると、やはりそれも「その人と関わりあうことに決めた自分の責」も、必ずそこにはあることがわかります。偶然の出遭いが醸す事件や問題以外には、ほぼこれが当てはまってしまうんですよね。その事故や偶然の確率というのは、5から15%ほど、というのが通説です。ひょっとすると、もっと厳密に考えると、低いことになるかもしれません。

 

たとえば、強制的に実施される健康診断のペーパーワークなどは、システム上仕方ないにしろ、そこで人為的ミスが起こり、うんざりしたモードで健康診断を受けたら、なんと血液検査で引っ掛る、などのように、連鎖のように問題は増えていくものなのかもしれない。窓口の書類事務を担当する人を選べない立場にある場合、これは純粋な事故や確率の問題ですが、その担当者が慢性的にミスを犯す人であれば、上層部に提案することは可能だったとも言える。知らずにいた自分の「アンテナが低かった責」というのはあるのかもしれない。さらに、うんざりしたモードを持ち越す自分が、被害を蒙ったまま健康診断に行ってしまったことが、血液検査に影響しているかもしれない。もしかすると、自棄酒(やけざけ)を飲んじゃったかもしれないし、八つ当たりして誰か他の人とケンカをして血圧を上げてしまい、寝不足だったかもしれない。などなど、可能性は純粋に事故や確率ではないかもしれません。それが、市役所での住民票を取ることなどであれば、事故なのかもしれないです。が、もしかすると、「お役所的体質」を言及してこなかった市民としての態度にも、ほんの少しではありますが、「責」はあるかもしれません。そこまで厳密にしてしまうと、すべてが自分のせいになり、苦しい生き方になってしまうので、あまりオススメはしませんが・・・。可能性として、考え方としては、こういう道筋もあるということです。

 

さて、私の生徒さんですが、大学時代にライセンスマニアな傾向を発揮し、各種ライセンスや資格を30ほど持っているほどの凄腕なのです。すごいでしょ?他の大人になり、義務教育+αを終えたあと、人々は「自ら」学習したいと思って、英語学校には通ってくる方々とは異質です。が、それなのに、それなのに、どうしてか、勉強法を熟知しているはずなのに、苦手な英語については、講師の言いなりになっていた、という事実発覚。

 

同僚というカテゴリーになるとはいえ、実際のところ、講師同士というのは交流がなく、私は同じ英語学校に行くようになってから、はや7ヵ月半経ちますが、一度も会食はないです。スケジュールがみんながグループレッスンではないので、合いません。グループレッスンは55分なので、休憩の5分ではコピーを取ったり、記録をつけたりしており、会話らしい会話は成立せず。プライベートレッスンは40分刻みなので、グループを教えている場合とのコンビネーションを考えると、さらに時間が合わず・・・。たまに、ドタキャンがあるのですが、当日キャンセルの場合はPaid(お金獲得)の代わりに、その場に居なければならぬという決まりがあります。最後の授業のときなどは、たいへんに無駄なシステムだと呆れてしまうのですが、そんな時間を利用したいと思っても、相手はおらず(苦笑)。

 

というわけで、私は他の講師の先生たちを知らないのですよ、あまり。よく話すのはNativesの一部です。しかも、日本人講師のお名前と顔すら一致しないことが多いという情けなさ。あちらの方々も私のことなど、まったくわかってらっしゃらないことでしょう。

 

ただ、同じ生徒さんを曜日の都合で同時に教えている先生というのがたまにできます。私はこれまで二人いらしたのですが、生徒さんは大人なので伝言を頼んでおいても、そのお返事が来ない。事務局の人に頼んでも、彼女たちは強くは言えない。

 

私は、その場で生徒さんに問題を解いてもらうことは、必要性がない限り、講師の怠慢とみなします。それを延々と80分(プライベートのコマ2回分)も使うのは、言語道断なんですが・・・。しかも、問題数が6問ってどういうことなのかわからず・・・。会社員で時間がないことは確かですが、その場でしか、講師の目前でしかできないことは、Speaking/Listeningのための日ごろの成果を見る以外では、Readingのスピードをタイムするときだけでしょう。あるいは苦手が発覚したときに、即興で問題を探り、反復練習をするくらいのもので・・・。TOEICの問題を延々とさせることは、講師としては時間泥棒もいいところだと思うのです。

 

日本人の英語講師はあくまで、生徒さんの英語におけるごちゃごちゃに入っている知識を整理することに徹底的に献身しなければ、報酬をもらうに値しないでしょう。そのための査定である、現在の実力を測るのに、目の前で問題を解くというのはアリかもしれませんが、大人が時間をごまかすということはないと思うので、自習してもらったものを参考に、現在の混乱を解いていき、チャート化したり、明確にするための具体的なエピソードと混ぜて話したり、Nativesでは思いつかないであろう日本語と英語の関連性から起きる誤解を解いていくことが大切なはずです。

 

そして、その彼には、私は教科書を換えてもらい、今までのぼーっとした授業についての反省をしてもらい(彼のせいだけではないにしろ・・・。彼がそのまま放置してしまった理由というのが、先生なのだからエキスパートなのだからこれでいいと盲信していたというのがある)、新たに半年で200点アップを目指してもらおうではないかと。いや、がんばり次第では、300点もありえるよな、とも。

 

いやー、私の場合、生徒さんに私のせいにしてもらってもいいと思えるところはたくさんあります。そのために、手を抜かずにできうることは何でもやろうと思っており、苦情は多ければ多いほどヒントになります。そうなると、私はさらに優秀な講師になれるので、願ってもないことです。

 

私のほうは、まだイヤなことが起きておらず、昨日は気分がよかったので、ロトまで買ってしまいました(笑)。普段しないんですが、なんとなく・・・(爆)。すべては自分のせい、と思い、気をつけていきませう。

他者のせいか、己のせいか その1

03/14/2008 にアップした文章です。

昨日もプライベートレッスンを、私に切り換えてくれた生徒さんがいて、もう8ヶ月以上通っているのですが、生半可な成果しか見られていないということは、ここまでの中途結論。ここで考えたのは、講師のプロとしての態度や生徒さんの資質と努力できる時間や経済的ゆとりやその他ですが、かなり好条件であることは否めない。私が出遭ったのは、わずか2ヵ月半前です。半年ほど、何をしていたのかと復水盆に返らずな気持ちなわけです。そこで話したのは、他者のせいか、己のせいか。彼は己のせいだと言ってくれました。

 

昨日の人為ミスにしても同じですが、人というのは間違いも犯すし、成長もし、無為に過ごす時間もあれば、有意義に過ごせることもあり、その微妙なギザギザな波の中で生きているわけです。失敗もすれば成功もする。統合的にどうであるのか?ということだけを問えばよく、その上に、時間やその他の物理的条件や(経済事情や有効な手段など)を付け加えたあと、人として自分の選択は正しいか?自分らしいのか?を考えるのが、私の方法です。

 

ここでまたぶち当たるのが、永遠の命題である、Nature vs. Nurture(先天的か後天的か)問題。実際は、人は自分の資質というものを、よくはわかっていないのではないか?と、ここまで大人になってつくづく感じています。

 

たとえば私は、楽器をやってこなかった。貧乏育ちに楽器を習うなんてことはもってのほかで、一時期、のんちゃん(近所だった幼なじみ)にくっついてオルガン教室を見学した揚句、母が捻出してくれたのですが、それほどの母の苦労を見るのもつらかったし、のんちゃんのお家とのバランスもズレており(のんちゃんの家は、女の子がピアノをやるのは「たしなみ」だと思っていて、当然なので、かなりな時間をかけていたし、お金もかけていた)、わずか3ヶ月ほどしか続かず、その後は一切の習い事は考えずに小学校5年まで遊んで暮したのです(笑)。あれが続いていたら、と考えるのは、What if(たら、れば)の世界なのですが、私には所詮情熱がなかったのだろうか?と思えるのは、その後、合唱部に中学で入り、周りの80%の人たちが何かしらの音楽に関連する習い事をしていたのにも拘らず、それでも「なんとかなっちゃった」ので、そのまま放置だったのです。他の人をさておき、120人中30人しか選ばれないコンクール要員になれたし、初見の譜面でもそれなりに歌えたので、努力をすることがなかった・・・。

 

それと同様なのが勉強なのでしょう。「やればできる子」と言われながらも、誰も「おまえの足長おじさんになってやろう」と子どもの頃は言われませんでした(大人になってから言われたんですが・爆)。それには、勉学に対する熱意の欠落や、資質が突出した域にあったわけではない事実があったのでしょう。

 

それでもやはり夢をこんなところで見てしまうのは、ヒトの性(サガ)というもの。もしも英才教育を受けていたら、だとか、楽器をやっていたら、だとか、運動をしていたら、などなどを想うわけです。まぁ、よしんばオリンピック選手になれたとしても、倖せだったとも限らないのですが・・・。

 

子どもに「積み重ねの存在」が理解できるのであれば、きっと子どもの頃から慎重で夢のない、現実的な英邁な努力をしていくのでしょうが、そんな子どもはむしろ私は嫌いだ(爆)。いますよ、たまには。勉強するのが楽しくて仕方がない!という子どもって。が、95%くらいは、「愛する親に言われているからやっている」「学校に通い続けるためにやっている」(学校が楽しく、友だちに会いたいし、部活をしたいからという意味)「まだ仕事ができるほどに育ってはいないから、勉強が子どもの仕事なんだろうと思ってやっている」などなどが大半です。

 

子どもには大人よりもずっとずっと選択肢があるのに、なぜか本人は選べず、親という庇護者が選んでくれてしまう。その親には、ヒトの資質を見抜く眼力があるかどうか?と問えば、「うーん、それほどないだろう・・・」と思える。だって、自分もまだまだ不幸だったり、迷ったり、悪戦苦闘は続いているわけですから。少し知恵があれば、専門家の話を聴きに出かけたり、独自にそれについて本などで学習したり、親のための話し合いの場を持つようにしていますが、どれほどの成果が上がっているのかは、それぞれに属していきます。

 

こうした混沌の中、子どもの頃のことを「他者のせい」と考える大人ができても不思議ではないですよね。「本当なら資質があったのに、小さい頃にやってこなかった」という復水盆に返らず論理が流行っていきます。

 

私は、他者のせいだとはまったく思わないんですね。それは、大人になってから、日本で19歳のときに入学した大学よりずっといいところに入り学んだこともあるし、死なないほどのパイロットスキルも身についたし、英語も話せるようになり、世界がもっと実践的に眺められるようになった。知恵も知識も驚くほど発達したし、身軽にもなった。ヒトとして、人としての生き方も自ら選んでいけるという自信もついた。なので、ほとんどのことは「大人になってからでは遅い」とはまったく思っておらず(実際に遅いことは、スポーツ関連や、いくつかの言語学習などの条件程度ですもん。たとえば、オリンピックに高齢で出たいならば、種目を選べばいいだけなんだわ)、他者のせいにし続けて、またもや貴重な時間を失っている人々を気の毒に思うのです。

 

立派な親に生まれなかったことを呪うのは、育ててもらった恩義をまったく感じていない証拠とも言え、私は両親がしてくれた精一杯を受け止めています。選択権をどんどん拡張して勝ち得てきた中、やはりすべては自分のせいだと思うようになりました。

 

大人である年齢に達するまでの学校を選ぶのは、確かに社会や大人の思惑に左右される割合は多いのでしょう。が、私のようなやり直し、敗者復活戦はできないわけではないです。みんなができるのか?と問われれば、根性がなければできないかもしれません。が、私の楽器と同じように、「ゆとりができたらいつかやりたい」とずっと念じているだけでは、まだそこまで気がないわけですよね。机上の空論であれば、誰にでもできます。もちろん、勝ち目の低い勝負に出るのは勇気が必要ですが。

 

私は、渡米については、勝ち目が低いとはまったく思っていなかったのです。悪いことは他者のせいにして、いいことは他者に感謝しないでいい、とは教わってこなかったので、きっといいヒトたちが私を導いてくれるに違いないとも信頼していたこともあり、覚悟は相当なものでした。そうだよねぇ。あれだけがんばって貯めたお金を使って、まったくの新天地に移動したわけだから・・・。

 

そうなんですよ。いいことは他者のせい(おかげ)と感謝するのはアリだと思うのですが、責任を他者のせいにするのは、潔いことではないのです。それに「同意」したり、流されたりして過ごしてきた、自分の責任というのも考えてみたほうがいい。そこで、たとえば、DVに抵抗できなかった等の心理的メカニズムがあれば、私も納得できます。それが積み重ねというものなので、考慮したほうがいいことはたくさんありますから。「他者のせいにしてはいけない」と一辺倒なことを言うつもりはありません。

 

あ、英語学校の生徒さんの話がまったく書けなかったので、明日も続きを・・・。

GW Boot Camp 記 VII

5月3日(金)

動詞からの文法 ① 不定詞・動名詞

動詞からの文法 ② 分詞形容詞

動詞からの文法 ③ 分詞構文

時制・助動詞を混ぜた動詞のフリースタイル Writing

 

名詞節 フリーWriting

関係詞 フリーWriting

どうしても仮定法や受動態を使うパターンを学ぶ

 

この7日目は試行錯誤の連続でした。日本では、不定詞・動名詞は、それぞれを取る動詞を暗記する傾向が強いようですし、不定詞に至っては「名詞句・副詞句・形容詞句」をさらに掘りこんで理解する、というような、七面倒くさい学び方をしているようで・・・。未だやっているのか?というのは、うちにいらしてくれている中高生のテキストを見せてもらっているのですが、まぁ、まだやってます(笑)。

 

そんなレベル感ではなく、もっと使えるようになんとかできないものか・・・と考えて、解説させていただいております。

 

https://toiguru.jp/gerunds-and-infinitives

一理はあるけど、まだすごくめんどくさいのでは??

https://www.rarejob.com/englishlab/column/20151221/

これも時制を使って解説しているのだけれども、やっぱ違うよね・・・。

https://eigo-box.jp/grammar/infinitive-gerund/

これもまたもや時制を使って解説しているけど、違うよなぁ・・・。

 

というわけで、不定詞・動名詞は、現在形をしっかり理解することと、現在完了形をしっかり理解したぞ!の状態で取り組むのがいいです。現在形は「習慣」にしばられており、この時制が説明しているような「同時あるいは過去」ではないですから。不定詞は、現在の立ち位置からの「現在完了の経験」に着目します。

 

これでけっこう理解しやすくなるのですが、わからない人にはわからないかも、です。

 

そして、その後、分詞形容詞をやりました。動詞が形容詞にそのままなってしまう単語群は、英語ではかなり数があります。なぜなのか?英語の本質である

  • 距離感
  • 立ち位置・目線
  • 考え方

を入れやすくなるからです。

 

https://toiguru.jp/participle-adjectives

https://www.rarejob.com/englishlab/column/20160807/

https://eigo-box.jp/grammar/what-is-participle/

分詞形容詞の説明です。がんばったら理解しきれるかな?

 

その後、分詞構文に発展させましたが、分詞構文は「文語」で使われる割合が多いので、まぁ、読めて聴いて理解できれば、とりあえずはOKです。

 

午後は、名詞節と関係詞(関係代名詞・関係副詞)を取り入れたWriting をホワイトボードを使って行いました。どんどん「英語らしい表現」ができるようになってきましたよ(^^♪

人為ミスがいかに多いか

03/13/2008にアップした文章です。

医療ミスであれ、航空事故であれ、日々の仕事であれ、物事というのは、人為ミスの割合がとてつもなく多いことは、自明であるけれども、実際、人々はこれを実感して日々を暮しているわけではないようです。今朝のモーニングショーの特集で見たのは、抗がん剤投与のミス。週に1回という処方を、1日1回と読み間違えたというもの。信じがたいミスです。ひとりの高校生の女の子の命が奪われてしまったのですが、それについて追いかけをしている取材は、断固とした論調ではあったのですが、その医師は医師免許を剥奪されたわけでもなく、今後も停止処分ののち、医師として活動していくのです。おおごとです。

 

テクノロジーが進み、モノは凡人にも自在に操れるようになりました。これについては、過去、何度も手を替え品を替え、いろいろ書いてきましたが、「便利なんだからいいだろう」というゲンダイジンの開き直りも、たくさん感じてきています。かく言う私ですら、こうしてPCを使っていますしね。携帯はフルに使えていませんが(爆)。ファックス・スキャナー・コピー機能つきのプリンターにも、今朝は腹を立てたところです。ファックスが送られてくるたびに、インクジェットのカートリッジが目減りするわけですもん。某HP社は、本体ではなく、カートリッジで利益を上げているんでしょうねぇ。それにどうしても加担したくない気分は募り、余分な広告ファックスはきてほしくない!と、今朝は怒っていたのです。NTTもスキャン方式ファックスを早く開発してほしいものです・・・。

 

さて、人命が左右されるようなミスがこれまで何度も繰り返されてきましたが、そのほとんどは、「器具・用具・技術の使い方を間違えて」ということに、人々は気づいているのだろうか?と、やはり疑問は続いていくわけです。

 

とりあえず、素手で人命を奪える人々がいかほどいるのか?といういじわるな質問はやめていただいておいて・・・(汗)。

 

これほどまでに人為ミスが多いのであれば、方法はいくつかあり、

1. 人々をしっかりモニターする機関・システムを設ける

2. なるべく器具・用具・技術に頼らないシステムを作る

3. 器具・用具・技術の操作に関するミスを作ってしまうチャンスを減らす

 

なのですが、3.は訓練学校やその他でこれまでもされてきたことですし、1.も考えうる限りはやってきたんでしょうねぇ。

 

日本に戻って来て、「あ、常識がズレていた・・・」と思ったことに医療があります。医師と看護婦さんだけの密室で、取り交わされる会話というのは、なんだか心もとないと感じるわけです。私がアメリカで通っていたクリニックには、「よくいっしょに仕事をするセラピストやソーシャルワーカーの案内」が配られており、他にも「抜本的な生活習慣病への不安」のために、「栄養士」の紹介リストを配ってくれます。このクリニックだけではカバーしきれない疾病については、提携病院や他の専門クリニックがあることをリスト化してあり、いちいち手渡ししてくれました。

 

私的には、これくらいやっているのが「人々をしっかりモニターする機関・システム」なのですが、日本にはそれがないところのほうが圧倒的なようです。日本に戻って、脂肪腺が詰まってしこりができたために、エコーを掛けたことがあるのですが、そのときには、「整形外科」「外科」「内科」をたらいまわしされました。連動している様子がまったく伺われない。もしもこれがガンだったら、私は怒り心頭に達して訴えていたかもしれないなぁと思うのです。父のときにも、16年ほど前だったのですが、それについて怒ったら、「アメリカかぶれ」と言われてしまいました(苦笑)。それだけではなく、患者の意志や意思を無視する、医師の推測によるベストな方法を押し付けられたというのから始まるのですが・・・(汗)。結局、信頼できなかったために、簡単に済むレーザーによる除去手術などには踏み切れず(ほんの5分なんですけどね)、病院探しをしたほうがいいやということになり、検査の結果、検査を続けていれば悪性に変わる可能性は極めて低いということだったので、ちと放置してあります←いけないんですけどね。Mammographyは掛けているので、大丈夫かと。

 

そして、私個人がひとりでやっているのが、不買運動(ボイコット)と同じくらい小規模ではありますが、器具やテクノロジーに頼らない日々を送るというもの。なので、携帯はフルに活用していませんぜ(汗)。電子辞書も使いませんし、iPodも持ち運びできる液晶画面も導入していません。仕事でどうしても必要なデジカメやPCは必要最低限にしており、その利用の仕方というのを、熟考してから使っています。

 

便利でも私自身を怠惰にしてダメにするものには、最初から手をつけないというのが主義で、私はアメリカで携帯を手に入れるまでに、7年ほど時間を掛けましたね。PTSDから復学して、パニック症状を起こしたときに連絡できるように、という切実な状況にあったことで導入を決意しました。が、持っているだけで使うことはほぼなく、タイヤもパンクせず、待ち合わせに遅れることもなく、使わないで済んできてしまったような・・・。

 

現在も、授業の最中や合間には携帯に出ることもできなければ、チェックのしようもないので、留守電機能に使っているような状態で・・・(汗)。ただし、ちょっと利用価値があるなと思うのは、母がボーイフレンドの家に泊まりに行くときに、鍵が行方不明になったり、集金や宅配などの連絡がうまく行かなかったときに使えること。が、この1年半で3回ほどしかありませんでしたが・・・←いや、裏を返せば、3回も人為ミスの芽があったということで(苦笑)。

 

私はパイロットだったのですが(今でもライセンスがあるので、乗るときにはパイロットなんですが)、自分が乗るヘリやセスナについてのマニュアルをいかに読むのか?という訓練は受けましたし、緊急時の練習は毎回やっていましたね。ヘリでは、Auto-Rotationというのがそれなのですが、上空500フィートでエンジンをわざと切って、不時着する寸前までを繰り返し練習するもの。死ぬか生きるかがかかる練習なので、ほぼ100%の達成率でないといけないわけで・・・。英語に関しても、自分の生命がかかるかもしれなかったので、私の上達は早かったのかもしれません。気象学も雲ひとつで天候がわかるようになるのは、生命がかかっていたからなのかもしれません。航空法もそうですし、航空力学も同じです。

 

医者の医療ミスなどは、自分の生命でなく、他人の生命だからこれほど起こるのでしょうか?あるいは、懸念されているように、機能しないほどに疲労していたり、物理的な人員人数が足りないからなのでしょうか?最初の例に出した、「週に1回」を「1日1回」に間違えるなどというミスは、チーム医療体制を取っていたら起こりえないミスですよね・・・。チームを作るほどの人員がいないんでしょうか・・・。

 

昨日、母は、チーズリゾットに死ぬほどブイヨンを入れてしょっぱくしてしまう、という人為ミスをしでかしてしまいましたが、本日、ほうれん草やうどんを足して、おいしく食べられる復活をしました(笑)。この程度であればいいのか?いやぁ、気づかずに毎日あんなに塩分を摂らされたら私は腎臓病やら肝臓病やら高血圧になってしまうぜよ・・・。なので、いけませんや・・・。

 

人為ミスが起こらないために何をしていますか?取り返しがつくものとそうでないものの区別からして、ちゃんとついていますか?生きていくための賢さというのは、こういうところで光るものなんじゃないかなぁと、つくづく思っているところです。

だんなさまのお小遣い制度

03/11/2008 にアップした文章です。

 

私は常々これに関して、たいへんな疑問を持っているのです。自分が稼いだお金を、どうして使えない状態が出てくるのか?お給料が歩合制であっても、がんばる30代・40代は、20代に比べると激減なのだそうです。その大きな一位の原因がこれだそうで・・・。我が家は結婚して以来、一度もお小遣い制度などというものを採用したことはなく、かといって、西さんが横暴に家計の仕分けをするわけでもなく、お財布はアメリカの「ジョイントアカウント」のおかげを持ち、それぞれが自分の口座を持つことが可能なので、それで成り立っていました。今も、月収入の半分ほどはもらっていますが、その他は、交通手段(飛行機代や成田の往復等)などを含めた彼の生活費や、シュミ費などに使っています。私も自分の収入はほとんどが生活費として、支払いや母に渡したり、学費やその他に消えていますが、お小遣いとしてキープするようなものではないと思っています。

 

小遣い銭:ちょっとした日用の雑費にあてる金銭。小遣い。小遣い料。ポケット-マネー。

 

http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0706/08/news115.html 先ほどの話なのですが、やはり結婚という節目から、お小遣いは減っていくのだろうという納得の数字。

もっと詳しいのがこちら>http://gemoney.jp/pr/oe/ji_kozukai2006.asp 

 

西さんがお小遣い制度を卒業したのは、九大に居た頃。育英の奨学金をもらっており、生活費は仕送りだったのですが、休みを利用してアルバイトを開始したときに、お小遣い一辺倒ではなくなったわけです。損後、就職してからは貯金もせず、ありったけのお金を飲んで暮してきましたから(笑)。私は、と言えば、16歳からアルバイトをしているので、お小遣いはその時点からもらっておらず、以来、お小遣いというのは、「子どもの特権」だとばかり思ってきました。なので、「大人、しかも結婚しただんなさんにお小遣いをあげる」という概念が、どうも肌身でわからないでいます。

 

父は16年前に死んでいるのですが、当時、タバコ代やお昼代なども含めて毎月5万が取り分だったようです。お小遣いという名前は、父も使っていたように思うのですが、首都高の回数券や突発運転手バイトなどをして、まさしくお小遣い稼ぎはしていた模様。母にイマドキの結果を話したところ、びっくりたまげています。「うへっ!」と(爆)。私は、父が飲み屋さんに行き、支払っているところをよく見ていたので、それほどお金がないようには思っておらず、私がバイトをしていたせいもあり、「たまにはおごるよごっこ」というのも、流行っており(笑)、バイト代が入ったあとの外食や買い食いは楽しかったですね。そんなときの父はうんと楽しそうでした。

 

確かに貯蓄というのは大切ですし、頭金があれば持ち家にしたほうがオトクに決まっているのですが、だからといって、毎日がわびしい気持ちは切ない人生になるのではないかと・・・。しかも、イマドキ、教育費の平均がこれです。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo6/gijiroku/001/05100301/004.pdf 下げられてしまった(・・;)

が、子どもの数や親の年収や子どもの年齢でばらつきがあるので、なんとも言えず・・・。このサイトでは、公立高校の月額が、43000円だとしています。

http://allabout.co.jp/finance/ikujimoney/closeup/CU20070731C/index8.htm

 

お父さんのお小遣いの平均が、49000円だから、一人頭にかかる費用には、月額としては、それほど差はないんだろうか?

 

我が家には子どもがいないので、これほどのことをしてこなかったのですが、ネコには相当かかっていますねぇ。アメリカから連れてきただけでも、我慢強い西さんから苦情が出たほどです(8ヶ月ペットシッターを雇ってアパート代を払い続けて、獣医代やら実際の渡航費用やら私の往復などを含めると、500万近くにはなっている・・・)。なので、子どもの教育費の割合とさほど変わらないのではないかと思っているのです。まぁ、ここまでは・・・。今後、ネコたちが入試をしたり、留学をしたり、がないので、今後はラクです(笑)。まぁ、したらある意味ものすごい儲かるかもしれないのだけれども(笑)。

 

何のために倹約をするのか?と考えてみると、なんだか本末転倒なことはけっこうあるような気がします。ある時期、うんと節約して倹約して、爪に火を灯すように暮したあと、バラ色の人生が待っている可能性があるのであれば、やればいいと思いますね。私は、2年半ほど、労働しまくって、アメリカ留学の費用を貯めましたが、あれは大正解でした。今は、立てた会社がうまく行っておらず、それほどゆとりもないですが、転身後の仕事は楽しいし、思ったよりはお金になるようになったし、さらにもっとお金になるかもしれない可能性もあるし、キツキツにして暮していこうとも思わないですね。そもそも、物欲がないので、まぁ、あまり切実でもないのかもしれませんが・・・。

 

ちょっとしたものを買うのに、大の大人が「お金がない」というのはわびしいですよねぇ。しかも、一家を支えるだけのお金の半分以上を入れているのであれば、なおさらのことです。父親のお小遣いが給料の1割が当たり前だというのを、インターネットで見ましたが、30万の人は3万なのか・・・。昼食代とか被服費や交通費などが抜かれていても、タバコ代やジュース代だけでも1万くらいでしょ。書籍やシュミや仕事がらみではない飲み会で2万というのは、ちと厳しいんじゃないかと思うんだけれども・・・。

 

まぁ、金銭感覚というのは個人のものなので、あまり言及してもしょうがないですが・・・。

 

豪気ではあるので、飲食代を含む交際費は、私はけっこう使います。つい最近も、おごりだけで6万ほど使いました。気になりません。私も楽しんで飲んでいるのだし、食べているのだし、意義のある話ができればそれでいいです。天下の回り物なのがお金であるのならば、なおさらそれに囚われてもいたくないですしねぇ。形あるものを欲しがって手に入れて、それを守るために働いたり暮したりするのであれば、私はそもそも形あるものは欲しくないですねぇ。アメリカに住んでいた頃に家を買ったのも、貯金代わりでしたし。家が欲しいというのではなく、貯金ができない性質なので、ローンで確実に返していただけで。その証拠に、会社設立のために売却しちゃいましたし。

 

今は家を欲しいとは思っていません。賃貸であれば、駅前から徒歩距離にあるんですが、分譲のマンションは駅から徒歩にはもうなかなかないのです。築20年超えたものを買うのは売却時のことを考えると、腰が引けますしねぇ。

 

あ、お小遣いの話だった。私のお小遣いは、マチマチで、あるときはありますが、ないときにはまったくないです。ここのところ、忙しかったので使う暇がなかったのでよかったです(笑)。春になったらスーツを買おうと思っていますが、他には欲しいものはないですねぇ・・・。また今日もネコたちにお刺身を買ってあげたいと思うだけですか・・・。が、毎日だと身体に悪いので、やっぱり何か理由をつけてにしないとね(笑)。西さんには、お小遣いというものに振り回されてほしくないと思うのでした。彼は、お小遣いがなくても、キリのある使い方をしますしねぇ。

 

私ですよ、お小遣いがないとダメなのは・・・(汗)。

香味野菜が好き!

03/10/2008 にアップした文章です。

 

私の健康が維持されている理由のひとつに、香味野菜が好きだというのがあると思うんですよ。たとえば、父は、大蒜(にんにく)が嫌いでした。その蓄積が、彼をガンに罹らせたのではないかと思っていたりもしたのです、一時期真剣に。大人の多くで、セロリがダメだとか、パセリがダメだというのをよく聞きます。私は香味野菜は全般的に大好きで、ベトナムラーメンのフォーを食べるときには、パクチーがたくさん入っているお店をわざわざ選びます。でも、辛いのは適度でいいので、青唐辛子はただ浸けておくだけで、完食しませんね。いや、香味野菜はいいですよ♪

 

香味野菜:料理に香りや風味を加えるため、調理に用いる野菜類。ニンニク・ショウガ・セロリ・パセリなど。

 

香味野菜 うひー、こんなにたくさんあったのか・・・。嫌いなものがないかどうか確かめてみる・・・。

 

野菜類

ネギ(あさつき)、タマネギ、ギョウジャニンニク(アイヌネギ)、セリ、ミツバ、シソ(大葉、紫蘇の花)、ミョウガ、ニンニク(ガーリック)、クレソン、ケッパー、パセリ、セロリ、コリアンダー(コエンドロ、パクチー、香菜、ザウムイ)、バジル(バジリコ)、山椒の葉、レモンの葉、菊の花(花びら)、パプリカ、ニラ(葉、花)、貝割れ大根、ルッコラスプラウト、蕎麦の貝割れ、マスタードスプラウト、ブロッコリースプラウト、豆苗(エンドウ)、オクラ

ないですねぇ。アメリカから戻って来てしまったので、それほど食べる機会がないのがあっても、全部食べますね。あ、ひとつだけ、山椒がある。私はうなぎには山椒は掛けません。が、木の芽和えやちらし寿司に添えてあるものは食べます。うなぎにかけないのは、おそらくあのうなぎの香りが好きなので、わざわざ匂い消しをする必要はないと思っているせいです。

 

野菜の他にもあるんですなぁ。

 

海草類(乾燥させたのちに、切ったり揉んで小片にしたもの)

海苔、アオノリ

根菜類(刻んだり、すりおろしたもの)

ショウガ、ワサビ、ホースラディッシュ、ダイコン(大根おろし)、もみじおろし

香辛料

唐辛子(刻んだり、細切りのもの)、七味唐辛子、コーレーグース、コショウ、カラシ(マスタード)、山椒の粉、花椒の粉、ウイキョウ、クミン

柑橘類

ユズ、カボス、スダチ、ヒラミレモン(シークヮーサー)、レモン、ライム

果実類

梅干し、乾し葡萄(レーズン)

種子類

ゴマ、ピーナッツ(ラッカセイ)、クルミ、松の実

動物性のもの

鰹節、サクラエビ、白子干し(ちりめんじゃこ)

 

この中で積極的に食べないのは、青ノリ。焼きそばなどを食べたあと、歯にくっついているのを気にしなくてはならないからです(笑)。面倒くさがりなのだ。アレがなくとも、味としては充分いけるので、どうでもよい。あとは、乾しブドウ(レーズン)も積極的に食べません。あれの代わりになるもので、乾し杏(あんず)とプルーンならば、甘さとしては我慢できます。甘いものはあまり食べたくないので、年に1回くらいの割合でしか食べていないと思うのです。匂いのせいではありません。あとは全部食べるよなぁ・・・。

 

このあいだ、久々にたまねぎが嫌いだと、避けながら食べている女の子に遭遇しました。とはいえ、私の生徒さんなので、もう半年ほど知り合いだったのですが、知らなかったのです。サラダに入っているものを、きれいに避けながら食べていたのですが、細かく刻んでハンバーグ等に入っていれば大丈夫とのこと。オニオングラタンスープなどのように、匂いが香味野菜としての個性を発揮している独特さ、でなければ大丈夫らしい。

 

私の野菜貯蔵庫には、たまねぎはいつもたんまりありましたねぇ。どんなふうにも使えるし、究極においしく食べるには、オニオンスライスにレモンにだし醤油に鰹節という手立てがあるではないですか♪春たまねぎはアレに適していますねぇ。ザルにたまねぎ4個分くらい作って、母と競争したり、西さんと競争したりして、ぺろりと食べてしまえます。母によると、「たまねぎは血液サラサラにするんだよ」とのこと。みのもんたの請け売りなのか?調べてみると、本当にそうだった(爆)。

http://www.earthhealth.jp/kenko_story/kenko_story_10.html

 

私が思うに、パクチー、いわゆるコリアンダー、コアントローは、かなり肩身が狭いのでしょう。私が最初にアレの存在を知ったのは、宮本輝の『愉楽の園』という小説。タイが舞台なのですが、けっこう頻繁に出てきます。日本人である登場人物が、「パクチーがダメなんだよなぁ」と語るくだり。私はそれを調べて、実際に食べたんですが、当時21歳くらいかなぁ。おいしかったし、また食べたいと思った。タイ料理やに行けば食べられると知ったので、小金持ちになったら毎日でも行きたいと思ったくらい(笑)。

 

私は、魚醤も濃いがゆえに嫌いではなく、自分のキッチンには常備していましたね。ベトナムの生春巻きは、甘酢のソースなので、私は魚醤を薄めて付けて食べていましたけど・・・。

 

ニンニクは、最近、また母が「ニンニクオイル」なるものを作りおきしているので、お味噌汁にたらすことにしました。http://www.mamaikai.net/ninniku.htm  http://blog.okyoshi.com/?eid=234770 炒めものなどが毎日出されても、それほど食にこだわりがないにせよ、続けられないので、お味噌汁であれば飽きないですから。ステーキやお肉はこれで焼いているようです、最近。なぜ、こんなことを始めたかというと、前からこの情報はみのもんた番組から取り入れていたらしいのですが、冷凍餃子騒動で、ニンニクも国産品が売れるようになり、しかも値段が高騰しているので、母にとっては急に「ありがたい食べ物」と化したようなのである。そこで、ナマだけではなく、餃子だけでもなく、なんとなくたくさん食べたほうがいい、と思うようになったようで・・・。うーん、単純すぎる・・・。

 

まぁねぇ、私がタバコ代を少し減らせばいいだけだし、春になったら野菜は安くなるだろうし・・・。

 

私はパセリも好きなので、パセリサラダをやるんですが、これはレバノン料理のレシピ。私は、Wheatの代わりにクスクスを使います。日本ではクスクスのほうが手に入りやすいかもしれない。我が家の近辺ではそうです。

http://cookpad.com/pomemaru/recipe/234090/ 

 

あとは、クレソン。オランダガラシなんていう名前だそうです。写真つきなので、どんなものか忘れちゃった方は、見てみてください。クレソン 私は、これを「カブトムシの味がする」といつも言うんですが、本当にするのよ・・・。カブトムシは食ったことはないんですが、口に入れたことはあるんで(笑)←思わず大きいのを採ったときに、隠したんですね(笑)。これは、スープや炒めものにする人も多いらしいんですが、私はナマをサラダに入れるのがベストだと思います。最初、食べ難いと思えば、サウザンドアイランドのような重めのドレッシングを使っておいて、少しずつ、オイル&ビネガーベースのものに移行していけばよろし。私はなぜか、和風ドレッシングでバリバリ食えます。付け合せについているものを、同席者が食べなければ、もらってでも食べます(笑)。

 

なんだか、今日は長くなってしまいましたが、香味野菜は身体にいいので、ぜひぜひ食べましょう♪ガン予防やら、血液サラサラやら、とてもいいのですぅ。と、まるで香味野菜推進委員のようなエッセイになりましたが、ぜひ、春が来る前にチェックしておいてくださいねぇ。

眠っても眠っても眠り足りない(タイトル被ってないよね?)

03/10/2008 にアップした文章です。

 

ごめんなさーい!眠っても眠っても眠り足りない状態になっています。春を身体のほうが先に感じているのか?それとも、まだ冬モードで、クマのままでいたいと思っているのか?昨日も、女子マラソンを見ていたはずだったのに、いつしか眠っていた(笑)。一昨日は、土曜日だったので、朝の10時から夜の8時まで、みっちり、5分刻みの休憩が5個入っただけで、あとはずっと働いていたのですが、それでもそれほど疲れたとは思っていなかったのです。帰り道、いつも見慣れた商店街に足を踏み入れた途端、「げぇ、疲れたなぁ・・・」と思い、ビールを買ってしまったときに、「眠いから深く眠ろうとしてるな・・・」ということに気づいたのですね。

 

校長センセは、「歳のせい」と笑ってくださることでしょうが、やはり私は、このしつこい3週間に渡る風邪のせいもあるのではないかと思っています。喫煙を完全に止めてしまえればよいのですが、1日やはり数本以上は吸っている・・・(いつもはだいたい1箱弱なのですが、ここのところ、15本以内とは決めており、忙しい土曜日などは、10本くらいになっていて、ひとりで満悦しているんですが・・・)。このあいだ、2ヶ月以上ぶりにパチンコやさんに行ったときに、1箱を超えてしまったので(暇なのよ。本も読むんだけど、手持ち無沙汰なんだよねぇ・・・)、そのせいでまた咳が復活。

 

あまりに咳が長引くので、いろいろな生徒さんから、「花粉症疑惑」が出ており、「いやいや、もう40歳過ぎてるから、花粉症にはならないはず」と言いつつ、いろいろなサイトを英語で調べてしまいました。ええ、学説によると、大丈夫そうです。もちろん、その中にも特例というのはあるのですが、もしも私が特例になれたとしたら、今頃ものすごい宝くじに当たっているはずで(爆)。

 

今日気づいたのですが、母が苦心して作ってくれたベッド。私はどうも布団がダメだというので、母が知恵を絞ってベッドの上掛け類がネコの体重のせいでずり落ちないようにと、2箇所を大きな帯状のゴムで止めてくれているのです。さらに、ネコの毛がたくさんついてしまうので、ナイロンやポリエステルのベッディングカバーを作ってくれているのですが、これがやたらと暑さの原因になっている。そのせいで、私はここのところ、下穿き(パンツは脱がないんですが、ジャージの下半身部分)を脱いでしまっているわけです。寝ぼけて脱ぐのではなくて、夜中に一度目覚めて、「暑いっ!よね?」とネコに同意を求めてから、脱ぐんですね(笑)。とにかくアメリカに住んでいた頃の半分の面積しかないので、ネコたちも各自格闘しながら寝ているわけです。こんなに不自由ならば、私と寝なくてもいいじゃないか・・・と思うんですが、どうも意地らしい(爆)。誰が私の寵愛をコンスタントに得ているか?で、彼らの社会的地位というのが決まるらしいのですよ。そのせいで、この不自由な闘いは続き、私も少なからずかなり不自由に遭遇しているのかもしれず・・・。

 

なぜならば、暑くなっても、帯状のゴムがあるので、ふとんを気軽にめくるわけにはいかない。身体をしっかりお布団から出すには、朦朧と寝ぼけているよりもちょい覚醒しているに違いなく・・・。ついでに、水を飲んだり、トイレに行ったりもできてしまうので、おそらくちょい覚醒なのでしょうね。

 

そして、風邪も治らなければ、眠りを充分に得ていない気分にもなる・・・。

 

「花粉症」のわけはない!と思いつつも、そうだったらイヤすぎるよなぁとも思うのです。生徒さんの中でも、花粉症率はきわめて高いです。見ているだけで、「私もそうだったら、こういうことになるのか・・・」とエスカレートしてしまうことを想像できてしまう・・・。

 

けれども、やっぱりこれは風邪なのでしょう。昨日は、TVを見逃したあと、起きてから、ネコたちにカツオを買ってあげようと、着の身着のままに、財布と鍵だけを持って、徒歩1分の西友の地下スーパーに行ったのですが、エコバッグを忘れた(笑)。さらに、「カロリーオフのビールを母に買ってあげよう!」と、6パックを買ってしまったので、帰りはビニール袋が2つで、さらに重かった・・・。しかも、冷凍食品4割引だったので、茶豆を買ってしまったのです。何が悲しくて3袋も買ってしまったのか・・・。自分には、もずくとめかぶを買ったのです。そして、ビールを2本飲んで、それらを食べて、母が帰ってきたときには、映画を英語で見ており(Taking Lives)、タイマーをつけて、またたく間に眠ってしまった。

 

ところが起きたのは、朝の9時だった・・・。驚くことに、途中目覚めたとしても、10時間以上眠ったんですなぁ。でもまだ眠り足りない気分。

 

うーん、おかげさまで、仕事のほうは落ち着いてきつつあり、4月の講座の開講に向けて、安定した収入を得るようにと仕向けて、それが完成しつつあります。まったく悪くないので、自分でもちとびっくりしています。試験勉強などは、しばらくないはずなのですが、宿題がどれくらいあるかわかりません。その様子次第で、翻訳のバイトやらも入れられますし、昼間の企業派遣英語講師の期間限定の仕事も入れられますし。6月には英検1級を受けようかと真剣に考えており、そのあとまた取れる資格(一次試験が免除のものがけっこうある)にも幅が出てくるというもの。

 

しかし、日本には長くてもあと4年しか居たくないのですが、目標として、長引いたことを考えて、もうちょっと資格や商売の助けになるものを固めていこうと思っています。

 

それをいろいろ考えていると、また眠くて仕方ないところに、面倒くさくなってしまい、眠っちゃうんですねぇ(笑)。

 

しかも、夜には、ネコたちとけっこう不自由して眠っているので、少し時間が空いたときには、2時間を確保して、1時間半の昼寝をしようとしており、それがまた気持ちいいんだ・・・。昨日は完全休日になるはずだったのですが、翻訳の仕事が入ったので返上。終わり次第、ゴロゴロ横になって眠ってしまったのには、自分でも驚いた・・・。Qちゃんのレース見たかったはずなんですが、それほど気がなかったということなのか?

 

ブログを書くのが、ここのところ、お題渇望ぎみで、どうも前のような新鮮さが自分に欠けている気がしてなりません。タスクのことに関しても、今日のこれにしても、重複だらけのことばかり・・・。人生にオリジナルなど、ほぼないにしろ、考えることくらいは自分にとっての新しいものを日々取り入れたいものです。

 

でも、眠くてあんまり深く考えられないかもしれない(笑)。今の私には何がイチバン大切かというと、やっぱりしっかりした休憩かもしれません。重宝していただけるのはいいのですが、4月からは完全休日だった日曜日もなくなることですし、他の曜日の調整も、たとえ1日3時間・4時間労働が多いとしても、完全休日がないので、やっぱり疲れるのかもしれません。私の記憶が確かならば、春眠暁を覚えずは、5月半ばくらいまで続くはずなのです。そんなにずっと眠かったらどうしようか・・・と慄いています。私がゆえにあるかもしれない・・・。いかんですねぇ。

GW Boot Camp 記 VI

5月2日(木)

日本語

助動詞 演習 ①

助動詞 演習 ②

前置詞 演習 ①

前置詞 演習 ②

 

英語の本質に沿ったWriting ①

英語の本質に沿ったWriting ②

英語の本質に沿ったSpeaking

 

6日目は、助動詞と前置詞の総復習をしました。既に学んでいる生徒さんが、まだ学んでいない生徒さんに教える形もところどころ取り入れたりしましたが、基本的には不正解や質問に都度応える形で進行しました。

 

問題は、おそらく「日本語に直して考えていること」だと、この日つくづく感じたのでした。

 

強度や距離や目線で考えることが必要になるのですが、考えたあと、腹落ちしたら、これを体感に埋め込む感じでしょうか?

 

とにかく試行錯誤の午前の演習は、プリントをものすごぉく印刷して、各自にたくさん渡しました。答え合わせを次々行うのですが、それが私のほうが追いつかないタイミングになってしまったこともあり、少し運び方を反省しました (・・;)

 

とはいえ、さまざまな間違いが出やすいものを選択式であっても、けっこう誤解していた部分もクリアになり、4時間みっちり、学習した感じになってよかったです!

 

ランチ後は、英語の本質:

  • 距離感
  • 立ち位置・目線
  • 考え方

に沿ったWritingをホワイトボードに書いて練習しました。が、具体性に欠けている日本語をそのまま英語に訳しているようなケースが多く、たくさんの「具体化」「映像化」「多様性」についても、ディスカッションが進みました。

 

7月くらいからビデオでの独学教材を販売する予定なのですが、これらの英語の本質をカバーする英語の表現については、こまごま毎日見ていただくことができます。英語基礎コースも、こちらを毎月購読してくださる生徒さんには安価でごらんいただけるキャンペーンを企画中です。特に、Listening のレッスンは、これまでにない考え方なので、「多様性」→「映像化」→「具体化」がよくわかるようになっています。

 

このWriting をどうにかして Speaking まで発展させたかったのですが、どうにもままならず、ずっとWritingに終始してしまいました (・・;)