日本の頭脳流出

10/09/2008にアップした文章です。

ノーベル賞がこの時期だということをすっかり忘れていました。日本人が4人受賞して、その経歴を見ると、特筆すべきところが多い方たちだということがわかります。が、私が気づいてしまったのは、国際化という波の中、やはり日本の頭脳は日本に留まっていないのだということ。世界的教育水準の高さに合わせて、日本の教育を抜本的に変えていくには、あと何年くらいかかるのかなぁと不安すら覚えてしまいました。これだけの富国になったあと、累積赤字も増えて、埋蔵金までに手をつけなければならなくなっている状態の中、年金も支払われず、政治や医療での国に支払い命令の判決も目立ち、その上、教育に廻せるお金がどのくらいあるものか・・・と思うと、なんだか本当に「教育の機会平等」などは、建前だけで訪れず、いつまで経っても「踏ん張ってがんばれる貧乏層からの脱出」というのは、不可能に限りなく近い可能なのかなぁと思えてしまいます。



今回ノーベル賞を受賞した人たちだけでなく、日本を見捨てる準備ができている知的階級に位置する人々はかなり多い。潜在数も合わせると、イッタイどういうことになるのか?と、焦ったほうがいいのですが、結果が出るのがかなり遅いので、真剣に取り組んでも手ごたえがないことで、あまりがんばれない分野ではあると思うのです。

検索を「頭脳流出」でかけてみると、22万もあることに、すでにびっくりしないといけないんだろうと思うのです。

とはいえ、かく言う私も、頭脳とは言えないものの、「一時流出組」で、さらに経済力がしっかりついた時点で、またもやアメリカに戻ろうとしています。なので、そのときには本当の意味での「頭脳流出組」に入れるといいなぁなどと思っているところなのです。私の帰国は、18年半後だったので、もしかすると戻らなかったかもしれないくらいなのですが、まぁ、戻ることになってしまいました(苦)。

 

愛国心がないわけではなく、頭脳流出の人々の「海外に出る理由」の第一は、経済的理由でもなければ、日本が嫌いという理由でもないと思うのです。知的に発達している人々の動機のイチバンは、「知性が伸びるためのチャンス(機会)の質と数」が9割以上を占めるのではないかと。これは私の仮説なので、証明できるかどうかは、大げさなリサーチを仕掛けるしかないのでしょうが、誰かそんなことしているのかなぁ・・・。

 

私は、24歳の時点で、すでに「知性が伸びるためのチャンス(機会)の質と数」を考えていました。もちろん、選んだパイロットという職業の範囲において、なのですが・・・。技術や教育機関やその他、「最高峰」が揃っている中で、選ぶことができるというのが、最も魅惑的だったことです。自分のレベルでも受け容れてくれる学校もあり、経済的なこともなんとかクリアできました。が、蓋を開けてみると、航空関連・軍隊経験などがまったくゼロでも受け容れる学校の中では相当にいいところに行ったことに、体験してみてから気づくというバカさ加減は、日本に居た頃、英語がそれほどできなかったことによるのです。が、予定して目標にしていた「知性が伸びるためのチャンス(機会)の質と数」という意味では大成功だったので、それは私の経験値に組み込まれ、この考え方は、その後も積極的に取り入れていくことになります。

 

何度もしつこいようですが、私は貧乏な家に生まれて育ったので、「社会階級の悪循環」に嵌まって抜け出せない予定でした。16歳からアルバイトをして(しかも校則違反だし・・・)、初年度の学費がないことがわかっていたので、浪人をしてまでも大学に進んだのですが、そこで「学習の意義」を見出せず、「手に職」に路線を変更するため、なぜかアメリカ留学を目指すのです。私がなぜ、貧乏で身分不相応にも拘らず、さらなる教育にこだわったのか?と言えば、やはり『菊次郎とサキ』ではないのですが、「貧乏人が貧乏でなくなるためには、教育を受けなければならない」というのは、かなり小さい頃に体得していたのです。

 

私が描いたのではないのですが(爆)、防災訓練の日に来た消防車の絵が描ききれなかったため、家で父が描いたものが佳作に入り(たぶんもっとうまく描きたかったのだろうけれども、泣きべそだった私のレベルに合わせて描いたつもりがちょっとよくなってしまったに違いなく・・・)、それで24色のクレヨンをもらう!という快挙があったのです。もちろん、私は絵を描くのが苦手だったので、屁のつっぱりにもならなかったのですが、「才能はお金になる」というのが実感できたわけです。それまで、運動会で鉛筆やノートはもらっていたのですが、私が生まれ育った調布市というのは、野球がさかんだったり、オリンピック選手を輩出しているスイミングスクールがあったり、世界ランキングに入ったテニス選手が通うスクールがあったりしたので、「運動がお金になるのは稀」というのもしみこんでおり、「そんなの無理」とはわかっていた模様です。

 

が、高校受験のときに、担任の先生に「奨学金」という耳慣れない言葉を聴いたりしたこともあり、バイトをすれば高校生でもかなりのお金になることを知り、「長い人生の幸せのために」なんとかしようという気になったのです。なので、「え?高校行くの?「ええええ!大学行くの!」「嘘でしょー!留学するの?」と、周囲、特に親にびっくりされつつも、なんだかがんばってきてしまった感があります。

 

そして、実際に留学できてしまい、アメリカに18年半も住んでしまった私が言えるのは、やはりアメリカは知的充実を図るのであれば、とてもいい場所だということ。今回のノーベル賞受賞者のうちのふたりが、アメリカの大学で研究を続けておられたり、名誉教授になられていたりしているし、以前のノーベル受賞者たちの中でも、あるいはノーベル賞に近いと噂されている方たちも、みな日本で研究はしていないケースのほうが圧倒的に多くなりつつあります。そういった意味では、2002年の島津製作所の田中氏の受賞には、本当に胸が打たれたました。http://www.shimadzu.co.jp/aboutus/ms_r/nobel/index.html 

 

私がアメリカで知り合った多くの日本人のうち、やはり世界で通用する人たちのみが、「アメリカ駐留」を選択します。まぁ、職業にもよりますが・・・。そして、今英語を教えていて思うのは、若くて可能性を強く信じている人々は、みな、海外に目を向けています(まぁ、英語を学ぶ動機があるからなのですけども・・・)。この風潮はまだまだ続き、日本という国が、教育システムそのものや細かい内容をしっかりしなければ、ずっと続いていくのでしょう。

 

その上、愛国心も希薄になるほど、国が国民を裏切り続けたらどうなるのか?老若男女みな海外移住してしまうんでしょうね。働けば働くほど評価してもらえるシステムにならねば、余計それは相乗します。やっぱり日本国が心配ではあります・・・・。

 

 

秋に満喫できること

10/07/2008 にアップした文章です。

 

季節があるっていいですねぇ。アメリカに住んでいたときには、雨季と乾季だけだったので、乾季のときには、毎日「これでもか!」というほどの青い空で、雨季のときには3日にいっぺんくらい降る雨で、「ここでは天気予報官の仕事はラクだろうな・・・」と思っていたものです(笑)。が、日本はやっぱり天気予報官はたいへんだな。台風が来るたびに、日本列島はカリフォルニアにすっぽり入るくらいの面積しかないにしろ、時間の経過と台風の進路と、その天気がもたらす警戒や状態など、細かいことでしっかりポイントを押さえておかないといけないですものねぇ・・・。しかも、最近はなぜか、集中豪雨が多いので、それをきっちり予報するかしないかで、死者負傷者が出ることもあり・・・。たいへんだ・・・。

 

秋の番組編成で、この時期、いろいろなテレビ番組はスペシャルの2時間や3時間番組が多いのですが、それの中のどれで言っていたのか忘れましたが、「秋の味覚の定番は?」というクイズで、「松茸」が多かったのには、私のズレを感じました(笑)。やっぱり口が貧乏なんだなぁ・・・。私の答えは、「秋刀魚」だったんだけども(笑)。

 

秋は夜長になり、いろいろ満喫できることがあるのですが、私の商売は夜がメインなので、私はあまり満喫できません(涙)。特に、現在水曜日は朝5時半起きで、7時に家を出るという荒業をやっているのです。なので、家に戻る時間が22時10分から15分で、23時に眠る努力をしつつも、結局は深夜を過ぎることになり、水曜日は多少寝不足なのです。しかも、水曜日は午前11時過ぎに戻って来てから、レッスンが1つあり、刻みでまた夜にも1レッスンあるので、お昼寝をするほどの時間が取れるか取れないかは微妙なところです。特に、用事を入れることもありますし。しかも、眠いときに昼寝をすると、長く眠りすぎてしまい、夜眠れない現象が起きてしまうので、最近は1時間半の上限を設けることにしています。

 

が、もしも、秋の夜長を満喫できるとしたら、映画をわんさか見たいですねぇ・・・。最近は、動画でタダで山ほど見ることができますから、つたやに行かずともいいですし。しかも、「意外とよかったじゃん・・・」というB級映画を見たあとのオトク感というのは、けっこう充実なのです(笑)。無料で見られるサイトは、けっこう増えました。つたやに行かずとも、ダウンロードできるサイトも相当増えていますし、PCのキャパさえあれば、ダウンロードしたらあとから何度でも見られますしね。しかも、無料のサイトでは、大昔のものを続けて見ることができてしまうので、ドラマだって第1話から最後まで、シリーズものだって見られちゃうのだ・・・。

 

私は日本に長いこと居なかったので、時代劇から手をつけて、ショムニシリーズも見たし、今は、その他の話題になるドラマを見てみたいと思っているのですが、結局、この程度の情熱しかないので、実現はしていないのです。たぶん、次に暇になったら、またもや貯まってしまった時代劇を見て、ホラー映画などを見て、おしまいなんじゃないかと(笑)。

 

次は読書なのですが、これは日常的にできているので、特に何かのイベントにしてしまうのであれば、「全集モノ」を借りてこなければならないなぁと思います。調布図書館には、全集モノもけっこうあるので、やってみるといいのですが、今、Mixiにコミュニティを作る準備をしていたり、産業カウンセラー講座の追い込みがあったり、生徒さん募集のキャンペーンをやったりしており、なかなかその気にならない状態。なぜならば、全集というのは、重い装丁の本ばかりなので、家から持ち出して電車などで読めないのですね。

 

秋の味覚については、去年と一昨年があったので、特にもう「これだけは!」と想っているものもなく、恋状態で食べたい!という思い入れがないところ。ここのところ、もう日常が安定してきたせいで、母が出してくれるものを黙って文句も言わず、しっかり食べているのです(笑)。秋刀魚はもう1回出ました。この夏は、うなぎが一度も出なかったのですが、それは「中国産のやつかもしれない」という彼女の危惧があったので、それについても文句はありません。去年は松茸はよそ様からいただいた、松茸ごはんが1回出ただけだったので、外で2回ほど焼き松茸を食べたのと、土瓶蒸しを1回食べたかもしれないです。

 

私はフルーツがそれほど好きではないので、秋のフルーツは何だろう?と立ち止まってしまうほどです。なので、それほど待ち遠しくも思っていなかったのですね。たぶん、食べないだろうな、と。

 

秋に満喫できるのは、「紅葉狩り」なのですが、山登りをする時間は確保できるのだろうか?私の生徒さんの中に、山登りがシュミの方は複数います。今度の金曜日の午前中も、会社がお休みなのでいらっしゃることになっており、夜中出発なのだそうです。彼女ほどに本格的にはできないし、西さんと同じレベルの山にはきっと登れないだろうし、ケーブルカーやリフトがあるところにでも行くかなぁ・・・(笑)。神奈川県では、喫煙してはいけないところが増えるそうなので、なんとなく躊躇です(笑)。

 

運動会がいろいろなところで行われますが、それをぶらーっと見に行ってみるのもいいのかもしれないです。姪っ子たちの運動会は、今度は中学と小学校に2回に分かれているので、1回くらいは行ってみてもいいのかも・・・。しかも、住んでいるマンションから徒歩1分のところに、小学校があり、去年はそれを見たのですが、かなり楽しかったです。足がもつれる子たちなどが実際にいたことなど、自分の小さい頃を思い出しました。緊張しているスタートラインに並んでいる子どもたちを見て、「ああ、学んでる、学んでる♪」と想っていたので、やっぱり行ってみるのもいいのかもしれない・・・。TOEICやTOEFLや英検も、結局あれの積み重ねに似ており、緊張するかしないかで、出来はかなり変わります。いい緊張度合いを知っているかどうか、というのは、けっこう大切です。

 

私は雨の中、傘をあまり差しません。駅前から歩いてすぐだということもあり、帰ったら寝るだけ、というのがあって、よく「ええ、傘持ってこなかったの?」と驚かれます。が、新宿の常勤している英語学校は、地下通路だけで行けるので、濡れる時間はわずか10秒。こちらの駅までたどり着くのも、急いで歩けば3分なので、「ま、忘れる可能性を考えると、持たなくてもいいか・・・」となってしまうのです(笑)。産業カウンセラーも徒歩で2分くらいのところにあるし、クラスメイトの誰かが持っているので、入れて行ってもらえますし。

 

長雨は秋の風情のひとつなので、雨の合間に見える月が余計に風流なので、どっちも満喫できるようにしたいと思っています。ネコたちも月は見るんですよね。東京では雁が飛んでいるところはめったに見れませんが、なんとなく、あの金色の光る真ん丸いものには魅かれるようで・・・。

 

厳密には秋は11月の真ん中くらいで終わりなんだろうな。いや、私が白人体温(平熱が高い)からそう感じているだけで、実際は11月1日くらいからもう冬なのかもしれない・・・。そうなると、2月末くらいまでは冬だから、冬ってきっと長いのだろうなぁ。夏も私には6月から9月末まであったような気がしていたのだけれども、4ヶ月ずつくらいあって、春と秋が2ヶ月ずつなのかも・・・。体感としては、という意味で。

 

そうなると、秋は短いので満喫しないとなぁと、つくづく思ってしまうのであった(笑)。

 

 

自転車の恐怖

10/07/2008 にアップした文章です。

 

日本に戻って来て、何がイチバン怖かったかというと、狭さによるものが原因だった、交通事故恐怖症(笑)。私には、元来、PhobiaらしいPhobiaはないのですが、狭いことがかなり苦手な部類ではあります。そのせいなのか、何がイチバンつらかったかと言うと、動き回る際の狭さがもたらす数々の障害・・・。が、2年経って振り返ってみると、やはり自転車がイチバン怖いよぉ・・・(笑)。駅前暮らしが始まったので、その数というのは、かなり多い気がしています。実際に、マンションがある前には、市がやっている無料の自転車置き場があるのです。その数を見ると、「この世ってかなり自転車があるんだな・・・」とつくづく考えてしまうのでした。私も、中学のときには自転車通学をしていたし、原付バイクの免許を取るまでは自転車は欠かせなかったしな・・・。

 

おそらく、駅前の密度のせいだと思うのですが、とにかくまず歩いている人は多く、しかも駅を中心に、人が行き来しているのがあり、一心不乱に歩いている人たちばかりのときには、その流れに乗ればいいし、そうでない時間帯のときには、抜かすタイミングというのが計れればいいのです。しかも、歩行者とぶつかって死ぬというようなことは、確率的にはまったく高くはないので、怖くもないんだろうなぁ・・・。

 

が、自転車は、私が住んでいる駅のこっち側だけでも、自転車置き場が2つあり、その道近辺の自転車の通行は、駅前速度にはなっていないのです。たぶん、ちょっと駅から離れているところは、高速でも人気があまりないのでしょうが、駅近モードのスピードには急に落とせなかったり、ヒトのサガとして悲しいのは、「いつも多少遅れてしまう」というのがあって、かなり急いでいることもあり、徒歩よりも自転車でその「遅れ」は簡単に取り戻せるので、スピードを上げたままなのでしょう。怖いんだ・・・。

 

まったくヒトが歩いているところと同じところを走っていることが怖いんでしょうね。しかも、右側通行なのか左側通行なのか、厳密に規則性がないところが怖い。商店街を突き抜けたところに私のマンションはあるのですが、そこはその商店街の車輌以外は立ち入り禁止ですが、自転車はもちろんOKなのです。歩行者がほとんどなのですが、その道に並行している道路より走りやすい広さがあるために、自転車もかなり多いのです。いやー、怖い・・・。向ってくるんですよねぇ、私に←被害妄想(爆)。

 

特に、雨が降る時期などは、傘さし運転が禁止になったにも拘らず、けっこうな人々が傘さし運転をまだしているではありませんか・・・。その人々をイチイチ止めて、「禁止ですよ」と言うことができないのは、私もやはり時間が決まっているときにしか、道を歩いておらず、駅にしっかり向っていかねばならぬ、というTaskがあるからなんですが・・・。夜も、無灯火の自転車はけっこう居ます。足の筋肉に負担をかけたくないせいなのでしょうね。仕事や学校が終わって疲れているし・・・。だったら、電池式のものをつければいいのに、とも思うのですが、それはもったいないと思う気持ちもわからなくもない・・・。うーん・・・。

 

駅前なので、スーパーやデパートがあり、その前も自転車で溢れています。たまにびっくりするのが、3人乗りがありなこと・・・。これ、条例やら法律ではどうなっているんでしょうね?でも、お子さんがふたりだと、やっぱりしたいヒトはいるよなぁ・・・。

けっこう複雑だから、小学校のときには、「交通安全日」というのがあって、その日自転車を乗ってきてよい、というのがあったのだろうなぁ・・・。

で、やっぱり思うんですね。自転車の乗り方というのも、かなり利己的になっているなぁ、と。そうでもない人はいつまで経っても、一度身についたものは抜けないのでしょうけれども、どんどん自転車に乗る世代の人たちでもなくなってきているのかもしれず・・・。自転車置き場などを見ていると、「捨てたもんじゃないなぁ」と「どうなっちゃってるんだか・・・」と、ふたつに分かれますね。「捨てたもんじゃないなぁ」と思えるときには、市で雇用している方が整理整頓したあとだったりして、またもやがっくりしたりも・・・。がっかりするくらいなら、自転車置き場を利用しているわけでもないのだから、見ないようにしよう、と、マンションの前の信号は渡らないことにして、しばらく歩いてから向こう側に渡ることにしました(笑)。

 

怖いなぁと思う自転車のひとつの中に、大きなかごが前後に取り付けてあり、それが明らかにオーバーサイズなものがあります。乗っている方の体格との調和なのか、よくする買い物の量なのか、なぜにこんなに自転車にモノを乗せなければならないのか?と思うのですが、アレが出ているので、引っ掛けられたことが数度あり、ものすごい深い傷になるんですよ。一度など、コーチのバッグのショルダーに掛ける部分の縫製が途中まで千切れてしまったのです。しかも、引っ掛けた本人は、「あ、ぶつかった・・・」程度にしか思っておらず、止まることもなければ、謝ることもないんですね。3度ほどあったんですが、「次からは大げさに転んでやろうか・・・」とすら思ってしまうほどに、やっぱり引っ掛けられると痛い。かごの中に入っている荷物ならば、それほどのダメージはないのですが、かごそのものに引っ掛けられると、本当に痛いのです。

 

そして、まだ私はいいのですが、母は70歳になったので、転んだら骨折なんかの可能性も全面否定できないし、彼女のためにも怖いなぁ・・・と思うのです。とはいえ、彼女自身が、まだ原付バイクに乗っているんですけれども・・・。が、ここのところ自信があまりなくなったらしく(過信よりはいいにせよ、あまり自信がなくなるのも、いいことだとは思えずにいて・・・)、雨が降りそうなときには曇りでもバスを使いますし、それほどの買い物の量はせずに、数度往復しますしね。が、彼女が完全なる歩行者のときには、けっこう危険が多いなぁと思うと、なんだか心配なので、華美や色の服装などにしてもらっても、昔ほど怒りません(笑)。昔は、「派手好きなばばぁだ」と弟といっしょになって揶揄していたのですが、最近はそれについてはかなり感謝(笑)。こうした心配をしなくてはならないって、なんだか切ないよねぇ・・・。

 

暑くなくなったので、少しだけ長袖で防御はできるのですが、向ってくると怖いなぁと思う気持ちには、さほど変わりはなく、自転車と車と人がきっちり分かれていたアメリカ生活に慣れていた頃のことを忘れることが、どうもできない模様・・・。特に雨だと、本当に緊張します。車との距離が短いのには、だんだん慣れてきたのですが、自転車のほうはまだ怖いなぁ・・・。いつになったらこの緊張感は減るのだろうか?とはいえ、減ってしまったら転ばされるかもしれない(笑)。

 

 

お金の管理が下手な人の特徴

私個人も金離れがよすぎて、本当に管理しているの?できていないんじゃないの?と言われるので、たぶん下手くそなのだろうと思うので自戒を込めて。

 

決定的な要素を挙げていきます。

 

  1. 無駄な出費に鈍感である
  2. 節約とケチの違いがわからない
  3. 中長期でのお金の使い方を見越していない
  4. 気前がいい
  5. 他者に楽しんでもらうことが大好きで、自分は二の次
  6. ギャンブルをする
  7. 細かな出費が多い
  8. 我慢のハードルが低い
  9. 買い物そのものが下手くそ
  10. とにかく安価なものに目がいく

 

私も心当たりが多すぎて背筋が凍ります (・・;) ド貧乏な家庭に育ったので、成人するまで本当にこれらが当たり前だと思いすぎていて、矯正するのが死ぬほどたいへんでした。しかも!ギャンブルは、アメリカでカジノに25歳で行ったときにはクセにならなかったのですが、その18年後には毎年行くくらいになってしまい(笑)。今もハードルが低すぎて、パチンコには時間ができれば行ってしまいます(しかも、自分の銀行として預けてあるお金を下ろしに行くような感覚で行ってしまう・・・)。やたらと気前がいいし、ごちそうはしてしまわずにいられない性質です。

 

ただ、1・2・7・8・9は大丈夫かな(笑)。でもたったの半分しかなーい!ちょっと冷たい汗が出てきた(笑)。自分で書いていてコレだからなぁ、と反省しきりです。

 

3.の中長期に関しては、人生そのものは見えているんですが、お金を貯めるために動くということがなかなかできず、お金が入ると、次のプロジェクト!と経営に使ってしまいます。広告を打ってみるとか、コピー機を新しくするとか、ソフトを買うとか、まぁ、いろいろですが。その先の不労所得やシステム作りに注力してしまい、個人資産のほうにはまったく廻せません(笑)。まぁ、あと3年弱くらいはコレでいいかな、とも諦めています。生徒さんのために、がモットーで、4.5.はとてもじゃないけど、生涯変わらない気がするんですね。昨日もNative講師のEwaに、”You are too lenient!” と叫ばれたくらいですから、まぁ、変わらないんでしょうねぇ・・・。変えたいと思っていないことが問題なのだろうと思いますが、人格を変えてでもお金を管理したい!とは思っておらず、そうなったら「できる人に頼もう」と腹を括っています(笑)。

 

6.のギャンブルは、ここのところは時間がなくて行けていないのもあって、行っても毎週1回程度だったので、まぁ、よしとできる期間中です(笑)。カジノで大勝ちしなければ、目覚めることもなかったんだよね・・・。Pai Gaw Pokerの one hand 10000ドル勝ちをしたことが、この長いギャンブル漬けの始まりだった (・・;) でも勝率がとってもいいんです(^^♪ パチンコも7-8割は勝てていて、日誌をつけるまでもないくらいです。

 

10.の安価なものに目がまず行ってしまうのはしゃーないかなぁ、と思えるのです。とにかくUSというのは資本原理主義のようなところが街中でもあり、同じブランドの同じ商品が、違う場所で買うと30%引きなんてことはしょっちゅう!半額になっているセールなどもあって、やっぱり安いものには目が行くクセができてしまっております。(・・;)

 

騙されたくないんでしょうね(笑)。買い物は大嫌いですが、下手ではないと思います。かなり修行した気分です(笑)。

 

基本的には、

欲しいと思っても買わずにいられる

外食をなるべくしない心がけ→ 奢らなくて済む

プレゼントは折り目折り目以外はしない

自動販売機はスクール内に設置しているものしか使わない

たとえ安くても消耗する!という確信がなければ買わない

使用頻度や価値の変遷などを吟味して買う

 

というのは励行しています。ただ、コンビニを頻用してしまっている自分に気づくと、本当に背筋が寒くなります。2年前までは、母にコンビニ弁当もおにぎりも禁止されていたので、彼女が多少認知症の症状が出てきたので家事負担が多くなったといえども、お弁当はしっかり作ろうかなと考えているところです。

 

さ、今日から襟を正してさらにがんばるぞい(^^♪






https://seikatsu-hyakka.com/archives/41375

独身女性は一人旅が好き

10/06/2008にアップした文章です。

ちょっと前のニュースなのですが、このアンケートはいいなと、以前の「恋人の好きなところ」と比べてしまっています。独身女性は一人旅が好きなのだそうです。しかも、この事実によって、いろいろなことが考えられるところがいい。昔むかし、と言わずとも、私が子どもの頃ですから、30年ほどくらい前までは、独身女性が一人旅だなんて、以ての外だったのです。世の中は変わった。しかもいい方に変わったということが反映されている、いいアンケートだなぁと。が、落とし穴もあるのだろうな、とも考えられるので、かなりいいお題になるのだ(笑)。というわけで、私の頭にも建設的なので、今日はコレについて。



元記事はコレ>http://www.rbbtoday.com/news/20081003/54715.html よく見ると、ちゃんとしたリサーチ会社がアンケートを実施しているのです。なので、設問そのものが漠然としている傾向が減っており・・・。よかった(笑)。

 

アンケートを受けた50%以上の方が一人旅を経験しており、国内旅行のほうが多く、1~3泊が最も多い、という結果は、なんとなくうなずける・・・。

 

私も一人旅ができる10代・20代ではあったし、30代でもあったのです。10代・20代のときには、バイトがらみで移動せねばならず、その動機は大きかったので、その前か後に1泊か2泊を足し前して、バイト先の近辺の好きなところに行くということをしていました。友だちや彼氏がいればいたで、それも楽しかったのですが、一人旅というのはまた違ったオツなところがあり、あれは違った意味で楽しかったですね。このアンケートにもあるように、「自分を見つめなおす機会が持てる」というのは大きな要素だったように思います。私はネコのように自由気ままなところが大きいので、誰かに見られていない時間を意識的に作らないと、死んでしまいたくなるくらいに息が詰まることがあります。今でも1日数時間は、母とも顔を合わせず、ひとりの時間は欲しい。ネコはいいんですけどもね・・・。口を利くのが億劫だったり、とにかくだらけたいのです(笑)。特に秘密なことをしているわけじゃーないんですけども・・・(笑)。

 

雑音や日常から離れて自分を見つめ直すというのは、かなり有効です。旅館だと朝ごはんを食べられるのはなぜなのか?(笑)だったら、毎日ああいった暮らし方をすればいいんだよな・・・と反省します。旅行先では、見たいものがあるので、かなりしゃきしゃき行動しますし、「旅の恥は掻き捨て」にならないよう、ゴミには普段以上に注意しますし、いろいろな情報を新たに得ることができて、かなりお得な気分にもなります。そうした中、ひとりでいるからこそ、「ああ・・・、○×さんにもこれを見せたかったなぁ・・・」と思うことができるのですね。そうなると、自分が今ひとりでも、いつも誰かに支えられて生きていることを知ることになり、ひとりで旅に出たことがやたらと有意義だったと思えるのです。

 

少なくとも、私はコレの繰り返しでしたね。到着日にはそれなりに感動して、ひとりであることを満喫するのです。夜ごはんを好きなところを選んだり、旅館の場合は誰にも何もとがめられず、食べられないものは無理やり食べないことにしたり、好きな時間に眠って、朝早く起きる。それでもまだ「ひとりっていいなぁ」とかなり満足しており、またもや自分の好きなところに行けるヨロコビを噛み締めていて、たいていの場合は、その場所にしかない風景などにぶち当たったりすると、「○×さんにもこれを見せてあげたいなぁ・・・」と思うことになるんですね。西さんは山は見飽きるほど見ているので、彼の場合だと写真だったり、川でボートをしているのを見たりしたときや、彼のまったく知らなかった何かがあったときなど。西さんとは知り合っていないときには、もっと雑多なものを「見せたい」と思いましたね・・・。父だったり母だったり友だちだったり・・・。

 

ひとりになると、自分が誰も知らないところで、one of themになりきってしまうことができて、それはとても楽しいことでした。付随的な自分ひとりぼっちの存在意義や価値について考えるためには、なぜか本当に物理的にもひとりになることがかなり大切で、雑音になるものから逃げることは、バイトばかりしていた私には機会としてとても少なかったので、貴重な時間でした。しかも、東京ではなく、人の密度が薄くなっているところで、改めて自分とは何なのか?と考えるのは、立ち止まって考えることは、Pavlovの「刺激→反応」の「刺激」がかなり少なくなって、他にもっと注意が向けられるいい機会だったのです。

 

24歳半で渡米して、30歳くらいまではラクに旅行をできるような経済的状態ではなかったのですが、アメリカ国内バイトがあれば、LAくらいまでは行きましたね。29歳のときに父が他界し、その後は日本に里帰りができるようになったのですが、私は毎年帰りたくはなく、隔年かそれ以上あいだを開けるようにしていました。が、その長い飛行機も一人旅でした。西さんと太平洋を渡る国際線に乗ったことは、たった1回しかないのです。私は、キャビン内で「日本人に見られないようにする」という意識があって、他人に話しかけられるのがとてもイヤでした。いい人との邂逅があったかもしれませんが、やたらとそのへんは頑なでしたね。旅先でも同じで、誰かと知り合うといえば、相場は飲み屋さんと決まっており・・・(笑)。が、いくつで結婚したのか忘れており、たぶん30歳くらいだったような気がするんですが・・・。なので、独身女性の一人旅には入らなくなったんだろうと・・・(笑)。

 

そういえば、日本に戻って来てから、お墓参り以外の旅行には出ていません。あ、一度だけ香港に行きましたが、それは西さんといっしょでした。母と同居してからは、一人旅はなんとなく気が引けます。むしろ、連れていってあげないと・・・と思えるし、日本に住んでいることそのものが、今はまだ「旅の途中」な気がしています。不思議な感覚です。「いつか早くアメリカに戻りたい」とまだ思っているのですね。

 

昔、山田太一監督の『想い出づくり』という番組があったのですが、田中裕子がやった役の女性が、旅先で知り合った男性と、電撃的な結婚をして物語は終わるのです。あんなことは、私にはとてもできない・・・、と当時も思いましたし、今も思っています。独身女性で、旅先で知り合った人と、それをきっかけにしておつきあいを開始して、結婚までした人って多いんでしょうか?だとしたら、旅先で恋に落ちる落とし穴に落ちたとも言えるかもしれないなぁ・・・と。ある人にとっては、普段の鎧が取れている状態なので、素直に恋ができる場合もあるかもしれないですが、ある人にとっては、あまりに開放的になって無防備になっている状態で、恋に落ちてしまうことがあるのかもなぁ・・・と。特に、海外旅行で現地の人だけでなく、ツアーでいっしょの男性と恋に落ちることなどはあるのかもしれないなぁ・・・と思います。

 

現代の女性は、自分で稼ぐことがちゃんとできるようになって、ゆとりがあったらしっかり国内外を見て廻ろうと、自分のための栄養になることがひとりでできるんですねぇ。よかった、よかった♪確かに誰かとスケジュールを合わせるのは面倒だし、いきなりもらったお休みを有意義に旅行するのはいいことです。経済的にゆとりがあれば、できるだけ「日常とは違うもの」を見て体験するのは、のちのちのためになります。

 

しかも、この記事の最後にある「短期・旅バイト」というのは、温泉付が人気があるようで、1・2週間くらい働いて温泉もエンジョイして、と、かなりいいかもしれないなぁと、私ですら思います(笑)。ちょっと検索してみるとあったあった♪http://www.rizoba.com/ 英語ができる人をちょっとだけの期間で募集しているところがあれば、私も行ってみてもいいのかもなぁと(笑)。

 

独身男性は、一人旅は当たり前なんでしょうね。出張姿も男性がちですし。だからトピックにはならないのでしょう。が、女性はまだこれがトピックになることなのだ、と、悲観的には思わず、なんだかいいことだなぁと思って〆ます。

 

 

不安の元を減らす

10/05/2008 にアップした文章です。

 

不安というのはどこから来るのか?先がある程度見えないからなのではないか?というのが、大きな理由だと思うのです。私は、好奇心旺盛なやつなので、先が見えない程度にもよりますが、かなり大丈夫です。その証拠に、けっこう現場処理は得意です(笑)。手の内がたくさんあれば、「どれを使うか?」というだけの問題になります。なので、不安を持たずに暮らしていく秘訣というのは、おそらくたくさんの「まずいシチュエーション」を仮想状態でやってみることではないのか?と思えるかどうか、が鍵なのかと。だとしたら、安全確保した状態で、いかに先が見えないことをやってみるか?というのを繰り返すことで、耐性を増やしていくことは可能なんでしょう・・・。その最たる娯楽が、ジェットコースターなんでしょうねぇ・・・。ええ、私はこの年齢になっても、ジェットコースター大好きだよぉぉぉ(笑)。



不安:(1)気がかりなこと。心配なこと。これから起こる事態に対する恐れから、気持ちが落ち着かないこと。また、そのさま。(2)〔哲〕〔(ドイツ) Angst〕人間存在の根底にある虚無からくる危機的気分。原因や対象がわからない点で恐れと異なる。実存主義など現代哲学の主要概念。(3)〔心〕 漠とした恐れの感情。動悸(どうき)・発汗などの身体的徴候を伴うことが多い。

 

何度か書いたように、私は夜中、丑三つ時にもネットで幽霊話などが読めますし、動画を見ることができます。それは、おそらく、ある程度先がわかってしまうからだと思えるのです。パターンがあり、そのパターンが読めて、何がいつ起きる頃合なのかがわかってしまうので、特に怖がる必要もないと思っているんだよねぇ・・・。しかも、多様性のある結果が出ることに対しては、「いろいろあって当たり前だよね・・・」とも思っていて、違うことが来てもそうは驚かないし、怖いとも思っていないこともある・・・。だってぇ、パターンは数えられるほどしかなくて、560種とかでもないので、簡単に予測できてしまいます。だったら何で読むのか?見るのか?と問われると、新しいパターンが出るのかなぁと、たまにチェックする程度です。あまりマニアックに同じことを繰り返ししても、中毒症になるだけで建設的でもないので・・・。

 

アメリカから戻って来て、日本の様子がわからなかったときにも、特に不安がなかったのは、生まれ育ったところなので、このパターンというのは、新規で学習するものはそれほどたくさんではないのだろうと思っていたせいだと、今はわかるのです。が、それに「心から同意するかどうか」はまた別物で、それを避けるための努力と学習というのはさらに必要で・・・(汗)。それには、パターンが読みきる時間もけっこう掛かってしまったことと、それを避けるというのに、社交範囲や行動範囲というのを決めていく必要があり、仕事との兼ね合いを考えると、けっこうたいへんだったなぁ・・・と。なつかしく思えるんだから、まぁ、いいのでしょう。結果オーライになったということで・・・(笑)。

 

愛する人を失ったり、離婚したり、失業したり、借金を抱えたり、引越しをしたり、病気にかかったり、というネガティブなことではなくとも、ストレスは確実に掛かります。たとえば、子どもができたり、結婚したり、いいところに就職したり、お給料が上がったりしても、ストレスは掛かるものです。が、その未経験ゾーンに対しての予測ができるかどうか?というので、ストレスは軽減できます。シミュレーションするのと、実際に経験するのでは、負荷が大きく違いますが、それでもやらないよりはずっとマシですから。

 

そこで、不安を軽減するために決定的に必要なのは、共感能力だと、私個人は思っているのです。

 

共感:(1)他人の考え・行動に、全くそのとおりだと感ずること。同感。(2)〔心〕〔sympathy〕他人の体験する感情を自分のもののように感じとること。(3)〔心〕〔empathy〕⇒感情移入

 

自分がすべてのパターンを体験するのは、そりゃ無理だよ・・・なので、やはり他人の経験を、自分のことのように感じて考える、共感能力というのが役に立つのですよ。が、今の世の中では、個人主義を間違って輸入しているので、他人のことを考えない利己主義というのに偏ってしまっており、流行モノもそれを助長するようになってしまっているんですね。だから、共感能力を研ぎ澄ますような機会そのものが減っていて、それを増やすのはかなりたいへんなのかもしれないです。

 

昔の子どもは、学ぶべき時期に「集団でのルール」を6歳くらいから12歳くらいまでで、遊びと学校を通して学ぶ機会をたくさん持つことができましたが、今の子どもは少子化でその数が激減しているその上に、通学時間が増えてしまう私立主義やら、塾や習い事が増えていて、外で遊ぶ機会が減っています。さらに、遊びも流行しているものが、ゲームなどひとりでも遊べるものが多いので、ネゴシエーションスキルなどはなかなか身につかず・・・。

 

今日も、ニュース特集で離婚後うつ病で実際に首吊自殺未遂をした人が、精神科に通っているドキュメンタリーをやっていたのですが、彼の言葉が「人生をリセットしたい」でした。ゲーム世代でなければ、この「リセット感性」というのは持っていないんですよね。私は外で、身体を使って遊んでいたので、「リセット」ではなく、「ノーカン」なのです。この頃、なぜかめちゃくちゃな英語を使っていたのも知らず・・・(正確には、It doesn’t count as failure or losing)。「ノーカン」は、遊んでいる仲間への働きかけが必要で、ルールに基づいたもので、しっかりネゴをしないと認められないのです(爆)。あるいは、子どもでも能力の違いなどをみなすのに、「お味噌」「お豆」となぜか、カウントしない立場の子たちが何人も遊べたというのもあり、大口を開けて笑いながら、みんなで和気藹々に遊んでいたものでした。寛大に「お姉ちゃんだから見てやってね」と近所のおばちゃんたちに頼まれたこともあり、腹の中では「面倒くさー」と思いつつも、なんだかその気になったものでした。

 

そんなことをやっていくうちに、だんだん他人と自分は違うのだけれども、ルールの中で生きていくんだな、ということがわかり、基本的真面目な私は、世間に合せられない自分のほうがおかしい、と責め始めるのですが、そのせいで渡米することになったので、今となってはいい結果をもたらしたことになるので、いいことになっています。渡米したあと、宗教が違う極東から来た英語もロクに話せない女の子に、心から親切にしてくれるアメリカ人に何人もお世話になりました。そこで、ネゴするスキルがなかったにも拘らず、感謝や共感能力があったことに助けられ、「この子はわからないんだ。お味噌だ・・・」と思ってもらえたことも、本当にラッキーでした。

 

私は読書と遊びだけしかしてこない学生時代を過ごし、高校生から渡米までは、本業の学業よりもバイトばかりをしており、それでもちゃんとした人間になれたと思っているので、子どもの早期教育や習い事や塾通いには、弊害のほうが多いのではないかと思っています。このおかげで、度胸もついたし、不安に思うことが少なくなったので、やっぱり遊ぶことや、実際に生きた人々が書いた文章を読むのはいいことだと、今でも強く強く信じているのです。

 

というわけで、不安の元を減らすためには、他人事だと片付けないことがやはりイチバンいいんじゃないかと。その点、映画はいいですね。1時間半から2時間くらいである人間のある時期における出来事と心の動きがわかります。日本に戻って来てから映画を見る時間が減りましたが、仕事が楽しいのでいいことにします。が、その代わりに、日本の図書館で山ほど本が読めるのでうれしいですから、バンバン読み続けていこうと思います。

 

 

クイズ番組が多いのはなぜ?

10/04/2008 にアップした文章です。

 

お休みだったので、番組表をにらみつつ、ふと思ったのはクイズ番組が多いこと。しかも、視聴者参加型ではなく、芸能人が答える形式ばかり。どうしてなんだろうか?クイズミリオネアは日本ではもう、特番でしかなくなってしまい、視聴者参加型のクイズは、『アタック25』だけで、あとは季節モノだけしか見当たらないのです。昔はこんなじゃなかったのだけれども、どうしてなんだろうか?ちょっと検索して調べてみようかと思います。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%BA%E7%95%AA%E7%B5%84 >クイズ番組の解説と歴史。コレを全部読むのは面倒くさい方のために、抜粋を。

 

視聴者参加型クイズ番組

視聴者参加型のクイズ番組は古今東西、あらゆる知識力を高める問題が出されたり、ゲーム式でポイントを貯めていくといった形式が多い。また、優勝した解答者には更に、海外旅行や高額賞金及び賞品を獲得できるステージに挑戦できたり、優勝できなくても、参加賞として番組スポンサーから記念品が贈られたり番組特製グッズが贈られたりしている。しかし、近年は個人情報の概念の変化や、一般人よりも知名度のある芸能人の方が視聴者を取り込みやすいなどの理由から減少傾向にある。 現在全国ネットで放送中の番組は「パネルクイズ アタック25」のみであるが、地方局のローカル番組ではこのタイプのクイズ企画が放送される事が多い。

 

そうか、論点はふたつなのか・・・;

  1. 個人情報の概念の変化
  2. 知名度のある有名人のほうが視聴者を取り込みやすい

 

うーん、私は参加しているのが、素人のほうがむしろ「この世の中っていろいろな人がいておもしろいなぁ・・・」と思うやつなのだけれども、それは少数派ってことなのかなぁ・・・。しかも、芸能人は1本いくらでギャラをもらっているのだから、さらに賞金や賞品などもらわずともいいではないか・・・と思うのだわ・・・。

 

またこんな歴史的解説があります>抜粋です。

 

視聴者参加型クイズ番組の最盛期は1980年代頃であった。その時期は数多くのクイズ番組が放送され、ゴールデンタイムでは毎晩どこかの局で必ずといっていいほど放送され、『アメリカ横断ウルトラクイズ』に至っては年に一度の大型特番として君臨し、全国の大学や社会人サークルに「クイズ研究会」ができるきっかけとなった。しかし1985年秋に『アップダウンクイズ』『クイズ天国と地獄』が終了したのを皮切りに、翌1986年3月には『クイズタイムショック』『三枝の国盗りゲーム』『世界一周双六ゲーム』も相次いで終了、視聴者参加型クイズ番組の全盛期は終わりを告げた。そして1990年代前半には「クイズ王ブーム」が起こったが、問題のレベルが高くなりすぎたために視聴者離れを起こし、1992年に『アメリカ横断ウルトラクイズ』がレギュラー開催を終了し、1995年以降はタレント参加型のものがほとんどとなっている。

 

私が渡米したのは、1988年なので、私は全盛期の頃、知識をやっと増やせる年代に生きており、そのせいで、今のご時勢のクイズ番組をかなりシラケて見ているのかもしれず・・・。

 

なぜならば、アメリカでは、視聴者参加型のクイズ番組が今でも主流であり、やっとダンスやリアリティショーで、あまり売れなくなったり、露出度が低くなってきた芸能人が出る、という「落ち目度」や「売れてない度」を逆転復活させるチャンスになるツールとして使われるようになったのです。私が悲しかったのは、KissのGene Simmonsがリアリティショーをやったり、Gottiの娘がやったりしたことかなぁ・・・。今度は、Denise Richardsがやっているらしいのですが、彼女もCharlie Sheenと大げさに離婚して、そのあと縁りを一旦戻し、またもや大ドラマのあと別れ、裁判でゴネゴネをしたあと、親友のHeather Locklearのだんな、Samboa(Bon Joviのギタリスト)を略奪したかも!?という形ですぐに付き合い、またもや別れ、ということで、アレ以外売れる手立てはなかったのかもなぁ、というような見方があるわけです。さらに、アメリカではCheersという長く続いた人気Sitcomにでも出て、そのあと映画スターへと着実に出世したKirstie Alleyなども、離婚したあと太ってしまい仕事がなくなったので、痩せる!というリアリティTVを引き受けたなど、あまりイメージはよくないのだ・・・。私はこれらに慣れているせいで、特に、芸能人のプライバシーというのは、「秘されてこそをかし」という気持ちがあるに違いなく・・・。

 

ましてや、あんなに知識がない人々が、自分よりもずっと稼いでいるという事実に、妙にむかっ腹すら立ってしまい、どうして、すでに稼いでいる人がまたもや稼がないといけないのか?とも思える。芸能人とて、旬の季節がある職業らしいので、本当の意味での芸がない人は、アノ手の番組でたくさん稼いでおかないといけないらしいので、まぁ、それはしょうがないのか?

 

英語を教えるときに勧めているクイズ番組は、コレです。http://www.wheeloffortune.com/ 

こちらが日本語の解説ページ>でも、歴史などにまでは言及していないので、あまりわかりやすくはない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%B3_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84) 私も渡米して、Duplexに日本人女学生4人で住み始めたときには、毎日見ていました。パネルに言葉が並んでおり、子音を当てていき、母音を買ってそれをヒントにするというもので、私が見た限りの最高金額は、日本円に直して1200万というのがありましたね。30分でです、はい。オンラインゲームで2350円なので、語彙を楽しく増やすためにはそれほど高くはないのです。私にはあまり意味がないですが、英語が話せない人にはとても有効です。この番組で、どんなバックグラウンドなのかを紹介したあと、3人の参加者の中で応援したい人というのが決まってしまい、それはやはり経済的にイチバン恵まれない人だったりしたのは、私の「固定観念」なのでしょうね。ちょっとした生活費に使える突然のボーナスを一般市民にあげられるというのは、ショービズの使命ですらないのか?と思ったりしたものです。社会格差になった折、いろいろなものが「商品」になるとしたならば、勉学や日ごろ好奇心いっぱいで過ごしてきた成果を、クイズ番組で素人が試せるようにしてもらいたいものだ・・・。

 

これがアメリカのゲーム番組のリストなのですが、やはりリアリティ番組を抜かして、ほぼ8割が視聴者参加型でした。http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_American_game_shows 夢を売る商売であれば、芸能人に芸がないことを、なぜに晒すのか?ちょっと理解しかねているこの頃です。不思議である・・・。この謎は、私が1980年代の10代後半から20代前半に日本で過ごしたせいなのかなぁ・・・。うーん・・・。しかも、羞恥心の作詞が島田紳介氏だということを知り、さらにげんなりしているのである・・・。どうやってもお金は彼のところに行くのか・・・と苦笑している始末(爆)。もうちょっと誰かが抵抗したほうがいいと思うんだけどなぁ。と思うと、児玉清がやたらと愛おしい気がするのであった・・・。

 

 

 

恋人に魅了された理由

10/03/2008にアップした文章です。

実際問題は、本能的なことが多いのでしょうが、ヒトとして生まれてきた限り、それは二の次にしてしまうのが哀しい傾向です。容姿では、「危険を感じない」「むしろ、安定や安堵を感じる」というのが、キーポイントになっています。なので、売れている芸能人のたいていの顔というのは、左右を対称にしてみるとかなりバランスが取れています。容姿の何に「安定や安堵を感じるか?」というのは、遺伝子の中に汲み汲みと繋がってきた、祖先がどこに住んでいてどんな考えでどんな暮らしをしていたか?というのに、影響されており、狩猟民族であれば、おそらく体格がよかったり、筋肉が発達していたり、というのがあるのでしょうが、逆に農耕民族がちであれば、ふくよかだったり、笑顔が多いこととその笑顔で得られる温かみなのでしょう。が、大脳皮質を発達させてしまったヒトがゆえに、後付の理由が欲しいところ(笑)。



こんな記事がありました。”恋人のここが好き!ランキング”

この手を見て、私はいつもこの漠然とした答えにたいへんな疑問を持つのですが、アンケート形式だから仕方ないんでしょうね・・・。このランキングに入ったものを辞書でしっかり引いてみる・・・。予測としては、非常に曖昧なことを指しているのだろう、ということがわかるはず・・・という目論み。

 

優しい:(1)穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。(2)思いやりがあって親切だ。心が温かい。(3)上品で美しい。優美だ。

[二] (1)身もやせるような思いでつらい。他人や世間に対してひけ目を感ずる。恥ずかしい。(2)心づかいをして控えめである。つつましやかである。(3)(節度をもって振る舞うさまが)殊勝である。けなげである。

〔動詞「やす(痩)」の形容詞形で、身もやせ細る思いだというのが原義。平安時代には[二](2)の意でも用いられ、つつましくしとやかなさまを優美と感ずることから[一](3)の意が生じた。[二](3)は優位の者がほめことばとして用いた。→やさしい(易)〕

大事: (名)(1)物事の根本にかかわるような重要なこと。一大事。⇔小事 (2)大事業。また、大それたくわだて。(3)大変な事件。深刻な出来事。(4)〔仏〕 出家修行して悟りを開くこと。一大事。(5)技芸における真髄。秘伝。(6)病気や傷が重いこと。重態。(7)生死にかかわるような危険。(8)困難なこと。手ごわいこと。(9)不都合。さしさわり。→だいじない 

 0 (形動)[文]ナリ(1)大切なさま。重要なさま。(2) 粗末に扱わないよう気をつけるさま。価値を認めて注意深く扱うさま。大切。

ないもの:今ここに無いもの。

まじめ:(1)本気であること。真剣であること。また、そのさま。(2)誠意のこもっていること。誠実であること。また、そのさま。

素直:(1)性格や態度にひねくれたところがなく、あえて人に逆らったりしないさま。(2)技芸などに癖がないさま。(3)物の形がまっすぐであるさま。(4)飾り気がなくありのままであるさま。

 

うん、やっぱりものすごく曖昧で、捉え方には個人差があり、これをNarrow Downしていくのはかなりたいへんだろうと思う・・・。大脳皮質が発達したというのに、どうしてこの程度のことになっちゃうんだろうなぁ。以前にも書いたのですが、こうした資料・データというのはとても有効に使えるので、Gooにお勤めの方には、もう一ひねりしてもらいたいものだ・・・と、相変わらず考えてしまいます。お仕事だから、疲れちゃうんだろうけれども・・・。

 

優しい:(1)穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。(2)思いやりがあって親切だ。心が温かい。(3)上品で美しい。優美だ。

 

というのは、穏やかだということで、冒険心もなければ、気概もないようにも感じられるではないですか・・・。思いやりという考え方も、個人によって違うのだろうし・・・。私は、泣いているときに泣いていることそのものを「ないことにしてくれる」というのが思いやりだと考えているのだけれども、あるヒトにとっては、「抱きしめて慰めてくれる」というのが思いやりなんだろうし・・・。それが一位なのか、と思うとどうも不思議です。こんなに漠然とした言葉であれば、私は選択肢にあれば、「強い」を一位にしますね。私は生命力がたくさんあり、その質にはサバイバルスキルがついているヒトが大好きですから。

 

(1) 大切なさま。重要なさま。(2) 粗末に扱わないよう気をつけるさま。価値を認めて注意深く扱うさま。

 

これも、私の場合、西さんは何事も自分以外の物事や人に関しては、粗末にするわけもないので、前提ですね。大切にされないときもあるとは思うんですけども、それは例外中の例外で、仕事が超多忙だとか、具合が悪いだとか、理由が納得が行くときくらいで・・・。普段、西さんは自分の靴下などは好き放題に脱ぎ散らかしていますが、それを片付けるのも自分なので・・・(汗)←私は片付けないんですよ。片付けると怒られるし(笑)。

 

ないもの:今ここに無いもの。

 

ものすごく重箱の隅をつついているような気がしますが、「自分にないものを持っている」とはイッタイ何?ヒトは、人になって、いろいろなことを学んで、潜在的に持っているものをどんどん開花して生きていくと思うのです。その中において、自分には「少ない」「いざという場面で出せない」というものがあっても、「ない」というのはありなんでしょうか?私は「人殺しを決行するほどの憎悪」を持ちたくないと思っていますが、そんなものは引き出されてしまうかもしれないので、ギャランティーはできず・・・。理系に取り組む根気や素質はないと思っていましたが、やはりあったし・・・。「明るい」ということはたとえば、その明るさがコンスタントに出ており、誰や場面などにかかわらず、状況や人に左右されるような差別的な態度ではないということではないのか・・・と。

 

まじめ:(1)本気であること。真剣であること。また、そのさま。(2)誠意のこもっていること。誠実であること。また、そのさま。

 

これも、やはり当然と言えば当然なので、特にこれを求めるということなのだろうか?なんだかもう言及したくもなくなってきており・・・(汗)。

 

素直:(1)性格や態度にひねくれたところがなく、あえて人に逆らったりしないさま。

 

素直が常であっても、あえて人に逆らうべき場面というのはきっとあるはずだろうな・・・とは思うのですが、きっとこれを選んだ人はそういう意味で書いたわけではなく、ひねくれてしまったやつとつきあうなんて面倒くさい、ということなのかなぁ・・・。味気ないなぁと思うんですが、どうなんだろうか?

 

と、また文句だらけになってしまったのですが、私はやはりこうしたアンケートが横行すると、楽しいというよりは、「アホらしい・・・」と思うことが多いのです。どうしてこうも大雑把にしてしまうのか・・・。もしも私を選んだ理由を、こうした項目で類別されてしまったら、私はとても哀しいですし、むしろ「あらゆる要素をここ!という場面や相手に使えるから」くらいな気の利くことを認知してもらいたいです。

 

むしろ「理由なんか言えない」と、本能的な自分のサガを認めてもらえたほうが、大脳皮質をフルに使わないよりずっと潔いような・・・←厳しい(笑)。こういうのを見ていると、さぞかし褒めることはへたくそなんだろうなと思うのです。誰にでも当てはまるようなありきたりのことで、なぜか片付けてしまって、褒めた気になってしまっており、子どもたちにも褒めてあげることができず、そうしたカサカサしたドライな人生でもやっていけるのだという、模倣学習を提供してしまっているのではないのか?と。

 

私は英語講師なので、褒めるのが半分、まだ足りない点を指摘するのが半分と、半分の法則をいつも意識しています。でないと、イヤになっちゃいますもんね。それに、その褒めも指摘も、当てはまったものでないと、軽率でやっつけ仕事的で、誠意は伝わらないし、優しくもないし、大事にもしていないし、真面目でもないし、素直でもないですしね。

 

と、引用が長くなったので、文章そのものが長くなりました。だったらもうこうしたアンケートは見るなって?だってぇ、ニュースにものすごくおもしろそうに載っているんだもーん・・・。ランキングも上のほうになっており・・・。でも、洗脳されないようですから、いいよね?(苦笑)

 

 

 

季節や気温で気持ちに変化は出る?

ヒトというのは、進化を続けてきて、「身体の声をじっくり聴くことができなくなってきている」というのは、すでに何度か触れてきました。英語スクールだというのに、ここについては基礎コース42レッスン中、10個めくらいに心理レッスンで「進化論」までReviewし、その基本的な考え方から日々の頭と心をどう調整したらいいか?をご紹介します。なので、うちの生徒さんはみんなわかっていただいていると思うのですが、当然季節や気温で気持ちに変化は出ます。

 

進化の宿命や法則性の中で、最も着目したほうがいいのは、「最善・最良の選択」をたくさんの選択肢の中から選べるかどうか?ということなのですが、そもそもその選択肢の多さがもっとシンプルだった頃に比べると、多様性がますます発展し、なかなか「最善!」「最良!」と言いづらくなりつつあります。

 

その前提として、私たちヒトが考えてみたほうがいいのは、そもそもかなり限定されている条件で、その最たるものが「生まれ育った場所の気温・湿気・圧力・日照時間、地産地消している食べ物」が大きく栄養を及ぼします。そういう基本のキが、気温・湿気・圧力なので、季節や気温で気持ちに変化は出ます。脳への影響が大きいのです。

 

  • 高い湿度は集中力を低下させ、眠気を催させる
  • 気温の上昇は不安や懐疑心を低下させる
  • 気温が高くなると攻撃(暴力)的になる
  • 日照時間が増えると楽天的な考えが増加する
  • 気圧が高くなると頭痛が起きる人が増加する

 

たとえご自分の地域の気象状況を把握していたとしても、それにマッチした「アジャストメント」をしているとは限らないのです。視界に入らない限り情報として得ないというスキップをしていて、身体の声が聴けない限り、それは叶わないのですね。なので、気づくと、気分まで変わる、という状態が引き起こされます。

 

たとえば、私は室温18-20℃くらいが頭が冴えるので、Blogやテキストを書くときには暖かい部屋を所望しません。効率が悪くなるからです。レッスンをするときも、みなさんの室温に合わせているので、おそらく12月半ばくらいまではいつでも脱げるように下はT-shirtなどの半袖を着ているのもそのためです。眠るときには暖かくしたほうがいいのは、身体の芯を冷やして脳を促進させて、皮膚温度を上げて楽しい夢を見ることができるように、という配慮です。

 

ただ、ストレスが多すぎてこれらに対するオートマチックな防御ができなくなると、鬱病症状に向かっていきます。ネガティブな思考・認知が出やすくなるわけです。行動に出るまでには、個体差がありますが、それなりに影響され続けていると、早い場合もままあります。

 

季節性のうつ病には、冬季うつと夏季うつの二つが顕著にあり、これらは『季節性感情障害』というのが正式名称。うつ病には何かしら発症の引き金となる原因があるものですが、特に思い当たるストレスの原因が無く、決まった季節にだけ症状が表れるものが季節性感情障害とされ、春と秋の「気温・圧力・湿気・日照時間」にはさほどの大きな変動がないので、アジャストメントが自然に行われやすいからですね。ただ5月病と呼ばれるものは、適応障害(環境順応)と春から夏に変わる比較的暑い日への身体の反応によって起きやすいと言われます。

 

夏を侮ってはいけません。なぜならば現代人にはクーラーがあるから(笑)。室内外の気温差が大きすぎて、アジャストメントが自然にはしにくくなるんですね。知らないあいだに身体に負担が掛かっています。さらに、お日様の光が急激に強くなるので、ここも皮膚がアジャストできないままのこともあります。地産地消しなくてもよくなったことや、便利な世の中で、身体を冷やしたい!という直接的な対処法をし続けると、アジャストする時間を観ずに、摂りすぎてしまうことも多いですしね。

 

冬が長すぎると、本当に鬱症状が出やすくなります。その前の「なんだか気分が落ちる」というのは、健常者にも多く見られます。

 

私は、地中海性気候に住んでいて、雨季をたくさん経験したので、雨が長く降っても脳内ケミカルの変化はさほどありません。でも、やっぱり青い空はいいものです(^^♪ 日焼けはまったーく気にしません!

やることが山ほど!

10/02/2008 にアップした文章です。

 

今日は英語のレッスンは一切ありません。が、朝っぱらから、清原選手の引退試合の記事をたくさん読んでいたら(しかも泣いていたら・笑)、あっという間に1時間半も過ぎていました。しかも、明日の金曜日には、清原選手の家族がTBSにナマ出演するというのに、私はレッスンがあり見ることができません。ビデオ録画では味気なく、どうせニュースにいろいろなことが載ってしまうので、やはりオンタイムでないとダメですね・・・。Mixiを見ていると、さらに清原選手についての日記を書いた方々がたくさんおり、ざらっと見ているだけで30分が過ぎてしまいました。ミスターや王監督のほか、多方面からの「コメント」が書いてあり、その顔ぶれを見たり、感想を見ていたら時間が経ちすぎました・・・。今日はやることが山ほどあり、Things to do リストは詰まっています。

 

9月29日に、コピーマシンが自宅に設置されました。安いものなので、速度が多少遅く感じるのですが、生徒さんを待たせてコピーすることは、半分くらいの確率なのでいいかと(その待っているあいだには演習もしてもらえるし・・・)。そこで、さっそくいろいろな準備したほうがいいシートをコピーしまくっており、けっこう楽しんでいます。家なのにオフィスっていいですね(笑)。このコピーマシンのせいで、やりたいことが増えてしまってかなません(爆)。

 

来週から開始する生徒さんのための、レッスン前準備のための宿題を手渡す準備をしていました。正確には、産業カウンセラー講座のクラスメイトのお嬢さんなので、お母様のほうに渡すのですが、その説明を詳細に書いておかねばならぬので・・・。レッスンの時間そのものは有効に使いたいがため、自宅で準備できることはすべてしてきていただこうと思い・・・。お母様が私のクラスメイトだから特別扱いしているわけではなく、主義としてこれは貫かねば、と思っています。1レッスン90分は、たいていの生徒さんが感じるのは、「短い」ということ。テストなどもそうですが、楽しかったり、集中していると時間はすぐに過ぎます。なので、時間泥棒をしないよう、心がけています。何が必要で何が自宅でできるのか?の見極めが、最近ものすごくよくわかってきました。しかも、その個人差を掴む時間も、私自身がとても短くなってきているので、やはり独立しないと・・・と思います。

 

それに今日は、週末がうんと忙しいので、またもやエッセイの貯め書きをせねばなりません。明日の分まではもちろん、あと2個なので、これを入れても今日中に4つ・・・。テーマを考えるのが、イチバンたいへんで、書き始めてしまえばすぐに仕上がるのですが・・・。しかもお題を探している最中、ネットを使っているので、ゲームをしてしまうという穴もあり(爆)。気づくと時間が過ぎているのは、やる気がないからではなく、中毒性があるからなんでしょうねぇ、ゲーム・・・←言い訳(爆)。

 

他にも、これが終わったら、HPを新しく、私の英語学校用のものにするために、西さんに原稿の基礎になるものを渡さなければならず、その文章をレイアウトをつけて作ってしまわねばならぬのです。今考えているのは、リンクを飛ばす工夫なども含めて、13ページくらいなのでけっこうかかるのだろうと・・・。西さんが、会社の鼎総合企画のHPを私のために変更してくれたのはよかったのですが、あまりに企業色が強く、英語学校には堅すぎて、訪れてくださった方も、こんなカチカチじゃーという印象を受けてしまうので、もっと柔らかく変更してもらうことにしました。そのサンプルを20個くらい探して、3つに絞り、西さんにはイチバンいいものをサンプルだと渡しました。が、それがピンク基調だったので、西さんは「こんなにやわらかいデザインはできない」と尻込みしてしまい・・・。いやいや、私はピンクが似合う女ではないので、ぜひ青で・・・(爆)。というわけで、その細かいデザインは西さんに全体的には任せるとして、レイアウトの大雑把なところや、文言は私が考えなければならないので、これを本当に今日中にやらねばならず・・・。けっこうたいへんです。

 

しかも!このHPの出来具合には、チェックが入ることになっているので(査定をお願いしてしまっているという、かなりな無謀を・・・。が、本気で集生徒さんツールになる役割を担わなければ意味がないので、100%真剣に取り組もうとしている態度なのです。ほら、『まさか三度目はないだろう・・・』ですから(笑)。私は英語講師という仕事がとても好きなので、これをどうしても成功させたいのです)、かなりなプレッシャーはかかっているものの、ダメ出ししていただければ、改善に改善を重ねることができますので。

 

さらに、英語学校を無料範囲で広告するためには、手間隙を掛けて、Mixiにもコミュニティをそれ専用に持とうと思ったのですが、それがまったくセンスがないとダメ出しをされたので、その大改造版を、来週くらいに立ち上げようと思っており、サポートしてくださる方との密なる連絡(というか、私が課された課題を提出するという、至って情けない状態ではあります・・・汗)を毎日これからやらないといけないのです。出来上がった分から少しずつでいいとはいえども、週末にはほとんど時間が取れないので、今日かなりの量をやってしまうのが目標です。

 

とはいえ、ここまで書いて、無理な量だろうな・・・と思えてきました。が、夜は11時まであるので、きっと大丈夫だろう・・・。

 

ゆとりがあれば、教材を作るための素案をしっかり立てようと思っており、これまで英語講師をしてきて、最も効果的だったものを、教材にするための目次くらいは作りたいな、と。目次くらいであれば、組み立ての問題なので、電車に乗りながらでも、週末にもできるので、これはあまり心配はしていません。その後、本当に教材にするために、新しく買ったコピーマシンで、いくつか作成したあと、またダメ出しをしていただく、ということになります。リアルの方にはコピーマシンで作って、製本まがいのことをして見ていただき、遠方のネット関係の知り合いには、テキストで見ていただく、という段取りになります。

 

が、ここのところ、秋になったせいで、すーっと明け方に冷え込むようになったせいなのか、気管支炎ぎみです。咳が出ているんですね。なので、昼ごはんを食べたら、当然の権利のようにお昼寝をしたいと思っています。最近は、昼間のレッスンが1人、週3回入っていて、来週からもう1レッスン増えるのです。週3回の子は、今週はお休みで、来週は来て、再来週から2週間はまた韓国で受験の面接です。だからって、体調を崩してもいいわけではないので、今日は思いきって集中して仕事を効率よくやるためにも、昼寝はしようかと。心配なのは、少し寒くなってきたのか、ネコもくしゃみをしています。いっしょに寝ればいいや・・・←とはいえ、ネコは1日14時間くらいは勝手に寝てますけども(笑)。

 

では、やることが山ほどあるので、お題を探して、週末の分を書くことにします。コピーマシンがあると、本当に便利だなぁ・・・。あんまり家庭には必要なんてないんですけどもね・・・。