ヨガの流行

私自身はヨガの本格的体験がないのですが、生徒さん、特に女性はヨガをしている人口が多い!なぜなのだ?と不思議でならぬのです。なんだかけっこう着替えがたいへんなのでは?とか、静的動きってかなり洗練されていないと難しいのでは?などなど、妄想は膨らみます(笑)。

というか、これ、うちに来る生徒さんの不思議な共通項だとしたら、ここ、大切なポイントなのでは?と焦る 💦 (・・;)

なぜならば私は Yoga Kind of personではないのであった!こりゃ、学んでみたほうがいいのか?と焦っていろいろ検索・・・。

メリットとデメリット 

ヨガの効果

ここから飛べばいいか・・・ ヨガまとめ

なんとなく見えてきた・・・。私がこれまでヨガに興味が湧かなかった理由が。なぜならば、私は代謝も悪くなく、姿勢もけっこうよく、老化をあまり心配しておらず、冷え性でもなければ、特に「ああ、いいな」と思うことがなかったからなのだ!ダイエットに最強だというのであれば、となると、けっこう無酸素運動のほうに走ってしまう傾向になるからだったのだ!

むしろ心配は、今の私がヨガをやったら、特にホットヨガなどをしたら、水分摂取量が3リットルになってしまうのでは?だとか、汗が止まってくれないのではないか?とか、そっちである(笑)。

しかも瞑想や呼吸法に関しては、UC Berkeley時代に、そんな授業を3単位で習得したのだった。チベットやタイ、インドや中国など、もちろん日本の瞑想も紹介しており、そこで脳波などとの学術論文なども紹介されて、けっこうまじめにやったんだった。けっこう身について、注意して、腹式呼吸やら瞑想などは、日常生活に少しずついい感じで取り入れているので、今更感があるのかもしれず・・・。

でも、侮らないでしっかり一度体験に行ってみるのもいいのかもしれない。なぜならば、Precious One English Schoolから徒歩20秒くらいのところにLAVAというホットヨガをやっているお教室があるのです。体験でなければ、毎回3000円という情報は入手済み(笑)。うーん、でもやっぱりマシンが揃っていて、24時間営業のAnytimeに魅了されてしまう私は、やはりそっちのほうがいいのか?うーん、やってみたい気もする(笑)。

みなさまはいかがですか?

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↑ こんなところに宮本武蔵!

 

頭のよし悪しと心の善し悪し その3

 [1999年09月01日(水)]に書いた文章です

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頭のいい人~天才~という意味で誰を思い浮かべるか、という質問に躊躇なく Albert Einstein (アルバート・アインシュタイン)を挙げる人は少なくないと予想されます。彼のイメージはたくさんの著述や語録などに残され、何よりも彼の「相対性理論」が私たち人類には残されています。物理学者でも本当にこの理論を芯から理解している人は少ないのではないか?と言われています←私なんかとてもとても☆

I.Q.という映画がありました。アインシュタインの姪っ子キャサリンが恋に落ちる話です。メグ・ライアンが数学者であり選ばれた才能に充ちあふれながらも、自分の頭のよさに不安を持ち続けている設定になっています。アメリカに移民してきた叔父とその学者仲間を天才たちと崇め、彼女は自分の才能をそれこそ「相対的」に考えてしまうのです。

心理学者と婚約している彼女は「頭のいい子ども・約束された将来・つりあった関係」にこだわり、数学を続けます。キャサリンの車が故障したときにその車を持ち込んだ修理工場の工員がティム・ロビンス扮するエドです。遊び心の旺盛な叔父アインシュタインとその仲間はそのショップでコンパーチブルに車を改造することになり、恋のお膳立てをすることにします。

ストーリーは読めるでしょ?

頭のよさと恋愛はまったく関係ないことがわかります。頭がいかによくてもすてきな恋愛ができるとはまったく限らない。いかに心が震えるか、いかにその相手のなかに暖かみや希望やヨロコビが見出せるか、そしてそれがずっとずっと続いてほしいと願えるか、ってことが恋です。

頭がいいからと言って心が善いとも限りません。この映画に関しては、アインシュタインとその天才仲間たちはウィットに富んでいて、私テキにはとっても心のよい、粋なおじさんたちです。そのやりとりは実におかしい。どきどきわくわくしつつ、何にでも好奇心を持て、いろいろな現象に歓べ、持てる知識と身体と心を使って、毎日を楽しく過ごしています。

恋愛コメディとしてはとってもキュートでどうなることやらハラハラしつつ、最後にはハッピィに終ります。

ここで私がおまけでおもしろかったのが、実話からどのくらいかけ離れているのか、どのくらい酷似しているのか、その検証は個々の判断に任せるとして、天才と謳われたアインシュタインのモノの見方・考え方・感じ方です。

「おい!今感じたか?」「うんうん、感じた」「恋のAtom(原子)が次の原子を震えさせ、また次の原子を震えさせ、ずんずんずんずん震わせて進んで届いたようだな」なんていう粋な会話。空気が違ったことを言いたかったのか、人間の想いもこの空間に漂うことが言いたかったのか、とてもかわいらしいです。バイクの後ろに載せてもらったアインシュタインは「もっと~!もっと速くぅ!Wahoo!(すげぇ、いいぞ、やったぁ!)」と叫びます。Wahooな瞬間をたくさん持てている彼の楽しそうな日々。エドが初めてキャサリンに一目惚れしたときの運命に出会ったような、頭と心がすーっと一体化した気持を表現していることを聞き、「うーん、私は1915年にそれと同じような気持になったよ」と言うアインシュタイン(1905年に特殊相対性理論を、1915年に一般相対性理論を発表しています)。

心臓を押えて嘘をつき、若いふたりの時間を作ろうとしたり、おちゃめにアイスクリームを食べたり、自分の知らないこと~車の修理~について感心したり、取舵を操作してボートを揺らせて若いふたりをくっつけさせようとしたり・・・。この天才の日常は、私たちと何ら変わらないのです。むしろのんびりしていてモノをコマ送りで見ることができたり、自分の姪とその恋の行方には色がついて背景をモノクロームに見えたり、バイクで風を感じたり、起っている出来事をいかにていねいに見ているか、ということだけが違うんじゃ?と思えます。

「私って馬鹿だからさぁ」「きくみちゃんほど頭よくないよぉ」「それは鋭いね」なんてたまに言われます。私もかつてそういう言葉をよく吐いていました。自分の頭のよさに自信なんかまったく持てなかったです。けれどこの世にはたくさんの物事があって、私が征服してない分野・触ろうとも思えてない興味が持てない分野・コワイなぁと思う分野がたくさんあります。今、言えるのはそれらの部分が減ってきただけで、やろうと思えばいつだって何だってできるってことです。

私は Higher Power に選ばれた天才ではありません。なぜかみんな誤解しているようです。時々西さんに飛んでもない素っ頓狂な質問をして「も~あなた何変なこと言ってるの?」と言われます。数学は数Ⅰしか終えてませんでした。今でも微分積分はできません。でもこの先やろうと思う興味もあればきっと機会も作れると信じています。英語も渡米したときはまったくできませんでした。受験英語がある程度できたことなど、何の肥やしにもなりませんでした。プライドなんか全部棄てて、18~20歳の子が主流である学校で「トウの立ったお姉さん」だったことも忘れて Rice・Lice(お米としらみ)の発音の違いを100回も口に出して練習したもんです。アメリカの州が50個あってその名前も全部知りませんでした。小学生の持っている下敷きのような地図で憶えました。カリフォルニアが日本全土の面積より広いことも知りませんでした。

けれど、私にはまったくプライドがなかったです。大学を負えなかった劣等感のほうがずっとずっと強かったし、まったくわからない言葉のなかで謎と不思議だらけでした。そこで泣きそうだっただろう気持を何とか抑えて、「わからないことは知るチャンスがあるということ」と教えてくれた中学の理科の先生の言葉を自分に納得させようとしていました。中途半端に「知っているぞ」ということもすべてごみ箱のなかに棄てて、一からやりなおすことにしました。「ああ、これは習った!」ということもよくよく聴いてみると何だか中学や高校で習ったこととはまったく違いました。だから余計に過去の蓄積の知識に頼るのは止めようと思いました。自分で考えて、自分で見てやってみて、それから最良の物事を自分を上等にするために身につけようと思いました。

鹿児島のエリート高校を出て有名国立大学に進んだ西さんには、基礎的なことでいつも「ん?これ習わなかった?」「ん?これは当時の新聞をにぎわせたよ」「これはね、こうしてちょいちょいって調べればこんな考えだってできるよ」と言われて、悔しかったり励まされたりしました。それでも西さんはいつもいつも私の頭を本気で扱ってくれました。「よかったねぇ、わかるんじゃん。きくみの廻りの先生や大人たちはきくみに本気になってくれてなかっただけだったね。不幸だったよ」と。そうだなぁ、不幸だったんだなぁ、頭が悪いなんて思い込まされてたなんて、と思いました。何度かそのことを想って泣きました。

「相対的」に考えさせらえて、「ランクづけされた高校やら大学があって、おまけに就職先にまでランクがあって、職業にも貴賎があって、お金があって物事に恵まれてることのほうが頭がよくなるチャンスが高い」なんていう歪んだ世の中にいたのです。成績表はクラスで5は何人、と決めるような文部省の指導があった時期にも洗礼させられました。自分の頭のよさに自信がなくなっちゃっても仕方なかったんだ、それでも私はがんばったんだなぁと思います。

そこから抜け出したから誇らしげに言うわけじゃぁありません。ただ「思い込まされてチャンスを失ってほしくない」と思っています。選んだ生き方にもう一度机に向かう時間がないのはわかります。机でなくともできる勉強や頭の鍛えかたは山ほどあります。私のお友達はみんな頭がいいです。なのに自分のことを時々「馬鹿」だと言います。私にはそれが哀しい。何を以って頭がいいと言い、悪いと言えるのか、私を納得させるほどに自分の頭の悪さの理由を話してくれた人はまだひっとりもいません←つい、「ひとり」という単語が跳ねてしまいました(爆)。

アインシュタインとその天才仲間たちに囲まれたキャサリンに、まっすぐに素直に対峙して恋を遂げようとするエドを見ていると、きっとあなたも90分間で、自分が思ってきた頭のよさについての考えを変えさせられると思います。そして見終わったらその気持を忘れないで、ずっと自分だけが持っている特別でユニークな視界で物事を見て感じて考えてください。決して自分が頭が悪いなんて思わずに。

天才であるアインシュタインでさえ、脳細胞全部使って死んだわけじゃないですからね。私もできるだけ多くの脳細胞使って死ねるようにがんばります☆

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清々しい気分

簡単に得られるこの清々しい気分ですが、なかなか難しいようです。意識しないとなかなか得がたいようですよね。

冬が寒いのは当たり前で、私は四季の中で何でもそれなりに好きでイチバンは選べないタイプなのです。なぜならば、やはり雨季と乾季しかないCaliforniaに20年近く住み、今後もまた帰りたいと思っているため、今経験できるものは、ぜひとも満喫したい!という欲が強いからなのでしょうね。冬は、寒ければ寒いほどに深呼吸をしたいと回数が増えます。肺まで冷たい空気が入ることを確認するのが大好きです。そしてやたらと清々しい。なぜだろう?と思うほど、感じるのは簡単です。

さらに、書く文章に詰まったときには、単純な計算問題や速さ、代数問題を2・3個解いたりします。なぜ?って訊かれると割りと謎解きは簡単なんですが、スキっとするからですね。そして、また新たな気持で文章にタックルするわけです。大抵の場合は、切り口が新たに見つかり、サクサク進む、という段取りになっています。

それでもNGなときには、英語の文章を探して読みます。書こうと思っていることの主題を検索にかけるわけです。そうするとヒントが転がっており、ああああああ!と思うことシキリ。ですので、とってもすっきりした気持になるのです。

パワハラをする人の特徴として、朝からご機嫌が悪い、という兆候があります。起きてから割りとすぐ、会社に到着するまでのあいだに、1日にミソがついてしまっている状態なのですね。朝ごはんが食べられないとか、奥様やだんなさまと挨拶すら交わさなかったとか、文句を言われたとかに引き続き、駅や通勤電車であまりいいことがなく、むしろムカっとしたのかもしれない可能性が高いわけです。そうなると、ヒトというのはいい加減なもので、その怒りを収めるためにどこかで怒りを表現したくなってしまうのですね。だから、八つ当たりになります。関係ない人に対して怒るのは、たいへんに理不尽なのですが、そうなってしまうのは、やはり魂が弱いからですね。自身を深く知ることができればそのようなことは、かなりの確率で回避できます。

私は人と会うときには、「ひきずり」はしないように心がけ、それでもどうしても心や頭に残っていることは、「シェア」する形で表現しようとしています。そうなるとレッスンもおもしろくなりますし、関連性をつけて話すと、レッスン内容の理解も深まります。

ここのところ感じていることは、やはり飲んだり食ったりすると、清々しい気分から離れる気持になることで、どんどん億劫になりますが、元気が出ないので、1日2食は食べる羽目になっていて、「なんとかして満腹にしないようにして、だるい気分になるのを回避できないか?」と考え続けているのですが、どうしても無理そげです。ゼリーやその他は特に元気が出る気もしないので、NGですねぇ・・・。元気が出ながらも、清々しい気分を保てるものってないですかね・・・。

梅雨にどうやって清々しい気持になるか、また機会があったら実践をお知らせしまーす。みなさまは、どの程度すっきりきっぱり清廉な気持に出会えていますか?やる気スイッチにも繋がるかもしれませんよ♪

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プロの中のプロ

Oct 19, 2005 に書いた文章です

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私は、映画 The Professional(邦題レオン)がかなり好きです。ベスト50には入ります。何度見ても泣けます。プロとしての積み上げてしまった自分を、ひとりの少女との出会いで日常のリズムを狂わされた彼は、結局は彼女のために死に行くのですが、彼の姿は、プロの中のプロを通しながらも、新たに培った人としての情愛を胸に抱いて、少女の心の中に行き続けていきます。

架空のストーリーにしろ、ありえそうなお話ではあるな、と入ってしまうのですが(シーンのひとつひとつには、そりゃ映画なんで疑問点はありますが・・・)、薄情な人には、アレ、わかんないんでしょうね・・・。

こんなへビィなストーリーを、私は美容院に行って思い出しました。12年ぶりの日本の美容院だったのですが、最初はそりゃぁもう緊張しましたよぉ。鏡だらけの間というのは、私には苦手なところです。私は、結婚式もしなければ、写真も残さなかったし、披露宴もせず、指輪も持たない既婚者なのですが、その裏には、特に契約に頼らずとも、儀式に頼らずとも、パートナーとは死ぬまでやっていけるというのが背景にあります。当然、私には、『ヒロインにたった1日でもなりたい願望』は皆無で、花道やら舞台やらという華やかしい場に、自分を置くことは、むしろ恐怖や嫌悪で、憧憬ではありません。日々、どんな場面でも試されていると思えば、そういう劇的な場は、私には必要なく、他人からの評価に振り回される機会を減らすことで、私は何とかやってきているわけです。

いやぁ、日本の美容院はすごいっすよ・・・。私は、パリで2回ほど髪をカットしてもらった体験があるのですが、創造性に富んだショートカットは、3週間後にはまたカットが必要でした・・・(汗)。当時とても有名だった彼は、その2年後、AIDS発症で亡くなりました。当時も、HIVポジティブだということは聞いていましたが、私には、なーんの差別も間違った知識もなかったので、かなりエンジョイして髪をいじってもらいました。日本の美容院は、技術は世界では、平均以上なので、どこを選ぼうともハズレが少ない、と安心して行ったのですが、この流行に乗らない私のノリをどうつじつま合わせしようかと、とても緊張してしまいましたよ・・・。

私は、ロングがどうしてもよく、合理的なので、見た目が見苦しくなければ、手入れが簡単なことがイチバンの優先なので、いまだにソバージュ系のパーマで、髪は15年ほど前から、染めており、ハイライトを入れています。真ん中で分けており、ワンレングスも無理です。何しろ、パーマが保ってしまうので、上部でも3・4ヶ月に一度くらいしかパーマをかけず、全体には1年に1回しか必要ないのです。さらに、染めるほうも、上部にボリュームがあるうちは、背が高いので、それほど他人に見下げられることもなく、10cm未満の黒い毛は隠れてしまう、という寸法です。

とりあえず、その主旨を伝えるのに一苦労・・・。けっこう??とのまなざしを浴びるのでは?と予測。当たった!何しろ、今、1年前のせいで、髪がかなりまっすぐだったし、黒い部分ももうすでに12cmには優になっている・・・・。まきこさんのところに最後に行ったのが、確か7月で、そのときはパーマではなく、髪を染めただけ。なので、上部パーマは、すでに6ヶ月も経っていたし、全体パーマは1年経っていたのです・・・。「跡形ないですね・・・」とのお言葉(笑)。

シャンプーも丁寧だし、すごくやんわりで、洗っているというよりはマッサージ?私ひとりに、最高で4人つきましたからね・・・。確かに髪が多くて長いので、巻くのはたいへんだと思うんだけど・・・。立ち位置を確保するだけでもたいへんだろうに、というのが感想でした。

責任者はチーフだったのですが、彼女には西海岸のカナダとSF近辺にお友だちがいるということで、最後はホッケーの話で思い切り笑っていただけました。すごい男率が高いことを、特に強調し、すでにシーズンが始まっているにも拘わらず、私はもう試合を5つも見逃しているのだ、とつらい気持ちを吐露してきました(笑)。

20代の男性に、シャンプーや薬塗布その他のお世話になったのですが、彼にはなぜなぜ坊や爆発的質問をたくさんして、かなりお得な気分になりました;右利きと左利き、ヘアを扱うのにどっちが有利?リンスとトリートメント、どう違うの?染まりにくい髪の構造は?アジア人は白人と比べてどのくらい染まりにくい?キューティクルと食生活やストレスとの関係。天然抽出と人工成分のヘアケア製品は、市場のどれくらい?日本にいて、世界に通用するようになるためのステップ。雨とカールの関係。流行のサイクル。などなど、私は思い切り、2時間半を満喫しました。

タダでは転ばないのだった・・・・。

プロがプロらしくあるために何をしているのか?というのも、垣間見てきました。鋏はお値段と技術に役立つ機能がピンキリなのだそうです。スタイルによって、流行によって、鋏を変えると、新人さんには莫大なお金がかかるそうなのです。「かっぱ橋で買うの?」と聞いたら、「そりゃー、レストラン店舗関係でしょう」といなされてしまいました(笑)。けっこういいモノで、5万や10万なんてすぐしちゃうらしい・・・。うひー。私の商売道具は、とりあえず、名刺と脳みそとPCくらいしかないのですが、何かすごい備品必要だろうか?と考え込んでしまいました。が、手に職は強い・・・。

貿易をやるにしても、すごい商材を獲なければ、その特性を買ってもらえず、リサーチや数字を取るのは、けこう誰でもできるし、直感のみで当たるって人たちもいるしなぁ・・・。こうして話をしていて、自分の得意分野を、お金に繋げて、食べていく、というのについて、またもや、深々と考えてしまったのでした。

The Professionalに戻ると、私はアクションが多々出てくる映画を見るたびに、自分のサバイバルスキルについて考えます。障害その2を持ってからの私は、アクション映画では、最初の15分くらいで殺されてしまう役になってしまっており、最近、またもや運動を再開しているのですが、元に戻るまで、あと何ヶ月かかるんでしょう?特に、Leonくらいなすごいサバイバル能力がなくてもいいですが、せめて、残り15分くらいまでは生き残りたいです。

Leonをビジネスパートナーに見せたことがあるのですが、感動は?と横顔を見たところ、どうも前日に見たコメディの Galaxy Quest(邦題は何だろう?)があまりにインパクトが強くて、ぼーっとして、表情を読み取れませんでした。私は、Mathildaが植木を植えなおしているときには、大粒涙がボロボロなのですが、彼女のこれからの人生を想像して、横を気にする暇がなくなりました。

私が大人になる前には、きちんとお仕事をしてくれる人に多々恵まれましたが、自分が仕事を再開してみて、当時のような期待値を持つことは甘いな、と近頃、認識しています。私が成長しすぎたのか?それとも、仕事の懸命さ基準が減ったのか?お世話になったジェントルマンたちを思い出し、がんばりまっす。

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私は今もこうしたプロ中のプロという意識が高いため、集客が下手という評判です(笑)。まさか、この値段でこんなにサービスしてくれないだろ・・・と思ってくださってしまう方が大半なのだそうで。生徒さんの知り合いやら、いろいろな人に聴いてみましたが、そういう印象だそうです。なので、嘘だろう、と思われてしまっている結果論らしい。困るなぁ(笑)。嘘なんかつかないし (・・;)

みなさんはプロのお仕事をしていますか?

吹き出物大事件

ここ3週間ほど、ものすごい吹き出物で生徒さんに心配されているおおだいらです。代謝が活発になり、細胞再生のスピードが加速している中、乾いていたり、皮脂が増えたり、まだ寒かったり、と調整がつかぬまま、野放図すぎて手入れをしていないため、ここのところ、10代にもなかったほどの吹き出物です。たぶん、このレベルは生まれて初めてです。

10代の頃、にきびもたぶん生涯で20個から30個ほどしかできていないと思うのですよねぇ・・・。それくらい代謝がまんべんなくよかった感じです。

今、更年期まっただ中でこの調整がしきれていないのは、運動量が足りないことと、睡眠時間とその時間帯がバラバラになってしまっている実感があるため、心当たりありまくり (・・;)

しかも10代で手入れをしたことがないため、今もどうしていいかわからないまま放置(笑)。さらに、私が普段からノーメイク(こう言うとかなりいい響きですが、実はだらしないがためのすっぴん)なのは、よく顔に触るからなのですね。今でも信じられない!とびっくりされるのが、アルコール入のフェイスタオルで顔をつるっと拭けてしまうのです。刺激ありまくりOKなのです。むしろ気持ちいい♪

この習慣があるため、ホワイトボードで使うマーカーのカケラやら埃、皮脂など、かなり取れるので、自分が顔に触る癖があることがよくわかるのです。

しかも、3月に入ってからは、化粧水&乳液の代わりになる基礎化粧品をつけることもやめてしまいました。そのせいでさらに肌が機能しようとがんばらなくなるのではないか?と思ったためですね。いろいろ実験です。自分の顔を使って実験するのもナニだけど(笑)。あ、このシャワー後に何か顔につけるのも、12月か1月から2月と相場が決まっています。その他のシーズンはやりません。つっぱっているかも・・・と思うときにつけるくらいで、何もしないことが良好の証(あかし)なのです。

しかも、出来物ができると「むしってしまう」という癖もあり、さらに顔に触ってしまって悪循環が続いています。そろそろ軍手でもしようかと思うほどに (-_-;)

とはいえ、ここ3週間ほどのこの吹き出物は、私に「ひょっとして花粉症にかかったか?」という疑惑までもたせました。実は、生徒さんがくしゃみや鼻をかむたびに、SympathyやEmpathyのせいで、自分も・・・という症状が出ており、家に戻るとぴたりと止むので、花粉症は単なる杞憂かと(笑)。

3月って本当に代謝が加速していることを知るいい時期です。みなさんは感じていますか?そしてこの次には、きっと万歩計研究の成果が出ます。春はいろいろやってみたい時期ですね♪

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ヒロイズムの演出

 [1999年08月31日(火)]に書いた文章です

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ヒロイズム:英雄を崇拝し、または英雄的行動を好む心情。英雄主義。
英雄崇拝:英雄の非凡な才能・人格を賛美して、これを崇め尊ぶこと。
演出:1.演劇・映画・テレビなどで脚本またはシナリオに基づいて、その芸術的意図を達成するように、俳優の演技・舞台装置・照明・音楽・音響効果・衣装などを統括・指導すること。2.式典などが効果をあげるよう工夫すること。

「まさかぁ、そんな大袈裟なぁ!」とここで大笑いされることを覚悟で、ちょいと掘り下げて考えてみたいなと想うことに、ネットでの個人の演出っていうものがあります。動機としては、なぜ私のメールの数があんなに増えていったのか、ということと、MBやネットのおつきあいのなかで「別格」と他人に思わせてしまう人がいて(私がそうだったとみなされることにもものすごい嫌悪があります)、私の居ない場所で私の話で盛り上がってしまうということが、私にとってはとても不自然なことなので、これは一度、ちゃんと考えないとなぁと想っていたからです。

私のことを何の先行イメージもなしにおつきあいしてくれている人はとても多いです。私の口や文章から得ることのみを信じてくれて、わからないことがあったら尋ねてくれて、裏をかくような心理ゲームなんか無しでおつきあいできる範囲が、本来の私にはお似合いなのだと、いつも思っています。けれどAOL-Jはものすごく会員数が増えた!←そんなもん予測できただろうが・・・!

書くという行為はとても楽しいです。文字を記すことによって得られる利益として
・すぐに消え去らないで残る
・時間が経ったときに振り返ることができる
・聞き手でしかない話し相手を読み手とすることで、おつきあいする幅が広がる
・残るということから生まれる言動の責任を自分に課し、意識をシェイプすることができる
などがあります。

しかし、不利益としては、もともと人間の感じ考えることは文字だけで表わすには限りがありすぎます。何度推敲しても「これでもかぁ!これでもかぁ!」ということが多く、最初のインスピレーションを失ってしまうくらいに何を書いているのだかわからなくなることもしばしばです。だから一度書いてから、MBなどではレスで「??」と質問されるとちゃんとレスして、答えてくれた考えに対するそのまた考えを書いて、またキャッチボールします。そうすると自然露出度が増えていきます。返事をしないことのほうがよい場合、というのが思い付けない限りは、遅くなったとしてもレスはします。

私がネットを読むことのみにせず書いて参加することにしたのは、友達を作るためでもないし、啓蒙されたりするためでもないし、書くことにより自己顕示欲を充たすためでもありません。失いかけていた書き日本語を取り戻すためと、広く他人の考えを自分に引き込むためでした。純粋にそのふたつです。

そのプロセスでかけがえのないお友達ができることはグリコのおまけよりもでっかい楽しいおまけですし、目からうろこが剥がれるほどの新発見もとても有意義です。ただどうしても私の自己顕示欲については思惑通りでなかったことが、やたらと悔しいのです。じゃ、何でHPなのか、というと、顔も見えない、私を知りたくもないだろうみなさんに向かって発信することに限界を感じたからです。「ほんとーに私にゃぁ自己顕示欲なんかないんだよぉ」と言っても信じてもらえない人に向かって、エンパイアステートビルディングが大火事になっているところにバケツの水をぶっかけているような気がしてて、とってもストレスを感じていました。私が「関わらない責任もある」と思っていたことに対して覚悟が足りなかった誤算です。

昔からの友達と帰国して飲んだときに英単語を混ぜて話をする私を疎まれたことが数度ありました。でもね、本当に見つからないのです。その場でちょうどいい、気持にぴったりした言葉がするりと日本語で出てこないことがあるんです。厭味とかひけらかしでなくて、あんまり英語をがんばっちゃったんで、日本語で喋っていても「英語圏にしかない文化でぴったりくるものとその言葉」を身につけてしまった私には、長ったらしい言葉で日本語で説明し尽くすのがむずかしいことがあります。限られた短い時間でどうやってうまく説明しようかと思ってもなかなかうまくいかなくて、ただの高慢ちき野郎と思われるのはとても哀しい。

それはちょうど九州で生まれ育った人が標準語をアクセントもなく駆使できるようになっても、自分の母国語である方言を忘れたくない、ずっと使っていきたいという気持と同じです。たまたま英語は難しいから、と考える人が多いだけで私にとってはどちらもきちんと正確に使いたいだけで、それは地方出身者の誰しも持っていることでしょう。

私は英語の効果を計算して、自分の評価を高めるために使っているわけではまったくないし、頭がいいとか悪いなんてことからは遠くとおくかけ離れたことです。

英語圏のエッセイや討論というのは、まず自分の意見や立場をはっきり言います。そのあとになぜそう考えるのかを書き、そのあとで証拠を複数提出します。そのあとに、反対意見の肯ける点を評価し、その穴を指摘します。が、ゆえにそう考える意見も理解できるのだけれど、私の意見がいいでしょう?と、最終的にはまた自分の意見でどのような将来性や解決策が見出せるか、人類としての発展性があるか、研究テーマとして価値が高いか、などをしつこく言ってから、エッセイを終えます。このほうが合理的なんだよ、と強く言われました。

私は英語のこのしつこい相手をねじ伏せるやり方に慣れなかった日本人な私だけが実在した頃には、英語力までも疑われました。英語ができてもこの理論性が理解できないならばどんなにすばらしい考えを持っていてもA(優)はあげられない、と。Religious Studies(宗教学)では同じエッセイを4ヵ月半で12回書き直したことがあります。つきあってくれた教授にものすごく心から深く感謝しています。仏教やヒンズー教や神道にも精通していた彼だからこそ、私の素材を広げることに懸命になって心と時間を割いてくれたのだと思います。その彼を見て、私は「いいところ取り」は決して悪くないと思いました。

私の日本語の書き方には英語のそういう合理性も混じっています。英単語も出てこざるを得ないこともあります。それを自己顕示欲とみなされてはとても困るのです。ただただMarginal(境界線にいる:この場合たくさんの文化のあいだにいる)な人間として、生き延びてきて、しかもそれは言い訳でなく、日本語をきちんと話したい・書きたいという態度は純粋なモノだからです。

HIV・薬剤・フェミニズム・家事分担の合理化・子育て・商業主義・宗教・言葉の含蓄・人類の可能性・動物愛護・教育・リサーチ・マスコミ情報・中絶・芸能人の生活と国民への影響・差別と偏見・水源確保・危機管理・臓器提供・ホームレス・個人の自由と権利などなどについて考えることも、私の住んでいる場所では日常チャメシゴトなのです。それについて意見を持たないことは、人類として生き延びることについて諦観していることになります。だから自分の考えなら書けます。

それをパブリックであるMBに書いたら「自己主張の強い自己顕示欲の強いヒロインぶった嫌な野郎」ですか?私はヒロインになるための演出なんかこれっぽっちもしていません。

「平凡な人間は自分の読みたいところだけ読んで他人を判断しがちなんだよ」と慰められたことがあります。裏で私を「女王様」というあだ名をつけられていたことが発覚したあとのことです。私は私の意見に簡単になびく人間なんかロクなもんだとは思ってません。きっかけにしてもらえたらうれしいですが、みんなが自分でよく考えて自分の意見を言える世の中をずっとずっと待ち望んで希望しています。そのためにたくさんの投稿数や長文で威圧感を与えてしまっていたらごめんなさい。けれども、簡潔になんか書けないくらいのシリアスな問題だってあります。千や万の言葉を尽くしてもらっても、私にもまだ解決できてない心の澱はあります。シェアできるお友達がいてくれることはとてもしあわせなことです。

ネットでいろいろな人を見ました。心からヒロインになりたい人は滅多にいませんでした。もちろん例外は何にでもあります。私も同じく One Of them(大勢のなかのひとり)です。わけのわからないヒロインやヒーローを創り上げているのはひょっとするとみんななんじゃないかなぁと、自分を責めていた私は思えるようにやっとなりました。HPを作るちょっと前のことです。自分で自分をヒロインに仕立て上げている人には要注意かなと思います。だってやっぱり、人間はみんなひとりひとりが特別でユニークなんだもの。ひとりだけが突出していることはある部分でしかないでしょう。その部分がでかいか、多いかは、私はそんなに気に留めるようなことではないと思います。

うがぁ、こういうことを書くことも「ヒロインになるための演出」だと思われたらかなりやだじょ・・・・←自分で清廉潔白に墓穴を掘っておきませう。

自分の書く日本語にかなり障がいを持っていた時期を振り返って書いたのですね、コレ。もともと多数が集る場所に集うことがなかった私は、Virtual世界で、自分のナマミがない場所でも実在するかのような仕組みの複雑さについて、まだ考えが至らないところがありました。今は、自由な場所を確保して、こうして毎日Blogをアップしていますが、けっこうな年齡にも至り、やり方も矯正されたためか、いざこざはないですね。

しかし、こうして悩んで大きくなったと思うと、感慨深いです。

 

ワークショップの原案を考える

4月には投資セミナーをやるのですが、その後も2・3ヶ月に1回は最低でもワークショップ形式で何かできれば、と考えています。無料から3000円くらいまでで、2時間から終日(7時間くらい?)のものを考えているのですが、すでに2案は考えてあります!

田代知子女史のぬり絵教室をもう1回やりたいとお願いしてあるのですが、彼女のぬり絵本は世界中で各国語になっており、いろいろと〆切があってお忙しいので、今のところは日程が不明瞭です。が、企画のお願いはしており、日程調整のみです。お知らせいたします。

さらに、「大人のための算数&数学」をすでに生徒さんにお願いしました。私個人もそうなのですが、子どもを持っている方や、Excelを使用していて「あー、世の中には数学が必要」と思っていらっしゃる方、認知症防止などのためにも、この発案はかなりいいと思っているのです。私個人は、USに戻ったら、数学を真剣にやってみたいと考えております。でないと物理や化学などをかなり上のほうになるまで極められないからで、どうしてももうちょっと数学的論理性を整えたいのでした。

そのため、私もいろいろと数学ドリルなどを探しているのですが、順番やらその他、悩んでしまうことがままあります。今のところ忙しすぎて(自分がナマケモノでThings to doをこなせていないのが問題なのですが・・・)、基本のキの徹底調査をしていないのがいけないんですけどね (・・;)

4月にも生徒さんのおひとりである水谷さんに、そしてぬり絵教室も田代さんに、そのあとの数学についても生徒さんのおひとりである中村さんに、と丸投げではいけないっ!と思い、自分でも何かやりたいのですが、夏休みには、英検とTOEICの集中講座をやることにしており、日程的にどうなのか?といろいろ考えていると、原案に困ります。

実はみなさん、心理をやってもらいたいとのリクエストがたくさんあるのですが、具体的のその中の何を、というのもあまり掴めていないようなので、ここを考えるのがどうしたものか?と思っているところです。レッスンの中で、きっとヒントが見つかるだろう、と高を括っているのですが、そんなに簡単なものなのでしょうか?(笑)

ご希望がありましたら、このお問い合わせからお申し付けください。開催します!ご意見・ご希望、Blogへの批判などもぜひともよろしくお願いいたします。

 

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英語スクールなのに、なぜワークショップを?との疑問があるかと思いますが、英語をそのまま生活に取り入れ、それについても英語で大奮闘していただく、というのが主旨です。さらに、幅の広い人間になってもらいたい、という願いがこもっています。

パターン化された情報の信憑性

[1999年08月30日(月)]に書いたものです。

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私はマスメディアだけでなく、さらっと発せられた言葉の羅列なんかもかなり気に留めちゃう人です。「いやぁ、私って性格ワルいじゃーん!」って自分が嫌になっちゃうことしばしばです。こういう瑣末な記憶力のよさっていうのは、かなり人間を生きづらくします。

西さんがとてもとても好きなのは、細かなことは別として「大筋のしっかり一貫した人」であるからで、私の好きなお友達も同じです。世の中もくるくる変わり、人間も自分のスピードでそれなりに成長し(時々すんごいめざましく成長する人いて、これもやたらすごいと感心する・・・)、瑣末なことなんかどうでもいいハズなのですけれども、こう、何と言うか、「信念」とか「大切にしている物事」のエッセンスが混ざっていることついて、一貫性がないことに気づかされてしまうと、やたらげんなりとしてしまうのです。

そういうことってないかなぁ・・・。  

外界からの刺激をすべてひっくるめて情報とすると、やっぱりこの人間が出すシグナル(言葉なり、癖なり、ジェスチャーなり、嗜好なり)もやはり情報になり、それを受け止める私としては、過去情報もかなり参考資料として自分の脳みそをパチパチと電気走らせつつ駆使して、本気で対峙しているわけですね。で、矛盾にぶつかるとやたら混乱する・・・。

でもコンピューターじゃないので、「アクセス不可能」とか「強制終了」なんかはしないわけです。情報を資料として集めるようにして、そこに流れる一貫性をまだまだ追求していったりします。

ネコの言動でもパターン化できることがたくさんあって、それの集大成が個性という性格になって私はかなり楽しい想いをさせてもらっているのですが、出遭ったこともないような、やたらイレギュラーな行動にぶちあたるときは、決まって具合悪いとか、近所にすごいいや~なネコが出現してたりしますね。じわじわな場合もあります。タンゴとハイジが来たときには少し拗ねたうどちゃんでしたが、一生懸命「環境対応」していたのですけども、3週間でりすのようにふわふわだったしっぽの毛が痩せこけました。がんばってくれたんだなぁと思います。たったの3日ほどでなかよしになってからもそのストレスは続いていたんですね。年齢のせいもありますが、やっぱり毛のふさふさ量があまり戻らなかったのでものすごい負担だったんだと思われます←今は、本当に3人なかよしなんですよぉ☆

「読めない人」というのがたまにいます。彼らの言動というのがばらばらすぎて、一定の刺激に対してどんな反応を示すのか予測がつかない人々。これには大まかに考えて2種類のことが考えられます。ひとつは「刺激に対するパターン化が自分自身でできていないこと」。これは学習の積み重ねがまだまだ足りないので、同じ経路で物事を考えられなかったり、プレーンシンプルにまったく何も考えないで行動している場合が多いです。敢えて実験的な「刺激→反応→結果」の実験を自らしている場合は特別です。そういうことで自分を切磋琢磨する人、私は大好きです。

もう1種類は「他人に自分のパターンを読まれたくない人」で、自分という人間がどういう人であるか隠す努力をしたり、知られなくないなぁと防御している場合でしょうね。こういう人は実在します。部分的には誰にでも「知られたくない部分」というのがあるのでしょうが、知られたくない部分が多すぎる人はちと精神安定的に問題がありますね。仮面人生になっちゃうのでたいへん疲れちゃいます。

どちらの場合にしても、パターンがある程度確立されていないとたいへん生きづらい、無駄なエナジーと時間を膨大に使わざるを得なくなりたいへんです。起きたときに必ず歯を磨く、あるいはコーヒーを飲む、あるいはネコのように伸びをする、あるいは新聞を寝ぼけつつ取りにいく、などなど、人間にはエナジー節約のためにも習慣っていうのは有効なことがたくさんあります。

パターン化していることがネガティブに作用することもたくさんあります。いろいろ話をしていても必ずしまいには「自分のことだけ話す」とか「知らなーい!」と今迄話を聞いていたことを全部ぶっ飛ばしてくれて意味なしにしてくれるとか、「で、で、結局は何が伝えたかったの?」と言わざるを得ないくらいに話がばらばらだったり愚痴のみだったりとか、ありますね。

もっと不愉快だなぁと思うのは、「すべき」とか「ねばならぬ」的な発言を連発するパターン。自分がこうあるべきというお話ではなくて、人類やら日本人やらネコやらいろいろを枠にはめこんだ意見のシャワーを浴びせられる場合・・・。もちろん彼らの動機はすごい高邁なのです。でも「こういう人が増えたらもっと世の中楽しくなるよね!」ではなくて、「こんなことするなんて馬鹿みたい!」「理想っていうのは・・・」になってることがままあります。

まぁ、たまにはそういうのもいいです。ナマミの身体は疲れます。誰かにただただ意味なく脈絡なく話したいこと・ぼやきたいこともあるでしょう。不愉快な場面を電車や会社やネットで見ていると、してもらいたくないこともたくさん目撃して「すべき」と言いたいこともたくさんあるでしょう。けれどもそれが何度も何度も続くと、いつしかそれはパターンとなり、その性格となっていくので注意深くステップを踏まねばなりません。

ここが私が自分がいやらしいなぁ、と思ってしまうところなのですが、その頻度の判断にやたら苦しむところ。どのくらいまでが「ストレス発散」や「疲労のためのぼやきや愚痴」なのか、なかなか判断つけられないんですね。だって人よりたくさん目についちゃったりするわけなんですもん。記憶力がこういう細かいところだけやたらいいから・・・。なぜここに注意力が行くのかというと、きっと私が他人にしたくないことだからなんだと思います。

私も人類の未来に希望を抱いているので「こういうことをしない人が増えればいいなぁ」と思っちゃうことありありです。社会的役割はわりと考慮に入れないので「人間はみんな自分で自分の行動を選択して、それに対して責任持つべきでしょ」なんて「べき論」かましちゃうこと多くて、それを聞いた人たちに誤解されて、言葉足りないよなぁ、私のこのパターンっていやらしいよなぁ、と反省したりするのですね。「学習できるチャンスや能力に恵まれているのに使わないなんて信じられない!」なんていう人間はこうある「べき論」やっちゃってるんですな。

愚痴も同様です。手術を受ける決意をする前からかなり身体や行動範囲や精神的にもまいっていたのですが、そのときも「ささやかなことから発生する愚痴」山ほどあって、某EさんとYさんにメールでもうぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ果てしなく続けちゃってました。彼女たちは「人間じゃない、たまにはあるよ、そういうこと!」ととても寛大だったんですけど、やっぱり私はそういう自分のパターンが嫌でした。IMでもYukosanやセラピストYさんにも同じことをまぁ、繰り返し繰り返し飽きもせずに言ってた・・・。

これが私の性格だと思われちゃっても仕方ないぞ、っていうくらいやってましたよ。それは私の性格じゃないんだよぉ、ものすごいどっぷり疲れちゃってて平常心じゃないんだよぉ、と言い訳しても取り返しつかないくらいオンパレードしてました。ごめんなさい←ここは告白コーナーなのか?

そういう自分に嫌気がさすあまり、他人の同じ部分にもやたらと目が行くことになり、「大筋の通る一貫性」がぐらついている他人に気づくわけで、この場合、パターン化の信憑性というのはどこで測ればいいのだろう?とまた深い謎へと突入していくわけなのです・・・。

そんな記憶力や注意力は捨て去り、毎日新鮮な目で他人を見ることはやろうと思えばできないことはありません。けれどもお友達はみな、過去の失敗も含めたいろいろなすてきだったり哀しかったりつらかったりする経験やら考えの集大成なので、それを無視することもたいへん失礼です。自分も過去をひっぺがされたらコワイです。

というわけで、情報パターンの信憑性を探る旅は今日も続くのです・・・。

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Precious One English Schoolでは、このパターン化についてをP-7、思考や情報分類についてをP-11で学んでいただいております。カリキュラムができる前から、考えていたことを、きちんと取り込めていたことについて、たいへんにうれしい確認作業になっています。P-5では、読書をオススメしており、情報の確かさについてもご理解いただいております。

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とても大切な人の大切なもの

自分の大切なものもわからないほどに忙しい暮らしはしていませんか?やるべきことに追われ、ちょっと空いた時間には、身体や心を休めることで手一杯。リラックスするために飲んだり、出かけたり、買い物をしたり、と思いきや、実はそれがさらにストレスや健康のために、あまり大改善にはなっていない・・・というような暮らしでは、健康貯金は目減りします。

健康かどうか、ゆとりがあるかどうか、を確かめるには;

  1. 自分の大切なものを大切にできている状態かどうかチェック
  2. 自分の大切な人の大切なものを、自分も大切に扱っているかどうかチェック

気になっていて仕方がなかったゲームや本、洋服など、買っても使っていなかったり、しばらく使って飽きてしまったとしたならば、それは、実はあまり大切なものではないのでしょう。

私の物欲は、ここ20年ほどでほぼZEROに等しくなってきており、もしも引っ越すとなったらスーツケースには入ってしまう感じでしょうか。いや、ダンボールで旅行するのでダンボール1箱くらいでしょうか?(笑)メモリスティックやKindle本の他、印鑑やらATMカード等のID関連以外では、気づくとステンレスの耳かきとシャーペン(1.3mmの太いやつ)くらいなもんでしょうか (・・;) メンタムリップなどの消耗品は、消耗目的なので移動した場所になければ準備しますが、そうでなければいいか・・・。

そして、私の大切な人の大切なものを、しっかり胸に受け止めて大切に扱えているかどうか?をチェックしています。難しいのは母ですね・・・。彼女は物品が多すぎてどれが彼女にとって大切なものなのか、非常にわかりづらい(笑)。なので、タッチしないことにしており、それがせめてもの尊重です。食器などもどれを愛おしく思っているのかまったく、さっぱりわからないので、my mugやmy glass以外はあまり触らないようにしており、お箸・茶碗など以外は、量産品の廉価品をわざと使うようにしています(笑)。

どうやら彼女が大切にしているのは、私との時間なようで、なるべく話したいとは思うのですが、ここのところ累積し続けている Things to do(やらねばならぬこと)が膨大すぎて、あまり話ができていません。いっしょにごはんを1食は食べるように心がけてはいるのですが、それもままならぬときには、彼女が隣にちょこんと座っているのに気づきます。一生懸命、丹念に作ってくれたごはんの内容物について話すと、彼女はとっても上機嫌になります。自分のしたことをこれほど歓んでくれる、という実感が、今の彼女の大切なものなのだということがわかります。そこでくっついてくるのは、ネコのさくらの悪態報告(笑)。多頭飼いしていたのにやはり最終的にひとりになってしまった彼女は、ここのところわがまま三昧で、食べない・振り向かない、そのくせにまたもや要求、鳴きまくり、が多いらしく、それも毎日数分報告があります(笑)。このレポートは私のそのあとのさくらの扱いにも影響があるので、とっても助かっています。

配偶者とは離れて暮らしていますが、ここのところ老いた義両親の介護問題で心を傷めています。物理的な時間が足りないことなどもあり、それについてしっかり対峙することは、ゆとりがないように見えるスケジュールでも心がけています。彼の健康がイチバンの懸念ですが、その次がコレですね。

人としてダメダメにならないように、このチェックだけは日々怠らないようにしています。みなさんはいかがですか?

 

大切2 ハートの贈り物 大切3

 

犬 大流行を体感して

Oct 17, 2005 に書いた文章です

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弟の家に来た Jack Russell Terrier(ジャックラッセルテリア)を、散歩に連れていくという名目で、弟の家に久々に行ってきました。姪っ子たちは、すでに10・8・7歳になり、わんちゃんの世話ができるということで、来てもらうことにしたようです。なにやらたくさんの資料をリサーチして、種類を決めたようで、12万の高値でのお買い物だったようです。

私の感覚としては、犬やネコは買うものではなく、「拾ってくるもの」「もらってくるもの」という観念があり、私のネコたちは、すべてSPCA(半民営化・半公営化している保健所)でもらったか、野良猫を拾ってきたか、飼い猫が私の家で子猫を産んだ、というアクシデントの子たちです。しかし、わんちゃんはそういうわけにはいかないのでしょうか?私は、将来、でっかい家に住み替えて、1日2回の散歩をしなくていいくらいの庭があれば、Rotweiler(ロットワイラー)が欲しいのですが(とてもいい想い出あり)、それもSPCAで調達したいと考えていました。が、甘いのでしょうか?いなければ、他のわんちゃんでもかまわないですし、殺される命をひとつだけでも阻止したい、という想いです。

が、弟の家はそれでいいのですよ。彼らの決めたことです。

多摩川から徒歩1分のところに家があるので、わんちゃん仲間はたくさんいて、私はその風景にとても驚きました。小型犬の数が圧倒的で、お座敷わんちゃんが大人気です。私がくっついて行ったお散歩コースに集うわんちゃんたちの6割以上が小型犬。3割が中型犬。大型犬は、わずか1割でした。住宅の広さも関係しているんでしょうね。私は個人的にそれほど小型犬には、魅力を感じないのです。これは個人差があるので、異論を唱える主旨はまったくありません。ネコのサイズに慣れているので、どうせわんちゃんに家に来てもらうならば、でかいほうがいいよな、ってなだけです。気質も大型犬のほうが私には向いているようです。我慢の限度領域が広いほうが、ネコと同居してもらうのにいいし、あまりに愛を求められても、私はかなり冷たく忙しいやつだからですね。

恐ろしいほどの規律があり、わんちゃんお散歩グッズには、その地域ではマニュアル化しています。水のボトルに器、糞を取るためのシャベルにビニール袋、ティッシュ、吠えたときのためのおもちゃなど。喫煙者は、わんちゃんのそばで吸ってはいけないので、遠く数十メートル離れて、携帯灰皿も必要です。日が暮れてからのときのために、夜用の蛍光帯のついたリールを持ち歩く人や寒くなったときのわんちゃんの防寒着装備の人もいたり、犬笛やボール、おもちゃや骨スナックなど、袋は満杯状態でした。しかも、日本は、ペット用の品物が高い!USは天国のように安いと感じました。この差は何でしょうね?

うひー、たいへんだなぁ、というのが、マメではない私の第一声でした。さらに、光にかなり弱い弱視の私は、サングラス常装着なのですが、それもわんちゃんには×。瞳が見えないことで、恐怖心を煽ると、弟にこっぴどく怒られ、めくら状態で過ごしました。が、わんちゃんは夜は視力が落ちるので、人間のほうが我慢せねばならぬようです。うーむ、たいへんだ・・・。

私は、動物は、蛾以外はすべてOKです。蛾はあの幾何学模様を見てると、目がグルグルしてしまい、ペーズリー柄と同様の理由で、得意ではありません。が、蛾が嫌いなわけではないです。蝶々は、色が派手なので、柄よりも色に注目できて、グルグルにはなりません。

わんちゃんも、お友だちの家で慣れているので、扱いも心得ている、と思っていたのですが、事実、わんちゃんの扱いは、あまり杞憂項目ではないです。私の気性や世界観から行くと、飼い主さんたちとの関係にげんなりしそうでした。Jack(名前もラクに種類から取ったそうです)は、まだ3ヶ月の赤ちゃんなので、1時間半で散歩は終わりましたが、少し大きめのテリアや、ミニチュアではないダックスフンドなどは、2時間以上遊んでいましたから、飼い主さんたちは本当にたいへんです・・・。私はアレには混ざれない、と強い確信を持ったのでした。

女性がほとんどでしたが、小学6年生の男の子は、この30歳以上の女性たちの集まりで、酷評を浴びていました。彼は確かに変わった子かもしれなかったです。が、私は特に悪口を言う材料が見つかりませんでした。私がおおらかすぎるのか?それとも、この日に限って、ご乱行が少なかったのか?彼のわんちゃんは、チワワで、他にも2匹いるそうですが、いつも1匹だけの散歩に来る、というのだけが、少し不思議ではありました。

ある男性が、2匹いるわんちゃんのうちの1匹から目を離している隙に糞をして、ひとりの女性が、そこまで駆け寄り、糞があることを確認してから、その男性のことを「あの人いつもなのよねぇ」とひとしきり悪口を言い、彼を見つけると、大声で、「してますよー。ちゃんと取ってくださいね」と念押しをしていました。きつい締め付けだなぁ、と私は思ったのですが、「ひとりのだらしない人の行為で、犬をここに連れて来れなくなったら困る」という飼い主ソサエティの掟なんでしょうかね。

Jackはチビちゃんなので、とても人気があり、たくさんの人たちが触ります。Jackにもお気に入りのお友だちがいて、30匹ほど集まった中にも好き嫌いがあるようでした。わんちゃんたちのそういう素直な思惑をよそに、遊びをケンカと勘違いしてすぐに止めたりすることもしばしばでした。

わんちゃんを連れていない人々にとっては、カラーからリールを外してしまい、放し飼い状態になることは脅威ではないのかな?と思ったのですが、たくさんの数になると、自然にみな放し飼い・羊の放牧状態のようになっていました。USの公共公園でアレをやったら、たいへんな文句が来ますね。誰もいないことを確認してからやってます。あるいは、周りの人たちにきちんと説明して、許可をもらってから、です。私は動物何でもOKなので、いつも「気にしないで、大丈夫よー。自由に走り回らせてあげてー」と答えています。私の家の近所の人造湖のある公園では、湖の周りがウォーキングコースになっており、周回すると3キロちょい。わんちゃんを連れている人たちは、みないっしょに歩いています。たまにチワワなどの小さいわんちゃんにはきついようで、ポケットに入れている姿なども見かけます。周りにある芝生に座って放している場合には、周囲には他の誰もいません。追い出したわけではないでしょうね。が、多摩川っぺりでは、「犬が増えてきた!」と帰る親子や、サッカー練習軍団がいました。

「予防注射は終わった?」などという牽制も飛び交い、不文律の締め付けを感じました。確かにわんちゃんをケアするのは、飼い主の義務なんですが、飼い主も管理しているお互いの作用というのを強く感じました。

うーん、次は、姪っ子たちの運動会か何かで、公園や小学校の人間ウォッチングをしようかな、と思っています>懲りないやつ(爆)。私には無縁のこういった集まりは、見ている分にはとてもおもしろいです。入る意志がないからでしょうね。が、Jackはとてもかわいく、できることなら、さらってきたいところでした。また行こう♪散歩はみんなが来ない時間を聞いてからにします(笑)。

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ちょいとした里帰りのときに感じた風景なんですが、日本はなぜわんちゃんやネコちゃんを鑑札制度にしないんでしょうね。けっこうここが抵抗感です。本日、画像を探しているときにQuotesで泣きました (・・;) わんちゃんに家に来てもらいたいなー。

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