何歳に戻りたいか?

10年以上前に書いた文章です:師走だから手抜きをしているわけではありませぬ!膨大な数の文章をどうしても、このサイトに保存したいためなのです。1,300ほどあるので、ちょいちょい登場します。

前にもちょろっと書いたかもしれませんが、よく「できることなら何歳に戻りたい?」という仮想質問が飛び交うことがあります。夕べもTomというミシガンに住む男性に “Where in the world would you like to build your dream house if money wasn’t the object?”(「もしもお金に制限がなかったら世界のどこに夢の家を建てたい?」)と質問して悩ませていたおおだいらです♪(^○^)>ちなみに彼は南仏でした。前の会社で20回以上出張に出向いていて、南仏まで足を伸ばしてバケーションをよくしたんですって♪そもそもこの質問は、カラオケの画面で透き通ったきれいな海を見たからなのでした>連想ゲームはこんなときでも続いているアタマであった…。

ちなみに読書中の西さんに質問したところ、「別に戻りたいとは思わないね」でした。理由は、「かなわぬことを思ったってしょうがないじゃん。今あるものを大切にするのよ」でした。←鹿児島弁のイントネーションが伝わらなくて残念である。(>_<)

何歳に戻りたい

けれども、ゆうべの質問には、「スペイン」と答えていたので、スペインに夢の家を建てることは可能なターゲット範囲だと思っているらしい…。まぁ、別荘だっていいんだし、カトマンズとか答えなくてよかったなと思う。チョモランマで遭難でもされた日にゃぁ、ちとたいへん♪(・o・)

たとえそれがかなわないとしても、私は仮想ゲームがかなり好きです。
>もしも1億あったら。
>もしも男に生まれていたら。
>もしも理科系に小さい頃めざめていたら。
>もしもオリンピック級のスポーツ選手だったら。
>もしもガン家系ではなかったら。
>もしも日本人に生まれていなかったら。
>もしも戦中に生まれていたら。
>もしもうどちゃんと近所のネコに生まれていたら。
>もしも安保や大獄事件に巻き込まれていたら。
などなどと、果てしない「もしも」遊びは続きます。その都度、ちゃんと私なりに答えが出て来ていて、その答えは時間が経過してもそうそう変化していなくて、それもまたおもしろいことです。←多少はもっと具体的になっていたりとか、可能性がより広がっていたりとかね。でも確実に肉付きがよくなっているって感じで、明後日の方向でない確率が高いです。

私の幼少時代は決して誰かが羨ましがる種類のものではなかったと思います。けれども今私が考えるに、とてもとてもしあわせを招く環境と事件に満ち溢れていたと思うのです。今でもそれは続いています。しあわせになれないとはまったく思ってないし、今でも8分のしあわせは常に感じていて、足りないものに向かっていける前のめりな態度があるのは、やはり子どもの頃からの慣れや当時の学習の獲得から来ていると思うのですね。

あの事件があって、あのときと違うことをしていたら、と仮想することはあります。けれども、どう考えても違う選択をしていたとは思えないわけです。それは私が聖人のような完璧な選択をしてきたからではなく、その失敗をしなければ私は今の私にたどり着けなかったからです。ええ、ええ、散財もしました。馬鹿なこともやりました。たくさんの場面でたくさんの人を傷つけてきたし、ケンカも大袈裟なのをたくさんしました。たくさんの人に死なれたし、たくさんの生命の誕生も見ました。すべきだとわかっていることも何度となくスキップしちゃいましたし、やりすぎて失敗も招きました。肩に力を入れすぎたり、のんびりしすぎたり、調整が効かないオロカモノに成り下がったことも千回や一万回では足りないことでしょう。こんな年齢になってまで、ネットでの見えない実体があるのかないのかわからない論争やイメージや悪意にもならない人間の性や業がクリアに説明できずに、Self-presentation(自己表象)を大失敗してしまった、というのも数度あります。でもそれらも必ず無駄にならずに糧になっているし、なかったもの、として処理して忘却するつもりはありません。

失敗や挫折を恐れない自分になれたことが宝物であると思っています。誰かの顔色を窺いすぎないことがアダになることもあります。けれども私はそれを出発と考えます。Guess Game(推測ゲーム)をやっているほど私には時間がないように思うのです。せっかちと言われるゆえんもここにあるかもしれません。コミュニケーションの過剰というのはあまり目の当たりにしませんが、不足というのはしょっちゅう見ます。サイキックになれと言われてもムリなものは無理です。人がそれぞれ感性が違うのは、尊ばなければなりません。引っ込まれてあとで恨まれるよりも、「何でも言ってね」が得策です。私も他人に期待して恨みたくないので、フランクにコミュニケーションします。押しが強いと誤解されても仕方ないことです。

まちがいから学ぶことはおそろしく大きいものです。少なくとも私はそうでした。何度も同じ失敗をしたらやはり私のやり方が間違っていたのだと降参せねばなりません。けれども失敗しなかったらわからないことも多かったと思います。そうやって少しずつ共感することを学び、自分で失敗せずとも臨場感を得ることができるようになってきたと思います。

やりなおしたいことは大筋としてはありません。同じ、あるいは似たような系統の選択をしていたことでしょう。今と同じ智恵と知識と感情幅とコントロールを持っていたとしても、私は何歳にも戻りたくないですね。あんなに一生懸命だったことをもう一度やりなおすと思うだけで、ため息が出て来てしまいます。(・o・)←おばば発言なのか?

戻したいものは年齢でも環境でもなく、強いて言うなら体力ですか…。フィジカルな重力に負けないおっぱいや筋肉とか。(-_-;)

でもそれは身体のことで、私は生命力の強さを強く信じているので、ある程度までならいくらでも戻せるような気がしています。新陳代謝が落ちてしまった身体機能を戻すこと、それに成功すればたいていのことは可能じゃないかと思っています。もちろん私には決定的な心肺機能や血液やホルモンの病気がないから言えることです。持病がありますが、それも長年のデータ集めと実践がもたらした自信があり、それに支配されずにうまくやっていくことは可能であると思っています。

フィジカルに年を取ることは、メンタルに充実することにしたいと思っていますが、それに対して抵抗することはあきらめません。あきらめることが自然なことかどうか、というのはその人の考え方にもよりますが、私はあきらめないことが自然なような気がするのですね。

こうしていろいろなことがクリアになると、どうもやっぱり年は楽しくとって行きさえすれば、べつだん若い頃に戻らなくてもいいんじゃない!ということになります。あ、ひとつだけ大きな後悔はありますね。10代のときに、10代の男の子ときちんとつきあってこなかったこと(爆)。私は同い年の男の子と高校生を過ぎてからつきあったことがないのです。なぜかいつも年上で(昨日のFabに繋がっていますな♪)、それでも特筆すべきなほどの年上でなかったことがあります>2・3歳とか6歳とか。9歳がいちばん大きい年齢差かなぁ。で、今の体質や考え方でいくと、もう10代の男の子とは到底恋愛などできるわけもなく、これは果たせぬこととなりました。(>_<) でも、やっぱり既に20代の男の人とはおつきあいできないだろうしなぁ>特例はあるかもしれないけど…、そっちが私を選ぶとも思えないし。(-_-;)

と言うわけで、あなたは何歳の頃に戻りたいですか?もしも中学生や高校生に戻してもらっても勉強を一生懸命しないだろうか?するなら戻ってみるのもいいかもしれないです。今日のテーマのおススメ映画は、Peggy Sue Got Married(邦題わからず)です。キャサリン・ターナーとニコラス・ケイジ(まだ髪がふさふさ♪)主演の映画です。見てみてね♪

 

母は強し

アメリカに住んでいる頃に書いた文章で、10数年前のものです。母はすでに77歳になりました。来月78歳になります。

 

私は、母をとにかくあらゆる人に会わせてしまいます。私が小学校3年のときに、家が貧乏だからイヤだと言い張り、彼女を大きく傷つけて以来からの習慣です。それまでは、着たきりスズメな私でしたが、立ち居振る舞いに貧乏を出したくないといつもびくびくしていましたし、近所の友だちと放課後は遊ぶことにしていて、学校の反対側に住んでいる友だちとは遊んでいませんでした。

母は、私が幼稚園の年長のときに、自分の母親を子宮ガンと転移ガンで亡くしました。もともと引っ込み思案で、どもりや対人恐怖症があったのに拍車をかけ、裡にこもり泣いて食事もしない日々が続きました。お手上げ万歳になった父の計画で教習所に強制的に通わされ、教習車で教官が何度も母を送り届けてくれました。運動神経も鈍い上に、心理的負担が大きく、彼女としては未知の世界であり、母親を亡くした傷も癒えているわけではなく、かなりのオーバータイムの上、やっと車の免許は取れました。が、その頃から少し、母のなかで何かが変わってきたようです。

その後、家で内職をしているときに、カルピスにジンを入れて飲むようになりました。カルピスを飲むと舌に膜ができ不愉快だという話をすると、叔母(母の妹)が、「おねえさん、ジンをちょっとだけ入れるとなくなるよ」と言ったからです。その頃の彼女は、とても無知で、アルコールは「ビール」「ウイスキー」「日本酒」しかないと思っていたので、ジンがアルコールだとは思わなかったのでした(笑)。そして、朝、家事を済ませたあと、内職をし始め、私たちが学校から戻る頃にはすっかりいい気分になっており、なんと、2ヶ月以上もその原因がわからなかったのでした・・・。

ある日、お友だちの家で開かれるお誕生会のことについて話すと、「うちは呼べないね」と。そこで癇癪を起した私は、「貧乏なんて大っ嫌い!なんで私を産んだのよ!」と致命的な一言を発してしまったのでした。近所の友人が、影でそれぞれの家の経済事情などを話すこともなく、幼いときはそれでよかったのです。が、新興住宅地で建売がたくさん建ち始め、粋でおしゃれなお誕生会をやることが流行になり、私はとても肩身の狭い想いをするようになりました。「一生懸命なんだけどどうしてだろうね」と、祖母が死んでしまったときの後のように意気消沈した母を見て、私はものすごい反省をしたのです。

そして、「貧乏でもいいから友だちを呼ぼう。母を見てもらおう」と決意したのでした。それから、学校に忘れ物を届けに来てくれた母をバンバン紹介するようになり、「引っ込み思案じゃダメだよ」とPTAの役員の書記を薦めたりしました。洋服をとっかえひっかえしたり、楽しそうで、それでも緊張して、PTAにも参加できるようになりました。

明るくなった母は、それから外のスナック通いを始めます。2学年年下の弟は、まだ夜が怖く、暗闇を怯えて姉としてはたいへんでした。外から鍵をすべて掛けて出かけてしまっていたのです。今レポートすれば、虐待母として家裁に連れていかれちゃうことでしょう・・・。が、時代はそうではなかったのでいいのです。叔母のジンをアルコールだと理解してから、お酒を飲んで酔った気分が大好きになり、現実逃避の場所をやっと見つけたんでしょうね・・・。

明るくなった母は、それからもだんだん明るさと強さを増していきます。どんな友人も、私の母を楽しい人だと褒めてくれますが、母親じゃないからラクだろね、という感想はあります(笑)。私が体験したよりもずっと、想像を絶するほどの貧乏暮らしをした母は、一度も新品の教科書を使ったことがありません。民生委員の人が中古の教科書を家に届けてくれ、土間にはだしで降り、畳のない暮らしをしていたくらいです。そんな母は食べ物に弱いっ!

隣のおばちゃんがおまんじゅうを1個くれると、母親らしい母親ならば、弟のいる私と弟に、半分づつ割ってくれると予想することでしょう・・・。が、私の母は違うのですね。お風呂や物置やトイレ!に隠れておまんじゅうを独り占めして食べてしまいます(爆)。「ただいまー!」と駆け足で玄関に入ると、口をまだもぐもぐさせた母が立っていたりしました。今でも、「あげるよ」と譲ることはあまりせず、してくれるときは、何が彼女をそうさせているのか?と疑問を抱えてしまいます。「具合悪いのかな?」「コレ嫌いなのかな?」と。

私がバイトで稼ぐようになって、最初にしたことは、自分の口紅を自分で買ったり、下着や洋服を限られた予算のなかで買ったことですが、二番目は「母に食べさせること」でした。ウェイトレスをしていたので、家の食卓に出ないものが出ると、社食割引で半額になるので、母を連れて行ったものです。彼女の誕生日のときには、盛大に都会のど真ん中に連れていったり、USに来たときも同じように食べ物で釣るのですね・・・。

ちなみに、USの一皿の盛りは、日本人が慣れているものとはまったく違い、とてもとても量が多いです。シックなレストランは別としても、ファミリーレストランの量はハンパじゃありません。私の長い渡米の17年のなかで、そのお皿を平らげた女性は二人しかおらず、ひとりは母で、もうひとりはまだ21歳だったわが社で働いてくれている女性です(笑)←登場させてごめんよぉ。ちなみに、彼女と母はなかよしです。私は17年のあいだ、一度も完食したことはありません。

私とリアルタイムでおつきあいすると、日本での食事にはもれなく母がくっついてきます。韓国料理の冷麺を生まれて初めて食べたときのコメントは;うわぁ、こんなおいしいものを41年も見逃していたなんて!倖せのひとつを見逃してたわ。他の食べ物でもよく言いますが、コレ(笑)。

そんな母が切なくなり、二度目に大きくかばったのは、父の通夜と葬儀のときです。泣いてどうしようもなく、それでもこまねずみのようにくるくる働かなければならなかった母は、泣きながらカツどんを食べていました。「だんなを亡くしてよくもあんなに食欲があるわね」という陰口をたたいた人に、ケンカを売ったのは私です。

こんな母にもらった私の一番の宝物は、楽観的なところです。よく働き、たくさん苦労しましたが、彼女は一度たりともギブアップすることなく、いつも物事を楽観的に見てこれました。ときどき躓いてはいましたが・・・。そして、また数ヵ月後、彼女をUSに呼び、盛大に働いてもらう予定です。掃除や裁縫、整理整頓が得意な母の娘は、どれも平均点くらいしかできません。この前は、ソファカバーと椅子カバー、布団カバーを縫わせてしまいました・・・。貸してほしい人がいたら、私がエージェントですのでご連絡ください>でも、食いますのでご注意を(笑)。

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おかげさまで母はまだまだ食い気中心にかなり働いてくれています。家で英語を教え始め、その後オンライン化し、実店舗まで調布駅前に作っても、彼女だけはあまり変わりません。私のことを「おねえちゃん」と呼ぶので、ガイジンの友人に「あれ?きくみはママのおねえちゃんなの?」と突っ込まれて笑っていました。相当受けたようです。「そうよ、私はまだ40代なの♪」などとおちゃめでした(笑)。

母は強し

TOEICについての考え方

安倍政権では、すでにTOEIC離れを宣言した様子を呈しています。が、安倍政権や文科省が、国力増加として望む理想形は、現在存在する英語検定ではTOEFLが近いとはいえ、ビジネスマンには少し遠いものです。なぜならば、TOEFLは英語が第二言語である人々が、英語で授業を受ける大学受験のための英語力があるかどうか?を問うものだからです。

TOEFLをしっかり勉強しようと思うと、個体差はあれど、TOEICの10倍くらいの時間がかかるのではないでしょうか?なぜならば、Speaking&Writingの要求されるスキルが比せるものではないからです。現在、TOEICは、Listening&Readingしかなく、これまで独学でがんばっていらした方々は、英会話との両立にて、話せるようになることについて、「うんと遠いなー」とばかり思わされてきたはずです。

英会話スクールも、日本人の発想で、さらに日本語で構成を組み立てているあいだは:

  • よくある日常的な言い回しを紹介し、それを話せるようになる
  • 日本語で暮らしている言い方を英語として発する→ それを英語風に直したものを紹介する

という【日本語主体を英語変換する方法】を採用してきました。

そこでの弊害は、考え方や文化への理解が入らないことにより、実際に伝わる:Communicativeな表現になりきらないものが多々混ざる、というとても悲しいものでした。昨今になり、ようやく、

What time is it now? とは言わず、 Do you have time? と表現するなど、けっこう浸透してきたのですが、実にNOVAの台頭→バッシング→再生は、1981年から始まっていますので、日本国民に届くまでに30年以上掛かってきたことがはっきりします。

その他、多くの英会話スクール・英語スクールも、精力的なNOVAに追随し、そこから

【Native講師神話】を披露できる ベルリッツやGABA、ECCなどが、多少値段が高くとも生き残りし、コミュニケーションに着目して、今日に至ります。

日本人の英語熱が、ケイコとマナブで継続的に1位を続けるようになってからは、もう15年以上過ぎています。その理由は、企業で、TOEICで英語力を測ることが主流になったことや、企業での公用語として英語を取り入れる風潮が定着してきたからです。

2010年代、日本の英語事情はますます深刻化してきており、実際に英語を日本語と同じくらいに使えるようになるためには、上記のようなレッスンでは効かない!ということがわかってきています。

【日本文化に着目】

【脳に着目】

を経てきているのですが、Precious One English Schoolでは、これまでのすべてをひっくるめ、まず

【日本語と英語の違い:文化や歴史、生物としての進化を含む】を詳細にレッスンに取り入れ、

【日本語だけで暮らしてきたマインド】に着目したレッスンを展開しています。さらに、英語教育内で大きく顕微鏡検証されてこなかった物事なども取り入れ、Nativesでは説明しきれない細部までを、大人のみなさまにストーン!と腹落ちまでしていただけるよう、身体・頭・心のすべてで理解していただいております。

ですので、TOEICは「やっつけたい事情がある人たち」が取ればいい、という考え方ですし、実際の実力がつき、日本語とさしたる変わりのない英語が使えるようになることを目標にしていただいております。

TOEIC900点超えをしている人たちでも、話せない人たちはまったく話せないという現象ではなく、理由を詳細に説明できるスクールに通ってください。でなければ、あなたのその時間と情熱とお金、全部無駄になります!

が、TOEICのスコア、びっくりするほど上がります。だって、英語力の一部ですもの、TOEICで問われている問題は。

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Things to do list

行方不明のあの人

 [1999年08月02日(月)]に書いたエッセイです。

2年ほど前に私は「初恋の人」の実家に手紙を出した。渡辺淳一の失楽園が日本で流行っていた頃である。17年前からの突然の訪問者なんてとってもおもしろいなんじゃないかと。

中学3年の卒業式以来一度も逢っていない トッポ・ジージョに似た背の高い、とっても冗談のおもしろい男の子だった。別段男前ではなかったけれど、とてもユニークでおどけた暖かい顔が好きだった。私が彼に恋をしたのは、小学校5年2組の2学期で、人気のある数人の男の子を私の班(←なつかしい言葉ぁ・爆)で独占してしまった。くじ引きだったので、誰も文句が言えないまま、席替えになった。

小学校2年と4年のときにも好きだな☆という子はいたんだけれど、どきどきのマグニチュードがまったく違った。「いっしょに遊びたい」「手をつなぎたい」ではなくて、小学校5年、たったの10歳の私は、彼の将来が見たいと思った。私がそばにいなくてもいいから、彼が将来どういう男の人になるのか、見てみたいと心から思った。だから私の初恋は彼なのである。

班のなかでさらにくじ引きをして、私はWくんの隣りになった。1学期にいっしょに学級委員になって2学期からはいっしょに放送委員になった。私が追っ掛けしたわけじゃなくて、本当に偶然だったのである。授業なんかあんまりおもしろくなかった。彼の隣りに座って、彼の筆箱や消しゴムでの消し方や鉛筆の持ち方を見ているのが本当に楽しかった。彼の席の右上、私の席の左上に四角を書いて、そのなかに数字を入れた。手をあげて発言するたびに、その数字は増えていく。1週間で勝ったほうが遊びの種類と場所を指定できるとか、秘密をひとつ聞けるとか、そんなくだらない遊びだったと思う。

お兄さんがいる彼が話すビートルズの話、当時流行っていたローラースケートゲーム(憶えてる?東京ボンバーズとか)の話、ノストラダムスの大予言の話 なんかで、Wくんの冗談の質のさらさら音とと頭がくるくる回転する音が聞こえてきそうだった。

彼の指はとても細くて長かった。その彼が何かをするところを見ているのはとても楽しかった。朝礼のときにマイクのコードをくるくるとまとめたり、ボールを扱ったり、給食前に手を洗うところを見るのも好きだった。

好きだなんてカケラも言えなかった私は、そぶりも見せられなかったあまのじゃくだったので、他のクラスのかっこいい男の子と交換日記をしていた。その子のことを数度Wくんに聞かれて、「うん、楽しいの。おもしろいの」と何てクールだったことか・・・。私は愚か者だったので、交際らしきものを申し込まれるととりあえず手紙の交換をしたり、公園や図書館で遊んだりしちゃう子だったのだ。で、「ん?あんまり好きじゃないぞ」と思うと遊ばなくなるような、とても単純な子だった。

Wくんが小学生なりにつきあおうとか先に言ってくれたらしあわせなのになぁ、なんて馬鹿なことを考えつつ、他の子を断る大きな理由にもならなかったのは、私はWくんは「みんなのもの」のほうがいいなと心底思っていたからだ。それくらい彼には価値があると思っていた。ひとりの女の子が一人占めなんかしちゃだめだと。そんなの神様だって許すわけないぞ、と。

卒業文集に彼は「日本脱出」と大きな文字で一言書いた。私の心にその言葉は呪縛のように埋め込まれた。

楽しい楽しい小学校を卒業し、私たちの小学校の生徒は全員同じ中学に行く学区になっていた。Wくんとは違うクラスになり、それでもまぁ、見れるからいいや、とのんきにかまえていたら、私と同じクラスのバスケット部の子が交際を申し込んだと言うではありませんかぁ!しかも私はその子となぜか「つるまない静かななかよし」だった。何となく男の子にモテる子同士で牽制しあっていたとでも言うんだろうか?距離を置いたなかよしだった。その後3年、私は相談を受けたり、想い出話を彼女に披露することになる。

彼らは中学3年を通してずっと交際を続けた。楽しそうだった。同じバスケット部でWくんは輝くほど上手ではなかったけれどレギュラーで、その友達はキャプテンで。卒業してから彼女から、Wくんと別れた話を聞いたけれど、私は「あまのじゃく・申し込まれたら誰でもつきあってみる状態」をずっと続けており、Wくんと逢うこともなく歳月が流れた。

それでもずっとずっとWくんは私の大切な人だった。

ことの起りはUSチャットで知り合ったウィットに富んだ2つ年上の男の人が、故郷のオハイオにひさしぶりに帰る、同窓会がある、という話だった。少しだけ私はWくんのことを思い出した。彼がオハイオから戻ったあとのIMで、彼の初恋の人が彼に向かって”Why didn’t you ever tell me that you liked me. I always liked you.”(「私もあなたのことずっと好きだったのに、どうして言ってくれなかったのよ」)と怒っていたという、おもしろい話を聞いたからだった。

“But I was really really happy that I got to know that she, very beautiful, interesting, spakling girl, actually liked me! I could live happily another three months because of this.”(「でもねぇ、とってもうれしかったんだよ。あんなに美人でおもしろくてキラキラしている子に好かれてたなんていう事実を知ることができただけで、僕はあと3ヵ月は楽しく暮らせるなぁ」)と彼は言った。”How about your first love?”(「君の初恋の人は?」)と聞かれて、”Oh, he would never know that I liked him.”)「あ、彼も絶対に私が彼のことを好きだったなんて知らない」)とその場で答えた。”Then, why don’t you let him know that, and make him another happy guy on this Earth.”(「じゃ、ぜひ知らせてこの世にもうひとりしあわせな男をつくりださなくちゃ」)と彼は答えた。

しばらくWくんのことを考えていて、手紙を書き始めた。あまり長くなく、かといって意味の通じないモノではなく、主旨をはっきりさせて書きたいと、頭をかかえつつ書いた。便箋を何枚も何枚も破いて丸めて棄てた。

連絡先がわからないので、母が調べてくれた実家の住所に出した。「住所不明のため~」「転居のため~」という郵便は1ヵ月経っても戻ってこなかった。

半年後、インドネシアからたくさんのスタンプが貼ってあるエアメールが届いた。Wくんからだった。中学を卒業してからのまるっきり大雑把な時間の経過とその感想、彼の初恋の相手も私だったということが書いてあった。結婚していることも書いてあり、彼はこの先彼の人生がどうなるか予想がつかないことも書いていた。

最後にはっきりと力強く、「生きていていつか必ず逢おう」ということと、「この初恋が相思相愛だったことは、地球がひっくり返ろうとも動かせない事実です。この事実からもらえる元気をありがとう」と書いてあった。

彼の住所もE-mailアドレスもなかった。私の相思相愛の初恋の人はまた行方不明になった。地球はひっくり返るだろうか?その前に私は彼に逢えるのだろうか?

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日本に戻ってきたあと、彼と連絡を取るということはなく、探してもいない状態なのですが、そろそろ探してみてもいいのかな(笑)。んー、もうちょい著作などが増えてから、などとも考えてしまうのですが、逢えないだろうなぁとは思ってもいるのです。なつかしい気持はこうして募るわけですね(笑)。けれども、ふたりとも日本脱出しててよかったです♪

 

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んじゃ、英語の極意

昨日のぬり絵の極意で書いたように、すべてに共通することとして、「目の前にある作品に対峙して楽しむこと」は、当然英語にも当てはまります。もう少し言い直すと、「目の前にある英語に関連することに対峙して楽しむこと」です。

日曜日(13日)に体験レッスンをしてくださった方がいらして、すぐにその場で入っていただくことになったのですが、多くのみなさんの参考になるかもしれないので、ぜひとも書かせていただきます。

  • 英語が話せるようになりたい!という気持は人一倍あったので、いろいろな学校に行ったり、カフェレッスンをしたりした
  • それでも、まったく進歩しているとは思えないまま、英語ができるようになった人の本をたくさん読んだ
  • 英語は難しすぎて、自分なんかには出来る気がしないと思っている
  • やればやるほど、何が正しい英語勉強法なのかわからない
  • 日本語を書いて、英語に直す
  • Nativeではない人とメール交換。が、とても時間がかかるので1ヶ月に1回程度になってしまっている
  • なぜ自分が、英語が好きで、英語にこだわっているのか、はっきり明確になっている答えはない
  • すでに本気になってから5年経っている
  • 物事を深く考えてきたつもりでいたが、実際にはあまり考えてきていなかった
  • とりあえずは、とても易しい中学レベルの本を1冊こなそうと決めて、買ったが、まだ手をつけていない

などなどということを、レッスンの冒頭でいろいろ話していただきました。その後、無料体験レッスン開始。上記のことに関する細かい事象や、心持ちなどは、さらに付け加えられていったのです。みなさんは、この中で当てはまることはありますか?

Precious One English Schoolは、すべて解決いたします。独学の準備というのが、心理レッスンの最初にあるのですが、そこでそもそも、「価値のないものにお金を出すな!」ということを学んでいただいております。なぜこんなことが言えてしまうのか?というと、方法論に自信があるからです。実際、通っていただいている生徒さんから、伸びないという理由は、自分の工夫が足りない、時間が調整できない、意志が弱い、疲れているから、英語とは別のところで問題が起きている、等以外にはなく、そのノウハウはいろいろ披露しているので、みなさん通い続けて進化し続けております。

何度でも取り放題!ということにより、レベル設定をせずとも、同じことを学ぶ中で、どの程度の進化なのか?で、誰かと激過酷な競争心を燃やす必要もないですし、心理レッスンで、他者を羨むことや、他者と自己の距離感なども学びますので、楽しいことやポジティブなことに着目していけるようになります。

TOEICや英検レッスンなどでも教えるのですが、選択肢が多いものから選ぶことができないまま、たくさんのものを雑多に読み、知識を得て、真逆のことについてどう処理していくのか?という技術や経験がないまま、大金を投入し、時間を掛けていくのは無駄が多すぎます。ですので、その知識をどのように眺め、どのように分類し、どのように評価し、どのように自分に合わせていくか?を、心理レッスンで学んでいただいています。

日本語は日本語で、英語は英語で、という態度を貫いていけるような方法を最初から採用しているので、時間が大幅に短縮され、脳の形状すら変わってきます。物事を深く考え、細部最深まで行き届くような状態に持っていける道筋を、しっかりと知識として植えていただき、その後、行動化して応用の幅をどんどん広げていただいています。

レベルが違う人を分けなければ教えられないことがあるか?と問われたら、英語のレベルはあまり関係ないです。興味対象や活用法などにより、少し変わることはあっても、ABCさえわかっており、義務教育内で英語を学んできた場合においては(でなければ現代の日本においては法律違反でもあるので)、すべて英語基礎コースでカバーできます。その後、どのように英語を使いたいのか?という個体差が出るため、道が分かれますが、究極目標は、今の自分の日本語の80%ほどの英語が使えるようになる!です。

通学していただき、お金・時間・情熱を傾けていただいて英語を学ぶのは、2年以下とさせていただき、その後の個体差が大きいところは、みなさんに独学で生活圏内に英語を潤沢に入れていただけるようになったら、OGやOBとして、高度なものや新しいことでご活用していただければ、と考えています。

最も速い人は、8ヶ月半の英語基礎コースが終わったところで、OG&OBになっていただけ、英語圏で実際に生活していきたい!という方々であっても、3年を超えることはほぼありません。私と友だちでいたい、という方は除きます(笑)。英語スクールには、3年も5年も10年も通う必要はないんですよっ!正しい独学法さえ身につければ、あとは自力で生活の中に自然に英語が入っているはずです。

暗記や根性や気合、問題集を数こなす、休日返上をして週に最低10時間ほど、など、要るはずがないのです。ヒトという生物に最も適した自然な形で、それにちょいとした工夫を施すことにより、いつしか英語がSecond Natureになるように、必ずなれます。

新しく入っていただいた生徒さんがどのくらい進化したか、ご報告できるのを楽しみにしています♪

同じように体験したい方はこちらから:無料体験レッスンお申し込み4koma お待ちしております!

ぬり絵の極意

 ぬり絵教室を2回開催しました♪御礼申し上げます。一言で言うと

超感動!I am drastically moved!

(ちなみにこれ、受動態ではなくて分詞形容詞です:わからない方はぜひとも英語基礎コースを受講してくださいね♪)

 

田代知子先生のHPは、今後もどんどん進化していくのですが、いろいろな作品が観ていただけます。ごらんくださいませ♪ http://www.tashirotomoko.com/  

さらに!こちらのぬり絵が画家である田代先生が塗ったものです。

Coloring by Tomoko2

coloring by Tomoko

私がびっくり&微笑してしまったのが、Precious One English Schoolの生徒さんであるT女史が、心理レッスンも含め、そういう性格ではないのに、心がどうしても動いてしまったことと、この機会を逃してしまったら・・・と考えたりもしたせいで、

「先生!それっていただくことはできませんか?」

と発言したのですっ!

田代先生も、軽く、「いいよーう♪」と答えてくださったのですが、私がサインを促してしてもらったあと、まだモジモジしていたのです。そこでまた、

「日付を入れていただいていいですか?どうしてもこの日をのちのち憶えておきたいんです。今日は本当に感動したので」

ええ、ええ、わかります、わかります。私もたった2回でこんなに上手になるとは夢にまで観ていなかった(笑)。しかも態度が悪く、Blogの準備をしたり、生徒さんからのメールの返事をしたりしつつ、心理の解説もしつつ、だったのに、まぁ、すばらしい出来♪

これが、第2回めの私のグラデーション成果でーす!

Coloring 2015Dec

そしてT女史のその後取った行動もまた特筆すべきなので、書いておくと・・・。

その素晴らしい作品をこのあと出かける予定があるので、折り目などがついたら不安・・・。明日(13日の日曜日)スクールに来るので、保管しておいてくれないか?との依頼。快く引受け保管しておいたあと、翌日、威張るわけでもないのですが、ちらっと見せたところ、もうひとりの生徒さんであるK女史が、

「ええええ!いいなー。手に取って見せてもらってもいいですか?うわぁぁ、鳥肌が立った!」

 

のあと、数分、T女史は自分の作品も観せ、私もさりげなく進歩を自慢し(笑)、

「次回をゼッタイ開催してくださいね!」

と頼まれたのでした。

ええ、交渉します(笑)。

他にも数名、すでに「次回あるんですか?」の問い合わせもあったので、どうにかして脳にとってもよいぬり絵をみなさんにご理解していただきたいと思っているのです。

そしてぬり絵の極意ですが、他のどれとも共通のベースにあるものとして、目の前にある作品に対峙して楽しむこと、でした。そして、その次の極意は、無に近い感覚にZoningできるくらい夢中になる、ということでしたね、私にとっては。

私が心理解説をしているときも、生徒さんたちはほぼ聴いていなかったことも含め、やはりこの上のふたつは事実なのではないか?と思ってしまう次第です・・・。

次回の開催を告知できますよう、鋭意努力いたしますので、観ていてね!

理解し、されることへの熱望

[1999年08月07日(土)]に書いた文章です。

理解し、される瞬間というのがとても少ないと考えるのは悲観的に過ぎるでしょうか?

乳児の頃の記憶は残念ながらありませんが、3歳後半くらいからある記憶のカケラのなかの強烈な感情と同質のモノを、32年経った今でも味わっていると感じる私です。時折、胎児から産道を通ってきた記憶まである人がいるという話や記事を読むと「いいなぁ」と羨ましくなってしまいます。

その自分の感情にさえ「これだっ!」という明確なモノがないのに、他人の感情などは地球と冥王星くらい遠いことでしょう。それでも、こう、奇跡のように「わかりあえる瞬間」を何度か目撃し、体験しています。1mmの隙間さえないほどのぴったりした感覚、あの揺蕩うなかでの手探りに時間さえ停まってしまうあの瞬間。並みの「でしょうぉぉぉ?」ではなく、魂が真空に囚われてしまったような感じ。

理解熱望

技術者や芸術家と作品のあいだにはそういう「神が降りる瞬間」がままあると言いますが、人間同士だとなかなか難しいもんでは?と感じてます。

でもこれに限りなく近い瞬間をたくさん暖めて、私はこれまで熱望しすぎるほどに数を撃ってやってきました。もちろんおつきあいしてくれた人の努力や熱意も並み大抵のもんじゃないです。感謝の毎日です。

だから私は理解できたら幸運だなぁと思うし、理解されなくても割と当たり前じゃないかと思っているのです。だからと言って理解されないように謎の暗号を発してるわけではなく、誠意を込めてその場・その時・その話題・その人に自分なりになるべくぴったりとしたモノを選ぶように努力をしています。

が、私はこれまでかつて自分が言いたいことを100%言えたことは一度もないです。ただの一度も。あの不思議フシギのわかりあえる瞬間というのには、私の言語操作技術はあまり貢献していないものです。道具として、風景や本や相手の体験やジェスチャーやいろいろが混ざって、それでようやく1億のトライに一度か、もっと少ない割合で起きるのですね、これ。

長くおつきあいするとわかりあえる完全なる瞬間に近いモノが増えてきます。それで怠慢しちゃうこともよくあって、最近は「あれこれそれ」という指示代名詞攻撃が身についてます。

みんな特別でユニークな存在だから、体験や視点やモノの考え方も違って当たり前で、そのなかでわかりあえちゃうのってすごいでしょ?なぁなぁではなくて、そこそこわかりあえてしまうのってすごいヨロコビだと思うのです。

でもやっぱり摩擦は起こる。私はかなり難しいことを言いたくてトライし続けて諦めない人だから、混乱ばかりさせて申し訳ないって感じです。

よく聞かれます、なぜ私がまんべんなく伝えたり説明しようとするのか。「エナジーの無駄じゃないのか?」「しつこくして憎まれたり疎まれたり嫌われたりして哀しくないのか?」と。ん、いいのです。哀しいけどそれもトライした証拠だし、自分が自分でいるために必要なことで、相手に切られちゃうまでは続けていくのです。迷惑だと言えない雰囲気を作っていると最後通牒を出されるまで。

人間は必ず変化します。この世には変化しないモノのほうが少ないです。だから変わらない愛や変わらない風景は尊く残ります。私は気が短いと自分で公言していますが、実はとても気が長い一面もあるのです。

私を理解したくない人・私が理解できない人に対して、私がどう評価されてもかまわないのは、「私のほうから降りることだけはしたくない」というのがあって、おつきあいしているその時にわかってもらおうなんて甘いことは考えていません。

「私という人間の魂がどんな形であれ続いていくのならば、時間が経って死んでもエナジー循環のなかに混ざりたい、参加したい、できるならポジティブな気持で」というのがあります。もちろんこれも仮説です。死んでしまったらもう何も残らないって信じる人もいるけれど、私はこんだけの喜怒哀楽や学習やいろいろが残らないのはちょっと救われないなぁと思うのです。何も輪廻転生じゃなくてもいいんだけれども(動物や人間に再び生まれ変わる)何かのエナジーになって存続していきたいとは思うのですね。それが誰かの心のなかであってもいいし。

人類だけでなく、宇宙のエナジーそのものが、学習や陶汰や進歩や退化の入り混じりにどんどん変化していくなかで、私はそれに少しでも参加したい。今私が誰かに伝えていることが(言葉であろうがバイブレーションであろうがジェスチャーであろうが)歳月を超えて生命体を超えて普遍性があるといいな、と願っているので、別段何人かの個人に今わかってもらわなくてもいいのです。

その普遍的な物事・時空を超えてもそこに絶対に存在する価値のあるモノを捉えたいという気力があります。みんなそうだと思うんです。なぜ自分がここに生きているのか考えたことあるでしょ?自分はどこから来てどこに行くんだろうってこと。

もしも生命連鎖が続くわけなんかないと考えて「生きているうちに楽しいことしなくちゃ損☆」って言うならば、それも刹那的でいいですね。私たち人類は少なくとも数万年前からの地球の実態がわかっており、数千年前からの言語なり生活実態なり人間が何を考えてきたかもわかる科学を持ち得るようになってきたわけで、それならば、少なくとも数千年続くだろう先のことくらいは、考えてみたいなと私は思います。私が私として生きた証のために時空を超えられるモノを望むのは悪くないな、と思うのです。

だから焦らないあせらない。日常の煩雑さやいらいらや感情に負けてしょっちゅう嘆き悲しんだりもするけれど、悪態ついて「もうこんなのやめてやるぅ!」とも思うけど、平常心に戻るといつも「こんな大きなプロジェクトなんだから、挫折して当たり前だ」と私は想っています。だから私を気に留めない人がいても、理解をギブアップした人がいてもだいじょうぶ☆

私だけは誰も見棄てない。私をみごとに切った人もいます。つらそうだったので切ってくださいと私からお願いした人もいます。けれど、私はいつもいつもその人たちのしあわせやヨロコビも願っています。今日もどうやって伝えようか受け取ろうかとアタマをぎりぎり絞って考えます。アタマでっかちになりすぎたり、感情にふりまわされたりしながら、この試行錯誤はずっとずっと永久に続いていくのです、みんな同じ船に乗っているとなぜか信じて。

身体とアタマを使う~夏休みのある日

遊んでばっかりでまったく勉強をしない子どもだったのですが、こんなふうに知恵は使っていた、というエピソードです。ですます調ではないので、

多摩川

「夏休み」と言えばいろいろなことをわんさか思い出すけれど、悲しかったこと・おもしろかったこと・途方に暮れたこと・自分や友達が更に好きになったこと、がいちばんパッケージングされた事件が、小学校の4年のときにあった。

私はほーんと子どもらしい子どもで、自分の仕事は朝の庭と玄関掃除・学校に毎日行くこと・図書館に本をちゃんと返すこと・ごはんをなるべくたくさん食べること・ちゃんと寝ること以外には子どもは遊ぶことが本業だと信じ込んでた。

昇降口を出たところの水道で口いっぱいに水を貯めて、家まで子どもの足で30分の道のりを無言でお互いを笑わせつつ帰ったり、寄り道して犬猫を拾ったり(ちゃぼなんかも拾った☆)する日常よりも、休みは徹底的に長く遊べたんでほんとにうれしかった☆>カエルが鳴いたらかーえろって時間までが長かった。

夏休みの自治会ラジオ体操を終えて、ごはんを食べてすぐに遊んでいた私たち(学年ばらばらに遊んでた)は「今日は何かおもしろいことをしよう☆」と会議をし、6キロ先にある多摩川に遊びに行こうと決めた。その当時のお小遣いは1日20円。でも何となく特別なので母に「100円ちょうたい」とねだってみた。

無情な母は「じゃ、5日分ね。明日も明後日もあげないわよ」とのたもうた。私は「お昼代は?家で食べないからちょうだい」と食い下がって交渉。結局その後2日もらえないことになった。それでもどうしても多摩川☆と心が弾んでたんでいいことにした。で、理由を聞かれてすんなりゲロしたのに、母は「ほんとに気をつけていくのよ。暗くなる前に必ず帰ってくるんだよ」と行って出してくれた>無責任なのか放任なのか、今でもときどきわからない。きっと私が誘拐されても払う金なんかないから大丈夫と思ってたのか??

お母さんに怖くて言えなかった子はぶたの貯金箱を割ってお小遣いを持ってきたらしい!お昼ごはんはOOちゃんのママが招待してくれた、などと嘘までつく子もいたらしい・・・(汗)。グーニーズとかスタンドバイミーみたいな感じ☆とにかく冒険は始まった。

暑いし遠いし、行きだけの道のりで私たち6人は全員半額ほどの所持金をアイスクリームやジュースに使ってしまった。がんばって歩いてちゃんと昼過ぎには多摩川に着いて、私たちは大喜び☆だってその当時はまだまだ水もきれいだったし、魚もたくさんいたよ(今もクリーン運動でまたきれいになったみたいですね)。

もう夢中になっていろいろして遊んだ。石拾い→石投げ(平たい石のほうが跳ぶんだよね☆)、釣りの真似っ子、水遊びにざりがに探しに生い茂る背の高い草の鬼ごっこ。溺れそうになった1年生をみんなで助けて私はずぶぬれになったよ・・・。

あれれ・・・。気づくとけっこう陽が落ちてきてる。行きであんだけ時間がかかったんだ、帰りはどうしようって話になったら、みんな「疲れたぁ。歩きたくないぃ!」と一致。「ねね、子どもだけでバス乗っちゃおうよ」という意見採用された☆

ところが!

その河原のそばには商店がひとつあって、ばらばらにみんなで勝手に買い食いしてしまってた。6人のお金を合わせてもたったの30円しかなかった・・・>バス代金子ども料金2人分。さっき川に落ちた子がいちばん最初に泣いた。「来るんじゃなかったぁ」とおいおい泣いた。次に「多摩川行きたいって言ってごめんね」と言いだしっぺの子が泣いた。「どうして自転車で来なかったんだろうね」と後悔する子もいた。どんどんみんなつられて泣いたんだけど、私は「絶対に家に帰らなきゃ」と言い張り泣かなかった。「お金なかったらここにいてもごはん食べれないんだよ」とかやたら現実的な説得の仕方だった(爆)。でもみんなとりあえず泣き止んだ。

「じゃぁ、どうすんの?」とみんなで考えたんだけど、うじうじしているうちに時間が経っていく。「30円残っているうちの10円でママに電話する」って誰かが言った。そしたら他の子が「もうみんなと遊ばせてもらえなくなるよ・・・」とつぶやいた。「たいへんだ、たいへんだ」と大騒ぎした>却下。「じゃ、あの商店のおじさんのバンみたいな車で送ってもらおうよ」って誰かが提案したら、「ええ、大人がみんないい人とは限らないよ」とやたら悲観的につぶやいた子がいた>却下。

私はなぜかふと父がお客さんが来るときに、ケースで瓶ビールを注文して届けてもらうことを思い出した。「瓶代が戻ってくるから今流行の缶より得なんだよ」と彼は言ったはず・・・・。

当時の私はまだ地味と派手の区別もつかなかったし、看護婦を「かんごく」、手術を「しりつ」と間違えてたことにたいへん深く反省していた頃であった・・・。でも何となくこれはイケるんじゃないかと思った☆そこの商店には瓶ビールも売っていたのである!

疲れ果てたみんなに話してみると「やるしかないよね。他にいい考えもないし」と賛成してくれたので、「じゃ、みんな最低2・3本、ビールかジュースの瓶見つけてきて!」とパキパキ行動した。

第一回目のトライ・・・・たったの50円にしかならなかった(涙)。子ども料金で半額とは言え、180円必要だったんだもん。だんだん陽は落ちていくし、どうしようかと思ったけどみんながんばった。誰かが「おなかすいたぁ~」って言うと「たくさん見つかればお菓子買えるよ」って励ましあった。

3回トライしておじさんには変な顔されたけどやっとこさお金ができた。当時ロッテのガムが20円で6枚入りだったんで、それをみんなで分けて乾いた喉が癒されたのを憶えてる>ジューシーフルーツ>あの黄色いやつ。

帰りのバスのなかはみんな無口だった。溺れちゃった子は寝ちゃってた。バス停に降りたときはもう真っ暗だったよ。「ああ、帰ってこれた」って泣いた子がいた。

それでもバス停から子どもの足で8分くらいのところを歩いて、灯かりが灯っている玄関に入る子にみんな「また明日ねぇ!」と元気よく声をかけた。私は最後から2番めだったけど、残った子は「明日ラジオ体操遅れないようにねぇ!」と明るく泥だらけの汚い顔で笑った。「ああ、ほんとに多摩川に行ってよかった」と胸が痛かった。

その夜、「汚い身体をお風呂でちゃんと洗うまでは夕ご飯は食べさせない」とさんざ怒られ、濡れて乾いて泥がついてくちゃくちゃになった服を、「お風呂で一旦手もみ洗いしなさい」と命じられ、「疲れたのはあんたの勝手。ちゃんと自分の茶わんはお勝手に持っていきなさい」といつも通りに忙しそうな母。「ああ、ほんとに家に帰ってこれてよかったなぁ」としみじみする間もなく、私は倒れるようにして寝た。ぷんぷんに怒っててもちゃんといつも通りラジオ体操カードを枕元に母が置いてくれたのにはまったく気づかなかった。

英会話は卒業しなくっちゃ!

Precious One English Schoolでは、英会話に変わるクラスを1月から設けることにしました。Speakingができるようになりたいのは山々。けれども、定型文をいくつも暗記して覚える&憶えるような学び方では、いつまで経っても英語は自在に操れるようにはなりません。

その内容は、2時間ストレートで、USなどにあるESL:English as Second Languageのままのクラスを実現すること。全部英語でレッスンしますが、すべて参加型です。何をどうしてうんぬん、というような、テキストに沿ったものではなく、毎回の課題のための語彙を予め自分で検索してきて(当然これは和英辞典を使って)、そのために話せるイメージを膨らませ、Syllabus(概要)とHomeworkに沿って、レッスン内容をフルに理解して、2時間に臨む、というもの。おそらく準備は30分もかからないはずですが、考えたことがないようなこともたくさん出ます。

21(月)から既存の生徒さんに開始します。英語基礎コースが終わった方であれば、誰でも取れるという形にしようと考えています。なぜならば、この2時間分の準備はかなりきつい(笑)。たぶん2時間近くかかってしまうと思うのです。それらを3年ほど続ければ、Precious One English School自身が経験を積み、データを蓄積できて、完全版にごく近いものにでき、英語基礎コースを取らずとも、レベル分けをすることが可能になると思われます。

それに、これまでの体験上、大人の方で、日本で英語教育を受けた方は、英語に関してや英文法、勉強法に関して、かなり間違った知識を持っていて、英語基礎コースが必須であるためです。自然にごく近い在り方+あなたご自身がなりたい自分になる方向性を決断したあと、それを実行する日々を、無理なく蓄積することで、英語だけではなく、他のすべてがうまく行くようにしています。英語に関しては、心理を混ぜた英語基礎コースを取ることで、発言すること・アウトプットへのハードルが格段に下がります。自由に発言したい気持に自然になっていくわけです。

何も準備できていないままで受講すると、きっと話せる人と話せない人の差が出てしまうはずなのです。そうなるとレベル分けが必要になりますが、それでも、私個人は、誰かをレベル分けする、という考え方に未だ否定的です。そんなものでよいことなど、悪い影響に比べれば微々たるものでしかないからです(心理学で説明できます)。分けられる際、よいレベルに行けた人にとっても、悪い影響はある、ということです。

このやり方のよい点は、文科省の方向性を見極め、国際人材にマッチし、国力を総上げするために、これまでの工業型の教育ではなく、21世紀型の教育に沿った内容にすることが叶うこと。指されて話す、必要に迫られて話す、のではなく、自分で考える力をフルに発揮してもらい、クラスでそれを体現してもらう形にできることです。

準備はたいへんですが、少しずつ積み上げて、レベルごとにできるようにして、英語基礎コースを混ぜる形にしていけたら、と考えています。

英会話1

こういう解説はあまりしないようにする2時間にしたいと考えています。

Listeningのコツ

多くの生徒さんがはっきりと言えないことは、Speed Learningのような教材についての是非。アリかナシか?という問いに、疑っている最中は「ナシ」と言えるのですが、いろいろなことを試してみたあと、「やっぱりアリ」になってしまうことも多いのだろうと思います。

Precious One English Schoolでは、「聞き流すだけで聴ける」などという魔法は教えていません。心理学を混ぜて、身体特に脳をフルに使っていただく方向性を、すべてに応用しているので、ラクになるまで2・3週間から、長ければ3ヶ月ほどかかってしまいますが、その後は日本語を聴いているのとさして変わらないように、どんどんなっていくので、聞き流すよりは効果は絶大だと思います。そのステージになるまでが、個体差があり、イヤになってしまう人もたまにいらっしゃるのですが、仕切り直してがんばってやる方も多いので、だいたい4ヶ月から8ヶ月くらいで、映画は字幕なしで、すべて英語で観られるようになる結果が9割以上です。

TOEICや英検、TOEFLといった英語検定試験を受ける方は、その教材のListeningの過去問やら、そのエキスパートと称している先生たちが著している教材を聞き続ける人たちが多いのです。なぜ、こんな無駄なことをするのか?というのが、Precious One English Schoolのテイクです。

自分が将来使うであろう語彙がたくさん詰まっていて、聴くことが苦痛ではない内容で、できればAmerican Englishのものを教材にするのがいいわけですが、その理由をはっきりわからない限り、上達はみるみる、というわけには行かないだろうと思います。

日本語でもそうしてきたでしょう?ということを考えてみてください。音をまず聴きとることが大切なわけです。日本語の音の数と、英語の音の数には圧倒的なRepertoire(レパートリー)の差があります。なので、まずは聞くことを苦痛なレベルからどんどん下げていきます。そしていつしか聴くまでにする。すべての音の種類に関してこれができてから、次のステージに行くわけではなく、身体と心が抵抗感を覚えなくなるレベルまで行けば、次の課題にタックルできます。そこから4段階ほどを経ていくのですが、なんと!2ヶ月弱前に入ってくださった生徒さんは、すでに「すべての単語が切れて聴こえるようになった!」という報告をしてくれました。すごい速さ&早さです。右脳を使うコツをよくわかっているのだろうと推測しますが、この個体差は、自分がどんな音を聴いてきたか?に左右されます。このへんのことを科学せず、すぐに教材を買うのは考えものです。

この科学を体験したい方は、英語基礎コースを取っていただくか、Listening解析のためのアポ1時間6000円を受けてくださいませ。もちろん、基礎コースのほうがいいんですが、お金の都合がつかない方のために、たまに受けています。

音の聴き方について、きちんと学ぶこと。そのあとに教材選びが来るんですよっ!肝に銘じてくださいね。

Listening 1