紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その82

Q82.

最近観た、お勧めのドラマや映画があれば教えてください。

A82.

最近ではもっぱら、TVerを頻用しています。なぜならば時間に縛られないので、一週間以内であれば全てのドラマを見ることだって可能だからです。かといってブルーレイにとっておくと、ただ単に溜まってしまって見ないことになってしまうので(笑)。

映画もドラマも新しいものもさほど見てないんですが、紅白にも出た『Lemon』が主題歌になった『アンナチュラル』は面白かったと思います。続編ができるようなんですが、可能でしょうか?ストーリー的には可能ですか・・・。

映画は映画館に行ってみておりません (・・;) 調布には、AEONシアタス調布というのがあるんで、行けばいいんですが、まだあそこができてから一回しか行っていません(笑)。しかも、大泉洋の『探偵はbarにいる』を見てしまいました(笑)。皆さんがいい!いい!と言っている、しかもアカデミー賞もたくさん獲得した 『ボヘミアンラプソディ』すら見ていないのです (・・;)

アガサクリスティ原作の『ねじれた家 Crooked House』は見に行かねばと思っているのですが。それすらあてになりません(笑)。

英語スクールは、土日が書き入れ時で、平日も夜の生徒さんの方がずっと多いので、ドラマは見ることはあまりできません。私には Amazon プライムという強い味方が付いているので、一気に時間が余った時に好きな所で止めて見ることができるので、昔のドラマも昔の映画もたくさん見ている感があり、 どんどん溜まっていくんでしょうね (・・;)

とはいえ在米をほぼ20年ぐらいしていたので、ドラマや映画は特に欲するということもなく、むしろアメリカの映画が見れないことが辛いぐらいですね。たまにキャンセルをくらって家に早く帰り、22時あたりのドラマを見ることができると、全く筋が分からず情けなくなってしまいます(笑)。そこで TVer の登場なのですが、一週分の一話しか見られないので、結局あんまり熱意がなくなってしまうわけです。

つい最近『メゾンドポリス』というドラマを金曜日に見たんですが、アメリカで実録のドキュメンタリー『Cold Case Files』というのを見ていたことを思い出しました。実際にあった迷宮入りの事件を、リタイヤした刑事が束になって解決していくんですが、本当のことなのでとっても面白かったです。アメリカのドラマはあまり見ていません。ドラマ好きの方がいっぱいいるんですが私は全く見ていないのです (・・;)

むしろ皆様に、どんなドラマや映画が面白かったのか伺いたいくらいです。

学位は貴重なのか?

01/19/2008 にアップした文章です。

ここのところ、またもや大学院に行きたいという気持ちがむくむくともたげてきていますが、やはり「うーん、日本の大学院に行くべきなのか?」と、まだ二の足を踏んでいます。普段だったら歯止めがあまり効かないはずの、私の向学心ではありますが、ここのところ、受験生や子どもたちを教えており、彼らの「なぜ勉強するのか?」を自分のことのように考えているわけです。私は、なぜ修士が欲しいのか?あるいは博士が欲しいのか?ここってなかなか要かなぁと思うのです。そして、子どもたちに言っていることを裏切らないようにせねばなぁと、律儀な私は強く思うのでした。

学位:大学を卒業した者、及び大学院の課程を修了した者に対して授与する称号。学士・修士・博士の三種がある。旧学位令では博士のみで、文部大臣の認可を経て大学が授与していた。
貴重: (形動)[文]ナリ非常に価値のあるさま。きわめて大切なさま。
(名)スル大切にすること。重んずること。
価値:(1)物がもっている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度。値打ち。有用性。〔幕末までは「価直(かちよく)」が用いられた〕(2)〔哲〕 善きもの・望ましいものとして認め、その実現を期待するもの。内在的なもの・手段的なものなどにわかれるが、特に、真・善・美など、普遍妥当性をもった理想的・絶対的価値をいう。(3)〔経〕 商品の価格の背後にあって、それを規定しているもの。その本質・源泉のとらえ方によって客観価値説(労働価値説)と主観価値説(効用価値説)とが対立する。

昨日も、アメリカに留学したい女子大生のPersonal Statement(自分について書いた「なぜ(その)大学に進み、何を学びたいのか」で、申請校が合否の参考にするもの)をチェックしたのですが、彼女のバックグラウンドや夢や希望などを聞いていて、やはり私は日本の大学には行きたくないのかもしれない。お金にゆとりができるまでは、学業1本でやれるまでは、やはり大学院は行かなくてもいいのではないのか?のほうに、かなり心が偏りました。

まずは、語学力。そして専攻選び。そののちに学校選び。学校周辺の事情やら現状と、日本の暮らしとのギャップ。性格的な分析。適応度合いのチェック。将来性のインデックスは、個人と学校の両方で考えます。他に経済的な自立までの年月やら手段やらを考えていく。2本立てが大切で、希望や夢を1本だけにしてしまうと、コケたときに重大な失敗で後戻りが効かなくなってしまい、敗者復活戦に臨めません。大好きなことを1つしたら、大嫌いなことを1つするという謙虚さは、やはり人間には必要ではないかと思うのです。私はこれを、小さい頃の労働で学びました。家事は未だに嫌いですが、やりますし、やれますよ(笑)。

特にこれらは、海外留学だけに当てはまるものではなく、日本で何か習い事をしたり、資格を取ったり、進学したりするのにも使えます。

去年だったと思うのですが、教員や大学教授などの年収は減る傾向にある、というのを、東洋経済の電車内のつり革広告で見ました。手にとって読んだわけではないのですが、おそらくそうなのだろうなぁと納得した記憶があります。

ご苦労なことで、もちろん必要なことなのでしょうが、平均年収を算出しているサイトは見つかりました。企業のものです。http://shushokurankingu.seesaa.net/article/40893585.html このサイトは実にさまざまなランキングがあるので、お時間が許す限り、見てみてくださいね。なんだか実感がじわじわ湧いてくるかもしれません。このようなサイトをじっくり見る方々というのは、おそらく、終身雇用を目指して、安定や高収入を目指してらっしゃるんでしょうね。

そうか、そんなに就職については真剣な人々はたくさんいるのか・・・。私はもう10代で、OLになることも放棄したし、企業そのものに勤めることなど鼻で笑っていたような、「社会人脱落組」だったので、こんなにもすごい様相なのが、何年も続いてきたことを知りませんでした。なんとなく感じてはいたのですが、肌で目の当たりにするようなことがなかったのだろうと・・・。貧乏に暮らしてきて、「必要最低限な物事から片付けていく」というのを身につけた今、贅沢品はたまに欲しいと思っても、清水の舞台から飛び降りるような覚悟がなければ、購入までは至らず・・・。お金があっても不幸な人々は山ほど見てきたし、高学歴でもお金に結びつかない人々も山ほど見てきたし、学位がそれほどに貴重なものとは思えないでいます。

しかも、日本では、アメリカに比べて、自分の専攻を生かさない就職があまりに多い。英語学校で教えていても思うのですが、コンサルティングやカウンセリングの中で、よく感じます。自分の専攻について、教養課程の2年は置いておいても、専門課程の2年で学んだことは、それほど濃厚ではないのです。私ごときでも理解できてしまう内容だったり(私の専門は、心理学と航空学)すると、「どうして2年もの月日を費やしたのか?お金まで掛けたのか?」と、クビをかしげてしまうのですね。そのへんの本屋さんやインターネットのサイトに行けば、それくらいのことであれば、すぐにわかるよ・・・というようなことが多い。とても悲しい現状なのです。

いわゆる、「日本の大学は入りにくいが、出易い」というのは妥当な言い方なのかもしれません。私は、おそらく、英語でであれば、物理も化学も教えられます。生物はたぶん、日本語でも教えられるかもしれない。日本史はやっぱり日本語のほうがいいだろうけれども、現代史に少し自信がないにしろ、おそらく日本史も少し予習すればラクに教えられると思います。大学院生の卒論準備もできたのですから、それなりの時間をかければ、たいてい教えられると思うのです。しかも地理学だった(笑)。今、教えている英語の生徒さんは、栄養学の博士号を取っている最中ですが、英語でも日本語でもそう困ることはありません。アメリカで教育を受けなおしてよかったと思っています。

ただ、漢文と古文は、独学でやり直したほうがいいのかなぁ・・・と少し反省しており、明治時代の国文が読める程度ではダメなのではないかと、最近思っています。それもこれも、Michael Keeneのせいかもしれない(笑)←久々に彼の偉大さを思い出したから・・・。

というわけで、日本の大学院に行くか行かないかは、まだまだPendingです。いつアメリカに帰れるのか、そこのへんをもう少し煮詰めて考えたほうがいいし、日本で遣り残したことを決して後悔しないほうがいいですから。

ここのところ日々の感動を得ているのは、英語の長文読解の教材で、なかなかいいことをたくさん書いてあるのを、毎日8個くらい読んでいます。赤ずきんちゃんがなぜ赤ずきんちゃんと呼ばれるようになったのか、詳しく書いてあったり、日本の年金制度が英語で書かれていたり、日本人の英語輸入について書かれていたり、なかなかおもしろいものが多いです。

ということで、学位はそれほど貴重ではないと、私の場合には当てはめられるのですが、多くの日本人にはまだまだ貴重なのかもしれない。人の真価が年収や学歴や人気や容姿で簡単に解釈されないような世の中が、実現すればいいのだけれどもなぁ・・・。

好きで貧乏になる人は極端に少ないっ!

01/18/2008 にアップした文章です。

ホームレスだった女性が路上で亡くなるニュースを読みました。今年、私は去年と打って変わって、暖房をよく使っています。完全休日が1月はまったくないので、おそらく2月もなくなる可能性があるので、シャワーを浴びたあとの濡れた髪で、室内が寒いことは厳禁なのです。ネコたちも来てくれて去年とは違うし、風邪を引かないように、室温対策をするのは義務なのだ。室内でも16℃まで下がることがあり、昨日までの寒気団に、寒がりではない私ですら「寒いっ!」と肩をすくめていたくらいなのだから、路上生活をしている人々にとっては、ものすごいつらさだと思うのだ。そこで、誰かが亡くなった・・・。フツーじゃないはずなんだけどなぁ・・・。市や公的機関の対応のまずさがあったから報道されたものの、フツーに死んでいくホームレスの人たちはニュースにもなっていないのだろうと思うと、かなり切なかった・・・。

Altruism(利他主義)については、いくつか触れてきたのですが、どうも「自分の義務の範疇」から逸脱して、誰かを助けるゆとりが、人々にはあまりないらしい。

利他主義:(1)自分を犠牲にしても他人の利益を図る態度・考え方。愛他主義。⇔利己主義 (2)〔哲〕〔altruism〕他人の福祉の増進を道徳の基礎とする主義。
犠牲:(1)目的のために身命をなげうって尽くすこと。ある物事の達成のために、かけがえのないものを捧げること。また、そのもの。(2)「犠牲者」の略。(3)神に捧げるために生き物を殺すことやその儀礼。また、その生き物。いけにえ。供犠(くぎ)。

私が泣ける映画のランキングの上位は、すべてこの利他主義に関連するのです。1位のArmageddonは、自分の生命を賭けて、地球上に住むすべての人々を救うし、2位のTitanicは愛する人を守るために、自分は冷たい大西洋に沈んでゆくし、3位のProfessionalは、たまたま隣に住んでいた小娘の一家が惨殺されてしまい、助けを求めてきた彼女のために、プロの殺し屋が愛を感じて、彼女のために一命を賭すもの。第4位のAn Affair to rememberは、自分の恋が成就せずとも、愛する人の足を引っ張りたくないために、車椅子生活であることをひた隠しにするというもの。

ね?すべて、他人のために自分が何かをするというものでしょ?おいおい、泣いちゃいますね(笑)。そんなことに気づくようになってから、私は自分を憐憫して泣くことがなくなりました。もうここ6・7年、自分を哀れんで泣くことはやめました。泣いたあとに疲れるんですよ。いい泣き方ではないことがわかって、さらに自分を悪循環に追い込むことに気づいてしまったのです。どうせ泣くのであれば、溜まっていた膿が出せるものがいいし、疲れが取れる泣き方がいいと、少し賢くなったのです♪

自分の身寄りが、ホームレスになったとしたら、と考えるだけで、私はぞっとするのですが、身寄りがない人々が実際に増えているのでしょうか?天涯孤独という意味の正確なところは、死に別れていき、とうとうひとりになってしまう状態のことを指しており、生き別れたままで探さないことは含まれないし、何かの事情があって逢えないことは含まれていないと思うのです。可能性があることに対して、身寄りの人々が誰かを切り捨ててしまう状態がたくさん生まれており、だからこそホームレスになる人々が増えている、と思うのは、理屈に合っていないでしょうか?

ホームレスについてのエッセイを書かされたのは、もうかれこれ12年以上前になります。英語のクラスでした。フリーウェイの入り口に立って、Work for Food(食べ物のために働きます)と書かれたダンボールを掲げている人々を何人も見たときには、いろいろ調べ上げたものでした。が、エッセイを書くチャンスには至らず。英語をただ習っていただけではないにしろ、まとまった文章を書くことを倣ってはおらず、そのまま飛行機学校に行きましたから。アメリカのホームレスの原因の多くは、アメリカのクレジット制度と、給料支払い体制にありました。ブルーカラーでは、毎週給料が小切手で支払われるので、クレジットカードを持つことに安堵してしまい、先使い傾向が増えていきます。ヒトは弱いものです。Madonnaがその昔、Materialism(物質主義)を歌にしていました。そして、借金がどんどん増えていき、身体を壊したり、解雇されたときに、ぷっつりと収入がなくなり、借金だけが残る構図です。他にも、アルコール中毒や他のドラッグ中毒になったり、精神疾患がある人々がホームレスの大きな割合を占めるという統計もありました。アルコールやタバコやドラッグが安いということは、それだけで誘惑の障壁が低くなるということです。さらに、心理的なところでは、「これまで自立してきちんとやってきたのに、落ちぶれたことを誰にも言えない」ということも、大きな要因になっていることがわかります。

日本のホームレスの現状にも、これらは当てはまっていくのでしょう。そもそもの雇用制度の主流だった、終身制が崩れてきており、気軽に転職できるようになった分だけ、落とし穴は増えました。実力がある人間は、仕事枠のどこかに必ず引っ掛っていけますが、高齢になったり、身体を壊したり、そこまで行かずとも精神的な変調に遭うと、安定が崩れ易くなりました。去年の注目すべき成長業界は、派遣業でした。ということは、多くの人が派遣会社に登録し、派遣形態で働くことに抵抗を持たなくなってきた、ということです。一昨日なども、電車の中で大学生が、「バイトか派遣か」という話をしていたので、大学生の男の子でも派遣に登録するんだなぁと感心していたのです。夏休みや冬休みのまとまった時間の短期派遣や、就学スケジュールに合う曜日を決めた派遣などもあるようで・・・。やるなぁ、派遣会社。

とはいえ、実際には、派遣で安定を目指すのは難しいのかもしれず、まとまった貯蓄などがなければ安心はできないし、明日解雇される憂き目の可能性は否定できません。

私などが言うのはおこがましいですが(笑)。英語講師はコマ数を埋めてナンボの、時給で働くしがない商売なので、私も「明日はホームレスかもしれない」という可能性を見据えています。働けるうちに何とかしなくては・・・という焦りはあります。おかげさまで、今のところは時間調整がたいへんなほどの状態なので、完全休日がもらえないほどになっているので、不安は薄れていますが、いつも不安がつきまとうのは否めません。

母が今月満70歳になります。彼女の元気には年齢を感じさせませんが、いつ彼女の具合が悪くなるかは、覚悟しなければならないところ。それらを鑑みると、ホームレスは他人事ではないのであります。私はアル中ですし(アル中は一度罹ったら、生涯バトルです)、躁鬱病も持っていますし、意志が崩れたらなし崩しに転落してしまうことは、大いにありえるわけです。そんな私にここまでつきあってくれる母や西さんや、友人たちには、心から感謝しています。

昔の映画『タンポポ』だったか、何かで、ホームレスの暮らしに混ざった主人公が、「望んでホームレスになった人」を描いていましたが、私は彼が本当に望んでそうしているのかも、決定できないような気がしました。お金があれば、家族や事情から逃げている人々でも、ホームレスになる必要はないとやはり思うのです。寒くなっており、ホームレスの人々が誰にも知られずに死んでゆくニュースは見なくなりました。何か事件性がないと私たちは彼らの寒さに耐える暮らしや、どうしてホームレスになったのか、に想いを馳せることはありませんが、「明日は我が身」と思って、ぜひぜひ考えてもらえたらなぁと思うのです。好きで貧乏になる人はめったにいません。ゼロと言えないのがつらいですが、ゼロに限りなく、いないでしょう。どうしたらホームレスを生まない社会を作れるのか、じっくり考えてみていただきたいなぁと、ひとりひとりの精神的成熟を祈って止みません。

気持ちのいい瞬間を味わう その2

01/17/2008 にアップした文章です。

差を感じることができるということは、なんとすばらしいことなのか?を、今日は挙げてみたいと思います。知らないうちに受けているたくさんの恩恵。こんな仕組みを進化の長い歴史の中で、得ることがでてきたというのは、私たちが現代にぼーっと生きていても、先人たちの上に積み重なって存在しているという証明です。これを使わない手はないのだよなぁ・・・。無意識のうちにやってしまっている・使ってしまっている身体的・生物的に偏る仕組みは、知れば知るほど、おもしろい。私は30歳過ぎて、生物をもう一度、真剣にやってよかったなぁと、今も強く思います。

たとえば色気。誰に色気があり、誰にないか?という観点がありますが、これは明らかに差です。これがあまりにオソマツで簡単すぎるのは、目に見えるという点。横に並べることができるようになった今、浮気にしろ、異性の品定めにしても、それほど私にとって価値あるものではなくなってきています。まずは写真。次に映像。こんなに簡単な比較はないわけで・・・(汗)。特に、著名人や芸能人の色気などは、比較がひどく簡単すぎて、気づかない人のほうがおかしいのではないかと・・・(汗)。

しかも、言わせてもらえば、生きている人すべてに色気というのはあるものなのですよ。ゼロなんて人はいない。ホルモンがいくばくかでも分泌されているのであれば、色気の元はしっかりあるわけです。あ、ちなみに私は、「異性を引き付ける性的魅力」のことを指しており、他のことはちょっと横に置いてあります。

色気:(1)色の調子。色合い。(2)異性を引きつける性的魅力。女性についていうことが多い。(3)愛嬌(あいきよう)。愛想。(4)異性への関心。(5)おんなっけ。(6)物事に対する積極的な気持ち。野心。

もちろん、個人のチョイスですが、みんなに色気を見せたい人もいれば、そうではない人がいる。見せる気などなくても溢れてしまう人もいれば、鉄壁の守りで決まった人にしか見せないようにしている人もいる。私はむしろ、普段見せない人が、私だけを選んで見せてくれた場合に、ヨロコビやドキドキは数倍になりますが、そうでない人は多いのかもしれません。

この個体での差のほうが、私は妙を感じるわけですよ。私は普段、Androgynous(中性的)な人が、何かの加減で、ある場所で、ある時間に、ある場面で、ふと見せてくれる「隙」のような色気のほうに、ゾクッとするんですが、あからさまなほうが「わかりやすくて好き」という人が多いのかもしれません。でも私は、色気というのは万人に見せる必要もないし、ポーズとしては崩れ易いので、本人もひどくたいへんなのではないかと想っているのです。そんなたいへんなプレゼンテーションを、本来の自分との差があるものを、わざわざ自分を大きく見せるためにするこたぁないと。

溢れてしまって、どうしても出てしまう人というのはいるので、それはちゃんと評価したいと思いますよ。でも、くそ寒いときに薄着をせずとも、健康のために薄着をしたほうがいいし、不愉快なほどでなければ、スッピンでもいいだろうし、武装することはないと思いますけども・・・。いつでも色気光線を出している人には、差がないので、その人をずっと、たとえば24時間見ていたら、飽きると思うんですね。多面性がないと思えてしまう。だったら、ジャージを着ていて、ふと色っぽいほうが、本人にとってもオトクなんじゃないかと・・・。あるいは、いつもは中性的であっても、オペラや歌舞伎に行ったり、特別なところにディナーに行くときや、勝負デートに行くときだけに、色っぽいと思われるようにプレゼンするだけでいいんじゃないかと。むしろ、その「おおぉ!?」という差のほうが、見ているほうもうれしかったりする。

私は加点法をより多く採用するやつなのです。理想などは、私にはほぼなく、自分の将来について、くらいですかね・・・。他人に対しての理想など、あっていいわけもないとどこかで思っており、たまたま、何かの拍子に、自分の好みにぴったり合った人が出現したら、ものすごい楽しいではないですか♪いつも、理想が「セクシーダイナマイト」なんていうコピーだったら、見ているほうだって疲れる・・・。悪いけれども、叶姉妹のような人が廻りにいたら、きっとものすごぉい疲れるに違いない・・・。

それよりも、自分で自分のことがたいていの場合好きでいられる人々が廻りにたくさんいて、どんどん実現していく「なりたい自分」をさらにもっと大きくしていく人々がいたほうが楽しい。そういう意味で、個人の中の「差」を見ることのほうに、私は重きを置いて日々を暮らしています。去年や昨日の彼や彼女よりも、今日の彼や彼女。明日や来年の彼や彼女。想像して、応援したほうが、ずっとずっと楽しいことです。

気持ちのいい瞬間は、瞬間だから味わえるし、待てるんですよ。いつもいつもそんな状態だったら、味わうも何もなくなり、当たり前として捉えられてしまい、ありがたみもなければ、気持ちよさも消えていく・・・。毎日ものすごいグルメなごはんを食べていても、健康には悪いし、いい加減飽きるし、お茶漬けやおにぎりも食べたくなっちゃうのと同じだと思うんですね。

私は日本に戻って来てから、1年3ヶ月。毎月1回か2回しか、お酒を飲んでいないんですが、そのほうが、楽しく飲めることをやたらと実感しています。ブルーカラーでもないので、身体がクタクタになるというよりは、移動してもちろん物理的にも疲労しているのかもしれませんが、頭の芯のほうが疲れていて、アルコールで醒ましたり、熱したりするような類の疲れではないんですね。なのに、アル中だった頃は、なぜかアルコールでごまかそうとばかりしており、ちっとも気持ちいい瞬間にならず、ただ「記憶を失くすための泥酔」になってしまっていて、下手にアルコールに強い私は、翌日に引っ張られるまで量を飲んでしまって、悪循環を招いていたわけです。やっと最近、「入眠までしっかり記憶がある飲み方」ができるようになって、「うひー、こんな歳までかかったぜい(汗)」と反省しています。

差があるからこそ、気持ちのいい瞬間が味わえる、というメカニズムを知っていれば、自分の心持を整えるためにも、緩急やメリハリをつけた暮らしをしていくようになります。いくら好きなことでも、ずっとやっていくのは飽きる。どんなに惚れた異性でも、24時間いっしょに居ることは危険要素も含むし、失礼だけれども飽きるかもしれない(笑)。ヒトの集中力は、90分単位の波があるわけですから、ひょっとするとただやっているだけ、こなしているだけ、だったり、ただいっしょにいるだけで見てもいなかったりすることがあるかもしれない(笑)。だったら、緩急やメリハリをつけて、何かをやって集中したり、短い時間でも充実した時間を過ごしたりするように心がけたほうが、気持ちのいい瞬間が得易いわけです。

とはいえ、私の活字中毒は治らないんだよなぁ。読んでいる書物はその場所によって、どの行や章なのか、物語の進み方によって、気持ちのいい瞬間が訪れるときがあるので、やめられない(笑)。クライマックスだと自分が感じるところに行き当たるために、読書はずっと続いていくのである・・・。

あと2週間以上、完全休日はないのですが、おそらく、もっと長いこと、完全休日がないかもしれないのですが、私も自分の緩急やメリハリをつけるのに注意しなければならないです。戒めのために書いたのか?うん、そうかもしれないです・・・。

気持ちのいい瞬間を味わう その1

01/16/2008 にアップした文章です。

物事の妙というのは、多くの場合「差」から生まれてきています。特に、気持ちがいいか悪いかというのは、ある基準点があり、そこからの足し算引き算を、個人がやっているからこそ気づくということが多い。赤ちゃんの原感情が、「気持ちがいい・悪い」で、そこから感情はどんどん派生していくというのが、最も支持の多い説なので、その後のいろいろな感情も、もちろんこのメカニズムを使っているわけです。(この説が100%正しいと言えないのは、悲しいですが、概ね98%くらいの確率で正しいのだろうと思います。余地は、新説のために保存してあるゆとり問題です)。この「差」というものを、実際のところ、人々は意識して暮らしてはいません。けれども、毎日数千回から数十万回くらいは使っているんですよい♪

身体が勝手にやっているものでは、五感。視る・聴く・触れる・味わう・匂うという5つは、「差のメカニズム」を採用しています。私は生理学者ではないので、どこからどこまでが1セットとして数えればいいのかわからないのですが、目を開けた瞬間から始まり、脳に蓄積された先天性とあとから学習した記憶を引き出して駆使しているこのメカニズムは、図表に描けないくらいに複雑化することもあるのでしょう。が、ここで根本的には、簡単な引き算から複雑な引き算までを行っていることを理解していただければうれしいです。

差:(1)性質・能力・程度などの違い。ひらき。へだたり。(2)〔数〕 ある数から他の数を引いた値。さしひき。
誤差:測定値・理論的推定値また近似計算によって得られた値と、真の値との差。

女性が減点法で、男性が加点法を採用する傾向が多い、という統計も、かなり論理で説明できることなのかもしれません。恋愛においては、という条件が付くことは忘れてはいけないのですが・・・。ただし、生きていくうえで、生殖の運命を課されている性差の重きが違うので、日常生活でも、女性は減点法、男性は加点法を採用する確率は、『習慣』に支配されて傾向としては大きくなっていきます。

以前説明したとおり、進化心理学において、女性のほうが、生殖が絡むパートナー選びが、現実的でシビアだということは書きました。なぜならば、女性は生物学的に不利であるからです。女性が、卵子を1ヶ月に通常1個しか使えないところで、男性は可能性としては毎日3億個前後X数回放出でき、ばら撒きの差は歴然としています。その後、受精が成立したとして、女性は9ヶ月ものあいだ、その新しい生命を自分の胎内で育てますが、男性はエサを運ぶことすらしない個も多いわけです。自然、女性のほうが、慎重にならねばならぬ条件が多くなり、重きも大きくなり、男性よりは、もっと「目標」「理想」を考えねばならぬことになるわけです。

その生物学的な差異を、社会的に埋めていかねば「フェアネス・公平」からは程遠いのですが、たくさんの国家や社会を見ても、方向性は間違っていないものの、なかなか遅々として画期的に進んでいない気がするのは、私が現代に生きているからなのでしょう。私から見れば少子化などは、起こるべくして起きているのだし、医学が進歩しても、社会的な事情で、産婦人科医がどんどん減ったり、たらいまわし現状がいくつもあったりしているところなどを見せられたら、余計に母親候補者たちは二の足を踏むわけです。男女共同参画にしろ、このへんの差異をしっかり把握していても、どうもスピードが遅い気がしてなりません。

女性が年下の男性に投資をするようになったのも、女性の仕事の量や質が向上してからこっちのことです。Makes sense・・・。うーむ(笑)。

恋や結婚や生殖において、女性が減点法でもいいのではないか?と思う傍ら、人生においては、減点法はかなりその副作用も大きいので、女性たちは相変わらず不幸なままのケースは多いです。たとえば、性交渉そのものにしても、場数や学習をしていない男性たちが、ヘタなのは当たり前だと考えられない女の人と、ヘタでがっかりと考える女の人では、やはり「成熟していくのを待てる」ほうがきっとオトクではある・・・。時間があまりに貴重で大切で待てない場合には、やはり女性は、年上の男性や、すでに習得・学習済みの男性を選ぶことになるのでしょう。

まぁ、そこで、男性の中の何が大切か?というのがミソなのですが、子どもを育てて生き抜いていくという観点からいくと、経済力になるんでしょうねぇ・・・。そうであることは、学歴偏重社会や、セレブ(このカタカナは私にはどうしても自分のボキャブラリーとして使えない・・・汗)絶賛志向などに見えており、『お金で買えないもの』がだんだんと無くなっていくのが平気だというライフスタイルを持っている人々が、胸を張って生きていけていることで、なんだかわかってしまいます。もちろん、お金がなくても倖せだというのは、日ごろ、私の母が言うように「貧乏人の負け惜しみ」なのでしょうが、ただ多く持つことが大切なわけではないと思いますからねぇ・・・。でも、多く持ちたいと願ったり、先使いをしたり(クレジットがそれで、自己破産する日本人はドラマチックに増えたし、詐欺が増えているのもこれなが原因を担っているのでしょう)、お金で解決できる何かから、気持ちいい瞬間を増やしていこうとしている気がしてなりません。

それが本当に「気持ちのいい瞬間」に直結していくのかどうか、私にはやっぱりはなはだ疑問なのですが・・・(汗)。

あ、差異からまた離れた(笑)。物事の差を、至って簡単に、あまりに単純に、減点法と加点法に分けていることそのものが、そもそも、この複雑な脳を持てるようになったヒトがやるには、やはりオソマツなことなのかもしれません。もちろん、四則計算からは離れることはできないでしょうから、そのシステムをもう少し複雑化してみるのがいいのかもしれないです。

ただ恋愛だから、結婚だから、出産や育児に関係あるから、と言って、相手を見るときにただ単に理想を掲げてみるだけで留まらない。いますよねぇ、「強くて優しくて背が高い人」と、至って単純な理想を掲げる人(笑)。それじゃ、実際は理想になってないですからねぇ・・・。しかも、個人的には、小学校・中学生や高校生の女の子には言っておきたいですね。まず、足の大きさや食生活やその他を見てみろ、と。彼らは、きっと背が高くなったり、強くなったり、もっともっと優しくなるよ、とも。となると、ただの四則計算(足し算・引き算・割り算・掛け算)だけではなく、頭の中にExcelを作れたほうがいいのでしょう。軸についていろいろ考えたり、いろいろな視点から視てみたり、歳月について想いを馳せて予測をしてみたり、いろいろなことができるはずです。その大きな、複雑なところから、差について改めて考えてみたいと思っています。

改めて倖せだよなぁと心から思えるのは、この脳。どんなに使っても、まだ凡人は、3-6%ほどでしかないと言われており、天才でも10%が関の山らしい・・・。うわぁ、使い出・開拓ができるなぁ。まるで、つい先日亡くなった、エベレストの初登頂に成功した、Edmond Hillary の気持ちに似ているかもしれません。どうでしょうか?http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC 

さて、明日は差が引き起こす日々のさまざまなヨロコビについて♪

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その81

Q81.

いよいよ東京オリンピックが近づいてきました。楽しみな種目はありますか?

A81.

本当に申し訳ないんですが、私はオリンピックウォッチャーではないのです(笑)。どの競技が楽しみだとか、どれだけは絶対に見るとか、夜中まで睡眠を犠牲にしてまで見るとか、そういう熱がありません(笑)。自分の睡眠が一番大切ですし、自分の生活が回ることが一番大切です(きっぱり)。

調布もオリンピック会場に選ばれているので、そこで行う陸上競技の一部は、ボランティアでもすれば見れるのかもしれませんが、ボランティアに応募するのがあまりに面倒くさく、あまりに研修時間は長かったためにスキップしてしまいました(笑)。

それよりもっとできることといえば、街中で迷っている外国人の方がいたら英語でお助け出来るんじゃないかと思っています。

そもそも何の競技が新たに加えられたのか、何がなくなってしまったのか、などなどアップデートできていません。水泳の池江瑠璃子ちゃんが白血病になった時に、メドレーがどの順番で行われるかを知ったぐらいです(笑)。 たまたまテレビをつけた時に行っていたら見るんでしょうけれども、 チケットを買って見に行くなどということは考えたこともありません。

お祭り嫌いなんだと思います(笑)。

オリンピック選手には一定の尊敬がありますが、実際にダイジェストして見れるので、その時間帯のモーメントをシェアしなくてはならないという、切迫感が足りていないのかもしれないです。つまんない人間だよね(笑)。

実際に、生徒さんが水泳を志していたり、野球をやっていたり、陸上をやっていたりするんですが、彼らが実際にやってるわけではないので、世界の最先端の技術はやはり、綺麗に編集された映像を見てみて済ませてしまっています (・・;)

罰当たりな人間です (・・;)

マニュアル辞書と電子辞書

01/15/2008 にアップした文章です。

なにやらすごいことになっているようで、トランジスタラジオからここまでの道のりは、想定していたよりもずっと短かったようである。辞書を自分の手で引くことすら面倒くさくなってしまった日本人に、私は一体何が言えるのだろうか?と、ふと考え込んでしまった・・・。しかも曲りなりとも教える立場にいるわけで、マニュアル作業がどのくらい、今後に生きてくるのかを、どうやって実感してもらったらいいんだろうか?と途方に暮れているところです。私個人からして、「面倒くさい」と「押し付けられたくない」の2つの大きな基準で生きており、それを軽減するための処世術を身につけて、うまく泳いでいるわけで・・・。面目ないなぁ(笑)。

マニュアル:(1)手引き書。取扱(操作)説明書。手順書。(2)自動車で、手動の変速装置。
手動:機械などを手で動かして操作すること。⇔自動
自動:(1)他からの力によらず、自分の力で動くこと。(2)機械などで、定められた操作を行うと、動作が機械自身により行われること。オートマチック。⇔手動 (3)特別な手続きなどをしなくても、効力や権利などが自然になくなったり生じたりすること。(4)「自動詞」の略。

こうして私が貼り付けている辞書も、オンラインの電子辞書のようなものなのです。三省堂を使っているのですが、それほどのブレがないので使っていますが、希望としては「広辞苑」を使いたいところです。ただし、タイプするのにコピー&ペーストができるという利点があって、こちらを使っていることと、証拠としての有効性があるので、出典がはっきりしているものを使っているわけです。h

ところが、自分が生活していく上では、どうしても私はマニュアル女で、電子辞書は日本に戻って来て1年4ヶ月経とうとしている今も、まだ購入していません。翻訳や通訳の仕事を引き受けている最中でも、必要性がなかったせいもあるのですが(同時や逐次の通訳で、辞書なんて使っている暇はない・・・。翻訳の場合はタイプをするので、オンライン辞書が使える。が、専門用語でなければ私は辞書の必要性はほぼ感じない)、やはり「肌に合わない」というのが第一の理由なのかもしれません。

繰り返しになりますが、私は小さい頃は貧乏だったので、図書館通いをする日々だったのです。そんな中でも、両親が私に買い与えてくれた書物は、百科事典全10巻と岩波の国語辞典でした。私は生涯で国語辞典を2回半読んだことがありますが、1回目はその岩波の国語辞典で、2回目は父がどこかからもらってきてくれた広辞苑でした(確か第4版だったように思う)。3回目のトライは、途中、英和辞典(研究社)が入っていたので、スムーズに行かなかったことと、課題が多かったためにそんな優雅なことをしていられなかったこともあり、途中で終わってしまったのですが、広辞苑の第5版でした。でも半分以上は読んだなぁ・・・。

もちろん、記憶するために読んだのではなく、「読み物」として活字中毒を満足させるために文字通り読んでいただけで、どのくらいを吸収したのかは定かではありません。当然、その中で「語彙を引く」という行為を訓練したわけではなく、五十音でやっていたので、本当に読み物でした。

が、渡米した当時は、旺文社のシニア英和辞典というのを使っており、電子辞書の導入はその4年後、父が死んだあとの初めての通訳・翻訳の仕事で、だったわけです。私が買ったのは、Sonyの電子ブックプレーヤーで、当時4万弱したと思います。1990年で6万。1993年で4万弱というのは、ずいぶん下がったもんですなぁ・・・。

電子辞書とは>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E8%BE%9E%E6%9B%B8 
電子辞書の歴史はこちら>http://sekky.tripod.com/edichist.html 1979年のシャープのものが第一号!2001年作成なので、途中までしかありません。

英語学校の生徒さんがいろいろな機種を持っているので、たまに見せてもらうのですが、やはり搭載辞書の選択からして、私はどうも好きではないのかもしれません。私は国語は広辞苑。英語は研究社、英英はWebsterが好きなのです。初心者にはLongmanを推薦しますが、私はWebsterと同じ誕生日に生まれたせいもあることと、渡米して初めて買った大きな辞書がWebsterだからなのですね。でなければ、Oxfordがやっぱりいいんじゃないかと思っています。

で、比較サイトで見てみると、リーダーズ(研究社)とOxfordの組み合わせならば見つかる。でも、ジーニアスが圧倒的に多いんだよなぁと思える。ジーニアス搭載の英英辞典は、Longmanが多いようです。提携なのかな。

なんでこんなに辞書に関してこだわらねばならぬのか?(笑)

私は言語学には積極的には進まなかったのですが、言葉の紡ぐ・醸しだす含蓄に大いなる魅了を感じ続けています。その基礎となり、歴史を受け継いできた意味を教えてくれる辞書については、やっぱりこだわりたいと思っているようです。

しかも、手でマニュアルに自分で引くことで、やはり道具が自分の一部へと変化していくことをエンジョイできる、というのが、紙の辞書のいいところなのですよね・・・。電子辞書は到達までの時間が短いことで、ありがたみも薄れれば、記憶する時間や動機も低くなります。渡米したあと、たくさんの色の蛍光ペンを使って、何度も引いてしまった単語については、本当にたくさんの色を塗りこみましたが、あれがあったからこそ、今、私はものすごいスピードで辞書が引けるのだろうと感謝しているし、たくさんの語彙が身についたのだろうと思うのです。たとえ、私と同じだけ、あるいは私以上の歳月を英語圏で過ごしていても、少ない語彙で生きている人々はたくさんいます。だって、日本語だってそうですよね?

私がほとほと感心する外国人に、Donald Keeneがいますが、彼は私の倍くらいは日本語の語彙を持っているに違いない(笑)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%B3 (日本語)
http://en.wikipedia.org/wiki/Donald_Keene (英語)

友だちが多いよりも、語彙が多いよりも、私は正確な言葉を少ない親愛なる人々に伝えたいと、常々考えています。が、ぴったりとした言葉を持たなかったときに、ぴったりした言葉に出会ったときには、言いようのないほどの震えが起きるほどのヨロコビを得られる。これは不思議なことです。なので、やっぱり私は、自分の手を使って、頭と心に意味を刻んでいくのだろうと思うのです。

賛否両論なのでしょうが、やっぱり手は使ったほうがいいよ・・・。

同意してしまうことのツケ その2

01/14/2008 にアップした文章です。

昨日は、労働者と経営陣との同意についてから展開し、個人的な日常的な事柄を、すっかりすっ飛ばしてしまいました。今日は、日々ある、仕事や友だちやその他の関係の中から生じる、同意について考えてみたいと思います。私も最近、どうも自分を曲げているのではないか?と、圧迫感の抵抗・摩擦を身体に受け止めており、心はどのくらい叫んでいるのだろうか?と、たまに沈思しているのですが、いつの間にか目的地に到着してしまったり、次の授業の時間になり、どうもなおざりにしてきた感があります。

同意:(1)同じ意味。同義。(2)相手と同じ意見・考え。また、同じ考えであることを意思表示すること。(3)他の者の行為について賛成ないし是認の意思表示をすること。

イチバン最初に考えたほうがいいのは、昨日貼り付けた、著書が取上げている医療などにおけるInformed Consentでしょう。〔説明をうけた上での同意の意〕医師が患者に診療の目的・内容を十分に説明して、患者の納得を得て治療すること。日本語の辞書では、想像が医療現場に限ってしまっているようですが、実験やアンケートなどでも、治験者はこれをしっかり読んで説明を受けてからのサインが必要です。特に、自分のものではなく、ガン患者で告知がなされていない場合や、すでに意志を確かめられる状態にない救急患者などの場合、これのあるなしで、大いにその後問題になることがあります。さらに、いろいろな契約書でも、この説明がなされているかいないか、は、詐欺や商法などの条例にも払拭しますから、賢い消費者・市民としては、「理解して納得した上で」という前提は、持っていたほうがいいことです。

しかし!仕事やプライベートでも、曖昧な同意というのは、日々発生するものです。

「○×をお願いしますね」と言われたときに、「はい」と即座に返答してしまったあと、その○×に対する詳細情報をもらえないことがかなりある・・・。そんな悪意のないオマヌケが、何度も何度も続くと、やはり学習したのちに、即座に「はい」と言わないことにせねば、こちらの疲労が溜まる・・・。でも、完全無欠なわけがない人間の中で暮らしているということは、そんなことの連続なのかもしれない・・・。そして、学習しても、自分ばかりが疲労度合いが増えていくと、本当にうんざりして、関係は続いていかなくなるのかもしれない・・・。だって、こんな小さい疲労の蓄積ではなく、とんでもない同意というのはあるもので・・・。

仕事場では、きっと何らかの既存システムというのが存在していて然りなのですが、家庭内や友人間では、お互いがNegotiateしてシステムやルールや了解というものを創り上げていくのですが、実際は、最初の一撃(ちょっと物騒な言い方か・・・汗)で、すべてが軌道・レールに乗ってしまうことはあるものです。「まるで100年も前から決まっていたかに見えてしまうようなこと」に対して、いまさら異議を唱えるというのは、なかなかし難いものです。だからこそ、同意についてのお互いのコミュニケーションというのは、本当に本当に大切。

たとえば、私の友人や知り合いの女性は、共働きをしている場合であっても、男性パートナー諸氏の中に、「家事分担が当然」だと思ってくれている人はほぼゼロです。確かに私の友人や知り合いの女性のほうが、そのパートナーである男性諸氏よりも稼ぎは概ね低いのですが、そりゃ当然だろう、と思うのです。長い社会の歴史と蓄積や、既存概念の中で、女性の社会的地位、特に労働市場における女性の待遇というのは、まだまだ公平に評価されてはおらず、生物学的にどうしても性差により左右される育児などが絡んでくると、女性が一旦離職して育児をするのは、どうしても避けられないことになります。断続的に仕事をすると、出世や昇給などからも遠くなってしまい、私の友人や知り合いでなくとも、同じ憂き目に遭っている女性たちは多いと思います。

いっしょに住み始めて、あるいは結婚した直後、なぜに「家事分担は当然」とならないのか?これ、大きいと思うんですよ。「家事全般は女性である妻や恋人がほとんどをやる」というシステムやルールや了解が、最初に発生してしまったあと、どんな場合・どんなケース・どんな例外があっても、なかなか見直しをしてもらえない状態に追い込まれていくわけです。

そもそも、何かやらねばならぬことがあったとしたならば、どういう法則が成り立つのか?
1. 公平に分けてやる
2. 手がより空いている人がやる
3. 短い時間でこなせる人が得意分野をやる(その代わり、やらない人のほうは同等の対価・対労働を提供する)
4. プロを雇う

私にはこの4つしか思い浮かばないのですが、たいていのカップルは、2.か3.を採用していると思うのです。が、ここで重大なのは、その状況や場合は変わるという大前提。その状況の変化や環境などの条件変化に対しての柔軟性が、きっと足りないのでしょう。

西さんは、あくまで1.な人だったのですが、私はその点、本当にラッキーだったのでしょう。公平に分けてやっていたつもりだったのですが、彼が等価だと思えないと、たとえばフォローをしてくれるわけです。たとえどんなに時間が掛かったとしても、苦労をしたとしても、必ず自分が気が済むし、私に迷惑を掛けていないと安心し、掃除機を余分に掛けてくれたり、お皿を洗ってくれたり、大工仕事で穴埋めしたり、と、まぁ、そりゃぁ、私はラクをし続けてきましたよ・・・。

昨日来たメールにも、「きくみが何とか大きな花として開いて欲しい、結局私はそれをサポートする為にこれまで生きてきたのだと思うし、これからも頭がはっきりし身体が動くうちは変わりません。まあ、そういう人生も悔いはないと思います」などと書いてきてくれたので、なんだか涙が出たくらいです。あ、のろけて自慢するために書いたんじゃないですから(苦笑)。

ものすごく疲れているとき以外、西さんは家事に貢献してきたし、家事だけではなく、いろいろな同意については、注意深すぎるくらいにコミュニケーションを取ろうとする姿勢を崩さない人です。だから、私は彼とこんなに長いあいだ、いっしょにやってこれたのだろうと思うのです。なので、仕事もできると信じたいところです。仕事場で、どんなふうに同僚や部下や上司から同意をもらっているのか、実際はビジネスディナーくらいでしか見たことがなかったのですが、会社を立ち上げてからは、大きな会社で働いてきた悪い癖のようなものは、見て取れますが、今後はきっとそれも改善されていくのだろうと思います。逆に私のほうは、パワーゲームをまったく相手にしていないし、倫理的に悪いと思うことはできないので、儲からないんですが(爆)。

私の英語の生徒さんの中にも、母だから妻だから女だから、という理由で、小さい疲労を蓄積している方々をよく見かけます。今日も、翻訳を無料で引き受けてしまいました(爆)。とにかく泣いて疲れて、せっかくの蓄積を放棄したくなるくらいだったので、「やりますから寝てください」とお願いしました。男の人もたいへんなのだろうけれども、女性の家事は24時間お休みがないから、本当にたいへんだ。私は元気だからいいのよ♪しかも家事は母がやってくれているし(この場合、法則としては3.を採用していますから♪)。ツケは本来払わなくてもいいはずの、がんばっている人たちを見ると、本当に切なくなります。

なので、ぜひぜひ、そもそもの最初から、簡単に同意しないようにしてほしいな、と思うのです。労働組合から長々書きましたが、本意は伝わったのだろうか?と、今日は疑問です・・・(汗)。

同意してしまうことのツケ その1

01/13/2008 にアップした文章です。

ここのところ、私は、本来の自分を曲げなくてはいけないことに直面する機会が多くなってきているのではないか?と少し考えています。うーん、そうでもないのかもしれない。うーん、もしかすると、私はこれだからアメリカに逃げ出したのかもしれない。うーん、私などよりずっと意志を曲げていかなければいかぬ人々が圧倒的なのかもしれない。いろいろなことを考えつつ、それでもやっぱり同意したいことに同意したいし、同意したくないことにはあくまで声を出したいと思うのです・・・。

同意:(1)同じ意味。同義。(2)相手と同じ意見・考え。また、同じ考えであることを意思表示すること。(3)他の者の行為について賛成ないし是認の意思表示をすること。

おおよそ同じ考えというのはあるにしろ、まったく寸部違わず同じ考えなどというのは、社会科学問題、社会問題に関してはあるわけもなく、その代表的なものは人間関係です。登場人物が違えば、似たような問題であっても、原因も似たようなものであってもズレが出てきて、そこから進んでいく問題は、やはりもっとズレが大きくなっていくもの。傾向・統計にすることはできても、正規分布(ベルカーブ)の真ん中の63%に必ずしもすべてが当てはまるわけもなく、たくさんの資料やデータを持っているかいないかで、同じものを見ていても、同じように対処しようとは決断しかねることはたくさんあります。

そこで、最良なのが、「個別化」「ケーススタディ」なのですが、いかんせん、それにはマンパワーがかかる。そもそも、問題というのは、当事者だけで解決するのはよろしくない・・・。感情と感情の対立になり、主観に偏りがちな冷静さや論理性を欠く、解決法や軌跡を歩むことになってしまうことが多いです。私がアメリカで感心したことのひとつに、Negotiator(交渉人)という機能を使うというものがあり、日本でも、ドラマが始まるようです。が、あれは、警察関連で、立て篭もりなどを対象にしたものなのか・・・。

映画Negotiatorも逸品でした>http://www.imdb.com/title/tt0120768/ 

日本でどの程度理解されているのかを見てみる・・・。ふむふむ、やはり警察関連のものだけが取上げられており、交渉する役割を持つ、他の職業や業界については、あまり考えられていないのだな・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E6%B8%89%E4%BA%BA 

このWikiには、一般企業や保険の交渉について書いてありますが、お金が大きく動く業界では、たいていNegotiatorの役割を担っている部署があり、彼らは公的にNegotiatorと呼ばれていないものの、フツーにTVやニュースや日常会話で、Negotiatorと呼ばれます。

代表的なものが、労働組合の代表と会社代表のあいだに立ち、ストライキを解決する人。私は、あの仕事は本当に高く評価しています。もともと、労働組合を組織することにしたのは、未だに遺体が見つからない、ミステリアスな最期を遂げたHoffa。映画にもなっています>http://www.imdb.com/title/tt0104427/
Jimmy Hoffaとはこういう人>http://en.wikipedia.org/wiki/Jimmy_Hoffa (英語)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A1(日本語
映画の監督は、あのDanny DeVito(バットマンのペンギンなどをやった、味のある役者です。ちなみに彼はMichael Douglasの親友です)。

18歳で労働組合という概念を組織化したというだけで、かなり評価できるのですが、人生そのものはやくざと変わりがない、と言われてきており、最期もマフィアとの決裂のために消された説が大きく支持されているわけです。もちろん、彼の利益というのもあったにしろ、大勢の人間の不平等感を、組織化することにより、多少でも改善方向に持っていったのは、大きな功績であったと思うのです。

この労働組合と会社側のNegotiationを担う役割の人間は、第3者であったほうがいい。長いながいストライキを見ていて、たくさんの市民にも迷惑がかかることがありますが、日給月給や、時給月給を働いている人々が、干されてまでも改善したいことがある、というのは、やはり行き過ぎではないと思えることも多かったわけです。昨今では、日本に渡るアメリカのニュースでは「行き過ぎ」ばかりが取り沙汰されるようになりましたが、そんなものはごく一部で、やはり労働組合のNegotiationは、納得が行くものが多いですよ。

そして、日本の不思議は、どんな企業でも、建前的に「企業の内部の人間、あるいは企業が、労働組合を作る」というもの。そりゃぁ、同意しちゃうだろうよ、と思うのです。労働組合の委員長や組合長は、その任期が解かれれば、企業の中で幹部として活躍していく企業がほとんどです。そんな将来の天秤ばかりを与えられて、本当に労働者のために働けるのか?と、首をかしげてしまうことは多い。政治的動向の矛盾は、保身をしすぎると日和見な態度になり、あまりに労働者を大切にするとクビになるという憂き目に遭いますから、そんな役職に就いた人たちが悪いわけではなく、システムが悪いのでしょう。少しずつではありますが、労働組合は、外部や業種や業界などでだんだん発足するようになりました。いい傾向です。

私の父は、1993年の1月に死んだのですが、亡くなる2ヶ月前まで、ハイヤーの運転手をしており、労働組合の組合員でした。まぁ、貧乏の象徴のようなもので、中卒だった彼が、最初に考えた技能、手に職というのは、車の免許だったのが、昭和30年代後半です。そこで、タクシーの運転手になったはずが、さらにお金がいいというので、ハイヤーにしたわけです。2勤2休という過酷な労働条件ではありましたが、よく働いたと思います。私は5歳くらいから、春闘の日比谷メーデーのデモ行進などに連れて行かれていましたが、どんなカッコウで行っていたんでしょうか。よく記憶していません。叫び、悲痛であったことや、その裏でやたらと明るい交歓があったことを憶えています。あんなにがんばったのに、結果はわずか1000円だとか、数千円だとかいう単位だったことを、強烈に憶えているのですが、関係者の数が多ければ多いほど、勝ち取る金額などは少なくなければ、経営破綻してしまいますものねぇ・・・。

どこが同意の微妙なラインなのか?は、食べていく賃金に関してはシビアなものが多いのでしょうが、日々、私たちがいろいろな人の中で暮らしていく中、妥協したり、曲げてしまったりする意志が多いことは否めません。その場が丸く収まるからと、同意してしまったあと、支払うツケが多いことに、あまり気づいていない人はかなりの数いるような気がしています。同意された側としては、「一旦同意してもらったのだから・・・」と、何かの大きな意思表示がない限りは、その言葉は言質あるものとして、ずっと受け止められて、確認作業が入ることがなくなってしまいます。定期的な意志チェックをするのは大切なのですが、みんながそういったシステムを採用しているわけではないですし、特に、プライベートなおつきあいでは、そのようなシステムはあってないようなものになることは多いです。

簡単に同意してしまうことがないように、よくよく考えたほうがいいことは多いです。明日は、それらのツケについて、もう少し考えてみたいと思います。

Identity(アイデンティティ)の重要性

01/12/2008 にアップした文章です。

信じがたいのは、教育関連の物品を取り扱っている会社が、ある国の存在を捻じ曲げて、それでもお金儲けを優先した揚句、結局まずいということになり、回収や返金にいそしんでいるというニュース。しかも、その国は、西さんが7年住んだ台湾で、政治的なさまざまな確執があり、これを聞いた親日家の台湾人にも、さぞかし悲しい思いをさせたんだろうな、ということ。バレーボールの試合のときも、私はかなり憤っており、どうして「チャイニーズタイペイ」などというチーム名なのかわからなかった・・・。核を持っているから怒らせてはいかんのか?うーん、信じがたい。

地球儀というのにも、私はかなり特別な思いいれがあります。私が22歳のときに、本当にかわいがってもらった実業家で、以前blog記事『究極の片想い』に書いた通り、初めて行った彼のオフィスには、私の顔の5倍ほどの地球儀があったのです。彼が、その地球儀を廻しながら、自分の大きさについて語ったり、私の大きさについて興味を持ってくれたり、首都当てクイズを勝手に展開したりするところを見て、私は彼が好きになりました。その人はもう亡くなってしまい、たまに感傷的にGoogleってみるのですが、まだ少し引っ掛りますね。

そのせいなのか、私は知り合いの子どもに地球儀を上げるのが癖になりました。「夢を与える大きな力」を持っていると、勝手に思い込んだのですね(笑)。大阪で地球儀を買おうとしたときには、知らない大阪のおばちゃんに、「あんたさん、何で値切らへんの!?」と言われて、値切りを代理交渉してもらい、それでもダメだったんですが(笑)、楽しかった思い出があります。ライトが点灯する地球儀もピンキリで、作りが雑なものもたくさんあります。

「あんなもの、持っていてもどうってことないよ」と思う方々は多いのでしょうが、私は子どもみたいな気持ちで、やっぱり自分が生涯行けないであろうところにも、確実に生命があり、そこに人々や動物たちが暮らしており、みんなやはり私と違わず倖せを求めているのだということを、考え想像するのが大好きです。そして、旅先や仕事などで知り合えた人々の笑顔を見ることができたとき、彼らがどこのどんなところから来ていて、地球儀を私が指でなぞったときに、彼らを想定していたのだ、と想うことが心地よい。

その夢がいっぱい詰まっているはずの地球儀ですよっ!その表記が、政治的圧迫に負けたというのは、どうなんざんしょ!?

 29800円の地球儀が、1万個完売で(予約含む)、単純な売上高としては、298000000円ですよねぇ(ゼロが多くてまどろっこしい。2億9800万)。3割が利益としても、9千万プロジェクトなわけで・・・。しかも初回オーダーというくらいだから、2回はすでに7000個の予約が入っており、当然のごとく、3回目も夢見ていたのでしょう。お金にしたら、ものすごい金額である・・・。

その会社は、学研ですよい・・・。私が小さい頃は、『学研の科学と学習』を毎月、定期購読している子たちは、ハイソなお家の子で、その子たちが寛大だったのか、それとも見せびらかしだったのか、学校に付録などを持って来てくれたりして、お家に遊びに行くと見せてくれたりしました。とてもためになったし、勉強した気になったものだ。ものすごい情報量だと、小さい頃は感じていたのである(笑)。

ああして、私ですら、『学研の科学と学習』をかなり信頼していたのですから、私の年代の人々が親になったって同じような心持でしょうし・・・。歴史が重なった分だけ、けっこう信頼も重いのかもしれない・・・。

食べ物ではないから、直接的には被害がないとおっしゃる方々もいるのかもしれません。けれども、この話は、子どもに「あなたは今日までお父さんとお母さんの子どもだったのだけれども、生みの親が他にいるから前の苗字で呼ぶわね。だから学校の名簿もそうしましょ」と、第3者が勝手に言っているようなたとえ話にできます。しかもその第3者は、生みの親から圧迫を受けて、そうすることにして、その名簿をコピーして、いろいろなところに配ってしまうわけです。しかも、そのコピーを配ってお金まで儲けてしまうわけです。こんなのが正義であるわけはなく・・・。

さらに、アイデンティティ(自己証明)というのは、そもそも誰のものなのよ?このケースにおいては、台湾のものじゃないのか?中国と台湾が、これまで長い長い確執を持ってきたのは、少し教養がある人々なら知っているかもしれません。知らない人でも、自分が中国と台湾の立場に立てば、話はかなり見えてきます。もちろん、ひとりのアイデンティティとは違い、団体となる、しかもその大きなくくりである国のアイデンティティをしっかりと境をつけるのは難しいことです。日本のWiki toアメリカのWikiでは、少し見解やトーンが違います。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E5%9B%BD>日本
http://en.wikipedia.org/wiki/Republic_of_China>英語
http://en.wikipedia.org/wiki/Political_status_of_Taiwan>ステータスについてさらに言及しています。

日本語では、こんな記事があります。http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/02021201.html 冷静な見方だと思います。

私は、台湾が国としての誇りを持ち、ひとつの国としてしっかり世界の中で自立していくことを求めているサイドにいます。が、そうでない人々の思惑というのも考慮に入れてのことです。

話を戻して、これほどこじれている、難しい問題を、子どもたちにどう伝えていくか?というのは、大人に掛かっているわけです。子どもたちが、自分たちが考え付く論理で、その結論に達してもらうことを目指したほうがずっと健全です。最初から、大きな力である中国の圧力に従順したものをプレゼンすることは、いただけません。世の中はこんなふうに複雑なのだ、ということを、子どもたちに示すことも、大人としての義務ではないのでしょうか?

その中で、子どもたちが、自分のアイデンティティや他人のアイデンティティについての尊重心を高めてもらえることを願うばかりです。