カツオ三昧の日々が来るね

04/24/2008 にアップした文章です。

 

ネコたちに最近、耳元で抱きしめながらつぶやいているのがコレ(笑)。わかっているのかいないのか、彼らは、マグロよりもカツオのほうが好きらしい。食べる量も勢いもスピードも違うわけです。匂いに違いがあるのか、味に違いがあるのか、食感に違いがあるのか、それはわからず・・・。そして、去年の夏頃と同じように、ネコにあげて余った分を、私がいただく、という構図が成り立って行くこととなります←どんだけ甘やかしているんだ!?と思われることでしょうが、彼らとしても今までの3分の1くらいの広さのところに閉じ込められ、もう外の世界には一切出られず、という日々を送っており、食は大きなヨロコビですからねぇ。それに、私もいい歳になってからは、食に対する欲は、量よりは質になってきているので、まぁ、かまわないのです。だから、自分が食べておいしいものをネコたちにあげており、健康にどのくらいいいのか?を獣医さんに相談する日々です。いや、あんまりやりすぎるなとご忠告いただいています。



なので、量も大量ではなく、ヨロコビにブーストがかかるくらいにしてあります。そのあと、ちゃんと「物足りなさ」で、健康バランスが考えられたネコごはんを食べてくれるように。

 

ところが、ネコたちが聞き分けてくれないのが、「カツオ所望運動」(笑)。カツオの旬の時期ではなくなっても、マグロを仕方なく食べて、カツオを待ち望んでいるのを目にしたとき・・・。そりゃぁ、言葉では言いませんよ・・・。でも、食べが悪かったり、冷蔵庫の前でちょこんと座ったり、ネコごはんがたくさん入っている食品庫の前にいたり、手でこじあけようとしているのを見ると、「うーん、わかってないなぁ・・・」と思うわけです。何もいじわるで、カツオを出さないわけではないことは、あまりわかっていないようで・・・(汗)。仕方なく、削り節をあげるんですけど、ふはふは言いながら、散らしてしまい、また私が寄せてあげるという作業を繰り返す(爆)。

 

そんなに好きなのか・・・・(汗)。

 

アメリカに居る頃は、こんなにお魚が食べられるとは思っていなかったようなので、ネコたちはけっこう幸せそうではあります。外に出られないことも、実際には、駅前なので、彼らにとってはものすごい異音がしているらしく、出たい!という気持ちも起こってはいないのです。たまにベランダに出ても「ここでおしまいでいいや・・・」という環境へのあきらめは見えているのです。しかも、カラスがいつも見られるので、それはエンターテイメントだと思っているらしい・・・。アメリカ生活と違って、母が水曜日と日曜日以外はいつも居てくれて、人間と過ごす時間が多くはなっているので、彼らはむしろ、精神的にもゆったりしているのかもしれません。まぁ、夏のエアコンは嫌いですけどねぇ・・・。

 

彼らを日本に連れて戻って来て、あと2ヶ月で1年になりますが、当初心配したような健康や精神健康の害は、少なく、むしろ+も多いので、カツオを支えに生きているのか?と思えるほどです(笑)。来客に物怖じしてしまうトラちゃんだけが、本当に気の毒ではあるのですが、彼は太っているので痩せてほしいから、わずかな限られたストレスであれば、むしろいいか?と妥協しているところ(笑)。恐怖ダイエットというのは、実在するに違いない・・・。

 

私個人は、マグロとカツオ、どちらが好きか?と訊かれれば、中トロがあるので、マグロのほうがいいんだよなぁ。でも、毎日そんなものを買っているとキリがないので、やはりカツオも好きだしなぁ・・・。特に、仕事がなくて、夜にニンニク醤油で食べるカツオはいいよねぇ・・・。カツオはお手ごろ価格で、時期によって味が違うのがいいよなぁ・・・。どうしてなのだか、そこで自然の摂理を強く感じてしまうのであった。

 

ここのところ、1日7時間半ほど働いたあと、さらに2時間だとか3時間働いているので、移動時間も含めて、家に帰ったときには、私の脳の限度である17時間を超えそうになることがしばしば。起きてから眠るまでの時間は、私の場合、17時間が限度なのです。それ以降は相当に朦朧としてくるんですねぇ。そして、そこから睡眠時間が計算でき、入眠時間を入れても、6時間半は確保できないとまずいことになる。翌日に持ち越された不眠マイナス貯金(借金か・・・)になるわけです。研究の結果、睡眠時間不足が蓄積されていくと、翌日や翌々日の脳の働きはIQで測るとものすごいマイナス関数で増えていくそうなのです。1週間でIQは20くらいも目減りしてしまうとかで・・・。そうなると今週の私は、すでにマイナス12くらいなんじゃないかと、生徒さんに申し訳ない気持ちなのですねぇ・・・。そして、昨日の夜は8時間眠ったんですが、それでも今日の労働時間は7時間。フツーの定時OLと変わらない・・・。今日の睡眠も下手をすると、6時間を切ってしまうかもしれないので、またマイナス側が増えることになり、それが火曜日の朝まで続きそうなのです。

 

そして、母は昨日、カツオを買って切ってくれたのですが、やはり私はネコのマミィなのですねぇ・・・。ネコにあげてしまいましたとさ・・・。そして、母もやはり私の母なんですねぇ。疲れていたら、睡眠時間が確保できないのなら、と食で補おうとする・・・。だから太るんじゃないか!と思いつつも、母の愛情を感じ、自分のネコへの母性も感じているのです。カツオ三昧の日々が来れば、あげてしまっても残るくらいは買えるんですけどねぇ・・・。でも、母は万年貧乏性のケチだから、豪勢には並べてくれないのかなぁ・・・←心配(爆)。

 

東京で、これだけ生魚を満喫できるというのは、けっこう異常な状態なのかもしれない。特産品でもないのに、市場に集められてきて、そこで高値をつけるところに売るってぇのが経済ですもんねぇ。西さんの育った鹿児島では、きびなごがおいしゅうございました。お刺身にするなんてことすら知らず(やはり貧乏だからなのねぇ・・・)、他のお刺身も相当に安かったです。地方は、東京よりもずっと同じものを、鮮度高く、安く、食すことができているのだろうなぁ、と思うと、悔しくもあり、うらやましくもあり・・・。これじゃぁ、まるで、おかめ納豆3パック入りを$2.79で買っていたアメリカ時代の、小さいスケール版ではないか!と、余計なことを考えつつ、カツオ三昧の日々を待っているところなのです。

 

いや、自分のためではなく、メインとしてはネコたちのために←本当?(爆)

 

しかも、このあいだの新陳代謝を高める食品の中には、牡蠣・ホタテ・うなぎ・たらこ・青魚があったじゃない・・・。私はこの5つは大好きだ・・・。でも、きっと地方にいたら、日常的に食べられるんだろうなぁ、これら・・・。しかも、蓄積すると相当な安価で、差が出るんだろうなぁ。東京に住むメリットは、仕事がたくさんあることなのだけれども、やはり健康の面からいくと、やっぱり地方がいいんだろうなぁと、つくづく思う、カツオ三昧の日々を待つこの頃なのである。

 

しかも、私はやはり疲れているに違いない(爆)。おいしい、青魚も食べたいなぁ・・・・。

 

勇気が必要なとき

04/21/2008 にアップした文章です。

小さい頃から、勇気が必要なときに、自分の全体を試されている気持ちになるのではないかと思います。現在、新人研修の英語講師をしていて思うのは、ひとりが勇気を出して、ホワイトボードの前に進んで出れば、自然とみんなが連なるという、いい連鎖。こうした伝染病であれば、いくら感染ってもいいのになぁ(笑)。彼らとしてみれば、新しい人々に一気に何人も出遭って(新人だけで53人だったか、58人だったか。さらに、上司やら先輩などを入れればものすごい数になるはず)、私のような変なやつには遭うし、マナー教室の講師などまで来たということだから、すごいことになっているんだろうなぁ・・・。誰に何を言ったのか、果たして憶えているものやら・・・。

 

勇気:物事を恐れない強い心。いさましい意気。

恐れる:(1)危害が及ぶことを心配してびくびくする。危害を及ぼすような人や物と接することを避けたがる。こわがる。《恐・怖・懼》(2)良くないことが起きることを予想し、そうならなければよいが、と思う。危惧(きぐ)する。《恐・懼》(3)神仏などを、人為の及ばないものとして敬い、身をつつしむ。《恐・畏》(4)閉口する。恐れ入る。《恐》

 

わからないことをわからないとはっきり言える勇気があることを、22歳から24歳の彼らを見ていて、たいへんに頼もしく思います。もちろん、私もその雰囲気を作ることに、大いに貢献したと思いたいのですが、微力だったことでしょう。やはり彼らは、新しい環境に飛び込む前に、すでに大いに腹を括っており、それがただ体現されただけのことなのでしょうね。

 

今日はランチを社員食堂でいっしょに食べたのですが、私は彼らと同じメニューの普通盛りを残してしまうような体力だったのに、彼らは大盛りをペロリと私の半分くらいの時間で平らげた揚句、元気に、わからないモヤモヤの多い英語にトライしていたわけです。勇気があるなぁと思ったのは、今日ランチ開けにやってみた伝言ゲーム。英語のセンテンスを、最初は3語のみから始めたのですが(Time flies fast)、その後、イケる♪と思った私は、6題目には、21 Wordsにも延長したんですね。でも、誰も「できない」「イヤだ」とは言わなかった。楽しそうに、最後までチーム対抗戦でやり続けて、「よっしゃ!」「がんばるぞぉ!」と言いながら、眠いであろうおなかいっぱいの血液循環が悪くなった頭に鞭を打っていたわけです。彼らの吸収力には、目を瞠るものがあり、その柔軟性には脱帽でした。赤ちゃんのような英語の吸収力って何歳でもありえるんだろうな、と。

 

彼らはすでに最初のお給料をもらったのですが、たくさんの勇気が試されてきているのに、そこでもまた勇気が試され、「最初のお給料で何をいくらくらいかけて買うか?」という大難問にも、この週末遭遇していたわけです。私は、そんな記念になるお給料をもらったことはないのですが、きっと彼らのほとんどの人々は、その買い物を生涯忘れないのであろうと思います。ひとりは、3万2000円もするジャケットを買ったらしい。清水の舞台はものすごく高かったことでしょう。

 

私個人には、ここのところ、勇気が必要なときというのは、なかなかなく・・・。犯罪の芽に遭遇することもなく、倫理的違反もここのところ目にしておらず、せいぜい、優先席だけが空いているときに座っていいかどうか、迷うときでしょうか?←誰か優先される方が乗ってきたら立てばいいや、という軽い気持ちで座れるという、軽度の勇気だしなぁ・・・。

 

好きなことは言えている環境ばかりを整備しており、勇気が必要なときは本当に少ない。他人様に迷惑を掛けないように、と、あまり言い過ぎないようには心がけてはいますが、まだ、それほど嫌味なわけでもないらしい・・・。産業カウンセラーの実技講座のほうも、みんなといっしょにお昼を食べることもできているし、タバコ友だちもできているし、特に疎まれているような気分でもないです。

 

西さんからの今日のメールには、「ストレスというのは、体力的なものは、いくらでも回復できるけれども、人間関係のストレスはいつまでも打破できず、しこりのように蝕んでいくから」というような内容の、なんだか意味深なことが書いてありました。私には、人間関係でのストレスがあったときに、このエッセイに論理的に道筋を考えて書けていたし、自分の決断に対して今もどれを取っても後悔はないですし、人間関係は、無理が生じるであろうものには手を出さない勇気というのも持っており、誘惑が多くても大きくても、ダメだと予見できる人間関係には誘われないことになっています。

 

これも学習の賜物なのだろうなぁ・・・。

 

言論の自由も使わせていただいているし、人間関係が最も摩擦がないようなところにしか出入りせず、自分を追い込むのは、時間的な物理的なスケジュールだけで、有言実行もそれほど過酷なものでもなく・・・。誰かの前で、発表をする立場(=学生)に戻ったのですが、カウンセラーの講座なので、みんなもそれなりによく話すので、私ひとりが尖がることもなく、なんだか勇気があるのかないのか、わからない状態になっているわけです。

 

ところが、10人という大勢の中で、果敢にアタックする生徒さんである新入社員の面々を見ていると、なんだか清々しくてならぬのです。うーん、歳を食ったせいなのだろうか?私も、24歳のときには、ひとりで英語も話せないのに渡米して、よくも生き延びたものだと今は思うのですが、あのときは、本当にいろいろ毎日24時間、勇気が必要で、試されていたなぁとなつかしく思うのです。

 

うーん、タイトルを間違えたかなぁ・・・。まだまだやらねばならぬことがたくさん残っている人生体験と、今、やらねばならぬことは終わって、あとはやったほうがいいことを選び取りながら生きている人生体験をさらに積み重ねる日々とは、やはり勇気の質が違ってくるのは当たり前なのだろうけれども・・・。うーん、でも、どうも、なんだかうらやましい(爆)。私も、あの当時に、毎日英単語を3~50個新たに憶えていたように、毎日それまでの常識になかったことをいくつも学んでいたように、またそんなところに行きたいかもしれない、と、放浪癖の血が騒いでしまっているような・・・。歳食ったことに対しての悔しさなどはまったくないし、私は今の自分の歳がとても楽しいのですが、老いていくことに対してもまったく恐れなどはないのですが、あのワクワク感や勇気をえいっと発揮する場面というのは、まだこれからもたくさんあってもいいんじゃないかと・・・。

 

こういう気質だから、ずっと学校に行っていたいんでしょうけどねぇ・・・。だから、教える側だとしても学びの環境に居られて、なんだかとても毎日楽しいのでしょうけれどもねぇ・・・。

 

勇気が必要なときが、もっとたくさんあればいいのになぁと思いつつ、日本でデモ行進などがあれば、駆けつけたいと思いつつ、そんな調べ物すらしているゆとりがないことに気づくのではあった・・・。さて、寝る時間を確保しよ・・・(汗)。

 

 

思考や世界観を表現する

04/21/2008 にアップした文章です。

 

チベット問題について、あれからエッセイに書かずにこれまで傍観してきたのですが、相も変わらず、すごいんだなぁ、中国も、日本も。私は、せめて自分にできることしかできない、を軸に、英語クラスの中で、折に触れて生徒さんたちの意見を、「言葉にすることで考えるチャンスにする」という試みを、人知れず(?)行っていました。それを英語で言えることができればいいんですが、「まだ、なかなかねぇ・・・」という人のほうが多かった。さらに、私が体験してきた、抗議運動を話すことで、臨場感のカケラでも伝わればいいなと、余談も交えてきたのです。いくら想っていても、伝える行為をせねば、なかなか伝わらないことは、みんなわかってくれた模様・・・。やはり『男は黙ってサッポロビール』の文化は、まだ根っこのほうにあるようで・・・。



中国人ですら、中国各地でフランスデモ(手を繋いで道幅いっぱいに大勢で行進すること)をやっているというのに、傍観者だから、という理由をつけて、日本人が自分の考えを声にしないのは違うだろうと、つくづく思いますね。いや、ネットで書いている人は何割かいるんでしょうが、それが届く先を考えてみるのもいいかと思います。

 

聖火リレーについては、みな、割と簡単に意見が言えていました。「そもそもここ最近のトレンドなんだ、あの聖火リレーは」というコマーシャリズムのような批判が多かったです。あれにより、本当に世界平和が実現しているのであれば、どんどんやればいいが、今回のような警備が必要であれば、余計にお金がかかったり(しかも税金から出ているはず)、ただセンセーショナルなニュースのネタになるだけで、世界中の人々の+にはなっていないのではないか?というのが大半の意見でした。笑えたのは、「聖火なんて何度も消えているのに、あの中国の聖火防衛隊はおもしろい」というもの。しかも、彼らは聖火ランナーなどにおかまいなしに、聖火そのものを守るのだそうです。聖火ランナーから聖火を取上げている場面もあったらしく、かなりコミカルなところを、世界中に披露しているのだそうです。私は、活字でしか見ていないのですが、ニュース番組を見ているとそう感じるそうです。

 

「権威や権力のほうが、人より先に立つ」といういい例になってしまっているのか・・・。

 

相変わらず、中国がチンプンカンプンなことを言っているなぁと思うのは、「チベットはそもそも誰の国だったのか?」ということで、60年弱経ったからと言って、その独立はありえない前提から話を展開することは、どうしても矛盾が起きる。しかも、統治下で、民族差別が起きていることへの証拠は枚挙に暇がなく、この世界人権宣言がある時代に(しかも、1948年なのだから、そもそもチベットを自分のものにしていいわけもない中国・・・)、理解できていますか?と改めて問いたいですが。

 

http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=694 >谷川俊太郎氏による世界人権宣言の訳

http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=908 >これが全文。

 

まぁ、国防と政治と国連のつりあいというのは、本当に難しいところなのでしょうが、だからこそ、こうした見張り役的な意味での、国連という機関は必要です。そればかりがいいわけではないにしろ、本当に世界中の人々が幸せに向って歩んで行ける環境を提供できなければ、民主国家とも先進国とも胸を張れず・・・。

 

そうしたあからさまなマインド後進国の中国に対して、個々人を責めることとはまったく別の次元で、なんらかの自分の意見・スタンスを表明するのは大切なことです。中国擁護をしすぎる朝日新聞という通説が常識化しつつある日本らしいのですが、私は新聞を読まなくなって久しく、ネットでも朝日はたまにしか読まないので、それを今回まであまり実感しませんでした。みなさんは、サッカーのときに日本の国旗を燃やしたり、足で踏みにじられる事件があったりしたときなどに強く感じたのでしょうね。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A0%B1%E9%81%93%E5%95%8F%E9%A1%8C >チベット問題に対する批判も載っています。

 

このあいだも、忙しすぎて誰なのか、どこの局なのか、チェックしきれなかったのですが、高齢に見える男性は、「ダライラマは宗教家などではなく、政治家だ」と作為的なここまでの彼の動きは、「計算されつくされたもの」と、シアトルでのダライラマの学生との懇親の様子を見て、語っていました。冗談を交えて会場にいた大学生たちを笑わせたダライラマを、「こうして世界に行脚して廻っている」と。うーん、可能性として、「これが彼の素に限りなく近い実現体」とは思わないのかなぁ。私は、決してナイーブな大人でもないつもりでいるのですが、こんなに長いあいだ、平和をアピールできたからこそ、ノーベル平和賞にも値したと思うし、やはり政治家よりも宗教家の割合のほうがずっとずっと大きいと思っています。

 

それだけではなく、「彼が一度も中国政府に対して、あからさまな攻撃的批判をしないのは作戦:それにより、世界中を巻き込みチベット問題に関心を持ってもらいたいため」と言い放っていたのですが、2点問題あり。宗教家として、攻撃的ではないことは、彼のこれまでの人生の軌跡を見てきても単純に理解できるということ。本当に攻撃的になれるかどうか?のキャパは知りませんが、英語で報道されている部分も含めて、彼が攻撃的だったことは、公人として扱われてきてずっと見たことはないです。攻撃的に批判しないといけないのか?その可能性はでかいのか?もうひとつは、世界中を巻き込むことはまったくのところ、いいことではないんでしょうかねぇ・・・。多数決に委ねるわけでもなく、これまでも、コソボにしろ、ユーゴスラビアにしろ、パレスチナなどの諸問題にしろ、世界各地で起きてきた紛争というのは、世界中がスタンスを持って然りでしょうから。

 

不思議なコメントであった・・・。むしろ、そんな諸問題に対して、無関心で何も表現しないほうが、ずっと罪だろうよ・・・(汗)。攻撃的に批判することばかりが脳でもなく、どんなアプローチをするのかが、その人のキャパを表していくんだろうよ・・・(汗)。と、思うので、あんなコメントでコメンテーターとしての代償をもらっているのであるとしたら、オソマツ極まりないです。うひ、ダライラマを尊敬している私としては、どうしても偏って考えているのかもしれず・・・←ご意見ください。

 

かと言って、私は中国人全体をネガティブに評価しているわけではありません。国家の体制や体質に対しては非常に不愉快ではあり、論理に叶っていないと思っていますが、個々人には多様性があるでしょう。私自身も、ステキな中国人には何人も邂逅していますし。

 

貧富の格差にしろ、言論の統制にしろ、差別にしろ、世界へ自国の醜態をさらすのは、国民ひとりひとりの表現する態度であると思います。『障らぬ神に祟りなし』ではないですね。無関心な態度は、参加していないという意味では、最も卑怯な態度かもしれません。知らないというのは、最も無知をさらけ出している表現なのかもしれません。

 

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その95

Speaking with Natives の不安はどこから?

 

多くの日本人の方々は、「英語が話せない」という意味で、I can’t speak English. というのを割と簡単に、というか、割とメカニカルに暗記したふうに言いますよね?これは、かなり間違いというか、マインド的には不評なのです (・・;)

 

本来ならば、 

I don’t speak English.

が正しいのでした。現在形が表す概念は、

 

・習慣

・科学的事実

・論理性の高い一般論

 

とされているので、習慣的に英語は話さないのよ、という意味で取られたほうがいいじゃーないですか(笑)。

 

can という意味付加のほうの助動詞(意味付加と時制、助動詞は2種類に分かれます)では、フツーにできない、という意味に取られてしまうんですが、実際はすでに話しているでしょう?なのに、話せないって??(笑) I can’t speak English. という以前にも後にも、きっと細切れで我流であっても、英語話してますよね?

 

そうなると、やはりNatives は戸惑うのです。え?ん?というふうに。

 

日本に長く住んでいるNatives はさほど驚かないかもしれません。なぜならば日本人や日本文化に慣れているから。けれども、旅行先・出張先ではきっと「不可解でもやもや」というのが残ることが多いのです。

 

こうした言葉の選び方や端々のニュアンスなども含めて、英語をマスターするにはどうしたらいいのか?実際によどみなく、流れるように話せるためにはどうしたらいいのか?というのを考えてみていただきたいわけです。

 

暗記をしても場や相手やタイミングに合うとは限らない

時制と助動詞は必須

前置詞で意味がまったく変わってしまうことを体感

 

などの理屈というか、筋道というか、基本的な概念は、Nativesはうまく解説できるとは限らないのです。なぜならば、生まれてから育つ中、自然に身につけたものであって、そこに理屈がなくても「意思疎通に有効」と身体が覚えてしまっているからです。教える仕事に就いた場合には、もしかするとがんばってくださるかもしれません。とはいえ、日本人の私たちがいかに知的に高めであったとしても、日本語文法をしっかり教えることは、ほぼ8割くらいの人ができないのですから、それが現実的なお話です。

 

Natives にとっては、「話してくれなければわからない」という内容はたくさん存在します。日本人にとっての、「察する能力」「共感する能力」は、多様性と引き換えに目減りしているからです。多様性というのは侮れないものすごく広いものですし、複雑なものですから、日本人でも多様的である人々は、楽しく暮らしていると思います。なぜならば選択肢そものもがたくさんあって、その中からしっかり選びきっている場合、満足度が高いはずですから。

 

英語を開始するにあたり、どのような違いがあるのか?をまず押さえておくのが必須であると、Precious One English School は信じています。でなければ、ロスが増えたり、廻り道が遠くまで伸びていたり、自信に繋がらなかったり、と、悲しいこと・つらいことが増えるからです。

 

何度も挫折している方や、独学での限界を感じていたら、ぜひとも無料体験レッスンにいらしてくださいませ(^^♪ 

 

 

姿勢チェック

04/21/2008 にアップした文章です。

 

ここのところ気になっているのが、Core Rhythmをやっているせいなのか、姿勢。腹筋のことをCore Muscle(核となる筋肉)と表現しているのだけれども、確かに、気合を入れて立つと、姿勢がよくなる感じ。でも、そのせいでどうしても気づいてしまったのが、自分の両肩が内側にぐいっと入っていて、背中に通じる肩口あたりが丸まっていること。これは、ひとえにPCのせいなのか?と思っているんですが、どうなんでしょうか?姿勢チェックをしてみることに・・・。

 

http://www.sisei-info.com/textb1.php>姿勢チェックテスト。便利な世の中になったよねぇ。こんなのですぐさまチェックできるなんて♪

 

うげ、姿勢の崩れは中程度、と出てきてしまった。まずい・・・(汗)。でも、このテストは、私が椎間板を2枚持っていないことを察知してくれていないからなぁ・・・。うーん、とは思いつつも、先に進む。予防が大事だもんね・・・。

 

どんなことが姿勢を悪くするか?という項目は、相当に思い当たることがあるので、気をつけないとなぁ・・・。

1.テレビ・パソコン画面に頭から近寄る。

2.座る時に浅くすわって背もたれに身体をあずける。

3.座る時に背中を丸める。

4.何かをする時に必要以上に力をいれてしまう。

5..立っていて疲れてくると、お腹を前につき出してしまう。

6.背が高いのを気にして、自分を小さくみせようとする。

7.姿勢を正そうとして、胸をはる。

8.肩が丸まっているのを気にして、肩を背中に引く。

私の場合は、2.が疲れたときにあり。腰痛があるので、長時間座り続けていると、そうして休憩してしまうのである。6.もたまにあり。でも、そんなときは座るに限る(笑)。8.が最近多いんだよなぁ・・・。

http://www.shiseist.com/point/>こっちは、シーンごとに尋ねてくれているテスト。けっこう嵌まるよぉ(爆)。

あまりいい結果ではなく、中程度の意識らしい。いかんなぁ。少しあげないと・・・。このページの運動を取り入れてみることにしませう>http://www.shiseist.com/relation/advisor.php 

 

http://www.sisei-info.com/text-qa.php>姿勢矯正をするのは、それほど難しくはない模様。でも、それほどラクでもなさそげ。学習せねばならぬのだなぁ。

 

http://www.lumbar.jp/sisei.htm>正しい姿勢が、図といっしょについているので、これができるかどうかチェックしてみるのはいいかも。しかも、お助けグッズが下にちゃんと載っている。すばらしい。

 

うーん、健康関連のグッズって、高齢化のせいなのか、キリがないほど出てくるなぁ。何がいいもので、何がまがい物なのか、なかなかわからいづらい・・・(汗)。とはいえ、私は補正や矯正下着などつけたくもなく、どうにか素のままで、姿勢をよくしたいのである。やっぱり学ぶためには、カイロプラクターなどに行ったほうがいいのだろうなぁ・・・。

 

ダンス教室に通えば、カイロプラクターなどに行かずとも、踊るためには自然と姿勢がよくなるとは思うのだけれども、そんなゆとりな時間は、今はとてもじゃないが持てない・・・(汗)。将来的には習ってもいいなとは思うのだけれども、この近辺にはそんな気の利いたものがあるかどうか・・・。とさっそく調べてみる。徒歩の距離にあるよ♪http://chofu.com/units/36243/danceplaza/ うーん、あんまり魅惑的ではない・・・。まだあった。http://www5a.biglobe.ne.jp/~onogawad/ ここならば悪くないかもしれない♪でもなぁ、物理的に時間が取れるだろうか?と考えつつ、お気に入りには入れておく・・・。けっこう魅かれてはいるんだけれども、今の優先順位から行くと、2位との差はでっかいんだろうなぁ>とはいえ、ダンスは2位でもないし(笑)。むしろ、水泳のほうが2位だしなぁ。

 

http://www.big-tail.com/product/k_kss.html>これ、売り切れているんだけれども、けっこういいなぁと思う私は、きっとメンタリティがおっさんなんだろうなぁ(笑)。台湾に行くと、必ず足裏マッサージをするのですが、この前は香港でもやったんですが、あれは本当に痛いけれども気持ちいい。叫びそうになるくらいに痛いときに行くのがベスト(笑)。

 

足もみマッサージギアは持っていたのだけれども、それは壊してしまいました(笑)。私が座った姿勢で、思いっきり体重を掛けてしまった模様なのです。1万5千円くらいなので買ったほうがいいのです。母がボーイフレンドからもらったものなのですが、壊したことすら、彼女はまだ彼に言っておらず・・・。が、彼女はあまり使っておらず、私ばかりが隔日くらいに使っていたもので・・・。しかも、この足もみギアも進化版が出るので、オチオチしておられず(笑)。http://www.rakuten.co.jp/jism/518555/ こんなにたくさん種類があって、どれがいいのか、やっぱりまったくわからず(笑)。

 

でも、普段の生活で思うのは、知らず知らずのうちに、ひとりで勝手にストレッチはしているよな、ということ。誰が見ていてもかまわず、「どうしてストレッチしているの?」「肩こりですか?」などと言われているのです。が、特に肩こりはないし、腰痛も感じてはいないのですが、その手前の段階で、ほぐすことは知っているように思えています。ただし、ここでの懸念は、私が痛みに鈍感なこと。ひょっとすると、手前の段階などではなく、フツーの健常者の限界超えをしているかもしれず・・・。ただ、4・5ヶ月前に腰痛がヤバかったときに、マッサージに行ったとき、「いや、それほど深刻な状態ではないですよ」と言われたので、「きっと手前なんだ」と今も信じつつ、自然とストレッチをしているので、それでいいと思えてもいます。これをしなくなったらまずいので、いつも意識しなくてはいけないと思いつつも・・・。

 

もう少し時間があって、疲れがピークに達する前に、ちゃんとお風呂に入ることができればいいんだけれどもなぁ。どうも疲れ果ててしまって、ごはんを食べたら寝てしまう、という牛のような生活をしているので(食べてすぐに横になるのは、実際は身体にはいいことなのだけれど。お行儀は悪いんだけれども。が、本当に睡眠に入るのはよくないことなので、ここでも悶絶)、胃腸にも負担をかけているのだろうなとは思いつつ、時間が足りないことを恨みますね。昼間もう少し眠っていられれば、よいのだけれども、太陽に従順な生命体である私は、どうしても9時10時まで眠っていられない・・・。

 

さて、そろそろ出かけます。今日は産業カウンセラーの日で、戻ってきたら2時間英語を教えるのです。そして、月曜日は朝6時50分の電車に乗って、新人研修のTOEICクラスです。月曜日は午後3時までで、そのあと、また自宅で3時間。いつになったら休めるのか、アテもなく、毎日続くのですが、研修が28日までなので、GWにはかなりラクになる予定。それまでずっと、姿勢のことは気にし続けて、GW明けにでも一度、マッサージかカイロプラクターに行くことにします。

 

可もなく不可もなく

04/20/2008 05:39:01

 

多忙な日々を送っている真っ最中なのですが、うれしいことは多々あり、つまらないことや悲しいことはそれほどないという現状です。それは私の楽観性がもたらすものなのでしょうが、運気というものがしっかりとあるとしたならば、Pre-Determinedであったとしたならば、私の運勢は今のところ、とてもいいのでしょう。走りまくる性格がゆえに、知っていてもそれが止められないだけに、周囲は心配するのですが、私を世界で何番目かに知っている母が、「まだまだイケるよ」と言っているので、きっと大丈夫なのだろうと思います←やっぱり楽天的(笑)。

 

可:(1)それでよいとすること。(2)よいとして認めること。(3)成績を示す評語。「良」の次。あまりよくないが及第できる成績。

――もなく不可もなし

(1)〔論語(微子)〕言行が中道を得て過不足がない。(2)〔後漢書(光武帝紀)〕とりたてて欠点もないが、長所もない。平凡である。

不可:(1)よくないこと。いけないこと。(2)成績を評価する語。不合格を表す。

 

よく吟味してみると、やっぱりそうだ。「可」というレベルではなく、かなりいいことばかりだと受け止めており、「不可」と思えることなどもないんですよねぇ、昨今。が、こうした中国の昔からの世界観によれば、「中庸」が最もいいわけで、これは異常事態なのかもしれません。でも、これで不安にはならず、楽観を保つのが、私の図太いところなのだ・・・。

 

昨日も、手帳を片手にスケジュールを確認し、「ひぇぇぇ、本当にまったくお休みがないぃぃぃ!」とコミカルに嘆いていたところ、営業と事務を担当している、英語学校の女性に、「自分でスケジュールを引き受けちゃってるんでしょ」と笑われてしまったのですが、本当に忙しいのです。どうして、こんなにも次から次へと所望されているのかわからず、彼女とて、私に依頼をするのですが、「断っていい」という前提があるのに、どうしても引き受けてしまう(笑)。

 

「こなす」「流す」授業をやるのは、大枚をはたいている生徒さんに申し訳ないのである。私が彼らだったら、もうそんな先生はクビなのだ。ところが、「もう何回話したかなぁ、これ」とは、心のどこか、頭のどこかで思いつつも、まったくイヤではないのですよねぇ・・・。時制であっても、分詞であっても、前置詞であっても、同じことを繰り返して9ヶ月が経とうとしていますが、まったく苦痛ではないのです。なので、可でもないし、不可でもなく、相手が変われば、同じことでも反応は違うというのが、おもしろくてたまらないところ。同じ話なのに、私とて、使っている単語も違うことがあり、相手によってわかりやすいリアリティに近い例を出すことができるかどうか?というチャレンジをしており、なんだか、毎日本当に楽しいのである。

 

しかも、こんなに楽しいことをして、けっこうなお金が稼げるというのは、僥倖ではないのだろうか?と、日々自分に問いかけているのであった・・・。11ヶ月前、通訳・翻訳と並行して、英語講師の仕事を探していたときには、かなり暗かったのです。ちょっと振り返ってブログを見てみると、そんなシリアスな翳りは感じられないので、「へぇ、なんだかけなげにがんばっていたんだなぁ・・・」と我ながら感心するんですが・・・。去年の今頃は、横田基地の通訳が一段落したところで、「通訳や翻訳を主にして食べていくのは、私には無理かも」と思いつつ、次の仕事を入れていたところだった・・・。そして、西新宿の高層ビル街の大きな会社の通訳をやったのだが、やっぱり無理だった(爆)。その理由は、やはり社内の人の政治・思惑・力関係に、すんなりさらっと馴染めないというのがあったからです。割りとできるほうではないかと思っていたのですが、その加減の問題で、私の好き嫌いに抵触するくらいであれば大丈夫なのですが、「絶対に譲れないところ」「琴線」まで来ると、怒りまくってしまうようなところがあって、もう息をすることすら苦しくなり・・・。それが、「他人を見下げて平然と振舞っている人間を1日数時間も、続けて何日も見続けること」となり、かなり心がへたれて、折れてしまったという感じ。他にも、「自分の利益ばかり考えて、何でも他人に押し付けることを日常的にやるやつというのが実在するのだ」ということだったり・・・。それらのことを察知できなければまだ続けられたのかもしれないのですが、言いなりになっている人々を続けて見ていくと、さらに心はへたれて行き・・・。

 

No wonder, I haven’t worked in a structured organizationなんですよ。なーんの不思議もなく、私が10代の終わりに、OLにならないことを決意したのは、本当に正しかったのです。うん、賢い選択だったなぁ。40歳過ぎた私が、このように妥協ができないのだから、20代だったら、余計に妥協などできなかったに違いなく・・・。

 

ところが、英語学校の仕事は、生徒さんたちとのミクロのおつきあいもできて、そのミクロなところはかなり個性を生かしても怒られないと来ている。マクロもかなり大雑把にしか決められておらず、Listeningだとか、Speakingだとか、英文法だとか、英検だとか、かなりかなり大きな枠なので、その範囲にさえいれば、自由に振舞わせてもらえるので、たいへんにラクです。

 

そうでなかった英語講師の仕事は、1個だけ終わった時点でこちらから辞退することにしました。驚くべき英語上達法だと銘打ってあるテキストに沿ってやらねばならず、私はそれに賛成はしていなかったので、とてもじゃないができなかった・・・(汗)。でも、そこでは、お友だちがふたりできたので、よしとします←やっぱり楽観的(爆)。

 

しかも、英語講師の仕事は、みなコマ数で動いていることを大前提で了解してくれているので、時間も柔軟性があるので、私のような放浪癖のあるサバイバーには、とても向いているのであります。一箇所へのコミットが分割化されており、その責任さえ取っていれば、かなり自由だということ。まったく縛りのない社会人などいないので、この程度であればなんとか生きていけるし、自由に息ができる感じです。

 

可なんてもんじゃなく、優とか秀ばかりの授業で、不可なんてことも生徒さんの体調がまずいとき以外はまったくなく、みんなが日常的に抱えている問題を見据えて、しっかり進歩が見られるというのは、とてもいい商売なのだ。できたらボランティアでやったほうがいいのだろうけれども、私にも生活があるので、それはちと無理・・・。同じ講師商売の人で、この仕事が好きな人は、「本当にすごい吸収力を持っている生徒さんに当たると、こっちが人体実験をさせてもらっているようで悪いけど、とってもおもしろい」と、よく話しています。

 

頭で納得することと、心が納得することのほかに、身体まで納得させて英語を体得する方法は、かなり好評で、成果も出ており、毎日進歩している生徒さんの「ささやかだけれども重要な違い」に気づけるだけの体力を、私もずっと持ちたいと思っているところです。疲れすぎていると、ぼーっとしちゃいますから。

 

忙しいけど楽しい。こんな日々がせめて、アメリカ旅行するまで続きますように。お願いしますと膝をついて祈るのであった・・・。

 

多くの人が嫌いなものが好き

04/19/2008 にアップした文章です。

 

ここのところ、意識させられているのが、私は人々の多くが嫌いなものがけっこう好きだということ。ここのところ、というか、小さい頃からずっと意識させられてきていて、渡米してそれが止んで、またもや復活した、というのが正しい言い方なのかもしれないです。逆に、多くの人が好きなものが嫌いという傾向もあり、ヤバイヤバイ・・・(汗)。食べ物に関しては、高級品が嫌いという傾向があるので、特に不自由を感じたことはなく、タコとイカだけは、手を出さなければいいだけで、同席者を不愉快にさせることはないのです。それよりも、私が好きなものを強調すると、他人様に迷惑がかかるので、Lonerになったのでしょうな・・・。

 

たとえば、私は雨が好きです。今日、関東地方はものすごい雨なのですが、眺めているのも好きだし、特に濡れることも悪くないと思えてしまっています。スーツを着て仕事に行く日なので、今日はあまり歓迎しないのですが、カリフォルニアでは、18年半で傘を所有したのは2本だけ。1本は、San Diegoに旅行に行ったときに、動物園だったか植物園だったかを見られなくなるので、仕方なく買ったもの。もうひとつは、大好きなEddie Bauerがゴルフのときに使うようなでっかい傘を安売りしていたので、使うかどうかわからぬまま買ってしまったというもの(爆)。そして、やはり使いませんでした。

 

昨日も、調布では雨が降っていたのですが、私は傘を持ち歩きませんでした。昨日は、カジュアルウェアでの仕事だったので、濡れてもよし・・・。スーツはクリーニングに出さねばならぬのですが、カジュアルウェアは洗濯機に放り込むだけなので。むしろ、あんな高い雲から落ちてきた水滴が、私まで届いているという事実が、かなり好きですねぇ・・・。そして、ヘリを運転すると、それがほんの少し近くなる、という感覚も好きでしたが、私は有視界飛行ばかりだったので(インストゥルメンツのRatingを追加するのは、もっとチャーター料が高いヘリだったので)、数度しか体験しておらず残念。でも、そのうちの1回は、Cross countryで、Chicoというところまで行ったのですが、雲の合間を縫ってのフライトはとても楽しかった。

 

幼い頃も、傘を肩に掛けたり、濡れたままでよく遊んだものです。サトイモの葉っぱを傘にするために手折るのもよくやりました。どうしても外で遊びたかったのでしょうね(笑)。

 

そんなわけで、私は雨が嫌いではなく、遊びに出るのも億劫でもなく、家に閉じこもる理由は、天気だということはあまりないです。むしろ、仕事や勉強が詰まっているから、お金がもったいないから、などという現実的な理由だったりする(笑)。好き嫌いではない強制的な感じ(爆)。

 

そして、私は病院が好きなんですよ。しかも、特に歯医者が好きなのです。「ギーギーガーガーやられても大丈夫なの?」と尋ねられるのですが、いや、大丈夫(爆)。というか、あの部分もかなり好き(笑)。癒着してしまった虫歯菌をギーギーガーガーやることで、こそげ取っている図というのを、コミカルに頭の中で描きながら、自分が歯医者用の椅子に座っているのを、第三者的に描きながら、あのコントロールの効かない状態に自分を安心して置けるというのが好きです。ひょっとしてすごいMなのか?(爆)私の歯医者さんは、Gonzales先生で、彼の絶妙な語りがおもしろかったこともあるし(最初に見たときに、私の口腔はSmithsonian 博物館のようだ、と言ったのです。それくらい古い技術で埋まっていたというわけです)、UCLAの話もおもしろかったし、何より彼は稼いでいるのにベンチャービジネスに興味があり、その話もたいへん役に立った。カウンセラーやコメディアンのように、あんなに楽しい話をしてくれる歯医者さんだったので、「もっと行きたい!」と思うほどだったのですが、クリーニングは彼ではなく、それ用の技師さんがやってたんですよね。クリーニングもけっこう好きで、歯垢が飛び散り、水のジェットと空気でシュワシュワときれいにしていくプロセスは、なんだかとても「きれいにしている!」というきっぱりした、部屋のキリのない掃除とは違う、「ここまで」がしっかり限定されているクリーニングプロセスである気がして、なんだかとてもよかった。

 

日本に戻ってきてから、まだ一度も歯医者に行っておらず、もう3ヶ月くらい前から、行きたい行きたいと思いつつ、時間がまったく読めず、予約が取れず、かと言って待つ時間が取れるような贅沢もなく・・・。行きたいものです。

 

あとは、お葬式のほうが、結婚式より好きです。たくさんの人と話さなければならないような社交場として機能させているようなお式は嫌いですが、さよならを、生きている身としてできるというのは、僥倖になりつつあります。これだけ、人々が移動して生きている中、お葬式に出ることができるのは、本当に稀で、私のように海外に住むことを選んでしまったらなおさらなのです。結ばれたふたりの門出に、私などの存在が必要なわけもなく、他の大勢の縁者が祝ってくれるはずです。が、結婚式は家や本人のためである反面、お葬式は、残された者のためなわけです。私はそれを痛いほど知っているので、お葬式に出るのが好きですね。自分のために。さよならをきっちり言って感謝を告げて涙するために(とはいえ、私は人前では泣かないんですけどね・・・笑)。多くの人々は、「進んで行きたいものじゃないよ」とおっしゃるのですが、私は進んで行きたいもののひとつです。とても身勝手な人間なのかもしれません。

 

あとは、内職仕事が好きなのです。毎日それを職業にしろ!と言われたら考えてしまいますが、英語学校でもパンフレットの送付や郵便のための封筒こしらえがあります。私もやりたいのですが、授業があって、未だに一度も手伝ったことがありません。残しておいてほしいくらいです・・・。並んで話しながらアレをやるのって、なんだか楽しい。毎日じゃイヤかもしれませんが、定期的だったらいいかも。これは、私が井戸端会議や、川辺の洗濯などに参加できるかもしれない、希望的要素なのです(爆)。毎日はイヤだけれども、週に1回くらいなら大丈夫、というような・・・←だから大いに好かれないという噂あり(爆)。

 

他にも、掃除は嫌いだけれども、洗濯機がグルグル廻っているのを見るのが好きだとか、釣りは嫌いだけれども、川や海を何時間も見ていられるだとか、けっこう誰もつき合わせられない地味な好みがあります(笑)。こんなことに誰かを付き合わせるのはあまりにひどいので、私はBlack SheepやLonerになっていくわけです。でも、好きなんだからやりたいし(笑)。我慢はできない・・・。

 

みんなが好きで、私がダメなのが、行列ができるお店や場所に行くこと。私は行列はかなり我慢できません。あれのことを「並び屋」と言いはなってしまうくらいに嫌いです。お金を払ってモノを買ったり、サービスを受けたりするのに、並ぶことほどバカらしいことはありません。それだけの価値があるビジネスをやる人であれば、お客さんを並ばせないような倫理観があって然りだと思うし、センセーショナルに流行ったお店は、モノ作りが雑になりますから。サービスでも、従業員の研修が追いつかずに質が落ちていきますし。

 

最近まずいなぁと思っているのが、あれほど食べなかったアイスクリームを食べていることです。クリームはあまり未だに得意ではないのですが、ナッツが入っているものは別なのです。Rocky Roadというのが好きだったのと、母の真似をしていたらコーヒー味のアイスクリームが癖になってしまった。せっかくエクササイズ始めたんだから、やめておかないとなぁ。特に好きでもないくせに(爆)。

 

というわけで、私が好きなものにお付き合いしてくださる方はあまりいないと思うので、これからもひとりで楽しみます(爆)。

 

下着の選び方

04/18/2008 にアップした文章です。

 

もう1年半も下着を購入していないということが判明(笑)。私の下着は、100%Victoria’s Secretなので、日本では売っていないのではないか?と思って調べたところ、やっぱりなかったです。カタログを取り寄せて、クレジットカードで購入して、インターナショナルに送ってもらうしかないらしい。うーん、不便だ・・・。とはいえ、私の渡米は、8月に決まっているので、それまで我慢かなぁ。あと3ヵ月半くらいは待ってもいいだろう、と妥協することにしました。価格差がものすごいことや(とはいえ、円高なのでけっこう行けるのかもしれない)、自分の手で取って買えるほうがいい、という結論。みんな、下着はどうやって選んでいるのだろうか?と不思議に思ったところ。

 

ずっと以前に、男性の下着の好みについては書いたような気がするのですが、最近では、もうどうでもいい気分になってきており(爆)、「健康面でだけ考えればいいんじゃん?」とあっさりしてきた(爆)。枯れてきているんだろうなぁ・・・(汗)。が調べてみたところ、いい男性用の下着は出ているものねぇ・・・。

 

http://www.lovecosmetic.jp/shop/item/91200.html >不妊にならないための男性下着

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/130584/ >ワコールからもメタボリック症候群予防の下着

http://www.aiko-japan.com/kenkoukigu/superdandymesh/ >遠赤外線効果の下着

 

下着の購入でチョイスが多いのは、当然女性なのだろうけれども、私は悩むのがたいへんイヤなので、これまで補正下着を一切使ったことがないのですが、そろそろ必要なのか?という日本の風潮に、少し嫌気が指しています。リンクだけでもすごいから、この羅列だけでも見てみてよ(笑)。

 

http://www.e-sola.jp/ >磁気治療補正下着

http://www.chanloire.co.jp/products/clamiere/fiber01.html >光電光繊維使用下着

http://store.shopping.yahoo.co.jp/allspeed/como-bc1200.html >チタン織り込み下着

http://www.profit.co.jp/supple/kk-wa-w.php >機能下着というジャンルがあるらしい。すごいっ!

http://www.tourmaline-bhc.com/ >トルマリン織り込み下着

http://www.vsyt.com/nice-body/posture25.html >姿勢矯正下着など

 

キリがなくなってきたのでこのへんでやめておきます(笑)。まだまだあるんですよ・・・。

 

下着を極めると、確かに健康にはいいのだろうけれども、ファッション性も極めると、確かに見た目はいいのだろうけれども、私はそのどちらかに参加せねばならぬだろうか?Low-Maintenanceだけが中心で選んでいるので、渡米したのち、「最もいいブランド」と見極めたVictoria’s Secretをもう17年ほど通しており、なぜならば、シリーズを選べば素肌に最も近いようなものを選べるということ。もちろん、キャミソールやらベビードールやらフレグランスまで、下着以外のブランチ化したものを見ると、ごちゃごちゃしているんですけどね。

 

http://www.victoriassecret.com/indexnew.html 

 

私は基本、ブラとパンツだけを持っており、お出かけ用の袋に入ったパジャマが2組くらいしか、あとは持っていないかも(笑)。見せていい下着になる、スーツ下に着られたり、ジャケット下に着られるキャミソールは何点か持っているか・・・。

 

ブラはこのシリーズが最もフィット感がよく、日本円でだいたい5000円から6000円くらい。DカップかDDカップなので、日本のブランドはなかったのです。20歳過ぎてから急に胸が大きくなったのはびっくりしましたねぇ(笑)。高校生から大学入ってからしばらくは、ワコールも使えたんですが、その後、海外ブランドだったので、留学してからも、躊躇なく、アメリカブランドに突入できました。

http://www2.victoriassecret.com/collection/?cgname=OSBRPBBVBRA&cgnbr=OSBRPBBVBRA&rfnbr=10

他にも買いたいと思っているのが、このBiofit(笑)。上にあげてくれるのかぁ。すごいなぁ、と。補正下着でもなく、素材なのだろうな…。

http://www2.victoriassecret.com/collection/?cgname=OSBRPBIOZZZ&cgnbr=OSBRPBIOZZZ&rfnbr=4704

 

パンツは、私はヒップハングのジーンズは履きません。どうも、あの70年代の香りがするファッションは、見るのは好きでも、装うのであれば60年代のほうが好きなようで(笑)。なので、High Cut Briefという種類をつけています。だってぇ、5枚で25ドルだよ?(爆)1枚600円でいいでしょう・・・。昔、Diorの1枚3000円のパンティをつけて勝負する女性がいたのだけれども、まぁ、それはそういうときだけなのか、それとも彼氏ができたら毎日なのか、不思議ではあった…。

http://www2.victoriassecret.com/collection/?cgname=OSPTYBRFZZZ&cgnbr=OSPTYBRFZZZ&rfnbr=1927 

 

日本の女性は、ヒップハングを履いていても、なぜかパンツは替えないのだろうか?よくパンツを見せている人がいるんだけれども、あれは、男の子のギャング発祥のわざと下げて履くのと同じだと思っているからなのだろうか?ヒップハングを履く醍醐味は、おなか辺りのぽちゃっとしたお肉を少しだけ、他人に「見せてもいいよ」という挑発的な態度なのだから、パンツではなくて、チラリズムを通してあげてほしいものです。

http://www2.victoriassecret.com/collection/?cgname=OSPTYHIPZZZ&cgnbr=OSPTYHIPZZZ&rfnbr=1925 ちゃんと売ってるけどね・・・。

 

とにかく、8月が楽しみだ。ちゃんと稼いでたくさん貯金しよう(笑)。下着だけでなく、本も大量買いしたいし、カジュアルウェアも3万分くらい買うと、1年くらいは保つかもしれない(笑)。スーツも2着くらいは買いたいかもしれないし、コーヒーとバーソープ(石鹸)も買おう。帰りは段ボールだな(笑)。

 

夏休みは稼ぎ時なので、どのくらい行けるかわからないのですが、1週間くらいは行きたいです。食べたいものもたくさんあるしね(笑)。そして、留学する看護士さんに私の好みを覚えてもらって、それを送ってもらいます(笑)。

 

 

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その94

女らしさ・男らしさというのは生活していく中で重要なことですか?



ESL取り放題の一環のうち、主宰のオオダイラが責任を以て日本語での強化・発達を促すものが週に今のところ4時間あるのですが、それは平日と土曜日、同じものをやっています。平日派の生徒さんと土日派の生徒さんに分かれることと、両方来れる近所の方でも、なるべく最大限のコマを取りたいために、どちらかを選ぶ傾向があります。平日にオオダイラのレッスンを取って、土日はNatives 三昧などもできるので、最大12時間ほど取っている方もおられます。そうなると、1か月48時間なのです!1年半ほどでグループレッスンは30万、セミプライベートが40万、プライベートが50万で、グループのESLクラス取り放題が漏れなくついているキャンペーンを実施中ですので、だいたい年間で最大620時間ほど受講でき、1時間あたりがそれぞれ、483円・645円・806円、とすごい金額になっているのですが、まぁ、社会還元です!

 

と関係ないことを一段落も書いてしまいましたが、そのオオダイラ主宰のESLのレッスンでつい最近、Sex/Genderという心理のレッスンを2時間行いました。とってもいいテキストが出来上がってしまったので、中高生にもレッスンしてしまったのでした(笑)。なぜならば、これについては中学生くらいから知っておくのがいいのです。

 

とはいえ、大人のみなさまも知らない知識がけっこうたくさんあり、深く考えたこともなかったようで、ご好評いただきました。

 

Sex: the biological differences between males and females, such as the genitalia and genetic differences

Gender: the role of a male or female in society, known as a gender role, or an individual’s concept of themselves, or gender identity

英語では、sex という表現はあくまで生物学的なことを指すもので、性行為そのものを表す場合も、実は intercourse というきちんとした言葉があります。とはいえ、日常的には使わないこともありません。

 

かたや gender という単語には、「社会性」「心理的な側面」の性別として使い分けが為されます。

 

テーマである「女らしさ・男らしさ」を語るときに、この sex/gender の区別をつけずに話すのは、非常に面倒くさい(笑)。そもそもここがわからないで、子育て・職場でのハラスメント・男女雇用均衡などを語ることはできないわけです。

 

生物学的なことを超えるのはなかなか難しく、ここでの個体差の検証ができない場合、多くの人たちは、「女らしさ・男らしさ」を腕力・曲線・美などの具体例や現象を語ります。実際に有効なのは、脳の使い方なのではないか?と昨今では言われ始めているのが、これが社会的・心理的にも影響が大きいものだからです。とはいえ、脳神経学はまだ若い学問なので、詳細についてわかっていることが少なく、まだまだ学者外の人々の理解を得られていないものも多くあります。

 

さらに、この生物学的な sex についての知識がないと、homosexuality/bisesexuality/heterosexuality の微細な差についても、実際は理解しきれません。

 

オオダイラは最近、ドラマ『きのう何食べた?』を満喫しており、満喫度合は、この生物学的な違いをわかっていたほうが、とてつもなく大きいのではないかと思っております。

 

さらに、

 

Transsexual:  people who transition from one sex to another

Transgenderism: people whose identity, expression, behavior, or general sense of self does not conform to what is usually associated with the sex they were born in the place they were born.

 

trans というのは接頭語で、「またぐ、越える、横断する」という意味があります。生物学的に越えようとするのが transexualsですが、実際に個体の中には、男らしい部分や女らしい部分の両方が混在しているわけです。どちらかというと、自分が持って生まれた性別と合致している部分が多い、という人のほうが多いだけで、たぶん、ごちゃごちゃに混在しているはずなのでした。

 

なのに、「女の腐ったやつ」「男前な女性」などという表現があり、けっこう知識を進めるのを邪魔しているのかなぁ、などと思っているわけです。

 

この2時間のレッスンのような、心理を進めていくこと・世界の文化や考え方を深めることなどもやっております♬ 楽しいので、ぜひいらしてくださいね!

 

電車での移動時間を有効に使う

04/17/2008 にアップした文章です。

 

私の場合は、通常は15・6分の電車移動なのですが、この15・6分をいかに有効に使えるか?というだけで、けっこう考えてしまう(笑)。これが片道1時間以上だと、みなさん、プランをして、仕分け作業をいくつかこなせるんだろうなぁと、余計なことまで考えてしまう始末(爆)。新幹線などに乗ることができるのであれば、本を1冊、軽々と読めるのでしょうが、持っていく本の厚さなど、日常であれば考え込んでしまうのである。みんなが電車の中で何をしているか?と眺めてみると、けっこう無駄なのかなぁと思える行為もたくさんあり・・・。

 

朝は混みこみなのでしょうが、私はここのところ、そのような朝の大混雑に乗る羽目にはなっておらず、来週の4回、調布駅を7時4分の各駅に乗るので、おそらく座れるくらいなのではないかと思うのです。なぜならば、学生さんはもう少し遅い。27分乗って、橋本にて横浜線で一駅の相模原に乗り換えるのですが、起床時間が6時で間に合うんだろうな(ええ、お化粧は簡単だし)。その27分間は座れても眠れるわけもなく、私は電車の中では基本的に寝ないので、授業の準備チェックに使うのだろうと思います。それは有意義に使えると思うのです。

 

私の場合は、知らない場所や初めての場所にけっこう行くことが多いので、いくらプランニングをしても、不安になるので車内でじろじろと路線図を見ることも多く、産業カウンセラー講座では、代々木と水天宮で、本当に遠足の子どものように、過ぎ行く駅をチェックして、路線図を眺めて、「うん、ここでいいんだよね・・・」などと確認をしまくっていました(笑)。最近の地下鉄は鋭いので、駅のホームの支柱にどの車輌に乗ると駅階段やエスカレーターに近いか?などということも表示してあるので、少し時間が余ってもすることができてしまうんですね。しかも、車内では、新しい型の電車では、液晶画面があるので、いろいろ便利です。すごい世の中になったものだなぁと思う(笑)。

 

毎日同じ経路を通る人々は、どのように車内で過ごしているのかなぁと思って、じーっと見てみると、かなりの%の人々は、以前の「読書」よりも多いくらいの割合で、携帯電話をいじっています。メールをしているのか、アドレス整理をしているのか、携帯でできるゲームをしているのか、という3つが多いみたいです。どこか目的地に関してのオンラインを多用している慣れた人を見ると、少しうらやましいのだけれども(爆)。

 

次に多いのは読書です。その内容は昔のような新聞や小説が主流ではなく、資格関連のテキストだったり、How to 本だったりするのが、ちとびっくりしたトレンドです。みんな現状に満足はしておらず、給料を上げたり、仕事をステップアップするために、一生懸命勉強を大人になってもしているんだなぁと、少しうれしい気持ちなのです。イチバン多いのは、英語関連で、他の語学もありますね。韓国語や中国語の人はけっこう見ます。その代わり、スペイン語やフランス語やドイツ語の人は、以前よりずっと減ったようです。

 

そして相変わらず、新聞や雑誌を読んでいる人々は多い。日刊の新聞や週刊の雑誌などは、確かに気軽に読めるし、失くしたりしても気にならないのでしょうね。日本では、大人もマンガ(こういう言い方はトレンディじゃないんだろうねぇ・・・笑。コミックスかなぁ。あるいはグラフィックノベル?)を読むので、けっこう多い風景です。私は子どもの頃から、マンガは読まなかったので(ほんの2年くらいだけ、月刊マーガレットだったかを読んだくらい。フィギュアスケートの槙村さとる氏のものを目当てに。あとは、いっぺんに読める単行本化した『生徒諸君!』を読んだくらいかなぁ・・・)、今もドラゴンボールやAkiraなど知らないものが多すぎます(爆)。他人に画化・映像化されることは、あまり好きではないのかもしれないですね。その割に映画は見ますが・・・。音がついていることは、また別の次元の話のようです。

 

私は専ら、スケジュール確認をしたあと、添削があれば添削をして、その後、クラスで使うテキストのチェックをして、構成を考えてメモるのですが、それで京王線の15・6分は過ぎてしまいますね。京王相模原線の27分は、それでも余ると思うのですが、翌日分もやればいいので、そして、夕方からの仕事のやつもやればいいので、あとは読書をすればよい、と、今日はアマゾンでまた洋書(この言い方もすごいなぁとは思うんですが、こうした伝統的な言い方は無くなってほしくもないしなぁ・・・)を買おうと思っています。

 

自分の生徒さんには、洋書をAudio book化してあるものを購入してもらい、Scriptとしての洋書の読書と、Listeningを進めてもらっています。Listening環境を無理やり作って、聴く絶対量が増えるという確実さを求めているもので、自分が好きなジャンルのものを、できるだけ頭の中で映像化できるかどうか?をどんどん試してもらうわけです。赤ちゃんの頃、日本語を身につけたのと同じ状態を体験してもらうのは、とても大切で、わからない語彙があっても、決めた3章や4章に関しては止まらないで、辞書を引かないで、そのまま進んでもらう。赤ちゃんのときにあれほどにクルクルと使った頭に戻ってもらうことで、謙虚さも我慢強さも手に取るように実感できるんですね。そして、「できない」とごまかすことももうできないことになり、映像化により記憶量の際限も広がり、脳のためにもよいので、脳の老化だけではなく、身体機能すべての老化も遅くなるよう、脳の使い方から考え直してもらっています。

 

私の説明を採り入れて真剣にやってくれた人は、相当にListening力がついていますが、Unlearningというのはかなり難しいプロセスで、「どうしても訳そうとしてしまうから、次の言葉を聴けていない」だとか、「わからない単語にこだわりすぎてしまって、流れてくる音がまったく聴こえなくなる」など、実感を持った感想が聴けます。なぜに、中学・高校と6年間、あるいは大学時代も含めて+αの時間を、日本式英語教育で一貫してしまったのか?というところを、足元から浚ってしまわない限り、なかなか上級には進めないわけです。鋭意努力すれば、センスや好き嫌いの感情などを含めて、英語上達は望めますが、頭打ちになっていきます。日本語を学んだように英語も学ぶ。+αとして、すでに読み書きができることを武器として使う、という学び方を、私はひとりで展開しています。

 

おかげさまで忙しくなっていて、昼間の生徒さんもボチボチ増えて、自宅の生徒さんも増えてきています。

 

あ、今日言いたかったのは、この移動時間をどのように使うか?で、確実に変化を期待できるってこと。校長センセはたくさん読書をしたそうで、今は移動時間がないので、読書量ががくんと減ったと言っておられました(コメント欄にて)。私は、アメリカで車移動をしていたときも、読書をしていたので、校長センセとは読書希求心がそもそも違うのかと思うのですが、確かに日本で通勤があるほうが、20%くらい増えましたね。しかも、電車で移動している最中に、段取りを決めていくのは、「迫っている時間」を実感できて、授業の組み立てなどもとてもうまく行く。これは不思議なことです。現場処理がかなり割合的に多めな私ではありますが、骨組みくらいは準備しますから(笑)。

 

だったら、私は、中国語をここでしっかりやってみるのもいいではないか!と、頭のどこかで小人が叫んでいるのですが、15分というのは聴く時間としては少なすぎる・・・←言い訳(爆)。それにねぇ、西さんが話せるから不自由していないというのもあるし・・・。どうせやるなら、スペイン語の大上達かなぁ(笑)。それよりも、私は、今、取り戻さねばならない日本の小説19年分と、英語講師としての商売繁盛のためのノウハウを考えるだけで、移動時間も精一杯という感じなのかなぁ・・・・(汗)。