閉塞感

07/23/2008 にアップした文章です。

新聞を読んでいて、特に物事が明らかに見えてこないのがどうもイライラするんですが、とりあえず「わかった気」になっているよりはマシなのかなぁ、とも思いつつ、息苦しさは取れないところ。水泳は好きなんですけども、やっぱりあの息が足りない感じはとてもイヤなものです。アレがいいというヒトもいるんでしょうけども・・・。私は「恐怖症」は持っていないはずなのですが、もしどれがイチバン嫌いか?と言われれば、やはり「狭いところ」なのです。この閉塞感というのは、どうしても最もイヤなものです。とか言いつつも、ネコが狭いところに丸まって眠っているところを見ると、とても和むんですけどねぇ・・・。私じゃないからいいんだ(爆)。

心理学的には、私には子宮回帰願望はないらしい。狭苦しいところは、どうしてもイヤで、最近怯えていた(?)英語学校でのたくさんの人数でのたくさんの呼吸が、温度上昇にまで影響しているということを思うにつけ、狭いところでは見えない細菌もたくさん飛んでいるかもしれないとまで思えてしまい(だったら、気にしないためにも考えるな!とは思うんですけどね・・・汗)、どうも母のおなかの中に帰ってホッとする感というのはないらしい。

それが如実に顕れるのは、寝ている姿で、私は寒いとき以外は丸まっていないらしいです。ビデオで眠っている最中ずっと録画しているわけではないのでわかりませんが、見るとたいてい大の字になっているか、おとなしく横向きになっているようで。

産業カウンセラーでの実技練習のときも、私は他人よりも動作が多い。聞き手(カウンセラー役)をやるときには、意識してじっとしているのですが、話し手(クライアント役)をやるときには、身体全体も手も足もよく動くらしい。Non-Verbalなものを最大限に使ってやろう!という生命感に溢れているんですなぁ(笑)。

ということもあり、この縛り、狭さ、窮屈、にはどんなジャンルのどんな物事を通しても、どうしても耐久値が低い。朝の満員電車ラッシュのことを、今、瞬間思い出しただけで、手に汗が出てきてしまいました(笑)。どうしても、1日や3日だけ、というのであれば、耐えないわけではないですし、ゼッタイにできない!と不可能を訴えるわけではないですが、心的負担はでかい、というのに気づいているので、こうした仕事を選んでいるのでしょうし、自分の心的健全バロメータに対してビンカンなのではないかと思うのです。

狭いところはダメだ!押し込められるところはダメだ!縛り付けられるところはダメだ!

うん、書いてしまうと、なかなかすっきりする・・・。

夏の暑い温度自体そのものに関しては、「だって自然の摂理だもん、しょうがないよね」と諦めているのですが、あの口や肌に迫り来るような、目に見えないけれども、詰まったような分子の感覚が嫌い(笑)←あの、とできているのは、目下、エアコンを使っており、快適だからです。外に出て買い物依存症傾向を充たしている母は、今、少しあの湿気のあるドヨンとした空気にさらされているに違いなく・・・。冬は、衣服があるので、冷気を感じるのは露出部分だけなので、あまり感じない圧迫感、閉塞感なのですねぇ・・・。もちろん、分子としては冬の空気のほうがしっかり安定しているので、グルグル動いて支配されていない感も持てていいのです。あ、逆なのか?もしかすると、ずっしり安定した冷気に晒されているほうが、心地悪いと思ったほうが正常なのか?←もう少し考えてみないとわからん・・・(爆)。

産業カウンセラー講座は、みな、それほど毎週毎週2個も3個も悩んでいることなどあるわけもなく、たいてい、愚痴に近いような、頭では解決には時間が掛かり、ひょっとするとシステム問題なので、個人ができることは「心の持ちよう」だということがわかっているような問題を話題にすることが多く、聞いている方としても、切迫感はないのです。重い重い雰囲気の中、謎解きは謎をさらに呼び込み、というシチュエーションでもないので、たまに、「これで練習になるのか?」と思いつつ、自由であることには感謝しています。が、自由でもないんだよなぁ・・・。悩んでもいないのだけれども、話し続けなければならない、という閉塞感はある。自由に好きなことを話してしまえばいいや、と開き直るわけにはいかず、目的にある程度沿っていかねばならぬ!と使命感すら持ってしまうと、話す話題がない自分のオキラクさに、なんとなく責め苛まれるわけです。

なので、わざわざないはずの閉塞感を、自分で作り上げていることになり・・・。わかりますかねぇ、この悪循環が、他人に合わせようと思っている努力から出ちゃっていることを・・・。私は悩みなどないので、自由に好きに身体を動かしてジェスチャー三昧で、楽しそうに話せばいいわけですよ。でも、前提としては、カウンセリングの練習なのだから、相手のヒトの練習台としての使命を果たすために、悩んでもいないことにまず苛まれる。そして、相手になってもらったことに対して感謝の意を表するために、悩んでいる風に思い込もうとしてしまう。そして、何度も続けていると、なんとなく悩んでいるかもしれないと思い込んでしまう。

ものすごい閉塞感なわけですよ、コレ。

英語学校では、生徒さんたちとのレッスンは楽しい以外のナニモノでもなく、私は本当にいい仕事を見つけたなぁと思っているのです。この前、Readingの教材読み物を読んでいて、どうしてだか読んでいる最中に泣けてきてしまい、「ヤバイ!」と思ったので、ウェットティッシュ(日本はコレがすごいよなぁ。でも、どんなメーカーでもなぜか一袋10枚入りというのがすごいと思う・・・。アルコールが入っているやつが今のお気に入りで、おっさんのようにまず顔を拭いて、首筋を拭いて、胸元を拭いて、とやっているので、さぞかし、第三者には奇妙に見えることなのだろうなぁ・・・)で、顔を拭いてその場をごまかしたのである(笑)。こうして、自分が自分に縛りとして与えていることも、たまには閉塞感を助長するようなこともあり、「ひとりの時しか泣かない」というのは、情緒のアンテナが無造作に出ているときにはヤバイのであった。

そして、日々ネットでいろいろな記事を見たり、母が見ているTVをいっしょに見ていたりすると、情報らしい情報を流しているように見えても、実際は本質に届くわけもないことに関しても、大いなる欲求不満があり、その先が塞がれている感というのは、どうしても感じてしまうので、疲れてしまうのでした。時間があるときは、ネットでさらに検索をして、納得が行くまで調べられるのだけれども、多忙で、時間が押していて、そのまま放置したことが重なったりすることがたびたびになると、自分でも「あ、暗いところに閉じ込められているようだわ・・・」と思えてしまってイヤなのです。

もっと基本に戻ると、私はマフラーもマスクも手袋も嫌いで、運動をしているときには時計すらつけるのが嫌いだ。着るものは少なければ少ないほどよく(ほどよくちゃんと覆っていなければならないけどさ・・・)、持ち物が多いのも嫌いです。なので、いつも矛盾を感じるのが、他人よりタバコとライターを持って歩かねばならないという縛りで、コレさえなくなれば、またもや身軽になれるんじゃないかと思いつつ、イライラしたときに気づかず火をつけている自分を発見したときに、まだまだ程遠いよなぁ・・・とため息。

自分の心的バロメータ、持っていますか?私の第二位は何なのか、今日はちと考えて、第一の閉塞感について、忘れてみたいと思います(爆)。

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その80

Q80.

子供の頃によく見ていたテレビ番組は何ですか?

A80.

我が家は、父がいぬ二日間は子どもにチャンネル権がありました。ハイヤーの運転手だったので、2勤2休だったわけです。曜日がずれ込んで毎週見れないこともあり、楽しみにしているドラマや漫画があったとしても抜かしてしまうこともよくありました。

東京も、昔は今の地上波よりもチャンネル数が少なかったのかもしれません。いや、あったのかな?とにかくうちの家は NHK が大好きでした。その他に野球中継・プロレス中継は必ず見ており、時事放談のようなものや、皇室アルバム・兼高かおる世界の旅は必ず見ていました。

http://tombie.web.fc2.com/z02.htm

これこれと言うほどの熱を入れた番組がなかったのは、父がチャンネル権を持ってたせいだと思います(笑)。抜かしてしまうともう見れないわけです。さっぱり分からなくなるような作りのものもありました (・・;)

ただ小学生の時に『8時だよ! 全員集合!』必ず見せてもらえていました。未だになぜすわ親治の代わりに志村けんがメンバーになったのか解せぬままでいます(笑)。今の立ち位置から考えても、私は永遠に加藤茶の方が好きです(笑)。

このサイトをじっと見てみると、仮面ライダーで見てみた時に、私はテレビそのものを『仮面ライダーアマゾン』あたりで見なくなっています。 仮面ライダーのパチンコをやってみた時に(笑)、1号2号V3アマゾンまではちゃんと分かるんですが、X ・ ストロンガーなどが出てくると途端に臨場感が無くなります(笑)。リーチがかかっても楽しくないわけです (・・;)

中学に入ってから部活を始めて、きっとテレビは激減したんだろうと思います。とにかく眠る子だったので、お風呂に入ってご飯を食べて、テレビよりもずっと読書の方を重要視していて、そのまま寝たんだと思います(笑)。

このテレビ番組のリストを見て強いのは、昭和30年代や40年代の初めの頃の番組も、かなり強烈に記憶に残っています。記憶力が良いだけでなく、実際に、予算があまりなかったので再放送が多かったのかと思います。白黒だった頃の実写もかなり覚えていて、『河童の三平』という水木しげる先生の原作のドラマは、とっても楽しかった記憶があります。『ウルトラ Q』 を見て弟が泣いて鬱陶しかったことも鮮明に覚えています。

このリストを見て言えるのは、私の世界観は『ジャングル大帝』で結構揺るがぬものになったのかなと思うことですか(笑)。その後、ド貧乏で漫画やコミックスを止めないんですけども、大人になってから『火の鳥』『ブラックジャック』『ブッダ』を大人買いして読みました。

子供の頃はやたらと動物を拾ってきて隠れ家で育てたものです(笑)。動物といつか話が出来るんじゃないかとたぶん12歳ぐらいまでは持ってたような気がします。このリスト、何人かのヒトはは死ぬほど楽しく見るんじゃないかと思います♫

多様性に高い価値に置けるか?

07/22/2008 にアップした文章です。

私が夏に負けている最中、いろいろなことが起きていましたが、どれにも共通して言えることは、多様性の価値についての、それぞれの思惑が少しズレていることがあるのかなぁと・・・。私の場合、子どもの頃から、言動や好き嫌いが、正規分布の平均値からズレることが多かったので、この多様性の幅が広い集団や場所に位置することはとても心地よかったのですが、そうでないヒトにとっては、多様性などなくてもかまわないわけで・・・。むしろ、心地悪いのかもしれず・・・。ニッポンという国や文化は、この多様性と向き合わなければ、やっぱりまた過渡期を迎えているように思えてならず・・・。

多様:いろいろなものがあること。変化に富んでいること。また、そのさま。さまざま。
一様:(1)みんな同じような様子である・こと(さま)。⇔多様 (2)ありふれているさま。普通。

私が帰国してきて改めて感じてびっくりすることは、よくあります。それはたいてい、この一様性についてなんですが・・・。

たとえば冬。もうみんなのコートが、黒か茶ばっかりで・・・。大人も制服を着ているのかと思えて仕方がない・・・。グレーなどもあるのですが、そこにはピンクや赤や黄色などはほぼなく・・・。たまに着ているヒトを見る時間帯は決まっており、朝ではなく、昼近い時間帯か夜。もちろん、着るものが合わせやすいので、そうしたConservativeなものを選ぶのは、常套なんですけどね・・・。しかし、それにしても、と思えるほどに制服化した色合いがずらーっと並ぶと、異様ですらあるわけです。サラリーをもらっていない類の年齢層ですら、ネイビーなどが加えられるだけで、それほどぱっとした色のバラエティがあるわけじゃないんですよね・・・。温かくてコートを着なくていい日などは、少し色合いは増えるんですが・・・。みんなカラスを嫌うのだけれども、私は「日本こそ、Men in Blackなんじゃないかと思う」と、ひとりでオレンジなどを着ていて恥ずかしかった記憶あり(笑)。

とはいえ、アメリカの学校でも制服導入を鼓舞している地域や団体もあるので、なんとも言えないんですけども・・・。貧困の差が割りと開いている地域では、中高生がファッションショー張りの「流行を取り入れたファッション」をして、親が困るという声に合わせて、制服化ということが歓ばれています。没個性化だという批判よりは、ないお金をさらに節約していくことのほうが、学業の場ではとても大切であるという優先順位のつけ方には納得。

どちらも、極端ではないようにやっていけないのかなぁ・・・というのがあるんですけどもね。

他にも、町中でのブランドバッグ率の高さや髪型の一致や日傘対策や化粧の仕方や電化器機などにもびっくりします。私は、アメリカではリベラルな学校に通っていたせいもあるのですが、「他人と違うこと」のほうがかっこよさの優先順位なわけで、同じというのはダサいわけです。ところが、日本の人々は、繊細さをそこでも活かし、同じものを持っている中で、特化する方法というのを生み出すのですねぇ・・・。

携帯ひとつ取っても、そこにストラップ文化ができたり、着メロ文化が派生したり、ものすごい工夫である(笑)。商業的にも、そこにゲームがあったり、モバイル技術が発達したり、ワンセグができたりと、まぁ、ものすごい工夫なのである。繊細であることを、どうして人間関係に使えないんだよっ!と思うのは私だけなのかしらねぇ・・・←ぼやきになってるけど(爆)。

私は、文明文化全面否定論者ではないのですが、繰り返して使用することによって自己能力を低めてしまう結果をもたらすものに関しては、かなり躊躇しており、ブツを持っているにしろ、その使用頻度については自分の中での取り決めをしています。

最近導入したのが、VeohTVというβ版のソフトで、それがあると無料動画がいくらでも見られるというもの。日本のドラマはどうでもいいと思ってきたのですが、見つけちゃったんですよ、時代劇の無料動画(笑)。そこまで時代劇が好きなのか?と問われると、お恥ずかしい話ですが、好きですねぇ・・・。なぜなのか?勧善懲悪だし、かっこいいし、そのあいだだけは温故知新している気になれるし・・・。で、昨日もそれで、鬼平犯科帳、中村吉右衛門版を見ていたのです、第一シリーズの1話から4話まで見られたし、刺客請負人という森村誠一原作の時代劇も見られたし、5時間半もTVを見ていたことになってしまうんですが・・・(汗)。まぁ、導入してからしばらく夢中になるのはよしとしておきます。が、これも気をつけないとなぁとは思っています。

このエッセイだとて、昨日のうちに書いておけばよかったものを、そのせいで、私のスケジュールは今日、押し気味・・・(汗)。

そして、多様性について考え物なのは、産業カウンセラー講座に通っていても、英語を教えていても、日々思うことで、もっといろいろな考え方の中で、Eclecticができてしまえばいいのになぁ、というもの。

Eclectic:a., n. 取捨選択的な; 折衷主義[派]の(人).
取捨選択:悪いもの・不必要なものを捨てて、よいもの・必要なものを選びとること。

世の中は広く、いろいろなモノやいろいろな考え方があり、それについて柔軟に観察・分析した揚句、取り入れるものと捨てていくものがあって当然だろう、というプロセスを、一様に拠っているとなかなかしにくいものなのか?と。私は、Carl Rogersが大好きですし、彼のいいところは大いに認めているのですが、それ一辺倒だけでは、この世の中の多様化した考えをすべて網羅するとは限らないという、限界も知っている人間でいたいと思うのです。もちろん、産業カウンセラー講座を開いている側にしても、それが大前提であるにせよ、「正しい答え」をメンタル問題に持ち出してくることが、どうも解せぬ・・・。そこに余地が感じられないことが多く、それがここのところの悶々とした鬱積になっていたことは明らかです。

英語を教えるにしても、学校の主義主張というのはそれぞれ特色としてあり、それが商業であればあるほど、ルール化しているのでしょうが、やはり私は取捨選択をする主体は、生徒さんであってほしく、それを徹底してできない状態を生み出すことに加担し続けるのは、精神衛生上よろしくなく、やはり自宅レッスンをどんどん進めて拡張していくしかないだろう、という結論を強化したようなお休みでした。

他人の多様を受け容れられる自分でいることが、私の長所でもあり、意志薄弱なところとの諸刃の剣ではあります。とはいえ、また口コミ生徒数が増えていけば、私は自宅で生徒さんが教えてもらいたいレッスンをできることになり、You are OK, I am OK, tooが実現できるので、やはり多様性を大切にしていきたいと、休み明けに思ったのでした。アメーバのように、形を自在に変えていけることは、下等動物だとののしられても、なんだかいいことなのかもしれず・・・。

日曜日の飲み会では、「抽斗の数」と「抽斗の広さ」でその喩えを話していたクラスメイトがいたような・・・←飲んで記憶が低下するのは、もう慢性アル中の証拠なのかもしれないと、不安に慄く・・・(爆)。

多様性に順応できたからこそ、私はアメリカ生活が楽しかったのだろうし、日本に戻って来てからのアジャストメントに時間が掛かったのだろうと思います。が、Eclecticな考えを貫こうと、またもや強く思ったのでした。

涼しい朝に

07/21/2008 にアップした文章です。

ストレスが溜まりまくっていたはずなのですが、忙しさは大して変わらず・・・。が、今朝、かなり涼しいので、気分は上々。しかも、昨日は産業カウンセラーのクラスメイトと初めての飲み会があったのです。とはいえ、3週間前に、すでに一部の同じ方向に帰る人2人とは飲み会を済ませていた気安さもあり、12人もの大人数で飲むのはどうなのか?と思っていたのではありますが・・・。いやー、楽しかったです(笑)。Loner(孤独人)な私が、あの大人数をここまで楽しめた理由は何なのかなぁと思ってはいるのですが・・・。ストレッサーになるものは、まだまだたくさん残っているにしろ、私側の受け入れ態勢は充分整ったような気がしています。

たぶん、こんな気持ちになれているのは、今朝涼しいからなのですね(爆)。おそらく、明日からまた暑くなると、またもや参ってしまうのだろうとは思うのですが、わずかながらもコレをエンジョイするしかないだろうと思っており、今日は、二日酔い気味ではありますが、わりとゆったりとした気持ちです。

朝青龍が初日で負けて、いつの間にか休場してしまっていたり、14歳の男の子がバスジャックをしたり、二岡選手と山本モナ嬢のホテルに行ったが何もなかったという報道など、世の中は事件が起きていましたが、私が考えていたのは、韓国人の女の子が8月と9月に受ける大学の面接問題で、人種や竹島問題や文化の相違など、彼女がしっかり受かるようにと、対策を立ててプレゼンをしてもらっていたのです。15分という時間は、面接を受ける側にはとても長いので、どんな問題が来てもいいように、志望動機から個人的志向のほかにも、未来を見据えている社会問題への態度というのも対策に入れておいたのです。

なぜ英語学校でこのような?と、疑問があるのはごもっとも(笑)。ニーズに応えられるのであれば、やっぱり将来をパッケージとしてすべて引き受けてしまうのが、私なのですよねぇ・・・。彼女の場合は、日本語と韓国語と英語を話すので、その整理やら、心理的圧迫への対応やら、本当に気をつける点がたくさんあり、17歳の肩には荷が重かったのですが、かなりがんばってくれました。今度の水曜日を最後に、韓国と日本を2往復することになっています。

産業カウンセラー講座の飲み会は、代々木が実技の教室なので、駅のそばで飲み放題つきの3500円コースでした。お料理は手をつけた程度だったのですが、お酒のほうで3500円以上の元は取りましたね・・・。ジョッキビールを2杯に、各種サワーを全部で7杯くらい、2時間で飲みました。料理は隣のテーブルに差し上げてしまい、呑み助のタバコ吸いたちは、ひたすら飲んでいた感じ・・・。12人中、3人半しかタバコを吸う人間はいないのです。半というのは、目下禁煙中なので(笑)。が、昨日は2・3本ほど吸っていた(笑)。

そして、あっという間に2時間は過ぎ(飲み放題2時間といえども、なぜか1時間40分時点でオーダーストップになった・・・。あれはどうかと思う・・・)、二次会は魚民というところだったのですが、個室にカラオケがくっついており、びっくらした・・・。「どんだけ浦島太郎なんだ!」と、人々に驚かれ(笑)。昔の曲しか知らないので、大昔の曲を何曲か歌いました。よかったです。いやー、楽しかったです。そこでは追加で2500円ほど払ったのですが、あんなに飲んで歌って2500円で済むのか、と、さらにびっくりしてしまいました。もしかすると、私は交際費に関して、多大なる無駄を繰り返していたのかもしれず・・・。ぐるなびなどで調べて、クーポン券をプリントアウトして、大人数で段取りをよくしてから行くという手はいいのだね・・・。

とはいえ、今後、忙しさはますます拍車を掛けていくだけになるので、あまり交際してもいられなくはなるんですが・・・。せっかくの学びを使えないというのは痛いです(汗)。

しかも、うれしいことに、産業カウンセラー講座で同じクラスの男性のひとりは、私のタイプなので、見ている分にはとてもいいストレッサーなのです(笑)。私はどこまで行っても、渋くて気難しそうな年上の男が好きなんだなぁ・・・。が、カラオケでの選曲でさらにびっくり!ダウンタウンブギウギバンドの『身も心も』を歌ったのですよ。心臓が止まるかと思うくらいにびっくりした・・・。この曲をカラオケで歌う男がまだいたのかと・・・。最後に、駅でHugをしてもらい、すっかり上機嫌で、京王線グループの3人で帰ってきたのです。

産業カウンセラー講座で感じていたストレッサーは、解消できるものではないにしろ、分かち合うということで、少しだけ軽減されたような気持ちになったので、きっと楽しかったに違いない。さらに、タイプの男が、やっぱり真性だったという、自分の人を見る目にもさらに自信を持ったからに違いない。

うれしいことに、夜の固定だった常勤講師の仕事も、週に5日(木曜日だけ昼間ちょっとだけあり)が、1日減らしてもらえそうなメドがついたので、それもかなりうれしく♪自宅でのレッスンを増やしたほうが、ずっと経済的発展に繋がっていくのです。

さらに、産業カウンセラー講座のクラスメイトのひとりが、英語の勉強法を習いたい、と申し出てくれたので、酔っ払って覚えていないということはないと思うので、8月か9月には、開始できるかと思うのでした。

さらに、騙されたと思って、小さい学習塾の集客ノウハウ本を買ったので、それを今日、しっかり読んでしまおうと思っています。どんな秘密があるのかなぁ・・・。それがうまく当たれば、私は外で働く必要はなく、来年の春に向けて、駅前に学校を作ることも可能かもしれず・・・。いや、でも、世の中そんなにおいしい話が転がっているわけもないしね・・・と自分をなだめてはいるんですが、ここのところ、暑さに耐えてきた中、いいことは続いてほしいなぁと願う自分もおり・・・。

ところで、山本モナ嬢の報道ですが、私はそもそも他人がどういうプライベートタイムを過ごそうとも、どうでもいいではないか、と思うやつなので、露出が多い仕事を選んでしまった人は不運だよな、と思う程度なのです。二岡選手に向けた復帰戦の野次も、ひどかったようですし・・・。人間って、自分サイドにいない同種に、とても冷たいですよねぇ・・・。なんだか薄ら寒い気持ちさえするのです。私は、長年、孤立した反対意見ばかりを、いろいろなことに持つやつだったので、なんだかやっぱりコレに関しても緩めに感じており、考えとしては、「他人の遊びに口出すな」ということです。それをメシのタネにしている人々には、憐憫すら感じます。北野武監督がこれについて初めて、報道で応えたそうですが、「お笑いの事務所所属だから、平然とバッシングしてんだろ」だとか、「宣伝してもらえてありがたい」くらいの、鷹揚な構えを見せたそうで。さすがです。

うひー、やっぱりまだ気分が悪い。あれだけ飲めばやっぱり気分悪いよな・・・。二次会でも、サワーを7・8杯飲んでおり、ちゃんと歩いて帰れたことが不思議なくらいで(笑)。どんだけ飲めば気が済むのか、と言われつつ、急ピッチな飲み方は最後まで変わらず・・・。しばらく断酒します(爆)←たぶん、1週間くらい?(笑)

明日からは、また組み立てをちゃんと考えたエッセイが書けるよう、今日は、本を読んで映画を1本見ようと思っています。たいへんお待たせいたしました。

経済観念が違う人と付き合うと

07/15/2008 にアップした文章です。

イマドキの世の中は、格差が厳しくなっている折、安価で庶民的なものが喜ばれてきた伝統に反して、レアモノや高いから売れるというような風潮が占める割合も大きくなってきました。みんながBill Gatesバリのお金持ちだったら、「いつも極上のもの」を追求できるのですが、お金にはキリがあるので、そうも言っていられません。しかも、高齢化社会傾向は加速し、60歳や65歳まで働いたお金で何とか生きていかねばならず・・・。そうした意味で、日々の経済観念の違いというのは、かなり出るはずで・・・。私もきっとお付き合いしてくださっている方々に多大なる迷惑を掛けているに違いないと、心アタリがなきにしもあらず・・・(汗)。

私は、自他共に認める貧乏暮らしを長年続けてきたので、生活水準をさほどに上げず、ここまでやってきています。図書館使いは、子どもの頃より激しくなくなったものの、「所有・所蔵しなくちゃ」という気持ちは湧かず、どうしても必要なものだけしか買いませんし・・・。食べ物も、母が作ってくれたものに文句を言うことはほぼなく(たまに、味が重なったり、続いたりするときには言うかもしれない・・・)、洋服も買わなければ、宝石が欲しいわけでもなく、至って生活のためだけにお金を使っており、シュミというシュミもなく、不思議だよなぁ、お金がなくなるのは・・・と思っているくらいです。

というのも、私の育ち方から行くと、「たまに集うのだから、集ったときくらいは豪勢に」というのがあり、見栄などでは決してなく、一期一会精神で、どうしても集ったときにお金が嵩むんですよねぇ・・・。グループの生徒さんを受け持つのは、3ヶ月なのですが(12週間)、そのあいだに1回、なるべくならいっしょにごはんを食べようと意図的に行動しています。それはプライベートの潤沢な資金のある生徒さんには申し訳ないのですが、グループレッスンの醍醐味というのは、横繋がりというオマケがついてくるからだと思っているわけです。そこで、それぞれの体験談を話す場を設けたり、情報交換をしあったり、というのが、グループレッスンに参加して「運命的ではないけれども、行動・思考が似ているがために集った人々」としての確率的お祝いでもあり・・・。

もちろん、私のお財布の事情によるのですが、その時にはご馳走できるのであればしているし、ハンパや大目に支払うことにしているのです。とにかく、英語は続けてほしいという一心で。楽しければまた集うだろうし、楽しければ勉強にも身が入るだろうし、と思っていて・・・。

ただし、みんながみんなそう思ってくれるわけでもなく、期待しているわけではないです。借金をされて、貸す場合もそうですが、「手元を離れたお金は戻ってこないと思え!」というのが、信条なのでした。

そんなわけで、生徒さんたちと集うときには、安価なほうが、私が全額出しやすいというのがあるんですが・・・。プライベートの生徒さんたちと集うこともありますが、二人きりでごはんを食べるというのは、なかなかセッティングしずらい状況なので、未だ実現していないかもです・・・。

そのあとは、友だち同士で集うときなのですが、基本的にはDutch treat(ワリカン)でないといけないとは思っています。性別関係なく、どんなときでもワリカン状態が可能だけれども、「今日はあなた」「今度は私」が気持ちよくできる関係がいいだろうと。私の場合、飲むとどうしても出したくなってしまう傾向があり、友だちと呼べる人々はそのことを熟知していて、その代わりを準備してくれます。必要な情報だったり、母を誘ってくれたり、手土産を持って来てくれたり、と、代わりに心づくしをしてくれるので、出してしまったことに関して、後悔したことは一度もなく・・・。でも、「お金を豪気に使うね・・・」とはよく言われます。だからずっと貧乏なままなんだろうな(爆)。いや、昔に比べれば、おなか一杯食べられるし、ずっとマシな生活なんですけどもね。

夜中の番組で、「いい女はどっち?」シリーズがやっていて、「彼との結婚を考え始めたら、彼の収入が知りたくなりました。彼に聞く?聞かない?」というディベートをしていて、私などは、「聞かないやつはバカ」とすら思っていたのですが、聞かない人はいるんだなぁ・・・。びっくりしました。生活していくのに、お金は必須条件で、それを抜かして、愛だの恋だの言っている場合ではないですもんねぇ・・・。いつ子どもを産めるのか、どんな風に育てたいのか、仕事はこのくらいの年齢までこんな形でしていきたい、くらいまで話していても不思議ではないのが、結婚前の男女だと思うのだが・・・(汗)。そういう意味では、お見合いは合理的な側面ももつのではないかと思うのですが・・・。

経済観念が違う男女が、離婚を迎えることは多いような気がします。昨今、借金のせいで離婚をしたという話をよく聞きます。個人が自己破産できる制度ができたせいもあり、消費者金融が業界として確立してしまったせいもあり、気軽に個人でも借金ができてしまい、しかもそれをパートナーや家族に隠せてしまうあたりが怖い。ギャンブルに使ったり、飲み食いや豪遊に使ったり、浮気に使ったり、ブランド物を買うのに使ったり、いろいろなケースがあるのでしょうが、このへんでも、経済観念の違う人と付き合うのはたいへんなんじゃないかと思います。

母と私は、同じ家庭に40年以上属してはいるのですが、けっこう似ている。だからうまく行くのだろうと思えることが多々あります。まぁ、私が母に仕込まれた、と考えるのが論理的なんですが・・・(汗)。が、父は母に比べると、もっとケチだった・・・。彼は札入れを持たず、小銭入れにお札を1枚ずつ折ったものを入れて使っていたのです。貧乏だからしょうがないんだけども・・・(汗)。ところが、そんな父を尻目に、冷蔵庫やミシンや宝石など、その当時は『月賦』と言っていたのですが、それで買い捲る母(爆)。しかも、父の了解なんて要らないと思っており、かなり不和だったと思われ・・・(汗)。

私は西さんに黙って家電製品などを買うことはないです。今回の冷蔵庫もしっかり報告しましたし、去年のエアコンも報告してありますし。ホワイトボードもだし。

(うーん、こう書くとかなり私は消費者としてケチである・・・汗)

その横で、母はせっせといろいろな買い物を続けています。彼女は買うという行為が途轍もなく好きで、かなり充たされるようで・・・。それがビールであろうが、お豆腐であろうが、トイレットペーパーであろうが、何でもいいらしい。洋服でなくともいいならば、こっちから「アレが食べたい」「コレが食べたい」と言っておけば無難で・・・←作為ありあり(爆)。冷蔵庫を買うときには、いくつもパンフレットをもらってきて検討していたし、買っても使わないものをなぜか通販のカタログで見ては○をつけているところも、彼女の買い物依存症傾向が出ていますが、お金に限りがあるのでやらないで済んでいるところ・・・。

その母に似てしまった私は、宝石はピアスだけ、豪遊しないような時間帯の仕事、ギャンブルも数時間なければ儲かるかどうかわからないもの、などと、いろいろなブレーキを掛けています。が、経済観念が違う人とは、無理やり付き合わないでいます。精神衛生上悪いので。

そうだよねぇ。お金持ちがなぜお金持ちなのかというと、やっぱりお金を使わないからなのだ。私は意味なく、飲み食いという形がなくなってしまうものに使うので、どうも実感がないのだねぇ・・・。収集というシュミがある人は、きっと家の中にいろいろ残っていて、使った気がするんだろうけれども、私は使った気というのがまったくしない日々をもう長いあいだ感じているところです。お金のマジックは、果てしなく人々を虜にしますなぁ。

なぜ今日このようなお題なのかというと、京王プラザランチビュッフェは3500円だかそこらなのですが、それを高いと思うかどうか?というのを考えていて、私はあの内容であれば、たまにしか行かないことだし高いとは思わない、という結論から出たものです。経済観念って不思議だ・・・。

ストレスがいっぱい

07/13/2008 にアップした文章です。


夏だから、なのでしょうが、今、掛かってくる重圧がいっぱいあって、なんだか憂鬱です。生徒さんの中には、私はストレスフリーだと思っている方々がおられるのですが、そんなこたぁない(笑)。夏場は、おそらく、他の季節よりも10%能力が低くなっているのではないか?と思うのであります。ええ、それくらい、暑さはたまりません・・・。今日は、土曜日の朝なのですが、すでに7時で室内は29.5℃になっています。扇風機を2台稼動させているのですが、きっと出て行く9時には、30℃超えしているのではないのかなぁ・・・。今日は、天気予報によると、東京では初の夏日なのだそうです。5月から半袖を着ている私には、これ以上どう脱げばいいのか?という悶絶が(爆)。

今日のストレスの源は、まず教室内の温度。ええ、私の場合、基盤は身体に受けるダメージですから・・・(汗)。人気が出て、英語学校のカウンセラーたちに信頼されて任されたり、自ら取ってくださる生徒さんが多いことはたいへんにうれしいのですが、グループレッスンのときに、狭い室内(8畳から10畳くらいしかないと思う)に7・8人になると、+私で、8・9人が息をし続け、話すという状態になります。温度は上がる・・・。扇子や団扇を使っているのですが、それでも追いつかない・・・。先週は、ドアを開けたり閉めたりして、外気を取り入れていたのですが、苦情が来ました・・・。他の生徒さんや先生が、声が漏れるので集中できない、とのこと。私個人や私が持っているあいだの生徒さんが、そういった苦情を言ったことは一度もないのですが、言いたい人もいるんだろうね・・・。私はすでに2回言われています。ドアを開けてレッスンをするな!というのだけなんですけど・・・。

暑いことに耐えられないのよぉぉぉぉぉぉ!

そこで、自腹で扇風機を購入して設置してもいいか?と、許可をお願いしたのですが、「温度設定を変えてみましたので、今週だけ我慢してみてください」と言われてしまった・・・。無理だから・・・(汗)。我慢できるくらいなら、最初からドアは開けていないし・・・。「息をするな!」だとか「汗をかくな!」とは言えず、都会のビルのエコ設定の温度は、とてもじゃないが追いつかないのです。朝のクラスは大丈夫なのです。が、閉め切って、朝の10時から夕方8時までやっていて、私が使う6クラスめには、温度そのものが上がっており、さらに閉め切ってやらねばならず・・・。

私のせいなのかよ・・・と思うのだ・・・。

そのせいで、今日はものすごいプレッシャーを感じています。どうせダメなんだから、さっさと扇風機買わせてくれよ・・・と。私だけに扇風機を設置するのがまずいとか、そういう理由なんだろね・・・。みんなでハンカチやタオルや団扇を使っている授業はとても奇妙で、当然生徒さんの注意力も散漫になり、よくないと思うんだよね・・・。匂いもこもっていて、私にはかなりキツイのです。

今日は、10-20時のあいだに、40分だけお休みがあるので、タバコを階下に吸いに行ってもまだごはんを食べる時間があるのですが、母に「こんなに暑いとごはんが傷む」と言われてうんざり・・・。暑いことを強調しているわけで(笑)。確かに、親心で気を使ってくれているんですが、言葉に出されるとうんざり・・・。40分しかお休みがないということは、サービスをしてしまい、正味で35分くらいしかないので、階下に行ってタバコを吸うだけで10分かかってしまい、25分のうち5分がトイレに行って顔を洗って歯磨きをして・・・と考えると、早メシをして、実際はまったくお休みがないのと同じなんですが・・・。が、来週は、お休みが5分ずつしかなく、タバコも吸えず、暑くて、おなかが空いているだろうから、かなりキツイのであります。そんな状態なのに、文句まで言われると、やる気はさらに失せる・・・。

普段は愚痴らないんだけどさ・・・。こういう状態をかなり長いこと続けて来ているんだけど、初耳だよね?(爆)

その上、期末テスト直前の補講レッスンがあり、家でできて、エアコンがつけられるのはいいのですが、10時間のレッスンをそんなプレッシャーを受けてから終えたあと、と、明日は産業カウンセラーの講義を日本橋で受けたあとなので、相当ぐったりしているのではないかと・・・。しかも英語だけではなく、総合理科(今回は、科学反応式とMolの計算だ・・・)と古文と現代国語も含まれるし・・・(数学はこのあいだやっつけた・・・)。まぁ、内容はいいにせよ、疲労後、というのがどうも彼女に対してもフェアじゃないよな、と思うわけです。

こうして書いているあいだにも、私はアイスコーヒーに氷を入れて飲んでいるのですが、氷はすっかり融けてしまいました。水を飲んでトイレに行けば体温は下がるのだろうから、今日はたんまり飲まないとなぁ・・・(とはいえ、普段から1日2リットルは飲んでいるんですが・・・)。500ml分は水筒に入っているので冷たいのですが、あとは温いものを飲まなくてはならず、私はやっぱり冬でも冷たいものを飲む健康に留意していないやつなんですよね・・・。温いくらいなら飲みたくない、というような・・・(汗)。お茶などは別なんですが・・・。

しかも!テロ対策のせいで、ゴミ箱が撤去されてからこっち、バッグの中に持ちかえりゴミが常に入っているというのも、なんだか負荷がかかっています。いや、暑いとこうした小さいことで腹が立つだけなんだけど(笑)。別にこれまではなんとも思っていなかったしね・・・(爆)。

さらに、頼まれていた人材探しも、直前になって、「予算がないせいなのか、まだ決まらない」と言われてしまい、開始が延期になっただけで、まだ話が生きているというのもかなり挟まれる私としてはプレッシャー。こうやって、人間関係でのプレッシャーは増えてもいく・・・。かたや、会社を辞めて新たなキャリアの方向性を見極めたい人の気持ちもわかり、短期での通訳・翻訳・英文事務業務しか要らないという事情もわかるがゆえに・・・。でも、それに私がトバッチリを受けているような状態はフェアではないんだけども・・・。私にお金が入るわけでもなく、仕事でもないわけで・・・←こういう言い方は人情に薄いよねぇ・・・(汗)。暑さのせいなのかしら?(笑)

おまけに今日はTOEFL受験日の生徒さんがいて、彼女のことを気に掛けていたのか、夢まで見てしまう始末(爆)。けなげな子だからなのでしょう。

西さんのPCがクラッシュしたのち、またもや言語が文字化け状態になり、HPビルダーがなかなかうまくいかず、HP作成も、彼のやる気がないためか、どんどん延期になり、当初予定していた、6月28日締め切りが、今になってもできておらず、1ヶ月遅れは必定なんだろうな・・・。頼んでおいてこんな文句を言えた義理じゃないのはわかっているのだけれども、私がラクをできれば、彼も経済的にも精神的にも倖せだと思うのだが・・・。

というわけで、元凶は暑さだということはわかっていつつも、私の生活は、決してストレスフリーなどではないのだ。暑くなければ我慢できることも、暑いと耐久点が下がってきていけません。母ともけっこう言い合いが増えており、彼女がTVと会話しているのがイライラしてなりません(笑)←ふだんは流せるのになぁ・・・。

現在、シャワーは1日2回。今日あたりを境目に、1日3回になるんでしょうねぇ・・・。暑い時期のほうが犯罪が増える事実に、妙に納得している今朝でした。


紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その79

Q79.

自分のなってみたい苗字はありますか?

A70.

いやー、大平(おおだいら)に愛着がありすぎて、アメリカで暮らしている時は、結婚した時の苗字を呼ばれても振り返ることができませんでした(笑)。全く脳が認知していないようです(笑)。よく芸名やペンネームを小学生の頃などには考えていた子がいっぱいましたが、私も一時期考えたような気もしないでもないのですが、思い出せないぐらいに適当なものだったんだろうと思います (・・;)

本をたくさん読むようになって、様々なペンネームを目の当たりにし、いいなあと思ったものがいくつかありますが、その苗字にはその人の人となりが出て染み付いてしまっていて、私がなりたい苗字になるかと言うとそうではないわけです。

それは芸能人や著名人も同じことで、私からはやはりかけ離れたものでしかないわけですね。響きがかっこいい苗字などがありますけれども、名前だけがかっこよくても私は負けてしまいそうなので遠慮しときます(笑)。

「結婚したら苗字が変わる」という時代ももうすぐ変わるかもしれません。実際、これほど戸籍をしっかり管理してるのは日本ぐらいで、ミドルネームに自分の名字を残したり、相手の苗字を入れたりというスタイルも、欧米ではすでに長く使われています。結婚しても苗字が変わらない韓国の方がたにも出会ったことがあるかと思います。

苗字が変わることは楽しいことなんでしょうか?私はついぞそう思ったことがなく、なりたい苗字などは申し訳ないけれどもないですね (・・;) 苗字と名前はセットになっていて、私のアイデンティティの言い換えのようなものになっているので、アメリカに渡ってからも、 ニックネームで Jane, Kimmyなどと呼んでほしい!という簡単な妥協はしませんでした。 本当に呼びづらい名前の人は、タイ人やインド人、中国人やトルコ人、アフリカ全般やその他たくさんいると思うんですが、 私は無理やり英語の名前を持つことに抵抗感があります。している方は勝手にすればいいと思います(笑)。

それほど、名付けというのは意味があることなんだろうと思うんですね。親御さんが最初にできるプレゼントがファーストネームです。が本来は、苗字こそが既存のプレゼントなのだと私は思います。そこには長い長い先祖の思いやきこし方が詰まっているのだろうと思います。

https://myoji-yurai.net/ 名字の由来

何事も一歩から その2

07/12/2008 にアップした文章です。

昨日は、途中で終わってしまったので、何か資格を身につけたい方や、どうしても切り拓けない人生について考えている方々は、ちょっとくらいは楽しみにして待っていただいたかと思うのです。いつの間にか、このブログ、毎日100人くらいの方が開いてくれており、そのうち2回は校長センセがお一人で開いているし(そういうスケジュールなんですよ)、そのうち2つは、私がアップのときとコメントを書くときに開いているので、90人くらいの方が見てくれているということになるので、どういった方々なのだろうか?と、少し想いを馳せることもあるのでした。リアルで私のことを知っている方で読んでいる方というのは、一体何人になるのだろうか?うーん、実態を把握していないのかもしれない。

では、そそくさと昨日の続きを。1.生命力の充実 2.集中力の説明はしましたが、ほぼすべてのことは、子どもの頃からこれまでで身につけておいてきてもらいたかったのではありますが、これからだって、まったく遅くはないというのが、学習のステキなところです(これは数日前くらいに書いた記憶あり・・・爆)。

3. 持久力

昨日書いた、生命力(本気)があれば、何かに対して粘り強く立ち向かう力というのは、ある程度は付いてくると思うのですが、なかなか定着するのは無理なんでしょうね。が、いいニュースは、食べたり眠ったり、好きなことをするのは、繰り返し繰り返し、イヤってほどできるので、持久力は確かにたいていのヒトにあるわけです。

だったら、存在がある確認ができたところで、好きなものができるのであれば、嫌いなものについての認知を変えていけばいいだけで、粘り強く、続けていくことは不可能ではないのですよねぇ。嫌いな物事を好きになることは、可能です。やり方を知らないだけなのですね。

私も、このブログを、もうどれくらい続けているかわからないほどになってきました。日本に帰国する前くらいだから、もう軽く2年にはなるんでしょうね・・・。Beginningのほうを入れると、3年かもしれません。時々、「ごめんなさい!」をアップするだけで差し替え記事を出さないこともありますが、たいてい書いていますから、けっこうな数なのです。私は、日本語で書くことができなくなっており、もう日本語では生涯書かなくてもいいや!くらいに嫌いになっていました。が、インターネットができて、AOLの掲示板に書くようになり、誰かに相手にしてもらうことで、書く日本語が再構築できるようになってきて、だんだん楽しくなりました。まとまった長さが書けるようになるには、また歳月を要するのですが、けっこう戻りましたよね・・・。

12月末に受験生を見るようになったあと、4月に産業カウンセラー講座が始まり、なんだかものすごく忙しくなってしまったので、できたら辞めたいくらいなことも考えていたし、今でもその誘惑は頭を過(よぎ)るのですが、小金持ちになる予定ができるくらいまでは、やっぱり謙虚に続けていこうと考えています。小金持ちっていうところがミソでしょ(爆)。

続けることはできるのです。息をするくらいに、食事をするくらいに、シャワーを浴びるくらいに、やらなければ気持ち悪くなるくらいに続けることはできますね。

4. コミュニケーションスキル

ネゴシエーション力などは、大人になってから身につくもの、と勘違いしがちですが、小さい頃からけっこうあちこちで、コミュニケーションスキルの基礎は身につけています。コレがダメならアレ、このヒトがこうであればこう言ってみる、などなど、だからこそ6歳から12歳までのルールをしっかり身につける時期での、コミュニケーションスキルは大切なのです。が、遊ぶ時間がうんと減ってしまい、塾や習い事で黙々と大勢の中での孤立をしているせいで、子どもたちのコミュニケーションスキルは、基準値である基礎まで到達しないことが多く・・・。

ケンカなども、小さい頃に小さい爆発程度でやっておいたほうがいいですし、立場の違いや、役割の違いなども、コミュニケーションを取ることにより、体験則としてのデータが蓄積していきます。なので、親が子どもの交際範囲を狭めることなどは以ての外ですし、子どもがコミュニケーションスキルが足りなかったがゆえに起きてしまった問題を、肩代わりして解決してあげることなども、愚の骨頂です。基礎力が身につくまでは、手を出したくても放置です。自分の頭のハエを追えるようになるためには、交際範囲が物理的な不可能が入り込む、携帯やPCなどにはそもそも最初から制限をつけておくほうがいいです。

そして、大人になっても、この基礎がわからないヒトがいて、そのせいで、コミュニケーションスキルが欠落しているヒトは多い。自分の目線にすら気づいていないヒトもいれば、自分の言葉の癖などにも気づいていないヒトがいます。悲しい現実です。

コミュニケーションスキルについては、これをもう一度読むといいかも>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E8%83%BD%E5%8A%9B 

5. 知識への好奇心

今ある自分の世界について、箱になっていることなどは子どもの頃はわかっていないし、大人になってもわかっていないヒトはかなり多いのですが、そこに詰まっている不思議や奇跡について、鈍感であることは、罪ですね。「なぜ?」「知りたい!」「どうしてなんだよぉ」と子どもの頃に、いつもいつもやってきていれば、大人になってからも、知識を探求していく質と量を求めるようになっています。これが基礎力。

その方向性や対象物は、個人差で、それがヒトをそれぞれユニークで特別な存在にしていくのですから、それに対しての是非は問わないことにします(シリアルキラーについて詳しく調べるヒトがいたっていいじゃないですか・・・)。

私の場合は、その「なぜ?」「どうして?」が昂じすぎて親が困ったために、字が読めるようになってから、百科事典と国語辞典を与えられました。その後、それだけでは網羅しない物事があったために、図書館を有効活用することを覚えました。今では、ネットほど便利なものはないと思っています。時間が速いし、労力が少なくて、どうしてこんなにも情報がてんこ盛りで向こうから飛び込んでくるんだ!と、感動しすぎている日々(爆)。

そして、今でもその知識に対する好奇心は続いており、この先ももう「調べるな!」と言われても、止めることはできないことでしょう。

というわけで、2日に分けてきましたが、何事も第一歩を始めるためには、始めるのに有効な5つの力が、子どもの頃から今までで身についてきたのか?をチェックしてみましょう。そのあと、取りたい資格なり、勉強したい分野なり、身につけたい技能なりについて調べてみましょう。

誰でも秀才にならばなれるんだよ、といういい情報満載だったでしょ?これくらいのことは身につけてきたと思うので、その先は、少しずつ解明していけばいいだけのことです。日々精進。

何事も一歩から その1

07/11/2008 にアップした文章です。

ここのところ、精力的に動こうとしており、昼間の遊んでいる時間をリサーチに充てています。週末のためのエッセイを貯め書きすることももちろんなのですが(笑)。学生さんの夏休みまで、あと3週間弱。実質的にはもう少し早く始められる私立の子もいれば、ゆっくり始める子もいるのですが、自宅でのレッスンが増えてきます。そうなると、昼間はこうして遊んでいられず、調べ物も今のうちに済ませておかねば、キリリと時間管理ができないことになります。ところが、私のいけないところは、お気に入りに入れるだけ入れておいて、そのあと整理をするときに、「けっこうどうでもいいじゃん」というものまで、安全路線を採って入れてしまうこと。その量と言ったら・・・(汗)。物欲がないので、実質的な空間を占めるわけではないのだから、と自分を慰めつつ、頭の回路としても「溜め込みすぎ」なことについて、いろいろ思うわけです。ところが、「はじめの一歩」をなかなか開始できないでいる人たちというのもいて、それについてはどうしたものか、とも思う・・・。

教える側としては、アノ手コノ手を使って、まずはじめの一歩に苦労するのですが、実際のところは、世の中で時計を刻みながら生きている人々のほうが、安定はしているが何かがあったらどうにもならないような人生を送っているのかもしれず、新しいことを始めなくなっている大人についての危惧のほうが、きっと大きいのかもしれず。

私がすでに出遭っている生徒さんというのは、自分で調べ物をいくばくかしたあと、学校に来ているわけで、それだけでかなりのハードルをクリアしています。私がこの数ヶ月、強くまたもや感じているのは、ニッポンの義務教育は何を教えていたのか?ということ。成績をつけることや、テストを実施することなどにかまけてしまい、塾がこれだけ蔓延してしまい、基礎の基礎という力が抜けているんだなぁ・・・ということです。

私が小学校から大学まで、日本でほぼ12年+ほぼ行かなかった大学時代を過ごしたあと、なぜ、渡米して、英語の準備なくして、1年未満で専門学校で生命を賭ける(無線での聴き取りができなかったら大事故だし、何か間違えていたら墜落して死にますから・・・)学びができたのか?ということを振り返ってみると、ただただ、基礎力のみに尽きるのです。

難しくまとめてみると(なぜ難しくまとめるかというと、ここの読者のみなさまはほとんど成人なので・・・);
1. 生命力の充実
2. 集中力
3. 持久力
4. コミュニケーションスキル
5. 知識への好奇心

この5つだけですね。この5つの力があることだけチェックしてみると、あとは定着までの工夫だけで・・・。定着する工夫というのは、日常生活を行動修正していったり、認知を変えていくことで洗練されていきます。時間は個々の目標や、個人の持つものにより差は出ますが、失敗はあまりないです。それなりの成果は出ますね。

私は小学校から高校まで、宿題というものをほぼ出してきませんでしたが、落第をしたことはありません。テスト勉強も気まぐれに一夜漬けをしたことばかりで、本気でテスト勉強をしたのは、高校2年のときの化学だけです(基礎がわかっていなかったので、そのとき付き合っていた電気通信大学の彼氏が教えてくれると、誇らしげに言ったので、なんだか断りきれなかった・・・爆)。受験勉強はほぼせず、バイトをずっとしており、高校3年のときも浪人した1年後も、1月10日過ぎまでバイトしていましたから・・・。それでもここまで何とかなってきたのは、この5つについては、誇りに思えるほどの充分さを、遊びを通して学んだからだと思います。学校にいきなり戻ったときにがんばれたのは、これらのおかげです。

1. 生命力の充実

ヒトとして生まれてきたからには、「生き延びる」ということが使命であり、生命力がゼロであれば、とっくに死んでいます。この上、「よりよく生き延びる」という課題があるので(余計なエネルギーを使ったりするのは、生き延びるチャンスを減らすしね・・・)、身体を先天的に生まれ持った条件から引き伸ばし、ポジティブに生きていくという方向性を持っていることが大切です。ただじっとしているだけではなく、何かをすること。何かをすることで、あとから生き延びるのにラクになり、エネルギーを保存できるバランスをもてること。

子どもに言うときには、「やる気」ということなのでしょうけれども、その対象物をなぜか勉強に限定してしまうのが、やり方としてよくないわけです。ゴム跳びでもマラソンでも水泳でもトンボ捕りでも何でもいいんですけど・・・。この生命力の充実が発達していくと、「動機」になるので、大人になってからも変幻自在に使えるわけですよ。なぜそれをやりたいのか?ナマケモノになりたいから、でいいわけです。そのためにいっちょがんばっておくか!と、子どもの頃のマラソンでも水泳でも教えてくれたはずで・・・。しかも、達成したときのノルアドレナリンの量も体験したはずで・・・(そのときには脳内ケミカルなんてわかっていなかったけどもさ・・・)。

2. 集中力

集中できないヒトというのは、先天的な障害があるヒト以外にはいないはずです。ただ、何か理想形を持っており、それがTOEICの75分テストだとか、仕事の午前中3時間だとか、勝手に法則性もわからないまま、ただただ、「集中力がないんだよね・・・」と言っているだけのような・・・。私だって、脳の支配からは逃れられず、1日16時間半、ずっと集中しているわけではなく、波があり、しかも他人事のListening Tapeなどを聴いているときには、聴いていないことすら多く(爆)。

子どもに言い聞かせるときには、「メリハリ」を持つことにより、遊びとごはんと学校と話を分けるんだよ、ということからだったかと。少なくとも私はそうでしたね。何かひとつをしていることにひたむきになり、そのあと休憩したあと、またひたむきになれるかどうか。100%を入魂した体験があれば、集中力は上がっているはずで・・・。あとは、自分の中でデータを取っておき、それについて解析したりするだけで、集中力というのは、よりよく運用できるはず。

AをしながらBをこなす、というのは100年速いヒトがたくさんいます。それは、100%入魂した体験がないからなのでしょう。どれも中途半端でこなせてきた体験しか持たないからです。雑念が入らないようにするのは、私は昨今たいへんなのですが、その雑念にも100%ずつ集中して、全部で300%入魂することは可能なのか?ということを、実験している最中です。「けっこう高等なことができるようになったじゃん・・・」とほくそ笑んでいる自分に気づくと、最初からやり直しというのが、この集中力の脆いところです(爆)。

げ、いい気になって好きなことを書いていたら、枚数に到達してしまいました。図らずも続編になってしまったので、続きは明日。

実は、昨日からまた新しいグループレッスンが始まったので、最初の授業で気合を入れるために、いろいろ話していたらなんとなく思いついたのです。お題がなかなか見つけられない、単調な日々を送っている折、人々と逢う商売というのは、なかなかいいものだなぁとまたもや思いました。感謝。

耳を大切に

07/10/2008 にアップした文章です。

現代に生きているヒトには、ピンと来ないかもしれないです。せいぜい、i-Podの聴きすぎで難聴になるよ、程度のことしか気をつけていないのではないのでしょうか。そうは言われても、あまり気にしていない人も多いに違いなく・・・。小学生の頃の検診で、聴力検査というのがありました。今もあるんでしょうね。が、大人になると、自分の聴力というのを気にすることはあまりなく・・・。母くらいの年齢になると、医者に行ってチェックをするようになるのですが、何かのチャンスがなければあまり気にしないで、当たり前の恩恵を甘受したまま暮らしていると思うのです。

いいサイトがありました。純音を聴いてみよう、というサイト。試してみてください。私もやってみました。かなりショックだったのは、20000HZの音はわずか振動しか聴こえませんでした。やはり、子どもの頃とは耳の構造が違うんだなぁ・・・。http://www.kawaijibika.gr.jp/puretone1.shtml 

生まれ持った障害の場合は別として、なぜ聴力が低下するのか?
いくつか理由があるようです。
ひとつは姿勢>http://www.33-kikoe.net/shisei.html 
もうひとつは、自律神経の乱れ>http://www.33-kikoe.net/stress.html 
もちろん、突発性のものでウィルスによるものや、一時的な難聴は喉の痛みや咳のしすぎなどでも顕れます。

では、耳を大切にしないとどういうことが起きるのか?大きく3つの面で不便が起きます。

1. コミュニケーション
・ 口数が少なくなる
・ 電話での応答がぶっきらぼうになる(聴こえないことを隠す傾向のため)
・ 会話そのものが困難なので、理解への到達機会そのものが減り、理解が目減りする
・ 繰り返し言ってもらうように頼むことが億劫になり、聞き取れたフリをするようになる

2. 対人関係
・ それまでのつきあいの親密さが軽いところから、どんどん消滅していく
・ 知らない人との接触を避けて、新しい友人を作らない
・ 効率よく仕事をする能力が低下→評価が低くなる
・ 社交性が減ることにより無口になり、消極的になる

3. 自己の感情
・ 自分や他人に対する憤り・欲求不満
・ 注意力散漫
・ 自己反省や悪循環による落ち込み
・ 不安定
・ 将来への不安
・ 能力がないという思い込み
・ 対人関係の悪化によるさらなる悪循環

すごいことなんですよね。しかも、高齢化社会に突入した先進国に住むヒトとしては、高齢者が体験するであろうこうした心の動きや状態などを、しっかり把握しておくのがマナーというものでもあるし、人情でもある。

私は、英語を教えている関係で、耳のよさということをよく考えるのです。私は聴こえすぎてしまい、鬱陶しいことが多いのです。生徒さんの中では、Listeningが伸びない人も多いです。いかにListeningの勉強をしていても、元の耳、聴力などがわかっていなければ、何も始まらないことがわかり、まずは日本語での日常的な質問をします。

-イチバン最後に聴いた鳥の声は?
-自分が心地よいと思う自然の音は?
-騒音の中で最も不愉快だと思うものは?
-大勢の話を同時に聴くことができているか?
-アニメや映画の吹き替えで、誰の声か判別がつくか?
-電話で相手が即座にわかるか?

などなど、いろいろ質問をしてみてから、本題の英語のListeningに入ることにしています。とはいえ、私も英語を通勤時間などに聴くことを推奨しているので、i-Podなどに代表されるイヤホン症候群の助長に拍車を掛けているのかもしれません。音量については、くれぐれも注意していますが・・・。電車の中での迷惑事項の中には、匂いの次が音らしく、この漏れについては不愉快に思う人が多いらしいので。しかも、あまりな音量で聴き続けると、確かに耳にはよくないですしね。

私は今も、TVを見ながらコレを書いており、ネコのPurr-ing(ゴロゴロと喉を鳴らす音)も聴いていて、外から入る音を聴いています。その雑多なこと・・・。こうした環境がいいわけがなく、少なからず、この音を遮断できたらなぁ・・・とは思うのですが、朝っぱらからエアコン出動は不可能なので(見張られているんだよねぇ・・・。しかも、まだ28度しかないし、室内・・・)この音たちに甘んじています。USに住んでいる頃は、鳥の声や子どもたちの騒いでいる音が聴こえたものですが、この立地では無理ですね・・・。

しかも、パチンコ屋でのあの音はひどい・・・。耳栓をしてまでパチンコをする必要はないので、ここのところ遠のいています。というか、忙しい(爆)。週末のスケジュール調整については、産業カウンセラーでいつも書かされる「ふりかえり」で書いたのですが、今週もせめてできることは、土曜日に飲まないで帰宅し、7時間半眠ることくらいで、時間数そのものは減らせそうにはなく・・・。

私は意識して耳を大切にしようとしており、それでも電車に乗るようになってから、あのガタンゴトンガタンゴトンという音に、いつも曝されているというのはどうなのだろう?などと思っています。仕事のせいで、英語のCDやMDをよく聴くのですが、集中力に問題があっても、聴力に問題があるような気はしていません。いつになったら、私も聴力が低下するのかと不安なことは確かで、その忍び寄る時期については、「並みくらいでありますように・・・」と祈っています。もしも遺伝であればヤバイことで、母は若い頃からそれほど耳がよくないのです。が、あまりビビッてばかりも居られないので、イソイソと英語を聴きつつ、日々の音に対して注意していこうと思っているところです。

耳はくれぐれも大切にしてくださいね。