新しい年が始まった

01/01/2008 にアップした文章です。

大晦日は大事を取って、PCの電源をなるべく早く落とし、ハロゲンヒーターを使って、ネコたちと安眠しました。が、今朝は早く起きてしまい、ゆっくりとシャワーを浴びて、しっかりと髪を乾かしました。ここから髪にタバコの匂いがつかぬよう、風邪が悪化しないよう、ちと禁煙を試みます。こんな気持ちになったのは久々で、気管支炎になっても「タバコは吸いたくないっ!」と思ったことがないので、かなり今回のぶっ倒れたことはショックだったようです。風邪の最中にカフェインはいいのか悪いのか、ひとしきり調べてみたのですが、まぁ、悪いとは書いていなかったし、むしろ「副交感神経を刺激して風邪を早く治す働きがある」とあったので、ブラックで飲んでいます。

なんとなく治ってきたとは思うので、緩めに今日を過ごして、明日ゆっくりして初詣に行きたい誘惑に勝てれば、きっと13日まで休まずともやっていけると思うのです。年越しまで起きていたのか、うつろだったのか、0:00になった瞬間の記憶がないので、小学校低学年のとき以来ぶりに、年越しの瞬間に起きていなかったことにカウントできてしまい、かなり損した気分ではあります。が、身体が資本だし、しょうがないよねぇ・・・。

今朝はお雑煮はやめておいて、昨日のスープの残りをおなかに入れて、戻って来てから身体と相談して、何を食べるか考えようと思います。おせちは用意しないでくれと、そもそも母には頼んでいたんですが、こうなるともう何が食べたいか、よりは、何が食べられるかという選択なので、けっこうよかったかもしれないです。明日になれば、もう少し選択肢の幅が増えてくることでしょう。母がボーイフレンドの家から戻ってくるのが、2日の夜なのです。出たり入ったり、ボーイフレンドのほうもけっこう迷惑なのではないかと思えるのだが(笑)。

シメシメと思うのは、ネコたちには行事の通念がないので、特にお刺身を買いに出かけずとも大丈夫なところ。わざわざ出かけるのはちょっときついので、仕事の帰りに気が向いたら買ってこようと思っています。彼らは私よりもある意味大切なので、ご機嫌よく私のそばで癒しのセラピストでいてほしいわけで・・・。今日の残りと、明日1日、彼らによって癒されないと、3日から13日まで保ちませんから。

母がボーイフレンドの家に行ってくれていいなと思うのは、やはり、眠っている身では、彼女の話している内容やその数がとてもいらついて、邪魔になることが多いこと。健康な人にはわからないことなのでしょう。私がいつも他人に威圧感を与えているかもしれないことを、彼女は私にここのところやっていたわけです(笑)。

子どもたちを教えていて思うのは、「大人だからわかるよ」という自信は必要なものの、彼らが自分で理解して解けるようになることを教えることであり、「こうでしょ、こうじゃない、こうじゃないとね」と見せておしまいなわけじゃないなということ。英語学校では、中学・高校・大学など、バックグラウンドが違うので、共通の理解ポイントを探すのはたいへんですが、その分、お互いが教えあう雰囲気もできていいのです。が、プライベートレッスンのときはやはり違い、「わかって当たり前」ということは何ひとつないのだという探りあいから始めなければならぬということ。

物欲がない私ですが、ここ2日間うつらうつら寝ていて欲しいなと思ったのが、DS Liteでできる大人の漢検ソフト。本を読む時間を減らしてでもいいから、ちょっとやってみたいなぁと思いました。で、値段を調べてみたら、20000円は切っているんですね。ソフトのほうは3000円もしないようだ。うん、考えておこう。結局、年末はものすごく忙しくて、母に図書館に本を返却しに行ってもらって、私は借りてはいないのです。年始の開始が、4日ですが、開館時間が朝9時からなので、8日まで行けません。まぁ、電車移動で実際に本がどうしても必要な5日と8日以降からのことを考えれば、5日だけ我慢すればいいんですけれども・・・。

今年は何冊本を読んだのか、記録しておくのはいいかもしれないと思っています。

西さんからはメールが来ましたが、クリスマスのときや誕生日のときもくれるし、今日のもけっこう節目にぴったりな、いいことが書いてありました。西さんは、この数ヶ月で台湾と蘇州の行ったり来たりの往復を何度やったことやら・・・。しかも、新年の実感はさほどないことでしょう。日本人暦で生きていないのかもしれず、あるいはどちらでもいいや、とも思っているのかもしれず・・・。

年末年始の番組で楽しみなものは、TVの番組表のマガジンを見たのですが、特にありませんでした。ひとつだけ、海音寺潮五郎の『天と地と』のドラマ化を、1月6日にやるので、見たいとは思うのですが、見られません(笑)。仕事が9時間も入っています・・・。休み時間を入れて、拘束10時間半くらいなので、その日もほぼ何もできないくらいの状態で、1日が暮れていくのでしょう。

きっと8日までは、ニュースもろくろく見られないような状態だとは思います。が、2日がお休みなので、どのくらい復活できるかわかりませんが、なるべくエッセイは休まないようにしたいと思います。新年早々ケチがつくのも縁起が悪いですもんね←とはいえ、私の縁起担ぎは、こうしたことにはあまり根ざしていないような気もするんですが・・・。

そういえば、風邪薬を飲むとやたらと喉が渇きます。これが最もマイルドな副作用なんでしょうか?30日からこっち、1日5リットルくらいの水分を摂っていると思われるのですが、さらにものすごい量の汗をかいていると思われるのですが、それでもまだ喉が渇くのです。授業の最中は、ペットボトルすら持ち込めないのが、続きますので、ちときついですね。5日の英語学校はノビノビできますが・・・。

のど飴もきっといけないんだろうなぁ・・・。

具体的に何か今年の抱負を考えようと思っていたのだけれども、今はまだ少し朦朧としたところが残っており、それほどはっきりしたものにはなりそうにない・・・。新年は始まったものの、仕事が12日一杯までこなせなければ、きっとこのままでなし崩しに抱負が出てこないまま終わってしまいそうである。

新年になって何がうれしいかというと、年末のときのように待ち時間は減るだろうと思うのだ。さらに、生徒さんのキャンセルの時間もぐんと減ると思うのだ。新年はやる気が高まっているときなので、学習効率もとてもいいはずで、教えるほうとしてはやりがいがあります。

今後、何かまた抱負になるようなことが出てきたら、エッセイの中に盛り込むということで、許していただきませう・・・。

明るさに救われる

01/11/2008 にアップした文章です。

新年になって、寒いことも手伝って、年末に高熱でぶっ倒れたこともあり、なんだかメリハリがそれほど利いていない2008年を開始したのですが、時間の合間を縫って、髪をまとめに行き、そのあともわんさか入ってくる授業の内容が、英語ばかりであることを祈り、英語の生徒さんたちに逢うと、明るいことに救われます。受験生も、私が思っているより深刻でもなく、明るいのです。特に明るいのは、私の母で、彼女は何があっても明るい。「ボケているんだけど・・・」と自分のマヌケなことをいろいろ話していますが、彼女は決して認知症の傾向があるわけではなく、30代から今とまったく同じなので、性格なのでしょう。さらに、ネコたちはいつも救ってくれます。おとぼけ、と簡単に片付けられないほどの明るさです。

明るい:(1)光が十分にある状態である。また、そのように感じられる状態である。(2)色が澄んでいる。黒や灰色などがまじらず鮮やかである。彩度が高い。(3)人の性格や表情、またかもし出す雰囲気などが、かたわらにいる人に楽しく、朗らかな感じを与える。晴れやかだ。楽しそうだ。(4)物事の行われ方に、不正や後ろ暗いところがない。公正だ。公明だ。(5)未来のことに対して、希望をもつことができる状態である。(6)(「…にあかるい」の形で)その物事についてよく知っている。精通している。くわしい。
救われる:悪条件の中にも良い条件がある。悪条件が一部解消される。

この語彙を読んで思うのは、「ひょっとするとイチバン暗いのは私か!?」というもの(笑)。特に暗い人間でもなければ、隠すことがあるわけでもないのですが、やはり疲れているのは確か。昨日、自分でもすんごく驚いてしまったのは、続けて9時間半も寝てしまったことである(笑)。いくら大人になっても、老化しても、私は睡眠ということで悩むのは、かなり先の話になるのではないか?という予兆です。しかし、いかんせん健康なもので、太陽が出てくるとなかなか眠り続けていられないのがミソで、朝早く起きるのはさして苦ではなく、自然な成り行きで、夜遅いのが続くと、ぐったり疲れてしまうんですなぁ。とはいえ、1時に眠っても7時間睡眠確保だと、8時までですから、お天道様がカンカン照らしている時間にもならないのではありますが・・・。

若い頃は、夜中まで働いていてもまったく元気だったのですが、アメリカで早寝早起きな暮らしを続けていたせいなのか(勉強に焦っていたとしても、どんなに遅くとも夜中の1時には必ず眠っていたし、何もなければ12時前になるべく眠るようにしていた)、日本の23時から開始するTV番組を見ていると、どうしても遅くなってしまいます。TVを点けなければいいのですが、図書館にしばらく行けなかったので、本がなかったのですよ・・・。今日、行ってきたので、明日からは特にTVを点けなくて済むのですが、どうも「何もしない状態」というのがどうしても耐えられず、睡魔がぐわーーーんと襲ってくるあの瞬間まで、どうしても何かしていたいらしい(笑)。

母も私と2・3日ズレて、風邪っぽい症状が出ていたのですが、彼女は鼻がかめるので、威勢のいい音を立てて鼻をかんでおり、食べるものも拒絶することは一切なく、むしろ、甘いものを摂らないように心がけるほどの元気さです。彼女の明るさの原因は、おそらく、独り言が多いからなのでしょう。何をやるにも、リズムがあり、音といっしょに動いています。音がしない場合には、さみしいのか何なのか、ひとりで話し始める(笑)。そして、着るものもなんですよ・・・。明るい基調の色が大好きで、今月ちょっきり70歳になるというのに、オレンジや黄色や赤をしょっちゅう着ます。さすがに最近ピンクは減ってきたものの、私とは正反対の明るい色が好きで、私の洋服は「黒や茶ばっかり」と言いながら、洗濯物を干したり、抽斗の整理をしたり、と忙しくしているのですね(笑)。確かに、彼女の持っているワードローブと比べれば暗いだろよ・・・(汗)。

ネコたちも1日14時間も寝る割には、起きているときはうんと明るい。かわいそうなのは、広さが圧倒的に奪われたことなのですが、発作的に飛び跳ねたり、走り回ったりしています。その意味がありそうでなさそうな行動を見ていると、思わず笑みが漏れてしまい、救われますねぇ・・・。ちょこんと座って、お約束行動である、見上げをするときにも必ず笑ってしまいます。すでにごはんを食べ終わっており、残っているネコ用ごはんがあったとしても、私が帰ってきてごはんを食べ始めると、決まって横の下に陣取り、見上げるわけです。「もしかすると、人間ごはんでもらえるものがある場合に備える」というかわいらしい行動(笑)。もちろん、上げすぎてはいけないんですが、楽しみの大きなひとつですから、上げられるものがある場合には、ちょこっとだけ上げることにしています。

さらにかわいいのは、トイレに入る私にくっついてきたり、お風呂のあいだドアの向こうで待っていたり、眠るときには移動して私が寝やすいようにしてくれたり、ハロゲンヒーターをつけると、「おいおい、毛が焦げるよ・・・」と思うほどに擦り寄ったり、腕枕と私の身体のあいだにすっぽり包まれたりするときです。ネコが喉を鳴らす音は、あんなに大きいものなのか?と思うほどに、うどちゃんのゴロゴロ音は大きい・・・。疲れないのか、この人・・・、と思えるほどに長いあいだやっているわけです。捨て猫だった期間が長くなればなるほど、このゴロゴロ音は小さいし、短いのは、偶然ではないと思えます。彼らには彼らの成長のプロセスがあったんだろうな、と。

そこで、明るい気持ちになったあと、少し切なくなる・・・。

完全休日まであと4日ほど。とにかく1日ゴロゴロしていたいし、読書三昧したいものです。明るい人とネコに救われることを期待するのも申し訳ない。私のほうが、明るさで誰かの心をほっとさせたいものです。

ネットでも、惰性&習慣でニュースを読んでいて思うのは、明るい話題のほうがアクセス数が多いこと。もちろん、話題性があるのがイチバン多いんですが、意味もなく「どうした、このアクセス数!?」と思えるのは、明るいことのほうが多いです。みんな疲れているんだろうなぁ・・・。

今の私の救いは、周囲が明るいことに加えて、化粧をして出なくていいこと。これで、さらに化粧の義務が発生したりしたら、疲れは倍増します。化粧を落としたり、コンタクトの洗浄をしたり、とさまざまな小さい義務が発生すると、ますます疲れが溜まってきます。家の外であったことを、私は家に持ちこまないで済んでいます。母には、いろいろなことを話してもスルーされてしまうだけで、「のれん状態」が続くので、こちらとしても張りがないので、話すのはよっぽどのことでないといけないわけです(笑)。しかも、いい話を持ち込むのであればいいのですが、悪い話をしても、彼女の明るさに水を差すことになり、特に話す必要もなく・・・。根本問題を解決するのは、あくまで私で、それを母に話したところで、「救われる材料」にはならないのですね。私は愚痴や不満を表現して、「ほっとする」「すっきりする」性質ではないようなのです。

あちゃー、私のメンタリティはやっぱり中高年の中間管理職のおっさんくさいところがあるなぁ(爆)(爆)。そうして、家族がうまく行かなくなったら、やっぱりこの私のメンタリティのせいなんだろうなぁ・・・(汗)。

とはいえ、それほどマグニチュードの大きな揺れはないし、崩壊して立ち直れないほどのひどい結果にもなってはいないので、彼らが明るく私を救ってくれるところを見て、ありがたいなぁと思うのはいいことだろうと思っています。それに気づけなくなるほどになると、疲労も私のキャパを超えることになるので、そうなったら少し仕事を引き受けることを調整しないとね・・・。完全休日は夢と消えました。日曜日も返上で、わずか3時間ですが、仕事は引き受けてしまいました。1月一杯、完全休日は1日もありません・・・。

大晦日の心持

12/31/2007 にアップした文章です。

『10年に一度しか寝込む風邪はひかない伝説』は脆くも崩れてしまいました。まぁ、15・6年ぶりに、たいへんに狭い容積しかない空間に、夥しい数の雑菌が浮遊している場所を体験していたのだから、これは少しフェアではないとは思うのですが・・・。アメリカでは、クラスルームそのものがとても大きく、マスクなど必要ではないほどのスペースが個人のために確保されているので、他人からもらう雑菌で感染するような場所は、それこそ病院やスポーツジムくらいしか思い浮かばないのですが、やっつけられましたねぇ・・・。が、今日はこのヘロヘロ状態の中で、来年の抱負を考えてみる日なのだった。

振り向いて考えると、私は日本に居た24年と、戻ってきた2回分の大晦日を入れて、生涯のうち26回の大晦日を日本で迎えているのですが(渡米したあとに、日本に里帰りするにしても、この時期は狙わない)、16歳以降は、24歳まですべて労働をしており、去年も働いていましたし、今年はぶっ倒れて眠るしかないという情けないことになってしまいました・・・。来年は働いていたいのだけれどもなぁ・・・。なぜ?と聞かれても、やはり他人様が働いていないときに働くくらいの気持ちがなければいけない、というのは、私が自分に課していることなので、働けるところがあるということはありがたいことだと思うのです。とはいえ、今年も1月1日も仕事がありますし、3日からフルタイムで働くことができるので、まぁ、よしとします。ということは、やはり私は歳の変わり目に具合が悪かったことは、少なくとも16歳以降は皆無だったんだということを思い出します。子どもの頃は、父の田舎に行くのが慣例で、おそらくそのときにも寝込んだことはなかったと思うんですが、100%正確ではないかもしれないです。

ぶっ倒れたのは、本当に残念で、あと4時間ズレていれば、キャンセルする必要もなかったのですが・・・。本当に悔しいのは、朝9時には、しっかり歩いて学校まで行ったんですよ。ところが、キャンセルが私に知らされておらず、4時間後ということになった。そうしたら、なんとなく体温計に手が伸びてしまい、どうしても測りたくなり、測ったら38度を超えていて、1時間後には39度を超えてしまい、「もうダメだ」と思ってしまったことが敗因。30日のキャンセル以外の2コマ、3時間をしっかりこなせれば、大晦日の今日を休息日に充てれば、何とかなったんだけれども、本当に悔しいなぁ。

昨日はトイレに立つのがやっとだったのですが、最高で39度8分まで熱が上がってしまい、40度超えたらどうしようと怯えていたので、とにかく水とビタミン剤を大量に摂り、母がボーイフレンドの家から戻ってきた夜9時に、やっと「やっぱり解熱剤だけは必要なんじゃない?」と言われるまでは、食えていないし、薬もなかったわけです。で、母があわてて買ってきた薬は、すごく効きましたですよ。飲んで3時間後に、1度下がり、翌日起きたらもう7度台になっていましたから。めったに飲まないせいで、薬がよく効くことは私の中での常識になっているのですが、これほどラクになるとは・・・。今朝は、「もう午後からなら仕事したい」という気分だったのですが、母に窘(たしな)められ、しばらくじっとしていました。そして、母がまたボーイフレンドの家に行ったので、こうしてむくむく起きてきて、エッセイを書いているわけです←どうして40歳を過ぎて、母に管理されているのか?と悔しくもあるんですが、まぁ、愛情ですからね・・・。○×しろ!とは言わないんですが、するな!とはよく怒られます、今でも・・・。

私の具合が悪いので、母はもう昼間のうちに年越しそばになるものを準備してくれたのですが、私がどうしてもざるそばがいいと言い張るので、彼女はおそらく今晩も、ボーイフレンドといっしょにおそばを食べることになるんだろうなぁ・・・。ごめんねぇ・・・。

12月24日からお休みなしで働いていて、28日には朝7時前の電車に乗り、遠征して仕事に行き、戻って来て11時から夜の8時まで働いてしまったことがあり、それが風邪が熱になる分かれ目だったんだろうと、今になれば思うんですが、29日は朝の9時から夜の8時まででしたから、その日にもがんばったのがまずかったのか・・・。いや、ひょっとするとそのあとの忘年会だったのか・・・。

でも、ねずみ年はいい年になる予感が大いにしており、ぶっ倒れてしまったとはいえども、今の気分は悪くないです。いつもの気管支炎にはなっておらず、咳は1時間に1回くらいなもので、それもこれも私が完全にタバコを止められない大バカモノだからです。鼻水はあくまで水で、粘状ではなく、よく汗が出ているので、明日の課題は、10時に家を出るのですが、何時にお風呂に入って、丁寧に髪が乾くまでは家を出ないということなのか・・・。30日の朝、出る間際にシャワーを浴びて、髪が濡れていたのがいけなかったと、今でも思うんだよねぇ・・・。いつもの体力ならばいいのだけれども、あの体力じゃダメだったんじゃないかと。

西さんともメールで2日間も連絡が取れずに心配させてしまっていたのですが、さっき、メールは送っておきました。そこには「深大寺におまいりに」とあったのですが、いつもだったら行くかもしれないのですが、やはり松の内に行けばいいや、と体力優先を考えた返事をしておきました。彼は私が40度手前の熱を出したことは知らなかったので・・・。

明日は、授業が終わったら、まっすぐ帰ってきておとなしく眠っていようと思います。いや、でもエッセイは2個くらい書こうかと(笑)。外に出れば頭に引っ掛る何かがあると思われるので、きっと2個くらいの題材はあるかと。なぜならば、ネットやTVはあまり当てにならず・・・。13日までは完全休日がないので、少し貯めておかないと、きっとまた身体を酷使することになってしまいます。英語を教えるほうが、受験科目を教えるよりも楽しいことに気づいたのはよかったのですが、子どもたちのけなげさはまた別で、やっぱり私を当てにしてくれる子どもたちとは、今後もおつきあいしたほうがいいのか?ということにも、1月は考えていかねばならず・・・。中学校1年生の男の子で、将来はNASAで働きたいという子がいて、英検4級を持っており、英検2級までに進めば、英語学校のほうがいいんだろうなぁ・・・。わずか6日働いただけで、本当にいろいろなことを考えさせられて、やっぱり仕事の場というのは、いろいろ見てみるのがいいのだろうなと思ったので、ネズミ年は、お仕事をさせてくれるところがあれば、バンバン出かけていこうと思います。

占いサイトで、来年の運勢を見てみたのですが、やっぱり占星術・血液型・タロットその他、いろいろな占い方法で、大矛盾が出ますよねぇ・・・。神社仏閣に行くのも、体力的に今年はちょっとまずいだろうから、松の内に行って、やはりここまで生かされてきた感謝だけはしてこようと思います。あとは、これまでの知識や経験や人間関係による蓄積を、どこでどのように生かすか?だよねぇ・・・。

もうひとつ、来年仕事や勉強以外にやりたいのは、体力についての再検討。血液検査の結果が思ったよりよかったので、たいへん気をよくしており、体力が年齢の割りにまだあることもわかったので、やっぱり運動をどこかで取り入れねばならぬ、ということ。どこで?がまだまったく考えておらず、何を?もまだ考えていないのですが、ご意見ご拝聴させていただきたいので、もしかして80歳過ぎてまで生きてもいいように、何とかこの体力を維持できるように、いい運動を教えていただけたら幸いです。母親があんなに元気なので、彼女のDNA分をもらっていたら、私もうんと長生きしてしまうかもしれない・・・と、このごろはちと恐怖です(笑)。

悪くない1年だったし、来年はもっとよくなるんだろうな、と思わせてくれる材料が多い年末でした。さぁて、どんな年になるのかなぁ・・・。みなさんのネズミ年がいい年になりますように・・・。

風邪は気合で治るか?

12/30/2007 にアップした文章です。


免疫性の高い、丈夫なDNAをもらって生まれた私は、本当に倖せモノなんでしょう。昨日の夜、喉がイガイガするなと思っていたら、朝起きて痛くなり、その朝というのが3時半という曲者で(笑)、6時50分の電車に乗って出かけなければならず、8時に目的地に到着し、仕事を済ませて10時にまた都内を出て、10時50分に調布に戻り、冬期講習会に出たのですが、その頃にはどうしようもない悪寒がして、「どうしよう、倒れちゃうかもしれない」と思うほどになっていました。寝込むほどの風邪は10年に1回しか引きませんが、この程度は毎年1回ほどあります。どうやったら寝込まないで完治するか?

ただ不思議なもので、私は丈夫なんですなぁ・・・。11時から19時までの授業は、休み時間50分も含み(とはいえ、授業準備があるので、コピーをしまくり、30分は終わる。ペーパーワークもあるので、休みという名の仕事ではある・・・)、誰かにくしゃみの飛沫(ひまつ)を吹きかけることもなく、終わってしまったんですよ。ところが、提出して判子をもらわねばならぬペーパーワークに苦笑いつきのクレームがつき、いつもであれば、+15分から20分である翌日の準備やその日の〆が、なぜか1時間にもなり、私は具合が悪いのもあって、相当ご立腹でした。本当に呆れてしまい、こんな状態で子どもたちを教えていいのか?とも思ったわけです。だってぇ、受験期にある子どもたちに風邪を感染していいわけもないのに、「熱があっても具合が悪くても穴を空けずに仕事に出ること」などと言うわけで・・・。私の日ごろの信じていることと反対なことがかなり多い職場ではあります。契約とは雖も、けっこう抵抗感は募るのであった・・・。

そして、わずか2分しかかからない道のりを、フラフラになっていた私は、5分かけて、しかも傘なしで雨の中を歩いたのであった・・・←天気予報は聴いていたのであるが、こんなに具合が悪くなるとは思っておらず(いや思っていたのだけれども、コートがあるから2分くらい濡れてもいいやと思っていた・・・)、けっこう足元がフラフラしており、思ったより長い時間、ぼーっとしながら歩いてしまった(笑)。

そして、家に電話を掛けつつ(こういうときって携帯は便利だよねぇ♪)、母に室内を異常なくらいに温めておいてもらおうかと思ったところ、彼女は外出中。駅前に住み始めてから、なんだか夜になっても楽しげに家の外に出ることは多い・・・。家に戻ってすぐに濡れた衣服を脱いで、母にやってもらえるように重ねておいて、Tシャツとスウェットを重ね着した揚句、靴下を履いて、フリースのパジャマ下を。タバコを、15時間も吸っていなかったので(それだけ+3時間くらい起きていたんですが・・・)吸い始めたところで、母が戻ってきた。弱気になっていたので、とてもうれしく、買物袋の中身を見ると、ビール♪

体温計を出してもらって測ってみたら、わきの下で36.6で、舌下で37.2しかなかったので、熱があるかもしれないというのは、誤解だったようだ(笑)。でも、確実に身体はウイルスと闘ってくれていた模様で、本当にフラフラしていたから・・・。が、喉の痛みはなくなったし、と、ぐびぐびとビールを飲んで、なぜかキハダマグロを食べて、そそくさと寝たのが、10時前。

ところが、昨日3時半に起きていたため、なぜか4時半に起きてしまった(この1時間のスライドは、元に戻そうという力が多少は働いているけなげさを示しているとは思うんだが・・・)。6時間半という中途半端な時間を眠って、今日の授業の準備が気になったから起きていたわけではなく、とにかく喉が猛烈に渇いていたのです。

PCをつけて、このウイルスと闘った白血球の死体を体外に出してしまいたいじゃん・・・、と、本当に想像だけで、熱望したので、起きて2時間。水を飲み続けています。ついでに、マルチビタミンをトイレに行ったら1ピル飲むことにした←まだ1回しか行っていないから、決めただけの段階(笑)。母は気の毒がって、起きてきてスープを作ってくれた。もうすぐ起きて3時間経つのだけれども、野菜スープ+ベーコン+にんにく・しょうがに、パルメザンチーズをかけたものを、どんぶり一杯飲まされているところ・・・。でもやっぱり食欲はないので、あまりがつがつ進まないのだよなぁ・・・。

3時間経過して、いいニュースは、鼻水が出ていること。私の鼻水は、本当にお水で粘液がないので、さっきグビグビ飲んでいた水がそのまま出ているんじゃないか?と、見ている母が疑うくらいなんですが、もしここで鼻水が出なかったら、気管支炎になるパターンが、これまでの統計では多いこと。喉の痛みが進み、咳に移行して、気管支炎になってもタバコを吸い続けるという、バカな悪循環を数日続けることになるんですな・・・。ところが、おそらく、昨日は15時間もタバコを吸わなかったため、喉の炎症はそのままで、気管支の深くまでには達しておらず、とにかく、鼻付近で、なんとか白血球の死骸をたくさん出してやろうということなのでしょう(なぜか私は自分の身体がウイルスと闘うときには、この絵を想像するんだよなぁ・・・)。

今日は、6コマ、9時間労働で、そのあと20時から忘年会があります。翌日30日は、また朝の9時からで、5コマ、7.5時間労働なので、12時くらいまでには飲み終わりたいところですが、そもそも飲めるのかどうかも怪しい・・・。でも、こう思っていると、治らないので、気合で治ると思い込むとさらにいいので、キャンセルはしません。迷惑を掛けないようにはしますが・・・>ほら、くしゃみとかね・・・。

私がなぜ風邪のウイルスをもらったのか?去年は微塵もなかったのに、という疑問はすぐ解ける。去年は、横田基地の極寒の外で仕事をしていたのですが、人と人との距離は電車以外ではとても短かった。しかも、福生までの電車は逆方向なので混んでおらず、他人から菌をもらうことはなかったんですね。

ところが、この5日間、2mX2.5mくらいの小さいブースで、子どもたちとふたりっきりになり、そんなブースがワンフロアに40個もあるという、すごい環境のところで働いているわけです。空気清浄機がついているわけでもなく、加湿器があるわけでもなく、トイレにうがい薬とリステリンがあるだけですね。おそらくこんなすごい近距離に、こんなたくさんの人間が集まっている体験をしたのは、父が死んで以来なので、15・6年ぶりだろうと思われるのです。日本に住んでいなかったし、去年は新手のウイルスにおそらくそれほどの照射(核みたいな言い方だけれども・・・汗)を回数も量もされておらず、いきなりすごい密度にさらされたので、こんなことになったんじゃないかと・・・。

そういう意味でいえば、子どもたちのほうが慣れているのだろうし、来ている先生たちもこの環境には慣れているんだろうなぁ・・・。

それにね、今日の忘年会は看護婦さんとなのです。なので、アドバイスももらえるしね♪母を使いまくって悪いなとは思うのだけれども、私が遅れたときのために、彼女には駅前にいっていてもらい、時間にゆとりがあるようであれば、シャワー&うがいをしてから出かけたいくらい・・・←でもそんなゆとりはないだろう・・・。

もうあと2時間ないので、これから寝ることはできないんですが、ビタミン・スープ・お水攻撃はけっこう効いており、なんだか今日9時間+休憩時間+残務処理は大丈夫そう。忘年会は、場所によるのだけれども、明日1日保てば、31日はお休みなので、気合でお風呂で治せると思います>私の父はお風呂で汗を流して風邪は治ると信じていたので、私も信じている(笑)。

ということで、年末最後にケチがつきましたが、年内中に爽快になることを祈って・・・。

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その74

Q74.

好きなアルコールは何ですか?

A74.

これ、心理Blogに関係あるんだろうか?と思いながら書いてますが・・・(笑)。

まずはビールをいつも飲みます。二日酔いしたくない時にはビール一本でその日は済ませることもあります。日本に帰ってきてからはその後、大体焼酎なんでしょうか?冬でも私は水割りです。氷を入れた冷たいドリンクが好きなので、体にあまり良くないことは知っていてもどうしても止められません (・・;)

本当に好きなお酒は何なのか?と考えてみたのですが、やはりワインなのかもしれません。白を軽く飲んでおいてから、食べているものに合わせて赤に変える、というのを、在米の頃は長く続けていたので、今はそれが懐かしくてたまりません(笑)。日本で購入できるワインは、Californiaで手に入れられたものの2倍から10倍ぐらいの値段です。ですので、贅沢にこれをすることなく、日本に住んでいるのだからと、日本のビールと日本の焼酎を今は楽しんでいるところです。

私は日本酒があまり好きではないんですねー (・・;) ワインが好きなら行けるんじゃないか?と思ったことも何度かあるんですが、やはり甘いからなのでは?と思うんです。大吟醸などを飲んだとしても、まだ私には甘く感じられてしまうんですね。白ワインも実は、Chabliなどしか受け付けず、すぐに赤に変えてしまう傾向があります。

ウイスキーやコニャックも嫌いではないのですが、あくる日が仕事だと思うとどうしても堪能できません。1980年代バブルの最盛期には、HennessyのXOをクラッシュアイスでストレートで入れて、溶かしながら飲むというのが流行っていました。今も私はその飲み方が大好きです(笑)。アメリカでもスキーに行ってロッジに泊まったりすると、旦那の前でこれができると、気分は上々でした(笑)。暖炉の火というのがポイントなのかもしれません(笑)。

Napa Valleyで、 大量に良いものを買って、機会を待って開ける、というのをしていた頃が懐かしいです。とはいえ、ワインセラーを持つ程にはこっておりません(笑)。飲んでしまうからですね(笑)。

アメリカでは地ビールを作ってる友達もたくさんいたんですが、私は一度もしたことがありません。夏になれば手間がかかるからです(笑)。 Budweiserなどは、安い時にまとめ買いをすれば一本20円で購入できましたので、なんだかそれをする意味がよくわからなかったわけです(笑)。

というわけで今は、アル中を自認するワタクシは、週に1.5回ほど外で飲むだけにしております(笑)。


場所が変われば非常識

12/29/2007 にアップした文章です。

毎日なぜかとても切迫感があっていいなぁとにやついている年末です。もうね、授業準備をほぼしなくても、臨場感やら現場での反応やらで、マニュアル通りのことを多くしてこなかった私には、この日々は新鮮です。進学を目指しての塾というのは、対策のために本当にいろいろな教材があり、その教材を学年がわかっていても選ぶだけでかなりたいへん。もちろん、ふだんは英語しかやっていない私ですら、その教材は山ほどあるんですから、そりゃ当然のことではあるんですけれども・・・。そのマニュアル通りに固執しないよさと悪さというのは、やっぱりあるよなぁ、という例を新聞で見つけてしまった!海外でのDVによる逮捕増加という記事・・・。しかも場所は、私が使っていた空港が多いらしい(苦笑)。


昔むかしは、児童虐待の逮捕者が多かったのです。アメリカに来てそれほど長い歳月が経たない居住者が、子どもの扱いを出身国の文化通りに行うと、アメリカのそれぞれの州の法律に払拭してしまう場合があって、自分の子どもだというのに、逢えなくなったり、親としての指導を受けたりするケースが激増した時期というのがありました。ええ、スーパーなどで泣き喚いてお菓子などを欲しがる子どもを「はたいたり」「ぶったり」「手を引っ張ってひと気のないところへ連れて行こうとしたり」「大声で怒鳴ったり」すると、連れて行かれてしまうケースが多々あったようです。

私は当然、18年半もアメリカ、しかもカリフォルニアに住んでいたわけですから、公衆の面前で子どもを叩いたり、脅したりすることは、「よろしくない」と考えています。どうしてもそうなってしまうケースはあると思うんですが、どんなに親ががんばっても子どもが泣き喚いたり、多動だったり、暴力的だったり、などする場合は、「子どもが子どもらしい行動をしているかどうか?」を考える必要があるのですが、「これくらいならば大丈夫」と何の手も打たない態度、あるいは、叩いたり脅したりして言い聞かせる態度に大いに疑問を持ちます。もしかすると、成長過程での何かの支障があるかもしれないだとか、親としての態度がよろしくないかもしれないだとか、いろいろ原因はあるかもしれない。それについて省みないのはやっぱり傲慢というもの・・・。

「この程度の子どもはいくらでもいるし、家だけじゃないんだから、この場だけ何とか納まれば」という短絡さを、まずはよくよく考えてみたほうがいいように思います。

暴力を使って言い聞かせるというのに賛成な方々は、「痛みを知らない大人になってほしくない」とよくおっしゃいますが、痛みそのものが、心的なものから身体的なものまでと多岐に渡りますし、そもそもその個体が生まれ持った感覚の違いがあり、強さや弱さに対する受け手とやり手の感性もそもそも違うことになっており、やり手が受け手にある意味「強制」していることは否めません。

ここなんですよ。私はこの「押し付けられる」ということが大っ嫌いですから、誰かが自分の意志の外で、何かを蒙っているところをなるべくならば見たくもない・・・。自分の意志が追いつく年齢になるまでは仕方ないだろうって?言葉が話せればコミュニケーションはそこそこ成り立つものです。

どうしても、自分の出身国や文化の「マニュアル」を行使したいのであれば、公的な場所は避けることです。それすらわからずに、バンバン法律や条例違反をするのは、そもそも他人のマニュアルに対しての敬意が足りない不遜なことです。

ましてや、口をしっかり利ける、異性に対して働きかける暴力というのは、とがめられても当然の成り行きでしょう、しかも、公的な場所で・・・。周囲の人間の価値観はさまざまですから、「証言者その1からその10」くらいまでが、自分に味方をしてくれないかもしれない可能性が高いときには、そんな言動は公的場所ではなく、プライバシーがしっかり確保できる場所でやってきていたのですが、まずは児童虐待、そのあとDomestic Violence(DV:家庭内暴力)が世間的に浮上してきて、問題視されるようになったわけです。DVを家庭内ではなく、公的場所でやったら、やっぱり「世間に挑戦している」ってことになるんでしょうよ・・・(汗)。

日本ですら、空港やデパートや繁華街などで、誰かが誰かに暴力を振るっていたら、親切な第三者やおまわりさんが仲介に入ることが多いですし、その強度や場所柄やメンツの問題で、より厳しい国や場所、文化があってもおかしいことではないはずです。昔の人はそのことを『郷に入れば郷に従え』と言いました。

とはいえ、親父狩りなどに助けが入らないこともあり、ちと悲しい現実もたまにあるんですが・・・。

よくアメリカは極端だという言われ方をしますが、確かに極端です(笑)。なぜならば、権利や自由を主張する人が多いので、とりあえずネガティブなことは取り締まっておき、そのあと裁判で明らかにしようじゃないか、という態度があり、かなり保守的ではあるのです。アメリカの保守派というのは、かなり人道的で、昔からRepublic(共和党)はキリスト教教義者で、アイルランド系のJ.F. Kennedyが台頭したときには、異質の存在だったわけですし。Democrat(民主党)のほうは、その人道さに「人が少し手心を加えてもいいではないか」という観点があるのが、本来のアメリカの政治二党制で、私のお鮨やさん友だちは、あくまでRepublicanな人がけっこう多いんです。

DVや児童虐待がいい悪いなどというのは、それぞれの価値観ではあるのでしょうが、法律や条例などですでに決められている場所に行く場合は、やはり従わねばならぬ。それを知らないでやってしまう日本人が多いという指摘には、考えたほうがいいことがけっこうあるような気がするのです。

私はアメリカ帰りだということで、いろいろな意味でオトクなところもありますが、やはりマイナス評価を受けることも多い。たとえば、「一流企業に勤めたことがない」というのも、アメリカ在住が長かったがゆえに、さらにたとえあったとしてもビジネスの仕方がアメリカ式だったことになり、マイナス評価になるご時勢です。なにしろ、日本の1960・70年代は経済界の世界的ミラクルですからねぇ。

それに加えて、対人関係でも、理解できない言動をしていることはきっと多いのでしょう。その日本のマニュアルである保守性が、どこから来ているのか?を考えてみるのは、けっこう意義のあることではないかと思うのです。私は日本が好きですし、日本語が好きですし、日本人に生まれて育ってそのあとアメリカに渡ったがゆえに、アメリカ生活が楽しかったのだと感謝しています。それでも、「いいところはどんな国のどんな文化からでも取り入れる方式」を採用しているので、愛国心がない非国民のようにみなされることも多々あります。なのに、やたらと時代劇が好きだったりもして(笑)、自分が勧善懲悪を通しきれないがゆえに、あれらを見るとものすごくすっとした気分になりますね。ああいった時代があったことや、たとえフィクションであっても、今の自分に学ぶことがとても多いような気がするからなのでしょうか・・・。

場所が変われば非常識なことは、誰にとってもあるものです。サファリなどに行けば、ヒトがどんなに叫んでも道理を主張しようとも、領域を侵したヒトは食われてしまうことでしょうし・・・。もちろん自分のカラーを持ちつつ、シフトできるモードをいくつか持っていることは大切かもしれません。が、ここで薦めているわけではないのは、「閉鎖された空間で、児童虐待やDVやれ!」ということではありませんので、あしからず・・・。

気づくと1000超え

12/29/2007 にアップした文章です。

Still Get GoingのBeginningのほうも含めると、いつしか1000エッセイを超えていました♪特に達成感のようなものはないのですが、あと何年か、あるいは10数年経ったときに、振り返ってみたときに、参考になるかもしれない文を書いておきたいので、エッセイタイトルにすることに←かなり身勝手なお題(笑)。おそらく、Beginningのほうに載せたほうがいいエッセイが、あといくつかCD-ROMに保存したものに残っているはずなのですが、今、それを探して整理している時間はなし・・・。12月31日と1月2日はしっかり休んでだらけたい(笑)。それでもなぁ、13日までお休みはないから、エッセイをいくつかまた書き溜めてしまうことだろうし・・・←結局貧乏症(爆)。

奇数好きな人もいますが、私は意外にも偶数好きです。それは小学校の頃、ずっと1年生から6年生まで2組だったという不思議な確率上の問題なのです(笑)。小学校のときには、分校した新設校に通い始めて、私たちが初めての新1年生だったというのもあり、なんとなく想い出の中でも、忘れるはずがない印象があります。そして中学も1年2組だったのですが、2年で6組で、偶数を保っていたものの、3年で9組になり、そこで記録は破られたのですね・・・。

それからずっと私は、偶数好きで、アメリカに出発したのも4月26日。なぜこの日を選んだのかは、無意識のうちに偶数を選んでいたというのがあります。

キリがいいからなんでしょうね・・・。特に丸い人間でもないのですが、自分としてキリがいいほうがラクだという意識が、どこかで偶数を求めているのかもしれず・・・。こんな二択をどうこう考えられる40代って一体ナニモノなのだろうか?と、今書きながら苦笑していますが・・・。子どもの頃は、チョコレート・グリコ・パイナップルとじゃんけんで勝ったら進めるゲームがあったのですが、今度、大槻ケンヂ原作の映画が封切りになったようで、それでは、グリコではなくグミなのだそうです。彼と私は同じような年代だと思うのですが、その当時グミがあったとしたらすごい・・・と、予告をしている番組をちらりと見て考えたのでした。

ああ、1000ってものすごいいい区切りですよねぇ・・・。改めて考える。短気でこらえ性がなく、ズボラで面倒くさがりな私に、よくもこれだけの数のエッセイが書けたものだと、呆れるほどです。西さんが脱サラをした軌跡でもあり、700余くらいある新作のほうは、西さんが会社を辞める決意をし、退職届を出した頃から書き始めたものが、Beginningのほうから始まっています。その頃は楽天ブログで書いていたのですが、なぜか途中でSee-Saaに変更したのでした。楽天のサービスが悪いと感じたことがあり、広告メールも多いと感じて、どうしてもなんだか商業主義の参加者になっているような気がしたせいです。まぁ、会社を始めたということは、もちろんこちらのほうがアグレッシブに同じようにやるよう、見習ったほうがいいことなのかもしれないんですが、サービスが通り一辺化しており、「だったら放っておいてほしい」という私のいつもの天邪鬼のせいです(苦笑)。

エッセイが1000個書けるんだから、何でもできる!と思えるようにはなっていません。暗い、後ろ向きなやつだなぁ(自嘲)。数ではなくて質で行くと、どうも半分はゴミ箱に躊躇なく入れるであろう方々がいらっしゃるのであろうし、好き好きで言えば、かなり嫌い要素を含んでいることが多く、それはすなわち、私の人格部分否定でもあるんだろうな、と。私は他人の行動のいくつかを嫌うことにしているのですが、総合体がやる言動の50%が嫌いなことのオンパレードになると、もうおつきあいはしないもんなぁ・・・。

いやぁ、ここのところ、自己否定モードには入っているのです。うーん、この1年、否定された場面が多かったので、いつも反省・感謝を繰り返しており、必要以上に謙遜をしていて、勝負もしていないのに負け犬気分にさせられてきたことは多かったのですが、最初の頃は自分を笑えていたのに、ここのところ、うんと疲れてきています。1000はいい節目になり、ちょっとくらい自分を褒めてあげてもいいかな、と心理学的には叫んでいるんですが、環境要因と記憶の確かさがそうはさせないところ←ジレンマである(苦笑)。

母いわく、「やっぱり進学塾なんかでの講師がいけないんじゃない?」とのこと。確かにそうなのかもしれないなぁ・・・。世の中を広く見てみたい、ということや、時間を余らせたくはない、という生涯つきあってきたいつもの焦りや、教えることには多面性や多角性があって、いろいろなフィールドを覗いておかねば、という使命感すらあったのですが、やっぱり予測とそれほどにはかけ離れていない結論に達しそうで、どうも暗い気持ちになってばかりいるのかもしれないです。

私は遊んでばかりいて大人になったので、1日5コマ、7.5時間もの授業を受けている子どもたちを見ると、胸が切なくなってくる・・・。もう2年もテレビを見ていない小学校5年生やら、楽しそうに昨日の夜の出来事を話してくれる子どもたちを見ると、「こんな小さいうちからどうして100点を目指さなければならないのかなぁ・・・」と、教える側にしては本当に矛盾したことを感じて考えてしまうのですね。好きでやっている子はいいんですよ。しかも、好きでやっている子は、それだけにどっぷり浸かっておらず、部活動もやっていれば、読書もしているし、スポーツもそれなりにやっていると楽しそうに話す。中学の受験生では、睡眠時間は6時間以内と決意している子までいて、7時間半をいつも目指して眠っている私は、縮こまりたくなるくらいになってきちゃう。私が小学校の頃は、10時間は眠っていたんだけどなぁ(笑)。ちょっと見づらいのだけれども、睡眠と脳の働きについて触れている子どもの統計が出ているもの。
http://kaimin.gr.jp/nemuri/nemuri1.pdf

エッセイが1000超えになってもうれしくないのは、時期的なものなのか?

いつも私が苦しんでいるのは、「タイトルを思いつくこと」です。なので、本当に瑣末なことになってしまうこともあれば、大掛かりすぎて数日に続いてしまうこともあり。人間なんて、本当に自分の周囲くらいしか見ていないもので、私もまったく例外ではなく、考え付くことや思いつくことのなんというオソマツさか・・・。日本に戻ってきてからは、日本のニュースを読んでも、悲劇に「またか」と思うような少しの鈍感さを伴うようになりました。これは危険信号です。いいことやお祭り騒ぎに関しては、「どうしてこれがこんなに騒がれることなのだろうか?」と、不思議でたまらない気持ちは、減るようではないのですが・・・。

あと1日働けば、お休みが1日あります。元旦も2時間だけ働くことになってしまいました・・・。またそれを見ていろいろ感じるんだろうなぁ・・・。そして2日がお休みで、3日から13日まで完全休日は皆無です。体力が保ちますように(笑)。

思うに、おそらく私のエッセイは、2000超えはできない。あと3年書く気力があるかどうか・・・。毎日でなければ書けるかもしれない、というオプションは持とうと思いますが、まずは「継続は力なり」ということで、今回は〆ておきます(笑)。

威圧感

12/28/2007 にアップした文章です。


これについて、私は長年苦しんできたのですが、悩みでもなく、悩むべきなことではないと決めてから、長い時間が過ぎています。ただ、変わる必要がないと思っていながらも、支障が出る場面はたくさんある(笑)。ということは、今日のエッセイはぼやきで終わるのか?うーん・・・、それじゃー芸がない。どのような人間が、他人に威圧感を与えるのか?をじっくり考えてみて、受ける人々の心持も考えてみようかと思っています。いや、どのような、って私も充分威圧感を与えている側、なんだけれども(笑)。

威圧:威勢や権力などで相手を恐れさせること。

威勢:(1)活気にあふれ、勢いのよいこと。元気があって勇ましいこと。(2)人を威圧するような勢い。

権力:他人を支配し従わせる力。特に国家や政府が国民に対して持っている強制力。

恐れる:(1)危害が及ぶことを心配してびくびくする。危害を及ぼすような人や物と接することを避けたがる。こわがる。《恐・怖・懼》(2)良くないことが起きることを予想し、そうならなければよいが、と思う。危惧(きぐ)する。《恐・懼》(3)神仏などを、人為の及ばないものとして敬い、身をつつしむ。《恐・畏》(4)閉口する。恐れ入る。《恐》

すべての動物には、Neophobiaがあります。新しいもの・奇異なものに対する警戒心で、それは本能に根ざしたものです。危険なものを『危険』と認識したまま、プログラミングの変更を行わなければ、それは他のPhobia(恐怖症)となって根付いていきます。すべての危険物や恐怖症は、Neophobiaから出発するのですが、これは、校長センセが日ごろから話されている「好奇心」に知恵がつくかどうかが分かれ目になり、とにかく何でも!「触ってみる」「食べてみる」「やってみる」などなどというのが、当てはまらないのは、それが毒物を持っている植物や牙を剥く動物などであれば、そこで生命は終わってしまうし、ふぐなどであれば死んでしまうし、基本を踏まえていないロッククライミングなどでもやはり死んでしまうか、大怪我をすることになるわけです。

Phobiaが何の理由にすら根ざしていないものは、ほぼありません。ただし、あまりに極端な恐怖症は、当人にとっては「当然でありすぎる恐怖」なのですが、実際にはその人の経験値や人生の来こし方を表すもので、私のような人間にとっては、「おもしろみ」があるものです。

私は嫌いな人がいません。嫌いなことはたくさんあります。その嫌いなことをある個人Aさんが、行動全体の5割を超えてしまったら、ちょっともうおつきあいができないので、おつきあいを続けなくはなりますが、特に「Aさんは憎むべき存在」というのでもありません。なぜならば、私が嫌いだったり、怖いと思う物事は、なべての人に共通なものではなく、私個人のひとりよがりなことも多いからです。

たとえば私は、男性でもふたりきりになる場合は、背の高い人よりは、背の低い人のほうが好きです。西さんも背が低いことを人生の途中までコンプレックスと感じてきたようですが、私にはそれが美だった。うまい具合にできております(笑)。背の高い男性の方々には申し訳ないのですが、私は自分より背が低くとも、男性は充分破壊力があると信じ込んでおり、その度合いは、Unreasonable(理路整然としていたり、充分な理由が足りないもの)な域に属するのではないかと思うのです。父も私を殴って育てましたし、弟は今でも怒りの頂点に達すると暴力を振るうかもしれない185cmです(笑)。それほどのPhobiaではないんですよっ!ですから、生徒さんの中でも、身長の高い人とふたりっきりでプライベートレッスンをしても怖いわけではないです。ただ、うんと仲良くできる、距離感が近くなれる人は、どうも背がそれほど高い人にはならない・・・。

男性は、背など高くなくとも魅力的な人は魅力的ですし、DNAが大きく左右することにコンプレックスを持つ必要もなく、逆にそれを人間関係において優位に使う必要もないわけで・・・。なので、私は女の子が「背の高い人が好きっ!」と言うのを聞いて、いつも「なぜなんだろう?」と思っていたクチです。が、背が高い人はぜひぜひスポーツをやってくださいね♪と思います。

女性の背の高い人は大好きなんだよなぁ・・・。小さい人も好きですけどねぇ・・・。

ここで威圧感という言葉が入るわけです。本能的に威圧感の強い人は、どうも人々に疎まれる。私はアジア人女性で40歳過ぎているわりには、背が高い。ヒールなどを履くと175cmは超えてしまうし、肩パッドが必要ないほどにハンガーな肩なので、さらに威圧感がある。体格も20年前とは違い、詐欺のように体重が増えました(笑)。声が小さいわけでもないし、顔のひとつひとつの作りも自己主張している部位のほうがずっと多い。主張していないのは、えらやあごくらいで、おまけにほくろがたくさんある・・・。

私は明るくてパワフルでポジティブだと、他人に誤解されやすい。それはさらにもうひとつの原因である、躁鬱病がなせる業で、私の「穏やかな普通モード」ですら、健常者にとっては「鬱陶しい」わけです。私が本当にハイパーなときには、誰も私とは話したくなどないと思う・・・。いや、プロでない人は話してはいけないとすら思う・・・。私がパチパチ音を立てて、タイプをしているときには、図書館ではいろいろな人が振り向きました。オフィス勤めができないのもそんな理由です。筆圧が高く、私は鉛筆を使うときにも「カリカリ」という音を余分に立てるんですね。だから2Bにしているんですが、それでも速さが落ち着いているわけではないですから、音はしてしまう・・・。万年筆は躁状態が長く続いたときに使って、ペン先を何本かダメにしました。ボールペンは弾力があるにしろ、ペンだこがものすごいことになりました。

私が隣で本を読んでいるのを、たとえページをめくる音がしなくとも、きっとそばに居る人にとっては、気になる鬱陶しい存在だとみなす人は多いのでしょう。だから、私は他人しかいない電車の中や、タバコ休憩や、部屋でしか読みません。図書館は「本を借りるところ」であり、留まって読む場所ではないわけです。

そんなわけで、私はこの威圧感と長年闘ってきているわけですが、やはり日本に戻ってきて1年2ヶ月のあいだ、こんなに歳を食っても、まだ威圧感と戦い直さねばならぬと思ってうんざりしており、けっこう疲れています。トーンダウンするのはなかなか難しい。気づくと、新しく引き受けた仕事も、アテにされるくらいの時間数を割り当てられており、コマ数であれば、そのときだけなので、こうした仕事しかできないんだろうな、という運命に気づく・・・。通訳や翻訳も短い期間でなければ、応募する気にはなれないですもんね・・・。

こうした私によくも長年我慢してくれているな、と絶えず感謝し、母や西さんには本当に頭があがりません。でもねぇ、好きでこんな遺伝子をもらって生まれてきたわけではないですもんねぇ。でも、さらに考えてみると、私はまだ健常者に混ざって暮らせるのだからラッキーすぎるのかもしれない。入退院を繰り返したり、経済的に立ち行かなくなっている人々はたくさんいるわけです。そのハザマで、ラッキーなのか、アンラッキーなのか、いつも思いあぐねるわけです。

そして威圧感があるなし論議とは、私がおばあちゃんになっても、おばあちゃん社会でも巻き起こる話題なのだろう、と、先々に関してもうんざりするわけです。

あー、新しい年が来る年末に、こんなショボイ話はしないようがよかっただろうか?いやー、元気だからしちゃうんでしょうねぇ・・・(汗)。


ことわざ・四字熟語を身につける

12/27/2007 にアップした文章です。

国語を教えているんですが、なぜか、身体部分を使ったことわざなどが頻出しています。さらに、「へぇ、こんな表現はまったく知らないのか・・・」と思うような、びっくりがあり、彼らと私の30年くらいのギャップに驚いているところなのです。核家族化で、老人が話すことに触れ合えないことや、両親が働いたり忙しかったりすることで、子どもにはこんなところでマイナスが出てしまうのだなぁ、と。ことわざや漢字が羅列した四字熟語というものは、どれにしてもそれなりの含蓄があり、私が子どものときには、「ふえぇぇぇぇぇぇ!」とか「うわぁぁぁぁぁ!」などと驚いてもいたし、使えたらかっこいいな、と思っていたのですが、それはなぜだったのか?

ことわざ:昔から人々の間で言いならわされた、風刺・教訓・知識・興趣などをもった簡潔な言葉。「ごまめの歯ぎしり」「朱に交われば赤くなる」「出る杭は打たれる」「東男に京女」などの類。
四字熟語:漢字四字で構成される熟語・成句。「一日千秋」「傍若無人」など。
風刺:他のことにかこつけるなどして、社会や人物のあり方を批判的・嘲笑的に言い表すこと。
教訓:教えさとすこと。また、その教え。
知識:(1)ある物事について知っていることがら。(2)ある事について理解すること。認識すること。(3)知恵と見識。(4)知っている人。知人。友人。(5)〔哲〕〔英 knowledge; (ドイツ) Wissen〕認識によって得られた内容。厳密には、独断・空想などと区別される真なる認識によって得られた客観的に妥当な命題ないしは命題の体系をいう。あやふやな信念と区別され、一般に「正当化された真なる信念」として定義される。(6)〔仏〕(普通「智識」と書く)(ア)仏道に教え導く指導者。導師。善知識。(イ)善業(ぜんごう)を積むため、寺院や公共物の建設に金品を寄付すること。(ウ)心が、その対象物を、心の外にある実在物とみなす働き。
興趣:楽しく愉快に感じること。おもしろみ。

もちろん、こんにちの私がこうなったのは、これらを知っていてもそれに敢えて従わなかったり、信じなかったりしたことも大いにあるのですが、幼い頃、とりあえず取り入れてみて、咀嚼した(つもりも入る・・・)のちに、取捨選択した揚句、というプロセスだったとは概ね言えるのです。が、知らないままの子どもたちが多いことに関して、そのまま大人になってしまった人々が多いことに関して、どうしてなのか?と考えると、「露出される絶対量」がやはりまず注目したほうがいいポイントなんでしょう。

日本人の読書量は減ったのか?「活字離れ」という項目があるくらいなのだから、実際減ったのだろうと思って見てみる・・・。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%BB%E5%AD%97%E9%9B%A2%E3%82%8C 確かに減っている模様。データは数的にあるのか?

読書週間のときに書かれた記事では、1ヶ月に1冊も読まなかったという人が50%を超えたという現実があるらしい。本当に無作為抽出しているとしたら、相当に悲しい現実・・・。1ヶ月4冊以上読むという人は、10%だったらしい。私は、1日1冊ペースなので(土日や完全休日の折には、1日4冊など)大いに数的貢献をしているのだけれども、私にアンケートが来た例はない・・・。

おもしろいサイトはこれで、http://d.hatena.ne.jp/MrJohnny/20060614 語彙量について言及しており、著書からの抜書きなども、私の興味はそそった・・・。語彙が15000から20000に減っていたりしたら、英語を学ぶのにも追いつかない(笑)。国語辞典といっしょに点き合わせが必要になったりする・・・(汗)。中学卒業の英語語彙量がだいたい1000~1500語。大学受験で8000語。暮らしていくには、やはり5万くらいあったほうがいい。専門を学ぶことになると、やはり6万から8万くらいはないとつらいことが多い。

言葉を得て駆使することができないと、時間が余分にかかるんですよ。口数を多くしなければ、正確に物事が伝わらなかったり、ビジュアルエイドがなければ(絵に描いたり、映像を見せたり、表やその他で補助する)なかなか理解に達しなかったり、と、困ることがある。逆に考えてみると、まずは新聞、次に映画やラジオ、TV、ネットと発展してきて、その功罪の罪のツケをみんなが支払い始めているところ、ということなのかもしれない。ところが、それを他人に伝える段になると、その映像エイドがないがゆえに、言葉にしなければならないのに、語彙がなくてできない・・・。そして「あれ」「これ」「わかるでしょ?」「見たことない?」などという場面に至る・・・。TVやネットがあるんだから、読書なんて要らないよ!という結論になるのは、元々見えていた結論なはずで・・・(汗)。

こうしてコミュニケーションギャップが起こるわけです。100%でアウトプットされていないものが、正確さを欠いてX-Y%になる過程をどんどん続けていき、実際の「相互理解」が愕然とするほど少ない量と質になっていくわけ。

鎖国をしていて、身の回りのものだけをしっかりわかっていればよかったときはいいんですよ。身の回りにある物事や起きていることに関するボキャブラリーは、江戸時代の人々は、田舎であろうとお江戸であろうと、8・9割くらいはわかっていたに違いない。専門的なことをしている人々とは、四民平等でもなかったので、触れ合う機会が極端に少なかったわけで・・・。

便利になった世の中に変遷してきて、まずはラジオでみな驚く・・・。方言の違いや食べ物や習慣の違い。そのあと、それをしばらくエンジョイしたあと、映画のスクリーンスターと自分たちはまったく違うのだから、と羨望の的になる。でもちょっとだけスターな華やかな気分が味わいたいと、そこを狙った商業主義が起こる。そして、世界はTVによって右往左往するようになり、どこに居てもどんな暮らしをしていても、「平均化」を習慣的な考え方を持ってきた国民には、つんとしたスターよりは、「隣のお姉さん」「庶民派」を肯定することで、自分たちの在り方や生きがいや希望を持てることに繋がり、カリスマと庶民が混在していくようになる・・・。今、その混在が、ネットによってさらに細分化しているわけです。だから高い専門性だということではなく、オタクと呼ばれる実は誰にでも手が届くところにある物事に関しての専門性が追求されているところ・・・。

そうなると、その世界が中心になるよう生活がズレていき、共通言語を持たずとも生きていけるようにはなる・・・。ことわざも四字熟語もさして重大でもないし、接する人々の数もつきあいの浅深もかなりはっきりしていくようになります。悲しいかもしれない・・・。

語彙量が減ってもフツーに生きていける。専門性の高いレベルに行く必要がなければいいわけで・・・。そして自らを「私、バカだから・・・」と最初から低く見積もり、読書はせずに雑誌を手に取る。モンスターペアレントが生まれる由縁も、少し見えてきたかもしれない・・・。

しかも、核家族化はしっかり進み、実際に世代格差がある人々や、趣味やその他の格差がある人々とのふれあいの機会の数が減り、共通語彙そのものが減っても生きていけるわけで・・・。方言はすばらしいと思うのに、どうしてかみな標準語を話せるようになっていく・・・。

自分の語彙量がどのくらいあるか?に、私はけっこう自信がありますが、それもこれもまだしつこく読書を続けているためなのだろうと思うのです。ただし、日本不在のあいだに欠落してきた語彙もたくさんあり、それらをこの1年でどのくらい学んだのか?は、触れ合う機会問題で、けっこう生き延びていけるんだ、という実感もある。

日本はこの先、一体どうなって行くんだろう?と、少し空恐ろしい気分になっている年の瀬です。

紀久美先生へのQ&A~心理学講座編~その73

Q73.

きくみ先生はパパっ子でしたか?ママっ子でしたか?

A73.

私は誰の子ども?と言われていましたね(笑)。けれども父が私を溺愛してくれていたので、父が死んでからは余計に、「パパっ子」となっていてあげないとなーと思っています(笑)。小さい頃から、独立心が高く、あまり群れず、ひとりを好み、迷子にもならず黙々と、自分の裁量で動こうとしていたようで、それがとても不思議に思えていたようですが、途中からなつかせるのはやめたようです(笑)。

弟のほうは、母にひどくスキンシップをせがんでいたので、小学校2年くらいまではかわいくて仕方なかったんだろうと思いますね。

その横で、なんとかわいくない(笑)。

私は誰かと向き合いたいというのはあまりなく、同じ方向を見ていたい、と子どもの頃から考えていたようで、基本的には恋をしても、同じ方向が見れているのであれば、熱く甘くお互いを求め合わずとも、などと思ってしまうようです。

そうした意味では、私の脳は、フローレンス・ジョイナー級の男脳で、誰かに愛をもらいたい、と思うことは、小さい頃からなかったように思います。誰かに愛をあげたい、というのがあって、とにかく動物をやたらと拾ってきては、隠れ家で育てていたもんです(笑)。しかも、よそのわんちゃんの散歩まで引き受けてしまっていたという・・・ (・・;)

愛は自分が与えれば生まれるもの、という体感は、かなり大昔からあったようですね。なので、誰かにひっついていたいとか、誰かに注目されたいとか、誰かに承認してもらいたいとか、そういう想いは、私の人生では邪魔はしてこなかったようです。ラクでした(笑)。

叔母と遊びに出かけることができたり、父の田舎に1か月以上滞在できたり、私は本当にどこの子どもだったんだろう??(笑) 実は最近、ネコのさくらのことを、「この子はいったい誰のうちの子なんだろう?」と思うことしばしば(笑)。というのも、ネコってやっぱり独立心旺盛で、とってもわがままで、気分で行動しますもんねぇ。とはいえ、彼女には明確な目的があって、きっと私などにはわからぬ、行動規範があるはず(笑)。ネコがネコらしくいられるようにいっしょに暮していくと、寿命が長くなるので、それでいいと思っています。我が家の最高年齢のネコは、オスだったんですが、22歳5か月生きました。さくらは、もう19歳8か月。イッタイいつまで元気でそばにいてくれるのでしょう?ママと思っていない私も大概か(笑)。むしろ、パパとも思っていないし、彼女にとって私は何なのだろう??(笑)

というわけで、パパっ子でもママっ子でもなかったのですが、パパっ子と言ってあげないと、早くに死んでしまった父にはかわいそうかもしれないなぁと思います。