潜在能力を引き出す

ヒトの潜在能力を引き出すのは、複雑すぎてさまざまなことをあらゆる学者が追求してきて、はや100年が過ぎました。心理学は若い学究分野で、1879年にドイツで、Wilhelm Maximilian Wundt https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%88 が実験を主体として、William James https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B

がアメリカでのさまざまな学派が発展する基礎を作ったのち、本当にいろいろな分野で、さまざまな学者がトライしてきています。

 

しかもここ30年ほどは、認知心理学から脳神経学への関わりが深くなってきて、脳を使うことと日常生活との関連性だけではなく、因果関係に近いものすら見かけられるようになってきました。

 

それでも、この学術論文が世のなかにしっかり浸透するには、たくさんの歳月が流れていくことでしょう。たとえば、うさぎ跳びが膝に悪いとされるまで、かなりの歳月を費やしてきたように。

 

ヒトが自分の能力について気付けるのは、実際に体験することですよね。そのため、幼い頃から習い事をさせてくれる親御さんが増えていますが、本当に効率がいいのか?と問われると、なんだか違うような気がしています。特に、兼業のお母さまのお宅では、体験レッスン→送り迎え開始→親御さんの見守りなどなど、常に気に掛けるものも増えるのか、安定するのか、微妙ですよね。もちろん、選ぶスクールや塾、ジムなどのシステムにもよりますし、近さにもよるんですけども。

 

というわけで、私がカウンセリング中におススメしているのは、外遊びです。とはいえ、昨今では児童館・ママ友問題・兼業でのスケジュール捻出などなど、それすらかなり難易度が高いのだそうで、不満を並べられたり、怒られてしまうことも多いです (・・;)

 

家の中でも、さまざまな体験をしてもらえて、しかも大きく将来に関連することや、やり続けていかねば生活が成り立たないこともたくさんあります。が、やはり親御さんに時間がないことにより、見守りが行き届かないことも多いのだろうと思います。

 

他にも、学びが成り立つ条件があり、それには健康イチバンなのです!ですから、まずはそこをクリアにするのが早道です。

 

私個人は、奇跡的偶然の産物、と自認しているのですが、特にすんばらしいDNAを持っているわけでもなく、両親の教養の努力のインプットがすばらしかったわけでもなく、教育費にたんまりお金を使ったわけでもなく、小さい頃から英才教育のイロハを知っていたわけでもなく、本当に偶然がいろいろと重なって、今があると考えております。奇跡的にその数がすごすぎて、もう必然だったのか?と錯覚するほどです (・・;)

 

DNAで言えば、母が現在80歳でおかげさまで、多少物忘れが進んではいますが、認知症とは査定されていないギリギリな感じです。ここ2年ほどでたいへん痩せましたが、彼女ほど健康な人を見たことがないほどでした。父は、54歳で胃がん原発であっという間に亡くなりましたので、DNAの質はさほどよくなかったのかもしれません。かく言う私は非常に健康すぎるほどで、倒れてみたいなーと思うほど、寝込んでみてもラクかもなーと思うほど、健康ではない状態というのが記憶にありません。昨今、疲れが取れにくくなっている自覚はありますが、この年齢になっても、虫歯もなければ、風邪もひかず、熱が出ても翌朝には全快しており、二日酔い程度で苦しむだけです。脳のほうも右肩上がりで、いつも今日がイチバン賢いなーと、毎日悦に入っているほどです。

 

それは、子どもの頃からずっと、潜在能力を引き出し続けてきた自負、とでもいうのでしょうか?

 

九九が始まった小学校2年生。私はたいへんな落ちこぼれでしたね (・・;) とにかく、学校で勉強した記憶がない!と、Teensの生徒さんとつくづく話していたのです。「え?」と驚かれるのですが、昔も今も、自分でノートや教科書を自主的に開いて勉強した記憶などはないのでした。それでも、勉強以外のことで、私は本当に日々、潜在能力を引き出すために、ちまちまと、汲み汲みと、さりげなく、大ごとではなく、大きくなって大人になることを夢のように感じながら、過ごしてきたのでした。

 

心理学部に入って学び始めてから、つくづく思うのです:私という存在は、奇跡的偶然の産物以外のナニモノでもない、ということに。

 

環境の整備を、意識的に両親がしたわけではありません。躾の一環として何かとても画期的でドラマチックなものを埋め込まれたわけでもありません。劇的な出遭いにたくさん恵まれたわけでもなく、さりげない日々の中で、単に、さまざまな細かな条件が合致し続けてきただけのような気がしています。

 

しかも、それが私という個体にマッチしていた、というだけの。

 

ゆえに、すごい確率なのだろうな、という自覚もありますが、セオリー上は、再現できるはずなのです。

 

昨今、タワーマンションに住む子どもたちの学力はさほどよくはない、という記事が出ていました。https://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140121/258583/ 

 

私が子どもの頃は、昭和の高度成長期だったこともあり、自然に囲まれまくり、カエルの鳴き声がうるさくて眠れない時期すらあって、サトイモの葉を傘にして遊べたり、庭掃除は子どもの仕事だったり、たくさんの種類の動物がそのへんにゴロゴロいて、私は拾いまくって育てていたものです。

 

ここですね。自然に囲まれて観察できる環境があること。すべてにおいて観察する能力が子どもの頃に身に着くかどうか?は、とても大きな分かれ目です。人工的な、ヒトの手や力が大きく入ったものは、確かに便利ですが、不合理や厳しい現実や抗えない不条理は含まれていないことが多いので、そこがまったく学べないのです。

 

私が10代になり、家事すらロクにやらなかったのに、洗濯機の渦を見て人生について哲学することがとても好きだったのですが、それは鳴門海峡に行って実際に観ることができなかった補完のようなものだったのだろうと思うのです。近代化してきた近所に嘆き、自分でも中型バイクに乗り、ツーリングで自然を求めながらも、矛盾した混沌とした中で、自分の人生を哲学する時間を、日常的に週に数回、得たかったんだろうと。

 

今は全自動でそんなことはできない (・・;) 蓋が安全のために閉まってしまい、眺めることはできないので、私には非常につらいのが現状です(笑)。10年前まで、アメリカではできたんですけどね(笑)。

 

ゆえに、大人が言うことが絶対的に正しいと思わなくなったのも、かなり早かったですし、世の中が理路整然と並んでいるわけではなく、非常にごちゃごちゃしていて混沌としていることは、大前提として受け止めていて、どのように大人になったら整理すればいいのだろう?と、子どもの頃から大きな課題を与えられていました。世間をナメることができる出来事や発見に出遭うたびに、自分の成長を感じたものです。

 

自然の中で遊んできたおかげで、道具を作り工夫するような猿人類だった頃の体験を経て、その道具をきれいに効率よく使える訓練を経て、それから人類が作った文明の利器に挑むという順番が作り出されてきたことは、本当によかったとしか言えないのです。そのためには、あらゆる自然の摂理を身体の中に入れ込み、手先や足先や全身の筋肉に連動させ、それなりに段階的な発達をしている脳を使い、確実に自分の体験としてきたことを、今も実感しています。

 

私個人は、渡米して1か月経つまで、料理をした経験がゼロに近かったのです。ウェイトレスを合計8年ほどしたこともあり、環境的に囲まれていたことはあっても、手にしたことなどほぼなく、家庭科も「おたまか台ふきん係」だったため、包丁すらまともに使えていたとは言えない状態でした。が、観察力というのはここでも発揮され、試行錯誤への飽き足らぬおもしろみが充分に生かされ、1か月後には、日本人留学生やアメリカ人にお弁当を販売するくらいにはなるわけです。タッパーに詰めた簡素なものなんですけどね(笑)。

 

物心ついた頃から、これは続けてきたことで、実は今も続いています。死ぬまで続くのでしょう。航空学校でヘリコプターを操縦することになったときも、PCやインターネットに遭遇したときも、生き馬の目を抜くような大学に入ったときも、さまざまな仕事にトライしてきたときも、ずっとずっとこれらは生かされてきました。潜在能力はまだまだあるつもりでおり(笑)、今後もまだまだ開発されていく予定です。右肩上がりなのです。

 

この年齢になっても、アメリカに戻ってまた大学院に行きたい、などと言っても、最初は驚かれても、知り合ってからの時間が長くなると、「あ、当然だな」とみなしていただけるようになったりするのは、未だに「1日10分お絵かき入門」などをしている姿を見ているからなのかもしれません(笑)。

 

地質学のクラスで見た岩石たちは、子どもの頃に観たものが再び私に訪れてくれたような、とてもなつかしい気持ちを引き起こしたのですが、それプラス、アメリカの台地で出遭えるおもしろい形のものや、めずらしいものなどまで加わり、それがキャンプで不平不満を言わない私を作り上げたり、自分の眼で岩石を愛でて歩くことに飽きない自分を呼び起こすわけです。

 

このようなことを続けることで、ヒトはいくつになっても、学ぶことは可能で、潜在能力を引き出し続けると思うわけです。

 

ゆえに、子どもの頃にその基本形を身に着けてもらえたら、と思いながら、レッスンを進めています。さらに大人の生徒さんにも、英語の基本形を身に着けていただけたら、と、日々飽くことなくトライをしているところです。

 

みなさまはいかがですか?お子さんや部下だけではなく、ご自身育て、進んでいますか?マクロの進化だけではなく、ご自分のミクロの進化に着目できていますか?すくすく育つことを心より祈っております♬

 

TOEIC神話

TOEICは神話状態を作り上げています。

 

神話:1 宇宙・人間・動植物・文化などの起源・創造などを始めとする自然・社会現象を超自然的存在(神)や英雄などと関連させて説く説話。

2 実体は明らかでないのに、長い間人々によって絶対のものと信じこまれ、称賛や畏怖の目で見られてきた事柄。「地価は下がらないという神話」「不敗神話」

 

2.に当たりますね。当然、どんな神話でも、まったく意に介さずの個人もいれば、影響下に属するために脅かされて信じ込む個人もいます。が、神話となるくらいですから、かなりたくさんの人々が、妄信している可能性も否めません。

 

英語スクールを10年ほど運営している私にとって、TOEICの壁は大きいものです。たとえ、前回の記事で感じているように、英語教育の実態がどうであろうと、こうして歴然と数字化できるもののパワーは、とても大きなものがあります。

 

TOEICの歴史については、みなさん本当にご存知でしょうか?

 

http://www.iibc-global.org/toeic/toeic_program/philosophy.html 1979年からほぼ40年が経とうとしています。その功績は大きなものがありますが、便宜を中心にして発展し、人々の生活に浸潤してきた感は拭えない結果になりつつあります。

 

日本人が作ったわけではなく、日本人がアメリカのある団体に依頼して作ったもので、今もその形態は続いています。が、私が留学した1988年から20年ほどは、ESL:English as Second Languageの先生たちですら、10人にひとりくらいしか、このTOEICの存在は知りませんでした。

https://izu-biz.com/2017/01/05/post-1349/ ここにあるように、受験者は、日本と韓国に大きく偏っています。在日や在韓の他国籍の人々が受験することはありますが、アメリカでの
TOEIC受験の案内は見たことがありません。

 

2007年には、Speaking & Writingテストを新たに設定しましたが、その受験者数はグラフの通りです。

かたや年間250万人が受けていますが、S&Wは年間で4万人に満たない状態です。この数は伸びていくのでしょうか?1/60というのは、相当な差です。なぜこのテストは10年過ぎた今でもこのような伸びしかないのか?

創始以来のグラフはこれが最も詳しく、2011年分までしかありませんが、2013年から2017年の資料でも250万人のラインで前後しています。今後、TOEIC L&R受験者は減るのでしょうか?そして、S&Wの受験者は増えるのでしょうか?

 

協会に関わりがあるわけではないですし、Precious One English Schoolでは、英語検定全般を『水戸黄門の印籠』と位置付けています。必要があれば、誰かに見せて平伏してもらうか、納得してもらうか、認めてもらう、程度のものでしかないわけです。

 

それでも、「烏合の衆」から自分の英語の実力を示すためには、ザルにしっかり掛けて篩ってもらうためには、英語検定は有効な手段のひとつです。資格とまでは行かないのかもしれませんが(スコアやモノによっては意味が薄いものも多々あり、です)、それでもないよりはいい、という結果や、ご覧のように団体、つまり会社で導入されたがゆえに、受験者数は多いという数字になっています。

 

これまで、ある特定のTOEICスコアがなければ、上長になれない、という社内規定に出遭ったことが何度もあります。この設定自体に意味があるかないか?を、管理者側のほうがわかっていないケースが多くあり、TOEICスコアと英語におけるその他の評価システムを導入していることは稀でした。生徒さんにはお気の毒すぎるプロセスです。

 

ここで、ますます学習する意欲が激減し、強制力にまみれ、楽しくないどころか、憂鬱で重苦しい気持ちが増えていくわけです。本末転倒状態が出来上がります。

 

いざ、いろいろなスクールに行ったり、独学を開始しても、テキスト・講師次第では、目標が叶わないまま、挫折するケースもたくさん見てきました。

 

TOEICを中心に学習してきた生徒さんに多いのは、「英語が実力として安定しない傾向」が強いことです。たまたま英語を学習してきて、最終チェックとして英語検定としてのTOEICを採用した場合には、実力としてスコアも似たところで安定します。しばらく英語の勉強をしていないんだよなー、などとおちゃらけていても、かなり如実にスコアは物語ってくれます。ところが、TOEICの「先読み」「Browsing」「語彙の暗記」などを学習の中心に置いた方々は、数か月や数年経つと、せっかくやった勉強がまったく定着しておらず、スコアは悲惨なものになります。「落ちたぁぁぁ😿」と。

 

ですから、TOEIC以前の、英語の基本や、心の持ち方、物事を考え抜く力、合理的に、時間を配分管理

する力や学習対象物を認知する力、など、やるべきことは山ほどあるのだろうと思いますが、神話がゆえに、多くの方々は、英語を再開してみるか→じゃ、TOEICとなってしまうことが多いようですし、外側:会社や友人、社会の影響で、TOEIC中心の学習と落ち着いてしまうケースが多いようです。

 

英語スクール運営者泣かせなのか?

 

それとも、これを商機として捉えるべきなのか?

 

私はかなり長い間、嘆いております。

 

このような言い方をすると傲慢かもしれませんが、TOEICテストは侮辱以外のナニモノでもないわけです。もしも、同じような質問群を日本語でされたら??あまりに長い2時間ではないでしょうか?バカらしい (・・;)としか思えないですし、990点以外を取れる気がしないのです。

 

しかも生徒さんにとっては、この学習法によるデメリットのほうが何倍も大きい (・・;) 大きすぎる 😿

 

私は知っているのです。TOEIC990点からその先のほうが英語学習は長いことを。そのために必要な基礎力を無視した、スコア優先の学び方の意味は薄くなります。ましてや、Precious One English Schoolは、ひとつの行動が、いくつかのエリアに被り、さまざまなスキルへと発展していくことをプランしています。

 

みなさんは、結果論としてTOEICスコアがよかったことと、がむしゃらにTOEICスコアを上げること、どちらを選びたいんでしょうか?本当の意味での英語をマスターすることと、希望のTOEICスコアで停滞してしまうこと、あるいはその時点から下がってしまうかもしれないことと、どちらを選びたいんでしょうか?

 

教えるようになってから、日本に戻ってきてから、TOEICの存在を知り、すぐに受けましたが、2回受けて2回とも満点でした。もうこれ以上、お金と時間を費やす気持ちにはなれません。そして、私の生徒さんも、「目安」として、このスクールにて模試を受ける人は多いですが、会社提出・履歴書記入に必要がない場合には、きちんとスキップできる方ばかりです。

 

ある基準として使うことは正しいにしろ、本当の意味での英語力との乖離をしっかり理解しながら、英語は学んだほうがいいですから、TOEIC神話に、少なくとも踊らされる側になるのはやめておきましょう。

 

他にも日本はかなりの間違った神話だらけです。政治にしても、行政にしても、生活のさまざまな概念や仕方にしても。また、それは別の話ですが・・・。

 

次回は、単に子どもを無責任・放任に育てるのではなく、持って生まれた潜在能力を引き出す方法について、少し書いてみたいと思います。週に1回を予定しております。最近、とっても忙しくなってしまい、Blog記事も多く過去のものでごめんなさい。Kick Me Englishやこのサイトの質問形式に答えているものは、昨今のものです!

日本の英語教育の実態

けっこうな長い期間、英語を教えてきました。まだまだ精進せねばならぬところはあるものの、基本的な態度は大きく間違っていないと自負しています。なぜならば、私の生徒さんたちには、一定の成果が出ており、Precious One English Schoolでは、成果保証制度が導入できるようになっているからです。もしも、成果が上がらなければ、スクールは潰れているところです (・・;) 

 

TOEIC中心に英語力を測る風潮が、長らく日本に根付いていることを知ったのは、2008年です。10年前のことですが、10年経ってもまだまだその悪い風潮は残っています。政界でも経済界でも、少しずつではありますが、このTOEIC神話をどうにかして変えねばならない、という態度を示してきつつあるのに、ニュースにビンカンではない方々は、その真意やバックグラウンドについて、取り残された感もあるのかもしれません。

 

英語教育には2面あります。

 

1.文部科学省が推奨しているもの

2.商業的英語スクールが実践しているもの

 

そして、私はまぎれもなく後者なのですが、教育支援という本質から外れないシステム・料金・レッスン内容にするために、日本に戻ってきて10年、まだまだ試行錯誤しております。そして、限りなく、自分が英語を学んできた立場にいつも立ち戻り、どうにかして、安価で修得期間が短く、同じ行動でいくつものスキルや考え方が身に付き、通いやすいあるいは学びやすい、時間が経ったあとも振り返りやすい、などと、いろいろなことを考えながら、まだまだ進化中です。

 

さて、文科省が推奨している内容は、かたつむりのスピードで進化していることは、みなさん気づいておられると思います。実際には、未だ日本の英語教育はBritish寄りで、実際に世界では、British EnglishがAmerican Englishにどんどん影響されている事実に、寄り添っていないものではあります。Harry Potterの作者:J.K. Rowlingが、映画を作るときに「キャストは全員イギリス人で」としたのには、やはり理由があるのです。Americanを入れないことによって、古いイギリスの文化に根付いたストーリーをしっかりと流布したかったためでしょう。

 

そうなんです、古いんです。日本語を学んでいる外国人の方々がたくさんいらっしゃいますが、彼らも同じ悩みを抱いています。しっかり学ぶと、文語を多く学ぶので、口語での展開・応用がかなり難しい、と。

 

文科省の悶絶はこのへんなのだろうと思います。実際に使えないわけです。読んだり書いたりはできるが、聴いて話すことに関しては、まだまだ課題が残る教え方しかしていないわけです。

 

そこで、国策としてやったことは:

・外国人講師の招聘

・ListeningとSpeakingの強化

・英語教育の小学生までの引き下げ

それに伴い J-SHINEなどのシステムを作る

小学生に英語の成績がつくことを表明

・AO入試に留まらず、2020年から入試に英検・TOEIC・TOEFLにより英語試験の導入、および教科免除

・さらに、2020年からの英語入試問題は、考える力の他、日本人が苦手としてきた分野を強化する

 

ただ、悲しいことにこの成果が上がるのには、気の遠くなるような時間がかかるのです。現に、私のTeensクラスの、小中学生は、帰国子女・インタースクール経験者と、生粋の日本教育システム経験者では、英語力に雲泥の差があります。たとえ部分的な駐在に帯同した数年があるかないかであっても、ここには大きな差が出ます。

 

なぜなのか?

 

英語教育が始まったのは、明治時代ですが、その頃から、本当にかたつむり程度のスピードでしか変わっていないことが最も大きな原因です。時代が変化していることに、行政がついていっていない。もちろん、政治においては、教育を整える以外に手をつけねばならぬことはたくさんあるかもしれません。現に、災害・テロ・DVに関する法律・法令・条令なども、さっぱり追いついていません。

 

であれば、官民の方向性がズレを生じていてもかまわないが、少なくとも「進化」に向けたものであらねば、国民や消費者としては困ったものなのです。

 

現在、官がアテにならないと感じた人々は、商業的英語スクールに対して

・補完として

・メインとして

・両立として

選ぶ選択肢があります。

 

ところが、商業的英語スクールも、「儲けるありき」の傾向が強く、これまで長きにわたり、成果を上げてきてはいません。なぜならば、「いったん集客したら長く集金できたほうがいい」からです。あまりに成果を上げてしまうと辞められてしまうので、また集客せねばならぬからです。

 

1980年以降、30数年の長きに渡り、たくさんの人々が、この英語スクールに行き、実際に話せるようになった人の割合を、もしも統計で取ったらどうなることでしょうか?恐ろしい数字になることは、すでに予見できるのではないでしょうか?

 

もしも、画期的な方法論があれば、もう誰もスクールには通っていないはずなのです。しかも、大人の場合、脳がしっかりと発達しており、一芸に秀でた法則性が助けてくれるはずなので、それほどの時間もかかるはずがないのですが、文科省が与えている義務教育と、その後の高等教育の傾向のため、成人してからの学習も効率が決していいわけではない、という結果が伴っていることが、たいへんな痛手です。

 

NOVA問題もありましたし、その後も、商業的英語スクールは、手を変え品を変え、たくさんの人々からお金を搾取しながらも、成果を出せないままのことが多いように思います。もちろん、統合的な結果は、受講する個人の態度や動機、生活習慣や考え方に依るものが大きいのですが、それでも、レッスン内容やコースやシステムなど、本当に充実したものだったのでしょうか?

 

Precious One English School はたいへんに貧乏なスクールです(笑)。まったく儲かっておりません(きっぱり)。なぜならば、これらを踏まえて、肩書として、ポジションとしては、商業的英語スクールではあるが、目指すものがあって安価にしているからです。だったら、マンションの一室で限られた人々に教えて成果を出せばいいではないか、というご意見も、これまで何度も賜りました。

 

ワタクシ個人の正義感として、やはり商業的英語スクールを部分的に残したとしても、どうしても成果を上げて、みなさまに最短のスクーリング期間で、安価でマスターしていただきたい、という想いがあります。それであれば、どうにかして多くの方々の目に留まるように、と、野望すら抱いてしまうわけです(笑)。

 

英語がマスターできない大きな原因のひとつに、「日本語教育の程度」があります。戦後しばらくは、教育の機会が問題でしたが、現代は教育の場は与えられる保障があります。とはいえ、国語の重要性が語られることがない、商業的英語スクールで、一体何が学べるでしょうか?

 

英語を学ぶみなさんの基本体は、日本語で思考し続けてきた事実からは逃れられません。その充実度を測りながら、一般論化せず、必ず理解までに繋げ、暗記・演習の繰り返しを避けた方法を、どうにかして日本中に「あたりまえ」として流布したいという情熱が、私にはあるわけです。

 

多読・多聴を超えた方法論が求められていると思いませんか?

 

それゆえ、心理学を英語と同じくらいに学んでいただき、自分を日本語で整える時間と並行させながら、英語を学んでいただいております。

 

オンラインでの安価な英会話・カフェレッスンなど、いろいろな形で進化していますが、Nativesから学ぶ英会話には、論理がありません。多読・多聴から抜け切れてはいないわけです。RIZAP方式(マンツーマンで充分すぎるほどケアされ管理される)であっても、多読・多聴を推進しますし、それに「見られている」「支えがある」という心理的な面を加えたものです。

 

実際のところは、お金がない方々は、独学をしておられます。その独学教材も「儲からない限りやらない」「素人があれこれ試行錯誤した結果」が、インターネットに蔓延しており、何が正しくて、何が自分の参考になるのか、まだわからないままの方々が多いのではないでしょうか?

 

ならば、と、Precious One English Schoolでは、

・2年以内に独学体制に必ずなる

英語を生活に取り入れ習慣化するまで

・何が正しくて何がそうではないのかを見極められるようになる

・時間管理ができる

・自分のことを深く知ることができる

・使える英語を目指し、いつも使える環境を整える

 

 

などを実現しようとしています。現在の日本の英語教育の実体とはかけ離れており、「本当にその値段でそんなことができるの?」と、多くの疑念をいただいておりますが、やはり最後には、自分でしか闘えない領域があり、そこをどうカバーしていけばいいのか?を、まだまだ模索中です。生徒さんひとりひとりが、自分の人生をどのように真摯に捉え、英語がどのくらい必要なのかを自問し、そのためにどれくらいの何ができるか、を常に考えていただける1年から2年を提供しようとしております。しかも、できるだけ安価で。

 

とにかく、今、このコラムを読んでいるみなさまの課題は、「一体どのようにすれば使える英語が身に着くのか?」の問いに答えを見出すことです。それらを考えたくないままでは、今後も、たくさんの教材を買って試行錯誤し、たくさんのスクールに通い成果が出ないままで、よしんばある程度使えると思っても、満足がいかないままになると思います。

 

次のコラムは、「TOEIC神話」についてです。1週間に1回程度のアップを予定しております。