これからはますます重要性が高くなってくる科目だと思いますが、なぜこれまで、理系ー文系などと分けてきたのか?というのも、今更ながらよくわからなくはないですか?(笑)
私個人の経験を振り返ると、両親共に中卒だったので、高校:イマドキは行かなければ仕方ない、大学:え?行きたい?留学:嘘でしょ!という反応でしたし、小中の頃は、「女は八百屋や魚屋や肉屋に騙されない程度の算数と、人に手紙が書ける程度でOK」というのがスタンスでした。
自分なりに成長してきていろいろと考えたのは、高校のときに
進学ー四年制・短大・専門学校
就職
という分け方に直面したとき。しかもイチバン難易度が高いのはどれ?と問うたときに、「四年制」だったので、その相談をしてみたら、「理系?文系?」と訊かれたのでした。親の言うことを伝えてみると、「じゃ、文系ね!」と言われ、数学は日本では、数Ι しかやっていませんが、渡米して復学してからはけっこう先までやりました。しかし、日本とは違った分け方なので、どこまでなんだろう?(笑) Calculus, Statistics はどこに位置するんだろう??
Natural Science 科目の物理・化学・生物も細かく分かれたその先も取りましたし、Social Scienceと分けられる社会科学はわんさか取りましたし、Liberal Artsも、なぜか美術史で、Pointillism: 点描の宿題で、点々を10000個くらい描いた記憶ありです(笑)。ローマやギリシャの演劇も学んだり、まぁ、広い範囲が教養でした。
そうした意味で、その先である大学3・4年生で、心理学部をまず専攻したのですが、カリキュラムとしても、自在にNatural science寄りにも大いにできましたし、なぜ、理系ー文系と分けるのか、この意義が見出せません。
どちらも基準値以上はできなければ、その先が危ぶまれるではないですか・・・。
そして英語ですが、国際基準に伍していくために、英語は必須です。なぜならば、インターネット上の情報の7割は英語によって表現されています。英語ができればできるほど、より最新の、より詳細の、より国際共通認識がある情報に到達できる可能性が高まるからです。
とはいえ、学問だけで人々は生きていくわけではないですから、大学に行き、その後何をしたいのか?ということにも着目したほうがいいですよね。ただ、門戸が広く果てしなく広がっていく、という大きな可能性を求めるには、英語は必須になっていくのが、世界スタンダードですし、こののちもそれに拍車がかかり、今の段階では、Computer scienceの基準値も上がってくることと思います。
私も世間では、「おばさん」の部類ですが、ITについて知らないというわけには行かず、住んでいたところがSillicon Valleyだったため、かなり鋭敏に情報は入ってきますし、行きつけのお鮨やさんで出遭う人々との会話を理解しながら成り立たせるためにも、ある程度以上の理解を身に着けてきたと思います。
大学でイッタイ何を学び、その後、どのように生きていきたいから、どんな仕事をし、それにはどんな知識やスキルが必要なのか?というのが、わかっている18歳はいいです。が、わからない場合には、広く水平線が広がっているという前提を求めていただくためにも、英語は重要になってきます。
私の場合は、留学という思い切った形で、大学卒業も順番が違いましたが、自分にとってはコレでよかったと思っています。英語ができるようになって人生は大きく変わりました。当然、脳内の整理も大きく変わったし、世界観も変わりました。
英語はできるようになっておいて損はないよー!
コメントを投稿するにはログインしてください。