コラム

ヒトの潜在能力を引き出すのは、複雑すぎてさまざまなことをあらゆる学者が追求してきて、はや100年が過ぎました。心理学は若い学究分野で、1879年にドイツで、Wilhelm Maximilian Wundt https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%83%88 が実験を主体として、William James https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B

がアメリカでのさまざまな学派が発展する基礎を作ったのち、本当にいろいろな分野で、さまざまな学者がトライしてきています。

 

しかもここ30年ほどは、認知心理学から脳神経学への関わりが深くなってきて、脳を使うことと日常生活との関連性だけではなく、因果関係に近いものすら見かけられるようになってきました。

 

それでも、この学術論文が世のなかにしっかり浸透するには、たくさんの歳月が流れていくことでしょう。たとえば、うさぎ跳びが膝に悪いとされるまで、かなりの歳月を費やしてきたように。

 

ヒトが自分の能力について気付けるのは、実際に体験することですよね。そのため、幼い頃から習い事をさせてくれる親御さんが増えていますが、本当に効率がいいのか?と問われると、なんだか違うような気がしています。特に、兼業のお母さまのお宅では、体験レッスン→送り迎え開始→親御さんの見守りなどなど、常に気に掛けるものも増えるのか、安定するのか、微妙ですよね。もちろん、選ぶスクールや塾、ジムなどのシステムにもよりますし、近さにもよるんですけども。

 

というわけで、私がカウンセリング中におススメしているのは、外遊びです。とはいえ、昨今では児童館・ママ友問題・兼業でのスケジュール捻出などなど、それすらかなり難易度が高いのだそうで、不満を並べられたり、怒られてしまうことも多いです (・・;)

 

家の中でも、さまざまな体験をしてもらえて、しかも大きく将来に関連することや、やり続けていかねば生活が成り立たないこともたくさんあります。が、やはり親御さんに時間がないことにより、見守りが行き届かないことも多いのだろうと思います。

 

他にも、学びが成り立つ条件があり、それには健康イチバンなのです!ですから、まずはそこをクリアにするのが早道です。

 

私個人は、奇跡的偶然の産物、と自認しているのですが、特にすんばらしいDNAを持っているわけでもなく、両親の教養の努力のインプットがすばらしかったわけでもなく、教育費にたんまりお金を使ったわけでもなく、小さい頃から英才教育のイロハを知っていたわけでもなく、本当に偶然がいろいろと重なって、今があると考えております。奇跡的にその数がすごすぎて、もう必然だったのか?と錯覚するほどです (・・;)

 

DNAで言えば、母が現在80歳でおかげさまで、多少物忘れが進んではいますが、認知症とは査定されていないギリギリな感じです。ここ2年ほどでたいへん痩せましたが、彼女ほど健康な人を見たことがないほどでした。父は、54歳で胃がん原発であっという間に亡くなりましたので、DNAの質はさほどよくなかったのかもしれません。かく言う私は非常に健康すぎるほどで、倒れてみたいなーと思うほど、寝込んでみてもラクかもなーと思うほど、健康ではない状態というのが記憶にありません。昨今、疲れが取れにくくなっている自覚はありますが、この年齢になっても、虫歯もなければ、風邪もひかず、熱が出ても翌朝には全快しており、二日酔い程度で苦しむだけです。脳のほうも右肩上がりで、いつも今日がイチバン賢いなーと、毎日悦に入っているほどです。

 

それは、子どもの頃からずっと、潜在能力を引き出し続けてきた自負、とでもいうのでしょうか?

 

九九が始まった小学校2年生。私はたいへんな落ちこぼれでしたね (・・;) とにかく、学校で勉強した記憶がない!と、Teensの生徒さんとつくづく話していたのです。「え?」と驚かれるのですが、昔も今も、自分でノートや教科書を自主的に開いて勉強した記憶などはないのでした。それでも、勉強以外のことで、私は本当に日々、潜在能力を引き出すために、ちまちまと、汲み汲みと、さりげなく、大ごとではなく、大きくなって大人になることを夢のように感じながら、過ごしてきたのでした。

 

心理学部に入って学び始めてから、つくづく思うのです:私という存在は、奇跡的偶然の産物以外のナニモノでもない、ということに。

 

環境の整備を、意識的に両親がしたわけではありません。躾の一環として何かとても画期的でドラマチックなものを埋め込まれたわけでもありません。劇的な出遭いにたくさん恵まれたわけでもなく、さりげない日々の中で、単に、さまざまな細かな条件が合致し続けてきただけのような気がしています。

 

しかも、それが私という個体にマッチしていた、というだけの。

 

ゆえに、すごい確率なのだろうな、という自覚もありますが、セオリー上は、再現できるはずなのです。

 

昨今、タワーマンションに住む子どもたちの学力はさほどよくはない、という記事が出ていました。https://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140121/258583/ 

 

私が子どもの頃は、昭和の高度成長期だったこともあり、自然に囲まれまくり、カエルの鳴き声がうるさくて眠れない時期すらあって、サトイモの葉を傘にして遊べたり、庭掃除は子どもの仕事だったり、たくさんの種類の動物がそのへんにゴロゴロいて、私は拾いまくって育てていたものです。

 

ここですね。自然に囲まれて観察できる環境があること。すべてにおいて観察する能力が子どもの頃に身に着くかどうか?は、とても大きな分かれ目です。人工的な、ヒトの手や力が大きく入ったものは、確かに便利ですが、不合理や厳しい現実や抗えない不条理は含まれていないことが多いので、そこがまったく学べないのです。

 

私が10代になり、家事すらロクにやらなかったのに、洗濯機の渦を見て人生について哲学することがとても好きだったのですが、それは鳴門海峡に行って実際に観ることができなかった補完のようなものだったのだろうと思うのです。近代化してきた近所に嘆き、自分でも中型バイクに乗り、ツーリングで自然を求めながらも、矛盾した混沌とした中で、自分の人生を哲学する時間を、日常的に週に数回、得たかったんだろうと。

 

今は全自動でそんなことはできない (・・;) 蓋が安全のために閉まってしまい、眺めることはできないので、私には非常につらいのが現状です(笑)。10年前まで、アメリカではできたんですけどね(笑)。

 

ゆえに、大人が言うことが絶対的に正しいと思わなくなったのも、かなり早かったですし、世の中が理路整然と並んでいるわけではなく、非常にごちゃごちゃしていて混沌としていることは、大前提として受け止めていて、どのように大人になったら整理すればいいのだろう?と、子どもの頃から大きな課題を与えられていました。世間をナメることができる出来事や発見に出遭うたびに、自分の成長を感じたものです。

 

自然の中で遊んできたおかげで、道具を作り工夫するような猿人類だった頃の体験を経て、その道具をきれいに効率よく使える訓練を経て、それから人類が作った文明の利器に挑むという順番が作り出されてきたことは、本当によかったとしか言えないのです。そのためには、あらゆる自然の摂理を身体の中に入れ込み、手先や足先や全身の筋肉に連動させ、それなりに段階的な発達をしている脳を使い、確実に自分の体験としてきたことを、今も実感しています。

 

私個人は、渡米して1か月経つまで、料理をした経験がゼロに近かったのです。ウェイトレスを合計8年ほどしたこともあり、環境的に囲まれていたことはあっても、手にしたことなどほぼなく、家庭科も「おたまか台ふきん係」だったため、包丁すらまともに使えていたとは言えない状態でした。が、観察力というのはここでも発揮され、試行錯誤への飽き足らぬおもしろみが充分に生かされ、1か月後には、日本人留学生やアメリカ人にお弁当を販売するくらいにはなるわけです。タッパーに詰めた簡素なものなんですけどね(笑)。

 

物心ついた頃から、これは続けてきたことで、実は今も続いています。死ぬまで続くのでしょう。航空学校でヘリコプターを操縦することになったときも、PCやインターネットに遭遇したときも、生き馬の目を抜くような大学に入ったときも、さまざまな仕事にトライしてきたときも、ずっとずっとこれらは生かされてきました。潜在能力はまだまだあるつもりでおり(笑)、今後もまだまだ開発されていく予定です。右肩上がりなのです。

 

この年齢になっても、アメリカに戻ってまた大学院に行きたい、などと言っても、最初は驚かれても、知り合ってからの時間が長くなると、「あ、当然だな」とみなしていただけるようになったりするのは、未だに「1日10分お絵かき入門」などをしている姿を見ているからなのかもしれません(笑)。

 

地質学のクラスで見た岩石たちは、子どもの頃に観たものが再び私に訪れてくれたような、とてもなつかしい気持ちを引き起こしたのですが、それプラス、アメリカの台地で出遭えるおもしろい形のものや、めずらしいものなどまで加わり、それがキャンプで不平不満を言わない私を作り上げたり、自分の眼で岩石を愛でて歩くことに飽きない自分を呼び起こすわけです。

 

このようなことを続けることで、ヒトはいくつになっても、学ぶことは可能で、潜在能力を引き出し続けると思うわけです。

 

ゆえに、子どもの頃にその基本形を身に着けてもらえたら、と思いながら、レッスンを進めています。さらに大人の生徒さんにも、英語の基本形を身に着けていただけたら、と、日々飽くことなくトライをしているところです。

 

みなさまはいかがですか?お子さんや部下だけではなく、ご自身育て、進んでいますか?マクロの進化だけではなく、ご自分のミクロの進化に着目できていますか?すくすく育つことを心より祈っております♬