早く上達する人の共通点はありますか?

ヒトとしての「自分のやり方」「自分の生かし方」を知っている人のほうが上達が早いです。この世の中には、絶対的な価値や順位などはさほど多くもなく、物理的なことであっても、自分の納得度や満足度が超えることも多くあるわけです。

 

たとえば、寿命はDNAもありますが、その後、どのように生きていくか、どこに行きたいのか、誰と何をしたいのか、などなど、後天的なところも多く、物理的なものを凌駕する重きを置くヒトもかなりの割合でいます。たとえ先天的な理由でガンに罹った原因が高かったとしても、長く生き延びることよりは、どのように誰と残された時間を生きるか、により価値を置く人がいてもまったくいいわけです。

 

英語を早く上達する人は、そうした意味で、自分がどのように生きていきたいのか、自分が何をすれば伸びるのか、などを、よりよく深く知っている人です。

 

Precious One English Schoolでは、心理レッスンの中でかなり早期に「進化論」をReviewします。なぜならば、ここを知ってほしいからなのです。何兆、何京、何垓、何抒、何穣という桁の数の生命体が、生まれては消え、こののちも生まれて消えていく中、この時代に生きる私たちが、どのように自分らしく生命を全うするか?を考えていただきたいからです。ヒトが人になるプロセスを大切にしていただきたいのです。

 

英語を学ぶことなど、たった一角の話です。が、英語ができたらこの自分の生命はもっと充実したものになる、と信じるのか信じないのか、などからまず意識していただきたいのです。

 

そうすれば、この世に今自分が存在していることそのものを愛することができ、Moment to momentをこれまでよりずっと濃密にしていくこともできるような気がします。そうした意味で、英語の学習に心理レッスンを15入れています。それを軽んじて、他者よりもできる、有利である、等の価値に留まるだけでも、まぁ、いいです。残念ですが、年老いていく中、有限の時間に迫られた中、「もっとこうしておけばよかった」などと後悔しないように、今このMomentsを大切にしていけるように、意識を変えていただければ、英語はほんの入り口に過ぎないことがわかるかと思うのです。

 

進化論の大切な概念、拾っておくべき中心概念は、「常に最良・最善の選択を行っていけるかどうか?」です。いつも試されており、試行錯誤がずっと生きていく限り続いていきます。が、長い地球の寿命や宇宙全体にしてみれば、私たちひとりひとりの命は短くて脆いものです。それでも、自分らしく凛として生きていけるかどうか。その中に英語があれば幸いです。そのお手伝いをするためにPrecious One English Schoolは存在しております。

 

できるだけ早く、できるだけ先が見えるように、できるだけ安価で、できるだけ楽しく、をご提供できるように、日々、私たちも試行錯誤しております。

 

早く上達する生徒さんが増えていけば、きっと広告費をかけずとも、わかっていただける日が来ることでしょう(笑)。がんばりまーす!

 

自分をもっともっと深く知ること。

 

そうすれば上達は早いです!

デリカシーがない、というのはどういうこと?

和製英語になってしまったデリカシーは、けっこう曲がってしまっているところがあります。

 

デリカシー:感情、心配りなどの繊細さ。微妙さ。

delicacy: 

(和英)

優美、(容姿などの)優雅、上品さ、微妙(な美し)さ、きゃしゃ、虚弱、かよわさ、(機械などの)精密さ、精巧さ、精緻

(英英)

1 [countable] something good to eat that is expensive or rare

2 [uncountable] a careful and sensitive way of speaking or behaving

3 [uncountable] the quality of being easy to harm or damage

 

心配りのほうに集中してしまって和製英語になっているわけですね (・・;) 英語で頻繁に使われるのは、「珍味」という意味です。かよわさ、などは伝わっていないことになります。

 

さて、本題に移ると・・・。

 

心の動きに対して大雑把である、あるいは、その心の動きに配慮せず、言動に反映させられない、ということですよね。簡単に表現すると、「心に鈍感」ということでしょう。

 

日本文化では、昔むかしは、この自然に対する心のビンカン度の尺度の振幅は大きかったように思うのですが、欧米の合理化や論理性が入って浸透して以来、曲解して、「二極論」で簡単に処理していく場面が多くなってきてしまったように感じます。

 

明るい・暗い

正しい・間違っている

つきあう・つきあわない

得意・苦手

いい・悪い

のあいだには、とても細微なものさし尺があっていいと思うのですが、わかりやすくするために「二者択一方式」を多く採用してしまっている場面が多くなってきました。

 

憲法改正に賛成か反対か、もその結論に至るプロセスのほうがずっと大切ですが、そのプロセスには細かい尺度があって、たくさんの軸に支えられていなければ、デリカシーがない、ということになるんですが、そう思わない人はたくさんいるように思います。

 

英語スクールなので、比喩としては、英語ができる・できないが展開できるのですが、それをTOEICや英検、TOEFLなどで測るという便宜的なものを選ぶ人もいます。その軸だけで、英語ができる・できないは測れません。実際にTOEIC高得点を取っていても「話せない」という現状はよく聞く話です。

 

デリカシーがない、と誰かを責める人たちですら、この軸をたくさん持っていないかもしれず(笑)、結局「ある・なし」で決めつけてしまっているのかもしれませんぜ?? (・・;)

 

Delicacyという言葉は、脆弱で特別なものを内包した心の動きに、たくさんの軸で対応できる、というすんばらしい能力なのですね。他者の心の動きにビンカンなのは、ゆとりがなければできませぬ。心と時間のゆとり、ぜひとも持っているかどうか、常日頃チェックしてみてください!

選択肢が多いことに戸惑う その1

08/18/2008にアップした文章です。

私は選択肢が多いことに、さほど困らないやつだとひとりで結論づけていたのですが、日本に戻って来てからは、少し考えを改めています(笑)。昨日、電気屋さんに行ったのです。冷蔵庫のときには、母が主導権を持っていたので、特に比較対象などをするにも資料が先にあり、それほど迷わなかったのですが・・・。スカイプに使うためのマイク付ヘッドフォンが壊れたので、買おう!と思い立ち、売り場に行ってわからなかった・・・。アメリカに居た頃には、価格競争の仕組みが単純明快で、「安かろう悪かろう法則」というのが使えたのです。あるいは、老舗ブランドであれば、かなりの信頼度が置けるというのもあり・・・。ところが、マイク付ヘッドフォンというのは、それだけ、あるいは近辺機器のみを作っているブランドもあるんですねぇ・・・。何も老舗がいいわけじゃーないらしい・・・。そして、すごすご戻ってきました(爆)。



そもそも、このマイク月ヘッドセットはすでに3年以上使っており、スカイプ当初から使っていたもの。ひょっとするともう4年になるのかなぁ・・・。私は、アメリカ製のPlantronicsという会社のを使っていたのです。Santa Cruzという、私が住んでいたところから車で1時間ほどにある会社で、シリコンバレーからちと外れたところ(あるいは縁に乗っかっているという解釈もできる。なぜならば拡張はしているので・・・)、そもそもその町は、サーフィン関連のブツを作っていたり、UC Santa Cruzというのがあって海洋系の学問が進んでいるところなのです。で、40年以上の歴史があるその会社のヘッドフォンシステムは、NASAにも技術提供をしており、1962年に使われたのをきっかけに、1969年には月面で使われ、その技術の高さから、アメリカではFAA(Federal Aviation Administration)で採用するほどになったわけです。私がこの会社を知っていたのは、管制官全員がこのヘッドセットを使っていたためで、私がヘリで使っていたのは、David Clark社のものだったのですが、それはきっと機種別の特化したものだろうと考えたせいで・・・。そうなんですよ、管制塔に行って、人々が働いているのを見るのは、英語の勉強にもなったし、航空学の勉強にもなったし、本当によかったのです。こんなことから、このヘッドセットを憶えていたため、Fry’s(PC関連その他の大手チェーン店)で、このブランドに決めたのです。

 

ところが、私が見に行った電気屋さんにはなかった・・・。そこですでに途方に暮れたのでした(笑)。そして、戻って来てAmazonその他を見てみたところ、日本では高級品らしいことが判明(笑)。7000円もするんかい!私は20ドルで買ったっつーのに・・・。そしてワイヤレスにしてみようかと思ったところ、Plantronics社のやつは、15000円以上するわけね・・・(汗)。

 

うーん、ということでまだ買っておらず、ちょうど時間も無駄遣いして動画を見てしまうので、しばらく検討しようということに・・・。

 

前置きが長くなりましたが、このように私は文化のハザマと商業地帯のギャップにも喘ぎつつ、「選択肢が多いってどうなんだろうか?」ともう一度、ハタと思っているわけです。

 

たとえば女性の生き方。フツーに親御さんたちの言うことを聞いて、しっかりとスタンダードなお嬢様の道を歩む手もあり。財閥とまで言わずとも、深窓の令嬢風に、お茶やピアノやその他を習いつつ、女子校にてつつーっと修学し、最後には頭の程度でお茶の水や東京女子あたりか、そこで初めて東大あたりに行くという手。それでも、いわゆる政略結婚が匂うような「家に有利な結婚」へと進み、キャリアを持つか持たないか、そこで決めていく。

 

うん、これもひとつの生き方ではある。そこここでチョイスがあるものの、そこでどのようなチョイスになるのか、狭めて生きていく手はあり。

 

中流生産階級に生まれた場合には、都立(公立)か私立か、今の時代であればかなり選べるので、チョイスは増えているはず。キャリアにしても、勉強する分野にしても、それに海外が加わってきているのがトレンドなので、本当に選択肢は山ほどあるのです。女性でも理系の仕事をする人々が増えてきて、これは望ましい在り方なのですが、それゆえにひょっとすると行動範囲なども狭められているのか?選択肢の数は、増えたのだろうか、減ったのだろうか?と考え込んでもしまうのでした。

 

私のように超下流階級の出の場合、自力で懸命に働いたからこそ留学できたものの、そうでなければどうなっていたのか・・・。小学校2年のときに、社会科の教科書にあった「みかん工場の写真」がどうしてか頭に今でも焼きついており、今はまさかあんな手作業をしているわけもないというのに、なんだかあのラインに並ぶことだけは、どうしても避けたかった、というのが、私の将来への漠然とした夢でした。あれじゃなければいい、というわけでもなかったし、あれをDisrespectするわけじゃないです。ただ、生涯あれをするという目標はいかんな、と、小学校2年で思ったわけで・・・。でも昭和40年代当時は、アノ手の手作業はしていたんだろうなぁ・・・。今もハンドメイドが流行しているから、アノ手の手作業をしている人々はきっといるに違いなく・・・。

 

でも、りんごの種付けやら色調整や虫除けのための嚢被せや収穫は大好きだったんですよ。ただし、あれが延々と生涯続くのは、とても耐えられなかっただろうけれども・・・。

 

そこで、選択肢の多さに気づくのですが、私は今でも選択肢が多いことを前提にして、考えたり動いたりするようにしています。なので、迷ったときには納得するまで調べないと最終行動には出ない。人とつきあったりする場合も、段階的になり、若い頃のように知らない人に誘われてキラクに話すこともなくなってしまいました。お店のママさんや常連さんにチェックすることができる場合は別ですが・・・。

 

選択肢が多いことは、私にとっては感謝感激雨霰(漢字が並びすぎた・・・汗)なのですが、どうもこれに戸惑う人々も多いようだ、というのは、昨日のヘッドフォン事件で少しわかりました。が、調べればいいだけの話なので、調べる手間というのを苦だと思わない耐性を作るのがイチバンかと←結論だな・・・(笑)。

 

超下層階級の出の私としては、もう自分の行きつけると他人様が思ってくださったところ以上の場所に居るので、蒙昧な目標や身の丈に外れた野心はもうなく、ただただ生涯学生という夢だけを追いかけていけたらと思っているところなのです←相当な野心だろうと言われたら、そりゃぁそうなんだけどさ・・・(汗)。それもこれも、選択肢が多かったためで、自分に合致したものをその都度選んでこられたという思いがしているのですが、選択肢が多いと困る人々というのは、なぜなのだろうか?

 

そこのところを明日はもう少し考えてみようかと思っています。ええ、買い物の例ではなくて、もっと身近なところで何か例を考えて、今日ひとりで練ってみようと思います(笑)。簡単に結論づけるというのは、かなり失礼なので、買い物は調べればいいことがわかっただけでよかったですが、その他のことは難しいので、もう少ししっかり考えてみようと思います。

 

お盆休みの過ごし方

08/16/2008にアップした文章です。

小さい頃は、ナスときゅうりをおがらで脚をつける細工をして、盆の入りにはワクワクしながらお線香を焚いたものなのですが、我が家には、小さい位牌があるだけで、おがらを燃やして、「おいでおいで!」をできるような場所もありません。ベランダで火を使ったら、さすがに怒られるよなぁ・・・(汗)。ふとした疑問なのですが、屋上があるヒトはいいのかなぁ?花火は屋上でしていいわけなの?というか、子どもたちは、どこで花火をして遊んでいるのだろうか?近所の公園?川原?どこなのだろうか・・・・。ここは駅前なので見かけないのですよ。



私にはお盆休みがないので、何をどうして過ごしたらいいか?という画期的提案や夢や希望などはないのですが、たいていの人が実家に帰るのでしょう。終戦記念日を挟んで、日本は民族的な大移動をします。これがアメリカになると、Thanks Giving(感謝祭)とChristmasなんですが、子どもの頃、父が生きていた盆暮れどきには、その大移動戦線に加わって、車で大移動をした記憶が強烈です。田舎の子になって、野山を駆け回って育ち、終戦記念日は消え去ったような夏を過ごしていました。小学校1年から6年までは、ほぼ丸1ヶ月は長野にいましたから。その後もお盆は父の田舎で過ごし、16歳以降は、それがバイト三昧の稼ぎ時に変わるんですが(爆)。シフトがやたらと長くなり、人手不足なので、稼ぎ時なのです。東京に残っている人も多いので、それなりに需要はあり・・・。

 

私はすかいらーくで初めてのアルバイトをしたのですが、今度の新社長の記者会見の写真を見てびっくり!私が高校1年のときか2年のときに、いっしょにフロアで働いた谷さんだった・・・(汗)。えらくなったんだなぁ・・・・。ほぼ27年くらい前の話なのですが、彼はその時からかなり老けて見えたので、今もそれほど変わりがないことに、こんなに長い歳月が流れたことが嘘のように思えた瞬間でした。当時のすかいらーくは、キッチン3人、フロア3人の社員体制で、あとはすべてアルバイト。アルバイトの階級が3つほどあり、私は最もペーペーなところから始めたのです。ハイパーだった私は、決まった時間帯に同時に数卓の責任を持つという仕事が大好きで、楽しかったですねぇ。料理提供時間などをチェックしたり、前回来店のときに食べたものなどまで記憶しており、これでバイト代がもらえるのはすごいと思っていました。さらに、ヒトがたくさんいるということで、私の存在が掠(かす)れてしまうというのがよかった。

 

アメリカには当然お盆はなく、終戦記念日について、いろいろと考える時期でした。今年で、終戦63年。ということは、終戦時、母は7歳だったことになります。強烈に記憶していることは、疎開先が静岡だったので、安全についてはそれほど怯えてはいなかったものの、やはりひもじかったことらしいです。あれほど、海と山に恵まれた土地ですら、社会階級はあるものの、ひもじかったのか、と驚かされます。

 

今日なども、冷蔵庫にお餅があることを発見してしまい、いくら冷蔵庫を買ってうれしいからと言っても、こんな季節はずれのものを冷蔵庫に大事に入れておくことはないだろう・・・などと思ってしまうのです。さらに、彼女はタッパーの女王で、ものすごい数のタッパーを持っています。たぶん、100個はあると思う・・・。それにシールやその他でラベリングをしつつ、いろいろなものを小分けして壮観に入れておくのですが、それでも傷ませてしまうことがある・・・・。でも、大事にしておいてなかなか高いものをいっぺんに出さないのです。やっぱり戦中派だからなのかなぁと思ってしまうのですよ。いつもであれば、バカだなぁと笑えるのですが、あまりに自分のことを棚に挙げて、私のことだけを攻め続けることが続いたり、言い訳がましいことをくどくどと並べ立てたりしたあとは、粗い口調でいろいろなことを責めてしまうのです、私・・・。いい歳こいてとは思うんですが(爆)。が、怒っているわけではなく、ポイントを示すためにどうして合理性がないのか?ということを説明しているだけなんですが、彼女にとっては宇宙語にも近いようなことらしく・・・(汗)。

 

年老いたから向上しなくていい、というような気持ちは持って欲しくもなく、できる限りのトライをしてもらいたいという願いがあり、それは伝えようと思うんですね。せっかく生き延びたのだから。生き延びることができなかった人々がいたにも拘らず、彼女は生き延びることができたことは、やはり幸運のうちのひとつですし。

 

やはり昨日は、オリンピックだらけのTVの合間に見た、終戦記念日式典に関するニュースで、少しほろっと泣いていました。自分の小さい頃のことを思い出していたのでしょう。

 

私は今、コンビニで売っていたあやしげな本を読んでいます。『連合艦隊のすべて』双葉社というやつなんですが、昭和16年から終戦までにかけての海軍が闘った連合艦隊を使っての主要海戦が30ほど載っています。基本的に、連合艦隊は非常時に編成されるものだということすら知らなかったので、まぁ、500円はいい勉強代になっています。

 

他にも日本にいれば、戦争意義そのものについての番組や媒体を見ることがたくさんあったのだろうか?と、去年から考えているのですが、どうやらそうでもなく、今年は特にオリンピックにお茶を濁されていて、それどころの話でもないような・・・。むしろ、アメリカに居て、カジノで出会ったフィリピン人に責めとがめられたり、各国の人々に折に触れて質問されたり、世界平和そのものについて考えさせられたり、というようなチャンスが多かったことで、平和へのありがたみは感じてきたような気もします。が、比較できないのです。日本にその期間いなかったので。ネットができるようになってからは、いろいろな人がかなり好き勝手に、世界平和についていろいろなことを書いていたりするのを見ていました。私は世界平和に関して、誰かと論議しようとは思っておらず、日本が平和ボケならボケで、幸せだということだけは実感してもらいたいと思います。そんな中、右翼の書き込みが増えたような気もしていたり、戻って来て安倍内閣のときに国防に一気に偏りを見せようとしていた憲法第9条問題やら、『美しい日本』というテーマやら、ちょっとびっくりしたものでした。

 

政治的動きはどうでもいいですから(私は昨日の主義で言うところの、古典的自由主義を信じているところがあるので・・・>なので、独立宣言の文章が好きで、哲学的な経験主義は基本として信じており、だからこそ心理学も学んでこられたのです。この古典的自由主義がどうした経路で、日本に利己主義を運んでくることになってしまったのかとても遺憾です)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9 、ひとりひとりが、心の中と頭と身体全部で、平和に対するありがたみを噛み締めるためには、体験しなかったことについても、想像し、共感できる能力を身につけてほしいなと願っているところです。

 

ここ20年くらいお盆休みはないのですが、いつも戦争というのは心に留め置いており、世界のどこかで今も常に戦争が起きていることにも、無関心ではおられず・・・。この時期は特に、見てもいないのに、玉音放送を聴いた疲れきってしまった日本人の姿が、陽炎の向こうに木造建築や畑や焼け野原を背景に見えるようなのです。その幻想が見えてしまう中、レジャーやオリンピックに湧いている人々を見るのは、少しキツイ。なので、お休みがあったほうがいい時期なのかもしれないですねぇ・・・。

 

が、今日も朝10時から夜8時まで働きますよ!

主義はありますか?

08/15/2008にアップした文章です。

小学生の頃、私は○×主義という語彙に遭遇するたびに、「あ、もう少し大きくなってからでいいや」とすっ飛ばしていたことを思い出します(笑)。大混乱な言葉なわけですよ。何かの難しい語彙に、主義をくっつけると、相当重い言葉になる、という認識だけはあったようで、しかもニュースなどから流れてくることが多く、父に聞いてみてもかなり曖昧な返事しか返ってこず・・・。というわけで、中学に入るくらいまでは、すっ飛ばしていましたね(笑)。中学になって、すっ飛ばせない○×主義がいくつか出てきて、少しずつ、この「主義」が帯びている意味がわかってきます。ところが、今大人になってもたくさんありすぎて、心の地図であるSchemaにどのように組み込んでいいのか、すべてが網羅しきれていないようなところがある・・・。うーん、すごい言葉なのである(笑)。



主義:(1)常にいだいている主張・考えや行動の指針。(2)特定の理念に基づく、学説や思想上の立場。また、体制や制度。

 

Wikiに載っているだけでこんなにあるんですよぉ。この数と来たらびっくりしちゃいます。ちょっとクラクラしてくるほどです←こんなことを書くと、見てもらえないかもしれないが・・・(笑)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E7%BE%A9 私がざらっと数えただけで550くらいありました。こんなすごい考え方がたくさん跋扈しているとは、世の中混乱するわけですよ(笑)。うーん、跋扈という言い方には語弊があるのか?存在していて、核になる考え方も多々あるし、瑣末な派生も存在としてはそれなりにいい主張もあるし・・・。でも、要らないだろよ、それ、というのもけっこうあるしなぁ・・・。

 

さて、私の主義は何だろう?と、自分に引き寄せてみる・・・。私は至っていい加減でユルユルな人間なので、大した主義主張を持っているわけではないのだけれども、ゼロでもないし・・・。

 

真っ先に気づくのが、Dandismで、私はハードボイルドが好きだし、鬼平犯科帳の鬼平が大好きなのだ(笑)。必殺仕事人のような人殺しだって、彼らの主義主張の中でしっかり生きていると見えるので、大好きだし。その語源がこれなのですが、汲み汲みとした流れの中で現代にも生きているダンディズムは、日本では高倉健だとか、Vシネマの任侠モノだとか、愛国者のその行動などに生きており、海外では、国防に生命を賭けるスパイやら、テロに対峙するボディガードやその他、美学を身体と生き様で実践しつつ、多様化しているとはいえ、まだまだ残っていると、思いたいのが私なのですねぇ。なので、自分がどうであれ、どうも彼らに対しては100%の敬意を抱いており、読むだけで、見るだけで、泣けますねぇ・・・。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0 

 

さらに私が生きていくうえで、ものすごい影響を受けているのが、Darwinismで、生命体としての宿命から逃れられないことを、しっかりと認識しながら生きていこうと、謙虚に、感謝の意を忘れずにやっていけるための礎になっています。ただ強いだけではなく、社会動物の一部としての存在意義などもそのあと考えていくことにはなるのですが、アリやキリンやネコや鳥などなどに比べてヒトが偉いとは思わないようにしてから、その後をケースごとに考えていける態度が保てるのは、この主義のおかげです。非常に感謝していますし、何か問題があったときには、生物学的観点からの逃れられない宿命や仕組みに関して物事を見ていこうという、態度が定着しています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

 

が、このDarwinismを理解した上で、社会動物として生きていくには、経験主義が欠かせず・・・。たくさんの可能性を持った大脳を使う限りにおいて、ヒトは無限大(∞)に自分を広げていけるのだ、ということを、どうしても信じたいせいなのでしょう。この主義を唱えた哲学者たちの中から、アメリカの独立宣言が生まれ、その独立宣言の文章は、私が最も好きな英語のまとまった文章なのです。Thomas Jeffersonを尊敬していますが、彼も奴隷であった黒人女性とのあいだに子どもを作りました。彼女が彼の豪邸の納屋に住んでいたのに、そうした矛盾に見える行動をした根底には何が根ざしていたものか、考えるととてもドキドキします。とはいえ、たくさんの学者が解析しているのですが、本当の彼の気持ちがわかるのは、本人だけなのでしょうし、愛された女性だけなのでしょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9 

 

私が到達したいと思っているのはAltruismで、造語ではあるのですが、他人の幸せを自分の幸せより重要視しようという態度。これができるヒトになって死んでいきたく、いつもそうしたいと思っているのですが、相手の負担になりまくるといけないので、生きて命がある限りは、やはり大げさなことはできず・・・(汗)。しかも私は険しい登山をするわけでもなく、生命のかかるようなことを日常的にやってもおらず・・・。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E4%BB%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9 私の飛行機学校の先生であったBob Kiesserという先生は、同乗していた生徒に折り重なり、最後まで彼女を助けようとした形で海底から発見され、死んでゆきました。1994年のことです。その前にも、お友だちのお父さんは、自分の甥っ子と姪っ子を助けるために高波の海に飛び込んで死んでしまいました。こうした事故のときに、私も必ず、勝算だけを顧みない行動ができたら、といつも思っています。一度交通事故(向こうが反対車線から突っ込んできたもらい事故)に遭遇したのですが、そのときの咄嗟の自分の態度で、私はこの資質があるのではないか?と思っています。死ななかったのでよかったですが・・・。

 

他の545くらいの主義については、言いたいことがけっこうたくさんあるんだなぁと、つくづく眺めていて、エッセイを書くいつもの時間を大幅にオーバーしてしまいました。おもしろいなぁ、と思いつつ、リンクに飛びまくって読んでいたら時間が経ってしまった。そりゃそうだよね、これだけの数あるんだもの(笑)。

 

しかも○×主義という言葉を子どもの頃すっ飛ばしてきた割には、けっこう知っているじゃん。ずいぶん学んできたんじゃないか・・・と驚いてしまったことも、けっこう感動。経験主義ではないけれども、学んでいけばいいわけで・・・。

 

私がはっきりと今言えるのは、この4つの主義なのですが、自分にぴったりなものが見つかれば、他者に説明するのに容易になるかもしれません。あなたの主義主張は見つかっていますか?他の人が唱える主義主張の本質をわかっていますか?

 

ちなみに昨今大嫌いなのは、本当は利己主義なのに、個人主義だと誤解している、日本の欧米個人主義の輸入です。欧米に申し訳が立たないので、ぜひそれはやめていただきたいものです。

 

明日を心待ちにできる理由

08/14/2008にアップした文章です。

ここのところ、夏バテ気味で、この「明日を心待ちにできる理由」が、かなり少なくなっており・・・。しかも、今月末には、うどちゃんが17歳になるので、あとどのくらいいっしょに居られるのかなぁと、命を祝う日にもかかわらず、少し憂鬱なところがあり・・・。他人様が夏休みを取っている最中、私には夏休みはなく、ここのところ、夏休みをチャンスに!と、飲み会の申込みも多いのです。夏バテをしているので、アルコール+肴は歓迎ではあるのですが、これが悪循環の元なんだろうなぁ・・・とも反省気味だし(まぁ、直前になるとドキドキなんですけども、こうして冷静でいられるときにはやっぱり反省モードだよねぇ・・・)、実際に身体はだるいですしね。明日を心待ちにできる理由を持っていることは、とてもとても心強い。それを持っていることすら、気づかないで生きているのは、ちともったいないくらいです。



と冒頭をポジティブできないまま、さらに今日は11時間も眠ってしまったことを付け加えておきます。夏バテは身体にしっかり顕れており、昨日は11時に眠ったのに、起きたらすでに10時であった(笑)。この年齢でこれだけ眠れるというのは、むしろ幸せなのだ、と母には言われたんですが、私としては、これはこの先も相当長く続くような気がしています。主として躁鬱病のせいなんですけども。

 

何度も書いているように、私は戸籍上の配偶者と別居しています。すでにかなり長い歳月になっており、この先も一体いついっしょに住めるようになるのか?ということには、あまり未来展開が開けていません。プランニングが大好きなわりには、これに関してはLet it be(なるがままに)な状態ですね(笑)。ところが、コレがむしろ、「明日を心待ちにできる理由」のひとつだったりもします。

 

ついこのあいだの日曜日も、産業カウンセラー講座の帰り、例のごとくなかよしのビジネスマンとふたりで飲んだのですが(あともうひとり女の子がなかよしなのですが、彼女は『熱闘!甲子園』の最中なのでさっさと帰った・・・)、いろいろな話題が出たものの、熟年離婚についてもつくづく話してしまいました。結婚前は、精神論をたくさんブチつつも、実際には伏線としての経済的サポーターとしての役割をしっかり求められて、それを全うするために、必死に働いてきた揚句、だんなが精神的サポートをなかなかきめ細かくできないまま、定年を迎えた途端、経済的サポーターが要らない状態になると、離婚されるという状況は一体何なのだ?という、男性側の論理のほうに、私などは、常日頃から共感しているわけです。「だったら、最初から半々なイーブンなサポーターを求めて、そうした人と結婚すりゃぁよかっただろうよ」と。私などは、超がつくほど批判的なので、この熟年離婚現象を、「年季奉公が明けた愛人や女郎の身請け現象」とすらみなせるケースが多い、などと考えているのです。まるっきり、「金の切れ目が縁の切れ目」になっているところが、カラカラした粋さのない、人生の後ろのほうでのオソマツさを見るようでつらいのです。

 

しかも!男性諸氏はこの孤独や、生活環境の変化に耐えられず、自殺に成功してしまうことも女性の数倍となっている統計があります。むしろ、経済的サポーターを求められてた長年の中、精神的サポーターが必要だったのは、彼らだったわけですよ。ただ、「欲しい」と一言が言えないだけで、これだけのツケを支払うことになってしまっているわけです。

 

そこで、私はこんなことなど我が家はないぞ、というのが、明日を心待ちにできる理由のひとつになり、さらに、いっしょに住むことができたら、さぞかしくだらないことでの新発見が多いのだろうな、と、前に長々いっしょに暮らしていて楽しかったことばかりを、(都合よく)思い出すのですねぇ(笑)。西さんが学生のときには、毎日運動をいっしょにしていたのです。テニスやウォーキングをして、その他休みにはバックパッキングやスキー。そして、週末には映画に毎週行っていたし、いっしょにCDを聴きつつイタリア語であれば、カンツォーネにチャレンジしたり、オペラだったら泣き所には泣いていたのです。でも、それも緩急があって、ふたり寄り添えるところだけで、かなり身勝手にそれぞれが行動していたところも多々あり、おもしろい生活だったなぁと。駐在員となってからも、ビジネスディナーに呼ばれては、いそいそと出かけたり、少ない休みの中でレジャーをあれこれと模索したり。勉強をするにも、私が乗らないと、いっしょにダイニングテーブルで教科書を広げてくれたなぁと、なつかしく思うのです。だから、この「明日を心待ちにできる理由」になるんですよねぇ。

 

英語学校にしても、現在は雇われと自宅でやっているのですが、潤沢な資産があれば、駅前に出したいという「明日を心待ちにできる理由」は、これにもでかくあります。そうすれば、貯金をせっせとして、最大目標である「生涯学生」に近づけるわけで。とはいえ、自分が英語学校を持てたとしても、私は生徒さんをはじめ、英語講師の方々から搾取しようとは微塵も思っておらず、I am happy, You are happyという両方の均衡を保ちながらやっていけるに違いない、と思えることも「明日を心待ちにできる理由」になっているのです。それが、日本人の元来の流れができてしまっている英語学校業界というのに、どれくらいの影響を与えるかわかりませんが、とにかく、自己実現ができる場があるというのは、とにかく、明日を楽しく過ごせる期待感をもたらすわけです。

 

なので、チラシのダメ出しをしていても、HPデザインに関して注文をつけているあいだにしても(このふたつ、最終的には西さんにやってもらっているので。とはいえ、悪妻というわけでもなく、西さんはそれを歓んで手伝ってくれているし、私の夢が叶うことに関して本当に心から願ってくれていることを感じています)、チラシ配りのための警察署への申請をするのも、なんだか苦にはなりませんしね。

 

レッスンそのものは、日本でこれまで1年やってきた中、楽しくなかったことは片手で数えられるほどです。うんざりしないでもない過密スケジュールの中でも(土曜日などは10-20時のあいだ5分休憩しかないこともままあり・・・)、生徒さんを目の前にすると、やっぱり楽しいですから。昨日も、大学院試験のための日本語訳をする技術についてレッスンをしていたのですが、目の前でミルミル解けるようになるのを見ると、自分が道筋をつけられる可能性に対して、「明日を心待ちにできる理由」を見出せましたねぇ・・・。

 

さらに、悪癖が私にはいくつかありますが、それを直そうと思えることがチャレンジ対象が残っているという、楽観的解釈をしてしまうと、「明日を心待ちにできる理由」になります。喫煙は最後になるとは思うのですが、定期的エクササイズは少し定着しつつあり、週に3回というのは現実化しつつあります。毎日はもうちょいかかるかなぁ・・・。今、夏バテ中だし・・・。それにこんなにモノが食えないまま死にたくないと思えるので、やっぱり明日に賭けてみたいと思えるんですねぇ(笑)。

 

さらに、帰国してから映画を本数見ていないので、やっぱり戻ってケーブルでも劇場でもいいから、映画三昧したいというのも、「明日を心待ちにできる理由」にもなっており、アイスホッケーも同じです。いつかまたアリーナでナマを見たいなぁと思えることは、きっと実現できることなので、プランニングに付け加えないといけません(笑)。

 

「明日を心待ちにできる理由」にいつも気づいていれば、犯罪者になることもなく、自殺することもなく、けっこう毎日が楽しいはずなので、ぜひぜひ自分の理由を挙げる癖をつけて暮らしてほしいなぁと思います。私の場合、ネコたちと母の存在を時としておざなりにしてしまうのですが、彼らは理由そのものですしね。しっかり向き合って暮らしていこうと思えるのがいいことなので、たまにはチェックしてみてくださいね。

 

 

人の生活に口を出す人の心理とは?

可能性としては、2つの面から考えることができます。ポジティブな気持ちから出ているものと、ネガティブな気持ちから出ているもの。2つの可能性を模索していくと、

 

<ポジティブ>

  • 便宜を図ってあげたい
  • 苦労がないようにしてあげたい
  • つらさを軽減してあげたい
  • 私が手を出していいのか確認したい
  • 心配している

など

 

<ネガティブ>

  • 自分の思い通りに動いてほしい
  • どうして社会の基準と違うことをするのかいらだっている
  • 単純に妨害したい
  • 八つ当たり

など

 

この2つに共通することは何でしょうか?

 

ある一定の基準点を見出していて、口出しする本人自身が「その基準」が正しいと思い込んでいるところです。口出しする人が、優秀であろうとエゴの塊であろうと、問題なのは、「他人の自由意志に積極的に影響したい」というパワーゲーム思考だということです。

 

たとえその口出しが、+であろうと-であろうと、他者に「干渉」していることは動かしようのない確かなことで、なぜそうなってしまうのか?

 

ひとりの人間が「生き延びるため」にすることは、ものすごく不思議に複雑です。できることなら、「ラクに楽しく生きたい」わけで、そのためにさまざまなことをしようとしますが、結局「苦労の多いつまらない生き方」になってしまうかもしれない可能性を秘めています。

 

苦労しないためには、「予測が当たり、先読みができ、自分が努力しないでいけたほうがいい」なので、他者も自分の思い通りに動いてくれたほうがいいわけです。たとえ、ポジティブな気持ちから来ていたとしても、他者に苦労がなければ自分がこれ以上面倒を見る必要がなかったり、想定外の出来事が起きないで済むようになります。

 

逆に、部下や家族や友だちが、失敗ばかりしているときには、ある一定の予測できる基準を「やってくれよ」という要求にすらなってしまったり、自分の基準超えをする優秀な人たちに「脅威」を覚えることになります。そうなると何が不都合か?自分が相手の基準に合わせていかねばならないのでものすごく努力をしなければならなくなる。これはコレで不都合なのです。充分忙しいんですから(笑)。

 

こうして社会の中で上手にやっていこうとすると、他者が自分が生きていくのに邪魔になるので、「自分が独自に考える一定の基準」を他者に要求する心持ちになり、それをパワーとしていくわけです。あるべき健全な他者との境界線をうやむやにしていき、本当の意味での「一体感」とは違うものに満足していくことになります。

 

要点としては、「確固たる自分を持ち、他者のスタイルを自由に放置しておける勇気を持つこと」が大切です。たとえ、その他者が学ぶことを放棄しているように見えても、その人の人生です。子どもは別としても、大人にあれこれ指示をしないで生きていける世の中のほうがきっと、楽しいしラクなはず。

 

最低ラインをいくつか設けて、それ以上のことは他人の自由にしてさしあげてください<(_ _)>

 

呆けすぎてしまって戻らない体調と心持

08/13/2008にアップした文章です。

昨日、一昨日と、あまりに暑いので、呆けてしまっており、やっとの思いで書いたお題は、うつ病。しかも、駄作の部類になってしまっているのに、アクセス数が多くてちょっと腰が引けているところ。昨日、一昨日は、久々にゆとりでパチンコに続けて行ってしまい、合計で65000円ほど勝ちました。なので、夏バテ気味な身体に、ご褒美として、坦坦麺&餃子をご馳走したり、いつもは読まないコミックブックを買ったりしました。ええ、さいとうたかをの『鬼平犯科帳』です(笑)。どうしてこんなに鬼平が好きなのか、自分でもわからず・・・(汗)。私は剣道をやったことがないので(合気道で杖道というのは多少やったのですが)、劇画によりその構え等を見ておきたかったせいです。下段だの大上段だの正眼だの、いろいろ曖昧だったのでした。今、たいへんに納得しています>想像通りだったので、なかなか満足。



そして、明らかに体調がすっきりしておらず、だんだん「冷房病」の意味が身体でわかってきたところ。去年の夏はそんなことはまったくわからなかったのです。ただただ涼を求め、人工的であっても、暑さから逃れられればそれでよし!な身体と気分だったのですが、今年は違う・・・。あまりにエアコンが効いた部屋に長居すると、足元が寒くなったり、肩先だけが冷えたり、と、きっと内臓や自律神経にもけっこうな影響が出ているに違いなく・・・。そう思ってしまうと、見えない対流がなんとなく見えてきてしまい(笑)、エアコン機能としてついている風量調節や風向き調節が物足りない気分になり・・・。

 

外には、去年と同様、扇子を持って出かけており、冷房車輌に乗って、足を止めたあとに吹き出てくる汗が止まるようにと、風が直接来るところに立って、せっせと扇いでいるのですが、それがまたもよくないのか?私のサーモスタットは最近忙しいようで、そのせいか、食欲が落ちてきています。

 

ビールとチーズと枝豆だけあればいいや・・・というような(笑)。いけません。調布駅からトボトボと歩く夜の10時過ぎにコンビニに寄って、ビール購入がほぼ毎回になってしまっており、ごはんを食べていません。そうめんですら「え・・・いいや・・・」という状況で、今朝などは、母が残り物カレーでコロッケを作ったのですが、半分残しました。くどいって・・・(汗)。おそばやそうめんに納豆などを入れてみるのではありますが、悪循環は続き、ビールとチーズとたまにから揚げ、というような状況がすでに2週間以上続いているような・・・。

 

そこで、昨日と一昨日は、パチンコで勝ったせいもあり、外食してみたのですが(普段は母に外食はなるべくしないように、と諭されており、理由は「何が入っているからわからないから」という・・・)、やっぱりそんなにおいしいとは思えず・・・。残しましたよね・・・。

 

そして、ここのところ、ぼけーっとしているせいで、レッスンのほうも「でまかせモード」になっており・・・。特に口からでまかせを言っているつもりはないのですが、ぼーっとしているので、「あれ、何話していたんだっけ?」と思うこと多し・・・(汗)。私としては一生懸命全力を尽くしているのですが、なんたってクラスルームが暑い。エアコンが午後8時になると止まってしまうので、クラスの人数が5人+私の場合、9時すぎには充分暑くなってしまい、扇子が大活躍し、それでまたもや気が散るのかもしれず・・・。

 

そして、思うのです。これじゃ、まるでうつ病のようだ、とも。体調不良の悪循環から抜け出せないのよぉぉぉ。悪循環から抜け出すためには、ビール断ちをし、まずちゃんとごはんを食べる。エアコンがなくとも安眠できるように、運動をして、熱いお風呂に入ったあと、とにかくぐったりする(笑)。ベランダで自力で涼んだあと、お休みタイマーを1時間だけにして、そのあと朝までぐっすり眠れるよう、アイスノン枕にしてイヤでも汗を吸収するパジャマを着る。

 

わかっているんだけど、どうしてもエアコンに頼ってしまいいかん・・・。

 

しかも、パチンコやさんなどに行ってしまったものだから、空気が悪くタバコは増えて、エアコンは効かせ放題。足元が冷たくなったり、血流が鈍くなっていることがさらにわかってしまうのでした。

 

いやぁ、勝ったんだからよしとしないといけないんだけどさ・・・(汗)。でも悪循環から抜けたいのよぉぉぉぉ。

 

そして、今、チラシを作っているのですが、そのチラシのダメ出し状態も、西さんに頼っており、待っている状態。それができて、印刷所に廻したあと、私は教科書作りをしなければならないのですが、今始めたっていいのです。が、しかし、体調だけではなく、気分も晴れやかではないので、どうもできない。

 

それは、一重にオリンピックのせいだとも思えてしまっているほどの悪循環螺旋です(笑)。日本人選手が金メダルを獲ることって、それはそれでいいんだけども、号外などを手渡されると、なんだか途方に暮れてしまう・・・>夕べ、号外配ってたんだよね・・・。しかも、アメリカ人が殺される被害があって、ウイグル自治区で不穏な動きなどもあり、なんだかまだまだ波乱含みなことも心配のタネではあります。校長センセが東京にいたら、毎晩、この話だけで4・5時間は語れそうな(笑)。それくらい、晴れやかさには到底持っていけないくらいの人々の話題とマスコミの露出に、とても鬱陶しいものを感じているわけです。

 

さらに、人々が夏休みなのに、私は細かく仕事ばかりしており、お休みはないわけです。気づくと、去年の8月あたりから、私はまとまった休みなど一度も取っておらず、この夏、アメリカに渡る予定だったのですが、それも変更。留学生として出した看護師さんが、引越し先をタイ人のお友だちといっしょに決めてしまったことと、車購入はもう少し先にするというので、その時に来てくれれば、というリクエストだったので、延ばしたのです。

 

そして、だったら箱根に行こうかな、と思っていたら、なんと、神奈川県は禁煙になったのだとか。公共の場では全面禁煙で、観光協会などは頭を痛めているという記事を読み、温泉があっても、おいしいお料理があっても、タバコ吸えないとストレスじゃん・・・と思っているところ。箱根や強羅あたりだったら、小田急線で1本なので、1泊2日ができるのですが、それ以上足を延ばすとなると、2泊3日くらいしないと、疲れるだけです。となると、今のようなレッスンの入り具合では、とてもじゃないが休めない・・・。求められているというのは、うれしいことではありますが、やっぱり1年に一度や二度のまとまった休みがないと、こうして夏バテなどになったときに、悪循環から抜け出せないのでありますなぁ・・・。頭でわかっていても、どうしても心が納得してくれず、ビール断ちもできず、ごはんをまともに食べられず、エアコン依存症になっています。

 

昨日、連合艦隊についてもう一度復習しておこうと思っていろいろ調べ始めたところ(NHKで『坂の上の雲』が来年やるはずなので)、なんだか頭にすすーっと入ってこなかった・・・。

 

今日もレッスン、明日もレッスン、と、日々レッスンは続きます。完全休日に次になるのは、25日の月曜日。17日には産業カウンセラー講座はないのですが、レッスンが2個入っています。無料診断カウンセリングをするのです。そして、9月20日に学校の場所が移転するので、そのときにもしかすると連続4日休みになるかもしれず・・・。いや、1日は産業カウンセラー講座があったんだ・・・。となると、2泊3日は無理か?と、ちょっと考えているところです。呆けすぎてしまって、なかなかいつものシャープな頭に戻らないのがきついです。うーん、体調からなんだろうなぁ・・・。

 

新型うつ病だと思われているもの

08/12/2008にアップした文章です。

昨日の続きになってしまっています。昨日、あまりに反響がよく、アクセス数が過去最高でした。やっぱり4人にひとり、という統計学的割合からも、「私もそうかもしれない」という心当たりがある方々が多いせいなのでしょうか。ぐったり疲れてしまっていて、1日の帳尻が合わないまま、翌日に疲労や心の負担を持ちこして、どんどんマイナス貯金が貯まっていく感じである方は危険だという認識はあるのかもしれません。昨日はうつ病にしか触れませんでしたが、今日は、日本では元来他の病名として扱われてきたものについて考えてみたいと思います。

 

なんだか簡素化しすぎているイメージ作りがいけないと思うんだよなぁ・・・。人々に喚起を促す目的で、わかりやすくしようとしている態度は理解できますが、そうした単純化により、弊害は山ほどあるわけです。そもそもの、社会科学の分野に入る物事というのには、「答えはひとつではない:ケースごとにしっかり見つめていこう」というキャンペーンが必要です。しかも日本に蔓延しがちな、『べき論』は、単一化することで、Dominant(数的・質的に優勢な側)に有利になるように組み立てられていきます。死刑なども同様で、「犯罪者の隔離」をすることでDominantな側にいる善良な市民の安全を確保しようとする意味合いも大きく入っています。なので、性犯罪者が刑期を終えて出てきたときのことなど、きちんとした更正プログラムが実施されているわけでもなく、泥縄状態が続いているわけです。裏の意味では、「何度もやってくれよ。多少犠牲者が出ても、また入ってくれればいいからさ」と考えているようにも取れるわけです。

 

新型と呼ばれているうつ病も例外ではなく、実際は国際化により、日本社会にも多様性が増したことにより、いろいろな側面を見せている社会科学の答えの広がりです。あるいは、要因組み合わせの多様化とも言えます。基本的には『環境に対する生命体としての順応の不適応』であり、その社会の仕組みが世界中のどこで違っていても、基本は変わりません。

 

『几帳面でまじめな人がかかりやすく、落ち込み、自分を責め、自殺に至るケースが多いというイメージだった』

というのは、日本社会がそうした多数を持っていたからこそ目立ったケースにしか過ぎず、ただのイメージでしかないわけです。イメージ先行型である風潮だからこそ、ひとつの文化や流行が日本中を駆け抜けるわけです。これには、帰国して2年経とうとしていますが、まだまだびっくりしています、私・・・。

 

さらに新型についての説明は:

『07年から急激に増えだしたとされる「新型うつ病」は、仕事中だけうつで、帰宅後や休日は普段通り活発に活動する。自分を責めるのではなく、身近な人間や社会に対して攻撃的な態度になり、休職したとしても会社や同僚にかける迷惑などあまり感じない、というのが典型らしい。』

というもの。

 

おい、ちょっと待て!それまでの蓄積である、『几帳面でまじめな人がかかりやすく、落ち込み、自分を責め、自殺に至るケースが多いというイメージだった』を受けて、社会を構成するひとりひとりが、うつ病候補者あるいはうつ病者に、適切なカウンセリングも療法も学習してもらえるように促してこず、『がんばってとは言わないこと』『追い込まないこと』『欠点についてはあまりふれないこと』という単純法則をマニュアル的に守ってきたから起きた結果だとは思わないのか?

 

このうつ病の廻りの態度というのは、確かに真性の『几帳面でまじめな人がかかりやすく、落ち込み、自分を責め、自殺に至るケース』の治療導入時期には有効です。が、その後、セラピーもせず、放置し、ただただ好き勝手にゆっくりな時間を過ごし、投薬だけを続けていても、何も変わらない。だから日本のうつ病は長引く傾向にあるのです。お天気も関係ないというのに・・・。

 

うつ病でない人も同じではないか!と思うのが二点目。家と会社、友だちと同僚、どっちが生き生きとした話ができますか?と問われたら、充分なコミュニケーションが取れていないままであれば、そりゃ、会社はきつい。しかも、話を聞かない上司や同僚よりは、自分が言いたいことに話を傾けてくれる人に囲まれていたほうがラクに決まっている・・・。そして、Self-Worth(自己価値)を守るために、それについてアピールをごくごく身近な人にしたり、そうでない場合は、不満の矛先を社会や個人に向けて、必死に自己を守ろうとするわけで・・・。うつ病であろうがそうでなかろうが、この傾向については押さえておけや、と思います。

 

その社会的に許されるケースケースについて、どうして誰かが砕身しないのか?ということのほうが、私には不思議だ・・・。誰も何もしてくれないから、大樹である会社に対して恩義など感じない。うまくやれている人は余力があるんだから、少しくらい甘えても大丈夫、だと思ってしまっても、よい、とは言いませんが、論理としては理解できる構図でしょう・・・。

 

そこまで責めるのであれば、外注でもいいから、産業医や産業カウンセラーを使ってみればいいのに・・・。あるいは、職場での密なコミュニケーションを促進する方法論について、人事や総務のほうで考えればいいんじゃないのか?

 

そして、記事にあるような、実際はDMS IVではうつ病ではなく、他の精神病であったとしても、それについて本人が対処できるような機会がないこと、社会的理解や認知がないことが問題だと思ってくれや、と強く私は思いますね。特に、人格障害などは、家族も友人も気づいていて当然なことですし、だとしたならば会社勤めそのものがかなり怪しい。私の場合は、「私は会社には就職できない」と自分で査定できましたからね。神経症もうつ病同様ムード障害(気分の状態で顕れるもの)なので、日々の適応について、考える場・学習の場があれば、変化は必ずもたらされていきます。

 

私は小さい頃から自分の躁鬱病に苦労してきましたから、ここまでじゃじゃ馬馴らしをしてきて、自分で追い求めてなんとかしてきたのですし、みんなそうしろ、とは言えません。社会にもっと窓口があったならば、もっと早いうちにBreak through(打破できる境界線超え)があったような気がします。ただし、振り返ってみれば、アメリカに18年半も住めたので、それはよしとします(笑)。しかも自力でなんとかしてきたというのは、けっこうな宝物です。

 

確かにうつ病に甘えている人々は増えているのかもしれません。が、誰かが迷惑がかかるかどうか?というのは、順位からすれば損害は下のほうで、実際に困るのは本人です。その本人の周りに彼や彼女を愛する人がいるのであれば、本気で対峙していただきたいものです。企業側にしても、そんなに迷惑がかかる、損害が大きいというのであれば、なんとか対策すればいいじゃん・・・というのが、私のスタンスです。あまり情熱を賭けて声高に、「日本の精神病に理解を!」などとNPOを作るのは私のスタイルではなく、微力でいいから、知り合いから壕埋めをしていこうと思います。

 

本当の国際化というのは、一朝一夕にはいかぬので、やっぱりここでも問われている日本の真価、ということですか・・・・。

大学受験の英語、これからどうなる?

少子化時代に突入していき、文科省をリーダーとして日本も人材教育のために試行錯誤をしていくのだろうと思います。英語は、2020年からTOEIC・英検・TOEFLなど、外部のテストで受験科目として免除される他、センター試験が廃止される方向になり、ますます Speaking/Writingに重きを置いていく方向性になっていき、4技能をバランスよく習得することに価値を見出していくことになります。

そもそも資源が少なく、領土の狭い日本では、人材や技術・サービスなどに力を入れるしか生き延びる道がなく、それらをしっかりと踏襲・発展させていける人材が必要になってきます。そもそも日本国内だけで、日本語だけで経済を廻せていたわけではなく、一部の英語ができる人々や発想力の豊かな人々が先んじていたのですが、それが「日常的」なことにならない限り、年齢層のいびつな歪みを補完することができなくなっていき、若年層の肩には重い重い比重が課せられていくことになります。

働き方改革という名目で、シニア層ももっと長く働けるように、と工夫はしておりますが、どこまでできるものなのか?健康な人はいいにせよ、老いていく人々に対しての福祉サポートの課題も山ほど積まれています。

そして、心配する親世代は、学歴社会の崩壊を望みながらも、幼稚園・小学校・中学校の段階で受験をしておき、その後、憂いや負担がないように、と計画することが可能な経済状態の方々はいざ知らず、順当に高校受験・大学受験をせねばならぬご家庭のお子さんたちは、本当にこの「お試し受験制度」「試行錯誤状態」に戸惑っているかと思います。

 

私個人は、小学校から大学まで、ほぼほぼ勉強しないで過ごしてしまいました。アメリカに渡り、英語集中学校に行き、その後、航空学校に行き、仕事がなかなかなかったために、大学に戻ることにして、生まれて初めてあんなに勉強が楽しいと思ったという経歴を持ちます。が、日本に生まれ育った子どもたちは、今、子どもの時代に勉強せねば、きっと未来がない、と閉ざされてしまうことも多いのでしょう。気の毒すぎます。

そんな中、英語ができると入れる高校や大学が増えるので、Precious One English Schoolでも英検縛りでのクラスは持っており、順調に英語力を伸ばしている子どもたちが存在します。

根本的な英語の勉強法・教育法などを検討しきれていない部分が大きいので、この試行錯誤はしばらく続いていき、「ゆとり世代」の頃の大失策である「円周率はきっちり3」などというのと、似たようなことにならねばいいな、と強く願うばかりです。

特に、外部の英語検定試験に依存する状態が由々しき問題だと危惧する専門家は多いです。本当の意味での英語力からは乖離したものである検定試験が圧倒的だからですね。

どうなる?という質問には、「しばらく静観して対応していかないと振り回されることになる」というのが、結論です。しっかり見ていくか、さっさと英語が「使えるレベルになるように学んでみる」のどちらかをおススメします!