隣人に愛を

2008-11-02にアップした文章です。

やはり知らない人と話をしてはヘンですよねぇ・・・。東京に戻って来てからは、知らない人と話すと、こちらが危ない人に思われるので、極力避けてはいるのですが、どうしても物足りない・・・。それは、私も昨日書いたように、習慣に支配されているからなのでしょう。在米生活に慣れたあと、私はずっと知らない人とも話してきたわけで・・・。安全な環境を確保できている場所では、誰かと会話を交わすというのは、なかなかいい考えだと思うのだけれども、どうも日本ではなかなか浸透しないようで・・・。私ひとりで運動をしていいのは、不買運動(ボイコット)や、ネコを犬化する推進委員会くらいで、全面的にどうこうしても意義はあるのかどうか、ちとわからない・・・。英語は学校化することで少しは浸透すると思うのですが、コレについてはどうなのだろうか?(笑)

 

が、私は駅のホームでも、街中でも、けっこう話しかけられるやつではあります。子どもたちは自由なので、けっこう私に話しかけてくれるのです。あとは、道に迷っている方も私はけっこうターゲットになるようです。まぁ、服装などもあるんでしょうけれども・・・←ほら、かっちりしたスーツを着ているわけでもなく、化粧をカキッとしているわけでもなく、ハイヒールでもないので、ゆるめの人間で時間に焦っているようには見えないという利点(笑)。

 

アメリカに居るときには、はじめ、「私って隙だらけなのか?」とよく思っており、それが全体的な文化なのだと気づくまでに、少し掛かりました(笑)。スーパーに行っても、ガソリンスタンドでも、図書館でも、寮でも、どこでも話しかけられて、それに応える技量(英語の会話力と背景をしっかり掴んだ応答のための知識)がなかったので、けっこうドギマギな日々でした(笑)。が、一旦身についてしまうと、こちらから “Good Morning!” “How’re you doing?” を言わないわけにはいかず、レジの女性の爪がきれいであれば、それを褒め、髪型や色についても尋ね、安いお得なセール品についても答えたり訊いたり、まぁ、世の中はまったく捨てたもんじゃなかったのです。公園でウォーキングをしていても、チワワやロットワイラーやべグやその他、いろいろな子たちの名前を訊けて、そのユニークさに感服したり、次に出会ったときにその子たちの名前を憶えているかどうか?の自分の興味度にも繋がり、まぁ、日々はとても楽しくなったのです。学校でも同じことで、わかったかわからないかのチェックも、隣に偶然座った人に訊くこともできましたし、道を尋ねるなどはフツーに行われており、スーパーでも背の低い人には割りと高かった私は所望の品を取ってさしあげることができたし、卵のいろいろやら、昨今の風潮などを会話できたのです。まったく知らない人に対しても、安全な場所だとみなされている場所では、話しかけることができたんですが、東京はダメらしい・・・。

 

これ、けっこうなストレスなんですよね。隣人に愛を、というのは、隣人から愛をもらえる、という裏返しで、どうしてこんな世の中なのか、ちと不思議になりつつあり・・・。

 

私の住んでいるマンションも、隣は大家さんの息子さん夫婦で、その向こう側が1階で中華料理やを開いている自治会の副理事長さんなので、よく話すのではありますが、いかんせん、顔を合わせる回数は少ない。エレベーターで住人に出会う時間帯に、私はあまり利用していないらしく、それほど遭遇しない・・・。しかも水曜日の朝の企業研修に出る朝はちょうど7時頃にここを出るので、調布だと首都圏までそれほどかからないので、ちょっと出社時間には早いようなのです。ほぼ無人で、商店街の通りを歩いている人たちもかなりまばら。電車もそれほど混んでいない・・・。ちょっと洋服が触れる程度が保たれるって感じ。私が行っているのは内幸町なので、神保町まで1本でそのあと3駅なのですが、都営三田線でもやっぱり触れる程度。朝の8時10分までに出社している人たちは、激減なのでしょう。フレックス採用している会社も多いし・・・。

 

そんなわけで、私は知らない人そのものに出遭うことも少ないのですが、歩いている人々に話しかけられるようなこともあまりなく、停まっているときに道を尋ねられる回数はけっこう多い。今、常勤の英語学校には週に3回しか行っていないのですが、プラス朝の企業研修で4往復しか電車には乗らないのですが、それでも週に1回くらいは知らない人に声をかけられます。けっこう多いんじゃないかと思っています。

 

隣人に愛をもらえる瞬間ではあるので、楽しんでいるのですが、もっと話しかけられないかなぁ(笑)。

 

子どもたちはなぜか私の顔が好きです。電車に乗る時間がかなり曖昧で、混雑する時間というのは、その朝だけなのですが、平日の昼や夕方などはけっこう子どもたちも利用しています。ベビーカーごと乗っている赤ちゃんや、その周辺にいるお兄ちゃんやお姉ちゃんたちには、必ずといっていいほど、じーっと見つめられたあと、ちらちら見られることになり、お母様たちがおおらかな感じだと、持っているおもちゃや本を見せてくれます(笑)。そうなると話ができるのですが、そうならない場合のほうがずっと多い・・・。アメリカでは、しょっちゅう話していたんだがなぁ・・・。街中でも同じことで、スーパーなどでお母さんから少し離れてしまって、好き勝手に商品を見ている子どもたちは、なぜか私に質問をしてくるところがかわいい(笑)。「これ、欲しい・・・」と言われると、「おかあさんに置いてかれちゃうよぉ!」とごまかすのですが(笑)。

 

なぜ子どもに話しかけられるのか?は、すぐに目線を下げるところにあるのだろうと思うのですが・・・。そして、目線があったら、上から見るのではなく、同じ目線まで体勢を下げるのですね。なぜそんなことをしちゃうのかって?わからん・・・(爆)。たぶん、私自身、触れ合いたいからなのでしょうねぇ・・・。

 

飲み屋やレストランでも同じことで、まず従業員さんには必ずといっていいほど話しかける(笑)。でないと、「ただの通りすがり」(まるで30年くらい前に流行った『異邦人』という歌の歌詞なのですが・・・)だけで済まされて、エクストラサービスがもらえない。この場合、お通しが欲しいとかそういうことではなく、情報ですね。お鮨やさんであれば、「ナニが活きがいいよ」だとか、レストランであれば「セットでこれが」などということ。気づいているようでも気づいていないことを教えていただけるのであれば、挨拶してちょっとした疑問を聞いてみるのは、とってもいいコミュニケーションだと思うのです。隣人から愛をもらうためだけにやっているのではなく、働いている人たちも働き甲斐があるというもの。私は、英語講師をする前には、ウェイトレスが天職だと思っていたのですが、ウェイトレスだった頃のドキドキ感は、どんなに忙しくても一人ひとりのお客様のニーズに応えられたとき。それには会話は不可欠でしたからねぇ・・・。超能力者ではないので、話していただいたほうがラクだったのです。

 

間違えてアンケート調査のために町に立っていたり、ティッシュを配っている人に話しかけるようなことはないので、ご安心を(笑)。それじゃ、あまりにあやしすぎる・・・(汗)。が、知らない人との会話があると、エクストラの愛で交歓できた気がして、どうもいいのですけれどもねぇ・・・。ゆとりを生むのは、こうした日々の行為から、だと思えてならぬのです。

 

昨日も学界論文の英語部位を添削する生徒さんのレッスンをしたのですが、その大学の年齢の行った先生たちは、自分のArgumentに付け加えて、「家族団欒をして過ごすと、二酸化炭素の排気量が減るばかりでなく、家族のコミュニケーションが増える」などと書いており、後半はまったく論文に関係ないことを書いてしまっていたのでした。が、気持ちは痛いほどわかる・・・。が、論文なので、それに関した資料をくっつけない限り、ダメだから・・・(苦笑)。

 

というわけで、やっぱり私はヘンなのかもしれないと意識しつつも、知らない人との会話を求めて止まない日々が続きます・・・。

ばらつきに慣れる

2008/11/01にアップした文章です。

 

どうも大人というのは、ところどころいけませんや。ヒトは習慣の動物だと言われる由縁もそのへんにあるのではないかと思われます。安定した日常を持ち、その日常からの逸脱をたまに持つ。そこで少しずつの進歩を狙っていく。が、そうなると、もう一歩への脱出がなかなか叶いません。確かに、安定した規則正しい暮らしをするのは、ナニにつけてもよいことではあります。まず健康にいい。ヒトは太陽に支配されて暮らしており、重力を受けて、太陽光線での光合成をした植物の酸素に恩恵を受け、リズムを年季・季節・月季・日季で持っています。なので、安定した日常を持つのは、確かに身体にも心にもいいことなのです。が、少しの逸脱を持たない限り、実際は成長が足りなくなるのでした。

 

私は現在、朝5時半に起きて、企業研修をしていますが、遅くても7時17分の電車を調布駅から乗れば間に合うのです。そこでふと考えるのは、通勤・通学時間が同じ時間というヒトは、おそらく毎日同じ電車に乗るのだろうな・・・と。私はたったの10週で、来週、人事部の方の聴講があり、そこでまた来期もやるかどうか決定するらしいのです。私は、1月からまた10週であれば受けてもよいなぁと思っているのです。朝早い授業は、フツーのレッスンがあまりないので(たまに、朝スカイプの申込みはあります。が、それほど多くはないのです)、けっこううれしいオファーです。しかも、コレ、週に1回だからいいけれども、週に5回だったらうんざりだろうな、と思いつつ、電車に乗っています。朝の7時台というのは、まだ空いているらしいのですね。うん、確かに押し合いへし合いというのはありません。でも、気のせいなのか、10月、少し厚着になったら混んできたような気がする・・・。これ、荷物のせいなのかしら・・・??

 

私はこれがばらついた習慣だからこそ受け容れているのですが、毎日コレでいいという人はけっこういるのかもなぁと・・・。

 

ランチなども同じで、きっと行き着けのお店が何件かあり、そこを順繰りに廻っていたり、お弁当もコンビニを替えたりしているだけなのだろうか・・・などとも思ったのです。そして、アフター5に遊ぶところも、結局、守備範囲からあまり逸脱することはないのだろう、とも。

 

最近、生徒さんを教えていて思うのが、この「習慣から抜け出すたいへんさ」です。ばらつきに慣れてもらえない。脳を活性化するためには、日常と少しズレたものを取り入れてもらい、さらにそのばらつきにバラエティ(多様・種類)を持ってもらうようにしています。頭の中でやるだけではたいへんなので、行動をちょこっとずつ替えて、そこからそれに追随する考え方を変えてもらおうと思っているのですが、身体が動くのがけっこうたいへんそうで(笑)。

 

固着してしまった習慣というのは、人生のある地点で学んだものなのですが、それをUnlearningするというのは難しいらしい・・・。ふぅ・・・。私はここを教えてさしあげることができず、私の目の前以外のところで、かなりなドラマを展開できて、それを体感したヒトこそが、英語の成績にも直に反映する、というすばらしい結果がもたらされており、「頑固」というのは、対象物によっては損なことだよなぁ・・・と思わされています。

 

まず、行動をばらつかせることそのものが、どうしても「気持ち悪い」ということ。普段やっていることは、「考えないでも行動できる」のだけれども、私が要求した「変化させる行動」は、「一旦立ち止まって考えてみないとできない」というわけです(笑)。そのために、生活の中のヴィジュアルに訴えてくる、ポストイット作戦や、カレンダー作戦などを伝授しているのですが、それを作るにも鉄が熱いうちにやったのとそうでないのとは、違いが出てくるようで・・・。

 

私は上記のように、通勤を長期的に習慣としてしたことがないのですが(常勤の学校ですら、ばらつきがあり、いつも電車案内をネットで確認してから出かける日々)、それこそが時間の使い道の宝庫のような気がしていてならず・・・。私の場合、10時にレッスンが終わり、帰り道の都営新宿線に乗り換えた段階で、かなり座れる確率が高くなっています(神保町から)。不覚にも前日が5時間睡眠なことが多いので、安眠してしまい、調布で飛び降りる、ということが、ここ3回ほど続いています(笑)。ああ、普段だったら寝ない私がなぜに?と思ってみられる、答えのあるばらつき行動です(笑)。私は高校生の頃から、同じ電車にはあまり乗らないようにしていたことを思い出す(笑)。

 

刑事は、同じ行動をしていてはいかんのだそうです。恨みつらみを買いやすいので、家に帰るときにもいくつかの道を確保しておいたほうがよいようです。まぁ、フツーの警察官ならば、ましてや素人ならまだしも、スパイの香りがする公安などに所属していれば、それはアリなのかもしれません。彼らの脳はかなり細かく動いているのだろうな、と思います。

 

行動修正をすることにより、考え方・認知を変えていくというのを、私はかなり強く信じており、すべての場合に有効だとは言わずとも、かなりに応用できるので、自分でも採用して、生徒さんにもできる形で紹介しています。私はいかんせん、ズボラで面倒くさがりなので、安全な場所においての行動には、ふざけたばらつきを自分で持ちこむようにしており、安全ではない場所においての行動は、誰にも読み取られないようにしているようなところもあります←誰かに追われたりしているわけじゃないんだけども、なんだか知らない人と口を利く間柄でもないのに、いつも会うというのは、あんまり得意ではないですね。最近は携帯があるので、すぐに捕まってしまいますが(笑)。今にGPSをつけられてしまうのではないかと心配ではあります・・・(汗)。

 

頭の中で、南の島に行ったり、北極を犬ぞりで走ったりすることができるようになればシメタもので、行動を伴わなくてもいい段階になるのですが、そこまで行くには、ある程度のばらつき行動を「気持ち悪い感」がなくできるようになるのは、けっこう大切です。もちろん、コレは「よい習慣があってすばらしいこと」を前提にしており、その習慣のよしあしのチェックにもなるので、やってみる価値ありなんですね。

 

私の生徒さんの中には、左脳ばかりを使っていた意識があり、利き手ではない左手で歯磨きをするようにした人がいます。そうしたら、自然と(もちろんPlacebo Effect:プラシボ効果が効いていることも大いにあり)、チャート化や映像化が進んだ、という例もあります。そこまでせずとも、習慣を崩すために、調味料や化粧品の場所を換えてみた、という方もいて、その新鮮なオドロキを報告してくれて、脳の可能性を実感したという方もいます。なぜに、英語を教わりにきてこのようなことを学んでいるのか?という苦情は、未だ一度も出たことがなく、これができて、「知らない単語を抜かしても気にならなくなった」といういい結果をもたらしています。知らない単語があると、英語はできない、と思い込んでいることをUnlearningしてもらうだけでも、このくらいたいへんなのでした。その思い込みはたいへんに危険で、英語を短い時間でマスターしていくのに邪魔です。日本語で知らない単語にぶち当たっても、すべてを調べているわけでもなかろうに・・・と言うと納得してくれるのですが、なかなか行動には移せないし、ましてや認知をがらっと変えることもできないのでした。

 

このばらつき行動に慣れることは、自分を新たに知る旅に出ることになるので、お手軽でお金がさしてかからないよい旅です。母には、花まるマーケットとみのもんたの番組を半減して見ることを最初にやってもらい、今は、ほぼナシでも生きていけるようになっています←誰でも人体実験かよと怒られそうですが・・・(爆)。ちょっとした行動を変えることで、世界はちょっと違うセットに見えてくる。コレ、かなり楽しいですよ。

 

 

見ていなければいけないのは、目の前にあること?先のこと?

うーむ、ひとつ抜けています。過去のことも入れ込んでもらいたいですね。(^^; 私個人の体験では、

 

1.目の前にある今のこと

2.先のこと

3.過去のこと

 

で完成します。

 

目の前にあることをいかにしっかり見ていないのか?は、小さい頃に「観察日記」をつけたことがある人なら経験したことがあるかと思います(笑)。障壁はいくつかあります。

 

1.Self-serving bias:any cognitive or perceptual process that is distorted by the need to maintain and enhance self-esteem, or the tendency to perceive oneself in an overly favorable manner. 自己肯定感を保ち、増やしたいという内的傾向、あるいは自己に有利になるような物事を見たり、聴いたり、採り入れる傾向。

 

人には完全体というのがありませんので、心理的発達が未熟な場合、これを多く使うことになります。うまく行かないことについて、他者のせいにしたり、無視したり、なかったことにしたり、あることすら認めず、自分に都合のいいように解釈するわけです。それは、自己の外側にある世界すべてに適応されるので、目の前にあることを「すべて」見ることはなかなかできないわけです。

 

もちろん、すべて見る必要もないかもしれませんが、ここで、「大切なこと」を落してしまっているかもしれない、という可能性は否定できません。

 

2.インプットスキル

ヒトはまず五感で物事を入れ、その後、感情で処理し、そのあと初めて言語や数式などを使って、複雑なものを解析しようとします。前頭葉までインプットしたものが届くかどうか?は、個体差があるので、ここでもどの程度拾えるか?が問題になります。

 

3.解析スキル

たとえ、目の前のことを自分なりに把握したとしても、それについてどうしたらいいのか?を考えることができるかどうかは、またまたさらなるハードルです。最善・最良の選択ができるかどうか?いつも問われているわけです。

 

見るだけでは済まない、というのが悲しい現実なのでした・・・。(・・;)

 

さらに、先のことの理解ですが、この時間軸が長くなればなるほど、複雑なことになってきますし、思いもよらない原因や関連性が見つかるので、じっくりと腰を据えて考えられるときは、かなり有効です。

 

ヒトは大脳皮質が進化してうんと増えたので、「先を予測するのが大好き」という結果となりました。他の動物ではこの先読み能力は、至って短いと言われていて、過去についても同様です。ゆえに、自分という個体の時間の有限性もしっかりはっきりわかっているのは、成熟したヒトだけ、と今のところは考えられています→いつか死ぬということが理解できる。

 

しかも、時間軸の目盛りが細分類化して考えられるかどうか?というのも、かなりな問題です。たとえ、1年先のことを考えられるとしても、目盛りが1年ごとである場合もあれば、四半期で分ける場合もあれば、1か月や1週間で分ける場合もあります。さらに、その段階からもう一段下げたところに、数週間・数日・朝昼晩・時間など、細分類できるかどうかで、またモノの観方は変わります。

 

時の流れだけはどんな人にも平等です。だからこそ、どのように過ごすか、使うか、で結果は大きく変わってきます。細分類化したものを見て、大きな流れを俯瞰して見られるかどうか?で、目の前のことを見たほうがいいのか、先のことを見たほうがいいのか、さらに過去のデータを入れ込めるのかどうか、とても高次的な考えにまで昇華できるかどうか、個体によって変わってくるのです。

 

しかも、ヒトは文字を得て、膨大な資料を累積してきました。それらの中には、ナマミの身体ではとても会えないような人々の考え、その人たちが生活してきた基盤・文化・宗教・政治・問題などが包括され、詰めに詰まっています。それらを使えるようになるかどうか?を考えると、このひとりの人生は、大いなる冒険です。

 

何を見なければいけないのか?は、自分が決めることではありますが、ひとつ大切なのは、「距離感」ですよね。

 

距離感:・対象物までどれくらいの距離かを正しく把握する感覚・他人に対して、心の差や距離があると思う気持ち。 「距離感」は物理的な距離を表す場合にも、精神的な距離を表す場合にも使う。

 

この物理的な距離感よりも、むしろ、心的距離感がいかに近く感じられるか?で、物事への対処は決まりますし、観方も劇的に変わります。

 

ゆえに、この2択、個人差がある、とか、その内容にもよる、としか答えようがないですね。(・・;)



大麻について考えてみる

2008/10/31 にアップした文章です。

 

相撲界では、大麻疑惑が取り沙汰されてから、もう数ヶ月が経ちました。さらに、芸能人の子どもたちの世代の大麻や薬物中毒が取り沙汰され、気づくと日本の町にもしっかりと薬物のディーラーや売人がいて、それでも「一部の人のこと」と思っている日常を送っている方々が多いので、そこは安心です。が、どうせならば、もう少し一度は自分に引き寄せてみて、それから「私はやらない」という選択肢を選ぶのがいいことだろうと思うのです。でないと、「薬物依存」になってしまった人が廻りにいたり、大切な人のその大切な人が薬物依存になったときに、力になってさしあげることもできないと思うのです。しかも、同じ薬物でも、タバコやアルコールはフツーに氾濫しており、使用者も多く、他の薬物とはどう違うのか?を理解しながら使用している人というのは、イッタイどのくらいの割合なのだろうか?と疑問にも思える・・・。

 

私は何度も書いたように、アル中です(笑)。しかも喫煙歴も長いです。この2つはどうしても止められておらず、最近やっとタバコは止めようかな、と思い始めてきており、1月1日を虎視眈々と狙っているところです(笑)。私は、はっきりとタバコをやめる決意をしたことが、これまでただの一度もなく、コップの水で喩えると、30代まではゼロ。30代前半で少しまずいと思い始め3割前後。30代後半で5割前後。40代前半で7割前後。今、45歳になって、8割5分くらいになっており、もうすぐ9割5分なので、それが止め時だろうな、と思っているのです。なんて、長い言い訳なんだか・・・(汗)。40歳になるまでは、きつめの運動をしたときのみ、タバコの弊害を感じており、シャワーは外出前、他人様が迷惑な場合は我慢、といろいろと調整をしてきたのですが、それで何とかなってきていた・・・。あの喫煙の締め付けの強いUSでも、自宅であれば吸えたので、キャンパスで喫煙することなく、私はやり過ごせていたのですね・・・。が、日本に戻って思うのは、寄る年波もあるのですが、運動量が絶対的に減ってしまったので、私の健康は喫煙をやめることでしか加速を緩やかにできないかも・・・と、思い始めたことにあります。ええ、テニスコートも有料だし、格安のアダルトスクールがあるわけでもないし、スキーは前々から計画しないといけなくてUSの3倍くらいは費用がかかり時間もかかるし・・・。で、Walkingをしようと思ったら、町は車だらけで怖いし(爆)。で、やっぱりプールに通うゆとりができたら、それに伴った節煙をし、その後禁煙をするしかないな、と、最近、パッチでやめることができた人の余ったパッチをいただきました(笑)。まだ一度もつけていませんが・・・。

 

アルコール中毒になったのは、二十歳前です(笑)。すでに書きましたが、躁鬱病のせいで、「我を忘れる時間」を増やすためにどうしても必要だったと、若い私は思っていたのです。アルコール依存症は、一度その領域を超えてしまうと、もうちゃらになることはなく、たとえ飲まない日が3年続こうとも、やはり依存症ではあります。12Stepsなども考えましたが、私は躁鬱病持ちなので、ゼロにすることはとてもできない・・・。なので、産業カウンセラーのクラスメイトには驚かれてしまいましたが、「外で社交的に飲む場合にのみ飲酒」と決めています。家で母がビールを出してきて、飲むことが多かった夏の日々に反省し、今では家でビールを飲むことは、ほぼありません。母がどうしてもつきあってもらいたいときには買ってあるので、1本くらいで止めることができます。すごーい!

 

大麻や覚せい剤などは、アルコールやタバコよりもずっと害の大きいものなので、法令で禁止されているのですが、大麻は実はそうでもない、と主張する人も多いです。

 

薬物依存症についての相対的な見方

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E7%89%A9%E4%B8%AD%E6%AF%92 

薬物の種類>http://www.ask.or.jp/yakubutsusort.html とはいえ、この表はとても見づらいし、解釈しづらい(笑)。

薬物依存の度合いについて>http://www.sapporo-ohta.or.jp/ohta/D/D-1.htm 

 

薬物でなくとも、性嗜好が異常な範疇なのに止められないだとか(児童嗜好や自分や他人を傷つけるなど)、買い物をしすぎて経済的に破綻してしまうとか、ギャンブルだとか、まぁ、いろいろあります。ヒトはやはり弱いので、ある宗派の僧侶のようにすべてを我慢し、枯渇したところで、悟りを開くなどということができるヒトは圧倒的に少ないです。ひとつやふたつの依存性を持つものをもっていたとして、その限度を知っていれば、特に問題はないのですが、社会的にNGだったり、法律的にNGだったりする境界線を越えてしまうことがままあるので、これが薬物依存においても、問題の焦点です。

 

私の母なども、経済的破綻まではいかずとも、私としてはどうしてああも買い物が好きなのだろう?と思ってしまいます。彼女の場合は、洋服はこのところ控えていられるようになったのですが、消耗品においては愛も変わらずです。我が家の乾物は「どうして二人暮らしなのにこんなにたくさんあるんだろうか・・・」と思えるほどの量です。私が在米していたときには、母に乾物の買い物をお願いしてよかったな、と逆に思いますが・・・(笑)。とはいえ、賞味期限だけをチェックしておけば、これに関しての弊害はさほどなく、「場所を取る」ということだけで、それよりもむしろ「眺めてうれしい」という母の気持ちのほうが大切でしょう(笑)。損ではないですからね、最終的に食べますから。洋服のときには、身体がひとつしかないのに、どうしてこんなにたくさん・・・と呆れたものでした。

 

大麻については、それほどの後遺症もなく、副作用もないとする人がたくさんいるようですが、私はそれは個人的な見解なので、尊重します。私は大麻であってもやりませんね。あの高揚感が、「他のことはすべてどうでもいいや」だとか、「もうしばらくこれをやろう」などということに、私の場合はなりかねないからです。依存しやすいやつなので(人には依存しないで済むのですが、ひとりでやるアクティビティにはどうも依存しがちなところがあり・・・。読書のように弊害が視力の低下や経済的負担であればいいのですが)、依存弊害が自分にとって多いものには手を出さない。

 

しかも、私が自分の脳内ケミカル分泌をMRIで日常的に見られるわけでもないので、やはり躁鬱病もちの私としては、これ以上の負荷・負担は要らないのです。しかも、ゾンビ状態になってしまうような、脳のしわすらなくなってしまうような(これ、たとえですから・・・。回数や量によっては、脳細胞が機能不全になったり、破壊されてしまうほどの薬物は実際にあり、私は自分の脳に賭けているので、到底そんなことはできず・・・←たぶんみんなそうだと思うのだけれども、この事実を知らないで、一時的自暴自棄で走ることはあるかもしれず・・・。

 

角界だけではなく、人々は「逃げ出したいこと」と常に面と向かっていかねばならぬのだなぁ、と、なんだかつくづく考えてしまいました。私の逃げ出したいことは、「起きていて覚醒しすぎてスピードが緩められないこと」なので、寝ればいいわけです(笑)。今日も見事に8時間ほど寝ましたが、調子はいいです。でも、もっと眠れるかもしれないくらい(笑)。逃げ出したいと、ずっと悶々としているよりは、「ケツまくって逃げます」と逃げてしまえばいっそラクなのでしょう。でも、どうしてかプライドが邪魔しているのか、逃げられない事情だらけなのか、逃げられないで、薬物その他に依存することになります。

 

なお、校長センセのアルコール依存については、校長センセご本人がよく把握されているので、私には何の意見もございません(笑)。

 

 

英語を聴ける耳を作るには、どうしたらいい?

まずは「英語」と限定しないことです。自分の耳そのものがどの程度退化しているのか、進化の芽を摘み取って暮らしているか、を意識したほうが有効です。

 

例を挙げると、6SLDK の家に住んでいるのに、実際は2LDKしか使っていない、という人はかなりたくさん実在します。裏庭もカーポートもボーボーで放置、といった感じで、せっかく耳があるのに、目ばかり使っている、などという現象は現代社会ではありがちです。

 

自分の身体をくまなく知ることにより、たくさんの生活面での利益がありますし、英語だけではなく、日本語のコミュニケーションがよりよく取れるようになるので、まずはここから手をつけることです。

 

なぜ、英語、英語、英語と唱えてしまうのか、そもそもどこがスタート地点なのか、をよくよく考えていただきたいのです。

 

ヒトは、得る情報の8割を目から入れているのが平均値です。それをわずか1割か2割、減らしてみるという目標によって、英語を聴ける耳ができるとしたら??やったほうがいいですよー。

 

Readingが遅いから悩んでいる、助けてほしい、という相談があったのですが、びっくりすることにその方は、日本語の「起承転結」という概念を知りませんでしたし(いくばくかは自然にやっていたとは思いますが、効用があるほどではなかった)、日本語を読むことそのものもけっこう億劫で、いちいち脳内で音読するだけではなく、気づくと声に出して音読してしまっていました。日本語での包括理解が低いのですから、それが他言語になった場合、そのキャパを超えることはありません。そうした意味では、日本語をまず洗練させる必要性は高いです。

 

耳も同じこと。

 

英語の早期教育が定着しつつあり、小学校から英語の授業が開始されていますが、本当にいいことだとは私個人は考えていません。英語が本当に聴けるようになる素直さは、確かに乳幼児期のほうがありますが、咀嚼し、オートマチックに聴くほどの量は聴いてはいませんし、教育現場ではその量を増やすことにばかり気が行っているため、定着するほどの脳のクセを変形するほどには導けていないのが現状です。むしろ、日本語での生活音をどの程度聴けているのか?に注目すれば、量はさほど多くなくともいいかもしれないのに、と、いつも残念に感じています。

 

大人の英語学習者にも同じことが言えます。

 

ひたすら英語検定試験の過去問題を聴いたり、まったくの赤の他人のカンバセーションを繰り返し、あらゆる種類を聴いたり、ドラマを無作為、あるいは好き嫌いで聴いたり、日本語訳がついたもので強化するなどとほざいている教材を選んだり、と、かなり間違ったことをしているのに、そもそもの「耳の能力」を鑑みることはしないのは、英語教育現場の態度として間違っている、と申し上げたいです。

 

鳥の声・水音・人の声から感情がわかる・足音・風の音・ドアを閉める音・車の音・火加減で生じる音・風音・音楽・タイプ音、車の排気音・電車の音・擦れるさまざまな音、などなど、生活の中には音がたくさん詰まっています。

 

事実として怖いのは、耳を発達させてこなかった人は、救急車・パトカー・消防車の警音が、確信を持って区別することができないです。「あれ?これ、どれだったっけ?」くらいにしか浸透はしていないのです。

 

かちこちに固くなったスポンジに水を浸透させようとしても、なかなか吸い込んでくれない現象のように、そもそもの耳のキャパが開いていない場合、英語を入れてもなかなか聴けるようにはなりません。

 

さらに、「耳がいい・悪い」の二択のような判断の仕方では、到底英語の音をすべて拾えるようにはなりにくいです。

 

Precious One English Schoolでは、こんなことから開始し、聴覚を科学し、実際に日本語の耳のキャパを増やしたあと、じっくりと英語の聴き方をお教えしています。だから成功者が多いわけです。自然と聴けるようになっててびっくり!という生徒さんの声を、ちゃんとアップしないとな、と思ったので、早速生徒さんに記事依頼しましょう(^^♪

 

著作権に関わるビジネス

2008/10/30にアップした文章です。

 

フツーの人は天文学的数字についてはあまり考えないのかもしれない・・・。でも、私はついつい考えてしまうのであった・・・。コピービジネスのすごいところは、その著作権が死後50年も続くことで、やっぱり作家などの表現するビジネスというのは、古典になるほどすごい才能には、それなりの評価があるわけです。その典型的な例がプレスリーで(Elvis Presley)で、彼は死後も毎年毎年ものすごい売り上げで、他を圧倒しているのでした。彼が亡くなったときには、私はまだ中学2年生で、部活の合宿に参加しており、白樺を見てキャンプファイヤーをしたあと、駅の新聞で知ったのですが、かなりびっくりしました。私にとってはそれほど大きい存在ではなかったにしろ、人々のリアクションが大きかったので、びっくりした、というところです。著作権に関わるビジネスについて考えると、かなりキリがないです。

 

プレスリーが死後も、儲けているとのニュース。今年は、没後30年だったので、記念で50億も稼いだのだとか・・・。普段でも20億以上は稼いでいるので、特に驚かなかった私なのである。

 

プレスリーのサイト

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC>日本語版

http://www.elvis.com/>エルビスオフィシャルサイト

 

Lisa Marie Presleyも、16歳でPresleyに見初められたPriscillaについても、日本に住んでいるとそのすごさというのがあまりわからないのでしょうが、http://en.wikipedia.org/wiki/Priscilla_Presley (すごいんだよなぁ、この人)このエルビスエンタープライズを開始したのが彼女で、今でもこの50億のうちのいくばくかの%が彼女と、その娘に行っているわけなのです。彼女たちには経済的憂いなどはカケラもないのでしょう>どこに寄付するか、だとか、どこに投資して損した、などということはあるかもしれないけれども。なので、Michael JacksonはElvisの娘と結婚する必要があり、フツーにアメリカに住んでいる人たちはとても冷めた目であれを見ており、「音楽界の政略結婚」とみなしていたのですが、やっぱりすぐに壊れたし・・・(汗)。噂好きの人々によると、彼らは一度も性的交渉がなかった、とも言われているのだった・・・。私は、この高校を中退してしまったプリシラという女性には、ものすごいたくましさを感じており、天下のプレスリーと別れることができたことに対しても、女性としての成長の軌跡を見てきたので、日本語でも彼女に関する著書があれば、ぜひ読んでもらいたいなどと思うのです。

 

ここで2位になっているのが、スヌーピーの生みの親、Charles Schultzなのですが、私の最初に通った英語学校から、彼の住んでいた町はわずか車で15分。今は記念館があります。そうか、33億かぁ・・・。すごいなぁ。日本がアニメで世界制覇している感がありますが、やはりこの数字はすごい。

 

http://www.snoopy.com/ >英語の勉強にもなるので、好きな方にはコレいいかも。

http://www.schulzmuseum.org/ >Santa Rosaにある記念館のオフィシャルサイト。

 

3位は私が惜しみに惜しんだHealth Ledgerだったのですが、死んでしまったばかりなので、上位ランキングだったのだろうと思います。ここにもあるようにBatmanの売り上げがよかったことや、急逝したことでDVDなども売れたのでしょうね。まだ生命保険も支払われていないので(このニュースは英語サイトを見ないとなかなかわからないのかもしれず・・・)その10億も入っていないしね・・・。娘さんに残したのですが、サインをしてから1年経っていなかったので、事故なのか自殺なのか?と裁判になってしまったのでした。

 

さらに、私は日本に居なかったので知らなかったのですが、「貧乏父さん、金持ち父さん」という日本語タイトルで、Robert Kiyosakiが日本上陸していたのですねぇ・・・。オフィシャルサイトがあったり著作が出ていたり(この訳者にも著作権が入るんだよねぇ・・・)、

http://www.amazon.co.jp/%E9%87%91%E6%8C%81%E3%81%A1%E7%88%B6%E3%81%95%E3%82%93%E8%B2%A7%E4%B9%8F%E7%88%B6%E3%81%95%E3%82%93-%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%82%AD%E3%83%A8%E3%82%B5%E3%82%AD/dp/4480863303 と、やっぱり著作権ビジネスはすごいのだ。

 

校長センセも著書がいくつかおありになり、その印税についてお尋ねしたことはないものの、いくばくかは入ったに違いなく(笑)。私もテキストは自作しており、もっとまとまった形にせねば、と思っているのですが、特に才能がこれらの人々のようにあるわけではないので、「押さえておく」程度でいいと思っています。お小遣い程度だったらわかるけれども、こうした展開をする人々の才能ってイッタイどれくらいなのだ?と、びっくりする一般大衆です(笑)。

 

私が著作権に関してイチバン心配しているのは、授業に使うテキストの数々で、自習を薦めているので、それに使う教材を私がコピーしてはいけないのか?ということ。まぁ、テキスト代金を取っていないので、セーフという解釈が成り立っており、今のところは法律には払拭しておらず、自宅レッスンでの規模は本当に小さいので、罰金を取られても数百円程度なのですが、英語学校を駅前に出したときには、自前のテキストとTOEFL・TOEIC・英検用の公式テキストをどのように扱うか?というのは頭が痛いです。コピーせずに、ひとりひとりの生徒さんに買っていただくとなると、どういうシステムにしたらいいのかなぁ・・・と。今は、私はノータッチで、ひとりひとりに買っていただいているのですが、まとめて買えば安くなるのであれば、窓口にしたほうがいいだろうし・・・。ちょっと調べなければ・・・。

 

私が著作権ビジネス狙いをできる可能性は、この頭の中に多少はあるのですが、それよりもきっとまとまったお金があれば、アメリカの不動産のほうがおそらく投資としては機能すると思うので、いつもかなり大雑把にしか考えておらず、机の上に文字として出ていない状態です。しかも、大した才能でもないので、死後のことなど心配するようなスパンでもなく・・・(苦笑)。

 

私の生徒さんには、弁理士さんがいます。彼は他人の著作権を申請するために日夜がんばり、それを一生懸命守っているのですが、いいビジネスだなぁと思いますね。が、アジア人には著作権の概念があまり浸透しておらず、ひどいのは中国圏のパクリ(笑)。アジアで本当に著作権ビジネスが展開したら、やっと国際社会も整うのだろうな、と思っている朝です。

 

うーん、今日のエッセイの中で、読者の方に本当にためになる部分というのは、プリシラ・プレスリーだろうな・・・と思いつつ、アップします♪

 

 

日常は無事に過ぎてゆく

2008/10/28にアップした文章です。



うれしい悲鳴なのですが、ここのところスケジュールが詰まっており、忙しい。ブログを書くのが後手に回り、当日の朝に書くことになっていて、朝5時半起きの水曜日などはとても厳しいです。少ないはずだ、と思っていた日中のレッスンも入っており(英語講師の仕事のメイン時間帯はやはり午後6時過ぎから10時くらいまで)、コマとコマのあいだに食事をしたり、シャワーを浴びたり、書類を作成したり、添削をしたり、とけっこうやることはたくさんあります。さらに、時間を捻出しては、友だちと会ったり、打ち合わせをしたり、と、まぁ、びっくりするほど忙しい・・・。うーむ、これが独立のヨロコビなのか?(笑)ブログを更新するときの画面には、否が応でも日付があり、気づくともう10月もおしまいになりそうです。時間が経つのはとても早く、小さい頃、夏休みや冬休みが待ち遠しかった頃が嘘のようです。坂道を転がるように時間は過ぎていく・・・。が、事件があるのは、気にしてはいるんですよ・・・。

 

生徒さんに逢っていると、確実に進歩しているのを見ることができるので、その時間もまた、ある人々にとっては「熟成期間」になっているのだ、と気づけると、時間が経つのがとても短く感じます。その一方、世の中の流れに対して、ほぼ無関心に近い状態になっている自分に、少し驚きの無責任さを感じています。ざらっとニュースを読む時間は取るようにしているのですが、TVがついていたりすると、まるで犯罪はどんどん増えているかのように報道されており、実際は、2007年は戦後最低だったのにな、と思わされます。みんなに余暇ができて、他者と話すよりは、TVやネットに惑わされていくのでしょう。どんなに冷静であっても、増えている感があるのは、自分が個人として接している媒体との関係とその時間(量)の問題なのでしょう。逆に、こんなに平和ボケしている国はない、という危機感が減ることになり、これって悪循環じゃないのかなぁとも思えます。

 

それぞれが細かい懸念を持っていけるような、全般的に安全な国になっているということに関しての感謝は必要でしょう。それでも、ヒトは何かに不満を持ち、よりよい環境を求めていくという、生物的宿命を背負っていることにも気づけたほうがいいわけですし。

 

とまぁ、こんなふうに反省をしているわけですよ。でないと、すべてが他人事になっていくわけで・・・。

 

私の日々がこうして無事に過ぎてゆくのは、どうしてなのか?と考えると、やはりまず感謝したほうがいいのは、廻りからなので、生れ落ちたときに両親にぶっちぎられなかったこと。赤ちゃんポストの話に、賛成反対をいろいろな人が好きに意見を出していることはいいことですが、本当に捨てられた子どもの未来について考えるのであれば、もし捨てられずに放置で生命がなくなってしまうことを考えることがあれば、私はやはり賛成なのです。無責任に捨てる親が増える!と騒いでいた方々は、赤ちゃんポストの状況を、今も追っかけて見ているのかなぁ・・・と。

ある記事では、件数を多いとしている人がいるのですが、私はそうは思わない。実際に、誰にも言えず子どもを産んで遺体をずっと隠し持っていた女性が逮捕される事件というのは、未だに聞かれることです。本当に簡単に捨てたかどうかなど、当事者の聴取をしてみなければわかるはずなどはなく、他人に自分のスタンダードを押し付けるのはいかがなものかと・・・。

 

とにかく生きてさえいれば、続いていく。これはとても大切なことだと思うのです。私も何とかなりましたし・・・。

 

日曜日には、過去問題をもらうために、産業カウンセラー講座のクラスメイトふたりと会ったのですが、しかも「異文化学習」と称して、その場にその日の生徒さんを連れていく、という荒業も披露したのですが、当人はかなり歓んでおり、「また誘ってください」とエンジョイした模様。育ってきた過程が違うと、これだけいろいろなことが違うのだな、というメンツだったのですが、それでも産業カウンセラーという資格に魅かれて集うことになったので、なんだか感慨深いものがあり、1月25日の試験のために、本当に支えあっていこうね♪という確認が取れたことも、日々の力になります。

 

私はそのときに、小さい頃の誕生日パーティーの記憶というのを話したのですが、他の人たちは年代も違うし、地域も違うので、またもや違う思い出を持っていたのです。それを擦り合わせるだけでも、なんだかとても意義があった・・・。私は小金持ち地域の中の貧乏人だったので、お友だちの誕生日パーティーに招かれるのがとてもイヤだったのです。プレゼントを持っていくお小遣いを捻出したり(まぁ、あの時点では母にねだるしかないし・・・)、自分が持参したプレゼント以上のお返しを持たされたり、すごいご馳走を振舞われたりすることが、とてもとてもイヤだった、などという気持ちを話して、なんだかしんみりしてしまい、あんなことを体験したことが、今の私を作っているのだなぁと確認してしまったのでした。お友だちのお母様たちに悪気はなかったものの、あのコントラストを生み出すイベントは苦痛だったなぁ。

 

私には習い事や送り迎えなどという贅沢は赦されなかったので(合気道は格安だったので習えたし、習字も何年か通えたのは毎月500円だったから、というボランティアな先生が見つかったせいなのですが)、その習い事に行くお友だちを見送るのもかなり切なかったのだ、などと、ついでに思い出してしまい、今の英語レッスンの、私の料金の高さ(いや、大手英語学校の半額ほどなので、それほど高いわけじゃないのだけれども、しかも意図的に延長させない上に、結果は出すのでそれほど高いわけじゃないのだけれども・・・)も考えてしまい、この日常の忙しさに対しては、ものすごい感謝をどさっと全身に乗せられたような気持ちでいっぱいになりました。

 

無事に過ぎてゆく日々を持てるって、なんてステキなのだろう・・・、と思わずにいられないところです。まぁ、忙しくて自分を責めるというのはやってしまうのですが、その塩梅を体得すれば、あとは不可のない状態だなぁと。さらにやりたいことはたくさんありますが、今のままでは無理だろう(笑)。これに慣れてこなせるようになり、筆記試験が終わったり、事務処理のシステムが完全に作れたりしたあと、ちゃんとがんばります。

 

ブログが後回しになってしまうのは、やはりInputよりもOutputの作業のほうが手間がかかるせいなのでしょう。自分の頭の中にあるものを、整理したあとでないと、なかなかOutputが短い時間でできないので、今はちゃんと整理でききっているのか、自信がないので、後回しにしてしまうんでしょうねぇ。大相撲の八百長裁判だとか、いろいろ感じたり考えたりはしているのですが、文書化するほどにまとまっていないのです。うーん、これが他人事のはじまりなんだろうなぁ・・・。

 

とはいえ、明日は企業講師の仕事が終わったら、ちゃんと戻って来て書きますので。しばらく続けて書かないと信用してもらえないか(笑)。

 

 

サボり癖

2008/10/25にアップした文章です。



PCの調子が悪く、たいへん不機嫌になったあと、身体の調子も悪いと思いこみ、不貞寝をしていました。原因は、私の予想では、いつもなら即刻削除するメールを興味本位で開いたことで、「警告」が出るようになったからなのですが、24時間経ったらケロッと治っているのです。どうしてなのだろう、コレ。Configurationが一度や二度の電源のオンオフでは変わらず、何かの拍子で操作したものが効いた、ということなのか?とにかく、ものすごいイライラしてしまい、ポップアップが何度も何度も出てくる。でも、そのメール自体はポルノ系ではなく、PCのソフトウェアの案内メールで、クリックしたのは、そのHPが開くところまで。そのHP自体はどこも触れておらず、ただ閲覧したのみ。どうしちゃったのか・・・。もー、インターネットが安心してできないと、まずいったらありゃしません。このテクノロジーに支配されて生きていくのもみじめなので、ちょっと諦めていました。今朝開けてみたら、けっこう大丈夫なので、何だったのだろう?と。

 

あ、とふと思えば、最近動画のサイトに行っているので、それからもらったのかもしれず・・・。怪しくないとされている動画サイトしか行かないし、見ているものは時代劇とドラマ「相棒」のシリーズの大昔のやつなのですが、危ないのかなぁ・・・。セキュリティソフトの強化をしても、いたちごっこだから、と思いつつ、またもやソフト関連のサイトを調べるから、余計に原因がピンポイントできず(笑)。

 

そして、すっかりサボってしまった感がある私は、身体の具合まで悪い気がしてきてしまい、咳が出ているのでどうしてなのか?と考えていると、喫煙の量が増えていたことを、タバコの吸殻を見て思ったのであった・・・。さらに、季節の変わり目なので、椎間板が2枚ない腰が痛み、お風呂に長いあいだ入ってしまい、刻々と時は流れ、レッスンは2個しかなかったのですが、2日弱呆けました。

 

このサボり癖を習慣化してしまうとまずいのです。が、レッスンが入っている限りは大丈夫なので、「まぁ、いいや」と、昨日はイラつきも手伝い、かなりサボっていたのです。一度サボってしまうと、「かなりいろいろなことがどうでもよくなる感」があり、まずいなぁと昨日は実感していました。気づくと夕方になっていたときには、「おいおい、昼寝もしていないのにすごいサボっていたじゃないか・・・」と。そしてレッスンを終了したあと、ごはんを食べてから、「よっしゃ!やるぞ!」という気負いがあったにも拘らず、どうでもよくなっていた・・・と、なし崩し的ムードは変わらず、行動に映せなかった・・・。

 

こうしたことって、やっぱり私の天性の弱さから来るんだろうなぁ・・・。だから私の場合は、己を知っているがゆえに、「規律」を自分に課してきて、自分だけではダメなので、弱い心を律するために「外からの圧迫」としてのスケジューリングや、有言実行を課してきたのです。でも、いつの間にか引きこもりが1ヶ月・3ヶ月・半年になるなし崩しのメカニズムは、昨日と一昨日で理解できた気がします。いくらぼーっとしているとはいえども、けっこういろいろな感情や考えが心に浮かんでは消えていくわけですよ。それを第三者的に観察していると、商売に使えるので、なんとなく私も続けてしまった、という言い訳すらできそうです(汗)。

 

自宅レッスンを進めていて思うのは;やはりイチバン難しいのは、「勉強の定着」ということ。日常生活のちょっとした行動を変更してもらったり、机に座る時間をさりげなく作ってもらってそれを維持してもらうことなのですが、中学生や高校生や現役大学生の生徒さんは、それをさして苦とは思っていないのです。が、会社で何時間も残業できる社会人の生徒さんは、改めてテキストを広げて勉強する体制を整えることそのものが、かなり苦痛らしく、そのために私に大枚を払ったり、アポを取って「外的強制力」としてくれているわけです。

 

軸としては、時間の使い方やThings to doの教材などの難易度やら順番など、いろいろなことが言えるのですが、まずは「心持」ということ。その心持に大切なのは、体調だったり、そもそものムードだったりすると思えるのですね。ムード:心の全体的なご機嫌。

 

私がなぜこの時期にサボってしまったのか?と、私事を例に出すと、辞表を出して、かなりサバサバした気持ちになったあと、産業カウンセラー講座も終えてしまい、かなり呆けたほっとした、一区切りついた感があったのです。そこで、「ご褒美」と題してどこかに一気に出かけてしまえばよかったのですが、引き受けているレッスンが1日1個は最低あるわけで、どこかに出かけるわけには行かず・・・。人間というのは業の深いもので、とてもうれしい気持ちでいたことは確かなのに、残務がある常勤講師をしている学校に対しての不満が完全に帳消しになるわけでもなく、ムードとしてはかなり微妙(笑)。辞めると宣言したことで、自宅レッスンも思ったよりは順調に予約が入っており、不満はカケラもなく、かと言って悲鳴を上げるほど大成功といったわけでもなく、かなり中途半端ではあります。いや、たぶん、成功なのだからありがたく思えばいいのだろうけれども、その成功がさらに常勤していた学校とのコントラストを生み出す、という悪循環でもあるのかもしれない・・・。

 

私が生徒さんに「1週間に1回のレッスンで充分だよ」と言うのは、長く続けてもらいたいからではなく、1週間のうちに起こるさまざまな出来事の中で、調整しつつもノルマにしたものをこなしてもらいたく、そのこなしの効率がよいことを望んでおり、そこにはさらに自分を嫌いにならないままでいられるほどのゆとりやサボりも入れてもらいたいからなのです。1人を抜かして、みな毎週1回なのですが、その人たちには習慣として英語脳を作るコツを教えているので、その英語脳成果次第で、勉強の定着次第で、ここに通うレッスンは終えられるということは伝えてあります。日本人には、「べき論」を心の根底に持っている人があまりに多く、この「べき論」の数々が本当に自分の心から生じたものなのか、他人に教わったものなのか、その論理性はどこにあるのか?をネゴシエーションしてもらい、取り入れたままでいいもの以外は、Unlearning(学んでしまったことをナシにする)してもらうことがメインになっているようなものなのです。

 

その中に、「サボってはいけないっ!」というのがあり、私も多少、それに縛られているのですが、今回の2日間はひどかった・・・(苦笑)。かと言って、ドヤドヤと流されてしまうほどに心が折れる材料もなかったので、今に無事至っているのですが、このとき、適度な反省ができるのかどうか?というのも、かなり重要です。が、この「適度」というのが重要で、楽天的な私ですらこんなに罪悪感があるのですから、真面目な生徒さんたちはさぞかし胸を痛めてしまうのでしょう・・・。体験したことで、かなりいい材料になったことは確か。ここのところ、休みなしで猛進してきたので、きっと心が弱くなったとき、について、さほど寛大ではなかったのかもしれず・・・。

 

そのためにも、私はやはり産業カウンセラーの15章を早いところまとめて、みなさんに添付で送付し、さらに通信講座の1個や2個くらいまた開始しなくては・・・と思っています。学生であるという「外からの強制力」がないと、私もまたやはりダメになりそうなだらしないやつですから・・・(汗)。

 

今日はレッスン後、夜の8時から打ち合わせで、明日は2レッスン後(めでたく日曜日にもレッスンがあるんですよ♪)、産業カウンセラーのクラスメイトにコピー資料をもらうことになっており、目標は月曜日に、これまで授業中にまとめた手書きの章をタイプしなおすことです。あとは、Mixiを充実させること。がんばるぞい。とはいえ、今日の打ち合わせでまたThings to doは増えるんだろうけれども・・・。残務が終わるまでは、不満もすべて解消されるわけでもないですが、とりあえず、しばらくはこのサボりが癖いならぬよう、細心のステップを踏んでいこうと思っています。

 

 

心を落ち着けたい時に有効な手段は?

 

心を落ち着けたい時に有効な手段は?


2種類の方向性があります。落ち着かない状態に挑む vs. 落ち着かない状態から逃げる。これは英語で、fight or flight と呼びます。性格やその対象物の難易度にもよりますし、昔から兵法としても語られていることですが、読みを間違えるとたいへんです(笑)。


<逃げる方法>

  • 音楽
  • お風呂
  • 瞑想
  • 深呼吸
  • 温かい飲み物を飲む
  • ガムを噛む
  • 歌を歌う
  • 踊る

などでリラックスするのが一般的に有効な方法です。


長い目で考えると、これらをして一旦待機するのは、冷静に考えるためには有効ですよね。が、これらをずっと続けているとどうなるか?根本原因は、きっと何もしない限り、そこに存在し続けます。ずっと逃げられるのであればいいです。たとえば、そのために


  • 転職する
  • 退学し、転校する
  • (人と)別れる(縁を切る→疎遠にする)
  • 引っ越す

となると、かなりな犠牲も払うことになります。特に、グループ内で縁切りをするのはかなり難しいですし、疎遠にする理由としてクラブ活動・習い事をする、などポジティブに働けばいいですが、同じような行動パターンのまま移動するだけであれば、問題はまた起きるかもしれません・・・。(・・;)


ですので、ある程度落ち着いたら、逃げるだけではなく、しっかりと対策を立てていただきたいと願うばかりです。


<挑む方法>

1.何が問題なのかわかっていない場合

  • イメージング
  • ブレインストーミング
  • 瞑想
  • 成功と失敗の体験のリスト化

などが有効で、やっている中で見えてくることが多いです。まったく見えない場合には、他者に頼み、いっしょにやってもらうと、客観的な立場から見えるものがあると思います。この場合も、価値観が同じ人にやってもらうよりは、違う人にやってもらったほうが見えやすいのですが、なかなか勇気が要るかもしれません。

2.問題の原因がわかっている場合

作戦を立てる!

どのように挑むのか、ベストな

  • タイミング
  • 場所
  • 状況
  • 相手とその他のメンバーの選出

をします。

さらに、自分にも落ち度がないかをしっかりチェックしてください。負ける戦には出ないことです(笑)。問題を根本的に解決して、二度と同じことが起きないために何とか働きかけることが大切です。

 

自分に落ち度が大きいことがわかっている場合には、カウンセリングはかなり有効です。考え方・心持ちを少し変えるだけで、物事はうまく滑ることもたくさんあります。

 

道のりがうんと長い場合には、PDCAサイクルを何度も廻して行かねばなりません。この覚悟をするためには、本当の意味でのあなた独自のSupporting network(本当に助けてくれる友人や行政)をしっかり把握してください。

3.複合的な問題が原因だとわかっている場合

 

数が多いものを見極め、瑣末で解決しやすいことから手を付ける→そうするともう半分くらいは片付いたようなラクな気持ちになれます。その後、

  • 中期的にPDCAを繰り返すもの
  • 長期的にPDCAを繰り返すもの

の仕分けをして、それぞれにどのように解決するかのプランを立てます。

 

うまく凌いで、リラックスし、冷静でよく考えられる状態のときに、挑むための作戦をしっかり立てるのが大切です!

 

あれ?ひょっとしてこの質問って、ピアノの発表会とか、試験前のざわついた心を落ち着けたいときのものだったりした??だとしたらちょいとズレました。ごめんなさい <(_ _)>

少子化は当たり前だよね・・・

2008/10/23にアップした文章です。

 

産婦人科医が減っていることが原因?病院の受け入れ態勢システムが悪いことが原因?損得勘定を考える人間が医師という職業を選ぶからというのが原因?患者が医療体制を理解しないで通院するからというのが原因?もー、どうでもいいけども、どうしてこうした原始的なことが、都会のど真ん中で起きて、問題化されて数年も経っても解決しないのよぉぉぉぉ(キャスターが、医師が一人前になるのは10年かかるから、などと言っていた・・・。尤もそうに聴こえるけれども、側面でしかないだろう・・・汗)。私は、国家に福祉を求めてはいけない時代になっていることに、かなりな危惧を感じているのだけれども、それは発展途上国と大差がないことにも、相当にびっくりしているのだけれども、しかも大国アメリカのようにお金でどうこう、という問題ですらないことにかなりびっくりなのです。

 

アメリカに住んでいたときには、救急車や消防車やパトカーの到着や搬送に関して、心配したことはただの一度もありませんでした。3度ほど合計でお世話になっているのですが、どれもみな早急な到着で、みな親切で、これ以上のサービスはないだろう、という評価があげられるほどだったのです。「なんで、そんなに呼んだんだよ!?」という疑問も解消しておきませう(笑)。

 

1度目は、西さんとピクニックまがいのデートをしていたときに、借りていたフォルクスワーゲンBeetleがもう30年以上経ったシロモノだったのですが、タイヤがつるつるだった・・・。滑ったのですよ、情けないことに・・・。そして、アルコールがトランク内になく、車内にあったので少し焦ったのでした(笑)。病院までは行かず、その場で聴取されて、開放されたのですが、あの程度の英語レベルでもみな親切だった・・・(まだ渡米してから1年経っていなかったし・・・)。

 

2度目は、日本からの留学生ふたりを乗せており、ピックアップ(迎え)の帰り道で、中央分離帯から他者がものすごい勢いで突っ込んできたのです。100%もらい事故でした。大したケガはなく、それでもX-Rayを撮るために病院に搬送されました。女の子は泣いていたし、パニック状態だったのですがケガはなく、打ち身程度で薬局で塗り薬をもらうくらいでした。私は無傷だったのですが、すでに椎間板が2枚なかったので、念のためにその度合いがどのくらい悪くなっているか?を診てもらいました。

 

3度目は、Overdoseをしてしまい、台湾にいた西さんと電話していたのですが、話している最中に意識が朦朧としてしまい、西さんが台湾から呼んでくれたのです。すべて吐かせてもらって、胃洗浄をしてもらい、痛み止めと安定剤だったので、かなりラクなER処置だったのではありますが、ご面倒をかけてしまいました。家に鍵が掛かっていたので、消防士さんたちがたいへんだったようです。私はこの時から、家でひとりでアルコールは飲まないことに決め、それをもう10年近く守っています。薬とアルコールのMixed-upの危険は、自分にはゼッタイに来ない!と高を括っていたのでしょうが、私にもやっぱりこういうことはあり・・・。が、家には危険な致死するような分量の薬はなかったので、よかったです。でも、アルコールと混ぜることにより加速するので、どちらにしてもあのレッスンからは大いに学びました。なので、家ではもうひとりではゼッタイに飲まないことにしているわけです。

 

そして、日本でどう考えても救急車でプロに処置してもらわねばならぬようなケースで、手遅れで死んでしまった、というニュースを聴くたびに、自分がいかにバカだったことかを思い出しつつ、行政の不備に怒りを覚えています。

 

アメリカでは、警察官にはドーナッツショップで必ず会える、だとか、ランチタイムにはサイレンがよく鳴る、という笑い話があるのですが、実際に、911すると(日本の110と119)、3台がセットでやってきます。消防車・パトカー・救急車。どうして、こんな面倒をするのか?というと、ひとつには手遅れを予防するためで、もうひとつにはお互いの監視機能を高めるためなのでしょう。私はこれに関しては、税金の無駄遣いだとは思っておらず、むしろ、日本のように「タクシー代わり」に救急車を呼ぶ人は、3台も来られたらさすがに止めると思いますね・・・。あまりに大事に見えますから。

 

私はもう出産をすっかり諦めてから長い時間が過ぎましたが、これから出産する女性にとっては、このようなことばかりが多く報道されたら、余計に産みたいという気持ちにはならず、育児のたいへんさ以前のこの障害は、たいへんに大きなものだと思います。

 

さらに、国は本当に国民を大切に思っているのか?とみんなが疑問に思ってもみな納得でしょう・・・。石原知事も大臣たちもコメントをしていましたが、「うひ・・・。相当な他人事コメント・・・」と思ってしまった私は、ただのあまのじゃくなのでしょうか?「ひとりの人間として、いい父親像を見せているつもり」でも、そんなふうには感じられず、「感覚的なもの」とこれまでの成果とを重ね合わせても、やはり信頼には値しない気がしてならぬわけです。

 

国全体の経済状態を保全するよりも、教育うんぬんを語るよりも、順番としてまず来るのは、「生命の大切さ」でしょう。物事が始まるはじめの一歩は、やはり生命です。それがなければ、そのあとに来る教育もなければ、仕事や経済も成り立たず・・・。

 

さらに、それがわかっていない人々が、女性の育児のたいへんさを理解しているわけもなく、「ああ、わかる!わかる!」と背中を撫でてもらっただけでうれしい女性の気持ちもわかるわけもなく、褒めることもなく、だんなを残業させて育児に参加させない世の中を、10数年かけてもこの程度の進歩か・・・と、私は思わずにいられないのですよ>男女参画なんとかってやつ、よく読んでみても何がやりたいのか、さっぱりわからないのは、私が頭が悪いからなのかしらね・・・(汗)。

 

医師にしても同じことで、自分の負荷がかかりすぎて、訴訟されてしまう恐れなどがあるのはわからないでもないですが、『赤ひげ先生』ばかり居てほしいという望みは、もう通用しないんでしょうね。やはり医師も職業のひとつ、その中にはいい人もいて、生活の糧と割り切っている人もいて・・・と思わない限りはやっていけず、世知辛いことになっていくのかもしれません。救急隊員のドラマも見ましたし、最近は医師の救命モノが流行っているようですが、それが社会全体を向上させているようにはあまり思えていないのも、なんだか悲しい。時間がかかるってことなのかなぁ・・・。

 

アメリカの保険制度は確かに切ないものがあります。が、救急車に疑いを持ったことは、私は少なくとも一度もありません。死にそうだったり、本当に危険を感じたとときにしか呼ばない救急車だからこそ、疑いを持たねばならぬような状態を、「異常」だと思わないのはむしろボケたやつなのかもしれないです。私の母は70歳になったので、やはり心配です。歩いて行ける病院はありますが、タクシーや歩いて行っても、ちゃんと短時間でERに行けるのかどうかすら、ちょっと疑ってしまうものねぇ・・・。

 

これ、本当に生きていくうえでの大きなストレスですよね。