勤勉な人への疑問

06/03/2008にアップした文章です。

 

西さんは、木曜日の夜11時半に帰宅してから、ずっと独楽鼠のように働いています。働くだけではなくて、ちゃんと朝起きたあと、運動にも行くんだよなぁ・・・。ものすごくびっくりしたのが、帰ってきた直後、母が西さんの晩酌だけを用意しており、肴と焼酎があったのに、私の分のビールがなかったと聞くやいなや、すぐにコンビニに買い物に出てくれたことです・・・。飛行機に乗って、リムジンは首都高を新宿で下りて、甲州街道を来たので、ものすごく時間がかかったのだから、すごく疲れていただろうになぁ・・・。あれから、金曜日から帰国日前日の今日、火曜日まで、西さんは眠る時間も私よりも1時間以上短いし、倍くらい働いており、どうしたものかと・・・。同じヒトなのに、これを分けるのは何なのか、考えてみようかと・・・。

 

何度も宣言ちっくなことをしてきましたが、私はノンベンダラリとした、ナマケモノの、だらしのない人間で、それがわかっているがゆえに、大きなことをあまり言わないようにして、自分の一回りか二回りくらいの目標を設定して公言します。あ・・・、生涯学生というのは、プランではなくてまだまだ階段が多くて夢段階なので、いつかはそこまで行くというのでいいわけです。やはり3億から6億、できたら10億のお金を稼ぐなんてぇのは、たいていのヒトにとっては夢なので、それでいいわけです。だけどやっちゃえたらステキだよねぇ、と。とはいえ、私は産業カウンセラー講座では、現役学生をやっていますし、こうして生涯学生への前のめりな態度は、ずっとキープしていくつもりです。

 

そして、金曜日は私が夕方早くからのレッスンだったので、西さんは朝の日課を終えたあと、確定申告のための資料を、この山の中から探し出すために、大々的な整理を始めていたわけです。私が夜、戻ったときには、「よし、これで打ち込む体勢はできたっ!」とご機嫌よく飲んでいたんですが・・・。あ、でも、私の給料振込みの日だったので、私は支払い漏れがないかどうか、ついでに銀行でチェックして、そのあと午後3時まで、パチンコに行ったのです。なぜならば、「あなたは邪魔・・・」だそうで、西さんの優秀な助手のご指名を受けたのは、母だったのでした・・・。肩身をすっかり狭くした私は、その日、3万も稼いでしまいましたとさ(苦笑)。

 

土曜日は、私が朝から晩までレッスンだったので、西さんはひとりで、格闘していたようです(母談)。そして、母が夕方5時にボーイフレンドのところに出かけたあと、西さんは母が作り残しておいてくれたものを、私が戻るまで食べずに、まだ作業を続けていたそうなのです。が、コンサルティングの仕事をしている先やら、台湾やらシンガポールやら、プライベートからのメールをやっつけるだけでも、その数400~600くらいになるはずなので、きっと半日くらいはかかっていたと予測するわけです。現場近くにおらず、バケーション最中だともどかしいことがたくさんあるしね・・・。すぐに電話で聴けないのが、土曜日の悪いところです。そして、私が戻ったあと、今度は私が疲れていたので、ビールを買って戻ればよかったのですが、飲むつもりはなかったのです。ひとりで飲むのがつまらなそうだったので、西さんが自ら、「買ってきてあげるね」と買いに出かけてくれたので、飲まないわけにも行かず・・・。まぁ、翌日はほぼ休みみたいなもんだし、いいか・・・と、意志がそれほど強くもない私は、曲がったのであった・・・。

 

そして、日曜日、高校1年の初めての中間考査というのがあったので、補習を頼まれており、その内容が、数学・古典・漢文・英語が残っていたので、西さんが居るから使おうと思った私(ひどいよねぇ・・・)は、数学と漢文を西さんに任せたのでした。なんと、数学だけで2時間半も掛かってしまい、恐縮でした・・・。私はそのあと1時間で、英語を教えて、高校生の女の子を連れておでんやさんへ・・・。入梅したということで、なんとなく寒かったのです。特に飲み屋さんカラーでもなかったのでいいでしょう・・・。その日の午前中から午後彼女が来るまでのあいだで、私はまたもやパチンコで15000円稼いでいたので、それ以内で支払いが済んだのでよかったと思いながら眠りました。その日は珍しく、西さんも饒舌に高校生と話し、日本の教育界の現状のケースのひとつを聞いて、いろいろなことを感じていたようです。ただし、西さんはご機嫌がいいとよく飲むので、正体不明の数歩手前くらいだったのです。確か、日本酒を6合ほど飲んでいたし、時差ぼけを含め、いろいろ疲れが溜まっていた模様・・・。気づくと、朝まで珍しく9時間も眠っていました。それでも、パラパラ雨だったら走りに出るんだよねぇ・・・(アゼン)。

 

数学を教えるのは楽しかったようです。教える仕事というのは、私がどのくらいエンジョイしているかを見てもらうために、私が作為的にやってもらったのです。私のこの仕事が家でたくさんできるよう、西さんにHPを作ってもらうことになっているので・・・。

 

そして、昨日の月曜日、中間の3日目が終わった高校1年の女の子が、今度は漢文とまたもや英語と古典をやりに来たのです。漢文は、10個しかなかったのに、なぜだか2時間もかかってしまい、私はそのあいだに、Cheatingだとわかっていたのですが、英語の教科書のまとめと単語ノートを作ってあげてしまい(時間がないから、緊急措置だったのだ。まとめのところからやっていたらたいへんなことになる・・)、西さんが教えている脇で、それなりに仕事をしていたのです。私はその午前中もパチンコに行っており、なぜならば、確定申告の入力が終わっていないから「邪魔」と言われたせいで・・・。ところが、邪魔なのに、2時間で勝負はついてしまい、2万も稼いで戻ってきたところ、お昼ご飯も要らないと仕事をしており、「本当に漢文を任せていいのだろうか?」と疑問が湧いたのでした。彼女が来たら、楽しそうに教え始めたので、よかったようです・・・。

 

私が英語を教え始めた頃に、今度の16日に留学することになっている、看護師さんが現れて、西さんは仕事を中断して、彼女と話し始めていました。結局、レッスンは3時間になり、「高校生稼業もたいへんだけども、社会に出て稼ぐのもたいへんだからねぇ。同じだよね・・・」と言いつつ、明日(今日になっている)の幸運を祈り、玄関で別れたのです。

 

看護師さんのレッスンが2時間予定されていたので、西さんは何を思ったのか、おもむろに「髪を切りに行ってくる」と駅前へ。忙しい人である・・・。男の人の髪はそれほど注文をうるさくせずとも、いとも簡単に切れるからいいよね・・・。

 

戻って来てからまた宴会だったのですが、その日も3合ばかりの日本酒を飲んだあと、まだ仕事をしていたのです。私は、ビール3本でいい気になって眠る体勢に入ったので、何時まで仕事をしていたのかわかりませんが、きっと彼なりのキリのいいところまでやっていたんだろうなぁ・・・。

 

そして今朝は大雨なので、走りには行かず、朝から仕事をしています。明日帰るんですけどねぇ、中国に。そのあと、すぐにタイに行くらしいが・・・(実際、私は西さんがいつどこに居るのか、たまにメールで知るくらいで、「まぁ、よく移動すること・・・」と感心している次第です)。今日は、私の英語学校の見学に来てもらうことになっており、私の最初のレッスンの前に校内をざらっと見てもらい、そのあと、西さんはカメラやさんへ。中古の一眼レフを買いたいらしいのです。大して古くもないデモノがあるらしいので、ネットではなく手に取れるものを見ておいて、それでいいのがなかったら、ネットで買おうとしているらしい。

 

明日の11時のリムジンで発つので、あまり時間がなく、バタバタしていて、私はむしろのんびりしまくってしまったのですが、最後に頼まれたのが、「どうせ書類の整理はできないんだろうから、何箇所にもバラバラに置かないで、一箇所に置いて」というもの(爆)。言い訳としては、「いやー、近くに置いてあるやつが、私が自分でできると思ったやつなんだよね・・・」と。が、彼はすかさず、「いや、やらなくていいから」と冷たいもんです(笑)。小さい頃の母が私が料理を覚えようとしたときに言ったことに酷似している・・・;「あなたはできることをやればいいのよ。外で稼いでいらっしゃい」というもの(笑)。

 

あと、24時間しかないのですが、西さんの短い滞在は、またもや勤勉なだけで、ゆっくりする時間がなかったようです。私のせいなのか、西さんの染み付いてしまった性格のせいなのか・・・。よくわからないのだけれども、私はどうしてこんなに独楽鼠のように働けるのだろう?と疑問を残しながら、あと24時間を邪魔にならないよう、楽しみを少しでも提供できるよう、がんばるのであった・・・。

ダメージの大きい訃報

06/02/2008にアップした文章です。

 

たくさんの生命が生まれるように、近しい人でなくとも、著名人であれば、亡くなったときに訃報が入ります。ニュースであったり、ネットであったり、新聞であったり、と媒体はさまざまですが、そのわびしさやさみしさは、その相手に持っていた距離感によって違うものですが、同じ世代をシェアした者としては、ネガティブな気持ちになるわけです。日本に戻って来てから、見なければいいのに、私は訃報を習慣のように見ているんですね。なぜならば、私は結婚式に出るよりも、お葬式に出るほうが、自分にとっては価値のあることだと信じているからです。たとえ、遠い方がなくなってお葬式に出ることができないとしても、心の中で手を合わせる人品は持ちたいと思っているのです。

 

が、昨日の夜の訃報は少しダメージが大きかったのです。ウガンダ・トラさんという、お笑いやバンド活動をしていた芸人さんで、巨漢で「食べ物系タレント」の元祖と言われていた人なのです。来歴はこれ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9 

私は直接、彼が食べ物をおいしそうに食べているところは、あまり見たことがなく、おそらく、大昔に『オレたちひょうきん族』で見たことがあるのかもしれませんが、記憶にないです。が、帰国してきて、石塚英彦さんという食べ物系タレントの番組をいくつか見るようになり、そんなジャンルがあるんだなぁと思いながら、好感が明らかにあったのが強烈に残っており、その石ちゃんがウガンダ・トラさんのことを「元祖」と言っていたのを思い出したわけです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%A1%9A%E8%8B%B1%E5%BD%A6 

「カレーライスは飲み物」というのが、ウガンダ・トラ氏から出た名言のようで、私はその単刀直入な言葉にも、不快感よりは、むしろかなりな好感を持ったのです。

 

いろいろな方がいろいろな人生を歩んできて、結果的には亡くなっていくのですが、生活習慣病に部類されるような死因を、ネガティブに捉える報道があり、残された人々への警鐘とする扱いをしていることに関しては、不快な気分になりました。まだ、死因がはっきりしておらず、糖尿病と肝臓障害があったということや、症状をパネルにまでして、その危険性などを語っていることには、かなり腹立たしさを感じてしまいました。

 

食べたり飲んだり眠ったりという、ヒトが最も快楽を感じることを節制して制限してまで、長く健康に暮らすことが必要だと思う人もいるかもしれませんが、私は生きているあいだ、楽しくて他人様に迷惑を掛けなければいいではないか、というスタンスなのです。これって極論なのかなぁ・・・。生命というのは、長さも確かにあったらうれしいけれども、短いから「早すぎた死」でもなく、大往生だったから「よく生きた」わけではないことを知っていながらも、なぜか、短絡にジャッジしてしまうような風潮には、あえて抗いたいんだなぁ・・・。

 

私個人に対して、今回の訃報が特記したいほど大きなダメージだったのは、西さんが毎日飲むという事実が、なんとなく、影響を与えており、肝機能障害などが出たりしたらどうしよう・・・と、むしろ不安になっただけで、警鐘などにはなっていない、ということ。彼はアルコールはやめませんから。やめろと思ったこともなければ、減らせと命令したいと思ったこともなく、減らしたほうがいいんじゃないの?と口にするのも憚れるほどです。マラソンやボートや登山など、日ごろ、つらくて苦しい要素ばかりが多いスポーツをやる彼が、仕事でもヨロコビを大して感じるわけでもなく、アルコールを飲んで好きな本を読む至福の時間を、どうして私が制限できるものか、と思うわけです。

 

同時に、私も疲れてしまうと、最近では夜中にビールを飲んでおり(笑)、母のアイスクリーム攻撃もあり、アメリカに居た頃より食生活がよくなるはずの条件が揃っている日本で、実際は、内容的にネガティブな食生活を送っているのかもしれないという疑いあり・・・。最近、運動も週2回くらい(3回とは言い切れないなぁ・・・)やっているので、やはり意識的にまずいと思っているからに違いなく・・・。あまり前向きでもなく、切羽詰っている状態なのではないのか?と思うのです。

 

確かに健康に越したことはないのだろうけれども、他人のチョイスというのを尊重できない風潮というのはどうなのよ?リスクを充分わかっていて、それでもやっている人というのは確かにいると思うわけです。ホームレスでもわずかばかりの比率なのかもしれませんが、チョイスとして捉えて選んだ人はいるはずです。

 

鬱病で広く知られている回りの人の態度で、「がんばって」と言ってはいけないというもの。健康に害があるとしても、喫煙をして90歳まで生きた人などザラにいるわけだし、めちゃくちゃな食生活をしても楽しく暮らした人というのは山ほどいます。その人たちは、聞き流す性格を持っていたのかもしれませんが、持っていない人にとっては、この過干渉というのはたいへんに迷惑なのではないかと思われるのです。

 

私は、自分の決定意志に茶々が入ることはたいへんに不愉快です。もちろん、喫煙もやめたいと思っていますが、まだ時期ではないと感じており、自分の動機付けを改良したり、生活そのもののリズムを変えようとしています。飲酒にしても同様で、最近、ビールを飲みすぎている傾向はわかっていますが、ビールではなく、焼酎や日本酒やワインだと、もっと飲んでしまうので、ビールのロング缶が2・3本というのがいいわけです。ただし、プリン体が気になったりもするので、その代わり、医者には定期的に行くことを決意し、励行しているわけですね。だから、とやかく誰かから言われると、苛立ちを覚える。まぁ、イチバン腹が立つのは、私と似たような生活習慣を持っていて、私よりも飲み食いする母親に言われることなんですけどね(爆)。

 

楽しく生きたんだから、とLet Goさせてあげる気持ちがもてないのか?と思ったので、なんだかあまりまとまりはなかったのですが、勢いと感情に任せて書いてしまいました。私は今後も西さんの飲酒を制限するつもりは、毛頭ないですし、自分に関しても無理をしたり、強制力を掛けられるのが疾病やプロからの助言以外は、本当に腹を立て続けていくと思います。

 

しかも、人生の最終段階での評価を、「もっと節制したらよかったのに」などと言われることで、残された家族の責任感や罪悪感は数倍になることでしょう。なんで、こういうことするのかなぁ・・・と不思議でなりません。まぁ、そんなコメントをしていないメディアもあるので、あまり悪口ばかり言ってはいかんのですが、人がひとり、人生を閉じたときに、ダメージを与えるような側に、自分がいないことだけは確認してみてください。「明日は我が身」と思うことはやっぱりここでも大切です。自分が当事者だったらやられたくないことは、決して他人にもしないでいただきたい。そんなことどもは、本当に幼稚園のお砂場で学んだはずのことなんですから。

 

ここのところ2日連続で飲んでしまったのは、西さんが帰国しているせいだと、西さんのせいにしてしまいがちな私ですが、やはりしっかり意志が働かないこともあるんだよな・・・。それについてぐちゃぐちゃ言われると、本当に落ちるわ・・・(笑)。

悲しいとき、つらいときに切り替えるためにパッとできることはありますか?

どのくらいの悲しみかつらさかにももちろん依りますが、今目の前でやることがあるのに、ぐーっと暗い底に引っ張られていくようなすごいものだったり、ただ胸がドキドキしてきて悪いことをグルグル考えてしまって、血の気が引いてくるようなとき、そこから何とか脱け出したいと思うことはありますか?

 

実際のところは、根本的にその悩み苦しみの解決をすることが大切なのですが、瞬間、それを忘れて目の前にあることをしっかりやり遂げるために、ちょっとだけ”Time out”をする必要がある場合、何をしたらいいか?

 

まずは深呼吸です。それでも足りないようであれば、少し横になって呼吸法です。https://nature-mitu.com/meditation-breath 

これをやることによって、自律神経の交感神経をひっこめ、副交感神経に刺激を与えて、平常の状態に戻ることが可能になります。

 

鼻から息を吸い込み、腹式呼吸をすることが大切で、できれば瞑想モードに入ってもらえれば尚早いです。

 

少し時間があれば、思いっきり泣いてしまうこともカタルシス:浄化作用となり、詰まっているものが流れるような心地になります。私個人も毎日1回必ず泣いているのです(笑)。たぶん8歳くらいから毎日泣いていて、「あれ?今日は泣いていないな」と思うことはなく、たぶん10日くらいしかイレギュラーな日はなかったように思います。今目の前にある悲しみやつらさに対して、自分のために泣いてあげる、自分にたくさんの愛があることを確認するだけで、心は解放されます。

 

悲しいことやつらいことをしっかり聴いてくれる人に話すことは大切ですが、現代社会ではなかなか見つからないかもしれず、相手もストレスを溜め込んでいたりして、望み通りの展開にならないことが多いです。なので、自分で自分をラクにする方法のほうを好む傾向が私にはありました。子どもの頃からです。

 

好きな映画や本に没頭してみて、一時的に回避するというのもアリですし、賢人の言葉が染み入るタイミングなので、インターネットで平和・愛・愛などのキーワードで格言・名言などを読んでみるのもいいです。他にも片付けや掃除をして目の前にあることに熱中するのはいいです。私の母は悲しいことがあると焦げが残っているやかん・お鍋・フライパンをゴシゴシやっていました。きれいになると「あれ?なんで悲しかったんだっけ?」と忘れるくらいになっているとのこと。

 

今の自分から逃げ出したいのであれば、散歩はいいです。特に花や樹木、子どもや鳥などに着目して歩いてみると、心がゆったりしてきます。

 

これらは、一時的回避なのです。なので、実際には平常心に戻れたなーと自分が感じたときに、しっかり根本的に解決するために、その悲しみつらさに対峙していただければと願うばかりです。根本的に解決しないと、また同じようなことが起きる可能性は高く、自分の認知を変えたり、実際に誰かとのおつきあいをやめたり、やり方を工夫して改良したり、場所を変えたり、時間を変えたりの根本を観ることは、準備がなければかなりつらいかもしれないです。けれども、二度と起きないためには、やはりやらねば、ね(^^♪

 

パッとできることで圧迫感を除けておいて、客観的に物事が観られるようになったら、しっかりと問題解決をしてください <(_ _)>

読書量をもう一度考える

06/01/2008にアップした文章です。

 

自慢になってしまいそうですが、私は未だにコンスタントに読書をしています。日本語の本であれば、1日1冊読もうと思えば読めます。英語でも2日か3日で読みます。ええ、フツーに仕事をこなしてです。もしも、完全休日や半日休日などがあれば、もっと読みますね。最近は、電車の刻みが15分だということがわかってきて、身についているので、TOEICやTOEFLのテストをこちらがえらそうに出して、答えをそのまま読み上げるのではなく、実際にどこを間違えるのか、どこが難しいのか、を考えるために、プリントにして電車の中でやっているので、読書量は減っています。

 

ええ、最近、真面目に真面目を重ねて、生徒さんたちの結果を出そうと思っており、さらに個人仕様の教え方などの多様性のツボを押さえてみようと思っているところなのです。なので、読書量は減っています。

 

最近、このサイトに登録してみました。http://book.akahoshitakuya.com/ 

※このサイトは現在は終了しています。

ただし、これは登録数がそれなりしかなく、私の読む洋書などはあまり網羅していないので、疑問は残ります。うれしいのは、グラフが勝手に作られることで、なんとなく達成感もくすぐられるのですね。ここ3日の成果は、1日350ページほどです。日本語だとそれくらい読めてしまうのだなぁ・・・。大学のときには、英語で1週間に600ページ読んで、それをタイプしてまとめて、さらにまとめのまとめをやるのがたいへんだったが・・・。ということは、今は切迫していないがゆえに、何を吸収して読書しているのか?という疑問にもぶち当たる・・・。

 

どうしてこれを使おうと思ったかというと、最近、図書館に行く時間も取れず、日本語読書が滞り、Amazon.comで買った洋書ばかり読んでいるのですが、西さんがなぜか2冊、日本語の本をくれたので、それならば登録できると思ったので・・・。これを機にまた図書館通いをせっせとすることにしなくちゃなぁと思っています。なぜならば、洋書は8月にアメリカに行ったときに、まとめて買ってきたほうがうんと安いからです(笑)。今度は、藤沢周平の読破だなぁ・・・。海音寺潮五郎は少し読みづらいのですが、かなりいいものがありますから、彼のも読破しないと・・・。と、決めてはいるのに、駅向こうに行くのに億劫がっているところがいけません・・・。その西さんがくれた本というのは、恩田陸という小説家のもので、なんだかファンタジーちっくなミステリーです。もう1冊読み終わったのですが、今、2冊目も100ページ読みました。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E7%94%B0%E9%99%B8 こういう人なんだそうです。

 

私は最近の作家がまったくわからず、誰かに薦められると拒絶反応なしにサクサク読むのです(笑)。この作家がUnisexを目的としたペンネーム付けをしたのはわかったのですが、未だに女か男か明言しているところを調べていません。どっちでもいいのですが、たぶん女性なのでしょうね。西さんが私に読んだら?と言ったのは、たまたま会社にあったので、という気のない返事でした(笑)。○×殺人事件というタイトルをつけているものよりはいいだろう、程度だったらしい・・・(爆)。記憶の整理や断片的な描写には感心しました。みんなが「あるある感」を得るんだろうなぁと。だから、ファンタジーやSFやミステリなど、いろいろなジャンルを書けるんだろうなぁとも。

 

さて、読書量についてですが、生徒さんには、日本語能力を査定するためにも、読書量というのを聴くのを必須としています。どんなジャンルが好きなのか、好きな作家は誰なのか、最近読んだ本をいくつか挙げてもらったり、などなど。日本語の本よりも、英語を原書で読んだほうが論理的に背景もわかりやすいので、日本語の読書量がAdvancedの場合、英語の技術力も実際の英語力も大きく望みが広がります。文字を映像化するというプロセスを、誰しもいくばくかはしているはずで、その能力を伸ばすことで、英語は飛躍的に上達します。英語だけではなく、この映像化をするという能力は、記憶力にもいいし、他のいろいろな分野に使えます。昨日書いた空間能力もこうして伸ばしていくわけですし。

 

別のところで、Trial and Errorを書いたのですが、このTrialの回数が多いことが技能を伸ばすことに繋がります。わずかな回数でできるヒトは、そもそもの資質に溢れていたヒトで、恵まれていたと感謝したほうがいいわけで、凡人は回数を重ねなければたいていのことはマスターしきれません。読書というのは、その機会の多さの凝縮版なわけですよ。練習をしないと本番で使えないのは、運動だけではなく、どんな技能的なものでも同じです。読書の効用というのは、他のどんなアクティビティよりもでかいのではないか?と思っているのですが、それは私が小さい頃から勉強はせずとも読書をしてきたことに対する、正当化だったり、言い訳だったりするのでしょうか?

 

大体どのくらいの量が適量なのかは、その人個人個人の設定でいいと思うのですが、私は生涯で本を2冊しか通読したことがないという理系の30代の男性に実際に会ったことがあります。思わず、口を利くのをやめようかと思ってしまいましたが、それもまた先入観なので、やはり思い直しました(笑)。

 

日本人の読書量の平均をこの中から抜粋すると

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%BB%E5%AD%97%E9%9B%A2%E3%82%8C 活字媒体を読む時間の上位5か国は順にインド(週10.7時間)、タイ(9.4)、中国(8)、フィリピン(7.6)、エジプト(7.5)であり、下位5か国は順に韓国(3.1)、日本(4.1)、台湾(5)、ブラジル(5.2)、イギリス(5.3)となっている。

とのことなので、これ以下だったら危ういと考えたほうがいいのかもしれません。1週間に168時間あるので、4時間では、42分の1程度なのね・・・。それくらいはぜひ読んでもらいたいとは思うのだけれども、苦痛かもしれないなぁ。私は、電車に乗り、歩いている時間も含めて、ここのところは問題を解いているのだけれども、だいたいは1時間は読んでおり、待ち時間や寝る前などを含めると、1日2時間は読んでいると思われる・・・。ネットを抜いて、です。他に読みたい本に出会ってしまうと、やっぱり10時間くらい読む日もあるので、多いほうなのではないかと思われる。陽さんはどのくらい読むのかなぁ・・・←突然(笑)。

 

ここのところ、仕事が落ち着いてきたので、また新しいことを考えようと思っており、西さんに手伝ってもらっています。西さんのことを使いまくっており、今日も、高校1年生の女の子に漢文と数学を教えてもらう予定です(笑)。私はそのあいだ、昼寝でもしようかと(笑)。西さんの漢文好きは中学生かららしいので、教え方が下手かもしれず・・・。まぁ、楽しみです。

 

好きな勉強だけしていても学力は伸びる?

残念ながらある程度までしか伸びません (・・;) 文部科学省の学習指導要領が正しいかどうかは別としても、ヒトが「よりよく」生きていくために基礎から難しいものへの、さまざまな分野の知識・スキルを持つことはかなり重要です。いくつか理由があります。

 

あるひとつの物事を極めるほどにマスターしたとしたならば、他にもそれを応用できうるための知識や開放性を持つことができるか?が分かれ目になります。

 

好きな勉強だけしていても、本当の意味で「到達点」まで行くには、あらゆる分野での基礎知識は必要なはずなのです。自然の摂理を理解できる・体感できるほどになっていくことにより到達点までたどり着くはずなので、机上の空論程度のことではやはり他の学科や科目に関しては、伸びません。

 

さらに、心の問題は大きいです。嫌い、と一度思ってしまったものを好きになるには、ある事件や出来事が必要になります。あるいは、時間をかけてやんわりとネガティブを溶かしていくような根気が必要なので、おそらく他の学科や科目が伸びるまでには、就学期間が終わっていることになってしまいます。

 

なぜならば安定した環境を子どもたちに与えることが大人の努めであり、さほど劇的に物事は変わらないわけです。旅行や年長者とのふれあい、職業体験やボランティアなど、義務感に押しつぶされた形でやっている場合には、なんらポジティブな刺激になることはありません。ヒトは楽しかったり、自主的だったり、好奇心をそこそこ持っていたりする状態から、学びを促進させます。押し付けられたり、義務が大きかったり、受け身だった場合には学びの率も格段に減ります。嫌いな勉強には、そもそもそうした態度を持っているはずなので、伸びる要素はそもそも少ないのです。

 

自分の親友が自分の苦手な科目を助けてくれるのではなく、教えてくれたり、自主的に興味を持って観察し始めるチャンスをくれたりすることによって、たまに事件は起きます。が、やはりここでも開放性がない限りは、そのチャンスすら通り過ぎてしまうことになりかねません。他者の意見に耳を傾けられることや、自分が観ている世界がすべてではないことを、少なくともしっかり理解していない限りは、好きな勉強をしていても、好きな部分、自分に有利な部分のみを学んでいるに過ぎません。

 

それらの真理・事実が、嫌いな科目や学科の中にも潜んでいる可能性について、考えが及ばないようでは、好きな科目や学科でもソコソコまでしか伸びないと思われます。もちろん「好きこそものの上手なれ」ではありますが、嫌いな学科や科目も「平均くらいには」「最低限くらいは」と自らカバーしたいと願う気持ちは、素直さとして大切ですし、世の荒波に揉まれて生きていく上で、「知らなかった・・・」で済むことではないことも多く埋もれています。

 

ネガティブを学ぶことはたいへんに重要です。それはヒトの操作が大きく影響して結果に出ない限り、やはり自然界の摂理の中に生きているわけですから、大きな波の中にある二元論については、感覚的に落として体感していたほうが、生きていく中で勉強以外に大いに有利だからです。ネガティブを実際に学んだことがない限り、その「答え合わせ」は生涯できず、想像することもできないので、嫌いなものにタックルするのは先にやってしまったほうがいいような気がしますよね??

 

とはいえ、私個人は、子どもの頃まったく勉強をしないでやり過ごしてきたのですが、バカ殿ではなく、やらない割に成果が出てしまったタイプです (・・;) それは、やはり観察眼や興味、徹底的に追求するなどを、他にも応用できる器用さがあったからなのだろうと思えるわけですが、30歳になって大学に戻ったときには、大いによく作用しました。そして今でもさほど嫌いな科目はありません(笑)。

空間感覚

05/31/2008にアップした文章です。

 

西さんの日本に久々に戻ってきた第一の感想は:町が狭い。そりゃそうだ・・・。蘇州から来たのだから、東京の町々はとても混雑して、狭いところにたくさんの建物が濫立しているように見えてしまうのは仕方がないです。もちろん、私はその感覚はよくわかり、カリフォルニアのどこまで行っても続くように見えるフリーウェイと、見える山々か海が続く風景は、今も夢に出てくるほどなつかしく思っています。うーん、住んでいたときには、罰当たりにも、「どうしてこんなに青い空の日々が続くのよ・・・」と乾季の時には恨めしく思ったものですが・・・(苦笑)。

 

蘇州の地図を改めて見てみることにしてみます。蘇州で、西さんが居るところはここです。

http://china.alaworld.com/modules.php?name=City&aid=01220&op=map 世界遺産が山ほどあるそうで、周りは湖だらけ。緑色になっているのが公園で、工業地帯なので、人工的に作られたものなのだそうです。うーむ、日本人よりも始末にいいじゃん。工業地帯を作ったんだから、緑地を残しておかねばならぬ、という全うな考えじゃない・・・と思ったりしたら、西さんが熱く語り始めています(笑)>工業化を進めている中でも特別地域なのだそうで。National Characteristicsが当てはまらないようなことがたくさんあるらしい。

 

わかっているのか・・・、社会科学の基礎、と思うとうれしいなぁ(笑)。

 

あとは、日本に戻ってきた第二の感想は、「若い人が少ない」ということらしい。中国の全国各地、それこそ汽車で36時間も掛けて、故郷から出稼ぎ状態で、西さんが住んでいる地域まで働きに出てくる人もいるので、やはり労働をガンガンできる層の年齢の人々が多いらしいのです。日本での出稼ぎというと、すでにイメージは暗くてあまりいいものではないのですが、中国でも『農工(のうごん)』と言われて、元々は農業に携わっているのですが、この中国の建設ラッシュのために、にわか日雇い建築労働に従事する人々がたくさんいて、彼らには悪いイメージがついているようです。ホームレスに近いイメージなのかなぁ。蘇州のこの西さんが住んでいる地域では、ホームレスは見ないようです。

 

こうして説明をしてきて、テーマと外れているだろうと心配な方々がいらっしゃるに違いない(笑)。すみませぬ・・・。

 

昨日は、空間感覚についての話をしていて、やはり脳の作りや、日ごろのトレーニングの仕方でずいぶん違うと思ったのです。生徒さんと英語学校の営業兼事務処理をする女性と話していて、空間感覚というのは、磨かないとなかなか発達しないものなのだろうな、と。

 

検索してみると、日本語で「空間感覚」を取り扱っているサイトは、101万。でも、クリックして見てみたいものではなく、著作のCMが多いよぉ。なので、まずは空間の定義から。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E9%96%93 物理が苦手な人には厳しいのか?ごく初歩的な知識なので、網羅しておくといいのかも・・・。

 

この中の相対空間というのが、ヒト社会ではかなり感覚的に思われているものです。地理学の空間がいろいろと述べられていますが、これはけっこう難しく書いてあるのかなぁ・・・。想像できるだろうか?社会というものを「容器」として捉えて、その中に点在しているものを、化学で言うところの分子や原子レベルで捉えていくわけです。その詳しい説明がコレら>

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%A9%BA%E9%96%93 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%82%A4 

ものすごく難しいことを言っているわけではなく、これが図表化されるとわかりやすいのですが、文字の羅列って面倒ね(笑)。

 

まさしくそれが空間感覚なのだけれども・・・。建築関係のヒトは、これが発達しているに違いなく、でなければ建物など設計できるわけも、作れるわけもなく・・・。私は、実際にヘリコプターを飛ばしていたので、やっぱりコレがなければ、なかなかうまく飛べるわけがなかったのだけれども・・・。

 

うーん、いろいろ検索してみて感じたのだけれども、日本語ではこの Sense of Spaceをかなり系統的に顕している人々が少ないのだろうなぁ。建築学や茶道やその他、特化した条件で語るヒトは多いのだけれども、全体的に一般人にためになるような薀蓄をたれてくれている人々は少ないんだろうなぁ。

 

http://www.k2iy.com/kioku/2006/02/post_61.html これは広告なんだろうねぇ。脳トレの一貫なんだろね・・・。でも、大切な能力だとは私も思う・・・。

 

そうか。空間能力よりも、空間認識力という言葉になっているのか・・・。ふーむ・・・。

 

小学校3年で図形をやって、円錐形や円筒形などをやったあと、展開図を見て、点Aがどの点と重なるのか?などという問題をやることになるのですが、アレが苦手なヒトは多い・・・。あそこで鍛えておけば、かなり先がラクになるのですが、どうもそれを想像することすら面倒らしい。ただし、生活に必要な、道順などは空間的想像ができたりするわけです。要は使うか使わないか?ということ。使うチョイスがあり、使ったらかなり世界はリアリスティックになるのに、どうして使わないで居られるのか?と、私などは疑問なのですが、暮していけるのであれば、必要に迫られないのだろうし・・・(汗)。

 

この能力が欠落しているヒトが、電車やホームや街中などで、充分空間があるし、身体の不具合もないのに、私にぶつかってくるヒトなんだろな・・・。いや、可能性としては、「まったく容器もその中にある分子や原子も気にしていないから、あっちが悪いから避けない」と決めている人すらいるかもしれないのだが・・・(笑)。でもなぁ、相手が自転車や車だと怖いよなぁ・・・。

 

自分の夢を二次元で見るか、三次元で見るのかもわからないヒトは多い。私は三次元で見ていますね、ほとんど。俯瞰もできるし、横からも上からも下からも見られるし、カメラワークが柔軟なのです(笑)。視点が増えるということは、知ることができたり、気づけることができる対象物もぐんと増えるということなのです。けっこう楽しい夢をたくさん見ています。フラットスクリーンでしか見ていないヒトは、自分の空間感覚を疑ってみたほうがいいのかも・・・。

 

特に、地図が読めない人などはきっと「必要に迫られないからこのまま能力を埋もらせてきた」と反省していただきたいのですが、けっこう多いよなぁ・・・。空間感覚は、よりよく生きていくために、ぜひぜひ開発していただきたいものです。

Sweetsを追いかけるのはどうして?

05/30/2008にアップした文章です。

 

甘いものが得意ではない私ですが、日本に戻って来て、さらに、甘いもの風潮に拍車が掛かっていることにオドロキを感じていました。これだけの飽食時代、メタボリックシンドロームがどうこう、と言っているのに、その天秤の片側にこの贅沢は、やっぱり必要なんだろうなぁ・・・。いや、私には必要ないよ・・・。炭水化物(糖分)は、日々のごはんとアルコールで摂れてるからね・・・。ただし、私は、ゼリーとかプリンは好きだな。うーん、でもあれらも、酔っ払ったあとの戯言で食べる程度なのか・・・。そうだね、心奪われるほど好きなわけじゃないことはわかっている(笑)。



川島なお美女史の婚約者が、パティシェだということが世の中でものすごく騒がれていた時期があったのだけれども、なんだかスルーしていて、それもこれも、私がまったくお菓子を食べないことにあったのかもしれない、と、少し反省をしたのであった。私は、砂糖甘いものは、和菓子も洋菓子もダメで、前述のゼリーやプリンも、年間で2個くらい食べれば、「今年は食ったなぁ・・・」という程度です。

 

が、帰国して1年ほど経った頃、母はなぜかせっせとアイスクリームを買うようになり、それが昔とは違い、箱に入ったお徳用パックのようなもので、私にも差し出すようになったのです。こんなにアイスクリームを食べるのは、小学校以来ですね。ヤバイと思いつつも、それほど満喫していると思っていないことが自明でも、母に差し出されると食べてしまうのは、母への愛情もかなり入っています。それは、彼女が「共犯者募集」の意識があるからなのでしょう。ひとりではどうしても食べたくはないという気持ちらしい。ひとりで食べて、私に非難されるのはイヤだというのがあるらしいのです。彼女の場合、私とは違い、甘いものもそれほど極端に食べないわけではなく、世の中の平均的女性ほど甘いものに目が行くわけでもなく、それでも、私と比べれば多いので、きっと気になっているところなのでしょう。

 

私もアイスクリームを心からエンジョイしているわけではないので、いい加減断ればいいのです。が、彼女のその切ない女心というのか、ヒトとしての葛藤にほだされてしまうことがあり、今となっても、3回に2回は「よく働いたし、いいか・・・」と思ってしまっているわけです。これを止めれば、きっともっと痩せるんだろうな、と思いつつ・・・。ええ、去年の12月以来、順調に1ヶ月に1キロくらいの緩やかさで痩せてきていますからねぇ。Core Rhythmをもう少し真剣にやれば、もっと速く痩せるんでしょうが、いろいろと出かけることが入ってしまったり、母と時間が合わなくなったりして、週に2回ほどになっているところが痛いです。彼女は、これに関しても「抜け駆け」を許さず(笑)←彼女にとってはいいことなんでしょうけどもねぇ・・・。

 

私は、自分の数多い生徒さんの中で、高校生の韓国人の女の子には、毎レッスン後、チョコレートを渡すことにしています。なぜそんなことを開始してしまったのか、今となってはよくわからなくなっていますが、思うに、彼女はかなり親に強制させられて通ってきており、笑顔を見せることが少なかったのです。なので、少しでも楽しいことがあればいいなと、短絡的な「食い物」で解決しようとしたのが糸口だったかと・・・。週2回、4コマのレッスンの半分の2回を私が持っていたのですが、この時期追い込みで、なぜか週3回、6コマすべてを私が見ることになり、チョコレートギフトは功を奏したのか?とも思えるのですが、実際は、レッスン内容であってほしいと思っています(笑)。確実に彼女を太らせることを私はしているのですが、それでも、高校3年生ともなると、自分が食べずともお友だちもいて、便利なようで・・・。ただ、私が哀れなのは、そのチョコレートを買うときにも、トレンドなどがわからず、コンビニや英語学校の女の子や他の生徒さんにトレンドなどを聴いていることですか・・・(汗)。どうも興味がないせいで、よくわかっておらず・・・。ただし、カカオの純度が高ければポリフェノールがたくさんあって、ダイエット効果があることくらいはわかっているのよーん(笑)。苦すぎて食べられないという苦情はなかったし、あれはあれでいいようだ・・・。あれならば、私も食べられるのですが、特に山登りのときのように、息絶え絶えで糖分が欲しいぃぃぃぃ!という状態になったことがまだないので、チョコレート携帯のありがたみがわかっていませんが・・・。

 

ちょっと医学的な評価を見てみよう・・・。

https://www.health.ne.jp/library/detail?slug=hcl_5000_w5000320&doorSlug=chocolate>へぇ、胃ガン予防にもなるのか。ふむぅ、動脈硬化を遅めたりもするのか・・・。抗酸化作用ってすごいな・・・。

 

どうやらチョコレートは食べるタイミングが大切らしい・・・。

https://www.health.ne.jp/library/detail?slug=hcl_5000_w5000459&doorSlug=chocolate

脳を活発にさせたい1時間前くらいがいいのだそうだ・・・。

 

http://www.chocolate-cocoa.com/lecture/index.html >日本チョコレート・カカオ協会という団体があったのでびっくりした(笑)。なんでも団体になっているのだなぁ・・・と感心。

 

医者でなくとも、生活に取り入れている知的なヒトは山ほどいるようです。私も毛嫌いはいかんなぁと思ったりする。

そうか・・・。私が苦手な甘みを抑えてあるカカオの純度が高いものだったら、バッグの中に入れて、ごはんを抜いてしまったときに食えばいいのか・・・。ふむふむ・・・。健康で太陽に素直に暮している人々のごはん時間から、私のごはん時間はズレてしまっているので、こうした摂り方は有効だろな・・・。やってみるかなと思う。

 

駅前で暮していると、けっこう洋菓子やさんが多いことには気づきます。不二家もまだあるし・・・。飽きもせず、みんな買っているのだなぁと相当深く感心しているのですが、やっぱり甘いものが必要なときには、身体がヘタレているのかもしれず・・・。

 やっぱり本能だよね。でも、私は砂糖ではなく、分解するのに時間がかかる糖分でもいい感じなのはなぜなのだろうか?液体だとそれほど時間がかからない気がするからなのか?←アルコール(爆)。

 

こうして生きているのだから、味として甘いものが好きではなくとも、きっとブドウ糖のほか、糖分はちゃんと摂って、蓄積されすぎたから若い頃よりも太ったんだろうしなぁ・・・。と思いながら、それよりも飲酒や喫煙で動脈硬化が心配だし、そんなにいいことがあるならば、カカオの純度が高いチョコレートならば、食べてみようかなと思ったりした今朝でした。

 

西さんは、昨日、夜の11時半過ぎに戻って来て、朝っぱらは4時に起き、7時に運動に出かけ、歩いたり走ったりを1時間半して、今戻って来てシャワーを浴びています。元気なヒトだ・・・(汗)。おまけに昨日は、「待ちくたびれたよぉ・・・」と言った私にビールがないことを知り、さっそく近くのコンビニまで買いに行ってくれました(徒歩1分なんだけどね・・・)。ちょっと考えられない元気さです。今日もこれから、いろいろ頼みます(爆)。

 

スキルアップの計画

05/28/2008にアップした文章です。

 

今日のニュースでは、自分のスキルに満足していないという人の統計が載っており、「ふむふむ・・・」と、にらみつけるようにして見入ってしまいました。対象者は、20代・30代の就業者なのですが、これがアルバイトやNEETやホームレスなどを含めると、ものすごい数値になるのではないか?といろいろなことを考え、さらに、まだまだ働かないと生き延びていけない、40代~60代までを考えると、さらにきっと増えるんだろうな、と。どんなスキルがあれば、ということはまず横に置いておいて、このプランニングについて一考。

 

元記事はコレ>http://career.oricon.co.jp/news/54948/full/ パイチャートが立体的になっており、けっこう好感が持てたりしている(笑)。ビジュアルに騙されないようにはしたいものの、わかりやすくする努力は評価したいものです。

 

これによると、半分以上の人々が、スキルアップのための努力を、強制的であれ自主的であれ、しているということになるわけです。およそ、80%の人たちは、なんらかの形での努力をしていると答えています。では、なぜにスキルアップに繋がっていかないのか?というのは不思議。

 

ひとつは、高望みしているに過ぎないのではないか?というのが疑惑として持ち上がるのですが、もしかするとそうではないかもしれない。なぜならば、終身雇用制の神話は崩れ、いつ首切りになってもおかしくはないし、転職も昔ほどしづらい環境ではなく、新しい職場では、今のスキルのままでは好条件を提示してもらえないかもしれないわけです。なので、『(今の仕事において)業務で困ることはないが満足していない』というのは、至って賢い判断なのかしれません。

 

私も自分のスキルには満足しておらず、40代になったってまだまだ学習は続くのである。なんたって、生涯学生でいたいわけなので、自分に何が足りていないのかはけっこうわかっているつもりで、その中でも早いところ反映するものを選んで、苦痛少なく収入に繋がったらいいな、というものにしなければならないプランニングのキーをわかっているつもりでいたのです。が、産業カウンセラー講座では、初日から、「取ったからと言って直接仕事に繋がるわけではありません」と言い切られてしまい、実際に受けた座学講義の日には、客員講師が質問してみたところ、200人中、10人くらいの人が、コレ1本で食べていきたいという質問に手を挙げていました。私は挙げていません。何かとコンバインすることにより、強化するとは思っていても、コレ1本では無理だろう・・・と、現実は厳しく見ています(苦笑)。

 

英検1級も、6月15日も無理で、10月19日も無理なんだよなぁ・・・(汗)。次が、1月25日だからたぶん大丈夫だと思うのです。その後、英検1級で英語試験や一部試験が免除になるいろいろな資格があるので、通訳案内士や英語教員のラインセンスだけは取れそうです。産業カウンセラーのコースは、16時間だったかお休みすると、補講を受けねばならず、その補講が1日1万と有料なのです。シリアスな問題です・・・。6月などに使ってしまうと、もしも病気になったときに心配だし、10月に使ってしまうのも同様で、今のところ、あちらを優先しようと思っているわけです。が、10月には私の生徒さんが英検を受けるので、いっしょに会場に行く意味も含めて、受けてみてもいいかなとは、少しは思っているのでした。

 

そのあとには、キャリアプランナーや生涯学習指導者や、いろいろ取ろうと思っています。日本であと何年働かなければならないのかわからないので、前のめりで学習しつつ、働いている自分のイメージだけは維持していこうと・・・。その後もいろいろな資格があれば、着目してやっていこうと思っているのですが、勉強するのはまったく苦痛ではないので、これは生かして過ごしていかねばならぬ、と・・・。

 

母などは、私がもう再々渡米はしないと思い込んでいる節があるので、ちとまずいのですが、まぁ、その時になったら、お金がモノを言うのでしょう・・・←短絡的ではあるが、事実である・・・。

 

スキル:訓練して身につけた技能。

訓練:(1)あることについて教え、それがうまくできるように技術的・身体的練習を継続的に行わせること。(2)〔教〕 児童・生徒に直接働きかけ、目標に到達するまで継続的に行わせること。(3)ある事を習熟させるため、実際にそれをやらせること。

技能:物事を行う腕前。技量。

向上:(1)能力・性質・程度などがよりよくなること。⇔低下 (2)最上。最高。

 

なんだかいつもの定義が遅くに来てしまいました。継続的に練習をしなくてはいけないのだな・・・。これは、まさしく心理学の「記憶・学習」のエリアなのだ。伊達に学んでいないので、これをどう計画に応用していくか?ということになるのである。そうなると、私がカウンセラーの資格が取れれば、キャリアだけではなく、学習プランナーという肩書きすら名乗れるのではないのか?ちと調べてみる・・・。うーん、生涯学習指導者や、その英語に特化したプランナーの資格はあるが、学習プランナーというシンプルなものはなさそげ。ITや商業など、特化したエリアにはあるようです。キャリアプランナーなどは、ちゃんとカウンセラーの資格の中に盛り込まれていますが・・・。あれもあるといいんだろうなぁ・・・。http://www.career-npo.org/ でも、ちょっと素人っぽいHPの作りで、だったら米国資格のほうがいいのかも?とも思えてしまいます・・・。日本で取るには、これです>http://www.career-npo.org/GCDF/index.html アメリカでは、Industrial/Organizational Psychologyを学ぶと、ライセンスは卒業時に受験資格がもらえ、勉強をしっかりしてきていれば、かなりの確率で受かります。私も、アメリカに行って受けたほうが早いです、コレであれば・・・。

 

私の生徒さんで、資格を30種類以上持っている二十歳過ぎた男性がいることは書いたかと思います。彼の場合、実際に使わない資格のほうが多く、その維持費(更新料)で、毎年給料の1ヶ月分ほどが飛んで行ってしまうそうなのです・・・。それは切ない・・・。30以上も見境なく取るからだ、という噂もありますが・・・。が、どうして彼の英語は伸びないのか?とそれはそれは、七不思議くらいに不思議なのではあります。

 

現在、どんなスキルを持っているのか?というのが、まず「どんなスキルが欲しいのか?」よりは、順番としては妥当です。どんなスキルを持っているのかを知らない限り、その平均への欠落は埋められず、次に目指すスキルまでのギャップの予測も立てられません。派遣会社に登録する場合、こんなのをやってくれる会社はあるようです。

 

 

あ、そろそろ授業に出かける時間になってしまいました。今日も貧乏暇なしです。明日の夜中には西さんが帰ってきますが、翌日金曜日の午後も夕方からは仕事だし、Cozyにいろいろ話す時間もそれほどたっぷりあるわけではなく、私は寝ないと使い物にはならないので、西さんがどれくらい疲れているかによって、私は今回も、立っている西さんを使いまくることになってしまうのでしょう・・・(汗)。確定申告のほか、やることはたくさんあるからねぇ・・・(笑)。私のスキルアップのためには、時間を惜しまない西さんなので、たいへんに期待しています。どういうことになるかはお楽しみ♪

 

日本と米国の教育の大きな違いは?

私はほぼ皮肉的に自慢しているのですが、小学校から大学中退まで、日本ではほぼ勉強をしない子で、授業をまじめに受けた、という記憶がないです。いつも黒板を観ても「次の日直まであと何日」と数えていたり、校庭を見てドッヂボールのうまいランキングをつけていたり、教科書にいろいろ妄想を書いたり、イラストの練習をしたり、友だちに手紙を書いていたり、とまぁ、やることは山ほどあったようです(笑)。あ、よくやったのは本を読んでいましたね (・・;)

 

なぜだったのかは、アメリカに渡ってからわかるようになります。

 

講義型ではなく、参加型だったら、私はもっと勉強をする子になったと思うんですよね。そして、24歳を過ぎて、参加する楽しさを知るのです。そういえば、日本でも学級会・理科の実験・体育・図工・技術家庭は、それなりに記憶があるので、そこは授業を受けていたというより、参加していたと思えるのです。アメリカでは、航空専門学校もアダルトスクールも大学もみな驚くべきことに参加型なのですねぇ。講義の部分はミニマムにして、参加させることで先生がサボっているように見えるけど、よく作られていたと思えるのです。なので、マンモス大学である UC Berkeleyでは、コアの授業になっているものが大嫌いで、大講堂で200名くらいの生徒で講義型になるもので発言ができないと、やはりどのようにノートを作るか、で勝負が決まるなぁと思ったりしていました。

 

参加型のよいところは、常に「自分で答えを考える」というプロセスが入ります。誰かの顔色を観て少ない質問に「正答する」を目指すのではなく、多くの他者の考える段階をしっかりとつぶさに見える、というアドバンテージが加わります。そして自分の考えるプロセスを他者に観てもらえて、意見の交換ができるのは、毎日5時間授業を受けていたとしたら、生涯でものすごい差ができると思うのです。大人になって社会に出て仕事をする前で、ものすごい差に既になっていると思うのですよ。

 

アメリカでは就職をした段階で、すでに能力の評価はシビアに始まります。なぜならば、大学生のときにすでにインターンシップがあるからで、そのときに失敗したり、試行錯誤したりすることは社会的に広く許されていますが、お金をもらう段階になって「研修」というのは、なんだかとっても違う・・・。研修中は少ないお金であっても致し方ないので、終身雇用制度が日本では定着した、という考え方もありますが、実際には教育から始まっていると思えるのです。

 

日本よりもずっとアメリカのほうが学歴社会ではあると思います。ありがたいことに私はかなりいい大学を出たので、社会的評価は高いです。オマケです(^^♪

 

なぜ、小学校から大学までロクに勉強をしてこなかった私が、これほど世界スタンダードに通用したのか?と考えると、やはり「自分で考えて答えを出し、答え合わせが楽しかったから」に相違なく、この体験を元にPrecious One English Schoolは徹底的に参加型を心掛けています。

 

えええええ!こんなに喋らないといけないのー!?と思う生徒さんは受け始めたばかりのときは多いのかもしれません。が、楽しんでいただいています。しかも「質問を考える」というプロセスをしつこく付け加えているので、自分の考えがクリアになって、一歩一歩を進んでいる実感があるはずなのです。

 

倦むことなく、それにおつきあいするのは、脳内を垣間見えているようで、私にはとってもうれしいモーメントの連続です。これでごはんが食べていけるなんて、ものすごい僥倖なのだといつも思っております。

 

日本の教育を北欧型にするとか、いろいろな試行錯誤をしている様子ですが、なかなか実現しないですよね。そのために学校以外に塾があったりする・・・。そろそろ繰り返しの演習や勉強時間数にこだわるのはやめていったほうが、本当の意味で発展していくと思うのですが・・・。

 

懐古主義に陥る

05/28/2008にアップした文章です。

 

ここのところ、ありがたみが薄くなっている傾向がなきにしもあらず。私は、これまで自分がパイロットをやった時期も、最新学界論文にアクセスできても、やはり「これはオマケなんだ・・・」と思うことを忘れることはありませんでした。昨日書いた携帯にしてもそうで、携帯がなくとも生きていけるMannerismや立ち居振る舞いを身につけた上で、その恩恵に預かるという基本態度は変わっていません。PCおよびインターネットも早期に導入しましたが、それへの態度も同様です。そこで、「昔はよかった・・・」と短絡的に考えるのも、ちょっとジャンプしすぎではあるのですが、私にもやはりそういった傾向はあり、子どもの頃のことはやたらとなつかしく思うのです。

 

懐古:昔のことをなつかしく思うこと。懐旧。

昔:(1)現在から時間的にへだたった過去の一時点または一時期。いつとは特定できないが、回想の対象となる過去のある時。(2)過去の10年間を一単位としていう語。(3)(単に)以前。現在と対比してとらえた過去のある時。(4)今は亡き人。故人。(5)前の世。前世。

なつかしい:(1)昔のことが思い出されて、心がひかれる。(2)久しぶりに見たり会ったりして、昔のことが思い出される状態だ。(3)過去のことが思い出されて、いつまでも離れたくない。したわしい。(4)心がひかれて手放したくない。かわいらしい。

 

10代の頃は、昔という範囲がやたらと狭かったのですが、それでも新しい単語である「昔」をやたらと使いたがったらしく、叔父や叔母などから「あんた、何年生きてると思ってんの!」と笑われた記憶があります。それでも、緩やかな時間が流れていた子どもにとっては、昔を思い出すことも多く、いろいろなことができるようになっていたことに驚異的な感慨を覚えたり、勇気が増えたことに対しても誇りを感じたり(ほら、注射とか検診を同級生の前でやったりしたよね・・・)、少ないバケーションの機会を振り返ったりと、頭の中はたいへんに忙しかったのです。

 

そして、10年一昔というように、10年単位で振り返れる時間が過ぎたことを認識すると、もっともっと昔に対する懐かしみは増えていくわけです(笑)。私の場合は、「日本-アメリカ」と時間を区切れる大きなドラマチャンスもあったので、振り返りは建設的に行われたかもしれません。うーん、いや、非建設的に行う場合だってあるか・・・(汗)。

 

振り返る:(1)体をねじるようにして後ろを見る。(2)過去の事を考える。また、回顧する。

 

うん、このように、振り返るというのは、日常的な体位ではなく、エクストラの情熱や意識や動きを要するはずなのですが、どうしてか、私という個体にとっては、過去の統計を引きずり出してくることや、過去を考えることはそれほど苦や努力を要する行為ではないらしい。それを悟ったのは、10代の終わり頃で、他の人よりもずっと記憶力がよく、かなり頭の引き出しが整理されていることに気づいたわけです。

 

インターネットが便利なのは、その自分の記憶をチェックできることで、30代に突入する前は、それほど自分の記憶の正確性に自信がなかったのですが、今、オンラインに山ほどの情報がある昨今、自分の記憶力というのは、かなり平均を凌いでいるということがわかる・・・。正答率が高いのよ・・・。自分がこうしているときに、世の中ではあれがあったじゃないか・・・というようなことへの正答率。ただし、私は貧乏に育ったので、流行モノについては正答率は高くなく、TVも大して見ず流行にも気づけないやつですらわかるほどの大流行に関してだけは、よく繋がる。ましてや、日本には18年半の不在があり、そのあいだの1年だけの記憶があるわけです。あとは、里帰りをしたときくらいなので、大した記憶はなく・・・。ネットができてからは、大きな事件だけは入るようにはなるのですが、気があるかないかでその記憶の定着度も大いに違ってきます。

 

というのを前提にして、私は過去を懐かしむ体質が過ぎるのか?

 

実際は、よく思い出すことは思い出すし、愛おしいという気持ちも大いにありますが、特にあの頃になど戻りたくもなく(爆)。ネットがない時代なんかには戻りたくないよっ!と思うのです・・・。さっぱりきっぱりだな(爆)。PC依存症を克服してからはや10年。最初の2年くらいは本当に中毒状態でしたが、やっと日常生活の優先順位をしっかり遵守できるようになり、ゲンジツとバーチャルの錯覚にも陥らなくなり、こんなに便利に使えるものを、いまさら手放したくはなく・・・。昔は、図書館で半日掛けなければわからなかったことが、今じゃ、ネットで15分から30分でわかってしまうという便利さ。しかも、英語も日本語もアクセスできるので、図書館のぼろいところに行くよりもずっと効率的なのだ。

 

国際電話だって、1988年時点では、最初の1分間が360円で、1分加算されるごとに200円くらいは確実に払っていたのです。今じゃ、スカイプで無料だし、安いカード式のものだと、1分2円くらいでアメリカと話せたりします。すごい進歩である。ありがたやありがたや・・・。

 

それでも、私はネットがなくとも生きていける素地があることを、どこかで誇りに思っているわけです。昨日の続きですが、調べ物ができない人々が、いきなりネットから入ることによって、どれだけ能力の磨きの機会を逸しているのか?を考えると、相当に果てしないのだろうと思うのです。数値化することは容易ではないですが、不可能ではありません。かなりな差がそこには出てくると思うのです。

 

校長センセは、コメント欄に無線のことを書いておられましたが、無線の基本的仕組みを知らないヒトが、携帯電話の恩恵を受けていることで、携帯電話がないと待ち合わせでお友だちに会えなかったり、仕事の進捗が左右されたりすることがある、という事実は、問題視したほうがいいのでしょう。テクノロジーの進化は、あくまで「オマケ」なのだ。

 

たとえば、みんなで遭難したときに、誰が生き延びるのか?という、ゲームではないサバイバル状況があったときに、きっと何もできないヒトは先に死んでいくのでしょう。もちろん、優しい人がいて、食べ物や水を分けてあげたり、背負って歩いてくれることもあるのでしょうが、その人の体力を消耗しすぎて、サバイバルチャンスを減らすのは愚かです・・・。みんながRamboじゃないんだから、Ramboは生かしておかないとね・・・(やたらと現実的だが・・・)。

 

そういう理由では、私は懐古主義に陥り、昔はよかったなぁと思うことはあります。特に、カミナリが落ちそうな夕立は、もうこのアスファルトが多い都会にはあまり来ませんし、水のせせらぎの音などめったに聴けませんしね。ただ、頭の中に貯め込んであるので、いつでも引き出すことができることにはとても感謝しています。が、もうあの貧乏には戻りたくもないし、あの苦労をしなくていいならしたくもないですね・・・。

 

何もできないヒトがどうしてテクノロジーの負の面を考えずに、便利に使っているのか?というのは、よく感じますし、気の毒には思います。懐古しても、私はOK。でも、あなたはどうなの?と思うことはよくあります。夕べの授業でも、「携帯を小中学生に持たせないほうがよい」というのは、20年前から誰かが言っていたことだろう、と、多くの生徒さんが笑っていました。そうだよねぇ・・・。でももうひっくり返してゼロから始めることなどできるわけもなく・・・。懐古主義ではなさそうな私ではありますが、何もなくても楽しくやっていく自信があることは、たびたび確認しています。うん、大丈夫!と思いつつ・・・。