性格は大人になってから変わることはあるのか?

当然あります。事故や事件に遭遇するようなショッキングなヘビィなことがあると変わりやすいですが、日常的にも既存の「認知」「環境」にジワジワと新しいものを入れ込んでいるので、それらが蓄積したときにいいタイミングで変わることがありますし、悪い意味でも変わることがあります。

 

性格をきちんと定義してみたことがあるでしょうか?

 

英語では Personalityが個人が持っている性格の全体的なことを言います。その中に、先天性が強いもの:Temperament/dispositionがあって、後天性が強いもの Characteristicsがあり、その両方の影響が強くコンスタントに出るものを Traitsと呼びます。

 

少なくとも私たちが暮らしている「環境」は変わらないようでかなり流動的に変わっています。環境要因となるものは、

 

・親・兄弟などの家族

・友人たち

・配偶者やパートナー

・先生

・上司や同僚や後輩

・知り合い

など人間

 

・住んでいる場所

・時代がもたらすさまざまな変化:音楽・事件・流行など

・職業的な日々繰り返される課題

・学生であれば学習内容

など廻りにあるもので生活に影響をもたらすもの

 

他にも

・宗教

・躾や主義

・政治や経済状態

・戦争や競争

など

 

たくさんのものに個体は影響されて生きています。どんなに明るく育ったとしても、事件や事故に巻き込まれて、その上誰も助けてくれず、行政にも支援が求められなかったり、経済的な苦境に陥ったりすれば、性格も変わります。

 

逆に無人島に閉じ込められたことを想像してみるとわかりやすいかもしれません。生きる術を知らないからと死ぬことを選ぶ人は、育ってきた過程でそうした「認知」を持っている人ですから、苦境に立ち向かわないかもしれませんが、生き延びるためにヒトはけっこう努力するものです。

 

こうしてインフラが整い、恵まれた環境の中にいると、「性格なんて変わるわけない!」と思っている人も多いんじゃないでしょうか?

 

昔の人が言った「苦労は買ってでもしろ」というのは、きっと成長のために大切だから、という意味が強いんですね。

 

充分に恵まれた中、スマホの機種や容姿やファッションなどにだけこだわっていると、よい方向に成長する機会を逃してしまうかもしれません。そうした意味では、何もない停電状態や脱インターネットで過ごしてみる、など昔返りをしてみると、思いつくこともあるかもしれません。性格もきっと変わります>まず少しずつのカケラである認知が変わります。

 

やってみる価値はあると思います!

 

が、大切なのは、「いい性格とはどういうものか?」という理想形を自分が持っていることですね(^^♪

 

 

打てば響く

06/27/2008にアップした文章です。

 

やはりこれは講師の仕事をしているから得られる機会が多いのだろうと、日々の労働の疲れが癒される瞬間が持てることを歓んでいます。打てばしっかり響く手応えを得られるというのは、実際のところはそれほどたくさんあるわけではないのかもしれず・・・。私の思い通りにしたいわけでもなく、他人は他人でいい、というのが私のスタンスではあるんですが(そうでないと疲れすぎて死ぬんじゃないかと思えるので・・・)、10のうちいくつかを語ったときに10を知ってくれる人がいると、この商売はたいへんにラクです(笑)。手抜きをしているのかという錯覚に陥ります・・・。そうではなくて、理解力が速さに伴われているだけなのですが、その理解力の源が、全体の構成や仕組みを知っているということなのでしょう。法則性を見つけるということなのか。

 

私の生徒さんの中で、高校2年だった当時、生まれて初めて受けたTOEICが半年前に630点だった子がいますが、この週末はその子が800超えをするかどうかの瀬戸際です。彼女の賢さには目を瞠るものがあり、見ていてとてもうれしくドキドキします。ただし、体調が悪かったり、精神的に不安定でイライラしていたり、混乱していたりすると、それが如実にスコアに出るわけです。しかも、「ねばならぬ」に縛られていることを、第三者として見ている私だけではなく、本人がわかっていることで、それが大いなるハードルになっていて負担になっていることは確かです。それが軽減されるために、私に言えることは限られており、それをどう受け止めるのかは、彼女の賢さではなく、生命力のほうに賭けておきました。私は、彼女は830は取れると踏んでいるのだけれども、プレッシャーを跳ね除けるのはたいへんです。

 

受験生としては、やはり家族や社会の期待に押しつぶされそうな圧迫感があり、そこからはなかなか抜け出せないのではありましょうが、私はどうだったのか?という話をして、あっけらかんと雲を退ける時間を持てるゆとりを持てるコツなどの談笑をして送り出しました。しかも、彼女はTOEICを日曜日に受けた翌日から、期末テストで、その結果が内申として受験校に送られる、というわけで、昨日も、「どうしよう・・・。どうしよう・・・」を連発していたのです。彼女はとりあえず、2年半先までのプランを持っており、その先も「ひとりで経済的にまず自立するためのスキルをつけること」というしっかりしたビジョンも持っており、私は彼女に期待はしないように自分を窘(たしな)めながら、できるだけ目撃者になりたいと思っています。

 

それを見ていて思ったのは、私もおそらくそれほど頭の悪い子ではなく、ただ、勉強をやろうという意志がなかったことや、ヒトとしての安定に欠けており、一体全体、人生に当時は何を求めていたんだろうか?という謎ですね(笑)。とはいえ、私の場合は、渡米したあとにそれまでの怠惰を挽回するチャンスがあったので、本当によかったですぅ・・・。

 

ただ、私の場合は、それほど身につけてきたスキルをフルに使っていない・・・という贅沢な現実があるのですが・・・。もちろん、プロセスで身につけた経験というのは大いに生かされており、厳しい自律とEasy-goingが見事にコンバインしたラクな生き方ができているのも、それらのおかげなのですが。ただ、ひとつだけ言えるのは、私は10代の頃から、もしかするとかなり小さい頃から、「打てば響く」子だったんだろうということ。

 

打てば響く:すぐ、その反応・効果が現れる。

 

Mental Chronometryという言葉があります。頭の中で行われている精密時計の働きのことです。考えというのもある規則性があり、それに沿って動いています。

 

たとえば、演繹法と帰納法の違い。

演繹:(1)〔deduction〕諸前提から論理の規則にしたがって必然的に結論を導き出すこと。普通、一般的原理から特殊な原理や事実を導くことをいう。演繹的推理。⇔帰納 (2)一つの事柄から、他の事柄に意義をおしひろめて述べること。

帰納:(1)〔induction〕個々の特殊な事実や命題の集まりからそこに共通する性質や関係を取り出し、一般的な命題や法則を導き出すこと。⇔演繹(えんえき) (2)反切によって漢字の音を導き出すこと。

http://www.abysshr.com/mdklg010.html 

 

目の前にあることからどちらを使ったほうがいいのかを瞬時に判断することが、あるヒトにとっては簡単でも、あるヒトにとっては難しいかもしれません。そうした頭の中で行われている動きが精密に働き、ある結論に達したり、行動や言語として外に出るものたち(複数の場合が多い)が見られたときの時間の短さを、「打てば響く」というわけです。

 

この時間を短くするために、算数や国語などではドリルを用いていますが、私はアレを決していいとは思っていないんですね。側面でしかなく、あれが学力になるとは思っておらず・・・。そろばんも同じでしょう。その速さの対象物が、とても限られているというところが問題で、その先、その速さを使って何を考えていくのか?というところがどうも引っ掛るんですよね。あれだけをやって、あれが楽しければずっと続けていくのかもしれませんが、対象物が広がらなければ「ただ計算が速いだけ」「ただ漢字を書くのが速いだけ」で終わりますもんね・・・。多少の応用が利いて、その先、もう少しだけ複雑な問題を速く解けるようになるかもしれません。が、どこまでが頭打ちなのか?という問題になっていくだけのような。

 

が、やらないよりやったほうがいい、ということなのかもしれず・・・。なので、全面的な否定をするつもりはありません。そのあと、を次々提案していくのはいいことなのか?ここに自主性・自発性がなければ、あまり効果が上がっていないという例のほうが、うんと多いのではないかと思うのです。

 

とかって、私が公文やそろばんをやれなかったことへの恨みのように聴こえたらごめんなさい(汗)。

 

頭の回転が速いヒトを見ると、それをもったいないと思うことがたまにありますが、何も勉強だけがすべてではないので、仕事やその他に応用していることをひたすら願うことになります。ただ、頭の回転が速い生徒さんの英語の伸びが悪いときには、ちと苦悶することになります。正しい勉強法を他の科目で本当に身につけてきたのか?何であれば頭の回転が速く、どんな分野が苦手なのか?という深い探訪が始まります。たいていの場合は、「身体のバランスが悪い」という第一関門で躓くケースが多いのですが、他にもRote(暗記)勉強ばかりをしてきていたり、性格のよさと悪さをまったく鑑みないでひたすら他の人と同じことを模して勉強してきたり、と、いろいろな原因があります。せっかくの「打てば響く」分野があることを、他に応用できないままでいる人というのは、本当にもったいない・・・。もったいないオバケが出ます。たいていのヒトがそうなのでしょうが、「嫌い」「やらなければならない」という縛りがでっかいことになりますね。

 

私の今日の生徒さんは、Major League Baseballを教材に使っています。グラマーを英語で学ぶ他、電車の中でListeningをしてもらい、楽しさが増すように、という教材選び。まずは地理。白地図を渡して、Major League球団の本拠地を書き入れてもらったのですが、50州もある略になっている州の名前だと認知するだけでもたいへんだったようです。そのあと、Ticketの買い方をオンラインで見てみる。日本の相場と比べてみたり、ホームチームとヴィジター席の雰囲気などを話したり、というところまでやりました。今日は、その延長で、好きな選手の解説を説明してもらうことになっています。そして、いよいよビールやおつまみを買う、というところへ(笑)。かなり楽しいですよ♪こういうレッスンをすると「打てば響く」が大繁盛します(笑)。

 

打てば響くような反応ができるよう、たくさん眠って、おいしいものを食べて、キビキビ動きたいものです。

 

危うい土台

06/26/2008にアップした文章です。

 

システムという制度や成り立ちの基礎がこの世にはあるのですが、その土台が危ういなぁと思うようになったのは、大人になってからです。それを「磐石である」と喧伝して、信頼を勝ち得ようとしているのが、国家や世界を牛耳っている人々なので、私は子どもの頃は騙されていました(笑)。その脇で、暗い部屋の中、TVはプロレスか野球かNHKしか見なかった父は、TVに向っていろいろな不平不満をもらして、「何言っていやがるんでい」などとばっさり斬っていましたが、今はその気持ちがわかります。父がいて、母がいて、屋根があり、着るものと食べるものがあれば、私は幸せに思っていたのですが、そうでもないことがだんだんわかってきて、この土台の危うさについて、昨今ではもっと考えるようになりました。

 

母は相変わらず、当時と同じように、その日の食卓のことや、家をいかに便利に使うかだとか、支払いをどうこうだとか、お金にゆとりがあったらどのおいしいものを食べようか、などということばかり考えており、みのもんたや花まるマーケットで言った情報をそそくさメモっています。当時からそんなだったので、大いなる期待などはとうに諦めていますが、彼女ですら不安感というのはある。それは、危うい土台に対しては諦めきっており、私の肩に重くのしかかってきているわけです。

 

「あら、あんたがそんなに頭がいいなら、任せたわよ」と(爆)。そりゃー、TVで流されていることのすべては信じてないですからねぇ(笑)。それくらいは賢いかと・・・(汗)。

 

私はアクション映画というのがあまり好きではなかったのですが、Die HardとLethal Weaponから好きになりました。ありがとう、BruceにMel!という気持ちです。アノ手のことが凡人の私に起きるわけはないのですが(主人公は警察だし)、あのピンチに立たされたときのたゆまぬ努力と決してギブアップしない粘り、Improvise(工夫)をする頭の回転の速さというのに、たいへんにびっくりし、「いやー、アクション映画は見なくちゃダメだ・・・」と思うようになりました。渡米してから2年目のことだったので、そのあと、かなりのアクション映画を乱雑に見た記憶があります。しかも、私にはマッチョな血があるんだろうなぁ。かなり性に合ったので、シリーズものはすべて続けて見た記憶あり・・・。

 

土台: (名)(1)木造建築で、柱の下にあって、柱から伝えられる荷重を基礎に伝える役割を果たす横材。(2)家や橋などの建造物の底部にあって、上の重みを支えるもの。基礎。(3)物事の基礎。もとい。基本。

 (副)〔「土台からして」の意から〕根本から。根っから。もともと。元来。

基礎:(1)物事が成立する際に基本となるもの。(2)建築物の重量を支え、安定させるために設ける建物の最下部の構造。地形(じぎよう)・礎石・土台など。

 

私が常日頃から考えているのは、駅の階段から転がり落ちて、頭を打って死ぬなんてことは、起きても何の不思議もないし、それこそホームから落ちて轢死するのも不思議ではないよなということ。それでも、そういったリスクをまったく感じることもなく、人々はこの社会を信頼して生きているんだなぁと。私は、下山事件・三鷹事件・松川事件なども併せて思い出してしまい(って、生まれてすらいなかったのだけれども、父や母は語る人々だったんだよねぇ・・・)、あれくらいのミステリーに巻き込まれるほど重要人物ではなくてよかった、とも思う(笑)。あの頃の激動は、土台に対しての抗いを誰かが行動に移していたのですが、今、凡人がどのように行動に移せるか?というと、ボランティア活動や、ネットでの啓蒙活動やら、NPO法人の設立など、なんだか実際の行動としては、静的になってきています。効果のほどがどうなのか?という疑問も湧きます。

 

アクション映画を見て学べるのは、最後には体力と折れない心だということがしっかりテーマとして前面に出てきていること。確かに原始的なのだけれども、ヒトだけが特別な文明を持った存在として胡坐を掻いていていいわけもなく、それだけは努々(ゆめゆめ)お忘れなく・・・と、いつも思っているのです。

 

夏になり、戦没者を弔う慰霊祭などが行われてきていますが、それをまったく「大昔に起こった他人事」としてしか捉えていない人々も多く、極限の状態に置かれた体験がないことに対して感謝するなどということよりは、日々の暮らしをおもしろおかしく過ごすことのほうが優先されるというのは、なんだか傲慢すぎると思うのです。もちろん、諸外国人たちに対して、私は恨みつらみをつらつら語られたことは、18年半の生活の中で、一度しかないのですが(それもReno, Nevadaのカジノでフィリピン人男性に言われた・・・。63歳だったのですが、わからないでもないのでずっと傾聴させてもらっていた・・・)、それでも人類の一員としては、「歴史を担っているからこそここに存在させてもらえている」という感謝は、まずありきです。西さんにしても、台湾に長いこと住みましたが、ただの一度も文句をたらたら言われたことはないらしく、中国に常駐している今も、そういう話はまだ現地の誰ともしたことがないらしい。しかも、「若い人ばかりが回りにいるので、そういう話になるかどうかもわからないなぁ・・・」とのこと。

 

昨日は、なぜかひとりで乃木希典についてのWikiを読んだり、少し調べ物をしていたのです。どうしてそうなったかというと、自殺者一覧というのにぶち当たってしまい、ゲンダイから昔に遡っていったら、自然彼まで行ってしまった・・・というだけだったのですが。『坂の上の雲』が大河ドラマになるのが待ち遠しいところですが、あれらがあったからこそ、私たちは今ここにこうして生きていることは、決して忘れてはいけないことなのだと、自発的に思ってくれる人々が多くなければ、このまま土台は危ういままで社会は変わっていかないのだろうと予測します。

 

そういえば父は、年金制度が始まったときにも文句を言いたい放題言っていた、と、母が言うのですね(笑)。父にしてみれば、戦争時代からの年金制度のうやむやさというのが、どうも胡散臭かったらしく、職域集団ごとに加入していたというばらつき年金が、統一化されることに関して、まぁ、元々社会党が好きな人でしたから、ものすごい勢いで文句をたれていたらしく(爆)。今頃、「ほら見ろ!」とおっしゃっている方々も多いに違いなく・・・。父もどこかで言っているかもしれず・・・。

 

昨日も生徒さんと話していて、「わかる人にしかわからないし、誤解されやすい言葉ではあるんだけれども・・・」と前置きをしておき、「人類の人口は減ったほうがいいよね。そこで選民をせねばならぬというところがジレンマだし、いろいろな国があるから、そこでのパワーゲームがあって、なかなか実現しないけれども」と。たくさんの人々のたくさんの思惑や強欲があって、どうも世の中はずっとずっと複雑化しすぎており、私などには到底ついていけるものではなく、最初からパワーゲームには最低限しか参加できないし、する気もないし、生き延びていける道を確保するためには、「せめて土台だけでも・・・」と思いつつも、それがいかに危ういものかと、日々脅かされている感じだよね・・・と。

 

とはいえ、私は子どもにはシャーペンではなく、鉛筆削りでもなく、ナイフで鉛筆を削れるようにはなってもらったほうがいいと思っており、危うい土台に太刀打ちできる能力と技能は身につけてもらいたいと思っています。大した矛盾なんですが、そのためにもまだまだこの先も母が大嫌いなアクション映画は見ていくのだろうなぁ・・・(笑)。体力と折れない心。このふたつだけは常に保っていかねばと思うのでした。

泣きたくなるほどなつかしい

06/25/2008 にアップした文章です。

 

私の涙は、私的にはそれほど価値がないのですが、私が泣いているところを見たことがあるヒトはとても少ないので、外向的には価値があるのかもしれません。毎日いくばくかの涙を流す日は続いていますが、大安売りなのです。La Isla Bonita(マドンナの往年の曲)を久々にビデオクリップで見て聴いたくらいで泣けますから(笑)。泣けて気持ちよかったので、さらにAerosmithやらCeline Dionやら、泣ける歌特集をやって、30分ほどひとしきり泣いておきました(笑)。涙を誘う理由というのは、いろいろ違うのでしょうが、どんな理由でヒトは泣くのだろうか?

 

涙が出る構造>http://www.ocular.net/jiten/jiten004.htm 生命体の一部であるヒトとしては、このような役割を担って泣いているわけですが、人としてはどうして泣いているのか?

 

http://www.nagaitosiya.com/a/cry.html 

(※リンクが過去のため下記のまとめとマッチしていない場合があります)

これをまとめてみると、

  1. が生物学的理由について追求しており、
  2. Freyの説を用いていますが、これが一般人に向けた英語の新聞記事。http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?sec=health&res=9F00E4D71738F932A0575BC0A964948260 女性の涙の理由:悲しみ→ヨロコビ→怒り→同情・心配・恐怖。ちょっと調べてみました。すると、女性は、1ヶ月に5.3回泣くそうで、男性は1.4回。これはアメリカでの調査です。文化的背景としては、日本とかなり近いものがあるのですが(これまでの感情的な査定では男女差は、時差が多少あるものの、男性優位+最近の女性進出という秤で近い)、日本も真面目に調査するとそれくらいになるのかなと思わせる数字でした。なので、社会的地位を獲得してしまった大物女性は泣かないのだそうです。
  3. は、「洗い流し作用」を象徴的に説明しており、『うれしくて泣く時とは、棚から牡丹餅が落ちてきた時ではなくて、積もり積もった苦労と心配を洗い流す時なのだ』ということらしい。『涙を流すということは、悲しさ、悔しさ、心配、恐怖といった心の中に生じてくるごみを象徴的に洗い流し、排除しようとする、システムの自己防衛反応であると解釈することができる』と〆ています。

4.5.では、この3.についてを詳しく説明しているので、なぜ分けるにしても、3-1、3-2などにしなかったのかわからないんですが、どうやらそうらしい。

 

私も以前に泣くことについては、自分の考えを書いたのですが、泣いてすっきりするのはいいよ♪とオススメすらしたのでした(笑)。

 

私が人前で泣かないのは、大物だからではなく、他人に余計な気遣いをされたり、他人に勝手に「彼女はこういう人だ!」とみなし作業をされたりしたら、とてつもなく鬱陶しい・イヤだからですね。

 

これを読んでから、じっくり考えてみると、私にとっては、睡眠のときの「脳の最適化」と同じくらい、泣くという行為は、記憶の生理整頓になっているらしい、という仮説に達しました。どうしても行動を伴わないとできないのが、私がどうあがいても凡人たる由縁らしい・・・(汗)。

 

カタルシス:(1)悲劇を見ることによって日頃鬱積(うつせき)している情緒を解放し、それにより精神を浄化すること。(2)精神分析で、抑圧された感情や体験を言葉や行動として外部に表出して、心の緊張を解消すること。

 

笑いのほうがずっと健康にいいと誰かが言ったか言わなかったか・・・。でも、笑うことは健康にいいとは言われており、どちらが?という比較は誰もまだしていないような気がします。とりあえず、笑いの効用を見てみてください。http://blog.livedoor.jp/ocean3906/archives/50883742.html

NK細胞(Natural Killer Cell)が活性化するんだそうです。

 

私には鬱積している情緒というのがあるのだろうか?と少し考えています。特にないような気がするのは、私に耐えられるだけのものでしかないからなのでしょう。が、大昔、子どもの頃は、鬱積した憤怒は多かった(笑)。たとえば、長女に生まれたことでなんだかんだと条件付けられることだけで、たいへんに不平を持っており、そのフェアさがない事実に対して、どうしていいかわからず、途方に暮れたことがある。家族や友だちと仲良くしなければならない、と押し付けられたり、貧乏を我慢しなければならないと繰り返し言われたり、勉強なんかしなくていいから早く働けと言われたことなども、なんだかとてもわびしく淋しかったので、そのたびに泣いていたような・・・(汗)。が、それだけではなく、何かが壊れたことや、虫の死骸や、誰かが泣いたのにつられてしまったり、けっこうよく泣いた記憶はあり。ただし、私は小さい頃から、親や家族以外の前ではやっぱりあまり泣かなかった。そして、いつしか誰かの前で泣くことはやめよう!と決意したのは、8・9歳くらいだったかもしれない。

 

悲劇を見て、自分の悲劇を軽減していた作用は確かにあったよなぁ・・・。なんて小さい人間だったのだろうと今となっては思うのですが、それも30代半ば頃からめっきり減りました。

 

今泣いているのは、カタルシス効果ではないときのほうがずっと多いかもしれない、と思い当たるようになったのは、「泣きたくなるほどなつかしい」という、この記憶に関するキーワードなのですよ。泣き始める理由が、I have been there(私はそこにいたことがあるわ)というきっかけ。雨の匂いが強烈になつかしかったり、生まれ育つ中で聴いたこともない音楽にムショウに心魅かれたり、私も途方に暮れて夕日が沈むのを眺めていたっけ、などというものから始まる。

 

私には浄化しなくてはならない鬱積した心の不満や憤りが今のところはさほどないので(そりゃ、日本社会全体だとか、世界平和が来ないことなどにはありますが、それが私の心の均衡を揺るがすほどにはなっておらず・・・)、泣きたくなるほどなつかしい風景や記憶が思い出されることにより、「こんなに長い道のりを来たんだな」という心と記憶の整理をしているように思うのです。それはカタルシスなのか?特に、浄化する必要などはなく、あるがままをあるがままに、その当時できなかった説明がさらにできたり、いなくなってしまったり、なくなってしまった人やモノに対してのなつかしさを確認して、忘れないようにしようと決意したり、新たにフォルダを作ったり、ファイルの整理をしたり、というのが泣いている最中の心の動きを受けた、頭の動きになっているようです。

 

泣いてるくせにずいぶん冷静だねい!?だって言われても、まぁ、最近は本当にそうなんですよ・・・。心が千路に乱れて死にそう・・・ってくらいの恋愛などはしておらず、解決できない大問題なども抱えておらず(MatrixのNeoだとか、Spidermanだとか、ウルトラマンのような使命を背負うような人材ではないしさ・・・)、映画などを見ていて泣いても、「私だったら必ずこうしたい」という決意をさらに深めるような作業になっており・・・。

 

さらに私が後日研究してみたいのは、大の男が泣く理由について。私はそもそもメンタリティが中年のおっさんのようなところが、若い頃からあるのです。きっと私が泣く理由もそれらにかなり似ているに違いないのだった。相変わらず泣くことには疲れていません。眠りと同じように私の日常の一部です。うん。

よく日本人は間違いを恐れて英語を話せないと言いますが、間違えてもとりあえずどんどん話したほうが良いでしょうか?

うーん、間違いの回数によります(笑)。たとえば簡単な三単現(he/she/it は一般動詞の現在形では does になる)を何度も何度も間違えていても、聴き手が「間違い」だと指摘してくれないまま、ずっとフツーに暮らしていくとします。そうなると、その間違いは間違いとして存在することがなく、「正解」として存在し続けてしまいます。

 

その思い込み回数は、個体差です。学び方にもよりますし、自分の能力をどのように捉えているかにもよりますし、何を理想形としているか、などなど、さまざまな要因が織り交ざってできています。そのために、さまざまな心理レッスンを通して、自分を知っていただくことを英語学習と並行して行っているので、Precious One English Schoolの特長になっています。

 

恐れる、という心理的な側面は、日本人の「勤勉」「細やかなことに気づける」「洞察力が高い」などの特長と併せると、諸刃の剣となり、ネガティブに顕れるとやはり「腰が引けてしまう」「トライしないで諦めてしまう」「仕方なくやる」などになってしまいます。

 

なので、Precious One English School では、間違いを恐れないようなマインドづくりをしつつも、お試しで話す前に「チャットワークの添削にかけてみる」を促進しています。書いてみて間違えていないと確信できたら、話してみる。その段階では、言い回し・文法・相手によってタイミングによって場合によってこの言い方はぴったりフィット感、という自信が持てるわけです。その上で実際にESLで口にしてみて、通じるヨロコビや充実感を繰り返し得ていただきたく、そのために私個人は主宰として、24/7みなさまと繋がっていきたいと考えているわけです。

 

もし、物理的に観られない人数になったら、他の講師に分担していただこうと考えていますが、できる限りはチャレンジしていく所存です(^^♪

 

間違えて何が悪いのか?と考えてみていただきたいのです。一発で何かができることなど、本当にそんなに頻繁にあるのでしょうか?試しに、パートナーやお子さん、親御さん、ご友人に、愛しているという気持ちや感謝を口にしてみてください。本当に一発で通じましたか?繰り返し出遭い、繰り返しのチャンスがあり、それでも100%満足の行く伝え方など、本当には存在しません。それが「たまーにある」「ごくごく稀にある」からこそ、がんばれる気がします。

 

英語スクールを運営していて感じるのは、日本人はこの「英語」というジャンルをものすごく特別枠に置いている気がしています。英語ができる人をすごいと思う過剰さから、英語が難しいと思いすぎている感や、英語ができないことで未来が閉ざされてしまうと思ってしまうところや、その他、さまざま、すごく特別に感じていませんか?

 

所詮、言葉です。日本語をそれほどに特別枠に置いているでしょうか?逆に、日本語のほうが、言語としてはとても珍しい存在と質なので、そっちがマスターできているのであれば、英語は簡単だと思うのです (・・;) 簡単ではないのは、社会が及ぼす影響にどのくらい Resistant:抗うことができるか?当たり前を当たり前と受け止めないような眼を以って、世のなかを眺めることができるのか?です。

 

なので、Precious One English Schoolでは、心理レッスンでそのへんを磨いていき、間違いを恐れる力、バランスが取れた「怖れではない慎重さや計画性」を学んでいきます。

 

ぜひとも新しい世界のドアを開けてください(^^♪ 無料体験レッスンは随時ご対応いたします。

 

適職を探し続ける

06/24/2008 にアップした文章です。

 

最近強く思っているのが、かなり多くの人々が、すでに就業していつつも、まだまだ転職を考えるようになっていること。これは欧米化のいい傾向の顕れなのか?それとも日本の安定した社会制度や文化が崩れたがゆえのBad Signなのか?と、考えているところです。私は、そもそも「どこの馬の骨」であり、高校進学のときも、大学進学のときも、留学のときも、両親共に「ええええ、行くのぉ!?」と驚かれていたわけで、今、オマケや奇跡に近い教育を受けたあと、波乗りをするように悠々と暮らしているのですが、将来への不安感はそういった意味では、特になく・・・(ないといけないと思うんですが、今まで何とかなってきているので、今後もきっと何とかなっていくと思っており、最大のネックは年齢による就業年齢の制限くらいかと・・・)。

 

自宅でのレッスン展開に移行しようとしている最中ですが、それもきっとどうにかなるんだろうと思っており、HP作成については、西さんにかなり依存してはいるのですが、外注してしまうと力が入りすぎてしまうので、まぁそれでいいだろうと。私の体質としてオトクなところは、未だに中古のコクヨ製のホワイトボードをまじまじと見て、かなり歓べるところなんですよねぇ。小学校の頃、黒板が欲しいとねだった私に、母はつるつるの合板を買ってくれて(いたずら書きが過ぎて、大家さんに土下座してもどうにもならないくらいに、壁という壁、ふすまというふすまがダメになったという経歴があったので)、それにチョークやクレヨンで書いては消し、消しては書き、という日々を過ごしていたのです。まさか、このようないい持ち物が手に入るとはねぇ・・・。新品で12万の品を、中古で3万で手に入れたというのも、誇りのタネです(笑)。ほぼ新品に見えますしね。

 

今後どのような仕事をしていくのか?というのは、もうあまり迷いはなく、あちらから来たらやってみよう、という心持でいます。カウンセラーの仕事ができたらいいと考えているのは、時給換算すると高いことで、年齢制限がカバーできるだろうということや、若い頃よりもいい職業なのではないかということ。さらに、アメリカでせっかく勉強したんだから、日本の資格をひとつくらい持っていてもいいだろうということですね。英語学校を作って、カウンセリングの資格を持っていたとしたら、やっぱりキャリアカウンセリングから親子カウンセリングなど、多岐に渡って信頼度が増えますし・・・。

 

と、私のことはどうでもいいのですが、全般的にみな、今の仕事への満足度について、いろいろ考えているんだなぁ、と。私は、仕事についての考え方は10代の頃から今の今まで、ほぼ変わっていないです。基本姿勢というものを、実は知っているようで知らないのが現実なのではないかと、疑いを持ち始めているところ・・・。

1.生活の糧としての機能を果たすこと>要するにそれなりのお金が得られる。

2.今の能力に見合ったもの、あるいはそれ以上の金銭を得られる仕事>下はダメだということ

3.企業や会社が提示している福利厚生については、アテにしないこと>世の中が変わっていくことを見据えていたし、私個人がひとつの会社でしっかり長く働けるとは到底思っていなかったので

4.生きがいややりがいの前に、まともな社会人としてプロフェッショナルな仕事をすること

 

今でも、この4つの基本的な考え方は変わっていません。このあとに来るのが実際は、適性ややりがいなのではないかと思っているのです。

 

1. のためには、いくらあれば、毎月暮らしていけて、もしものときのための貯金ができるのか?がわかっていなければ、希望収入すらわかりません。相場だけを見ていたり平均を見ていたりするだけは見えてこないものです。今住んでいる地域の情報がわかっていることや、1ヶ月や1年の自分の消費生活がどのようなパターンなのかわかっていることが大切です。実際、そのために小学生の頃、お小遣い帳をつけさせられたと思うのですが、実は持っているだけ使ってしまったり、出納の概念があまりできていないまま、お金は親御さんや誰か(いっしょに住んでいる恋人やルームメイトなど)とごっちゃにしたまま、依存体質のままでいる人々もかなり多いのではないかと思うのです。

 

私は、そういった傾向がありつつも、生活費は高校生の頃から強制的に入れさせられていたり、学費は浪人していた頃から自分で支払っていたので、渡米してからもかなりラクでした。大人になった今でも、たまに母のチェックが入りますが(苦笑)、どんぶり勘定が見事に辻褄が合っているのが不思議でなりません。希望収入もしっかりわかっていて、私の場合は貯金にバンバン廻しているのですが(欲しいものがものすごく少ないんだよね・・・)、豪勢にごちそうしたりもするので、それほど貯まってはいません(笑)。

 

2. についてもリサーチが必要です。どの程度の能力があれば、これくらいが妥当だという相場に、自分の能力がついていっているかどうか?の判断が必要ですよね。就職活動のHow to 本というのがたくさん出回っているそうなのですが、そんなものは他人に言われなければわからないのか・・・と私などはびっくらしてしまうのですが、私は会社勤めをしようと思ったわけでもないので、まぁ、気軽すぎて考えて「当たって砕けろ方式」しか採用してこなかったからなのでしょう。それでも何とかはなるんですけども・・・(汗)。私は、高すぎる売りは反対ですが、将来性も含めた自分の売り方は必要だと思っています。なので、見合った相場以上のところで、プレッシャーを少し掛けられつつ仕事をしたほうがいいと思っているのです。

 

とはいえ、私は今、相場よりも安く働いており、だからこそ自宅でレッスンを開始しようとしているわけで・・・。派遣や紹介業というのは、考えてみると、便利な世の中にはなりましたが、途中でピンハネをする(Pimping)ので、女衒商売と特に違うわけではなく、昔からそれほど汗水流さずとも、他人の上前を撥ねる職というのはあるもので・・・。それはどんな会社にも言えており、製造業にしても、売値-(原価+労働コスト+輸送コスト+広告費 etc.)の残りは、会社にプールされることになっているわけですものねぇ・・・。最終的には独立を目指したほうがいいよね・・・というのは、私の口癖です(爆)。

 

3.については、これだけ世の中が変わっていることを考えればわかることで、Stock option(株を支給してくれてボーナスとするところ)なども、昔はよかったんでしょうが、浮き沈みが激しくなるとそれほどの特典でもなく・・・。健康保険にしても、私は会社勤めをしたことがないし、アメリカでものすごく高い健康保険を支払ったことがあるので、特にそれは「生活費」として考えれば、自由度が高いほうがいいなと選択してしまうのです。が、保障や保証があるというのは、幻想ではなく、ある程度の期間だと読めているのであれば、大切なことかもしれません。年金などはアテにできませんから、自分で養老年金保険を掛けておいたほうがいいですぜ・・・。

 

4.については、どうもこれを強調するヒトが多いのには参っています。自分がやりたい仕事よりも瑣末で単調で繰り返しが多く、能力が高くなくともできる仕事において、プロフェッショナルな態度や仕事が身についていないのであれば、きっとそれ以上の仕事ができないチャンスは多いわけですよ。そこをわかった上で、一部の芸術などの仕事以外では、まずは与えられた仕事をプロとしてこなせるのか?を鑑みていただきたいと思うのです。私は、どんな仕事でも相当に楽しめるので、ただし、長くこれだけをやれと言われるとノイローゼになりそうなので、会社勤めをしてきませんでした。同じメンツだったりしたら・・・と思うと、怖くて仕方ないですし・・・。

 

適性や生きがいややりがいなどを考えるのは、「夢」「段階的学びやステップアップ」としての転職は、まずはこの4点をクリアしてから、といつも生徒さんには言っています>英語を使った仕事がしたい!と漠然としたままで来る人は多いのです。転職組はもう少し固まっているかもしれませんが。

 

適職などは生涯探し続けてもいいんじゃないかと思っており、そんなに簡単に天職にめぐり合えた!と思っているヒトには、私はむしろ敬意を持てないです。自分を知るということは、それほど果てしない旅路なので、そんなに簡単に天職にめぐり合ってもらっても困るだろう、と(笑)。適職は、探し続ける手もありでしょう。宝探しみたいなもんです。いつか、生きがいがお金になるとうれしいなと思えれば、この先もスキルアップしていくのが、きっと楽しくなるというものです。

なぜ子供が生まれると「お父さん」「お母さん」と役割で呼び合うようになるの?

うーん、みんながそうだとは思いたくないおおだいらです(笑)。子ども中心に家の中のルールを整えたほうがラクだから、という動機なんじゃないでしょうか?お子さんが「混乱する」と思っていたり、親御さんのどちらかが、「別々にするのは面倒くさい」と思っているケースが多いんじゃないかと思うのです。

 

生まれたばかりの頃に、「お父さん」「お母さん」と噛みしめ合いながら呼ぶのとは違い、日常的に役割として呼び続けると、実は関係性も少しズレこんできます。これが、「パパ」「ママ」でも代わりはありません。

 

幼稚園の頃の逸話なのですが、「ええええええ!ママにお名前があるのぉ?」と激びっくりしていた子がいました。ママの名前は「ママ」だと思っていたというわけです。表札もなかったのか、表札なんかガン無視だったのか(笑)。

 

ちなみにアンケート結果があります。

 

https://news.livedoor.com/article/detail/9980610/

https://woman.mynavi.jp/article/140816-80/

https://happy-fumi.com/dont-call-me-mam

 

これらを見ると、40%くらいの人たちは、役割で呼ばれたいと所望するようですよね。実際にはイヤだという人もいる中、望む人もいるんですね。

 

心理的には Identity:自己存在証明というのはとても大切です。ヒトはやはり自分の眼からしか世界を観られないので、出発点である自分がナニモノなのか?ということを意識することが重要です。とはいえ、そこを役割ですり替えてしまう日々になると何が起きるか?

 

賢いあなただったら想像がつきますね?

 

夫婦よりも親である互いを尊重しあうようになると、セックスレスが起きたり、子どもを最優先にする生活形態になり、記念日やデートなどどんどん減っていきます。それが当然として、いつしか不満が溜まっていき爆発する危険はゼロではありません。たとえ、望んでいたにしろ、です。

 

なぜならば、子どもはいつか巣立っていきます。その後、彼らは役割が代わり、主人公を孫にして「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び合うようになるのでしょうか?

 

名前というのは不思議なことにものすごいパワーがあります。「優子」という名前がついた子は、自然と「やさしい」に眼が行くようになり気になっていくわけです。繰り返される日常の中、その土台を中心に物事を観るわけです。

 

長い生活をしていく中、自分が消えゆき、役割で生きていくようになり、それが当然だと思いながら生きていき、名前を最後に呼ばれたのはいつだろう?となると、不幸せです。名前をしっかり認識して「ひとりの人間として認められ呼ばれる」というだけで、倖せを感じるホルモン Oxytosinが分泌されます。

 

実際に呼ばれ方で、満足度が変わるわけです。

https://meotalk.jp/life/13147

https://notesmarche.jp/2017/03/23495/

 

英語では特に、Sweetheart, darling, my love, honeyなど、愛していることを繰り返し伝えてもらえるので、特にうれしいOxytosinがたくさん分泌される傾向があります。英語圏で、Dad, Momなどと呼び合う夫婦を、私は未だ実際には観たことがありません。

 

信じてやっていることなのか、習慣や社会の慣例なのか、よくよく考えてみてください!

話していておもしろい人

06/23/2008 にアップした文章です。

 

新しい人にコンスタントに出会い、さらに人と話すことが仕事の主体なので、私は最近贅沢病にかかりつつあります。私にとっての日常が慢性化してくると、どうもつまらなくなり、時間が遅く感じる。これを打開するためにも、私は角度を変えて、目の前にいる人にとっての身近なことや興味のあることに対してのアンテナを張っているつもりでいるのですが、レスポンスが低いと悲しい・・・。それは誰とでのコミュニケーションとも同じではあるんですが・・・。どうもそこには、「先生」と呼ばねばならない、というような、汲み汲みと流れてきた社会の常識にもありそげで・・・。そこを取っ払うのがたいへんではあるのだが、日夜抵抗を続けているのであった。

 

おもしろみを感じる対象が人によって違うことは大いに認めるところなのですが、ヒトというのは悲しいかな、赤ちゃんの頃からセットされており、新しいものに常により興味があるものなのです。それは、生まれてからしばらくは身についていない認知から来るもので、それをObject Permanenceと呼びます。赤ちゃんというのは、そこに存在しているものだけがこの世に存在するものだと認知しており、だからこそ「いないいないばぁ」であんなに歓ぶわけです。その延長で、この世にはいろいろなものがいろいろな場所で自分を中心とせずに存在して、違いを多様に織り成しながら世界を成しているということは、なかなか日常的には意識していないわけです。精神的成熟度が高ければ高いほど、これについては発達しているというのが論理なのですが、もちろん、充分成熟していたとしても、ヒトはEgo-centric(自己が世界の中心にあるという認知)なので、まぁ、だからこそInterpersonal Relationshipでこそ問題は多々起こるわけです。

 

私が英語講師として人気が保てているのは、一重にまだ1年経っておらず新しいからなのでしょう。知り合ってしまえば、私もヒトの目には凡化し、慣れられてしまい、おもしろみが減っていくに違いなく・・・。アノ手コノ手の新しいものを披露していくことができているうちが華なわけです。アポがぎっしり詰まっており、生徒さんの中には、「空いてなかった・・・」と悲しんでくれる方がいて、さらに他の先生に乗り換えることもなく、待ってくださる方もいるのです。そうなると、やはりやはりお代に見合っただけの授業をしっかりせねばならず、英語などというものは、マスターしているヒトにとっては、大した差があるわけでもないので、できない人たちに向けての習得プロセスがさまざまなだけで・・・。というわけで、私はコミュニケーションスキルと話力で引っ張っていくしかないわけです。ところが、これがかなり難しい(汗)。

 

うーん、自分で自分の首を絞めているような発言ではあるんですが、決してネガティブなわけではなく、事実を淡々と述べて認めているだけで、それをどうにかして打破しないといけないと気づきプロセスを満喫しているんですぜ(笑)。

 

だから、大きな企業でも長いあいだ同じメンバーだけで仕事をするのは、どんなに優秀なメンバーが集まっていても、プロジェクトでいい結果が常に出せるわけではないので、人事入れ替えというのがあるわけです。転勤というのも同じ効果を期待しての含みでもあります。もちろん、優秀な人材で「ぜひ」という気持ちがイチバンだと、請ける側としてはうれしいのでしょうが、実際は「今のメンバーとうまく行っていないようだから・・・」というのも、ひょっとするとあるかもしれず・・・←怖がらせてしまっているのか?(汗)

 

私は家にいるときにはほぼ必要以上のことを話しません。ネコたちには話しかけていますが、私などが口を開かずとも、母はひとりで年がら年中話していますから、私が話し始めてしまうと、話がごちゃごちゃになり、母も把握できませんし(笑)。西さんがたまに帰国しても同じことで、必要事項を聞くのを忘れることはないにしろ、それほど細やかに話すということはないのです。無理をして、いっしょに過ごさなかった時間を取り戻そうとする必要もなくなったので(気づくと、もう18年半くらいはいっしょにいるようで・・・)、自然な流れに沿った量のみを話しています。

 

そうですねぇ・・・、量で考えるとそれほど多くないのだろう・・・。私は読書しちゃってますし、ネットで何かを読んでいることも多いですし。

 

が、西さんと話すのは相変わらずおもしろいです。素っ頓狂なことを言ってくれる割合というのも多いし(私の考える道筋と違う対象物などがあるという意味で)、言葉の端折りも多いので私の脳が活性化される機会も多いし(いや、これは母も同じなんですけども、疲れていると、さらに本当に疲れるのですが・・・)、私とは違う生活をしてきているのがおもしろいのです。

 

ええ、私は自分と同じものを持っているヒトよりは、違うものを持っているヒトのほうがいっしょに話をしていて楽しいのです。考えてみれば、同じような考え方のヒトと話していると、ひとりがすばらしいと言い、「そうだよねぇ」「うん」などで終わってしまうのではないか?と(笑)。文句は逆になぜか延々と繋がっていく傾向にあるのはなぜなんでしょね、あれ。「そうそう!」と言いつつ、湧くように出てきているのを見かけます。

 

私は「違い」に注目するという、原始的なところから一歩進めていくのが、話が楽しくなる、おもしろくなるコツなんじゃないかと思っているのです。話だけじゃないなぁ・・・。色気なども差から生まれるし、賢さも差から生まれるんだしね・・・。ある人にとっての新しいことや、知らないことを、いかにおもしろく話せるか?というのは、特にコメディアン資質がなくても誰にでもできると思うのです。同じような人生を歩んでいるようで、実はヒトというのは、それぞれが特別でユニークなわけですから。

 

そういう意味では、私は誰の反応を見てもおもしろいし、自分が提供している話へのリアクションは、なだらかで凪いでいるものでさえなければ(こちらがピックアップできないほど、無表情で無感動だとキャッチボールが成り立たないという意味で)、かなり柔軟に対応しています。「英語ができるようになったらいいこと」というのも、当たり前の基礎的なことから、その目の前にいる人の多様化されたニーズを察知して、それに関連する、新しくて知らない話をするように心がけています。

 

最近、お友だちとして確保!と思った生徒さんがいて、彼女にも話のついでに、文化人類学の話をしたのですが、彼女はイロハから学びたかったようで(自分に追求できるのかどうか知りたかったらしい)、さっそくたったの3日後以内に本を買ったらしいのです。こうした反応の速さはいいなぁと思い、メールでさらに関連著作を薦めておいて、ネットで押さえられるくらいの基礎のURLを貼り付けておきました。そのときの私の話がおもしろかった理由は、彼女にとても近く感じられた、今まで知らなかったことだからなのでしょう。どうしてMargaret Mead(文化人類学者)が自分になど近いのか?と、その関連性にびっくりしたに違いなく・・・。その日の話のなかで、私が強烈に憶えているのは、彼女が言った、「私も自分の周りを眺めて、イチバンくらいにポジティブな人間だと思ってきたけど、10倍も何十倍もすごいかもしれない」と褒めてもらえたことでした。そうか、私はそんなにポジティブなのか、とうれしかったのです♪

 

明日や明後日、このヒトにはどうやって理解してもらえるように話をしようか?と意識して考えるだけで、日ごろ、あまりつまらないことをたくさん量だけ話すのは、やめる傾向にあります。その成果がしっかり見られるよう、がんばっていかねば・・・。

 

とはいえ、今日は冷蔵庫だけではなく、Fujitsuの新しい消臭空気清浄機を買ったので、家全体の雰囲気はとてもいいです(笑)。冷蔵庫はコレにしました。明日の昼の配達なので、母は掃除に余念がありません。しかも、掃除機を掛けたり、タバコを吸うと、空気清浄機が自動で匂いを吸ってくれます。充実だ・・・。

 

おもしろい話をしてくれるヒトにあまり会いすぎると疲れると言えば疲れるのでしょう。たまに会うからいいんだよねぇ。そういうヒトでありたいと私は思います。

日曜なのに仕事

06/22/2008にアップした文章です。

 

今日、学校はないのです。本業のほうの学校もいつもないのですが、これまでは、英検があったので、何度か日曜日も働いていたのです。そして、産業カウンセラーの講座があるので、いつも日曜日はあってないようなものなのですが、6月はなぜか日曜日5日中、2回のお休みがあります。ところが!今までのツケが溜まっており、自分の生徒さんのファイルを作成せねばならないし、添削も溜め込んでしまい、さらに、自宅で教えているほうのいろいろなファイルや帳簿を作らねばならぬ・・・。

 

今日は健康ランドに行く予定だったのですが、フィジカルな理由で、中止。生理中には、やはり公共の浴場に入るのはためらわれるので、来週に延ばしました。来週も、産業カウンセラー講座はお休みなのです。特に古い人間でもないのですが、やはりされてもいいが、するほうに廻るのはイヤだと思い、母などは即断で、「来週ねっ!」と言ったので、彼女に決められてしまったようなもので・・・(笑)。楽しみにしていたんだけどなぁ・・・。そういうわけで、母はそそくさ、ボーイフレンドの家に出かけてしまったので、私は昨日、学校から帰るときにも、「今日は楽しみなごはんは冷蔵庫から出して温めるんだな・・・」と思いつつ、家路に急いだのでした。が、調布駅を出たらものすごい雨。交差点で待っているときに、さすがに雨が好きな私でも「こりゃすごい」と思うくらいに濡れてしまったので、あと2分を走る気力が湧かず(なぜならば、途中のファミリーマートでビールを買いたかった・爆)、角のパチンコやさんに入ったところ、出そうな台を発見。5000円だけ、と思ってやったら、2000円以内で出てしまいました・・・(汗)。しかも、2時間で5万も出てしまったのです。なので、雨が緩くなってから、ビールを買って帰りました。冷蔵庫は来週買える♪と思って帰ったのでした(笑)。

 

そして、今朝は悲しいことに朝の8時にすでに起きてしまい(でも7時間睡眠。9時間くらい寝たかったなぁ・・・)、朝から仕事に着手。

 

実は、私が見ている高校生の女の子にPersonal Statementのサンプルを見せてほしいと頼まれていたので、時間外ではあるにせよ、もちろんやってあげないと!と思い、日本語のものや英語のものなど、いろいろ調べた揚句、しっかりと1時間で済ませたのです。

 

他にも留学をしている看護師さんからのメールやら、夏以降の昼間の仕事の通訳の手配師になったり(私個人は、もう横田基地まで毎日は行けないので、紹介することにしたのです。しかも、よくよく聞いてみると、現場に出るのは少なく、ほとんどが英文事務だということなので、私には向かない・・・汗)、教科書のオーダーをしたり、リースするコピー機の見積メールを出したり、と、まぁ、朝っぱらからものすごく忙しかったのです。

 

そのくせ、いつもの習慣である、コーヒーを飲みながらニュース各種を読むこともやめられず・・・。私は、日本語のニュースを一通り読んだあと、英語でニュースの伝わり方の違いを確認し(すべてではないのですが、ちょっと深みがあるかもしれないと思うものをピックアップして)、そのあと映画ニュースやらハリウッドニュースを読むのです。Indiana Jonesがうまく行っているようで、本当によかったです。続編があると思うとうれしいんで、ぜひぜひ♪他にも、Nicole Kidmanが41歳の誕生日を迎えただとか、Angelina JolieとBrad Pittは子ども中心に暮らしていることやら、Ellen DeGeneresがピンクダイヤモンドをフィアンセに送った話やら、のあと、公判中の事件を読んだりしているのです。

 

他にも、自宅での英語講師の仕事を増やすために、文言を考えたり、リサーチをしたり、相場を調べたりなどを一気にやってしまうつもりでいます。

 

さらに、生徒さんのファイルシステムを充実させねばならず、今日は文房具やさんに行って、PCに入れたものと手書きのマニュアルものをきちんと対応させようと思っているところなのです。実際に、集金をしたことをきちんと書類に残したり、領収書発行ののちに西さんがしっかり処理しやすいようにしたり、管理ファイルを作ることをなおざりにしてきたので、生徒さんが増えそうな今、しっかりやらねばならず・・・。

 

3週間後にもうひとり増えることが決まっており、スカイプの生徒さんも2人増えることが決まっていて、それ用の集金システムもなんとか整備しなければなりません。送金するには、振込みで手数料がかかってしまうのだろうから、それがイチバン少ないシステムにしたほうがよく・・・。その時間ログをつけるシステムも、今まったくアイディアがないです。HPを作ったあとに始めたのでは遅すぎますので、西さんにしっかりやれと言われる前に、自主的にやろうと思っているのです。特に、小学生・中学生・高校生の生徒さんには、親御さんに見せられるような連絡帳を作ったほうがいいに違いなく、もっと授業内容を事細かにお知らせしたほうがいいような気もしています。お預かりしていることをしっかり示す必要ありですし、家に到着するまで心配ですから何かそれについても考えたほうがいいのでしょう。

 

さらに、教科書などをそろえる必要があり、オンラインでダウンロードできるもの以外、たくさんの教材を徐々にそろえるにしても、必要最低限だけは今日のうちにオーダーしてしまおうかと。アメリカに留学した看護師さんにもそろえてもらおうと思っており、私が8月に行ったときに仕入れるもの以外に、必ず彼女でも見つけられるものを見つけてもらおうと思っているのです。英語を英語で学ぶというのがモットーなので、ほとんどがアメリカで手に入るのですが、辞書の類はしっかり日本語のものでいいサンプルをそろえておかねばならず・・・。けっこうたいへんです。

 

ホワイトボードを手に入れたあと、ホワイトボード用のマーカーが減るのを楽しみに見てきたのですが、それだけじゃーないのですわ・・・。掃除は母に任せてしまっているのですが、表面を損なわないようにする専用洗浄液(泡のものもあるんだけど)を使わないといけないらしい・・・。もうマーカーは黒が2本ダメになりました。母は椅子も買いました。食事用のものと生徒さんが使う用のものをしっかりそろえたのです。彼女としては、この上、私の商売のために、という名目で冷蔵庫を買えば、相当よく働いてくれるに違いなく・・・(爆)。生徒さんには、おやつやジュースやお茶を出すので、冷蔵庫が必要なんですって。もう10年使っているから(正確には今年で10年目なので、いつ壊れても不思議じゃないという理屈らしい)、小さいし、中くらいの大きさのやつにしようと。母のご機嫌がよくなるのであれば、まぁ、買います♪

 

もうお昼をとっくに過ぎてしまったのですが、あと5時間くらいかかるかなぁ。雨が降っているので、文房具やさんに行くのが楽しみです。買ったものが濡れないように、傘はさしていくつもりですが・・・(笑)。コピー機のリースは、月額1万くらいで何とかなりそうです。紙代と合わせても、それほどの金額じゃないかも。ただ、ネコたちはあの音はイチイチ気にするでしょうね・・・。

 

西さんに相談してから、契約することにして、今日は一気にいろいろ片付けてしまいましょう。明日からがラクになるように・・・。いやー、でも、もうすぐエアコン使い始めなければならないムシムシさ加減です。しかも明日は29度になると天気予報で言っています。まずいなぁ・・・。あせもができないように気をつけないと。ということで、今日中に仕事を終わらせてしまいます。産業カウンセラー講座の宿題も今日中に済ませてしまいましょう。

信頼できない人々

06/21/2008にアップした文章です。

 

よく出てくる言葉ではありますが、この信頼というのはとても重い言葉です。が、なんだか意味を薄く使っている人々もかなりいて、うんざりさせられることも多くあります。私などは、「じゃ、使わなければいいのに・・・」と、かなり簡単に出てしまうのですが、そのへんの率直さがゆえに、オフィス勤めをしたことがありません。あ、Temporaryは別としても・・・(汗)。私の世界観の中で、何がかなり重きを置いているのか?と言えば、この信頼で、映画などでもSnitch、Rat、Informantと呼ばれる「ちくり屋」は大嫌いです(笑)。いや、存在としていてもいいと思うし、仕事や役割としては有りだと思うのですが、私が近い存在としてお付き合いしたいと思えないのですね。

 

信頼:信じて頼ること。

信じる:(1)疑わずに本当だと思い込む。心の中に強く思い込む。(2)疑うことなく、たよりとする。信頼する。(3)神仏などをあがめ尊び、身をまかせる。信仰する。

頼る:(1)力を貸してくれるものとして依存する。頼みにする。(2)依存する。(3)助けになるものとしてそこへ行く。(4)言い寄る。

思い込む:(1)そうだと固く信じる。(2)必ずやり遂げると固く決心する。

疑う:(1)得られた結果・結論が正しくないのではないかと思う。うたぐる。(2)その人が悪いことをしたのではないかと思う。うたぐる。(3)はっきりしないことについて、よくない方に、否定的に考える。

 

うーん、難しいなぁ・・・。

 

こうしたことを考えるときに、性善説や性悪説をまだ唱えている時代遅れな方々がいらっしゃいますが(とはいえ、孟子は天才のうちのひとりだろうから、あまり大きな声では言えないんですが・・・、たぶん解釈からして違うのではないかと・・・>参考http://park5.wakwak.com/~tanaka02b/zakki/log14.htm )、結論は「そんなもの混ざり物である」という簡単なことが答えです。時と場合によって、ヒトは生まれ持ったいいものをダメに使ってしまうような行動をすることもあれば、生まれ持ったあまりよくないものをよりよく使える行動をすることもあり、しかも善悪などは、時流や場合によって違うし、登場人物の世界観によっても変わってくるので、固定した考え方を持つこと自体が、あまり意味をなさないわけです。ただ、こうした見方というものを基礎にして、物事は発展してきているので、基礎を押さえておくのは大切です。

 

ヒトは複雑な遺伝子を持つことができる存在になってきたし、文字を持つことで記録することができるようになってきたので、善悪をも、教育をも、「既存」として組み込むことができるような機能を持ちえるようになってきました。それらを純粋に、先天か後天かと分けて考えることがしにくいことは自明です。

 

なので、その流動的なものの中にこの信頼も位置しており(まぁ、すべての物事がそうではあるんですが・・・)、絶対的価値として常に安定した信頼を置けるヒトやモノや団体などに囲まれると、精神的にはかなり安定します。いわゆる期待値です。数値化して何がおもしろい?と言われれば、実も蓋もないのですが、私は物事を数値化して、ラクに考えられるのであれば、その手は有りだと思っているのです。

 

ゼッタイ!がないこの世の中で、私は西さんのことを99.9%信頼できます。0.01%は、彼も不死身ではないので、フィジカルに肉体がヘタレているときには、きっとダメなこともあるのだろうというくらいの期待値。相当にいい信頼度です。奇跡的なくらいかもしれない・・・。まぁ、私がゆるい人間だし、信頼に求める定義そのものが、それほどハードルが高くないこともあるのですが・・・。

 

他人に対しての依頼心というものがそれほどないことが、私の美徳のうちのひとつなので、私から他人への信頼度が低くとも、おつきあいはしていけるのかもしれない・・・、とハタと気づく・・・(爆)。

 

英語講師をやっていて、特にそうはしたくもないのだけれども、宿題を出さなければならないコースや、個人仕様にしたカリキュラムの中で、やっぱり宿題ができなかった場合というのは、日常茶飯事のひとつとして存在します。それに関しても、私はヒトによって期待値を設定してあるし、コースによってもだし、時期的なことや、その人の仕事にもよると思っているので、がっかりすることはまずありません。ぶっちゃけて言えば、宿題をする・しないは、その人のBenefit(利益)であり、私のものではないわけですし・・・。私が、生徒さんへの思い入れを深くしすぎて、わが子やわが家族や己のように怒ったり焦ったりするのは、宿題ごときで使うのはバカげています・・・。

 

これらの期待値というのは、今ある資料をしっかり解析して、その予測を立てることで、その予測が当たるかどうか?という科学的なものなのですが、実際、ヒトはそれを日々やっていることをあまり意識していません。経験値・体験則というものなのですが、イチイチ数値化する人々というのは、あまりいないのでしょう。私はそれをしている人々を見ると、とても安心するんですけども・・・。「ああ、このヒトは放置しておいて大丈夫だな」と(笑)。自分がラクになるのであれば、なんだかそれはとてもうれしい事実なので(爆)。

 

ヒトの性格について、いろいろな側面を考えるときに、やはり究極問題として想定してみることができるのが、「最悪の状態のときに助けてもらえるか」ということです。私は、ラッキーなことに、「あのとき出会えなかったら今の私はここに居ないかもしれない」と、たまに言ってもらえています。生涯にひとりでもいいくらいの褒め言葉なのですが、なんだかびっくりするくらい言われて、最近慣れつつあってよくない傾向です。教えるっていい商売よね・・・、お金までもらってるのに、こういう副産物があるのね・・・←オマケだと思っているので、とてもオトク感があるんだよねぇ・・・。

 

私は、誰かの最悪状態を見極めて何とかしたいと思うやつなので、Snitch, Rat, Informantのようなちくり屋にはなりたくなく、権威に対してへいこらするのはとてもじゃないですが、拒否です。それが会社や学校であろうとも、国家であろうとも、同じことですね。たとえ、拷問されても口は割りません。誰かの不利益を私が意識的にもたらしたなどということを、知りながらその先生きていくなどということは考えづらく・・・。生徒さんで、「英語学校の費用がかかる」と言われても、それは当然だと思うし、なかなか成果が上がらない焦りなどもあり、それをイチイチ誰かにちくるなどということはしたくもなく、「このクラスでおしまいにします」と言われても、それをフロントオフィスにいちいち報告する必要すらないと思っており、守秘義務がある事項ではなくとも、言わないことにしています。小中学校から今までずっと、誰かに何かをちくるという行為に関しては、どうしても美しいとは思えずにおり、「ねぇ、知ってた?」という公の知識ではない個人のゴシップすら、積極的にはしたくないですね。信頼が地に落ちます。

 

とはいえ、自分が簡単に他人を疑うとも思いたくはなく、やっぱりこれは難しいなぁ・・・。期待があまり大きすぎるのも危ういことではありますが、あまりにヒトを疑いまくるのもさみしいことです。が、私はあくまでポジティブなので、きっと疑う必要があることを疑い、リスクが多いことに関しては期待もせず、じっくり物事を見ていると信じたいところです。大切なのは、自分に信頼がおけるかどうか?から始めることなのでしょうね。ええ、私は自分が「ラクをしたい」という欲求が強いことには強く信頼がおけます(爆)。そのためにであれば相当がんばれるので、まぁ、いいことにしておきましょう・・・。

 

信頼できる・できないというのは、やはりある程度おつきあいしてみないとわからないのでしょうが、少なくとも自分が信頼に値する人間でいたいと念じることは大切ですね。