悩むことそのものがいいことなのか?と考えたことがありますか?あるいは、悩みのひとつやふたつ、あって当たり前と思っていますか?
悩み:精神的に苦痛・負担を感ずること。そう感じさせるもの。
ここでひとつ考えてみたほうがいいことは、この「苦痛・負担」を感じることについて、自分という個体は、
- 敏感か鈍感か
- どの程度、日常を浸食しているか
- 身体的な苦痛・変化は出ているか
- 人間関係に影響するか
- 言動・パフォーマンスの質にどの程度影響があるか
など考えてみたほうがいいです。
これにより、「莫大な時間を生産性が低いまま過ごす」というのが続くようであれば、それはやはり、いい悩み方ではないです。時間だけは生きていくことが前提のヒトにとって唯一平等に訪れます。これを無駄にしてはいけないよね・・・。特に、活路が開けないとグルグルと悪循環に嵌ってしまい、同じようなことを考えていることに気づけなくなってしまうので要注意です。しかも、ただ留まって、止まってしまうだけで、問題そのものに向き合うことがすっかりできなくなってしまうと思うのです。
もうひとつ考えてみないといけないのが、自分という個体は「痛みに強いのかどうか?」ということ。たとえば、ある物事についてだけではなく、全般的に痛みに強い人もいれば、特定のことだけはOKだけれども他はさっぱりという自分の傾向を知っているかどうかは大切です。この状態を私は「ひとりSM」と呼んでいるんですが、自分で自分に苦痛を与え、それを心地よく受け止めている状態のことですね。過ぎた状態になると「苦痛が気持ちよい」というくらいになるのです。
その痛みに強い分野・対象が何かをよくよく検討してみたほうがいいです。そしてそれが自分にとって「痛みを超えても成功することを理想・目標としているのか?」を考えてみてほしいです。これは、ゆとりがあるときにやるべきことで、そこにどっぷり浸かっているときにやるものではないです。
Precious One English Schoolでは、日常の意識の持ち方や脳を促進してよりよく使う方法を、心理レッスンにて学んでいただいております。その中に日常をクルクルと成功だらけで廻すための、エネルギーを使わないようにするための節約術のようなこともあって、この「悩む」というレベル感ではなく、「今より深く考える」をクセにしていただければ、その場のこと、現場処理を求められる前にやる前に準備は整っているであろう状態を作れるというシステムを採り入れていただいています。
さらに、もっと大切なのは、面倒な悩みになるようなものを日常から排除する、避けて距離感を取る、という自分の世界観を構築していただいています。
この「ひとりSM」はあくまで、もっと上の、もっと上手な、よりよい自分を発掘するために使っていただきたく、そのための「苦痛が気持ちいい!」を意識しながら、楽しみつつやってもらえれば、と願うばかりです。
痛みに弱い分野については、ゆとりがあるときにタックルしていただきたいです。
収拾がつかない状態になるまで放置していることはあまり得策ではなく、考えても活路が見いだせない状態にまでなってしまうことを避けていただければ、いくらでもやれることはあるし、そのエネルギーは湧いて出てくると思うのですが、悩みクセがついてしまうと、そもそも問題に対峙する気力すらなくなってしまうと思うんですね。
いいものに囲まれすぎていて、どっちが、どれがよりよいか悩むくらいになっていただけたら、と願わずにはいられないです。それでも泣いて馬謖を切ることができれば、上等すぎるじゃないですか(^^♪ 時間にゆとりがあり、悩むことが少なくなれば、こうした贅沢な悩みに切り替えていくことが可能になります。
ぜひともここまでたどり着く分野を広げてくださいっ!
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