2006-03-26 にアップした文章です
私は、質問に対して、「わからない」と即答することを癖のように思わずしてしまう人々がかなり疎ましいです。「わからない」ことが嫌なのではなく、考える時間を自分に与えないことに関して、とてもとても残念に思ってしまい、それが癖になっていることに「うへー」と落胆してしまうのです。考える能力はヒトならば、個人差はあれ、必ずあるはずなのに、考えないで即答する。コレは何なのか・・・。
待たせることはそんなに罪なことではないです。むしろ、まったく考えないことのほうが大罪です。
映画でもそういうシーンがあると、イライラしますね。Do you love me? I don’t know…. おいおいおい、自分の気持ちくらいわかってくれよ(笑)。
すでに推測している方も多いでしょうが、私は質問魔です。とにかく質問するのが好きなのよ(笑)。小さい頃からずっとそうでしたが、自分の知識にならないことはこの世にはない、と考えており、「やること」が無理でも、知ることにより何かが得られると堅く信じているのです。質問は多岐に渡り、「なんでこんなプレーンなことを聞くの?」と見ている人は思うこともあるかもしれませんが、それは次に来る質問のための、準備質問だったりするのです・・・。一応、彼女がいるかどうか、などは確認しないとね、決め付けはよくないですから(笑)。しかも、どれが核心を突いている質問なのか;それを相手がわかるかどうかで、私のほうの好奇心もかなり充たされます。だから、会話のキャッチボールはおもしろいわけです。しかも、答えが私の想像外のことなら、さらにうれしい♪情報がまったく未知で想像のつかないことなら、もっとうれしい♪と、どんどんおもしろさは続いていくわけで、どうしても私は質問魔のままでいるわけです。
そして、私はどうなのか?と言えば、このくらい学校に投資し、このくらい質問を繰り返してきたので、たいていの質問には答えます。たいへんにプライベートな質問には一切答えません。バカみたいに、チャットで「どんな体位が好きなの?」とタイプされ、うじうじと困っていた時期ももう8・9年くらい前に終えました(笑)。「わからない」とは即答しませんが、考え抜いてもわからない場合は、「わからない」と素直に答えます。さらに、私が意固地になりたい質問に関しては、「宿題にして!いい?いいでしょ?」と時間を引き伸ばすこともあるのです。とんちやなぞなぞでは、そんなものはナシですが、ちょっと複雑な複合問題については、宿題にしてもらうこともあります。特に、飲んでいるときにはよくあることです(笑)。頭がそれ以上きちんとパキパキ動いていないとなると、私はクラゲ化しますから←誰でもかな・・・。
前のエッセイにも資料集めがたいへんなことについて書きましたが、ネットが普及してきてすばらしいのは、情報量の多さです。当然、ごみみたいな情報もあるのですが、コツさえわかれば、ネット上でいくらでも調べることができます。社員Sちゃんがカナダでまだ学生だった頃、私はよく検索のお手伝いをしました。彼女のプロジェクトで、歴史上の美術家の伝記や作品詳細を調べたりするのは、けっこうたいへんなことでした。なぜなら、複写などが販売されていたからです。コツは、検索のときに打ち込む語彙にあるわけですが、素朴にひとつだけ入れると、数十万も上がってきてしまいます。欲しい情報がイチバン上に来るように、検索エンジンとしても工夫はしているのですが、歴史上の人物などは、名前だけ入れてもダメですね。何度か語彙を増やすためにいくつかを開いて、次の語彙を選び加え、さらに狭めていくことが肝心です。
私は、「検索の女王」というあだ名をいただき、とても光栄でした。チャット中に検索して、すぐにハイパーリンクが貼れたのです。その速さは見ている人でないとわからないです。が、的確に必要に迫られた情報が知りたい場合があると想定して、チャットでどうでもいい情報をこうして練習できたのも、今の私には役立っているのでしょう。普段、学校で検索していたことは、英語ばかりだったので、日本語のトレンドもよく学べました。
が、私がどうしてもわからないジャンルはいくつかあり、それは過去18年間の日本の芸能界ですね。移り変わりが早いので、やはり微妙についていけていません。ツボにぴったりはまる各芸能人の芸もわかっていません。見ていないのだからしょうがない。まったくわからない、想像に過ぎないという例で、私の身近では、ガーナ人の友だち、DouglasがChicagoで初めて雪を見たときに、とても歓んで外で雪に降られて数時間を子どものように過ごし、翌日から寝込んでしまった、というのを使います。体験することはすごいこと、という例なので、寝込んだ部分はおまけなのですが、それくらい初めてのものを体験するのはうれしい、すごいインパクトだという意味です。私も、日本に帰るとしばらくTV漬けになりますが、Douglasの雪の縮小版です。オンタイムのすべてはつかめないので、「わからない」は多発します。
本当に疑問視したほうがいいのは、自分のことについての質問に答えられないで、「わからない」を即答する場合でしょうね。
単純な質問で、「食べ物は何が好き?」と聞かれた場合にも答えられない人はいるのでしょうか?私は小さい頃から、自分の好きな食べ物リストを、お風呂に浸かりながら、自転車をこぎながら、友だちがいない通学路の帰り道などに考えていたものです。ひもじかったのよね(笑)。大人になって自由に買えるようになってからは、ジャンル別にすることにしたり、場合別にしたり(長いダイエットが終わって即食べたいものとか、好きな映画を見るときの大好きスナックとかね)・・・(笑)。あー、このゲームは飽きない(爆)。
私のように映画を数だけは多く見ているやつにとっては、「ねぇ、どの映画が好き?」と言われても、範囲が大きすぎるよ・・・。わからなくはないのだけれども、具体的な答えにならないと思うのです。質問するほうにも、ある程度のターゲットが必要かと思います。私は、アメリカで日本に渡ることのないB級映画もたくさん見ているので、好きな映画の中に、映画好きを自負している質問者が見ていないものもたくさんあると思います。好きな俳優を聞かれても同じで、具体的に説明をさせてもらえないと不十分な気がします。が、質問だけで、「ふーん」「へー、そうなの」で終わってしまうと、「わからない」と即答したほうがよかったかも、と思ってしまうことはたまにあります(笑)。なぜ質問したのだろう?という謎が残る反応は、あまり歓迎できません。後味の悪さが残ります。
なので、私は質問のフォローアップは怠りません。「なんで聞いたかっていうとね・・・」で始まり、延々と刺激をしていく癖がついています。時として私の質問群は、本人が考えたこともなかったようなことがあり、たまにヒットしますが、疎ましい場合も多々あることでしょう。おつきあいを続けてくれている人たちは慣れていますが、そうでない人は、「この人の知りたがりってなぜなんだろう?」と思うかもしれません。
が、私は、自分が答えたくない分野、プライバシーが大切なことは聞きません。距離感を測りながら質問するようにしています。Body Languageであるジェスチャーや、手や足や身体の動きなどで、居心地のよさを測ることにしています。
が、パートナーは、私の質問にいつも丁寧に答えてくれるので、きっとそれほど疎ましい質問はしていないかもしれません。私が質問魔なことを自認しているだけで、他の人はまったく気づいていない可能性もありますね・・・(汗)。どちらにしても、自分に考える時間をあげましょう。即答で「わからない」ではもったいないです。脳はいつも使いましょう♪
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