10/14/2006 にアップした文章です。
調布図書館蔵書から浮気をし、ついつい書店で買った高村薫の『照柿』を一気に1日で読んでしまいました。12年後の文庫化だそうで、私はその存在すら知らなかったことを恥じつつ、勢いをつけて購入してしまいました。直木賞受賞作の『マークスの山』http://clala.lolipop.jp/book/bk2003may09.htm と 『レディジョーカー』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC に登場した、合田雄一郎刑事が主人公だというので、ワクワクしながら読み始めたのです。結局、私は高村薫氏のことをそれほど熱心に追っかけしていなかったってことなのね・・・。今後、調布図書館蔵書にお世話になることにします・・・。
折悪しく具合が悪く、食うこともできず、仕事も能率よくできず、できることは読書のみ。シャワーもくらくらしていたので、お風呂なんてもっての外でした。なので、昼食おかゆの後、しっかり仕事をし(いつもの65%くらいだった)、パチンコに行き、おかげさまでまたもや3万勝ったので、さとみちゃんといっしょにスーパーに行き、好きなセール品を好きなだけ買いあさるゲームをしました。が、悲しいことに私がたったの4千円、さとみちゃんが2千円ほどにしかならず・・・。さとみちゃんには遠慮があったかもしれません。が、私は本当によかったのよ、買っても・・・。けれども、どうしてもセールしか買いたくなかったり、それほど欲しいものがなかったり、母の冷蔵庫にはぎっしりモノが詰まっているからなぁ、と渋ったり、と、またコレが人間なのね・・・。そして、行き着けのお鮨やさんが、日本にバケーションに来ており、おかみさんのまりさんの実家が北海道なので、北海道から毛蟹とタラバガニが届いていたこともあり、冷凍食品も買うことができなかったのです・・・。すごいよ、毛蟹6杯とタラバ2杯丸まるだから・・・。冷蔵庫のほうに今晩の分が入り、知人におすそ分けする分を除いても、やはり冷凍庫は一杯だったのです。日本に戻って何がステキかというと、冷凍枝豆が安いこと。中でも茶豆。あれ、カリフォルニアだと清水の舞台から飛び降りないと買えないんですが、この近所の西友には、「冷凍食品オール40%引き」の日が2週間に一度くらいはあるのです。その日を狙ってGoなんだよね♪が、昨日はその日ではなかったのです。
あ・・・、こんな買い物ごときのことで、しかも安いセール次元のことでこんなに行数を費やしてしまった・・・(汗)。
さて、『照柿』。『晴子情歌』で、筆者高村薫の世界文学に対する造詣はしっかり掴めたとは思っていたものの、編集者に「ドフトエフスキーの『罪と罰』みたいなやつを書いていただきたいんですよね」と言われただけで、しっかり書けるところがまずすごい。私はロシア文学は本当に著名な作家の最も著名なものを数点ずつしか読んでいないので、大した造詣はありません。西さんの好きな映画の中には、Dr. Zhivago http://www.imdb.com/title/tt0059113/ が入っていますが、私には10年前ほどの当時、それほどおもしろいと思えなかった作品です。が、今見るとまた違うだろうと思うので、コレを機会とし見てみようと思います。高校生のときの読書感想文は、ツルゲーネフの2作だったのですが、これもけっこう曖昧だな、と今苦笑しているところです(爆)。
さて、基礎情報としての罪と罰;が、実際の『照柿』ストーリー本筋はそれほど似ていません。が、伏線や心理圧迫が似ているのです。ミステリと純文学をこれほど納得した形で表現するところが、高村薫氏のすごいところなのだろうと、今回も思った次第です。『晴子情歌』なんて難しい!と怒り、途中でやめてしまう人は大勢いると、私個人は思っています。読んだ方にはわかると思うけど、わからない人をますます敬遠させているのか?(爆 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BD%AA%E3%81%A8%E7%BD%B0
まずひとつ。長年いっしょに成長している時期をシェアした人々の関係。この場合は主人公の合田と、その近所に住む野田達雄なのですが、大阪で幼少時代を過ごし、18年も疎遠になったのち、駅で偶然の再会をする。その感情のはかり知れないぐちゃぐちゃさ、について、私はあまり実感が持てなかったのです。所詮他人ではないか、というものではまったくありません。自分が幼なじみと呼べる人々と疎遠だから、でもありません。私はそれほど強い感情を持ち続ける人間ではないのだろう、と改めて気づかされてしまったわけなのです。嫉妬という感情が軸になるのであろうと思うのです。私には嫉妬がほぼない。ゼロではないにしろ、本当にほぼないのよ・・・。
隣の台でパチンコが出ても「ああ、いいなー」と思うのは、自分が3万以上ぶち込んでいない限りはありえない。手を叩き、その人のために喜べる感じ。みんなが出て、House finally loses現象(カジノなど開催者のほうが負けること)が起きればいいな、などと思っているのですから。きれいな人がモテまくっているのを見ていても「いいなー」とは思わない。面倒くせぇだろうなぁ。メンテナンスがたいへんだろうなぁ。どうでもいい男からも言い寄られるだろうなぁ、などなど。本当に現実的に過ぎるのですよ・・・。
それは幼い頃に終わったステージであり、大人になって持ち越すような感情ではなかったのだ、と、以前書いたことがあります。近所の子どもが持っていたおもちゃやお菓子、洋服などなど、持ち物に関して嫉妬していたらキリがない世界の縮小版に私は住んでおり、それについてはかなり早期に解決策を見出したのです。それが華僑のおじさんで、「時間が経っても誰にも盗まれない・価値が下がらない、自分の心と身体に入る財産がイチバン」というのを教えてもらったからです。
たとえ誰かが才能として持っている何かであったとしても、それが嫉妬になるのか?私にはありえない話なのです。たくさんの微細な蓄積が寄り集まってできた人の性格や性質やその表現に、私が他人をうらやむ材料はないです。そもそもある程度のフェアで生れ落ちたはずですし(そう思わないとやっていけないところもあるしね・・・。お金持ちのお嬢様に生まれて倖せだと思うかどうか?うーん、やっぱり思わないし)、その後は自分の人生は自分のものとして引き受けていけば、他人の持ちえる才能や頭脳、性格や人間関係など、うらやむことなどあまり意味のあることではないと思ったりする、たいへん醒めた人間です。
なので、合田と野田のお互いがお互いに嫉妬している描写には、少し腰が引けていました。が、わかる人にはわかるんだろうなぁ。私も表面的や理屈ではわかるものの、自分の頭や心にしっかり引っ張り込んだとはあまり言えないわけです。
そして、感動したのは、照柿という色の名称。夕焼けに真っ赤に染まった柿の中でも、たいへんに熟したものが臙脂色の濃いように映される色。こんな粋な日本語いいなぁ。ブルーにもたくさん種類があり、たくさんのたくさんの色が微妙に違うことで、表現する人々はその色を求めて果てしない旅を毎日しているのだということもよく伝わってきます。
この本の中でも、生まれ持った才能を生かしきれずに終わろうとする人生を深く考えさせられることになります。あるいは、生まれ持ったものなのか、誰かに影響されたものなのか、それを深く考えさせられることになるのです。ネタバレになるといけないので、このへんにしておきますが、高村薫氏の本には私にとってのはずれはありません。『神の火』では、「逃亡時に4冊だけ本を持っていっていいとしたら何になる?」という命題があり、私もそれを考えていたのですが、10冊にも絞れなかった想い出があります(笑)。
目下読んでいる森村誠一氏の口癖を、私がエッセイに使い始めたら要注意かな・・・>奇貨・側杖・岡目八目などなど、どんな登場人物でも知っている単語じゃないと思うんだけどなぁ(爆)。今日はまたマーケティングのセミナーの前に、本を借りるのでこんな話になって閉じてしまいます・・・(汗)。
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