Sep 25, 2005 に書いたものです;
夕べは、台湾から出張で来ている、パートナーが会社を起す前に働いていた企業の台湾支社の方々と会食。Biz Dinner(ビジネスディナー)ではなく、ほぼ90%は Pleasure(遊び)。いやー、楽しかった♪
が、問題だったのは言葉で、6人のメンツのうち、
私-日本語・英語・スペイン語ちょろっと
台湾人1-北京語・日本語・英語
台湾人2-北京語・日本語
台湾人3-北京語・日本語
日本人-日本語・英語
ペルー生まれ育ちグリーンカード持ち台湾人-北京語・スペイン語・英語
なので、全員が共通して一気に話せる言葉がなかった・・・(笑)。日本語だけで話すと、1人外れてしまうし、英語だけで話すと2人外れてしまい、北京語でも2人外れ、スペイン語はコミュニケーションにならずじまい(笑)。
そして、近いから、という理由で、私の行きつけのお鮨やさんでご飯だったので、私は常連のアメリカ人や日本人に声をかけられ、ついでに、お隣に座っていたインド人のパパとロシア人のママを持つ2歳の男の子と、英語で話そうと努力し(笑)。彼は、Hindi(ヒンズー語)とRussian(ロシア語)を同等に扱い、聞いて話していました。英語は、幼稚園に行くようになればスラスラ話すんでしょうなぁ。私は、ウェイトレス時代から、年配者とカップルと子どもに大人気だったので、夕べも彼の心をゲット(笑)。遊びたくて仕方なかったところを、途中でパパとママに引き戻されてしまいました。
ペルー生まれ育ちのUSグリーンカード保持者の彼は、パスポートは台湾です。USで大学院まで出ており、コンピューターサイエンスの学位を持っています。家ではペルーでも、ずっと北京語だったので、北京語に不自由はなんらなく、見かけは台湾人のでかい人、なんだろうなぁ(笑)。私などが見ると、台湾系アメリカ人なんだけど・・・。英語がイチバン不得意らしいのですが、私から見れば、なんの遜色なし。
台湾人の英語ができる人も、台湾で大学院MBAを出たところで、きれいな英語を話すし、アクセントを除けば語彙も相当すごい日本語を話します。一人は台湾の大学で日本語を1年とそのあとすぐに日本で1年勉強し、日系の会社でずっと働いています。夕べは、「ロンパリ」などというなつかしく、差別的ボキャブラリーを知っていたので、とっても驚いてしまいました。解説つきで、「片方の目がロンドンの方向、もうひとつがパリの方向に向いていること」などと語り、北京語では、「闘雛眼」だよ、などと詳しかった・・・。
私は私で、言いたくて仕方ないトピックがたくさんあったはずなのですが、6人いると、みなそれぞれ話したいことはあり、特にたまにしか会わないので、トピックの奪い合いになります(笑)。それくらい話したい情熱があると、食事はとっても楽しいものになります。私は、ホッケーのことも話したかったし、最新法医学で、DNAの Biographical Testってのを話題にしたかったんだよね・・・。なんたって、Dr. Leeの国の方々なので。ついでだから書いておきますが、なんと、DNAのアミノ酸配置で、髪の色や人種や肌の色までわかるようになってしまったのですよ・・・。長年(数千年くらい)先祖が暮らした場所はどこ、というので、人種。これはすでに99%の精度があり、眼の色も92%まで精度が上がっているということです。まだ犯罪やるのか?というくらい、法医学進んでますぞ・・・。
仕方ないので、ホッケーの話は、2歳の子に託し、スケートを早いところ始めて、ホッケー選手になろうよ、と誘っておきました(笑)。ママがロシアで生まれ育っているので、ママもスキーとスケート大好きな上に、私の住んでいる町は、Chrisitina Yamaguchi(クリスティーナ・ヤマグチ;フィギュアスケート元オリンピック選手)を輩出した町なのです。金メダルを取った年には、彼女がオープンカーでパレードをしました。それなのに、嗚呼それなのに、子どもたちが習える環境は厳しい。やっぱりスケートもホッケーも、器具代がかかるので、野球やサッカーほどさかんではないのです。特に、スケート靴は、成長をどんどん続ける子どもにはすぐ合わなくなる。が、私は祈っておきました。プロになろうよ、と(笑)。
台湾は、真冬でも10度を割る日が3日ほどしかない亜熱帯なので、3人はブルブル震えており、ノースリーブを着ていた私の体感温度が脅威のようでした。現在、ここ北カリフォルニアは日中20度ちょっとなので、まだ半袖日和です。が、台湾の人たちは、真冬で15度を割るとセーターやダウンジャケットを着てしまうのでした・・・。私はそんな折、1月に台湾に行ったことがあるのですが、タンクトップにショーツで街中歩いてたら、みんなに振り向かれた(笑)。今年は、日本の冬の入り口を体験するんだ♪と話すと、「寒さ感じないんだろうね・・・」と言われてしまいました。
会計は、会社で落とせる立場にいる人が出してしまい、私はごちそうになった形になってしまいました。「これでいいんだ」と説得され、いいのか?と謎はまだ残っています。こまごまとした居酒屋的つまみメニューをたくさん食べて、お鮨を握ってもらい(夕べは大トロまで出た)、ひとり5千円くらい。それは、日本酒と焼酎が高かったせいだと思われます。いや、量を飲みすぎたのか?(笑)
そして、10月3日にまた台湾で会う約束をし、OXOX(OはHug;抱擁、XはKiss;キス)をして別れたのでした。
私の日常では、こうして食事やパーティーも文化ごちゃまぜが多く、日本に帰るととまどうことが多いです>日本語でスムーズに行ったり、すぐに納得されてしまったり(笑)。日本に9週間いたら、このごちゃまぜがなつかしくなるんだろうなぁ。
コメントを投稿するにはログインしてください。