褒め言葉の中で、私が最も弱いのが、この「けなげ」という言葉。「がんばってるね」「きれいだね」「頭いいね」などなど、あまり響かず、それほどありがたくもないのですが(ひどい言い方である。せっかく発信してもらったものは受け止めようぜ、とは思うのだが、正直言うと、どれもあまり自分で実感がないので、あくまで自分ペースの基準からは遠く及ばずなのである・・・)、私は他人に「けなげだよね・・・」と言われると、ツボに嵌まったように凍ってしまうか、うれしくて泣きたい気分になります。なぜなのか?今日は考えてみる・・・。
けなげ:〔「けなりげ」の転〕
(1)心がけや態度がしっかりしているさま。現代では特に、幼く力の弱い者が、困難な状況で立派に振る舞うさまにいう。(2)武勇にすぐれているさま。勇ましいさま。(3)心がしっかりしているさま。毅然(きぜん)。(4)健康なさま。壮健。
しっかり:(1)基礎や構成が堅固で、容易にぐらついたり崩れたりしないさま。(2)人の性質や考え方が堅実で危なげないさま。(3)頭脳や肉体が健全で機能をよく果たしているさま。(4)動作・行為を着実・真剣に行うさま。(5)固くくっついて離れないようにするさま。(6)〔経〕 相場に活気があり、上昇傾向であるさま。(7)数量の多いさま。たくさん。(8)程度のはなはだしいさま。非常に。
立派:(1)非常に素晴らしいさま。非常にすぐれているさま。(2)堂々としているさま。(3)非難する点のないさま。十分であるさま。
毅然:意志が強く、物事に動じないさま。意志・信念を断固貫くさま。
うひー、私はもしかすると15年ぶりくらいに「しっかり」という単語を辞書で引いたかもしれません。感慨深い言葉だなぁ、と改めて・・・。
私はいつもアップアップ状態だということを、他人が見抜いてくれることがけっこううれしいのだということが、仮説。本当は力及ばず、それでも必死に懸命にやっているのだ、と、そこのところを褒めてもらえると、本当に褒められている気がするようです。特に、本当に困難な状態を露呈したことがほぼなく、父の通夜・葬儀でも涙を見られたくないため、鼻や眼を真っ赤にしながらもポロポロ泣かないようにしていましたから・・・。それでも、他人のお葬式では泣いているんだから、これは知り合いが廻りにいるかどうか?という状況判断ができてしまう、という冷酷な性格や、ある種の見栄を反映しているのかもしれません。が、自分ではまったく見栄っ張りではないと思っています。
見栄の本体って何なのだ?
見栄:(1)見た目。外見。みば。みかけ。体裁。(2)人の目を気にして、うわべ・外見を実際よりよく見せようとする態度。《見栄》(3)歌舞伎の演技・演出の一。劇的感情が高まったとき、俳優が、一時その動きを静止してにらむようにポーズをとること。《見得》
あ、やっぱりないね。うわべ・外見を実際よりよく見せようという態度はない。というか、論理的に考えて、それはむしろ、すごくたいへんだろう・・・。「嘘」とまで言わずとも貧乏なのにお金持ちのように振舞って、本当にご馳走してくれと懇願されたらどうするんだ?と思えば、やっぱりそんな見栄は無理だ・・・(とは言え、無難なことはやる人はいるんだろうな・・・)。私が泣きたい気持ちを抑えるのは、多数の人々から同情を買うのはまっぴら御免だというのと、私が意外に繊細なのだと理解されてしまい、今後のつきあいが変わったりするのがイヤなのと、他人様にケアしてもらわなくていいんだよ、という意志の表明だったりするので、ある種の見栄とも言えるのかなぁ・・・。
私はどんな人間でいたいか?と問われると、答えたいことはたくさんあるんですが、最もわかりやすい単純な語彙にすると、「けなげなやつでいたい」というのがあるんですね。でも、それはあまり誰彼かまわず知られたくもなく、「そうは見えないけれどもそうなんだろうな」程度に思っていてもらえて、すんごい踏ん張ったときに「がんばったね」「すごい能力があるんだね」などとは違って、ただ一言「けなげなんだねぇ」と言われるのが理想なんですねぇ。西さんが褒めてくれたのが、この「けなげなんだねぇ」で、本人は憶えているかどうかわからないのですが、私は「ああ、居た!」と思ったんですよ。
当時私は、学費免除のために、朝から昼まで授業を受け、午後からはオフィスで働いており、そのあと放課後までしっかり視聴覚教室で働いたあと、週に2・3回は日本語を教えたり、障害者の家でのサポートのバイトをしており、他に宿題をやったり、お弁当を作って売ったり、買い物や送り迎えをするしゃかりきな日々だったのです。それをかなり当たり前なことをしつつこなしていたのですが、英語がスラスラ話せるようになりたいと焦っていたり、子どものような語彙の少なさにイライラしており、けっこうマイッてしまうこともあったのですが、なんだか本当にけなげだったんですよ。あの8ヶ月の努力というのは、日本で2年半で600万貯めた努力を超えたと思いましたね。ああ、私はまだまだやれる余力を持っていたんだ、と証明できたような・・・。
いや、今もかなりけなげではあるし、その後もかなりけなげにやってきた時間のほうが圧倒的なのですが、いつしかけなげにやっていることが定着して、特に努力せずとも、無理せずとも、「すんなりやっているんだろうな、こなしているんだろうな」とみなされてしまうことばかりで、たまに気づいてくれる人がいると、なんだか弱い(爆)。泣き言や不平や不満を話しても、他人の楽しい暮らしやアッパーな気分に水を差すことになりかねないので、私はつまらないことは言わないし、おもしろおかしい発展話にならない限りは、特に「買ってまでしている苦労」は話さない。本当に聞きたい人はこれまでの経歴やら体験やらを聞きたいと真摯に質問してくれるので、たまにいい気になってゲロしてしまいますが、それについても特にノスタルジックな気持ちがあるわけでもなく、淡々と「やればできるよ」で済ます心がけがあります。
だから、ますます、けなげだとは褒められない(爆)。
でもねぇ、獲得や特典なのですよ、涙も弱みも。ある人にとっては、武器なのかもしれないですが・・・。それはいい悪いではなくて、世界観なのでしょう。私個人は泣いて許してくれる親を持っていなかったので、泣いて許してくれる人々を見て、最初は奇怪だった・・・。が、私は自分もそうしようとは思わず、父に愛されたかったがために、口をへの字にひんまげても泣かないことにしていたので、どうしても今になっても身についており、映画のときやひとりっきり(+ネコたち)以外では泣かないのですが、未だに1日1回泣くことは続いています。今日なんか、京極夏彦の『豆腐小僧双六道中ふりだし』の解決場面で泣けてしまったくらいで、感情の浮き沈みはしっかりあるんですが、どうも他人には見せたくない。
あ、やっぱり陳腐だということを見せないための見栄なのかなぁ・・・。うーん。でも、けなげではあるんですよ(笑)。とにかく、ここで吐露したからと言っても、私がけなげだと思う場面に出くわすとは限らず・・・。なぜならば、私はネコ的に1日数時間はひとりで過ごさないと生きていけないので、なかなか弱気だったりするところは見せないわけで、平気の平左で何事もこなしているように見えるようになっているわけです。いや、たぶん、けなげでありたいから、1日数時間はひとりで過ごさないと息抜きができない、という順番なのか・・・。くくく、わかってないなぁ、自分のことを・・・(爆)。
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