Feb 8, 2006
しつこい:(1)一つのことに執着して離れようとしない。執念深い。(2)(味・香り・色などが)濃厚である。不快なほどに強い。
執着:ある物事に強く心がひかれること。心がとらわれて、思いきれないこと。
思い切る:(1)きっぱりあきらめる。(2)心を決める。覚悟する。
小さい頃から、いつもこのボキャブラリーは聞いており、私にはコレがあまりに足りないのではないか?と疑って長い歳月が経ちました。母が、弟のことを指して「かずくんは巳年だからしつこい」などと訳のわからないことを言うのです(爆)。確かに小さい頃の彼はしつこかった・・・。くすぐり始めると、終わりがないのでは?と思うほどに延々と続けるのであった・・・。
私は粘着質ではなく、まったく何かにこだわったり、しつこかったりすることがなさすぎて、他人に「あっけないところがあるんだね・・・」とよく言われます。何か考え事をしていても、すぐに関連(Association)ゲームが頭の中で始まってしまい、そもそも何を考えていたのか戻って、いつも笑っています。すげぇ飛躍なんだ、コレがまた・・・。
なので、マラソンや登山や遠泳など、パートナーがやるスポーツはかなり苦手な分野のはずだったのですが、しょうがないからつきあって、もう頭の中でいろいろなことを考えまくり、果ては妄想くらいにまで考えは発展するのですね♪何かひとつのことをじっくり考えるスパンが短く、すぐに「中途結論」(注:最終結論ではいつもない。考える余地はまだまだあると思っているので、いつもそのときに満足した結論まで到達することにしている)に至らせてしまうのです。
掃除なんかは本当に粘りがないし、こらえ性がなく、「ま、こんなもんでしょ」ばかり(爆)。キリがないことはキリをつけないと果てしないよ・・・。
思いの丈もかなりしつこくなく、「本当に大切に思われているのか?」と相手はいつも疑問なのではないかと思うのです。親友は、なぜか我が家で飼っていたかん太というタビー種のネコにご執心だったので、ものすごい声でぎゃーぎゃー鳴いているにもかかわらず、かなり追いかけまわしていました。私はそれを見て、それほどしつこくなれるのはなぜなのか?と疑問に思っていましたが、「放っておきなよ」とは言わない、またまたしつこくないところを発揮していました。ま、かん太本人が何とかできるからいいのよ、と(爆)。そのかん太は車に轢かれて死んでしまったのですが、しつこさはここで発揮できて、涙が止まらず、ごはんが食べられず、眠ることがまったくできず、数学のテストを2週間延ばしてもらったのでした。
何が私のしつこさの分け目なのか?は、ここで少しだけわかります。
飲んでもあまりしつこくなく、その場で発散できれば気が済むらしく、けっこうすんなり寝てしまい、ひとりでTVを見ながらつけっぱなしでグースカやっています。仕事で考えが行き詰ることはあまりなく、すぐに発想転換できてしまうので、ストレスは感じたことがあまりないです。何が問題なのか、何をすればいいのか、ちゃんと把握しているんで、しつこくしても、しつこく考えてもダメなもんはダメだし、按配がわかればね・・・。
日本に居たときに不思議なセールス電話がよくかかってきたのですが、「御社の販売業績が上がるように、弊社では営業代行を行います。最終的な交渉成立は御社がなさるのですが、アポイントメントを取らせていただき、御社の販売内容を事前にあらゆる会社に広告宣伝いたします」という、訳のわからない会社がありました。いいよ、そんなことしてくれなくて・・・。あんたの会社にわが社の経営理念がわかるのか?と言いたい。なんでそんな二度手間やらなくてはならんのだ・・・。しかも、ヤドカリみたいな仕事をして自分に誇りが持てるのか?が、彼はしつこかった・・・。出掛けだったのに(会社の事務用品の買い物とパチンコ・爆)、かなり食い下がってきて、8分ほど話していた・・・。営業電話で8分って長いよ・・・。
私は、パートナーにもすごい執着はありません。彼がどこで仕事をして住みたいと望んだことをそのまま尊重してきましたし、今後、私以外の誰かと生きていきたい、離婚したい、と言ったらすんなり受け容れることでしょう。彼は私の人生に不可欠な人です。が、その関係のつなぎ目がどうなろうと、もう不動の存在なので、友だちでいられて大切な存在であれば、しつこく食い下がることはありません。彼がいなければ生きていけないようでは、私自身が困ってしまいます。彼がいるから人生は数倍おもしろい、ではないと・・・。そりゃ、死んじゃったら淋しくて狂いそうになるでしょうが、その日のために毎日覚悟はしておかないと・・・。
パートナーは、粘着質やしつこい人々の性質について、「物事にとらまえられる」と表現します。「囚われる」が正解なのですが、彼の口癖なので放ってあります。「とらまえられる」じゃ、IME変換しないよ・・・。薩摩語なのでしょうかね?今度チェックしておきます。
何かにしつこくあることは、美徳のひとつにもなり得ることですが、自分で自分を檻の中に閉じ込めているということにもなります。マラソンや登山などの持久力はとても美しいですが、最終目的があり、そこにはゴールラインがあり、達成感があるからこそ美徳なのです。
想いに囚われていると、その変容していく想いにずっと囚われ続けることになり、縛りはどんどんきつくなっていく可能性が増えます。たとえば、老化。女性がしわやしみを気にするのは仕方の無いことかもしれません。が、老化しなかったらそっちのほうがずっと怖いって・・・。イマドキはレーザーもあるんだし、そんなことに囚われなくてもいいでしょう。いい化粧品もあるんで、リラックスしながら毎朝晩、マントラを唱えながら(私は今日もステキな1日を過ごす、過ごした♪など)、血液の循環がよくなるよう、マッサージするとかでいいでしょう。何もしない私が何を言うか!なのですが、私はけっこういい遺伝子をもらったことには、深く感謝してますぜ。
二日酔いをしたときに、「もう二度と飲まないぞ」と毎回決意している人たちもよく見かけますが、私はソレ、無駄すぎるのでやりません。どうせ飲むんだから・・・(爆)。自分の檻を作って何になる?できることを課しましょう。ワインバーもやっているのに、飲まないでいられるわけがない。せめて量を調節することに努めるくらいしかできませんや。
こんなしつこくない性格が、よく、人様からは、「ネコみたい」と言われるゆえんなのかもしれません。やらなければいけないことには集中力はありますよ。でも、しつこくなってしまっているときには、やらなければならない、というよりは、自分で自分の想いから抜けきれなくなっていることがほとんどです。とても不自由です。そんな意味でも、私はいつも自由な気分を満喫しています。「しつこいねぇ」と言われた記憶は皆無です。たまには何かひたむきにやっているところを見られたときに、「つくづくあんたってしつこいねぇ」と、言われてみたいもんです・・・。
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