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なぜ日本では女性は年齢が若いほうが価値があるという考え方が浸透しているのでしょうか?

日本では、とは限らず、世界的にそうした風潮はありましたが、それに関して、年を経ていく女性たちが、どのように自由に生きてきたか?の歴史の上に、私たちは乗っかりながら生きています。積み重ねですからね。歴史を取っ払うことはできません。

日本のほうが欧米諸国に比べて、相対評価の傾向が強いので、他のアジア諸国と同様、なかなか歳を経た女性たちの価値が上がらない焦りみたいなものは感じられます。

マスメディアでも、わざわざ取り上げない限りは、30代・40代・50代・60代‥‥となった女性たちは注目に値しないような扱いというのはあるかもしれないですよね。

なぜ世界中でもこうしたトレンドが実在した中、女性はどんどん自由に自分のスタイルを探して生きようとするようになったのか?というのは、2つの点から考えていくとわかりやすいかもしれないです。

ひとつは、生物学的事実。心理学ではこの分野を特に「進化心理学」と呼び、長年の蓄積で、性差=考え方や行動の違い、というのを説明するのに特化しています。1990年代に学派のひとつとして注目され始めたきっかけが、『地図を読めない女、話を聞かない男』のベストセラー達成でした。

長い長い蓄積の中(人類が現在の姿になるまで3-400万年ほど掛かっています)、男女の性差は容貌に顕れ、行動や役割の差になり、脳にも違いがわかることが昨今では次々と解明されてきています。

男性優位の世の中では、男性有利な評価が世論となります。男という性は、1日に3-6億ほどの精子を作り、それをできるだけ多くバラ蒔き、自分のDNAを残したい、というのが本能。とはいえ、その代償として、その子や子の母を養わねばならぬ、というのが社会形態でした。

逆に女性は、卵子は通常1か月に1つ。ゆえに、どの男性の子どもを生むか?には、慎重に投資することになります。さらに、子育てには時間が掛かり、現代と違って命を落すことも多くあったわけですから、それを数百万年も続けてきていれば、脳の形も行動も変わります。

このベースから、もうひとつの切り口である社会について考えてみると、女性の参政権が1947年でまだ73年ほど、男女雇用機会均等法制定が1985年制定の翌年実施ですからまだわずか35年ですよね。身体の仕組みがさほど劇的にスピーディーに変わるわけはなく、その間にも、「日本死ね」が流行語になった託児所問題や、根本的な幼稚園=文部科学省、保育園=厚生労働省、という分類ですらしっかり整理されていない現状のまま、突っ走ってきた感があります。

Blog記事の中で既に何度も書いてきていますが、こんな世の中で、女性が恋に落ちて、その人の子どもを生み育てたい、と思える環境がまず安心できないことや、その世相の中、男性も多くが、「養うなんてまっぴら、イーブンね」を前提としてくるようになりましたから、イクメン流行になったとしても、現状は大半、「女性のほうが育児家事を担う」には、さして変化は見られず(マシになった程度)で、なぜ、女性ばかりがつらいのか?という雰囲気は、今後も続くのかもしれません。

同時に、女性管理職や政治家が男性と同等比率になることもなく、まだまだ本当の意味での「公平」には時間が掛かっていくことでしょう。

ようやく、女性は若いだけが価値ではない、と言える男性も増えてきましたし、女性たちもそうだ!と行動や考え方が変わってきた時期なのだろうと思います。大きく時間軸を捉えると、まだまだなんだろうけれども、まぁ、光は見えてきた、というところなのではないでしょうか?

それには、政治や世相や多数決や相対評価やグループに負けることなく、自分らしさを貫ける折れない心を持った人間を育てていかねばならず、女性男性の性差に拘わらず、人としての美徳を備えた人々が増えていくのを願うばかりです。

だって、元東京都知事の石原慎太郎氏は、2001年、19年前にこの進歩を大きく邪魔しています(まぁ、彼の場合は体罰促進とかもそうなんだけど・・・。(・・;))ばばあ発言 これは各国で英語や現地語に訳され、日本が評判を落したことは言うまでもありません。 (・・;)

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