今日はあまりに暇だったので、つらつらとお得意の想像ゲームをしていたところ、気に入ったのがこのタイトルの想像。たまに妄想だとも言われるのだけれども(笑)。なんだかあまりに楽しくなったので、いろいろなバージョンを作ってみて、日がな1日ずっとあれこれ考えていたし、しまいにはインターネットでもうチョイ調べたほうがいいような気がしてきた。私は、おそらく子どもの頃からこういう「何の足しにもならないだろうこと」に、莫大な時間を費やしてきたんだろうなぁ。この熱意を、発明に注いだらきっと大金持ちだっただろうに、などと苦笑していたのだった。
いろいろなバージョンを作り始めたらおもしろくて、ペンを出してきていろいろと書いていた。
- 生きている人
- 死んでしまった人
- 日本人限定>生きている人
- 外国人限定>生きている人
- 日本人限定>死んでしまった人
- 外国人限定>死んでしまった人
- スポーツの神様のような人で遇いたい人
などなど、いろいろとリストが増えてしまい、なんだか自分でも収拾がつかなくなってきたのだった・・・。きっと、これらは記録に残しておいて、3年後くらいにまたやってみるとおもしろいんだろうな、などと思い、「ちきしょー!どうして子どもの頃からやっておかなかったんだろう・・・」と悔やんだりしたのだった。めったに後悔はしないのだけれども、こんなささやかなことなので、私ができなかった分、お孫さんのいる人やお子さんのいる人にオススメしてみるだけで、相当に気が済むと思われる(笑)。
あとは、女として、だとかいろいろを付け加えてみたのだけれども、そうなるとキリがなくなってきて、「あー、なんと私は倖せな時代に生まれてきたのだろう」と、観念すらしてしまった次第。こういうことが考えられるということは、やはりなべて倖せなのだろうと思うの。小学校まで何キロも歩いたような、父の田舎を見たこともあり、今でもあのくらいの距離を歩かなければ学校に行けない地域も、この目で見たことがあります。ただし、アメリカはスクールバスが発達しているので、必ずしも歩かなくてもいいのだけれども・・・。聞いた話では、アフリカなどで、通える距離にないので、頭がいい子が村から出たら、みんなで寄宿させるための費用を捻出したりする努力、というのに耳を傾けたことがあります。実際に、海外青年協力隊の施設に泊り込み、日本の農業や灌漑などの基礎を習っているアフリカ人には遭遇しました。私は、機械や電気などを習うものだとばかり勝手に考えていたので、第一次産業をやろうとしている人々がたくさんいることに勇気付けられたのでした。
今でも私は二宮金次郎スタイルで、いつも本を読みながら歩いているのですが(いい歳こいてみっともないと指摘されることもある)、その昔から伝記を読むのが大好きでした。ところが、図書館には、大人用の伝記の棚がない。なので、子ども用のところに行き、そのリストを作成しようかと、今日ふと考えたのです。
私が、今日おぼろげながら会いたいと思った人には、ジョン万次郎http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E4%B8%87%E6%AC%A1%E9%83%8E がおり、ここのところ、英語教師を真剣にやっているので、彼と出会い、いろいろなインタビューをして、データを取ることができれば、相当に日本の英語教育に役立つのではないかなぁと思ったりしています。さらに、幕末に徳川幕府の訳をしていたEarnest Sato http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%88%E3%82%A6
でも、それではあまりに現実味を帯びすぎているので、夢もない(笑)。でも、こうして遇いたい偉人について考えていると、自分がいかに浮気性な人間で、多くを望む人間なのかよーくわかってきてしまい、たいへんに絞るのが難しい。アメリカの歴代大統領だけでも、3人も遇いたい人がいたんだよね・・・。さらに、政治家だけでも10人以上。アメリカだけだってば・・・(汗)。日本だって、飛ばされたり流されたりした現代史までを入れたら、遇いたい人はたくさんいる。最近は、加藤清正と真田幸村に遇いたくて仕方ないのだし(笑)。織田信長だけではなくて、長男の信忠にも遇いたいんだから、本当にキリがなくて、どこでどう区切るか、とごまかしつつ、分類リストを作って、自分のあちこちに飛ぶ興味や好奇心の際限のなさを、無反省に言い訳していたわけです。
芸術家などは、彫塑家・画家・建築家・音楽家などに分けていたのですが、それでも足りないために、ヨーロッパ・アメリカ・アジアとか分け始めてしまったし(爆)。
スポーツ選手なんて本当にキリがなく、スポーツの種類ごとにしたあと、あまりに際限がないので、「理想のラインアップやスターティングメンバー」を東西で考えたりしたのだった。ただし、ゴルフや水泳などの個人競技にはこれは通用せず・・・。困った(爆)。
経済界や学者などまで考えが及ぶと、もうこれは本当にお手上げ状態で、とうとう止めてしまい、こうしてこの顛末をエッセイに書くことにしたのだった。
そこで私が今日考えたことは、こうしたカテゴリーわけでごまかしているだけで、実際、一体、じゃぁ、誰と遇いたいのか?という究極に尋ねられたときに、1人には決められない意思の弱さ。西さんのことはあっさり決めたのだけれども、30代でちょろっと心があちこち向いたりしたし、職業についても、何もやってこなかったのと同様で、腰を落ち着けたことがないのが、こんなところにも出てくるのだろうなぁ・・・と。
ただし、けっこう生きている偉人はどうでもよくなってきて、遇うべくして邂逅しないのだから、やはり凡人の戯言の想像に過ぎないのだろうと、しまいには自嘲の嵐。Bill Gates, Jesse Jackson, Bill Clintonなどは、大学に来たので話を聞きに並んだのだけれども、あれじゃ遇ったとは言えず・・・(汗)。生きている偉人には、きっと情熱があれば、どんな手を使っても遇うように算段するのだろうけれども、私は自分から誰かに会うためにあまり動かない。コレは怠惰であるなぁ、などとも思い、本当にフットワークが軽いのかどうかも、今日は疑問に感じていました。どうなんだろうね・・・。
もうすぐアメリカに行くので、日々、エッセイを書き溜めなければならないのですが、どうも気力が充実しない。でも、がんばらなくちゃなぁ・・・。