2006年に書いた文章です。
Diva(=女性大歌手、プリマドンナ)と呼ばれるDonna Summer(ドナ・サマー)がイメージと闘いつづけていたとはまったく知りませんでした。私も彼女にそういった無責任なラベル貼りをしていたひとりであるかと思うと、少し縮こまって“Sorry,Donna”とボソボソとテレビに向かって謝ってしまいました。
実像と虚像ができるのは、事実が正確にすべての人に伝わらないから当然なのですが、私もまたイメージに苦しんできたひとりとして、彼女もかも?と思えればよかったものを、億万長者であるDonna Summerをなぜかそんなわけはないと決め込んでいたのでした。
彼女は小さい頃からゴスペル音楽に馴染み、Bostonにある近所の教会でコーラスをしていましたが、10歳のときにソロ歌手が休んでピンチヒッターをしたときに教会全体を泣かせたときから、「自分は何者かになるんだ」と思っていたそうです。17歳でHair(ヘアー)というミュージカルのひとつの役がついた彼女は、ブロードウェイが終わるや否や両親を説得してドイツに渡ります。興行が終わってもそこでモデルをし、語学を修めて、ヨーロッパのSummerという苗字のだんなさんと結婚し、25歳で子どもをひとりもうけます。貧困ななかで稼ぐために不在だっただんなさんへのさみしさ、自分の将来への不安でいっぱいになった彼女は、子どもをボストンの両親のもとに送り離婚し、また仕事をドイツで探します。役がつき、テレビのなかで英語の歌を歌う彼女をもっとヒットさせたいと考えたプロデューサーが、「お色気路線」を考え出し、“Love to Love You, Baby”が大ヒットし、アメリカのビルボードにまで渡ってきたときには家族をはじめ、彼女を知るすべての人が驚愕したそうです。
それからアメリカに戻ってきて次々とヒットを飛ばし、Disco Queenの異名をもらった彼女は、本来の自分はこうではないのだという苦しみと闘い、薬物中毒になり、さらに手相や石などの占いに凝り始めます。その長いながい闘いを終えて、バックバンドにいただんなさんと結婚し、子どもをもうふたりもうけるまでには実にDisco時代すべての時間がかかっています←憶えているかな?
家庭にこもったあとでもゲイに対して「エイズは神からの審判が下った罰」だと公言したと書かれてマスコミに引っ張り出されたり(これも事実無根でありました。裁判は示談で終わっています)、たくさんのバッシングにも耐えたようです。詳しいBiographyはこちらで(英語だけど)。ここは一応オフィシャルサイトになってます♪ Donna Summer
うーん、つらかっただろうなぁ。ほんとにごめんね、Donna。
それからBette Midler(ベット・ミドラー)。私は彼女がSurvivor(生存者)だなんて思ったことが一度もなかったのです。でもこれほどこの名詞が似合う女性もめったにいないんじゃないかなぁと感じています。ついでなので彼女のBiographyもここに載せておきまする、同じく英語です。でもこのサイトけっこう楽しめるかも>ホームページから検索して遊んでみてね♪写真だけでもおもしろいかも。Bette Midler
逆に彼女の場合はアメリカに来てから、For The Boys(邦題わからず)という映画で唄って踊れるすごい人がいるもんだ♪と思って調べたんですが、せいぜいBeneath My WingsやFrom A Distanceという歌に行き着くくらいの能力しかなくて(当時はPCさえ持っていなかった)、彼女が芸能界の暴れん坊だとは知らなんだ…。NYにあるバスハウスにはゲイの憩いの場があり、そのそばにあるライブハウスで歌姫になったBetteにはカリスマがあったと言います。大成功のうちに終わったファーストアルバムを雑誌Rolling Stone(ローリングストーン)で叩かれたことが彼女がSurvivorになったはじまりです。その後、歌と映画の両方で活躍していますが、その紆余曲折には笑わせて泣かせてもらうことばかりです。足と腰が万全ならツアーに行くのになぁ…。
売れた映画にはDisneyのHocus Pocus(邦題:ホーカスポーカス?)、Rose(邦題:ローズ)、First Wives‘ Club(邦題わからず)などなどがあります。いちばん新しいのはThat Old Feeling(邦題わからず)なのですがおもしろいコメディです。ちゃんと劇中で歌が入っていますし、踊りも入っています。
Betteの栄光を見て、彼女がそんなにも苦労をしてきたということが窺い知れないことがとても不思議でした。いつも明るいのです。夜のトークショーテレビ界の大御所といわれたJohnny Carson(ジョニー・カーソン)が引退を表明した最後の最期のゲストがBette Midlerでした。何千人にも渡る(30年以上続いた番組で今はJay Renoという人に引き継がれています)ゲストのなかからJohnnyとそのスタッフが選んだのがBetteであったことは、私は彼女が勝ち得たものであると思ったのですね。これは歴史に残る瞬間だったでしょう。私も見ていました。泣きました。さよならを1週間に渡ってしてきたJohnnyは最後まで泣かなかったのですが、Betteの歌で目に涙を光らせました。そのJohnnyとHugをして、スポットライトを彼に引き渡したBetteは舞台裏に駆け込むようにして大泣きをしていましたが、カメラは後ろ姿しか捕えることができませんでした。彼女はそういう人なんだろうな、と思えました。
今は、ひとり娘とだんなさんを各地に引き連れてのツアーを展開しています。これも賛否両論なんでしょうねぇ。学校に行かせないで、ひとつの場所に安定して置かないで、移動生活を送るっていうのは。けれども、私はBetteの娘への接し方に不信感もないし、娘がBetteのプロフェッションを見ていくのはいいことであっても悪いことであるとは思わないですね。
彼女がオーバーオールを着てボランティアでスコップまで持って働いているゆえんに、たくさんのゲイのお友達がAIDSで死んでしまったことがあります。このようなことをしない芸能人もたくさんいるのでしょうが、私は彼女がしたいことを次々するのを見せてもらって勇気を得ます。名前だけ貸して、スピーチだけして、歌を2・3曲歌うこともチャリティ~金集めに繋がるなら、というふうに見る世間を拗ねた見方もする人はいるのでしょうが、私はアメリカの芸能人のチャリティに賭ける熱意に将来への希望を見出すことが多く、人間はひとりじゃ生きてはいけないよな、と考えさせられます。感謝の気持を想うだけでなく、言動で表わすことがいいなと思えるのはこのへんです。実際に売名行為だけでは何十時間もの肉体労働はできませんもんね。AIDS Walkだって10キロ以上あるんだもん、ラクだけして売名してるわけじゃないと私は信じています。
Diva(女性大歌手・プリマドンナ・歌姫)でない部分での彼女たちにも刺激されるところは多いです。歌がもたらす癒しや情熱やヨロコビや哀しみだけでなく、その裏にある努力や涙だけでもなく、生きる姿勢というものから得ることに私は興味がありますね。それがイメージであるのか、ただ私のなかだけにある虚像なのか、とことん見ていくことも楽しい作業です。間違っていたらすぐ修正してモノの見方・考え方を強化していきます。
ここで、なぜ他の歌姫の名前が出ないんだか不思議かな?私はどうしてもなぜか自分より年上の人を見つめてしまう傾向が多いみたいなんですね。私が年齢を重ねたときに取り入れる智恵のある人々に注目してしまうような。もちろん若い人でもいいのです。すごいGem(宝石)の輝きを放つ人は何人もいます。ミーハーな気持は私にもあります(爆)。宇多田ヒカルちゃんいいっすね、いつも唄っています(爆)。食べず嫌いは本意ではないのでちゃんと小室哲哉プロデュースの音楽も聴いてみました。カラオケで何曲かなら唄えます♪あ、B‘zだってちゃんとベスト持ってるよぉ(爆)。
でも私はひとりでしゃんと立っているきっぱりしている、すべてを引き受けている人が大好きです。家族もお金も失おうとも、身体ひとつを資本にしてもやっていける人が。それがゆえに家族を大切にして、懸命に働きつづける人が大好きです。イメージと闘いつづけて、自分とは何かいつも見据えていける人が大好きです。その人そのものを真似してそうなりたいとは想わないけれども(私じゃ歌姫にはなれないっすね…汗)、学ぶところが大いにあります。まさしく彼女たちは紆余曲折があったけれども、生き延びてきた人たちであるなぁと思うのです。
私には「苦労は買ってでもしろ」とオススメしてしまうカタブツなところもあります。安穏に暮らしていくこともたいへんになってきた世の中で、「何が起きてもだいじょうぶ」な姿勢があることがとても大切であると思っているからです。浪花節をオススメしているわけではないのですが、苦労話を披露しましょう、とオススメしているわけでもないのですが、そのプロセスを自分の体験にすることはマイナスにならないことが多いんじゃないかと思います。そして自分とは一体何かということをどんどん知っていくのは楽しいことです。
イメージを超えて、自分の実像を追い求め、追い掛けて、実現することがみなさんに可能でありますように♪
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