私自身が子どもの頃はそんな子だったと反省に至るのは、渡米してからです。ただ、私という子どもは日本という文化伝統が生み出している環境そのものが、とても合わなかったのだと、その後よくわかるのです。そのせいで、アメリカには20年弱も居座り続けてしまい、母の介護が視野に入るまでアメリカ生活をエンジョイすることになります。戻ってきてからも、これで13年になり、14年目を迎えているのですが、帰りたい気持ちでいっぱいです。この国でおばあさんになって死にゆくことがイメージできないままでいます。多くの海外組の方々は、高齢者になったら帰りたいと里心がつく方が多いらしいですが、私は逆ですね。(・・;)
なぜ子どもの頃の私はゴジラのように、バルタン星人のように、人間関係をただただ踏みつぶしてしまっていたのか?
子どもの頃には、
- 他者を思いやるような話し方ができていなかった→嫌われる→取り繕うという努力はしない
- ひとりで行動する遊びが死ぬほど好き→誰かと遊んでいても、自分が伸びることに全身全霊を賭けて夢中だった
- 引っ込み思案だったので、唐突すぎることや突飛なことをいきなり言ったりやったりしてしまっていた
- ひとり遊びの中でじっくり自分の中で醸造した考えと違うことを廻りがやっていると、疑ってしまう傾向があった
- 「お姉ちゃんなんだから」「女の子なんだから」「外孫なんだから」などという立場を押し付けられて、非常に戸惑い、ダブルスタンダードな行動ができず、非常に一本気だった
- 警戒アラームがすぐに発動してしまい、ダブルスタンダードをちゃんとできる子どもたちを避ける傾向が強かった
- 楽しいと思えることや、夢中になれることの程度や対象物が、他の子どもたちとあまりに違いすぎて、他の子どもたちに警戒される、嫌われる、という結果に
- 自分ができればそれでよし、というところがあって、「みんなが私と同じとは限らない」とかなり早期から感じていたので、放置が多かった・・・
- あまり他者を信じないので、せっかくなかよくなれると狭くて深い関係になろうとして、広くのスタンダードにマッチしていこうという積極性がまったくない
- 基本的にまじめだったので、何でもがんばろうとしてしまっていた
- 気づきはそれなりにあって、鈍感なわけではなく、傷ついたり驚いたりがものすごく多い神経質な子だった
と、考えてみると、結果ゴジラやバルタン星人になってしまったとしても、特に性根が悪い子どもじゃなかったからいいかなーと、結果オーライだと思うしかないような(笑)。
なので、会社勤めもせず、バイトをがんばって渡米して、20年近く戻ってこなかった、というのもわかる気がする・・・。今、生徒さんたちとそれなりにいい関係は築けているのだけれども、ずっと続かなくてもいいな、と思っています。諦めではなくて、私が踏みつぶすようなことをしそうだったら、逃げてほしいと強くつよく思っています。
私はこの年齢になってきて、今の自分が大好きだと、渡米して数年後からずっと感じて楽しく生きているので、もう誰かに好かれるために無理までして合わせたいとは思えないので、私の被害に遭う前に、ちゃーんと逃げていただきたいです(笑)。
でも、ゴジラとかバルタン星人くらい威力があるニンゲンにはなれていない気がする・・・・・・・。(・・;)
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