1999年に書いた文章です。
Sapir-Whorf Hypothesis:(サピアーウォーフの仮説)事象の捉え方はすべての言語で異なり、人間の思考や行動は用いる言語に規定されるという言語相対説。サピアとウォーフが提唱。
この言葉に出逢ったのはもうかれこれ4年ほど前なのですが、たいへんに新鮮なボキャブラリーになりました。私はそれまで、English Intensive School(英語集中学校)に通っていても、航空学校に通ってさらに教えていても、どうもいろいろな言葉に対する感覚のギャップにつまづいてばかりいたからです。それをぽーんと半分ほど解決してくれたのが、これでした。
英語を習い始めてまもなくは、私は日本語→英語、英語→日本語という訳をアタマのなかでしていたと思います。2週間目ほどで「ああ、これって無駄だよな」と思い始めたのは、文章のなかにある言葉の順番です。
I have to go to the bank twice a week.
私は銀行に週に2回行かなければなりません、を英語の順番にすると、「私は、なければならない、行く、へ、銀行、2回、に、週」なんていうめちゃくちゃな順番で、こんなことしていても話せるようになるまで100年かかると思ってため息をついていたもんです。「私は」という主語以外には何の共通点もないわけです。さらに、この「私は」は日本語の会話ではしばしばOmit(省略)していいもので、最初であっても何だか得したような気持になりませんでした。
実際テキストブックは絵がたくさん描いてあって、字がとっても大きくて、解説には先生がテープを何度も流してくれて、本当に子どもになった気持で毎日学校の机に座っていました。違ったのは、「私には12年はない」ということで、何とか1年以内で英語を「社会生活が営める準備」ができるようになることで、小学校1年生の私に比べて時間がないことでした。
辞書を使って大体の言葉の意味をつかみますが、1回めは蛍光の黄色・2回めは蛍光ピンク・3回目は赤線でアンダーラインを引いて、それでも憶えていないものはとにかく書きました。書きながら発音して、日本語を辞書からノートに写しているあいだもぶつぶつと実際に声を出したり、目で追っている字たちをアタマのなかで反芻しつづけます。けれども、第一義の意味くらいしか記憶できず、結局はその後に会話のなか、映画やテレビに学ぶことになります。
でもそれがよかったと思える今日この頃です。辞書が正確でない、ということではないのですが、どうも語感が違う言葉が多いのです。英語は漢字がないせいなのか、ひとつひとつの単語が厳密で合理的であると思うのです。
たとえばAwe(:恐れ、畏怖、畏敬)という言葉ですが、この言葉とBe Afraid(怖い)、Be Frightened(怖い)がどこが違うかというと、Aweという言葉には、「説明できない不思議な力に対する恐れ」という意味合いがあります。特に神を指します。これは大学レベルの英語による国語辞典に説明が載っていることです。しかし、広辞苑には「畏怖:おそれおののくこと。おじること」としかなく、語感の説明はありません。たまたま昨日使ったうちのひとつなので、例にしてみました。
そして私はいつしか、アタマのなかのブラックボックスで訳すことを止めて、絵を描いて納得するようになったのです。無論、日本語にないボキャブラリーの場合に出る絵に人間が関係する場合には、その絵のなかに日本人は出てきません(爆)。そうして、英語を話すときには英語のみ、日本語を話すときには日本語のみ、と分かれていったのです。
私のターニングポイントはおそらく、飛行機学校での距離の英語であったと思われます。数字はどうしても日本語でないとダメだったです。身体に染みてこないというか、すぐにアタマに距離や温度が出ませんでした。けれども、時間が経つに従って、どうしてもアメリカ式の数字につく単位に切り替えなければ、生命の危険があることを学び、背に腹はかえられず、マイル・ガロン・フェルナンハイ・マーキュリー・マッハなど(Miles・Gallon・F・mg・Mach)に慣れていき、いつしか飛行機やヘリに関しては、どうしてもキロ・リットル・サルシアス・ヘクトパスカルなどなどにできなくなっていきました。今でも、車は日本式なのですが、飛行機関係のものはアメリカの単位で距離や重量を感じています。おかしいですね、地図を見ていても、そのまま飛行機式にマイルで換算すればいいものを、スピードや距離も半分ほどはわざわざ1.6を掛け算してキロに直すのです。でかい地図だと航空地図に似て見えるので、少しマイルのまま感じて、考えることができます。
体重計もなぜかパウンドを使い慣れてしまったので、もうキロではあまり実感がありません。けれども、日本人相手に考えるときにはキロでOKなのです。ここでお付き合いしている学校やその他のお友達とダイエットや健康についての話をするときには、パウンドでないとどうしても実感が湧きません。けれども、日本に入るお相撲さんならばキロでないと実感が湧かないわけです。困った脳みそである…(汗)。
単位だとものすごく単純に説明できるのですが、日本語で厳密に使ってこなかった言葉に対してや、日本文化にないか、意味合いが多少違ったり、日本語では広義で希薄さが感じられる厳密なボキャブラリーやニュアンスには、未だにどうしても日本語を使っていても、訳すことができません。辞書が悪いという批判ではなく、私のなかでうまく消化できていないようです。
父が死んだときに日本に帰ってたいへん苦労したのは、病院でボランティアをよくしていたせいで、何かの拍子にモノか匂いか音にクリックされて、英語がひょいと出てしまったりしました。子どもに関しても同様で、私は10代と20代の前半、バイトに明け暮れていたので、お客さんが連れてくる子ども以外の子どもとは接触がほぼありませんでした。レストランや展示会場に来る子どもはたいてい小学生以上で、たまに居る赤ちゃんは寝ていたり抱かれていたりして、近くに寄れなかったことがあります。なので、小学生以上に接する場合には日本語が出るのですが、乳幼児に接しはじめたのが英語でだったので、ついつい英語が先に出てしまいます。日本人の赤ちゃんの場合にも出てしまっていていけません。咄嗟のことなので、直そうと思っていても「刺激→反応」みたいなもんで、どうもうまくいきません。我が家のネコにも英語がメインです。
私は24歳半で英語を日常として使うようになりましたが、これが幼児期に始まるともっと厳密な資料になるのではないかと思います。そういう研究をしている学者がたくさんいて、彼らの文献を読むと、英語をマスターするにあたって、私はやっぱり幼児期と同じようなことをしていたのであるなぁと実感できます。たださらにお得だったのは、私には読み書きが既に母国語でできていたということで、混乱しても文字にして、母国語で整理するのに時間がかからなかったことでしょう。
そして大学に戻ってこのSapir-Whorf Hypothesis(サピア=ウォーフ仮説)に出逢って、ものすごい納得をしてしまったのです。もやもやしていたものがすっきりした、という感じでした。その頃にはもう漢字が少しずつ書けなくなっていて(使っていなかったので、手紙を書くときには国語辞典がしばしば必要になっていました)、PCがなかったら読む速度さえも遅くなっていたことでしょう。留学生が居ない場合には、西さんと話す時間は平日で1日1時間あればましなほうであったし、休日でも無口なほうなのでそうそうたくさんのボキャブラリーにさらされるわけではありませんでした。いつしかアタマも英語に支配されて、今でもやはり英語で考えるほうがラクな事柄は多いです。日本語でインターネットをしていなければ、そっちのほうが生活のなかでもずっと多いのではないかと思います。
文化人類学の授業でわかりやすい例は、Inuit(イヌイット)やNative Americans(アメリカ先住民)の言語に見られるボキャブラリーの量と質でした。イヌイットはアラスカから北にかけて住んでおり、その雪に対するボキャブラリーの多さについて解説していました。英語しか話せなかったField Work(フィールドワーク:現地文化のなかに住みながら、肌で文化に触れ記録に残し研究をする)をした学者にも、その雪の微妙な違いがイヌイットの言葉で理解できるようになった、というエピソードがありました。
日本でも秋田・岩手・青森・北海道などの雪が多い地域では、標準語に直しきれない寒さや雪などに対する方言がたくさんあります。標準語を器用に使える人であっても、そのニュアンスや語感は正確に訳しきれないことがままあります。それは標準語のボキャブラリーにないか、あるいはその意味が希薄になってしまうからで、イコールな意義ではなくなってしまうからです。
「だってあなた日本で生まれ育ってるんでしょ?日本語おかしいわよ」と言われるたびに、このような長い解説をする気力はありますが、最初からこれを言ってもわかってくれる人はあまり多くはありません。
http://linguistlist.org/ask-ling/sapir.cfm
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