駅まで5分弱歩き、その後30秒ちょいでスクールに到着してしまうので、私は携帯の電源を入れることそのものをやめてしまいました。
スクールにいるときも、家にいるときも、インターネットはPCで常に繋いでおり、電話もしっかりついているので、特に不自由を感じない日々です。電車に乗らない、というライフスタイルやら、遠くまで行かないから、というのがたぶんこれを支えているのでしょうね。
たとえ片道30分であっても、通勤をしていればあったほうがきっと便利なことが多いのでしょう。とはいえ、私は、税務署に行くにも、法務局に行くにも、特に問題は感じていませんね。
電車に乗る乗らない如何の前に、読書はKindleを常に携帯しており、さらにもう1冊くらいを手持ちで持つことも多く、テキストを執筆する場合には、机横に数冊から数十冊レベルで積み上げており、さらにネットで検索して確かめたりしているのですが、活字は私の生活内にあり、おそらく携帯やスマホの画面は、情報量が少なすぎるため、たぶんイラつくのです。ゆえに、出かけるときにはやはり本レベルの字が読めるものが必要で、出かけてないときにはさらにもっとしっかりしたものが必要、という気持になっています。
誰かと連絡を取る必要性はあまりなく、PCのメールでのやり取りが98%ほど。今回、まちゼミで電話受付だったため、本当によく話したというびっくりがあります。生徒さんとは、来たら顔に向かって話すので、スマホも携帯も要らないし・・・。
調べ物に関しても、出先で調べるというのは必要ないだろうなぁと思っています。なんせ私はパイロットなので(しばらく飛んでないけどサガというのは消せるものでもないし・・・)、フライトプランを立てるのと同様、どこかに移動する場合には、先に調べないと気が済まないですね。フラッとどこかに立ち寄るのもアリですけども、電車に乗ってわざわざ出向く場合には、先に調べておいたほうが、時間も短縮できるし、そのほうがいいです。安心です。時間が読めます。お店が閉まっていて、どこにしようか、と調べる必要性も、調布市内であればあまりないし、わざわざ都会に出かけるときには誰かといっしょが多いので、その誰かに調べてもらっちゃってますね (・・;) 依存なのか?
気がないことに関して鷹揚すぎる私は、携帯の電源が切れたことなどもよく見逃しておりました (・・;) そして使わないことを改めて確認しつつ、意味不明なジャンクメールが来たり、間違い電話が来たりすることにもイライラし、あまりよろしくない、と結論づけたわけです。
もちろん配偶者や母の携帯など、触ったことすらないです。気がないのです。いつかこのツケが来るのでしょうか?USに戻ったら、スマホ使うと思うけど、車移動の場合には乗車時間が長いので、きっとヘリコプターの無線と同じような扱いになるんだろうな、と予測しています。家にいるときには、おそらく同じように、PCを使うんじゃないか?と思っておりますが、もしかするとTVの画面でそれもOKになるかもしれず・・・。この先、どのくらいまで進化していくのか、楽しみです。
が!ヒトとして持ちえている脳はたくさん使うことを心がけていきたいと思っています♪
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