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トンビが鷹を

 [1999年08月12日(木)]に書いた文です。

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足の指のなかでどの指がいちばん長いでしょうか?小さい頃は「捨て子だったらよかったのに」と悪態をつく日もありましたが、私は父に足の爪を切ってもらうのが大好きでした。同じ話を何度もするのですが、それが聞きたくてたまらなかったのです。古い言い伝えの信憑性がはたしてどれくらいあるかもわからなかった頃のおはなしです。

私には、爪切りは父、耳かきは母、という法則があり、それは小学校5年くらいまで続きます。スキンシップをしない日本の風土での、古い家に生まれ育った父と忙しかった母に触れるための、幼かった私がこだわったいじらしい習慣でした。

ずっと革靴を履いていなければならないのも運転手の職業病を助長します。父は水虫でした。大きな足の皮は白い白癬菌に覆われて、ぽろぽろ剥けているのもあります。「それなぁに?」「どうしてあたしにはないのぉ?」と尋ねる私に、「きくみは靴をずっと履いてないから、みずむしが来ないんだよ」と説明してはくれたものの、どこにもみず、という虫が見当たらないのをたいへんにおかしく思っていました。

父が爪を切っている場面に遭遇すると、私は必ず「あたしのもぉ。切ってぇ、切ってぇ」とねだります。菌が感染るといけないからと、大きなごっつい貝印の爪切りを一旦水で濯ぎます。ていねいにちり紙で拭き、それから私を膝に抱えて小さな足の爪を切ります。同じ方向を向いていないとうまく切れないで痛い想いでもさせたらいけないという父の思いやりだったのでしょうか。小さな足に慣れていないせいで怖かったためでしょうか。

やわらかだった私の爪でもぷちんぷちんと音が立ちました。父のぶ厚い爪ほど大きな音ではなかったものの、私はその「切れているぞ」という音がとても好きでした。「きくみの足の人差し指は親指よりも長いねぇ」で始まる父が私の未来を話す言葉たちが、私はもっともっと好きでした。

「おとうさんのおとうさん、きくみのおじいちゃんがおとうさんに教えてくれたんだけど、足の人差し指が親指より長い人は、親より出世するんだよ。おじいちゃんは神主さんでたくさんの人に好かれていたんだよ。おじさん、おとうさんのお兄さん、がおじいちゃんの跡を継いで神主になるまえだよ。おとうさんの足の人差し指はおじいちゃんよりも長くないけど、きくみのは長いから、おとうさんより出世するね」

「出世ってなぁに?」

「深大寺じゃなくて、調布じゃなくて、もっともっと広いところに出かけていって、そこで大きな人になること」

「足の人差し指が長いと背が大きくなるの?」

「違う違う。背じゃなくて心が大きな人になるんだよ。そうすれば、この家よりももっともっと大きな家に住めて、頭もとってもよくなって、おとうさんよりもたくさんの友達を持って、毎日楽しくなるよ」

「100人よりももっと?今よりたくさん漢字が読めるようになるの?いつ?」

と、その時によって話の流れは変わっていったものの、父は私が「心の大きな人になり出世する」ということを、強く強く願掛けをするように何度も繰り返すのでした。そして

「こういうのを 【トンビが鷹を生んだ】って言うんだよ。トンビは死骸を食べる鳥なんだ。自分で獲るんじゃなくて、死んじゃったあとの動物を食べるんだよ。ぴいひょろろって鳴いてるの聞いたことない?」

「ある、でも見たことない」

「鷹と仲間なんだけど、鷹は自分の食べたいモノを自分で狩るんだよ。自分の力でびゅーんって飛んで捕まえに行くんだよ。頭がとってもいいって言われてるんだ」

「へぇ、それも見たことない」

「おとうさんはトンビ、きくみは鷹だからね。足の人差し指が長いから。だから何でも自分が欲しいと思ったものは自分で捕まえるんだよ。死んだ動物を待ってるトンビみたいにはなっちゃダメだからね。だってきくみは鷹なんだから」

と、これも何度も何度も繰り返すのでした。「親より出世して、とにかく友達がたくさんできて、大きな家に住めて、頭がよくなって、自分の欲しいものを自分で捕まえることができる子」だと言われることはとても気持がいいものでした。父の膝は暖かく、爪を切る音は心地よく、私はいつかこの家や父や母から離れて、どこかに飛んでいけるものだと信じ込んでいました。

小学校5年を過ぎて自分で足の爪を切るようになってからも、私は心のなかで父が話したことを反芻しました。どんなに悲しくてもどんなにつらいときでも、未来は開けているような明るい気持になりました。いつしか、悲しいときやつらいときに爪を切るようになりました。ペディキュアも映えないほどに何度も何度も爪を短く切ることが多かった時期もありました。

中学2年のときに黄色いクマの爪切りを自分で買いましたが、それでも父が使う貝印の大きくてごっつい爪切りを使うことが多かったのはなぜでしょう。渡米するときにはもう古くなりすぎて切れなくなったのでその想い出の爪切りがなかったため、私は今でもその黄色いクマの爪切りを使います。

立ち仕事が長かった足は子どもの頃のようにもうやわらかではありません。外反母趾の一歩手前のように変形してしまっており、固いタコもできています。親指の爪も内側に食い込んでいてよく働いたことがわかる足になりました。こんなにすっかり大きくなった私は、未だにつらいことがあるたびに爪を切り、静かに泣いています。今では父が懐かしいのか、つらいことが悲しいのか、もうごっちゃになってよくわかりません。

父が死ぬ前に私は「ねぇ、憶えてる?足の爪ずっと切ってくれてたよね?小さい頃」と尋ねてみました。もう彼が自分で死ぬことをわかっていた時です。冬の寒い日でした。「鷹になったなぁ。今度は白頭鷲(ハクトウワシ)か?俺は相変わらずのトンビだよ」と、アメリカに住み慣れて日本に戻る気がすっかりない私に向かって、父は小さく笑いました。

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この黄色いクマの爪切り、失くしてしまったのです。USを引き揚げるときに整理し間違えたためです。なんてこった!父が死んだ年齡になるまであと2年。わりと若く死んでしまったので、すでに追いつこうとしています。鷹になるまでは、とまだまだもがく日々です。この想い出を大切にしているせいなのか、暴れん坊将軍のオープニングなどに、なぜか着目してしまうのでした(笑)。

 tonbi2 tonbiジョセフ-ゾーム-ハクトウワシの頭部と米国国旗hawk

どれが鷹で、どれが鳶で、どれが鷲かわかりますか?

 

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