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ホームレスについての考察 その1

2006-03-20 にアップした文章です。

強制的に「実力主義」「弱肉強食」を生き抜いてきた気分だった私は、そもそもホームレスに対して厳しかったか?いや、もともと、私はホームレスに対して「社会が生んだすべて(政治やシステムや人情やその他)の人口の産物」と考えていたので、かなり寛大でした。が、個々をよく観察し、考察した結果、自分の中では、態度を分けることにしています。

日本で初めて「物乞い」を見たのは、新宿駅の西口での「社会鍋」。年代バレバレなんだけど(笑)。

社会鍋:救世軍が年末などに、通行人から慈善金を入れてもらうために街頭に置く鉄鍋。また、その募金活動。慈善鍋。[季]冬。

ただ、私が見たのは、傷痍軍人の社会鍋で、古い軍服を着て布に字を描いた看板を立て、社会に対して訴えていながらも、金銭を求めて鍋を置いていました。もちろん、母や通り過ぎました。私の母は、募金は一切しません。

その頃に、母に「傷痍軍人は恩給をもらっているはずだ」という話を聞いて、「ではどうして暮らせないのか?」と疑問だったのですが、母としては、「こっちだって生活が苦しくて新宿なんてたまにしか来られないのに、他人様にあげるお金はない」というのが理由で、深く追求していませんでした。

その後、バイクや車を得て、自分でバイトをするようになってからは、ホームレスの人々をたまに見かけるようになりました。気のいい私は、持っているガムやパンやおせんべをよくあげていましたが、特に現金をあげた記憶はありません。赤い羽根募金や交通遺児募金も、私は必ずあげてしまいます。最近では災害などの募金がありますが、もしかすると詐欺もあるかもしれないとは思いつつ、寄付してしまうSucker(とんま)です。特に、調べてからあげたほうがいいな、と思うのは、ネットくらいで、とりあえず駅前などに居れば、交番もすぐそばにあるし、許可は持ってるんだろうな、と思っているせいもあります。ただ、持っているちらしなどはちゃんと確認しますよ。

日本のホームレスの人たちが、缶などを置いて物乞いをしている風景は、しばらく見ていません。私が出かけるところが限られているからでしょう。

アメリカに来てからは、ホームレスの多さに驚く日々でした。広告もちゃんと装備されており、”Work for Food” (食べ物のために働きます) “Veteran need job”  (軍役体験者です、仕事が必要です)   “Give me a penny” (1円ください) など多彩です。カリフォルニアは暖かい気候なので特に多いのか?と思っていたのですが、あまり関係なく、Denver, Washington DCなどでもたくさんいることは判明しています。

少し前、夕食をワインで楽しみながら、親友とホームレスの話をしていたのですが、私の親友はホームレスに厳しかった。「お金なんてあげることないよ。癖になる。助けるようで助けてないよ」というのが彼女の弁。そういう意見の人たちが多いのだと思います。

私があげないことにしているのは、「ラクをしてお金をもらいたい策が垣間見える」場合で、たとえば、ショッピングモールやミニモールの駐車場で、妊婦だからお金ちょうだい、だとか、子どもの手を引いてお金ちょうだい、と周っている人々。ちょっとラクしすぎ・・・。警備員が来たらクモの子を散らすように走ることができるのに、胎教に悪いのにどうしてそんな稼ぎ方をしているのか・・・。パートナーがまだこちらに駐在していた頃は、工場に勤める人たちがたくさん必要な時代だったので、「お金はあげないけど、仕事先ならば教えてあげる」と言うと、逃げてしまうのでした。

私が行っていた大学の周りは、ホームレスの天国です。市はあまりに革新的で、ホームレスのドラッグ中毒者に新品の注射針を配っていました。HIV感染を防ぐため、ということだったのですが、それはあまりに「暫時的処理」すぎ・・・。もっと根本的なホームレスの自助システムを作る予算がないわけです。ホームレスで授業を受けている人もいましたから、寝るところや食べるものにも困る確率が少ない場所として、ホームレスには優しい環境だったと思います。が、私は通学していても、やはり自分の中にあげていい場合とそうでない場合を決めており、決まってコーヒー代のおつりをあげていたのが、聖書を暗記してその日のイベントやニュースなどに沿ったPreach(伝道)をしている黒人男性。あとは、ホームレスその人にではなく、そのホームレスが連れているわんちゃんに、サンドイッチやおにぎりの残りをお昼過ぎにいつもあげていました。ネコちゃんを連れているホームレスには、缶詰とカリカリ(乾いたごはん)を、Ziplockに詰めて、我が家のネコたちに人気がないものなどを、無駄にしないようにしていました。いつも通る場所が決まっているので、私は決めたことができてよかったのですが、通学者ではない市民や観光客にはあまりいい風景には見えないでしょうね。とにかくすごい数がいます。

バスのパスや駐車券をもらいに行くと、別の建物なのですが、そちらには2個ほどホームレスシェルターがあり、慣れない人たちは怖いのでしょうが、私はすんなり袋に詰めた、着なくなった衣類やパーティーで残った紙皿やその他などを持って行っていました。年に2・3回のことなので、私の家もきれいになり、使ってもらえる衣服があれば一石二鳥です。特に、市で運営しているものではなく、キリスト教などの教会で運営しているものにあげることにしていました。書類などを書かされないで済むので、私としてもラクだったのです。

観光地では、私は部外者なので、ホームレスにはお金はあげません。人が集まるところに行き、物乞いをするという行為は、あまりに生き延びる確率が高いことを計算できています。もしも、そんなつもりではなかったり、人柄がよければ、観光地にお勤めする人たちがひいきにしてあげており、きっと生き延びていけることでしょう。私の出る幕ではありません。読売巨人軍の二軍球場でも、有名なよしこちゃんがいましたが、彼女はホームレスではなく、精神薄弱な無職の巨人狂で、知っている人はみな知っている人気者でした。彼女を迷惑に思う人などいませんでしたし、選手たちはみんなアイドルのように扱っていました。そのように、その場で地位なりポジションを獲得していれば、私のような通りすがりの人たちが何かをしてあげることなどないでしょう。

アメリカでは、フリーウェイの出入り口にもよくホームレスたちが看板を持って立っています。特に、カリフォルニアの乾季では、私などは熱射病にかかってオダブツですが・・・。アレが得策ではないな、と思うのは、見知らぬ誰かに「仕事があるよ」と拾われたあと、犯罪に巻き込まれやすいことです。テキサスであった実話ですが、仕事を与え、食事と住む場所を与え、少し立ったら森に放ち、「人間ハンティング」の標的にしていた事件がありました。誰も探さない確率が高い2大人口は、このホームレスと売春婦です。東海岸でも、ホームレスを連続的に殺人したシリアルキラーがいました。言い訳は、「世間のごみを片付けていたんだ。感謝してもらいたいね」などと、何様のつもりか知りませんが・・・。

そんなわけで、私はフリーウェイの出入り口にいるホームレスにもタッチしません。もしも仕事やモノをあげることで、彼らがまたそこに戻ることがあり、その後、事件に巻き込まれるようなことがあれば、私の良心はずっと傷むことになります。

SFの町にたくさんいるホームレスも観光地化した場所にいる人たちと、ロコの生活場所にいる人たちはちょっと違います。私は、Cityにはたまにしか行かないので、やはりタッチしません。わんちゃんやネコちゃんがいっしょにいて、たまに食べものを持っていれば、あげることはあります。

あとは、暮らしている中で、きちんとした団体がホームレスに関わっていることを確かめてから、魂のCleanliness(掃除)と称して、寄付をします。シェルターにボランティアに行ったことはありません。なぜなのかは・・・

あーん、状況説明だけで終わってしまった>続きは明日。

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2011/10/17 14:09
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