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ホームレスについての考察 その3

2006-03-22 にアップした文章です

なんだか、力をものすごく入れて語りたかったわけではなかったのです、当初は。が、書き始めたらけっこうてんこもりになってしまいました。私が大学に最初に戻ったクラスで、Mr.Cainという英語の先生に、英文エッセイの書き方を習ったときのお題が、ホームレスだったのです。バックアップ用の資料として、2つの反対の観点から書いた著名人の文章を3・4個ずつほど読んだのですが、今でもやはり、私は「社会が生んだすべて(政治やシステムや人情やその他)の人口の産物」と考えています。

精神病だけではなく、アメリカにおけるホームレスになりやすい環境要因を挙げてきましたが、まだあります。人種や宗教も含む文化が分かれているがゆえに、窮地に陥ったときに頼りになる人の人口が、核家族化や近所付き合いの希薄化だけではなく、日本とはそもそも事情が違うこともあります。国際結婚の難しさや人種を超えた恋愛や結婚の難しさなどは、日本にも映画などでまだ伝わっていると思います。ヒトは近代になって、やっと船や空を使い、自由に行き来できるようになり、一般人であっても移動は可能になったものの、本当の本当に心に染みる頭で理解するくらいの親密さで、異国人や異種人種などとおつきあいできていない場合は、まだまだ多いのです。

日本もこの問題にはもうじき直面していくのだと、私は予測します。私は海外に出て多様化した文化に体験的に触れてきており、先んじているので、あわてなくて済むな、とほっとはしていますが、刻々と事情が変化していることに目を瞠り続けていったほうがいいのは、誰でも同じです。

会社を始めてみて、金銭的に頼れる人が本当に少ないことが実感としてよくわかりました。精神的に頼れる人は多いですが、お金がらみになると人はやはり慎重です。ま、私の場合は会社経営に使うので、友だちのお金を借りることはほぼないのですが、投資として持ちかけても振られる確率9割ですね(笑)。お金がらみというだけで、精神的負担は大きいです。100%の保証など、この世にはないわけです。

金銭的に困り始めた人たちが、何とかしようとすると、まずは、恥という感情にぶち当たります。プライドが高ければ高いほど、他人に助けを求めることはできないでしょう。そこで金利が高いクレジットに手を出すことになってしまうこともよくあることです。他にも、政府や公的機関に助けを求めようとし、システムの悪さや穴にはまり込み、もっと精神的にげんなりし、戦う意欲が目減りしていくのも、よくわかります。

日本でも、宮部みゆきの『火車』や『理由』で、経済的破綻については、日本人も学んでいると思うし、身近になってきたとは思いますが、まだまだ「他人事」とせせら笑う人もおり、「五体満足なのにお金を荒く使ったやつが悪い」とし、そもそもの出発点まで省みることは少ないことでしょう。ホームレスになるまで行かないにしても、他人の家に転がりこんだり、家賃を滞納したり、水道や電気を滞納したり、などなどの予備軍はやっぱり日本にもたくさんいます。働かないのに自分のことを公然と「ニート」だと認めている人たちもネット上で多いですから、もしも彼らが運良く職にありついたとして、またもや経済的に成り立たないことになっても、驚くことではないような気がします。

ホームレスになるまでにはいろいろなドラマがあることは、やはり知っておいてほしいです。彼らだけが悪いのではなく、私はやはり、私たちひとりひとりが生んだことが集積し、悪いこととして出てしまっている現象だと思うのです。

もちろん、最終的な責任は、自分の人生に対して真摯に挑んできたかどうか?ということかもしれません。が、精神病のように、抗えないでっかい壁というのはやはり存在します。組み込まれているDNAをどうやって個人が意志力だけで改造するのは到底無理な話です。考え方や生活習慣や言動などは、確かに後天的要素が多いのだと思いますが、そもそもの先天的不条理を「選ばなかったのにたまたま与えられた」ということについては、少し優しくなっていただきたいです。自分であっても、東京に生まれたかった;男に生まれたかった;バイセクシュアルに生まれたかった;アメリカ人に生まれたかった;お金持ちに生まれたかった;こんな親に生まれたくはなかった;などなど、後から考えるといろいろな可能性が思い浮かぶことでしょう。選べなくて生まれたときにすでに生命とセットでもらってしまったものに関しては、個人の「自己責任」と責められるものばかりではなく、その集積がどんどん積み重なり、ホームレスになる場合がとても多いことをわかっていただきたいです。

もちろん、この世にはさまざまな辛苦を乗り越えて、しっかりりっぱにやっている人たちもいます。が、すべての人にそれができるわけではありません。個々人を見て、どんな努力や選択をしてきたか、と考えるゆとりが、自分にあるほうがきっと世の中は捨てたもんじゃない、と思える瞬間が増えてきます。自分の心理にもとてもよく、ストレスに対しても強い個体になれると思うのですよ。

開き直って頑固で変化しようとしない、努力なんてまっぴらだ、というホームレスも、確かにたくさんいます。掃いて捨てるほどいることは確かです。が、そんな気分にさせてしまっているのも、政治や行政の仕組み、学歴社会や、容姿やファッションを崇める傾向、物質文化にどっぷり浸かっている日常、教養と教育の問題点、などなど、たくさんの要因が重なったからかもしれない、と、今度ホームレスを見かけたら脳裡を掠めていただきたいです。

ましてや、今のクレジット簡単時代に、自分もそうならないとは限りません。生命保険に入っていない親や配偶者を持ち、自分に手に職がなく、厚生年金も国民保険も大した金額がもらえなかったら、家のローンがたんまり残っていたら、などなど、脆弱な経済的側面は、誰にもあるのです。海外旅行に定期的に行きたいから、お洋服が欲しいから、おいしいものが食べたいから、不倫するのにお金がかかるから、とサラ金やカードローンなどを増やしてしまえば、利子の計算をコマメにすることなく、「まだここから借りられるからいいや」とどんどん悪循環にはまってしまうことも、絶対に100%ない、などと、誰も言い切れないのです。ましてや、医療保険だけではまったく追いつかないほど、親や配偶者が長い病気にかかってしまい、一命は取り留めたものの、貯金も底をついてしまった、などという話はどこにでも転がっている話です。ちょっとしたうつ病でさえも、数ヶ月会社を休職しても大影響が出ます。そのうつ病が1年や2年になったら、再就職をする気になるのもたいへんですし、経済的な破綻の方向に行くことも他人事ではありません。健常者でもそうなのです。もともと先天的な負担を持っている人々をなじることはできません。

Jonathan Kellerman のMonsterという小説のタイトル主人公のモンスターは、精神分裂症だったがゆえに、不幸な人生を過ごします。誰にも大した迷惑をかけずに過ごしていたはずなのに、それを利用して、まんまと大虐殺殺人者に仕立てられて、余生を犯罪者用の精神病院で過ごすことになりました。が、16年もの長きに渡り、彼は精神異常者であるがゆえに犯罪者になった、という決め付けの中、自分を弁護することもできずに甘んじました。せめて、私はそんな境遇の人たちの声を聞くゆとりを持ちたいと、読後に強く思ったわけです。

誰も完全無欠ではなく、問題の集積に直視したら脆く崩れてしまうかもしれません。自分がそうならないように、慎重にステップを踏みながらも、隣の人のステップを確実に見ながら進んでいけるゆとりを持ちたいものです。私はゆとりありますよーう。

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