大平
こんな商売をしていると急にアポがキャンセルになることがたまーにあります。そうなると、気持ちはレッスンに乗っていたのに、と、たいへんに挫けるのではありますが、空いた時間をどのように使ったほうがいいのか?に対しては、けっこうな準備はできています。
なぜならば、通常、私は常に仕事に追われているためです(笑)。だったら、仕事量を調整すればいいじゃーないか!と言われてしまいそげですが、やるべきこと・やりたいと思うことは、どんどん増えていくばかりで、減ることはないため、寅さん風に言うと「それを言っちゃーおしめぇよ」ということなのです(笑)。しかも、こうして時間が空いたりすると、その一部をこなせてしまうので、なんだか気分は「ラッキー」へと変更できる可能性も秘めており、まぁ、悪くないかなぁと思えるようなシステム作りは準備万全な感じです。
ここでキャンセルにイライラしても自分が大損するだけですしね (・・;)
むしろ、ポコッと時間が空いたときに「享楽・愉楽」に心奪われてしまうことのほうがずっと怖い(笑)。自分の中で決めていることを裏切ってしまうことのほうがずっと怖いのです。なぜならば、楽しいことは本当にエンジョイできてしまうことを身体が覚えてしまっているので、なかなか抗うことができないことのほうがずっと大きいと思うのです。
そのために、ふだん、折れない心・鉄の心→むしろチタンくらい強い心、を持てるようにがんばってしまっておりますが、これは死ぬまで続く葛藤・苦悶なのでしょうね(笑)。そのときに本当に必要とされている「終わらせたほうがいい・終わらせなければならぬこと」をどんなふうに解釈していくか?は、主観的にならぬようにして、長い時間軸で物事を見られるかどうか?でいつもクルクルと変わっていくのでしょうから・・・。
ただ、この前もひとりの生徒さんM.Kさんと話したのですが、あまりに「がんばりすぎることが日常」になってしまうと、遊んでいたり、エンジョイしすぎていたり、無為な時間を過ごしていることそのものにものすごい罪悪感を覚えてしまい、楽しみがなくなってしまう、という現象が起きて、いつも独楽鼠のようになってしまう傾向も否めず・・・。私は、母と違って、かなりぐーたらなので、そこで感じている罪の意識はとっても低いレベルで抑えられているように思うのですが、認知症になった母を見ていると、けっこうなすっ飛ばし率(ミニホワイトボードを使って、彼女の導線やごはん、やるべきことなどを書き出している)は高い(笑)。ということは、やはり自分の価値観で、これらは左右されるのかな、などと思いながら、何がその分岐点になるのか、とおもしろがりながら、選択をしていることも確かなので、それを楽しむ、というのもいいのかもしれない、と。
Corona-virusの影響で、スクールの売り上げも落ちているので、中小企業支援の融資と経営相談の窓口に電話しまくっているのですが、30回呼び出しても出てもらえない・・・。相当数の担当者が電話をしまくっているのでしょうね。私の順番が来るのはいつなのか?と思いながら、何度もかけなおしています。それこそ、ポコッと時間が空くたびにやっているのですが、タイミングが悪いのかな。あるいは、本当にものすごい数で、私と同じ体験をしている人が山ほどいるのかな。
さて、本日はどの程度のことが終わらせられるか?これ以上、やるべきことが増えませんように(笑)。
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