ミスターが天国へ

昭和40年代、私が小学生になる前からずっと巨人一強時代が長く続き、V9なんてことを達成しちゃったこともあり、ON砲なんて言葉があったり、『巨人・大鵬・卵焼き』などと言われたり、時代はとってもわかりやすかったのです。

だいたい王貞治派か長嶋茂雄派か、ってことになっていて、調布市深大寺に育った私には、もう少し経つまで、プロ野球の仕組みなどもまだわからないわけですよね。だいたい小学校2年の終わり、あるいは3年になる春休みに正式にわかった感じです(笑)。遅い・・・。(-_-;)

その頃はまだ新聞を家に配達してもらっている家ばかりで、9割以上は「新聞を契約して取る」というSubscriptionがちゃんと機能していました。が、その契約期間を短くして、朝日と読売を交替に、という家庭がかなり多かったのです。

なぜならば、契約更新のときにギフトがもらえるから。

洗剤が多かったのだけれども、読売の場合は、巨人戦のチケットやよみうりランドの招待券や割引券があったのでした。子どもたちはそれで狂喜乱舞です。

私の父は、長野県飯田市で生まれ育ったのですが、次男で、一時期分家に養子に出されていて、分家に子どもができたので、13歳くらいから18歳くらいまでのわずかな期間だけの養子で、大工仕事の修行に名古屋に出たんですよね。そのときに中日ファンになったのでした。

なので、ちゃんと野球のルールがわかってからは、私は中日ファンでしたけど、小学校3年になるまでは、かなり環境に流されてましたねぇ(笑)。

そして、野球中継をTV番組がやるのも、東京は巨人一択でしたから、とにかくミスターが大好きだった。華がある、明るい、うまいタイミングで事が起きる、天然でやらかしてくれることが奔放すぎておもしろい、などなど、現役の頃からずっと、監督浪人をしてからも、みんな彼が大好きで、子どもたちはみんな彼になりたかったのだということを知るのは、沢木耕太郎の『三人の三塁手』を読んで合点が行きました。それはもう彼がジャイアンツの監督になったあとですね。

私の年齢が年齢なせいで、どんどん私の胸を弾ませてくれた人たちが亡くなります。まだまだたくさん泣くんだろうけれども、私が泣くところはなかなか見せないで済んでいます。ミスターは必ず天国に行けた!ということは確信です。まぁ、天国という場所があるならば、なんですけども・・・。もしも生まれ変わらなくちゃいけないよ、と言われても、彼は自分の意志でまた連れ添った奥様と巨人を込みでの野球を選ぶんだろうと思われます。

また心のどこかが空いた気持ちです。