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メディアの反省日

2008/10/13にアップした文章です。

 

三浦和義元社長が自殺したことを知ったのは、日曜日の朝で、産業カウンセラー講座に行ったときにも、「あまり認めたくないけど、正直びっくりした」という人が多かったので、たいていの人にとっては予想外だったんだ・・・と、私も思ったのです。私もびっくりしましたから。この長い歳月が流れてきたあと、さらにまたマスコミの前に姿を表し、またあの狂騒が続くのだろうと慣れた眼で見ていたのですが、突然終わったことに本当にびっくりしてしまいました。これは、彼の一貫性を最後に締めくくったとも言えるので、疑惑は疑惑のままで終わってしまったにしろ、見ていた側もおしまいにしなくては・・・という感じです。が、もうひとつ考えなければならないのは、メディアに携わる人々でしょう。彼らは、全面的に反省して、これを報道してまたもや儲けるのではなく、劇場を作って、幕が下りたことで、「コレを大げさに作り出したのは自分たちの業界だ」という認識をしてほしいところです。

 

月曜日である今日は、体育の日で祝日なのですが、TV番組は、朝はワイドショーがあり、編成に平日とあまり変化はありません。その中で、どの番組もこの事件を取上げており、俳優の峰岸徹氏の訃報よりも先に、事件として取上げています。無反省なのだ・・・・。

 

資料になるサイト

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B9%E7%96%91%E6%83%91 >ロス疑惑

http://www.asahi.com/special/080224/ >新聞各社の中で、最もロス疑惑特集の記事の数が多かった朝日

 

事件を起こした本人がイチバン悪いと、正当性を問われれば、そりゃぁ、疑惑をもたらすような言動を続けて起こした本人は、悪いですよ。マスコミが『疑惑の銃弾』を発表しなければ、逃げおおせるはずだったのか?科学捜査等がまだ当時は進んでいなかったにせよ、殺人事件の検挙率は日本よりも低いアメリカが現場だったにせよ、私個人の見解としては、殺人に時効はないので、マスコミが騒がなければ、このような経路は辿らなかったように思えます。なぜならば、昨今、Cold Case(すっかり冷めてしまった事件)を取り扱う部署が積極的に設けられ(これには、ベテランの刑事だった人間が、ボランティアや60歳過ぎたあとに嘱託や委託として当ることが多く、寿命が延びた人間社会では、なかなかいい人材の使い方をしているわけです)、いつか真っ白に近いところから始まったかもしれない可能性は否定できないのです。しかも、科学捜査がこれだけ進み、過去の資料が解析可能になった今、この可能性は高くなるだけで、低くなることはありません。

 

『疑惑の銃弾』を書いた人は、きっとドキュメンタリーとして、ルポルタージュとして、事実をしっかり解析していく態度で開始したと、私も認められるのです。この開始が、1986年1月。が、その後、ラジオ・TV・新聞・雑誌、すべてのマスコミが、角砂糖に集るアリのように、この事件を取上げたのが、1984年。当時から、三浦和義氏は、「メディアの態度」というのを語り続けてきたのですが、彼も恩恵は受けたとは思いつつ、やはりそのマイナスも大きすぎただろうと。

 

私が彼の立場にそのまま立ったら、と思うと、ゾッとします。私が渡米したのは、1988年で、その資金をしっかり貯めていた頃、六本木で、二谷友里恵嬢と郷ひろみ氏が婚約した当時と重なる時期に、よく三浦和義氏とその妻を取り囲むマスコミのフラッシュを数回見た記憶があります。ということは・・・、彼らの婚約が1986年6月。ロス疑惑による報道過熱というのは、1986年も続いており、1年半やそこらの話じゃなかったんだな・・・。私はあの頃から、ペイズリー柄が嫌いになったのだった・・・←かなり強烈に嫌いである。

 

そして、1988年に渡米したときに「日本で騙された!」と思ったのは、ロス、という名称はどこにも存在せず、ロスというのは、Losという、スペイン語の男性複数名詞につける冠詞だったということがわかるのです(笑)。アメリカでは、LA(エルエーと発音)と表現しなければ、Los Angelesのことではないとわかったときに、「ひぇぇ!騙された!」と思ったことを、強烈に記憶しています。

 

そんなことも、メディアに反省してほしいし・・・←余計なことでもなく、実際に通じない英語を流布させていることについて、英語講師になってからさらに憤りになりつつあり・・・。

 

三浦和義氏は、その著書にあるように、弁護士を使わず、獄中からも含めて、550件もの裁判を起こして、8割に勝訴しているそうです。その民事の対象はほぼすべてがマスコミ相手で、賠償金の額を累計すると、相当な金額になるはずです。が、マスコミはそれでも儲かってきたわけですよね・・・。各社への負担は数十万ほどで、何千万にもならなかったからです。だから、調べ物を徹底するわけでもなく、事実ではないことを、かなり大げさに報道してきているし、大げさという限度についても、受信側は知らないで来ました。知ろうと思えば知れたのですが、そこまで三浦和義氏にこだわらなねばならぬ理由は、一般市民にはありませんし・・・。

 

↑こうしたアヤのある報道はとても多いと思えるのです。

 

最近でも、東国原知事の衆議院出馬問題の報道を見ていても、「いやいや、出ないって言ってるじゃん・・・。どうして『今の時点ではございません』を掘り下げて大事(おおごと)にするんだよ・・・」と思いながら見ていましたが、ワイドショーに出ているコメンテーターなども、「出るかもしれないですね・・・」などと煽る煽る・・・(汗)。「国政ではなく、県政をまず全うする」という意味がどうしてもわからないのか・・・(汗)。

 

メディアは反省することもなく、平然とまた古い映像を出してきて、たくさんの秒数を費やしたり、文字で埋めたり、まだまだ人心を煽っています。私は、大人になって、ロス疑惑報道がいかに愚かしいことだったのか、わかるようになったからいいんですけども、そして、今報道されていることにも左右されることはない情報処理ができるようになったからいいんですけれども、きっとこのメディアに振り回されている人々は、まだまだ多いのだろうと思えるのです。

 

が、反省はしないメディア。もちろん、本当にいいお仕事をしている人たちがいるのに、その方々の仕事を見習わず、そのそばで、ゴミのようなどうでもいいことをどうでもいいように取り上げて、こうした一般大衆につけこむのは、いい加減にやめにしてほしいと、今日は反省を促したいと思います。だったら私がその仕事に就けばいいのにって?いやいや、やりたくない(爆)。

 

 

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