11/12/2006 にアップした文章です。
オーラの泉を2ヶ月見てきて思ったこと;ふえぇぇ、みんな不安を持ちながら生きているんだなぁ。お金もあるし、仕事もあるからああいった番組に出て、スピリチュアルチェックしてもらえるのに、不安なんだ・・・、と、なんだかとてもシンプルに思ったのです。不安ありますか?
不安:(1)気がかりなこと。心配なこと。これから起こる事態に対する恐れから、気持ちが落ち着かないこと。また、そのさま。(2)〔哲〕〔(ドイツ) Angst〕人間存在の根底にある虚無からくる危機的気分。原因や対象がわからない点で恐れと異なる。実存主義など現代哲学の主要概念。(3)〔心〕 漠とした恐れの感情。動悸(どうき)・発汗などの身体的徴候を伴うことが多い。
そこで、西さんに聞いてみたところ、私は夜中に大笑い(爆)。西さんは、私と出遭ってからつい数年前まで、「50歳まで生きられればいいや」などと大法螺を吹いてきたわけです。48歳になった今、どうもあと2年じゃ足りないようです(爆)。「死ぬのが怖い」というわけではなく、自分に与えられた人生の中で達成すべき何かを達成するためには、時間がまだ足りないということらしいです。さらに、それを達成するためには、健康を維持しなければならず、老化を感じており、不安なのだそうです。死ぬことそのものはあまり深く感じ入っているようには見えません。が、決めたことを成さぬまま死ぬのがとてもイヤなのでしょう。
そうか・・・。
私は、不安は特にないです。自分が信念としていることを裏切る自分でいることは恐怖の対象ですが、今のところ誘惑があってふらついても、しっかり自分の信念を拠り所にしています。寝たきりになったときのためや殺してもらえないときのために準備はしていますし、経済的にも何とかなるように目下、鋭意努力していますし、悲観的にならないようにこれまで40年かけてここまで来たわけです。生まれたことや生き延びてこられたことに感謝していれば、「こんだけ生きたんだから儲けもん」と、120%本気に思えており、老化しない肉体を授かっていたらむしろ怖いだろ、と思うほどです。
漠然と「死ぬ」「この世からいなくなる」ことについては、不安はあります。当然、誰にも確証がなく、死後の世界や輪廻転生があるとは信じきれないからなのでしょう。信じれば怖くない、という例では、丹波哲郎氏がそのように逝ったということでした。他にも、死に顔が安らかに死んでいく人や小動物はたくさんいます。私もせめてその中に入ることができれば、と願うばかりです。「死後の世界はゼッタイにある」と言い放つのは、社会科学者の卵としてはあまりにできない芸当です。輪廻転生も同じくです。あったらいいなーと思いますが、保証はできないです、見てないし・・・。しかも見ることができても錯覚かもしれないし・・・。
「明日死んでもかまわない」とつい最近まで自信を以って言うことができたのですが、ネコたちと離れてからそれはしばらく言えなくなりました。ネコたちより先に死んではいけないです。彼らが言葉を完璧に理解しているとは言えない状態の下、彼らが「見捨てられた」と思いこんだまま、私が二度と彼らの前に姿を現さないなんてことはできないわけです。思い込んでいるかどうかも、今わからないでいるわけです。「そんなわけないよ」とは信じたいのですが、キャットシッターさんは、まだ1ヶ月ちょいしかいっしょに暮らしていないのに、うどちゃんはもうべったりだし、いろいろな観察には鋭いものがあります。さくらは不思議ちゃんで、自分の身体を移動して水をひたすら飲むのが大儀らしく、手で水の器を動かして自分の前に移動しちゃうのです。どっちがたいへんかって、手を使うことのほうがたいへんだと思うんだけどね・・・(あせ)。で、水を床にこぼすのよ・・・。マヤさんにはそれもバレてしまった(爆)。寅次郎は、人間が立っていると寄ってきません。座っているか寝ているか寝そべっていると寄ってきます。立っている人間が脅威なのでした。そうして、楽しく暮らしていることで、私のことをみんな忘れてしまうかもしれません。6ヶ月だもんね、全部で。
なので、再会してからでないと困ります。来年の4月まではどうしても生きたい。ネコたちとまたいっしょに暮らして、緩やかに時間が流れて、気づいたらネコたちを引き寄せて身体にぴったりくっついてゴロゴロし、手が痺れるまで撫でたり抱いたり腕枕をして、英語で話しかけて、夜中にはネコが走り回っている音を聴かねばならぬし、朝には出されてしまった引き出しの中身を戻してみたいです。ここが、今の唯一の私の不安ですね。もう一度会っていっしょに住んでからではないと、とても死ねない。
さらにネコのためには、もしも本当にそんなに早く死んじゃうのであれば、ネコOKの居住区を確保しておかないとなりません。私の生命保険は全部で4千万ほどしかないので、都会ではマンションもまともに買えないかもしれないです。西さんが運用してくれることを願います。かたや、西さんが死んじゃうと、1億ほど入りますか・・・。ちょっと不公平すぎるので、会社がうまく行ったら、生命保険の額を増やすことにします(笑)。
人にどう思われるのか?と不安になったことは、PTSDを克服し、学校に戻って卒業したあとからこっち、ほぼありません。ゼロに限りなく近いです。気を使うことと、自分の評価を気にすることはまったく違う2つの別のことです。私は自分の評価を誰にどう下されようと気にしません。西さんの評判が落ちる、ということも、西さんが会社を辞めてからはまったくケアフリーになりました。ありがたいことです♪
誰かに愛されたいという心の叫びも持っていません。むしろPTSD体験は「お願いだから私を放っておいて」のほうに、気持ちを傾かせました。私は今、充分に愛されたい人に愛されているし、他人との距離感をお互いが心地いいものにしていると自負しています。それ以前は、「これ以上近づくな!」と言えなかったがために、被害者になりPTSDに罹ってしまったわけです。今は言えますね、かなりひどい響きがあるかもしれないですが、言えます。言わないといけないと思っています。
自分が何のために生きているのかわからない不安、というのもありません。私は自分の向き不向きがよくわかっているし、好き嫌いもわかっており、これから学習できる範囲とできない範囲、学習したほうがいいことと悪いことなど、よく理解しているつもりです。いくら時間があり、利益が高かろうが、殺人や横領などの犯罪はしないですし(できなくもないと思っているのか?笑 うーん、できないと思うなぁ)、私がやりたいこと・やらねばならぬことは、もう見えています。だからゆえに、天国の階段が見えてきた、と階段の踊場までやっとたどり着けた気分になっているところなのです。
会社がもしもダメになったとしても、と考えても特に不安ではありません。私は天職かもしれなかったウェイトレスをもう一度やりたいので、英語の話せる仲居さんの求人を探してみてもいいです(40歳過ぎると年齢制限でねぇ・爆)。ビルの掃除もあるし、配達系も得意だし、教える系もいいです。翻訳もとても速いです。母にも仕事をしてもらおうと(お小遣いだけじゃかわいそうなので、自分のお金を稼ぐようにチャンネルを作ることにしたのです)今月中にHPにまたもやアイコンを追加します。西さんもバイトになるものはたくさん技能があると思うので、どうひねるか?でしょう・・・。なので、特に先行きに不安はありません。
ただ、コレが、根拠のない楽観にならぬよう、日々根拠になるものを身につけていかねばなぁ、と叱咤しているところです。ほーんと、ただの楽観で結果が出ないと虚しいからね・・・。が、不安はやはりほぼないわけです。ネコたちとまたいっしょに暮らすことができますように、輪廻転生あればいいなー、と祈っているところです。
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