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不安の元を減らす

10/05/2008 にアップした文章です。

 

不安というのはどこから来るのか?先がある程度見えないからなのではないか?というのが、大きな理由だと思うのです。私は、好奇心旺盛なやつなので、先が見えない程度にもよりますが、かなり大丈夫です。その証拠に、けっこう現場処理は得意です(笑)。手の内がたくさんあれば、「どれを使うか?」というだけの問題になります。なので、不安を持たずに暮らしていく秘訣というのは、おそらくたくさんの「まずいシチュエーション」を仮想状態でやってみることではないのか?と思えるかどうか、が鍵なのかと。だとしたら、安全確保した状態で、いかに先が見えないことをやってみるか?というのを繰り返すことで、耐性を増やしていくことは可能なんでしょう・・・。その最たる娯楽が、ジェットコースターなんでしょうねぇ・・・。ええ、私はこの年齢になっても、ジェットコースター大好きだよぉぉぉ(笑)。



不安:(1)気がかりなこと。心配なこと。これから起こる事態に対する恐れから、気持ちが落ち着かないこと。また、そのさま。(2)〔哲〕〔(ドイツ) Angst〕人間存在の根底にある虚無からくる危機的気分。原因や対象がわからない点で恐れと異なる。実存主義など現代哲学の主要概念。(3)〔心〕 漠とした恐れの感情。動悸(どうき)・発汗などの身体的徴候を伴うことが多い。

 

何度か書いたように、私は夜中、丑三つ時にもネットで幽霊話などが読めますし、動画を見ることができます。それは、おそらく、ある程度先がわかってしまうからだと思えるのです。パターンがあり、そのパターンが読めて、何がいつ起きる頃合なのかがわかってしまうので、特に怖がる必要もないと思っているんだよねぇ・・・。しかも、多様性のある結果が出ることに対しては、「いろいろあって当たり前だよね・・・」とも思っていて、違うことが来てもそうは驚かないし、怖いとも思っていないこともある・・・。だってぇ、パターンは数えられるほどしかなくて、560種とかでもないので、簡単に予測できてしまいます。だったら何で読むのか?見るのか?と問われると、新しいパターンが出るのかなぁと、たまにチェックする程度です。あまりマニアックに同じことを繰り返ししても、中毒症になるだけで建設的でもないので・・・。

 

アメリカから戻って来て、日本の様子がわからなかったときにも、特に不安がなかったのは、生まれ育ったところなので、このパターンというのは、新規で学習するものはそれほどたくさんではないのだろうと思っていたせいだと、今はわかるのです。が、それに「心から同意するかどうか」はまた別物で、それを避けるための努力と学習というのはさらに必要で・・・(汗)。それには、パターンが読みきる時間もけっこう掛かってしまったことと、それを避けるというのに、社交範囲や行動範囲というのを決めていく必要があり、仕事との兼ね合いを考えると、けっこうたいへんだったなぁ・・・と。なつかしく思えるんだから、まぁ、いいのでしょう。結果オーライになったということで・・・(笑)。

 

愛する人を失ったり、離婚したり、失業したり、借金を抱えたり、引越しをしたり、病気にかかったり、というネガティブなことではなくとも、ストレスは確実に掛かります。たとえば、子どもができたり、結婚したり、いいところに就職したり、お給料が上がったりしても、ストレスは掛かるものです。が、その未経験ゾーンに対しての予測ができるかどうか?というので、ストレスは軽減できます。シミュレーションするのと、実際に経験するのでは、負荷が大きく違いますが、それでもやらないよりはずっとマシですから。

 

そこで、不安を軽減するために決定的に必要なのは、共感能力だと、私個人は思っているのです。

 

共感:(1)他人の考え・行動に、全くそのとおりだと感ずること。同感。(2)〔心〕〔sympathy〕他人の体験する感情を自分のもののように感じとること。(3)〔心〕〔empathy〕⇒感情移入

 

自分がすべてのパターンを体験するのは、そりゃ無理だよ・・・なので、やはり他人の経験を、自分のことのように感じて考える、共感能力というのが役に立つのですよ。が、今の世の中では、個人主義を間違って輸入しているので、他人のことを考えない利己主義というのに偏ってしまっており、流行モノもそれを助長するようになってしまっているんですね。だから、共感能力を研ぎ澄ますような機会そのものが減っていて、それを増やすのはかなりたいへんなのかもしれないです。

 

昔の子どもは、学ぶべき時期に「集団でのルール」を6歳くらいから12歳くらいまでで、遊びと学校を通して学ぶ機会をたくさん持つことができましたが、今の子どもは少子化でその数が激減しているその上に、通学時間が増えてしまう私立主義やら、塾や習い事が増えていて、外で遊ぶ機会が減っています。さらに、遊びも流行しているものが、ゲームなどひとりでも遊べるものが多いので、ネゴシエーションスキルなどはなかなか身につかず・・・。

 

今日も、ニュース特集で離婚後うつ病で実際に首吊自殺未遂をした人が、精神科に通っているドキュメンタリーをやっていたのですが、彼の言葉が「人生をリセットしたい」でした。ゲーム世代でなければ、この「リセット感性」というのは持っていないんですよね。私は外で、身体を使って遊んでいたので、「リセット」ではなく、「ノーカン」なのです。この頃、なぜかめちゃくちゃな英語を使っていたのも知らず・・・(正確には、It doesn’t count as failure or losing)。「ノーカン」は、遊んでいる仲間への働きかけが必要で、ルールに基づいたもので、しっかりネゴをしないと認められないのです(爆)。あるいは、子どもでも能力の違いなどをみなすのに、「お味噌」「お豆」となぜか、カウントしない立場の子たちが何人も遊べたというのもあり、大口を開けて笑いながら、みんなで和気藹々に遊んでいたものでした。寛大に「お姉ちゃんだから見てやってね」と近所のおばちゃんたちに頼まれたこともあり、腹の中では「面倒くさー」と思いつつも、なんだかその気になったものでした。

 

そんなことをやっていくうちに、だんだん他人と自分は違うのだけれども、ルールの中で生きていくんだな、ということがわかり、基本的真面目な私は、世間に合せられない自分のほうがおかしい、と責め始めるのですが、そのせいで渡米することになったので、今となってはいい結果をもたらしたことになるので、いいことになっています。渡米したあと、宗教が違う極東から来た英語もロクに話せない女の子に、心から親切にしてくれるアメリカ人に何人もお世話になりました。そこで、ネゴするスキルがなかったにも拘らず、感謝や共感能力があったことに助けられ、「この子はわからないんだ。お味噌だ・・・」と思ってもらえたことも、本当にラッキーでした。

 

私は読書と遊びだけしかしてこない学生時代を過ごし、高校生から渡米までは、本業の学業よりもバイトばかりをしており、それでもちゃんとした人間になれたと思っているので、子どもの早期教育や習い事や塾通いには、弊害のほうが多いのではないかと思っています。このおかげで、度胸もついたし、不安に思うことが少なくなったので、やっぱり遊ぶことや、実際に生きた人々が書いた文章を読むのはいいことだと、今でも強く強く信じているのです。

 

というわけで、不安の元を減らすためには、他人事だと片付けないことがやはりイチバンいいんじゃないかと。その点、映画はいいですね。1時間半から2時間くらいである人間のある時期における出来事と心の動きがわかります。日本に戻って来てから映画を見る時間が減りましたが、仕事が楽しいのでいいことにします。が、その代わりに、日本の図書館で山ほど本が読めるのでうれしいですから、バンバン読み続けていこうと思います。

 

 

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