不愉快な世間話の共通点

ここのところ 生徒さん以外と話すことが少ないのですが、 ご近所さんであれジムであれ 買い物 であれ、特に誰かを 不機嫌にしてる気はしていませんが(笑)、 私の方が不愉快な気持ちになることもない凪いでいる日々です。

若い頃はどうしてあんなにも とんがっていたのかと思うこともあるんですが、 私はとても愚かでした。 誰かになじられたり 咎められたり貶められたりする時に、どうしてもそうではないという 否定をしたかったんだと思います・・・。(-_-;)  あなたの見方は間違っている、私はそんな人間ではない、と やたらと証明したかったのかもしれません。

渡米してからも 私自身がそんなに早く賢くなるわけもなかったので、日本人と付き合う時は本当に苦労した気がします。 現地人や他の外国人とはとても早く仲良くなれて、 誤解されず、 誤解が当たり前だと、 理解 するための努力も とてもしたんだと思うんです。その裏側で、アメリカに来てまで 日本の文化を押し通す人々に不愉快さを感じ、 私はどんどん 日本人と付き合わなくなり、 髪の毛を染めてまで外国人に見られるようにしたり(笑)、 発音がかなり良かったため 日本人だということをバラさない人もいました(笑)。 付き合いたくないと思うとそんなことまでしちゃってたんですよね・・・。Sillicon Valleyは 日本人が多いですから・・・。(-_-;)

そういう意地悪でえげつないワタクシでした。(‘◇’)ゞ

私が即座に不愉快を感じるのは、私の自由を奪おうとする人々の 抑制したり、 制限をかけようとする意見です。 なぜ私は自分の人生について 選べないのか?という 疑問を呈するようなやり取りが始まるともう不愉快でたまらなくなってきます。

こんなに長い間 同じことって不愉快さを募らせることがあるというのは、 私がわがままなのか、それとも これが私の根源的な熱望なのか、とよく考えることがありますが、 私が一番大事にしている価値観は『自由』なので、基本的にはこれが確保されない限りは苦しいんでしょうね。

なので どんな人が世間話をしていても、他者の自由を奪い 決めつけを始めると嫌になってしまいます。 こうあるべき・こうするべきというのは、場所や タイミングや 相手 や目的などにより、 狭めていくものであり、 条件がつくものであり、 一般論として 語るようなものではないと思うんですよ・・・。 

行動範囲を決めつけられたり、 行動 そのものを決めつけられたり、 やり方を決められたり、などなど、 私はとことんいろんなことに反抗してきたと思います。

しかし 年を取るって事はなかなかいいことです(笑)。 これを押し付けてくる人々が少なくなってきました・・・。(^^♪♬  それでもあえてしてくる人を 大馬鹿モノです。 論破されちゃうのに(笑)。 というかもう 論破する気力すらないので、機会を与えないというチョイスも増えてきました。若い頃は 何と誠実にそれらに対処してきたんでしょうか。 もうその熱意がなくなってきたことに対しては許されるかな と思っています。

そして私の見本はRole Modelは、猫たちです!ネコは誰にもへつらうことなく、阿ることなく、 いつも自由です。 まあ 身勝手に見えますけど(笑)。 そして 猫のように生きていけるようにがんばりまーす!