近視ぎみで世界を見ていることが多いのは、子どもっぽい証拠です。あなたの持っている視点をカメラと見立てたときに、どこに三脚を置いていますか?機能のいいカメラであれば、画素もフォーカスもピントも手ブレも気にせず、鳥瞰図・俯瞰図を必要に応じてパンできるのですが、ヒトは広く物事を俯瞰することがなかなかできないようです。
ちなみに、世の中にある道具は、かなりの割合(私的に見ると9割くらい?)で、生命体:植物や動物などの生きるものを模したものやヒントをもらったものから作られており、カメラは眼ですし、エアコンは哺乳類などの体温調節機能ですし、蝶番は関節ですし、飛行機は鳥やコウモリ、昆虫からなどからですし、そうした意味でも、子どもが世界を見ている視点は、最初はものすごくごちゃごちゃしているんじゃないか?と、子どもの頃をなつかしく振り返って観ています。
いつもいつも不思議に思っていると面倒なので、脳はとても優秀に動いてくれて、物事を分類することを教えてくれます。ところが、子どもの頃は、世界の有限性および無限性のでかさがわからないのです。大人になって自然についてくるように思っていますが、ここに着目するとカメラはたいへんに優秀な機能を持ってくれることになります。
自分の世界の中での立ち位置にとって、最も大切なものは「起点・基点」です。それが、自分を持っているということ。たくさんのヒトたちの意見の「無難」「平均」「同意点」「妥協点」ではなく、自分は??をいつも明確に持っているか?ということです。
これがSelf-Esteem:自己肯定感なのですが、自己肯定感が少ないまま生きていくことは、たいへんに息苦しいです。ラクでもなければ、まま楽しくない・・・。狭い世界であろうが、広い世界であろうが、自分がないことには、フットワークも軽くなれず、世の中の小さいことにも大きいことにも関心&感心が持てず、強さや弱さもわからず、ごちゃごちゃなままで生きていくことになるわけです。その中で、自分という人間は一体ナニモノなのか?というIdentityは、10代で確立されるととってもいいのですが、成人式があったこの季節、みんなまだまだ迷っているんだろうなーということが見受けられます。
大人が迷っているがゆえに、10代によい見本になることができない、というのは大きな原因なのでしょう。だって、ヒトはヒトに大きく影響されますから。早期に自分の世界の中での立ち位置が実感できると、失敗しても復活は必ずできてしまいます。みなさんが、自分が一体ナニモノなのか?を、早く見つけられ、それに沿った生き方ができるよう、いつも祈りつつ、心理的見地から英語を学んでいただくことに、一球入魂する日々です。
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