偉そうに日頃「先生」と呼ばれるようになってしまいましたが、日本ではファーストネームで呼ぶことに、抵抗感が大いにある方々が多いので、私としては不可抗力な状態が続いています。が、不思議なことにだんだん慣れてきてもいて、少し危機感がないわけでもありません(汗)。
英語を教えていて、「英語に敬語などない!」「日本語のほうが敬語はもっと難しい!」とおっしゃっている方々が、思いの外多いので、助動詞のところで、かなり詳細に、なぜ日本の多くの人々が、英語に敬語がない、あるいは軽いと考えるようになったのか?という解説も入れ込んでおります。1945年以降、どのように加速した形で、みななるべく「対等・平等」に話すようになってきたか?ということについて、かなり重要なレッスンです。
人や職業に貴卑がないと信じ続けています。そうですね、14歳くらいまでは考えこんだものでした。が、それ以降はあまり悩むことはなくなりました。この暗黒の10代をどのように過ごしたか?で、Identityの確立ができるかできないか?が決まります。それゆえに、15歳のときにすでに、会社勤めはしない、ということを決意しました。自分には向いていない、自分に背くことや裏切ることはしない、ということだけは決めたのです。正社員になって働いたことはなく、アルバイトや委託、派遣で数ヶ月等の働き方はしたことがありますが、その後、いきなり会社経営をしてみました。貴卑はあるよ、という人々の中で、自分を損なわずに暮らしていく自信がまったくない器だ、ということは、少なくとも知っていたということですね。
その代わり、人としての貴卑を、心の襞(ひだ)や機微、琴線を読み取ろうとトライすることだけはやめないできました。それこそが、自分の人としての品位を貴く貫く行動化だと信じたからです。
そして、USで、独立宣言を知り、その後、世界人権宣言の全文を英語で読むことができました。独立宣言 日英
とても美しい文章です。1年のうち2回ほどは、この文章を読むことにしています。
航空学の次になぜ心理学を学びたい!と思ったのか?というのは、このへんにあるのかもしれません。
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