TVerのバレンタイン特集という名目で、TBSで制作した『大恋愛』をやっていたので、楽しみに何回も観てしまい、何回も泣いてしまったところなのです(笑)。バカなのか、私・・・。しかもこれを書きつつ、BGMとして音は流しているのよーう。ひどい(笑)。
この前から私はムロツヨシがかなり好きで、佐藤二朗に似たラインの好きさだったのが、もう少しロマンス的な好きも入ったというのが、騙されたー!意図に見事に乗せられたー!という感じで癪に障ったんだけど、まぁ、いいね・・・。
私が一番怖いのは自分自身が認知症になることです。 それ以上に怖いことは今のところ思い当たりません。 足がなくなることや 車椅子になることよりももっともっと怖いことが、今まで詰めてきた 自分の人生を思い出せなくなることです。考え方や本能まで薄れて行ったらどうしようかと思います。であれば、 全てを失う前に自死できるほどの状態であればいいんですが・・・。そのために、残されたネコたちに残せるものをしっかり遺書に書いてあるんですが、もうちょい金額足したいです(笑)。
そして、人を恋しく想う気持ちをまだまだわかる自分にうれしいなと思うのです。自分でそれを体験することは、もう面倒くさいし、脳のリソースを使いたくもないのですけど(笑)、他者が体験していることや、昔の自分の体験を思い出すことは、本当に気持ちが充たされる。恋ではなく、愛ならば今も私 の中にちゃんと貯めこまれていて、チャンスがある毎に外に溢れさせたいと待ち構えてはいるんですが、もう恋はいいなぁ・・・。なぜならば、私はやはり気が狂ったように我を忘れてしまい、通常の論理や理性を失うMomentsが多くなるのですよ(笑)。
自覚がある!
もしも私が認知症になっても、愛する人・恋している人をギリギリまで忘れないことができるかどうか?こんなに純粋に他者を自分のことのように感じることができた瞬間の積み重ねが多かったか?とふと思うのですが、それなりにやってきた自負はある。
ただ、そうではなく、現実的だった自分との差が激しすぎて、たぶん他者をものすごく戸惑わせたんじゃないかなぁという反省もあって、恋愛には向かないなぁと(笑)。穏やかでゆっくりと過ぎる毎日よりは、メリハリがあるアップダウンを過ごしてきたので、たぶん私が好きになった人は、私に一方的に振り回されたんだろう、と申し訳ない気持ちでいっぱいです。
なので、認知症に絶対にならない!という保証もないので、もうしたくないんだろうなぁと。
家族のような人が欲しいか?と問われると、男性はもう要らないなぁと。同居人には申し訳ないですが、やっぱり彼の器なのか、性別の傾向なのか、衛生概念やらあらゆるものの重要度に差がありすぎて、年齢がうんと上になり、体力がなくなったときには信頼できないだろうなぁと(笑)。認知症ではなくとも、ね(笑)。
ひとりで立派に誰も頼らずどれくらいの年齢まで生きていけるかわからないのだけれども、とにかく人を恋しいと想う気持ちは、人間愛にとどめておきたいと想うチキンな状態です(笑)。
ネコの面倒が看られなくなるから飼わないというチョイスは、今後数年でギリギリやめなくてはいけなくなるのかなぁ・・・。保険金をつければいいような気もしているのでした・・・。無責任でしょうか?








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