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人を見下げる気持ち

12/10/2006 にアップした文章です。

 

私にもつい8年ほど前までこんな気持ちが、たまに頭をもたげていたように思います。小さい頃に、消しゴムが買えなかったり、レジャーがお粗末だったり、いつもひもじかったりしたことがあり、どこかで「見返す」という気持ちがあったことや、上下を強く意識させられてきたことがあったのだと思うのです。私はいつも下に位置させられており、すべてにおいて、いつも上に行きたい、と相当に間違った考え方を以って出発したのではないかと思うのです。本来ならば、貧乏だっただけなので、そこだけに特化しておけばいいものを、職もない小学生や中学生のことなので、どこか他のことで肩代わりさせようとしており、そのために、競争心をむき出しにした時期も一時期あり、昨日の自分と勝負することを忘れて誰かを負かしてやりたい気持ちが瞬間100%になったことも確かです。

結論から言ってしまうと、こんな上下はキリがないよ・・・。上下を考えるだけで疲れる。井の中の蛙になったままそこから動けないことになるし、生産性の範囲が狭まっただけになる。世界を広げていったはずの、小学生・中学生・高校生を経て、アメリカに行ってもまだまだ私はそんなところを払拭しきれなかったのだなぁ、と、長い道のりを思うのです。

最初に人を見下げる気持ちについて考えさせられたのは、ある人に脅迫をされてからです。私には守るべきものがそれほどあったわけではないのですが、西さんを私といっしょに落としていくことはできなかったのです。今となってはお笑い種で、なぜあのとき、守ろうとしたのか。大きなお世話だったのだな、と自分の愚かな行動を思うのです。その後、椎間板を2枚失い、まったく歩くことができなくなったことや、二度目のPTSDがあり、人を見下げている暇(いとま)はまったく無くなりました。そんな贅沢はなかったのです。生きるか死ぬかの瀬戸際が多くなり、生き延びることが大先決で、他人と自分を比べる地点にも位置することができなかった。

そんなわけで、そこを脱出できた今、人を見下げる気持ちはまったくありません。ただひとつ、少し名残っているのは、欲や好き嫌いに支配され、現状を維持するどころか、進歩するどころか、学習するどころか、堕落し、迷惑をかけ、問題になり、他人の足を引っ張る人々に対しては、どうも寛大になれません。見下げているというのとはちょっと違いますが、憤りなのでしょうか・・・。人を見下げて溜飲を下げている人を見ると、痛ましい気持ちにさえなるようになってきました。そんなものは、魂には意味がないのだよ、と。わずか8年ほど前のことなので、私も30年以上の歳月をかけて学んだことなのです。寛大な気持ちで見たいと思っているんだけど、あまりにやり方が下品だと目を覆いたくなってしまいます。

私が10代からアメリカに移住するまでに使っていた、人を見下げるツールは、「貪欲に稼ぐ意欲」です。そこから「社会的階段を登りつめていく」ことにこだわり、形としては、手に職をつけたり、お金の多寡になったり、コネクションであったり、いろいろだったのですが、なんという誤解をしていたことか・・・。学校に行きながらもバイトをし、自力で学費を払い、留学費用も捻出したのですが、それができる自分をなぜ廻りよりまぁ上だと勘違いしていました。健康だったからこそできたし、運転能力が高かったからできたことで(運転手の娘だったし、時間をセーブし、時給で働く移動時間をロスしないで済んだ)、特に威張るようなことでもなかったことを、どうしてもその当時は認められなかった。ゆったり優雅に生きている同年代の人に対する嫉妬だったのかもしれません。生命力の強さは、強いほうがえらいってぇもんじゃないことを、当時はまったくわからずじまいでした。私はその後、「先天性」だとわかる持病を発見するわけです。私の持病は、生命力が強すぎて、他人様にハイパーだと言われてしまうもので、それをどうにかして正当化しようという日々だったのでしょう。なのに、形なき疾病や障害についてだけではなく、形あるものについての理解が少なかった。全盲の祖父を持っていたことで、時間をかけて学んだ、といったところでした。カメのように鈍い歩みだったにも拘わらず、他人については厳しい、つまらないやつでした。幼い頃貧乏だったことへの腹いせや復讐めいた気持ちがあったのかもしれません。特定の人にその怒りや不安を向けることを極力減らすことができてからも、私は世間や社会のシステムその他に、たいへんに狭量だったのかもしれません。

バイト先で、ステータスがついている人たちにもたくさん遭いました。彼らとつきあうことで、私にもその金粉が蒔かれるような気がしていたのは滑稽なことです。たった数度会った人のことを「知り合い」とみなしたり、「知り合い程度」なのに「友だち」としたり、恩義のある一方的な恩恵を授けてくれた人たちにも横柄に振舞ってきたように思います。自分で稼いだお金ではなくとも、好きなものをおなかいっぱい食べられるヨロコビに惑わされていましたし、幼い頃にはTVや新聞や雑誌でしか見ることができなかった世界を垣間見られて、有頂天になっていたのでしょう。そのコネクションもフルに使い、たまの旅行にバイトをくっつけることができる能力を、なぜか自分の実力だとみなす、大バカモノでした。感謝が足りないバカだったのです。

そして、そうできない人々を見下していました。どこかで「私は選ばれた人間なんだよね」と、ほくそ笑んでいるようなところがあった。

英語に関してもそうです。渡米して、貯金が足りなくなることがすぐにわかると(為替レートや授業料の値上げやガソリン代の高騰により)、最初の2ヶ月はフルタイムで受けていた授業を半分に減らしました。だのに、毎4週ごとに確実にクラスは上げていけたのです。それには同情も入っており、ものめずらしい、年齢が少しいった私と馬が合う人々に恵まれていたことにも感謝が足りず、本当に何様のつもりで勉強をしていたんだろう、と恥ずかしくなります。10年後、心理学で学ぶのですが、耳がいいのは(英語の発音が実際にNativesのようにできるのは)2歳までに英語の発音を聴かせてくれた両親のおかげだと知るわけです。母のラジオなんだけれども、彼女が父の給料で足りない生活費を、内職で稼ぎ、トランジスタラジオをつけていたことがここで功を奏したわけです。今でも母は、TVを見ていないときに手作業をするときにはラジオをかけます。今日も母は洋裁をしながらラジオをかけており、『アメリカ橋』を25年ぶりくらいに聴いてしまった(爆)。1979年、狩人が歌ったやつですよ・・・。不思議と歌詞を憶えており、またもやびっくりしてしまった・・・。当時は訳もわからず、FEN(Far East Network;極東放送)なども聴いていたらしいので、おそらく私も英語の洗礼にはしっかり遭っていたのでしょう。

父が死んでアメリカに戻る前まで、ジオスで英会話講師をしたり、NHK放送センターで翻訳や通訳の仕事をしたときには、「たとえ大卒ではなくとも、私は留学をそれなりに成功させて、お金を稼げるようになり、社会的階段を登りつめて行っている」と、大いに勘違いをしていました。再渡米後、1年弱、あらゆるアダルトスクールに通ったことで、アメリカの市井の人々の暮らしを見て、たいへんに謙虚な気持ちになり、今までの自分を改めたはずでしたが、大学に戻り、ヘタに優秀な大学に編入できてからもまだ少し、天狗なところがあり、たまに人を見下していたように思います。

今、それがないと言えるのは、朝の5時から8時過ぎまでのバイト。もー、地獄ですよ、コレ、体力的に。宅配便の仕分け作業なのですが、3時間で12000歩も歩くの。手は軽い腱鞘炎になってしまっており、2000円もかけて湿布薬を買いました。末端なのでシステムは徹底していないし、バイトばかりで構成されており、人間模様もおもしろい・・・。石原プロや藤波辰巳宛の荷物を見て歓んでおり、正社員にはバカにされていますが、いいんだもん。1週間でウエストが4cmも減った私の勝ちだね(爆)。英会話の先生やカルチャースクールもあるし、テストの採点などもバイトではあるのです。でもコレも辞めない。だって、体力を戻したいんだもん、痩せるし(爆)。見下されてもまったくかまわないし、私は彼らを見下さない。会社のほうも、じわじわと思い通りに軌道に乗りつつありますが、私は痩せるまで辞めないよ(爆)。

あー、人を見下すような人間ではなくなって、本当にラクになりました。見下されることも気にしないのがラクです。肉体労働って何かすごいことを教えてくれると想いませんか?

 

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