いつの頃からか人格攻撃をすると人間関係が損なわれることに気づき、思考や習慣、他者からの影響(特に多数決)を受けた結果としての行動に対して、けっこうな分析をしてから、行動そのものに対して評価する癖をつけてきました。
ですから、人そのものを嫌うことはまず初期段階ではありえないのでした。決定的に人格を左右する要因がいくつかあり、それがクリアできていれば、おつきあいは継続します。おつきあいしていく中で、問題になるのは:
- 自分以外の価値観を認めない→それについて考えることを怠惰なままにしてきたという悪習慣
- それをずっと許される環境に生きてきて、生き続けてこられてしまった
という事実です。これが、その人の行動の8―9割を占めると、全体的におつきあいし難くなるので、遠距離にします。違う考え方や言動がイヤというわけではないことが、よくよくわかったのは、つい10年ほど前のことです。とはいえ、わかる以前は、やはり「この人嫌い」という表現をしてしまっていたことが、たまにありますね・・・。
それまでの私は非常に愚かでした。私は以前、トマトジュースがとても嫌いだったのですが、29歳で克服しました。トマトジュースがある世の中は認めないくらいの勢いで嫌いだった自分をとても恥じております(笑)。人ではなく、物だからいいか、などという曖昧な感じでよろしくない状態でしたが、二日酔いで飛行機に乗ったときに克服しました(笑)。その後、Campbellのトマトジュースに嵌まったくらいです。
ここ15年ほどは人格攻撃をせず、心が人間関係で波立つこともさしてなく、平穏に澄んだ気持でおります。特に自分と同じ考え方でなくとも、他者とうまくやっていける自負はあります。が、こうなるまでは長かったのかもしれません・・・(汗)。
たまに大損もしていますが、奉仕型だったり、貸しは作っても借りは作らないことをモットーとしたり、他人や環境のせいにすることを諌めたり、といろいろなトライをする中、やはり個人攻撃は修羅場しか招かないので、そうした、大きなエネルギーを使うことはやめちゃったほうがラクです。若い頃はそうした修羅場を笑い飛ばせるほどの元気が有り余っていましたが、学習が進むにつれ、まだまだ私ができないこと・やりきっていないこと・知らないことが、たくさんあることを知り、そんなことをしている場合じゃない!ということに気づいてからは、修羅場は避ける方向です(笑)。USに行かなかったら、という想定は、私にはとても怖すぎてありえません・・・。
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