人間関係の悩み その23 人はひとりで生まれてきてひとりで死んでいく:孤独と孤立の違い

人がひとりであることをかなり何度も言ってきて、まとめとして人間関係の悩みの最後にします。どんなに愛してどんなに助けてもらったとしても、いつか人はひとりで生きていける力を持たねばならぬし、ひとりで生きることが難しいことには助けてほしいとお願いできなければならぬし、それを受け容れてくれる人々に囲まれなければならぬのだけれども、やっぱり個体として成立し、最期もやはりひとりです。つらいからさみしいからいっしょにと、たとえ心中したとしても、同じ場所に行きつくとは限らず、むしろ死後の世界にはなんの保証もないですしね。

かといって、誰かと縁(えにし)を結ぶことそのものを諦めてしまってはいけません。なぜならば、ヒトは社会動物なので、実際のところは決してひとりでは生きていけないのです。ひとりで生きているように見えても、事実誰かに頼りながら生きているわけです。缶詰を作れても缶切りが作れないとか、靴紐は作れても靴は作れないとか、分業制度で助け合いつつ生きているので、生業だけではなく、得意不得意や好き嫌いなど、たくさんの微妙なバラエティの中で、袖すり合いつつ生きていくのが社会動物です。実際、ゾウやハイエナやライオンなども同じです。

ではここでどのように考えていけばいいのか?孤独と孤立をはっきりさせましょう。それを理解しつつ、意識しつつ暮らしてみるのが最初です。悩みの根源を見つけられるかもしれないからです。しかもそれが自分にある、という肝心なことを認めることができるようになればしめたものです(^^♪

孤独:主観的概念であり、ひとりぼっちと感じる精神的な状態を指し、寂しいことという感情を含めて用いられる。

孤立:客観的概念であり、社会とのつながりや助けのない又は少ない状態。

自分に対して夢中になることがないと、誰かがいないと寂しいと思いがちです。誰かが提案してくれたことや、誰かといっしょでないとできないことにしか能力が発揮できないと、自分の能力にも自信が持てないまま、寂しさが募っていきます。それがもっとひどい状態になると、孤立しているという疑いや妄想にまで発展するかもしれません。

実際、他者に対して愛嬌がなかったり足りなかったり、自分と同じように他者を扱えなかったり、自分ひいきが過ぎる場合、孤立はどんどん進みます。逆に、遠慮しがちで自分を押し殺し後回しにしすぎるというのも同様です。いい塩梅を見極めることなく、我慢ばかりしたり、主張ばかりしたり、となると、他者は自分にゆとりがあってもあなたのことを助けてくれないかもしれないです。ましてや、ゆとりがないときには一切助けるフリすらしてくれないです。

シリーズの中で書いてきた「自分がいつも正しいと思い込みそう振る舞う」ことによって、他者はいつも支配されている気持ちになります。逆に、言うことを聞いてしまう態度を続けることで、「それは命令に従ってもOKの印」ともなりますしね。

イーブンな関係性やそれぞれの価値観を愛でられる間柄を意識していくことにより、人間関係での悩みはぐんと減ります。

人間関係をこじらせるヒトの心理? 貼り付けておきます。時間があったら読んでみてください。<(_ _)>

私は割と悲しい側のニンゲンなのかもしれず、とにかく誰かに「借り」を作らないようにしたいと思っています。が、やはりそれでもたんまり借りは作っているので、思わない限りは山ほど恩返しできないほどになるのかなぁとも思いますね。愛嬌がないので、それでカバーできるわけでもないですし・・・。

これからどんな人間関係の悩みにぶちあたっていくのか、むしろ楽しみですらありますが、必ず解決できるか、距離を置くべき人々なのだろうなという二種類のはっきりした結果だけを考えています。

みなさまの宝物になる人間関係をいつも祈っています☆彡