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人類の行きつく場所

私は昔、考古学は大好きだったんですが、その外にある天文学や物理量子学には目が行っていませんでした。なぜならば、「死ぬ」ということを考えるのが、やはりいくばくか怖かったのだろうと思います。とはいえ、考古学に関する映画 Indiana Jonesシリーズを見て、やはりそれを避けて通ることはできないな、と思うようになり、神の存在を宗教学でまじめに考えたり、父の死後について考えてみたり、自分がいつか死んだらを考えるようになると、地球上で人類はどこに行きつくのだろう?と考えるようになりました。

私は子どもを産まず、育てることを決断して止めました。それはやはり人類の行きつく先について、不安ばかりが募ってしまったからなのでしょうね。1-2年ほどは考え込みましたが、36歳できっぱり決断しました。大学の授業が進めば進むほど、人類に対する夢や希望が目減りしていくことを実感していったのでした。

人類絶滅のシナリオはいくつもあるようです。

人類絶滅のあとは牛の繁栄?

Wiki 人類絶滅のシナリオ

Siriの答え

ひとりの博士による見解

17個のシナリオ

とりあえず、どれにせよ、私が生きているうちはセーフらしいので、私は人類が絶滅するまでは、なんらかの形で貢献できるように、少なくとも足を引っ張る側ではないようにしたいと考えながら生きています。というつもり、というのが正確なところですよね。だって、全体像がわからない限り、本当に+なのかーなのかは、のちのちの人々が査定するわけですから。

その大いなる長い長い時間軸を考えながら生きていけたらな、と思い始めたのは、おそらく10代に歴史小説に手を出してからだと思い当たります。自分のちっぽけな存在に絶望を感じながら、貧乏な家に生まれたり、世の中の広さを感じすぎたり、たくさんの人々がひしめく中で、どのようにナニモノとして生きていこうか迷っていた頃、Role modelになるような人を、確実に探しながら、伝記→歴史小説と発展していったわけですが、小娘すぎた私はなーんにも知りませんでした。世の中の仕組みもわからなかったし、これまで地球が残してきたさまざまなことをどうやって知ればいいのかすらわからなかったし・・・。

ゆえに、司馬遼太郎・海音寺潮五郎・藤沢周平・山本周五郎・吉川英治・山岡荘八などなど、手あたり次第ではありましたが、本当にお世話になりました。<(_ _)>

その後、限られた知性の中、ナニモノとして生きていこうかあぐねまくった中、15歳でOLにはならぬと決め、人類にとって少なくとも、「いてくれてよかったよ」とは最終的に判断されたいと思うようになったあと、日々のごはん・エクササイズ・学習・家事・消費生活などなど、当たり前のことで、

これが自分にできるベストなのか?

を常に問うてきたのでした。今もまだまだ続いているがゆえに、きっと当時のベストな答えってさほどベストじゃなかったんでしょうね(笑)。変わらないで続けていることもたくさんありますが、まだまだ修行中です。

人類の行きつくところがどこであれ、エネルギー体として何か貢献できることはないのか?などなど、まだまだ考える日々です。ゆえに、ナマミのある今、世界が変わる中で、変わってはいけないものや変わったほうがいいものも含め、終わりなどはないのですよね・・・。

行きつくところはどこだったらうれしいか?地球はあってほしいなと思いながらも、あと70億年くらいかーと、思わなくもないです。ただ、今、1から70億まで数えたらすごい時間が掛かってしまうので、それに時間を費やすほど、時間が余っているわけではないので、やれることをやろうと思いますっ!

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