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何時代に生まれたらよかったのだろうか?

もちろん昭和に生まれ、平成はほぼアメリカで過ごし、令和の境目を体験し、この女に生まれた日本人である人生を、かなり楽しんできたところではありますが、何時代にナニジンに生まれたらおもしろかったかなぁと思うことがよくあります。

もちろん妄想したところで、織田信長に近寄れるような場にいられたわけもなく、きっと一介のお百姓さんの家の小娘だったり、小僧だったりしたとは思うんですが、あの時代には豊臣秀吉の例もあるし、楽しいじゃないですか(^^♪

卑弥呼のおどろおどろしさを感じることができたのかどうか、あるいは胡散臭いと思えたのかどうか、試してもみたかったし、聖徳太子が本当にまんべんなく人々の話を聴いたかどうか(一時に8人とか10人じゃなくて、まんべんなく何人もの意見を聴いたとされているのが正しい解釈だそうで)、あの時代に東北に出向いた坂上田村麻呂は歴史に名前が残っているけれども、どんだけ苦労したのか見てみたかったし、枚挙にいとまがないくらいに、望みは出てきます。

さらにこれを日本だけではなく、世界に広げたら、この妄想は果てしないことになってしまい、さらにインターネットという便利なものがあるゆえに、いろいろと調べまくってしまい、脳内での田園風景やら荒々しい大自然やら、めくるめくほどの冒険活劇と化してしまいます(笑)。もうね、映画館に行かずとも、小説を読まずとも、楽しいことがどんどん脳内を通過していくのでした。

そしてやはり結論としては、「何時代にどんな立場で生まれてもけっこうな幅を持ち楽しかったに違いない」ということ。

なので、私がこの生をもらった昭和から令和に生きることについて、もしかすると令和天皇よりも長生きしてもうひとつくらい見てしまったら、という可能性も残しておきつつ、悪くないじゃん!むしろよかったじゃん!と思えることもたくさんあって、なんだかこれからもがんばれる気がしてしまうんだよなぁ・・・。

安い・・・。

私のありがたみやヨロコビを感じられる方法は、非常に安くて手軽すぎる・・・。

もしも暇が高じていけば、歴史の年表すら出してしまってもいいくらいなのだけれども、あまりに広大すぎて妄想が止められないだけになってしまうんだろうな、と(笑)。

私は全般的に昭和時代に育てられ、父がいつもTBSの時代劇シリーズを必ず見ていたこと、大河ドラマを見ていたことなどに影響され、あそこで取り上げられている日本の歴史モノがかなり好きです。ゆえに、大人になる以前、10代の頃から小説もかなりの冊数読みました。あれらが正しいわけじゃないことも、後年、しっかり学んだこともあって、妄想の余地はさらに膨らみ、Natureで観る動画や写真で付け加えや訂正が行われ、さらに映画のヒーローたちよりもひどい目に自分を遭わせたりしています(笑)。また、そこが楽しい♬

妄想で本当に死ぬわけじゃーないので、首チョンパ寸前の設定だってできちゃうわけです。かっこいい結末だけではなく、悲惨な結末すら経験できたら、さまざまな想像ができて、自分が持ち得ているあらゆる知識や感性をフルに使い、たくさんの選択肢が見えてくる。

そこで、自分がどれを選ぶのか、成功率はどのくらいなのか、どんなスキルが必要なのか、どの程度のスキルが必要なのか、などなど、いろいろ考えるだけで、本当に落ち込んだり、ひどく高揚したり、自分のちっぽけさを感じたり、あらゆる先人たちや名もない人々の偉大さを想うことができるわけです。

そこで自分が選ぶさまざまな選択肢の鋭さを、今にきっちり反映できるように、本日も私はまた考え方の広さを求めて、自分にしかできない組み立て術をエンジョイしていくわけでした。 みなさまは、何時代にどんなふうに生まれても、けっこう楽しかったと思えますか?

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