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個人の資質と積み上げた習得

1999年頃の文章です。

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私は父の具合が悪くなったときに日本に帰り、ガンだという疑いから事実を知り、あらゆるHectic(消耗性の、興奮した、熱狂的な)な雑事を潜り抜け、それでも「働く」ということにこだわりました。父がどんな状況であれ、私が働くことを放棄したのは、2ヶ月のみでした。1年3ヶ月の久々の日本で、消耗することが多い環境や事件のなかで、私はどうしても働いていないといけない、自分が失われ損なわれると思いました。物理的に父の最期を見届けるためには、どうしても物理的に身体がふたつ以上なければ無理で、2ヶ月はずっと父のすべてを刻み込み、きちんとしたお別れをするために、日誌をつけて側にいました。

それは彼の望んだことでもあったけれど、私が望んだことでもありました。今でもピンクのガーベラを見るだけで、あの日々を思い出します。

そのあっという間の闘病が終わり、お別れをし、魂が抜ける前に、私はすぐに仕事を始めました。4年半の留学経験は大学中退と言えども役に立ったようです。ヘリコプターの事業用と教官ライセンスが使える仕事を探すつもりもなく、家庭教師や英語教師になるつもりももうなく、私は派遣を選びました。

世間がどう私を評価しようが、TOEFLの点数が高かろうが、私は日本の英会話学校や受験制度に大きな失望を感じ、それに荷担したくないと思ったからです。これは現実逃避ですね。私の微力な英語でも武器になるのならば使えばよかったのですが、私は「教える」ということにうんざりしていました。「説明する」ということにうんざりしていました。本当にほんとうに消耗しきっていたのです。おまけにアタマは日本語と英語のちゃんぽん状態でした。

不景気になった今の日本の採用状況は知りません。どの程度の英語力があればどの程度のお給料をもらえて、どの程度の英語を教えるのか、把握できていません。英語をNative Language(第一言語)として使っている人のほうが、「教える」という能力が高いとも言いきれません。日本人には日本人に最適な、個人にはその個に最適な学習方法があります。そういう細かいことを考えるのに、うんざりしていました。

夕べは久しぶりにイリノイ州で生まれ育ったTrevor(人名:トレヴァー)を家に呼んでごはんを食べました。彼もエンジニアの学位を取るまでは自分のAsian Fever(アジア熱)を開拓するために「日本に行って英語の教師」という寄り道を考えていました。

ごはんを食べているときになぜか私が選んだのは、Clint Eastwood(クリント・イーストウッド)がプロデュースした、カーネギーホールでのジャズコンサートのライブCDでした。

Eastwoodは独学でピアノを習得し、映画Secret Service(邦題もシークレットサービス?)では、仕事の忙しい合間にバーでピアノの弾き語りをします。彼の初監督作品はBird(バード)という映画で、チャーリー・パーカーというジャズマンの生涯を綴ったものです。

私はEastwoodがジャズの天才と言われている人を強く求める気持ちがよくわかる、という話をTrevorとしました。彼の父親はハンティングの名人でギターを感性で弾くんだということを説明してくれました。Trevorは記憶やプロセスでギターを弾き音符がないと不安な質だけれども、父親は耳から入った音楽をなぜか音に併せて手が勝手に動くような弾き方をするそうです。私もTrevorと同じです。感性のみで物事を追いかけられない、才能がないわけです。Eastwoodもその最後の感性の部分に恋焦がれ、それでもそれが自分にないことを知りながらも、ジャズにこだわるのではないのか?という話になりました。

私の英語は私に備わった資質ではなく、限りなく私が学んで習得したものです。私には最良と思われた方法で学び、赤ちゃんに戻ってやったつもりではいても、やはり日本語という母国語の上に積み上げられたものです。だから今、ごっちゃになっているのでしょう。

天才と言われる人たちもその資質を伸ばすためには、相当な努力が必要ですが、そこにあるかないか、どのくらいの資質があるかないか、というのは決定的な違いであるとTrevorや私には思われました。彼が英語教師をするために日本に行かなかったのは、結局のところ、学校が順調に行き就職が簡単に決まったせいですが、脳裏には「教える技術があるかないか」という懸念があったそうです。

私は航空力学や航空法や気象学などを、日本語と英語両方で教えましたが、どちらで教えていても言葉がごっちゃになって「よく教えた」とは思えませんでした。父が死んで翻訳や通訳を1年弱やり、そこでの日本語から英語、英語から日本語の変換で、かなりの部分の日本語を取り戻しましたが、文献ではなく、テレビのテロップ作成や電話応対が主だったので話し言葉が多く、書く日本語というのは再生までにかなりの時間がかかるだろうことはわかりました。

だから教えるということも私の資質ではないようでした。日本語だってなぁ…、ひどいし。

こんなことをつらつら考えていて、私はまだ自分に「感性だけでかなりの域まで到達すること」があるのか?などということを考えあぐねていました。ん、運動ならかなりあるんだけどな…。なんか他のことはないんだろうか?まだ出逢ってないだけなのか、それとも感性が分散しまくっているのか、それともまったくひとつの分野で発揮できるものはないのか、いろいろ考えていたら哀しくなりました。

Trevorにはエンジニアリングがあります。職人のような勘が働き、言葉なんかでは絶対に説明しきれないことが、ぴーん!とわかるんだそうです。理屈やプロセスを飛び越え、「だよね?」「うんうん」だけで話せることが仲間同士であるのだそうです。

西さんは写真という趣味を再開しましたが、そのモノクロームの美しさや光との戯れや構図に対して、彼は感性にかなり頼っていけるのだな、とうらやましいです。おまけに彼は「ジャズ・クラシック版クイズドレミファドン」がもし実在するなら、誰の作品の何のどの部分か、ということが瞬時にわかります。ジャズなんかだと何年収録なんてことまでモノによってはわかります。そういう耳って…どうして英語に鹿児島なまりがあるんだろ…、とたいへん不思議になります。

あああああああああ、私の資質行脚はまだまだ続きます。いつか見つかるんでしょうか?それともないものを探しているだけなんでしょうか?

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