08/07/2007 にアップした文章です。
いやー、ホラーサイトを見てみてのイチバンの収穫は、『妖怪人間ベム』の全26話を、借りることもなく、お金を出すこともなく、出かけて探すこともなく、家で見ることができることです。まだ8話しか見れていません。なぜならば、やっぱりコレは怖いわけではなく、涼しくするための機能を果たさないことを知っており、子どもへの回帰趣向だからなのです。とってあるのだ(爆)。まさしく回帰で、水戸黄門や暴れん坊将軍などで、ちゃんと取り戻した気がしていたのですが、やっぱり足りなかった模様・・・。40年ほども前のストーリーですが、私は今のところ、すべて憶えているというすごい確認をして、けっこう感動しています。台詞などの細部は憶えていなかったのですが、ストーリー展開をしっかり憶えており、登場人物もかなり記憶しており、決め文句等であればまだ言える言える(笑)。若い人たちにも見てもらって、感想を述べていただきたいなぁ、と思えます。
サイトはコレ>http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00349/v01946
しかも、Yahoo!動画では、他にも「ひみつのアッコちゃん」だとか「フランダースの犬」も全編ではないものの、見ることができるんですなぁ♪ちょっと楽しみが増えた感じ。こんなことでもなければ、わざわざ探してまで、労力とお金を出してまで、という情熱がないものだからです。
でも、こういうものにSoft Spotをやっつけられるのかもしれないです。なので、商売人たちは、団塊世代のそうした弱い部分を魅了するものを販売しようとしているのでしょうなぁ。この前も、プラチナジュエリーをバンバン売るための、Thanks Days Platinumとかいう、和製英語のキャンペーンを、いろいろな宝石店がやっているのをちらっと見ました。熟年離婚を防止するには、こういうの使ったほうがいいのかもしれない・・・。http://www.thanksdays.com/ ←音楽つきのステキなキャンペーンサイト。刺激されてみるのもいいかも。でも、安くないの。70万とか100万とかですもん。
話は戻しますが、このオドロオドロしいオープニングを見ただけで、「こんなもの見てはいけません!」と言ったという同級生の母親が実在します。彼女自身、ホラー系や怖いものは怖かった人なのかもしれない・・・。私の母は、およそTV番組を選ぶということをしない人だったのです。父が選びまくっていたので・・・。というよりも、限定しまくっていたというべきなのか。とにかく、NHKとプロレスと野球だけだったのですよね。旅番組でも兼高かおるとか、正統派が案内しているものでなくてはダメで、クイズもタレントではなく教養人と言われる人々が出ていないとダメでした。でも、父の勤務が2勤2休だったので、そのあいだに、まったくのところ、いろいろなものを見ていたんですけどね・・・(汗)。
『妖怪人間ベム』が子どもだった私に教えてくれたことは、山ほどあります。
1. 外見に囚われるな!
妖怪人間なので、見た目が人間とは違うのです。当時は知らなかったのですが、今、解説を読んでみてわかるのが、当時、あまりにオドロオドロしい感覚が日本人アニメーターで醸しだしきれなかったので、作画は韓国でやっていたとのこと。3本指なんですよね。私はタイプを打つのに、6本だったら大いに困るんですけれども(1分間120ワード打てます♪)、あんなに爪が長かったら日常困るんですけれども・・・。顔も確かに険しい感じです。でも、外見と中身は必ずしも合致しないのだ、ということを教えてもらった最初のレッスンでした。「ええええ!」という意外が、数話進むまでありました。背が高いからといって、必ずしもアスリートを目指す必要もなければ、視力が悪いのは勉強のしすぎ、など、子ども心にすでに持っていた先入観というのを考えさせられました。
2. 言葉遣いに左右されるな!
ベロ(ベム:父親・リーダー的存在。ベラ:母親的存在。が、ちと違うのは、ふたりとも命令はせず、ベロをかなり自由に見守っている)は、子どもなのですが、一人称が「おいら」です。なぜか登場人物も外人が多いのですが、お金持ちか貧乏に偏っています。その貧乏の象徴みたいな話し方が、「おいら」に現れているのかもしれません。女の子でも「あたい」などというのが出てきて、40年近く前のストーリーではありますが、私は当時ですら使ったことがないです。現在でも、「あたし」と「わたし」を使い分けています。ちなみに、私は自分のことを三人称で呼んだことは、ただの一度もありません。粗野な言葉遣いをするから教養が低いだとか、きつい言い方をするから厳しい人なのだということは、このストーリーで間違っていることがわかります。特にベラはものすごい物言いなのですが、かなり優しいのよね・・・。
3. 自立せよ!
ベロは、子どもなので元気なのか、大人たちが新しく訪れた町で隠れ家を見つけては夜になるのを待っているというのに、ひょこひょこと出歩くのです。ポイントポイントで心配をする大人たちではありますが、概ね、ベロは自由に振舞っています。しかも、何か事件が起きたときに、「自分で解決してみろ」調の会話がたくさん出てきます。コレは自立心を育てるのに、とてもいいことだなぁ、と、いまさらながら思うのです。失敗したら助けてくれることがポイントですね。
4. 報われなくても拗ねるな!
結局、正義を行う妖怪人間たちのことは、真人間に生まれた人々はなかなかわかってくれないストーリー展開が多くなります。主要人物のわずかな人口だけが理解してはくれるのですが、彼らにも生活があり、妖怪人間たちを庇護するほどには至らず、彼らもそれをわかっているので、町を去り、次の町へと急ぐのですね。彼らがした善意は報われることなく、「早く人間になりたい!」と願いながら、正義の行脚は続くわけです。それを見て、哀しい気持ちになった幼い私には、知らず知らずのうちに正義感も身についたのでしょうし、この世には報われないことなどたくさんあることも悟ったのでしょう。私は、報われないことをけっこうやるタイプです(笑)。
5. 拒絶されてもトライし続けろ!
ベロがかわいらしいのは、「気持ち悪い」と言われることに慣れきってしまうわけでもなく、たまにある「友だちになろう」を励みにして、あくなきトライをし続けるところにあります。妖怪人間たちの正義への旅路そのものが、人間に拒絶されつつも、トライをやめないすばらしいことなのですが、「へこたれてはいけない」という極端な例を教わった、初期のストーリーたちなのかもしれません。人間である私がなぜ妖怪人間たちに肩入れしたのかは、自分も報われなかったり拒絶されたりした気分を、当時から味わっていたからでしょう。
6. 正しいと信じたことは、死を賭する価値あり!
ストーリーの最期には、彼らは死んでしまうのですが、そりゃー悲しかったものですが、その価値があるのだという認識は、幼いながらにありました。古今東西、自分の信じた大切なことに命を賭けた人々はたくさんいることを、後に知っていくことになるのですが、最初をアニメで学んだというのは、子どもだったからでしょう。その後、このテーマのストーリーには傾倒していくことになります。
あ、長くなってしまった(笑)。子どもの頃夢中になったストーリーですが、不思議なことにしばらくフツーの子どもらしく、外で遊ぶのが大中心で、帰宅後適度にTVを見たあと、ティーンになってからはバイト三昧になり、TVからは縁遠くなってしまいました。いいものはたくさんあったのかもしれませんが、ジャンクも多いのは否めない事実。選択能力や判断能力がなかった子どもの頃に、いい作品があってよかったです。深夜番組で、よくガンダムやドラゴンボールやその他、オタク系の人々が語っているのですが、私にはカケラもわからず(笑)。私は子どもからすんなり大人に移行してしまったのでしょう。最後に見たアニメが何だったかも思い出せませんが、最後に定期的に読んでいたマンガも弟の放置したもので、それは活字中毒によるもので、マンガそのものに魅了されていたからではありません。
『妖怪人間ベム』から始まった私のモノの見方は、セオリー通りに進んでいるようで(爆)。
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