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台風の想い出話

どうやら赤ちゃんの頃、たぶん野川という川なんですが、それが氾濫したことがあって、たらいに乗っけられたという体験があるそうですが、当然、赤ちゃんだったために記憶がなく、その記憶があったらなー!と思うワタクシです。けっこうおもしろい体験で、生命の危険ほどの問題ではなかったと思うんですよね・・・。

台風が来ていても、バイクや車で通っていた頃は、バイトは休まなかったです。ただ、ずぶ濡れになってその後、一斉に着替えるようにするのか、シャワーを借りるのか、それともレインギアで何とかするのか、など迷った記憶は大いにあります。手指が凍えてしまうほどの体験も幾度となくありますが、アレはアレでとっても楽しかったこととして残っており、うっとうしい!などと言いつつ、かなりエンジョイしていたなぁと。

最も記憶に残るひどい時間つぶしをした体験は、20歳の頃、もしかするともう21歳になっていたかもしれませんが、すかいらーく系の大昔に存在した Yesterdayというアメリカンカジュアルレストランの準社員をしていた頃のお話しです。契約社員という感じだったんですが、その頃、店舗数を増やしており、私は複数店舗に顔出しをしたり、売上を安定させるべく新しいお店にいたり、オープンの準備のために採用→研修→セレモニーをこなしていたり、と、まぁ楽しい3年ほどをウェイトレスとして満喫していたのです。

吉祥寺と三鷹の水道道路沿いにあったすかいらーくが第一店舗めのYesterdayだったんですが、その後、ものすごく繁盛したのが瀬田店で、そこにはYumingもふらっと来ていたりして、撮影のお申込みもわんさかありました。

そのお勤めの最期のほうに、山梨にYesterday甲府店というのを出す!というものすごいプランに、なぜか私も応援に行くことになり、採用や研修はなかったんですが、オープンセレモニー(株主さんや地元の名士さんを呼んでやるパーティー)とオープン日から2日間のサービスに派遣されることになったのです。いつも通り、自分の車で行くことにして、調布インターから中央高速に乗ったんですが、台風が来ていて通行止めを食らう(笑)。山梨までたどり着けることはなく、迂回してどうにか行けないか?と下道を探すんですが、当時はカーナビもなければ、Google Mapもないわけです(笑)。んまぁ、グルグルした(笑)。

そして夜中に出て、朝に到着するはずだったのに、翌日はなぜか河口湖近辺にいたのです(笑)。続く続く車の列。不満とイライラが募っている会話や、疲れが見て取れるほどのネガティブオーラに巻かれている人々に囲まれ、ガソリンがどこまで保つのか、キャッシュが尽きてしまったらどうしようか、おなかが空いても食料品が調達できなかったら、などと、本当にモヤモヤし通しだったのです。

そして、一応電話を入れて、甲府まではたどり着けないことを謝罪し、いっしょに乗っていたヘルプの女の子2名と3人で、その夜はようやくたどり着いた河口湖の町中に宿泊しようとしたんですが、受付でびっくり!

「宿泊は最低料金素泊まりでどうぞ。食事は出せません。お風呂ではなくシャワーで。食料は売店にあるものを、信頼しますので、料金を置いていってください。私共は避難勧告に従い避難します」という、見捨てられ方だったのです(笑)。

停電は起きず、それでも不安はすべて払拭されたわけではなく、切ない一夜を過ごし、小雨になった中、キャッシュがなくなったため、イチバン近い都市銀行に行くことになったんですが、それがなぜか清水市か沼津市という遠さ(笑)。

途中、トラックの運転手さんに「食べてないの?」と心配されて、野菜をボリボリとナマで食べたり、おまんじゅうをもらったり、人々の優しさに触れながら、沼津について、清水銀行でお金を下ろし、ガソリンを満タンにしてから、なぜかすかいらーくに行くんですね(笑)。そこでイチバンお気に入りだった、ポークトマトシチューにするか、ビーフシチューにするか迷って、おなか一杯にしてから、また車中で1時間半ほど昼寝して、東京に戻ったのです。

なんてこったい!という台風体験でした。その時使ったお金は、ガソリン代・高速代・領収書アリの食費は出してもらえましたが、もちろん労働していないのでやっぱりすごい疲労感だけが残った、という感じ。でも、かなり長いこと笑い話にはできました(笑)。

とはいえ、もう二度とあんなことは起きないと思います。だって、技術発展したので、キャッシュがないと困ることもなければ、避難所も旅人待遇もあると思うし、ファミレスだけではなく、コンビニが乱立しているので、1984年当時とはまったく違うよね(笑)。映画 Stand by Me的なアドベンチャーでありました(笑)。

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