09/07/2007 にアップした文章です。
他人様を呼ぶときに、日本語はバラエティがあってよい♪それによって、個人が決めた距離感が測れるというすばらしいツールなのですが、それは英語には見られません。英語は、社会的地位がついた敬称のほか、結婚しているかしていないかがわかってしまうMrs. Miss.のほかに、今、Ms.(ミズと発音)がありますが、男性はMr.のみ。職務が軍人などであるとSir.の他、地位をつけるということがありますが・・・。
呼称:名前をつけて呼ぶこと。また、その呼び名。称呼。
妙:(1)不思議なほどにすぐれているさま。霊妙なさま。(2)上手であるさま。巧みであるさま。
基本的には、本人がどう呼ばれたいか?しかも、この人にはこう呼ばれたい、という基準があるのだろうと思います。あるいは、面倒がりの人は、誰からでも同じように呼ばれても、ある程度の距離感の合致がなくてもかまわないというのもありなのでしょう。
私は母に最近、「おねえちゃん」と呼ばれず、「あんた」と呼ばれてムカつくことが多いのだと書きました。普段、彼女にゆとりがあるときには、名前で「きくみ」と呼ぶのですが、どうもカキクケコが続く名前は、彼女にはきつく感じるらしい。だったらなぜこの名前を私につけたんだ・・・。張本人は母親だ・・・(汗)。
西さんも私を「きくみ」と呼びます。長年そうなので、他の呼び方で呼ばれることはほぼゼロ。仕事だと、役職やら役割やらを呼び、付け加えるときに「妻です」と言うこともあり、この「妻」というのに、どうも慣れては折らず(爆)。
英語講師を始めてから、「先生」と呼ばれるのですが、はや半年なので慣れなければならぬところ、私はどうもまだ慣れられず・・・。第一、私は振り向かないよ(爆)。アメリカで西さんの会社の同僚たちとお付き合いしていた頃もそうなのですが、「西さん」と呼ばれても振り向かず、「奥さん」と呼ばれても振り向かず(爆)。意図があったり、悪気があるわけではまったくなく、本当に自分がソレなのだと思っていないだけなのだ。私にとって、まるでそれは「山田さん」と呼ばれているのと同義に近く、たまたま誰かが「西さん」と声にしていれば、それは西さんのことを指しているとしか思えず(笑)。
なので、「先生」をインプットするのに、なぜにこんなに長く長く掛かっているのか?それは、私が「先生」という職業にどんな価値観を持っているか?に関連しているのでしょう・・・。今後どんな職業を持っても、コレはついて廻ることなので、ちと真剣に考えてみませう。
先生:(1)学問・技芸などを教える人。また、自分が教えを受けている人。師。師匠。また、特に、学校の教員。(2)学芸に長じた人。(3)師匠・教師・医師・弁護士・国会議員などを敬って呼ぶ語。代名詞的にも用いる。また、人名のあとに付けて敬称としても用いる。(4)親しみやからかいの気持ちを込めて、他人をさす語。「大将」「やっこさん」に似た意で用いる。(5)自分より先に生まれた人。年長者。
教える:(1)知識や技芸を伝えて、身につけさせる。教授する。(2)相手のために自分の知っていることを告げる。(3)生き方・善悪などについて、わからせる。(4)そそのかす。
うーん、これによると、確かに私は先生だし、教えてはいるんだなぁ。でも、そういう気になっていないのはなぜなんだろうか?きっと、言語は「他人に教わって習得するもの」とはあまり思っていないのかもしれず・・・。うーん、うーん、特に(2)の「相手のために」というのが曲者で、「自分の知っていることを告げる」はいいにしろ、どうも使役動詞が散りばめられているところが気に食わないようだ・・・(爆)。
セラピストやカウンセラーにおいてもそうなのですが、「自主性」がそこにあるのであれば、先生も生徒もただの便宜だけでしかなく、どこで枠を設けるか?という命題におけるSharingという考え方になるような気がしているのです。
わけあう:一つのものやひとまとまりのものを分割して取得したり負担したりする。
事実、私の生徒さんたちの中には、英語分野だとしても、私に無償でいろいろな情報を教えてくれますよ。iBTになったTOEFLの情報は、読み物を読むよりも彼らに教わったことが多い。TOEICのコツも同じです。さらに、芸能情報やお店情報、雑談の中に盛り込まれているいろいろな情報は、むしろ私のほうが教えてもらっていることが多い・・・。携帯電話の使い方やら、ビルへのアクセスなど、生き延びるための情報であれば、価値としてはきっと私が教わっているほうが大きいのだ・・・。なのに、知っていることを切り売りしてけっこうな時給にしていることは、「先生」には値しないとどうも感じているらしいのだ。きっとこの先も、こう書ききってしまったので、慣れないことなのでしょう(苦笑)。
私は生徒さんたちにも、距離感が近いなと思った人たちは、「さん」ではなく、「くん」で呼びます。女の子で10代だと「ちゃん」も使います。相手が不快感を表したことはまだなく、とりあえず不和や違和感も醸されていないので、今のところは見極めは成功しているようです。
この歳になっても、同年代の友だちは、女の子な気分でいるらしく、「ちゃん」を使います。この前サザエさんを見ていて気づいたのですが、お隣の伊佐坂先生の奥さんは、サザエさんのお母さんのことを「舟ちゃん」と呼ぶ。だから、きっといいのだ・・・。当然、同年代の男性も距離感によっては、「くん」を使う人もかなりまだ残っており、これはうれしいことなのかどうか?と受け止め方が決まらず(爆)。
仕事がらみで知り合うとやはり男女に拘らず、「さん」が多くなっていることに気づきます。歳を食うことの現実のうちのひとつなのかもしれません。
私は、自分の旧姓を自分の苗字だと強く思っているので、未だに旧姓で呼ばれると自然に振舞いも好調になるようなところがあります。学校で、「西先生」と呼ばれると、不思議と西さんの顔をイチイチ思い浮かべており、心的に負担がかかっています(爆)。なぜならば、中国語圏では、目上の男性には伝統的に「先生」を呼称としてよくつけるので、西さんのことを「西先生」と呼ぶ人は多いのですよ。公的立場だったり、ビジネス上だったり、まだ名残を使う業界や地方はたくさんあるようです。
私がイチバン好きな呼ばれ方は、「おおだいらくん」と旧姓にくん付けで呼ばれること(爆)。これを言ってくれていた人は、ひとりは亡くなり、ひとりはどこかで教師を引退し暮らしており、あとは、パラパラといろいろな人にたまに呼ばれましたが、今の付き合う範囲では誰も呼んでくれていません。まぁ、結婚したことについて敬意を払ってくれているのでしょうが、私は旧姓を自分の苗字だと思い込んでいますからねぇ・・・。ただし、「きくみくん」と呼んでくれる人はまだたまにおり、さぞかし呼びづらいだろうなとは思うのです(爆)。
いつか、私のことを「きくみちゃん」と呼ぶ人がいなくなるかもしれません。そんなに長生きをする予定はないのだけれども・・・。First Nameで呼び捨てにされなくなったことについても、最近わびしさを感じるのです。呼ばれ方ってけっこう大切ですよねぇ。くれぐれも愛する人を、「おい」「こら」「ちょっと」「ねぇねぇ」などと呼びませんように(爆)。
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