まぁ、こういう日が来るのはわかっていたのですが、毎年まいとし、やっぱり来てしまうわけですね。今年はお引っ越しがあってスキップできる(跳ばすことができる)と思っていたものの、甘かった…。うーん、3日くらいに分けて小出しでやるか、一気に足腰の機嫌のいい日にやるか、ちと迷っています。
引っ越しをして愕然としたのは、まず自分の荷物の多さだったのですが、LAに住む友人に、「何言ってんの。あんたんところは日本人家庭じゃないみたいに荷物が少ないじゃない」とたしなめられました…。そうだった。本を除けば家は確かに荷物がうーんと少ない…。しかも私はバシバシ棄てることができるやつ…。
前のこの家の持ち主はわんちゃんがふたり外のデッキ(これがかなり広い…。日本の家のダイニング+キッチン+お風呂場くらいあるでしょう←なぜか弟の家を想定している・笑)に住んでいたのです。あーた、ガラスのドアがわんちゃんの足跡だらけ…。一応文句だけ言ってみようかと不動産屋さんに見せたいのでまだ掃除していないのですが(プロの掃除やさんを雇ってそれを請求できるかもしれない…汗)、前の人間の住人は私より掃除に関してアバウトな人であったぁぁぁぁ!←少しはほっとしている←こんなことで比較してほっとしてはいけない…(汗)。
ウィンドウの桟や戸棚の上やいろいろ、まだ汚れています。荷物を入れねばならなかったところは入れるときに一気に掃除をしたのですが、うーん、まだ残っていると思うとさみしい…。今日から3日が勝負です。30日はタンゴを見に行くので、その前にやっつけねばなりません。びっくりしちゃったのは、バスルームのSoap Dish(石鹸置き場)に溜まっているBuilt-up(積み重ねられたもの)。石鹸が溶けたものがSoap Dishの下に溜まり、つららみたいになっている…(汗)。これって取れるんだろうか?おまけにファイバーグラスの床もやたら汚い。垢って感じだったのでちょいとこすってみると、「やっぱ取れるじゃーん…」であった。
私よりも掃除に関してだらしない人がいるとは…。うーむ、強敵…。
自己申請でかなり掃除に関してはこれまでもお伝えしているのですが、私は家事のなかで掃除がいっちばん嫌いです。こんなに嫌ってしまっては「嫌っている私のほうが肩身が狭いぞ」というくらい嫌いで、日々なるべく好きなほうににじり寄っていこうと努力しています。途中、身体が動かなくなったので自分でできなくなったので、ちと好きになろうとする気持ちに休憩が入ってしまいましたが、引っ越しで復活してきました。
ひょっとすると大掃除、というのはあれやこれや言っていても私に向いているのかもしれない?と思いつつあります。
思えば我が家も小さい頃から年中行事として大掃除をしてきたのですが、私が高校生くらいになって廃止になりました。借家であったのですが、私が生まれる2年前に借りた家は、私が渡米する頃にはもうかなりぼろく、修理に増築を重ねていて掃除をしても改良ができないくらいにすーすーと寒い風が入ってくるようなところでした。父はその家で最後に喀血し、死んでからもその家に一旦眠り、そして斎場に運ばれました。そのときには家はもう築31年になっていました。
東京の気候で、木造で、借家のために建てた構造の築31年というのは、たとえ次の持ち主が地所を買い求めたとしても欲しい建物じゃぁありません。アメリカはBBSですみちゃんという私のお友達が書いていたように古いふるいVictorianな家などもまだまだかなりきちんと家としての機能を果たします。
まず私は掃除を無理矢理ではなく、望んで進んでするようになってから、その合理性のなさに掃除がいやになってしまった、というのがあります。どんなにやってもやってもきれいになる度合いが決められてしまっていて「だったらちゃちゃちゃっとやって、家族みんなで働いて家を建てればいいじゃん」などと悪態をついていました。Wrong!(まちがいだろ!)ですねぇ、この態度。住みやすいようにと、父ががんばって掃除の船頭をしていたのに、どうしてあんなにも悪態をついていたのか…。父があんな小さくてボロい家で死んでいく日に想いを馳せることもできずに…。私がいつか家を自分の手で建てて、そこで死んでもらうのだと私はなぜか決めてかかっていたところがありました。そして彼が死んでから、掃除をいやいやながらでも、適当にではなく、お仕着せられたからではなく、義務だからではなく、みずから望んで一生懸命にやるときはやるようになったのです。
小学校の2年生から数えて、高校生3年生で卒業するまでの11年の義務の掃除と、家で狭い4畳半と6畳を毎日掃除機をかける日課(父は2勤2休でしたが)があった父のアシストと、バイト先のクレンリネスマニュアルと、私の心は掃除に向かって行っていなくてもシステマティックに合理的で効果的な掃除のやり方だけは何気なく覚え、いざやる気になったときの後日に生かされてきました。それでもいやなことはまだいやです(爆)。けれどもまだまだ好きになる余地があるので、やるときゃぁ楽しく♪をモットーにしているのですが、手が動き始め、身体がリズムに乗り始めると楽しいと瞬間感じたあとに、それらはオートマチックに切り替わってしまい、いつのまにか終わってしまう、という繰り返しをまだまだ続けています。いつになったら過程のすべてに楽しさが導入されることやら…。
私が父にバイトで掃除が習慣になるまで笑われていたことに、「雑きんを赤ちゃんが使い終わったあとのおむつをつかむように扱う」ということがあります。なるべく少ない手の面積を使って持ち、荒い桶まで運び、指先でちょちょちょいと濯いである程度きれいになってからでないと、真剣に両手の指やてのひらを使わない、というのが父には大きな不満でした。「目先だけのきれいなことに囚われて、おまえは使い古した汚いものを大切にできない」と何度怒られたことか。その横で母は「時期が来れば直るわよ。いつかやらなくちゃ自分の時間が無駄だってことわかるわよ」とのんびりしていました(そのくせ、この母は自分の時間が無駄だと悟ったとき、私がたった10ヶ月のときにおむつを取りましたからねぇ…)。この父の危惧は当たり、私はきれいなものに執着する時期がずいぶん愚かしく長かったように思います。誰しもきれいなものにより魅かれる部分はあるのでしょうが、その度合いというのが極端に過ぎるという時期がかなり長かったようで、母の予言通り、私はそれについて自分で自分の時間を大きく無駄にしていたことに大きく愕然とします。
そんなわけで、毎日まいにち小出しでちょこちょこ掃除をするのはキリがなくていやなのですが、今は自分の数年前よりもずっとずっと掃除は好きになりました。残念なことに他の家事も軒並み好きになりつつあるので、掃除は未だにもっとも苦手でもっとも後回しになってしまう、という悲劇がここにあります。足腰が悪かったせいもあり、その前は学校が忙しかったせいもあり、いざとなったらプロのお掃除やさんを雇うこともしていたのですが、これからは緊縮財政になるのでそんなこともちょこちょこしていられず、ますます好きで得意にならねばなぁ、と圧迫感にも押されています。
そして、「なぁんだ。これじゃー、大人になったって何も変わらないじゃん。まだまだ掃除とも闘いは続くのだな…」などと思いつつ、「大掃除のように一気にやるのがいいのだな」という資料も取れています(爆)。作戦としては、週に一度、やっぱり競争方式(誰かといっしょの時間に始めて一気に終わらせる)を取り、そのなかできれいになったからうれしい、という気持ちを増やしていくしかあるまい、となぜか悲壮感さえ伴いつつ真剣な取り組み方をしています。
昨日も吹き零れたお鍋が原因である、ガスレンジの輪っかの汚れを取っていたのですが、ちと精神衛生によかった♪>すんごいきれいになった。これが重なればしめたもの♪とほくそえみつつ、私は今日もお掃除が好きになれるよう、「嗚呼、大掃除」とせめて嘆くことなどない来年が来るように祈りつつ、祈るだけでなく作戦を立てつつ、今日からの3日間を過ごしていくのでありました…(ああ、でも医者もあるしぃ、買い物もあるしぃ、書類手続きや支払…と用事は永遠に続きそうである…汗)。
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