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壬生義士伝

04/14/2007 にアップした文章です。

 

『鉄道員(ぽっぽや)』以外を2冊くらい読んだだけで、浅田次郎氏の作品を網羅したことがなかったのである。なので、図書館を利用して読破しようと思い立ち、短編がたくさん詰まっているものと、長編を3種ほど借りたのですが、最初に当たってしまったのがコレだったのです。理由は、池波正太郎で『近藤勇白書』を読み終えており、人物像比較ができると考えたのと、時間軸がそのままでかなり綿密に時代考証ができると思ったため。いやー、よかったよ。

まったく浦島太郎な私は、邦画がどのように発展してきたかを知らず、「うひー、映画になってたんだ!」とまたもやびっくりするわけです(笑)。しかも、その前にドラマになっていたのか…。この映画がメジャーな部類のどのへんの位置にあるのかは、日本アカデミー賞を獲っていたことでもけっこうわかる。しかも配役でセンスもわかる。しかも、その年にNHK大河ドラマが『新撰組!』だったことでもわかる。類似品にご注意ください、なんだな(笑)。トレンドを作る側の業界人であっても、そのトレンドに影響されているのが、なんだかフツーでおもしろい(笑)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%9F%E7%BE%A9%E5%A3%AB%E4%BC%9D 
渡辺謙が主役だったのか、ドラマ・・・。すごいな・・・。まぁ、彼に関しては、私はアカデミー(アメリカの助演男優賞候補)前も後も、評価はまったく変わらないので、『独眼流正宗』の頃から評価は一定です。そうなんだよねぇ。アメリカで、まだ、その頃は日本のTVを見ており、『独眼流正宗』は見たのだよ。そして、白血病の闘病があり、生還したことにものすごい脅威を感じたせいか、その後の離婚劇と再婚にもアカデミー賞候補にも、なんだか特に感想はなくなってしまった。

浅田次郎氏というのは、こういう経歴の人だったのか・・・。しかもウサギ年なんだ・・・←同じ干支なのですぐわかる(笑)。今回借りたので、もう1/6くらいを制覇することになるのですが、作家でビュー以来、ものすごく精力的に書いてらっしゃるのね♪まだ16年だというのに、このリストでは62冊も出ている。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E6%AC%A1%E9%83%8E 

そして、吉村貫一郎についてはコレ。『壬生義士伝』では、南部訛りが表記されており、そこも泣けるし、影響されまくった部分であることは否めず。東京生まれで東京育ちの私は、訛りやスラングやイントネーションの機微を持っている人たちを、どうも過剰に評価するところがあるようです。そのせいで英語がうまくなったとしたならば、感謝せねばならないことになりますが、果たしてそのせいもあるのでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9D%91%E8%B2%AB%E4%B8%80%E9%83%8E 
気づいてしまったのが、浅田次郎氏の小説の中と、この史実はすでに違うことがあり、浅田氏がうんと参考にしたであろう、子母澤寛の資料も「創作」だとはっきり書かれているのが、今回、「ぎぇ!悲しい」と、オドロキつつさらにつらかった部分。すでに吉村貫一郎が死んだときの年齢が違う。小説では、「父より長生きした(父の享年は35歳)とあるのですが、ここでは28歳で死んでいることになっています。28歳で死んだことにしてしまうと、子どもが元服を終えて、戊辰戦争や函館の五稜郭の戦いに参加するお膳立ても叶わなかったからなのでしょう。その子どもは、大好きな父のために、ひとりぼっちで死んでいった父のそばに行くのだと、大義名分は数々あれども、ただただ父の元に行くために斬り死にを目指すのです。が、最後には、黒田清隆が出てきて、そこもまたいいエピソードになっています。ま、創作なのですが、いいよな、時代小説は出してこれる駒も多い。創造性と想像性が問われる。

ただ、この時代小説は、史実を追いかけるのではなく、浅田氏の人物像の描き方や、創作による想いの馳せ方などが珠玉なので、まったくそこのところは問題にしないでください。人物とはどのように見ていくのか、どんな言動やどんな一貫性やどんな動機が、人を人と成すのか、など、たいへんによく顕れています。映画より原作がいいことは、常々言っていることなので繰り返す必要はないと思いますが、私のほうは、今後、たくさんの課題映画や課題ドラマが残ることになるのでしょう・・・(汗)。

もーね、パチンコやさんで、パチンコ生涯の記録を出していた最中、私はコレを読んでおり、泣きまくり(笑)。昨日もちょろっと書いた通り、時短(時間短縮というモード;確率変動が終わったときに100回の「タダ延長戦」がある)を2回経たものの、26連荘を出している中、私は「強欲を鎮めるため」に読書をしていたのですね(笑)。いやー、集中して気がマシンに伝わるといかんと思っている験担ぎだったのか?サングラスをしていたからよかったようなものの、あんなに鼻を赤くして泣いていたんじゃ、満杯になった箱を交換してくれる店員さんたちも戸惑ったことでしょう(笑)。新撰組に属していたのだから、生き残る確率のほうがうんと少ないのはわかっており、冒頭部分が「腹きりを命じられる」ところから始まっているので、当然、予測はできるものの、どのような人生を歩んだのか、どのような想いを経て死んでゆくのか、何を言い残して死んでゆくのか、などなど、醍醐味だらけのエピソードが詰まっています。

生き残った人々に、吉村貫一郎はどんな人間だったのか?と、取材をして問いかける設定にもなっており、そのインタビュー稿と独白稿(吉村貫一郎本人の)と史実稿(実は創作が多い)の3種設定で、2巻はあっという間に終わります。インタビュー対象には、かつて新撰組に属していた人も数人おり、その人たちから見た当時のいろいろな人々の人物像もしっかり浮かび上がっています。

社会格差が危惧される中、自分の人生の目的がどうも定まらない方には、こうしたギリギリのところで生きて死んでいった人の話は、たいへんに心強いのではないかと思った次第です。私は、どうも何をやっても倖せだと思えてしまうので、どんなふうに、この吉村貫一郎を自分の中に取り入れていくのか?を課題にすることのほうが難しい。この創作であっても、人物像がわかってしまった今、自分はどのようにこれを生かしていけるのか?と考えると、ひとり倹約道をやってみようかな、などと思ったり(ケチケチ生活の極限にチャレンジしてみるとかいいような気がしたの)、普段ならば先払いをするのは利子損のような気もしていたのだけれども、先払いをしてお金がない状態を体験してみようか、などと思ったり、仕事で必要とされる場面以外では、ずっと洋服その他も質素に「着たきりスズメ」に戻ってみるのもいいだろう、と思ってみたり、親子や家族の情についても、再考察をしないといかんなぁ、と、本当にいろいろなことを考えたのです。

吉村貫一郎は、少なくとも時代の犠牲者として、優秀だったがゆえに世間に評価されきれず、武士という階級を名実共に守りながら、生きていきました。脱藩はしたものの、新撰組に入ったものの、武士という立場や生まれ育ったものや自分の選択肢から最後まで逃げなかった。結局、私もアメリカに逃げたものの、19年後の今、ここに戻ってきており、彼とは違って、当時よりずっとラクに暮らさせてもらっている。やっぱり時代が変わったことは、たいへんにありがたく、逃げ出しても帰る場所があるというのは、安全基地になってくれる人がいるというのは、本当にすごいことなのだと思うのです。が、私がもう少しへそ曲がりであれば、戻ってくることもできなかったかもしれません。

吉村貫一郎がなぜ妻子の元に戻らなかったのか、戻ることだってオプションのひとつにはあったのにしなかったのはなぜなのか、理解してみたい人は、読んでみてね♪その死に様は、創作といえども壮絶で、愛がある死に方なので、ぜひぜひその様だけでも味わってもらいたいな、と思ったのでした。

 

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