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大人のいじめ その2

07/31/2008にアップした文章です。

 

昨日は一般的な前提で終わってしまいました。校長センセの有意義なコメントを見て、私はやはり現場での経験が少なすぎるのかも・・・と思いつつも、気を取り直して、だからこそ第三者的に見られるかもしれないと、持ち前の楽観で凌ごうと思っています←最初から凌ぐことを考えているのか(笑)。私は、これらの雑多な人間関係にキリがなさすぎることを見越す年齢が17歳くらいだったので、OLになることはなく、大学を中退してから資金を必死に貯めて、渡米して手に職をつけたのですが、その後、大勢の中に身を置くこともさほどなく、トライは何度もしたものの、挫折ばかりでした。もしも私のエナジーフローが悪いことがずっと続いて何も報われなければ、私も通り魔になっていたかもしれず・・・←たぶんないけど。なぜなら私は、結果を出すためにがんばってきたに違いなく。



元記事はコレ http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0807/29/news086.html 

校長センセがおっしゃられていた「干し」という制裁。いわゆる窓際族だとか、早期退職の無言の促しというやつですが、村八分の頃にもそれはあり、この心理はひどいなと思うのです。簡単に言えば、「生殺し」というもの。

 

生殺し:(1)ひと思いに殺さないで、死ぬばかりの状態にしておくこと。半殺し。(2)決着をつけないで、相手が困るような中途半端な状態にしておくこと。

 

心が死んでしまうほどほど生きている意味がないことは、アウシュビッツの収容者やレイプされたヒトたちに聴くまでもなく、想像できるのではないかと思います。だからこそ、私は “Life is Beautiful”で泣いたのだし、“Accused”で怒りもしたのです。最近、心理学の分野で最も注目を浴びているのが、「免疫学と心理の合体」と「学習と記憶」なのですが、コレに尽きると思いますね。以前説明したPlacebo Effectですが、信じるモノは救われるのですから、これを使わない手はないわけで・・・。

 

心が死なないためには、好きなもの、心が躍動するものを、たとえどんな生活をしていても、キープし、増やしていくことが大切です。職場にいるとそれが不可能になることがある、というのが、職場での大人のいじめなわけです。増やせる状況にはなく、心が躍動するものが見当たらない。好きになれそうなこともなく、ヒトも遠くにいたりして、直接的な手助けにはなってくれそうもない。

 

「社員同士のコミュニケーションが少なかった」(66%)

これは会社のシステム(部署作りや縦横の割り当ての人員数やその人間関係のバランスの問題かな)だと思いますね。それを作るのは、やはり創業者をはじめとする上の人々で、上のものが無能だと言われても無理がないところはあるのだろうと思います。ただし、昨今の問題は、親や友だちや恋人ともまともに口が利けない人々というのは実在するので、そういった人々に遭遇してしまったManagement側というのは、どうやってシステムを作っていいのかわからず、相互作用として悪循環していることは否めないかもしれません。

 

「管理職の指導力が欠如していた」(64%)

西さんの卑近な例を出して申し訳ないのですが、彼は管理能力が高くもない管理職でした。なぜならば、自分のクローンが作れない人だったにも拘らず、「目標はコレ。期限はコレ。だからこの日とこの日にチェック」などと、他人任せができるというわけでもなく・・・。ヒトを見る目があれば、適材適所が有効に使えて、さらに他人任せでラクができる、という道があったに違いなく、なのに自分がヒト数倍働かなくてはならない事態もあり・・・。これはどんな企業に於いてもアリな問題なんだろうと思います。

 

「上司が業務内容を教えず、失敗すると強くしかる」

よく聴きます(笑)。英語の生徒さんが愚痴るくらいですから、きっと蔓延しているんだろうなと・・・。「男は黙ってサッポロビール世代」にとって、業務であって責務があるにも拘らず、説明をすることはとても苦手なのかもしれないです。教えていないという意識はなく、「悟って当たり前」という不可思議な、汲んでほしい願いがあり、その延長線上でみんな疲れてしまうのかもしれないです。ただし、部下の側も、相当に鈍感なヒトは増えているのかもしれず(笑)。

 

「障害者枠で雇用された社員を、報酬の差が気に入らないという理由で派遣社員がいじめていた」

この例はかなり特殊だとも思えるんですが、障害者が障害の恩恵に甘んじて悪いわけもなく、どうして健常者は逆に、自分の恵まれているそもそもの現状に感謝できないのか理解できず・・・。障害枠の障害が軽いと思っているからなのか?ちょっとこの例は理解しがたい・・・。

 

「セクハラ問題を解決しようとしたコンプライアンス担当者が社内で孤立した」

こういうのってあるのかもしれない・・・。セクハラへの意識というのは、昨今(たぶんここ15年とか10年くらい)で気づいたものであり、まだまだ総意までは行くようなものではなく・・・。私などは、もしも極左発言をしていいと言われたら、「知らないおっさんに【おねえさん】とは言われたくなどない」と言っちゃいますしね。さらに、レイプした加害者が、被告が「薄着をしていた」ということを理由にしたものなら、トラのように噛み付きたくもなりますし・・・。ただ、そうじゃないヒトたちはたくさんいて、「自らが招いた」という便利で丸く収まる論法を使いたいヒトたちのほうがずっと多いに違いない社会であることは確かです。

 

今日は、小林多喜二の『蟹工船』がなぜか今になって流行していることを知りました。もう1ヶ月以上経っているので、やっぱり私のアンテナというのは、かなり鈍感(爆)。うーん、原本は読んだんだから、ちょっとくらいは許してはほしいけどなぁ>大学の頃。

プロレタリアという言葉に反応できる人々が増えることに、私はヨロコビを感じるのですが、ところが、R25という雑誌の〆では、「蟹工船はつまらないので、あれを読む時間があれば、彼女とカニでも食べたほうがいい」などというような内容のことが書いてあったらしい。これについては、英語学校の生徒さんからの又聞きなので、一語一句は正確ではないです。ちなみに『蟹工船』の頃のお話はコレで、私は大学時代に国文科の近現代だったので必修で読みました。必修でなくとも、私はたぶんいずれ読んでいたとは思うのですが・・・。そのあとの大逆事件について読んだ記憶あり・・・。どの程度、その頃のことを想像できるか?というのは、要な能力ではあったような気がします。それは今の英語でもさほど変わりなく、心理学でも、航空学でも大差はなく・・・。きっと他の学問でも、この能力があったほうがずっといいに違いなく・・・。>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%96%87%E5%AD%A6

 

けれども、Selfを大切にしすぎて、多様性について深く考えない人々は、パワーを使い、コミュニケーションの重要性を慮ることもなく、それこそ「営利団体の第一意義は儲けること」とすら思っておらず、自分のことばっかり考えているかもしれず・・・。

 

ああ、書ききれなかったので、続きは明日>思ったより長くなってしまっている・・・(汗)。

 

 

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